熊本大地震 避難所そして全国の方々へ 20160417 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
朝の天気予報で、県南は風が強いと報じていて、県北のこちらは全く風が無いので、ふーん...と思っていました。
朝食後、冬タイヤの交換(^-^;をしていたら小雨が降りだし、間もなく強い風が吹いて、本降りとなりました。
午後になり、雨は峠を越しましたが、強い風はまだまだ、変わりなく吹き荒れています。
さて、東日本大震災による大津波の被災地・気仙沼から、熊本大地震で亡くなられた方々にお悔やみを申し上げますとともに、被災された方々にはお見舞いを申し上げます。
熊本、大分の被災した方々へ、そして全国のボランティアさんや物資を送って(贈って)くれる方へ、ヨコミーが個人的に思ったこと、経験したことをお伝えします。
避難所のこととボランティアさんへのこととを、分けて書こうかとも思いましたが、表裏一体の面もありますので、分けずに書きました。ご理解願います。
あとから追加するかもしれませんが、とりあえず少しでも参考になれば幸いです。
[食]
あの3.11の寒いとき、翌日だったか、避難所に乾燥したご飯・アルファ米を頂きました。ひょっとして市の備蓄品??
でも、都市ガスが止まっていて、お湯を沸かす手段はありません。電気コンロは無く、しかも電気は停電。水で1時間で出来ると書いてありますが、飲む水の量も限られている中、暖房の無い冷えた部屋で水で出来きたご飯は....。
贅沢を言う訳ではありませんが、アルファ米を保管している施設や贈られる方は、その場でお湯が調達できる状況か否かを確認し、必要によってはお湯を沸かす用具と水も併せて調達して頂ければ、大変ありがたいです。また、停電している所がほとんどですから、電気ポットはその避難所の状況を確認してから。
当初、市からの配給品には、乳製品がほとんどありませんでした。
なので、何か持って行くと言ってくれた東京の医師に甘え、LL牛乳を持って来て頂きました。その後も医師とその協力者の方々の支援もあり、何度も頂きました。感謝!!!!!!!!!!!!
また果物のビタミンCもほとんど無く、同じく上記医師と協力者にお願いし、ミカンをいっぱい持って来て頂きました。この場でですが、御礼を申し上げます!!!!!!!!!!!!!
更に、今は被災地となった熊本の企業「えがお」さんから多数のデコポンを頂き、避難所一同美味しく頂きました。大変ありがとうございます。ヨコミー父は、生前、貴社の製品を愛飲していましたよ!! 感謝!!!!!!!!!!
このように、避難所へ直接連絡を入れて頂くと、現場でのニーズが把握出来、嬉しさ倍増!!!!
炊き出しボランティアを予定している方へお願いです。
私が出入りしていた避難所は大きく、いろんなボランティアさんが来てくれましたが、小さなところにはあまり来なかったとも聞きました。時間対効果もあるでしょうけれど、ボランティアセンターで調整して頂くとかして、小さな避難所へも光を当てて頂ければと思います。
私が出入りしていた避難所の、おかずを任されていたNPOさんのある夜のおかずは豚の角煮。豪華ではあるけれど....。
要員等の都合もあり、炊き出しメニューは割と1つの場合が多いのかもしれませんが、肉系の場合、イスラムの方が避難していたり、我が老母のように鶏も豚も牛もダメな方もいらっしゃるでしょうから、そんな方への裏メニューを、ちょこっと準備して頂けると大変ありがたいです。
保健師さん方が衛生管理には十分に注意されているのに、あるとき下痢が多発しました。炊き出しを頂いた直後なので、あっ、食中毒かなっ!??と思ったら、十分に煮込んでいるし....。原因は、食べたことが無い、強烈に脂っぽい料理でした(>_<) まあ、便秘でお悩みの方が多かったし.....(^-^;
