南気仙沼界隈 南ヶ丘の先端から 20160330 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。 今日は割と暖かく、風は穏やか。天気情報では、市内で20度を超えたとか。
ちょっと時間が過ぎてしまいましたが、3月30日に南気仙沼地区をちょっとだけ歩いてみましたので、ご紹介します。
気仙沼市民会館北の坂を下ると右にNTTのビルが有り、左から緩く下る河原田大通りに出ます。 で、ずーっと右手に下ると大きな交差点に出、渡って振り返ると
(写真はクリックすると大きくなります。掲載サイズより大きくするとざらつきます。その際は調節してください)
当時の被災した建物が残っています。左の丘は南ヶ丘。気仙沼市民会館や気仙沼中学校へ通じます。
その南ヶ丘へ通じる階段が昔から有り、東日本大震災の大津波が来た時には、多くの方々が避難に利用しました。大津波で傷んだのでしょう。立派に修理されていましたので、ちょっと登ってみました。
まずは南ヶ丘寄りから。左回りに見渡します。これは幸町の災害公営住宅です。3月末から入居が始まりました。ここは数m土盛りした上に建てられていますが、万が一の時に裏の丘へ逃げられるように、避難道を整備するとか。
正面にはJR南気仙沼駅が有ったはず。中央右は内の脇災害公営住宅。秋に入居できると聞きます。続く3棟の内、一番右端は川を隔てた、大津波で廃校となった南気仙沼小学校跡地に建つ、南郷の災害公営住宅です。既に入居しています。
手前から左は魚市場前。小高い丘の右奥に見えるのは(気仙沼)大島の亀山。その右は仲町の病院や弁天町のホテルなど。ホテルは再開していますが....。
小高い丘の上のお宅は、もちろん浸水はあったのでしょうけれど、引く大津波から左のビルが守ってくれたのでしょうね。また、震災前はこの建物を見ることができないくらい、他の建物が立て込んでいましたし。
右のビルは、仙台市に本社を置く河北新報社のビルで、支局やカルチャーセンターが入居していました。被災後は市が譲渡され、今は教育委員会と中央公民館が入っています。そういえば、カルチャーセンターはどうなったのか.....。
以前の気仙沼中央公民館は、ここから700m程海寄りの所に有り、大津波で孤立し、誰もが死を覚悟していた中、1通のメールから、当時の猪瀬直樹東京都副知事が知るところとなり、大救出作戦が行われたところです。
茶色の建物は「海の市」。土産物店、お食事処が有ります。その奥にちょっとだけ見える灰色の建物は、気仙沼魚市場。
左に伸びるのが河原田大通り。小高い丘の上にあるのはホテル観洋。震災後、ここのお風呂に入った方も多いはず。ヨコミーは入りませんでしたが(^-^; 前身は、ヨコミーが結婚式を挙げた労働福祉会館。その後買収されて大きくなり.....。
所用も有って河北ビルに入りました。 で、おさらいになりますが、ぐるっと撮影。
向うに伸びる道は、以前は右手の災害公営住宅か、そのすぐ裏辺りを通っていたような....。 そういえば、震災後に撮った別な写真もあったはず。探さなくては(^-^; 奥に伸びる道路の先に見える山並みの、一番右端は徳仙丈山。幸町災害公営住宅のちょっと左の奥の山。5月中旬から6初旬にかけて、山頂ではヤマツツジが咲き誇り、一帯を真っ赤に染めます。
正面から奥へ、南気仙沼駅方向へ伸びる道路は、去年辺りはもっと右に有りました。 先日、左奥の、宮城交通気仙沼営業所が有った所の交差点から、信号機が消えていました。 道路が整備されつつあるので、たまには通ってみないと、夜には迷うかもしれません(^-^;
熊本大地震被災地に住む皆様。気仙沼の多くはまだまだ復興なんてしていませんが、復旧はようやくここまで来ました。大変でしょうけれど、必ず復興するんだという思いを胸に、今日を、明日を乗り切ってください。ヨコミー静かに応援しています。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。 今日は割と暖かく、風は穏やか。天気情報では、市内で20度を超えたとか。
