気仙沼のいま 本吉町小泉界隈 20160226 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
今日は、用事のついでに、気仙沼市本吉町小泉をちらっと見てきました。
東日本大震災で大きな津波に襲われ、地区の大半が流されました。
ただ、今日訪れたのは、まちの北東側にある水田地帯の向う、小高い丘にあるお寺の墓地(^-^;
墓石の多くは地震で倒れ、一部は津波に流されました。また、今も墓地に戻されていない墓石がありました。
各写真はクリックすると大きくなります。
JR本吉駅から列車に乗って気仙沼線を南下し、トンネルを出て視界が開けたところに、小泉の水田地帯が広がっていました。高架橋の上なので、ぐるっと見渡せました。
そんな鉄路は今は閉ざされ、撮影は高架下の道から。
この写真は2年前の1月に撮影しました。雪!!
向きと構図がちょっと違いますが、比べると途切れた高架橋の先にある橋脚等や、高架の上端に付いていた柵みたいなものが、今日のには見えない感じ。
橋脚の撤去が始まっているようです。
やっと墓地に上がってきました。眠る母の父母や兄夫婦にご挨拶して、ぐるりと見渡します。
写真はおよそ南向き。写真右から真ん中奥へ流れているのは津谷川(小泉川)。
震災前は、更に右の川向まで一面に水田でした。震災後は、がれき処理施設が建ち、多くのがれきが処理されました。
右端は、北へ向かって伸びる高速・三陸道の橋脚。街の西側を大きく迂回するルートで、工事が進んでいます。
その橋脚左に見える丘に、右から小学校、幼稚園が見えます。震災直後、小学校は右に隣接する中学校と共に、多くの地区民が身を寄せた避難所になりました。残念ながら中学校は林の陰。
幼稚園の下に見えるのは、がれき処理時に作られた仮橋。当時は見張りが居て、一般人は渡れませんでした。今は工事車両が通っています。
仮橋を、半分過ぎた辺りから左上に重なって見えるのは、国道45号の仮橋。自衛隊さんありがとう。
写真真ん中から左に伸びる白い建物は、トマトの栽培工場。がれき処理施設が撤去されたのち、現況復旧で水田の形に戻りましたが、地元新聞によれば土に小石が多く混じっていて、農家は苦慮しているとか。
そんな中に、トマトの工場が出来ました。そのトマト、ヨコミー家にも回ってきて、トマト大好き人間の奥様は、美味しい美味しいと食べていました。ちなみにヨコミーは、トマトは緑が残っていないと食べられません。この状態ならフルーツ感覚!!
トマト工場の向うに見える構造物は、幼稚園左下の白い所まで伸びる、国道45号の新橋脚。国道は大きく海側へルートを変更し、大きな橋の工事が進められています。
トマト工場左に見える土色は新しい防潮堤。あの海側には、去年辺りまで、ずーっと以前につぶれたレジャー施設の廃墟が有りましたが、工事に支障があるようで、撤去されました。ヨコミーはJRの高架橋と共に、震災遺構としてふさわしいと思っていましたが......。
この防潮堤は、従来より100m?か200mもバックしますが、砂浜が流され、松松だらけの防潮林も流され、廃墟の足元まで荒波に洗われる状況では、どうにも仕方ないなぁと。
真ん中左、仮橋上の白い橋脚の下を左右に伸びるのは、JR気仙沼線陸前小泉駅付近の高架で、駅のホームがありました。この上を超えて大津波が右奥の街を襲いました。
津谷川(小泉川)左岸(手前)では、堤防のかさ上げ工事が進められています。昔、この堤防を何度か歩いたことがありました。
この下手、河川敷ですが、モーターパラグライダーを楽しむ人の姿もありました。今は.....。
トマト工場は大きいです。市内で一番大きな建築物かも。
左は工事が進む防潮堤。命を守り、仕事場も守る、しっかりとした防潮堤が、早く出来て欲しいものです。
次回は街なかへ行ってみましょう。
今日は、用事のついでに、気仙沼市本吉町小泉をちらっと見てきました。
東日本大震災で大きな津波に襲われ、地区の大半が流されました。
ただ、今日訪れたのは、まちの北東側にある水田地帯の向う、小高い丘にあるお寺の墓地(^-^;
墓石の多くは地震で倒れ、一部は津波に流されました。また、今も墓地に戻されていない墓石がありました。
各写真はクリックすると大きくなります。
JR本吉駅から列車に乗って気仙沼線を南下し、トンネルを出て視界が開けたところに、小泉の水田地帯が広がっていました。高架橋の上なので、ぐるっと見渡せました。
そんな鉄路は今は閉ざされ、撮影は高架下の道から。
この写真は2年前の1月に撮影しました。雪!!
