旧・石巻市立大川小学校 20160306 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
東日本大震災による大津波で、石巻市立大川小学校(現在は旧。以下、単に「大川小」と記します)
は児童先生等が80人以上が犠牲になりました。
ご冥福をお祈りします。
昨年11月に引き続き、3月6日にも同校を訪れることが出来ました。
まだ裁判が続いていたり、保存問題でもめている事柄ですが、敢えてヨコミーの感じたままを。
上の写真は、屋外の施設に描かれた卒業制作。
大川小は河口からおよそ4キロの所に有り、川土手より低く、海も見えません。
上の写真の右は下の写真へ続きます。
でも、鎮魂の碑に刻まれた校歌を見ると、「船がゆく 太平洋の青い波 寄せてくる波」とあり、少なくとも校歌を歌っているときは、先生も子供たちも、海の存在を意識していたことでしょう。
大川小は、避難が素晴らしかった石巻市立門脇小学校と比べられても、非難されています。
でも、ヨコミーは門脇小は見ていません。見てから、感じてから考えてみます。
方角を確認しようと、グークールマップからグーグルアースに移って見ていたら、画面の下に小さな写真がいくつか並んでいました。
そしてその中の一つに、大川小の西から南側にそびえる主に杉の山について、「その気になれば子供でも駆け込めそうな緩い斜面の森」という文言が有り、どなたが書いたものか知りませんが、こういうふうに見れる人も居るものだなぁと、大いに驚いた次第。
上の写真は、およそ西南西方向。
ここから左にかけての山は、実際に2回も行ってみると、その急峻さが分かります。
急な斜面なので、過去に崩れたのか、木々が無い斜面の下には、落石を受け止める大きなフェンスと、がっしりとしたコンクリの基礎が有りました。
そのフェンスが途切れた先に、古い墓地らしき群があり、ここには登れても高さは全然足りません。しかも、いつに建てられたのか、立ち入り禁止の立て札が2枚も有ります。
更にその上を見ると、木々で暗くなっていて、しかもより急になっているようです。
結局、避難方法を議論している内に逃げ遅れ、避難する後列にいた先生と数人の児童だけが、何とか山へか登り、助かったようですが。
これは一般論です。
世の風潮として、子供たちをより安全な環境で育てようとするあまり、子供たちを「自然」から遠ざけてしまったのが現実でしょう。
昔と違って、学校の脇に杉山があるからって、子供たちは自ら登って自然に親しんでいたでしょうか。
先生がもしそんな状況を見かけたなら、当然のことですが、直ちに注意していたに違いありません。大切なお子様を預かっているのですから。
また、家庭においても地域においても、あのような山で子供と一緒になって楽しんだことはあったでしょうか。
大川小に戻れば、山に登る、客観的に「通り道」らしきものは見えず、想定外の突然に来た大津波とはいえ、雨やみぞれが降る中、滑りやすい山肌を登ることには、大きな困難があったと思います。(まあ、昔の子供なら、多くが登れたでしようけれど。)
ハード的な山道の整備をしたうえで、1年生の小さな子も含めて、多少以上にあの山に慣れ親しんでいたならば、優れた避難だと門脇小とともに名声を得ていたでしょうに、多くの犠牲者が出たことは、とても残念でなりません。(「たら」「れば」は二度とあんな悲劇を繰り返さないためにも必要と思います。)
だからといって、責任は誰にも無いなんて言いません。
避難計画がしっかりしていなかった学校、それを指導できなかった教委、そしてそのことをチェックできずにいた、またそんな低地に有る学校を避難場所にしていた行政、子供たちを自然から遠ざけていた社会....に責任があると思います。もちろんヨコミーにも一端が。
安全だとの神話が崩れた原発。来る来るとずーっといわれてきたのに、有効な手段がとられなかった少子高齢化社会への対策等々、私たちが注意を払わなければ消極的な賛成となり、物事は望まなかった方向へ行くことが多々有ります。
その結果の不都合を押し付けられるのも、私たちです。
私たちは、世の中のいろいろな事柄や変化に、もっともっと注意を払い、必要ならば行動を起こさなければなりません。後悔しない世の中を作るために。
終わりに、我がプロフィールの項目に付け加えますが、映画「聖職の碑」(せいしょくのいしぶみ)に出てくる校長さんの姿に、1歩でも2歩でも近づいて欲しいと、教職員のみならず各現場の方々にお願いいたします。
想定外も2倍想定したのに、更に厳しい、計3倍を超える現実に他人を泣かせた、泣いたヨコミー、自戒を込めて......。
あっ、震災後ほとんど活動を停止していた自然に親しんで頂く活動、そろそろ再開しなくては!!!!