被災直後に、カップラーメンをたくさん頂きました。しかし、水も、沸かす設備も有りませんでした。アルファ米同様、現地を確認されてから、お願いします。 カップラーメンといえば、外国産の辛いものも頂きましたが、口やおなか、お尻もなかなか大変なので、一般的な味が一番かと(^-^;
お湯を沸かすときのこと。電気コンロや電気ポットは、避難所の部屋の電気容量に左右されますので、軒下や屋根だけのテントの下等で、プロパンガスを使う方がベターかと。
調理室内にプロパンガスのボンベを持ち込んではダメです。カセットコンロは火力が弱く、温め程度と思います。
[衣]
私が出入りしていた避難所では、新品や古着を数多く頂きました。ありがとうございます。とても助かりました。
ただ、子供が少ないのに、子供用が多く来て、他所に回しました。すみません。
また、着の身着のままでいた、ほんとの被災直後なら良かったのですが、だいぶ時間が経ったとき、大変すみませんがヨレヨレの衣類は、なかなか、はけませんでした。
何も古着が悪いわけではなく、タイミングと、洗濯してきちっと畳まったものから、はけて行きました。 某デパートが行った古着の無料頒布会は、大変な人気でした。
[住]
水洗トイレは断水で大変でしたが、避難所では、近くの学校のプールから水をバケツで運びました。
でもバケツが不足し、水の量が限られているので、流すのは大をした時に限ったり、拭いた紙はゴミ袋を準備し、流さずに入れていました。
被災しなかった家庭でも、直後は断水や停電でしたので、トイレが合併浄化槽の場合、風呂の残り水や、食器や手をを洗った水などを貯めて流していました。
下水道だと、施設が壊れている場合が有ります。役所の情報に注意しましょう。
洗濯は、当初は冷たい水での手洗いでした。しばらくして、全自動洗濯機を頂きました。ありがとうございます。
といって乾燥までする全自動洗濯機だと、1家族で1回としても全行程をやったのでは1時間も掛かり、洗濯機を何台配備して頂いても足りません。
出入りしていた避難所では、初めて洗濯機が配備されたときは、1家族はたしか3日に1回、「洗うのみ」の割り当てでした。まあ、人数が減ってからは乾燥まで出来ましたが。
出来れば、洗濯物干し場が欲しかったでした。不足し、避難された方々に不便をおかけしました(>_<)
簡単な屋根が付けばベスト。いろいろな場所なので、どちらかの建設業界さん、現地に合わせて仮設して頂けると助かります。また、下着等を干せる場所も。
避難所は、多くの場合ホテル等ではなく、会議室か体育館、教室のように広い所だと思います。
そこでボランティアさんから、プライバシー確保のために、段ボール製の間仕切りの提案を何度か頂きましたが、避難者の皆さんからは、場所が狭くなるとの話が有り、使わないこととなりました。
まあ、着替えは、後に自衛隊のお風呂が駐車場にやってきましたし、撤退後は仮設シャワーが出来たり、再開したホテルの風呂無料券が配られましたので、その時に出来ました。
九州の部隊による「玄界の湯」、自衛隊さん、ありがとうございます。(もう1部隊お出で頂いたかもしれませんが、すみません、記憶障害で.....(^-^;)
自衛隊といえば、あの素晴らしい活動に憧れて、知り合いの子供さんも入隊しましたが、間もなくめげて帰郷しました。若い方を上手くフォローして、立派に育ててくださいね(^-^;
段ボール製のベッドは、避難所の人数が少なくなった時に、足腰が悪い方の要望もあり、いくらか使いました。
スペースが有れば、段ボール製の棚もいいですね。
被災直後の、寒くて停電が続いているときに役立ったのが、電気を使わない反射式石油ストーブ。
停電でも暖が取れるし、常夜灯代わりにもなりました。もっとも、椅子で400人も収容できるところに1台か2台でしたが。
出来たら、併せて灯油もお願いしたいです。燃料無ければただの台ですから(>_<)
[暮らし]
各地からボランティアさんが来られ、大変助かりました。ボランティア活動を支援する一つとして、施設長の証明書が有れば高速料金が安くなるという制度も、どこかにはあったようです。今回もあるかもしれません。各避難所の施設の方は、積極的に利用し、ボランティアさんへ応えてあげてください。