向きと構図がちょっと違いますが、比べると途切れた高架橋の先にある橋脚等や、高架の上端に付いていた柵みたいなものが、今日のには見えない感じ。
橋脚の撤去が始まっているようです。
やっと墓地に上がってきました。眠る母の父母や兄夫婦にご挨拶して、ぐるりと見渡します。
写真はおよそ南向き。写真右から真ん中奥へ流れているのは津谷川(小泉川)。
震災前は、更に右の川向まで一面に水田でした。震災後は、がれき処理施設が建ち、多くのがれきが処理されました。
右端は、北へ向かって伸びる高速・三陸道の橋脚。街の西側を大きく迂回するルートで、工事が進んでいます。
その橋脚左に見える丘に、右から小学校、幼稚園が見えます。震災直後、小学校は右に隣接する中学校と共に、多くの地区民が身を寄せた避難所になりました。残念ながら中学校は林の陰。
幼稚園の下に見えるのは、がれき処理時に作られた仮橋。当時は見張りが居て、一般人は渡れませんでした。今は工事車両が通っています。
仮橋を、半分過ぎた辺りから左上に重なって見えるのは、国道45号の仮橋。自衛隊さんありがとう。
写真真ん中から左に伸びる白い建物は、トマトの栽培工場。がれき処理施設が撤去されたのち、現況復旧で水田の形に戻りましたが、地元新聞によれば土に小石が多く混じっていて、農家は苦慮しているとか。
そんな中に、トマトの工場が出来ました。そのトマト、ヨコミー家にも回ってきて、トマト大好き人間の奥様は、美味しい美味しいと食べていました。ちなみにヨコミーは、トマトは緑が残っていないと食べられません。この状態ならフルーツ感覚!!
トマト工場の向うに見える構造物は、幼稚園左下の白い所まで伸びる、国道45号の新橋脚。国道は大きく海側へルートを変更し、大きな橋の工事が進められています。
トマト工場左に見える土色は新しい防潮堤。あの海側には、去年辺りまで、ずーっと以前につぶれたレジャー施設の廃墟が有りましたが、工事に支障があるようで、撤去されました。ヨコミーはJRの高架橋と共に、震災遺構としてふさわしいと思っていましたが......。
この防潮堤は、従来より100m?か200mもバックしますが、砂浜が流され、松松だらけの防潮林も流され、廃墟の足元まで荒波に洗われる状況では、どうにも仕方ないなぁと。
真ん中左、仮橋上の白い橋脚の下を左右に伸びるのは、JR気仙沼線陸前小泉駅付近の高架で、駅のホームがありました。この上を超えて大津波が右奥の街を襲いました。
津谷川(小泉川)左岸(手前)では、堤防のかさ上げ工事が進められています。昔、この堤防を何度か歩いたことがありました。
この下手、河川敷ですが、モーターパラグライダーを楽しむ人の姿もありました。今は.....。
トマト工場は大きいです。市内で一番大きな建築物かも。
左は工事が進む防潮堤。命を守り、仕事場も守る、しっかりとした防潮堤が、早く出来て欲しいものです。
次回は街なかへ行ってみましょう。
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