東日本大震災による大津波で、石巻市立大川小学校(現在は旧。以下、単に「大川小」と記します)
は児童先生等が80人以上が犠牲になりました。
ご冥福をお祈りします。
昨年11月に引き続き、3月6日にも同校を訪れることが出来ました。
まだ裁判が続いていたり、保存問題でもめている事柄ですが、敢えてヨコミーの感じたままを。
上の写真は、屋外の施設に描かれた卒業制作。
大川小は河口からおよそ4キロの所に有り、川土手より低く、海も見えません。
上の写真の右は下の写真へ続きます。
でも、鎮魂の碑に刻まれた校歌を見ると、「船がゆく 太平洋の青い波 寄せてくる波」とあり、少なくとも校歌を歌っているときは、先生も子供たちも、海の存在を意識していたことでしょう。
大川小は、避難が素晴らしかった石巻市立門脇小学校と比べられても、非難されています。
でも、ヨコミーは門脇小は見ていません。見てから、感じてから考えてみます。
方角を確認しようと、グークールマップからグーグルアースに移って見ていたら、画面の下に小さな写真がいくつか並んでいました。
そしてその中の一つに、大川小の西から南側にそびえる主に杉の山について、「その気になれば子供でも駆け込めそうな緩い斜面の森」という文言が有り、どなたが書いたものか知りませんが、こういうふうに見れる人も居るものだなぁと、大いに驚いた次第。
上の写真は、およそ西南西方向。
ここから左にかけての山は、実際に2回も行ってみると、その急峻さが分かります。
急な斜面なので、過去に崩れたのか、木々が無い斜面の下には、落石を受け止める大きなフェンスと、がっしりとしたコンクリの基礎が有りました。
そのフェンスが途切れた先に、古い墓地らしき群があり、ここには登れても高さは全然足りません。しかも、いつに建てられたのか、立ち入り禁止の立て札が2枚も有ります。
更にその上を見ると、木々で暗くなっていて、しかもより急になっているようです。
結局、避難方法を議論している内に逃げ遅れ、避難する後列にいた先生と数人の児童だけが、何とか山へか登り、助かったようですが。
これは一般論です。
世の風潮として、子供たちをより安全な環境で育てようとするあまり、子供たちを「自然」から遠ざけてしまったのが現実でしょう。
昔と違って、学校の脇に杉山があるからって、子供たちは自ら登って自然に親しんでいたでしょうか。
先生がもしそんな状況を見かけたなら、当然のことですが、直ちに注意していたに違いありません。大切なお子様を預かっているのですから。
また、家庭においても地域においても、あのような山で子供と一緒になって楽しんだことはあったでしょうか。
大川小に戻れば、山に登る、客観的に「通り道」らしきものは見えず、想定外の突然に来た大津波とはいえ、雨やみぞれが降る中、滑りやすい山肌を登ることには、大きな困難があったと思います。(まあ、昔の子供なら、多くが登れたでしようけれど。)
ハード的な山道の整備をしたうえで、1年生の小さな子も含めて、多少以上にあの山に慣れ親しんでいたならば、優れた避難だと門脇小とともに名声を得ていたでしょうに、多くの犠牲者が出たことは、とても残念でなりません。(「たら」「れば」は二度とあんな悲劇を繰り返さないためにも必要と思います。)
だからといって、責任は誰にも無いなんて言いません。
避難計画がしっかりしていなかった学校、それを指導できなかった教委、そしてそのことをチェックできずにいた、またそんな低地に有る学校を避難場所にしていた行政、子供たちを自然から遠ざけていた社会....に責任があると思います。もちろんヨコミーにも一端が。
安全だとの神話が崩れた原発。来る来るとずーっといわれてきたのに、有効な手段がとられなかった少子高齢化社会への対策等々、私たちが注意を払わなければ消極的な賛成となり、物事は望まなかった方向へ行くことが多々有ります。
その結果の不都合を押し付けられるのも、私たちです。
私たちは、世の中のいろいろな事柄や変化に、もっともっと注意を払い、必要ならば行動を起こさなければなりません。後悔しない世の中を作るために。
終わりに、我がプロフィールの項目に付け加えますが、映画「聖職の碑」(せいしょくのいしぶみ)に出てくる校長さんの姿に、1歩でも2歩でも近づいて欲しいと、教職員のみならず各現場の方々にお願いいたします。
想定外も2倍想定したのに、更に厳しい、計3倍を超える現実に他人を泣かせた、泣いたヨコミー、自戒を込めて......。
あっ、震災後ほとんど活動を停止していた自然に親しんで頂く活動、そろそろ再開しなくては!!!!
こんばんわ、ももで~す。
大川小の悲劇については、当事者でも関係者でもないし~
もし自分がその立場だったとしてもどう判断行動できたかは全くもって自信もないです。被害者側の心情も推し量れるものでもないです。
なのでコメントや評論はできません~
by もも (2016-03-09 21:54)
こんにちは、ももさん。
地味ぃ~なブログを見て頂き、ありがとうございます。
いつか行かれて、拝んで頂ければいいなぁと思います。
by yokomi (2016-03-10 16:56)
こんばんわ、ももで~す。
え~と、古川であった宮城近郊星仲間の集いの翌日だったです。
南三陸~雄勝をまわってここによって帰ってきました。
重苦しい空間でした。
by もも (2016-03-10 19:46)