お顔のボランティアエステもやってきました。まあ、先のことを考えた会社さんのサービスです(実際「でした」)が、それでも結構だと思いました。被災した方々には、心が和んだことでしょう。
今日のNHKニュースでも取り上げていましたが、現在開店しているお店の状況は、被災地・被災者にとって必要な情報です。個々の企業名を公共放送で流した英断に拍手です。
避難所時代、ヨコミーも、あちこちから開店しているお店の状況を仕入れ、紙に書いて貼りだしたものです。もちろん、近くに仮設のセブンが出来たことも!! このセブンは、共徳丸がちょうど在った所に、自宅を構えてた作並屋さんが開設したとか。もちろん自宅は壊れました。公共用地のためか、2年で退去しました。あの周辺、震災前の不便さに戻ってしまいました。まだ仮設住宅が有るのに....。
[企業さんへ]
停電が続くと冷凍物は解けますよね。私が出入りしていた避難所に、震災の翌日か翌々日、結構解けたアイスを頂きました。暖房が無い寒い部屋でしたが、避難している多くの方は、喜んで頂きました。ちょっと寒いけど、甘いものは心も元気になりました。
この際ですから、倉庫に滞っている品々で、避難している方々のお役に立ちそうなものが有りましたなら、現地へ照会の上、バンバンと吐き出してください(^-^;
避難されている方々は喜ぶし、会社のイメージも上がりますから!!!!!!!!!!! 試供品でも助かります。
ただ、役所の物資配送も大変なので、現地へ照会の上、企業の看板を背負って、避難者に直接届けて頂けると、より良いかと(^-^;
なぁーんて打っている内に雷が鳴り、すごい音を立てる雨も降りましたが、夕方には雨も風も止み、青空が広がって西の山の上に夕日が輝きだしました。そして夜になり、またまた強風が....。
熊本、大分の地震が早く収まりますように !!
朝の天気予報で、県南は風が強いと報じていて、県北のこちらは全く風が無いので、ふーん...と思っていました。
朝食後、冬タイヤの交換(^-^;をしていたら小雨が降りだし、間もなく強い風が吹いて、本降りとなりました。
午後になり、雨は峠を越しましたが、強い風はまだまだ、変わりなく吹き荒れています。
さて、東日本大震災による大津波の被災地・気仙沼から、熊本大地震で亡くなられた方々にお悔やみを申し上げますとともに、被災された方々にはお見舞いを申し上げます。
熊本、大分の被災した方々へ、そして全国のボランティアさんや物資を送って(贈って)くれる方へ、ヨコミーが個人的に思ったこと、経験したことをお伝えします。
避難所のこととボランティアさんへのこととを、分けて書こうかとも思いましたが、表裏一体の面もありますので、分けずに書きました。ご理解願います。
あとから追加するかもしれませんが、とりあえず少しでも参考になれば幸いです。
[食]
あの3.11の寒いとき、翌日だったか、避難所に乾燥したご飯・アルファ米を頂きました。ひょっとして市の備蓄品??
でも、都市ガスが止まっていて、お湯を沸かす手段はありません。電気コンロは無く、しかも電気は停電。水で1時間で出来ると書いてありますが、飲む水の量も限られている中、暖房の無い冷えた部屋で水で出来きたご飯は....。
贅沢を言う訳ではありませんが、アルファ米を保管している施設や贈られる方は、その場でお湯が調達できる状況か否かを確認し、必要によってはお湯を沸かす用具と水も併せて調達して頂ければ、大変ありがたいです。また、停電している所がほとんどですから、電気ポットはその避難所の状況を確認してから。
当初、市からの配給品には、乳製品がほとんどありませんでした。
なので、何か持って行くと言ってくれた東京の医師に甘え、LL牛乳を持って来て頂きました。その後も医師とその協力者の方々の支援もあり、何度も頂きました。感謝!!!!!!!!!!!!
