気仙沼市内の脇三丁目 夕景 20130410 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
あの東日本大震災から間もなく5年となります。短かいようで、長かったような.....。
(写真はクリックすると大きくなります)
大津波から2年余り過ぎた頃、職を変えなくてはならなかったヨコミー。
職場へは、南気仙沼の浸水地を経由して通っていました。
ほんの少しずつでしたが、日々瓦礫が減ってゆく様子を、朝に夕に、肌で感じていました。
が、いよいよこの通勤が最後となったこの日のこの夕暮れ、想いに浸りながら、とてもきれいな夕焼けに、しばし見とれていました。(気仙沼市内の脇三丁目付近)
手前はどこかの事業所跡だったようで、写真下の左には薄っすらと車の駐車枠が見え、右に続くコンクリートで一段高くなった所に、事務を執ったり接客していた日常が有ったのでしょうね。
奥に見える、黒い瓦礫のシルエットとなってしまった工場にも、大勢の人が汗を流していた日常が有ったはず。
そんな日常を、ほんの一瞬で失ってしまいました。命さえも......。
海が見えなくなる、景観が悪くなるので防潮堤は低くしろ、津波が来たら逃げられるように道路を拡張しろ.....との声が有ります。
確かに、それもいいのかもしれません。
でも、その道路は、人々の日常や財産、職場までも、避難させてくれるのでしょうか?
我が気仙沼の知り合いは、勤務していた工場が被災し、系列会社の工場が有る遥か遠くまで転勤して行きました。
5年も経つのに、新工場が気仙沼に出来たとは聞きません。
そういえば5年を前にして、鹿折地区に工場を再建した別な会社が有りました。ありがたいことです。
でも、震災前までそこで働いていた人にとって、この5年間はとても長かったことでしょう。
工場が再建され、雇用が確保されるまで、いったい誰が食べさせてくれるのでしょうか??
ヨコミーは欲張り!!!
人の命も日常も、そして財産、職場をも守ってくれる津波対策が欲しいのです。
5年とか10年とかじゃなく、20年30年かかっても、いや50年かかってもいいです!!
私たちの子孫に、震災の苦しみ悲しみを味合わせたくないから!!!!
あっ、悪い癖で、またまた熱くなってしまいました。心に残る写真に、ちょっとだけ説明を付け加えて終わらそうとしたのに....。失敗(>_<)
飽きずに最後までお読みいただいた方へ、改めて感謝します!!!!!!!!!!
えっ、誰も読まない!???? (^-^;
2016-03-10 01:51
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コメント(2)
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こんにちわ、ももで~す。
被災者でも関係者でもないので言いづらいのですが。
津波は過去何度も来ているわけで、
それを承知で生きてきている。
それを承知で海の恵みを受けて生きてきたのだと思います。
誤解を承知で言えば、
津波は災害ではなく自然現象だと。
人がいて、人や人間の都合でのモノに被害があれば災害になります。
物理的・ソフト的に災害(ほか地震や台風洪水などの自然現象でも)を
ゼロにはできません。
津波はたまに来るものだ。
そのときに建物が壊れたり、人が死んだりもする。
それでも海とともに生きていく。
そんなもんだと思います。
by もも (2016-03-10 10:04)
おっ、ももさん、こんにちは。今日はお早いですね。通院?
大津波による大災害は、未来永劫途切れることなく、伝えて行きたいですね。
津波から、人命のみならず、財産、仕事なども守ってあげたい、欲張りなヨコミーでした。
by yokomi (2016-03-10 17:56)