ちょっと時間が過ぎてしまいましたが、3月30日に南気仙沼地区をちょっとだけ歩いてみましたので、ご紹介します。
気仙沼市民会館北の坂を下ると右にNTTのビルが有り、左から緩く下る河原田大通りに出ます。 で、ずーっと右手に下ると大きな交差点に出、渡って振り返ると
(写真はクリックすると大きくなります。掲載サイズより大きくするとざらつきます。その際は調節してください)
当時の被災した建物が残っています。左の丘は南ヶ丘。気仙沼市民会館や気仙沼中学校へ通じます。
その南ヶ丘へ通じる階段が昔から有り、東日本大震災の大津波が来た時には、多くの方々が避難に利用しました。大津波で傷んだのでしょう。立派に修理されていましたので、ちょっと登ってみました。
まずは南ヶ丘寄りから。左回りに見渡します。これは幸町の災害公営住宅です。3月末から入居が始まりました。ここは数m土盛りした上に建てられていますが、万が一の時に裏の丘へ逃げられるように、避難道を整備するとか。
正面にはJR南気仙沼駅が有ったはず。中央右は内の脇災害公営住宅。秋に入居できると聞きます。続く3棟の内、一番右端は川を隔てた、大津波で廃校となった南気仙沼小学校跡地に建つ、南郷の災害公営住宅です。既に入居しています。
手前から左は魚市場前。小高い丘の右奥に見えるのは(気仙沼)大島の亀山。その右は仲町の病院や弁天町のホテルなど。ホテルは再開していますが....。
小高い丘の上のお宅は、もちろん浸水はあったのでしょうけれど、引く大津波から左のビルが守ってくれたのでしょうね。また、震災前はこの建物を見ることができないくらい、他の建物が立て込んでいましたし。
右のビルは、仙台市に本社を置く河北新報社のビルで、支局やカルチャーセンターが入居していました。被災後は市が譲渡され、今は教育委員会と中央公民館が入っています。そういえば、カルチャーセンターはどうなったのか.....。
以前の気仙沼中央公民館は、ここから700m程海寄りの所に有り、大津波で孤立し、誰もが死を覚悟していた中、1通のメールから、当時の猪瀬直樹東京都副知事が知るところとなり、大救出作戦が行われたところです。
茶色の建物は「海の市」。土産物店、お食事処が有ります。その奥にちょっとだけ見える灰色の建物は、気仙沼魚市場。
左に伸びるのが河原田大通り。小高い丘の上にあるのはホテル観洋。震災後、ここのお風呂に入った方も多いはず。ヨコミーは入りませんでしたが(^-^; 前身は、ヨコミーが結婚式を挙げた労働福祉会館。その後買収されて大きくなり.....。
所用も有って河北ビルに入りました。 で、おさらいになりますが、ぐるっと撮影。
向うに伸びる道は、以前は右手の災害公営住宅か、そのすぐ裏辺りを通っていたような....。 そういえば、震災後に撮った別な写真もあったはず。探さなくては(^-^; 奥に伸びる道路の先に見える山並みの、一番右端は徳仙丈山。幸町災害公営住宅のちょっと左の奥の山。5月中旬から6初旬にかけて、山頂ではヤマツツジが咲き誇り、一帯を真っ赤に染めます。
正面から奥へ、南気仙沼駅方向へ伸びる道路は、去年辺りはもっと右に有りました。 先日、左奥の、宮城交通気仙沼営業所が有った所の交差点から、信号機が消えていました。 道路が整備されつつあるので、たまには通ってみないと、夜には迷うかもしれません(^-^;
熊本大地震被災地に住む皆様。気仙沼の多くはまだまだ復興なんてしていませんが、復旧はようやくここまで来ました。大変でしょうけれど、必ず復興するんだという思いを胸に、今日を、明日を乗り切ってください。ヨコミー静かに応援しています。
2016-04-26 14:48
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