また果物のビタミンCもほとんど無く、同じく上記医師と協力者にお願いし、ミカンをいっぱい持って来て頂きました。この場でですが、御礼を申し上げます!!!!!!!!!!!!!
更に、今は被災地となった熊本の企業「えがお」さんから多数のデコポンを頂き、避難所一同美味しく頂きました。大変ありがとうございます。ヨコミー父は、生前、貴社の製品を愛飲していましたよ!! 感謝!!!!!!!!!!
このように、避難所へ直接連絡を入れて頂くと、現場でのニーズが把握出来、嬉しさ倍増!!!!
炊き出しボランティアを予定している方へお願いです。
私が出入りしていた避難所は大きく、いろんなボランティアさんが来てくれましたが、小さなところにはあまり来なかったとも聞きました。時間対効果もあるでしょうけれど、ボランティアセンターで調整して頂くとかして、小さな避難所へも光を当てて頂ければと思います。
私が出入りしていた避難所の、おかずを任されていたNPOさんのある夜のおかずは豚の角煮。豪華ではあるけれど....。
要員等の都合もあり、炊き出しメニューは割と1つの場合が多いのかもしれませんが、肉系の場合、イスラムの方が避難していたり、我が老母のように鶏も豚も牛もダメな方もいらっしゃるでしょうから、そんな方への裏メニューを、ちょこっと準備して頂けると大変ありがたいです。
保健師さん方が衛生管理には十分に注意されているのに、あるとき下痢が多発しました。炊き出しを頂いた直後なので、あっ、食中毒かなっ!??と思ったら、十分に煮込んでいるし....。原因は、食べたことが無い、強烈に脂っぽい料理でした(>_<) まあ、便秘でお悩みの方が多かったし.....(^-^;
被災直後に、カップラーメンをたくさん頂きました。しかし、水も、沸かす設備も有りませんでした。アルファ米同様、現地を確認されてから、お願いします。 カップラーメンといえば、外国産の辛いものも頂きましたが、口やおなか、お尻もなかなか大変なので、一般的な味が一番かと(^-^;
お湯を沸かすときのこと。電気コンロや電気ポットは、避難所の部屋の電気容量に左右されますので、軒下や屋根だけのテントの下等で、プロパンガスを使う方がベターかと。
調理室内にプロパンガスのボンベを持ち込んではダメです。カセットコンロは火力が弱く、温め程度と思います。
[衣]
私が出入りしていた避難所では、新品や古着を数多く頂きました。ありがとうございます。とても助かりました。
ただ、子供が少ないのに、子供用が多く来て、他所に回しました。すみません。
また、着の身着のままでいた、ほんとの被災直後なら良かったのですが、だいぶ時間が経ったとき、大変すみませんがヨレヨレの衣類は、なかなか、はけませんでした。
何も古着が悪いわけではなく、タイミングと、洗濯してきちっと畳まったものから、はけて行きました。 某デパートが行った古着の無料頒布会は、大変な人気でした。
[住]
水洗トイレは断水で大変でしたが、避難所では、近くの学校のプールから水をバケツで運びました。
でもバケツが不足し、水の量が限られているので、流すのは大をした時に限ったり、拭いた紙はゴミ袋を準備し、流さずに入れていました。
被災しなかった家庭でも、直後は断水や停電でしたので、トイレが合併浄化槽の場合、風呂の残り水や、食器や手をを洗った水などを貯めて流していました。
下水道だと、施設が壊れている場合が有ります。役所の情報に注意しましょう。
洗濯は、当初は冷たい水での手洗いでした。しばらくして、全自動洗濯機を頂きました。ありがとうございます。
といって乾燥までする全自動洗濯機だと、1家族で1回としても全行程をやったのでは1時間も掛かり、洗濯機を何台配備して頂いても足りません。
出入りしていた避難所では、初めて洗濯機が配備されたときは、1家族はたしか3日に1回、「洗うのみ」の割り当てでした。まあ、人数が減ってからは乾燥まで出来ましたが。
出来れば、洗濯物干し場が欲しかったでした。不足し、避難された方々に不便をおかけしました(>_<)
