気仙沼のいま 日門海岸界隈(九多丸浜) 20130313 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
東日本大震災による大津波で、大きな被害を受けた日門海岸界隈の続きです。
気仙沼から車で国道45号を南下すること約30分。
大谷海岸西端のホテルを過ぎると、30秒位で左手に小さな浜が見えてきます。
(各写真は、クリックすると大きくなります)
まるでプライベートビーチみたい。 ここが九多丸(くだまる)浜。 東日本大震災の大津波は、こんな可愛い浜も襲いました。 その大津波は、今立っている国道をも乗り越えて....。 ちょっと通り過ぎ、気仙沼方向を振り返ってみました。 右手から来た大津波は国道を壊し、画面左にあった何戸もの民家や、中央にあった工場も流しました。工場跡には倉庫が建ちました。右の赤いバスは、大津波で流されたJR気仙沼線の代替バス・BRT。 国道から下るとJR気仙沼線の線路が有りましたが、大津波で 東側は線路の下の土まで流され、トンネルも閉鎖。手前の赤い印は、線路が有った場所を示しているようです。 西側の土砂も流出。散らばったレールや枕木はすべて撤去されています。 この線路の北側に、民家が2・3軒有り、すべて流されました。でも、残った庭木は元気に早春の光を浴びていました。写真上の木に、何やら黒い球が!?? 大津波が掛けて行ったのでしょうか。黒い浮き球が.....。 この辺は、冷たい北風や西からの強風も当たらず、ピンクの花が咲いていました。ハナモモかな!? そして、正面には何もなかったような砂浜が広がります。 手前を見たら、なんとシュロが!!! あの大津波を耐え抜いた力強い植物たち、エライ!!! 浜に降りてしまいました。 浜の東です。この正面を大津波は進み、JR気仙沼線を流し、国道45号を壊し、国道北側まで襲いました。 浜の西側です。トンネル付近が崩れています。 ヨコミーが浜へ行ったら、陸前高田から南下してきたという、プロっぽいカメラマンも撮影に来ました。車窓から見えたとかで。 これは2年余り前の雪景色。 夏には海水浴を楽しむ姿も見えますが、ここは海水浴場ではありません。 シャワーもトイレも有りません。もちろん監視員もいないので、ご注意ください。 こんな小さな浜にも震災の傷跡が残り、それでも頑張っている植物に出会えた、小寒い午前でした。(あっ、頑張っている人もいるようだ(^-^;)
まるでプライベートビーチみたい。 ここが九多丸(くだまる)浜。 東日本大震災の大津波は、こんな可愛い浜も襲いました。 その大津波は、今立っている国道をも乗り越えて....。 ちょっと通り過ぎ、気仙沼方向を振り返ってみました。 右手から来た大津波は国道を壊し、画面左にあった何戸もの民家や、中央にあった工場も流しました。工場跡には倉庫が建ちました。右の赤いバスは、大津波で流されたJR気仙沼線の代替バス・BRT。 国道から下るとJR気仙沼線の線路が有りましたが、大津波で 東側は線路の下の土まで流され、トンネルも閉鎖。手前の赤い印は、線路が有った場所を示しているようです。 西側の土砂も流出。散らばったレールや枕木はすべて撤去されています。 この線路の北側に、民家が2・3軒有り、すべて流されました。でも、残った庭木は元気に早春の光を浴びていました。写真上の木に、何やら黒い球が!?? 大津波が掛けて行ったのでしょうか。黒い浮き球が.....。 この辺は、冷たい北風や西からの強風も当たらず、ピンクの花が咲いていました。ハナモモかな!? そして、正面には何もなかったような砂浜が広がります。 手前を見たら、なんとシュロが!!! あの大津波を耐え抜いた力強い植物たち、エライ!!! 浜に降りてしまいました。 浜の東です。この正面を大津波は進み、JR気仙沼線を流し、国道45号を壊し、国道北側まで襲いました。 浜の西側です。トンネル付近が崩れています。 ヨコミーが浜へ行ったら、陸前高田から南下してきたという、プロっぽいカメラマンも撮影に来ました。車窓から見えたとかで。 これは2年余り前の雪景色。 夏には海水浴を楽しむ姿も見えますが、ここは海水浴場ではありません。 シャワーもトイレも有りません。もちろん監視員もいないので、ご注意ください。 こんな小さな浜にも震災の傷跡が残り、それでも頑張っている植物に出会えた、小寒い午前でした。(あっ、頑張っている人もいるようだ(^-^;)
2016-03-17 23:55
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