簡単な屋根が付けばベスト。いろいろな場所なので、どちらかの建設業界さん、現地に合わせて仮設して頂けると助かります。また、下着等を干せる場所も。
避難所は、多くの場合ホテル等ではなく、会議室か体育館、教室のように広い所だと思います。
そこでボランティアさんから、プライバシー確保のために、段ボール製の間仕切りの提案を何度か頂きましたが、避難者の皆さんからは、場所が狭くなるとの話が有り、使わないこととなりました。
まあ、着替えは、後に自衛隊のお風呂が駐車場にやってきましたし、撤退後は仮設シャワーが出来たり、再開したホテルの風呂無料券が配られましたので、その時に出来ました。
九州の部隊による「玄界の湯」、自衛隊さん、ありがとうございます。(もう1部隊お出で頂いたかもしれませんが、すみません、記憶障害で.....(^-^;)
自衛隊といえば、あの素晴らしい活動に憧れて、知り合いの子供さんも入隊しましたが、間もなくめげて帰郷しました。若い方を上手くフォローして、立派に育ててくださいね(^-^;
段ボール製のベッドは、避難所の人数が少なくなった時に、足腰が悪い方の要望もあり、いくらか使いました。
スペースが有れば、段ボール製の棚もいいですね。
被災直後の、寒くて停電が続いているときに役立ったのが、電気を使わない反射式石油ストーブ。
停電でも暖が取れるし、常夜灯代わりにもなりました。もっとも、椅子で400人も収容できるところに1台か2台でしたが。
出来たら、併せて灯油もお願いしたいです。燃料無ければただの台ですから(>_<)
[暮らし]
各地からボランティアさんが来られ、大変助かりました。ボランティア活動を支援する一つとして、施設長の証明書が有れば高速料金が安くなるという制度も、どこかにはあったようです。今回もあるかもしれません。各避難所の施設の方は、積極的に利用し、ボランティアさんへ応えてあげてください。
お顔のボランティアエステもやってきました。まあ、先のことを考えた会社さんのサービスです(実際「でした」)が、それでも結構だと思いました。被災した方々には、心が和んだことでしょう。
今日のNHKニュースでも取り上げていましたが、現在開店しているお店の状況は、被災地・被災者にとって必要な情報です。個々の企業名を公共放送で流した英断に拍手です。
避難所時代、ヨコミーも、あちこちから開店しているお店の状況を仕入れ、紙に書いて貼りだしたものです。もちろん、近くに仮設のセブンが出来たことも!! このセブンは、共徳丸がちょうど在った所に、自宅を構えてた作並屋さんが開設したとか。もちろん自宅は壊れました。公共用地のためか、2年で退去しました。あの周辺、震災前の不便さに戻ってしまいました。まだ仮設住宅が有るのに....。
[企業さんへ]
停電が続くと冷凍物は解けますよね。私が出入りしていた避難所に、震災の翌日か翌々日、結構解けたアイスを頂きました。暖房が無い寒い部屋でしたが、避難している多くの方は、喜んで頂きました。ちょっと寒いけど、甘いものは心も元気になりました。
この際ですから、倉庫に滞っている品々で、避難している方々のお役に立ちそうなものが有りましたなら、現地へ照会の上、バンバンと吐き出してください(^-^;
避難されている方々は喜ぶし、会社のイメージも上がりますから!!!!!!!!!!! 試供品でも助かります。
ただ、役所の物資配送も大変なので、現地へ照会の上、企業の看板を背負って、避難者に直接届けて頂けると、より良いかと(^-^;
なぁーんて打っている内に雷が鳴り、すごい音を立てる雨も降りましたが、夕方には雨も風も止み、青空が広がって西の山の上に夕日が輝きだしました。そして夜になり、またまた強風が....。
熊本、大分の地震が早く収まりますように !!
2016-04-17 21:17
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