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気仙沼市本吉町小泉地区中心部界隈 20160509 前編 [東日本大震災]

こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。  昨日未明から小雨が降りだし、ときには多少止んだり本降りに。今日18時辺りにようやく止みました。 
 昨日は冷たく強い東風が、ずーっと吹いていましたが、今日の風は一時的に。  いずれにせよ、寒いです。

 一昨日(5月9日)夕方、母の実家が在る小泉へ行ってきました。
 小泉地区の中心部は、北西から南東へ向かって太平洋へ注ぐ、小泉川(津谷川)河口の西に位置しています。
 中心部の東は国道45号とJR気仙沼線が沿うように、およそ南北に走っていて、街並みはその西側に広がっています。
 気仙沼方面から小泉川に掛かる橋を渡り、右折気味に入って旧道のメインストリートへ....と思ったら、復旧工事でずーっと以前から一般車は通れませんでした(^-^;
 ちょっと通り過ぎて右折し、丘の上にある小学校の北麓を進み、更に右折すると、ようやく撮影場所に着きます。
 メインストリートの南裏を西側から流れる外尾(そでお)川の橋の上で撮影です。  橋の名前は「新町(しんまち)橋」。
    (写真はクリックすると大きくなります)
20160509 外尾川の橋から北北西 w800 IMG_6014.jpg
 まずは橋の延長(北北西)方向から。メインストリートの西端です。
 中央左上の軽自動車辺りから右へメインストリートが伸びでいました。  昔はそこの辺りに舞台をかけ、秋祭りをしていました。実質通行止め。まあ、村の祭でしたから(^-^;
 軽自動車の後ろに見える、左上に緩く登る坂道の上に、以前の公民館が有りましたが、東日本大震災による大津波で流されてしまいました。
 右に広がるコンクリート製品群は、青い看板を見ると、防潮堤用と思われます。  田舎町ではありますが、震災前は家々が立て込んでいて、こんな景色は見えませんでした。

20160509橋から北北東IMG_6015.jpg
 その右隣。北北東方向です。
 コンクリート製品の量がすごい! プレハブの建物は、工事事務所のほか、作業員宿舎かも。

20160509新町橋から北東w800 IMG_6016.jpg
 続きの北東方向。
 コンクリート製品はまだまだ続きます。川土手が傷んでいます。
 写真上の中央付近から右へ続く高架橋は、JR気仙沼線のもの。大津波は、この高架橋をも越えて押し寄せてきました。気仙沼・仙台間を画期的な2時間で結んだこの鉄路は、津波で廃線となります。
 同じ民間会社の常磐線は、安倍総理が必ず復旧させると明言しているのに。そういえば仙石線も移設して復旧。
 ここは地の果て・気仙沼。昔から政治の光は届きにくい所です。悲しいです。

20160509外尾川下流方向 w800 IMG_6017.jpg
 外尾川下流方向です。
 両岸のガードレールは、破損したまま。下手の橋の欄干も同様。まあ、通る人はいないかぁ。  その先で高架橋が落下。
 落下した所に見える背の高い橋脚は、なぜか海側へ付け替えられる国道の新橋のもの。

20160509およそ東 w800 IMG_6018.jpg
 およそ東方向。先に河口があります。
 右上の丘にあるのは、中央側から、移転新築した公民館、オレンジの屋根は小学校。震災直後には避難所になりました。2つの坂も津波で壊されました。
 外尾川は、コンクリート護岸になるずーっと以前、正面辺りからの小道で川へ降り、近所の人が川のきれいな水で、野菜などを洗っていました。

20160509海側から小学校にてw800 IMG_5999.jpg
 で、新しい公民館へ登ってみました。「なんだよ、最初から登れ~」とは言わないでください(^-^;
 まずは海岸方向から。
 中央上から右まで、海水浴場がありました。  中央やや左上に見える土色は、巨大防潮堤工事。
 因みに、ヨコミーは巨大堤防賛成派。だって、お金をいっぱい蓄えている人は、命だけ助かればいいと思っているようだけど、庶民はそうはゆかない。命も、職場も、暮らしも失いたくない。
 気分はユーミンの「守ってあげたい」、岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」。

20160509橋付近小学校からw800 IMG_6000.jpg
 見える平地はすべて、大津波で流された民家や農地。
 左右に伸びる高架はJR気仙沼線。南三陸町や仙台は右方向。  国道45号は、中央奥からS字状に曲がりながら右手前へ。
 真ん中やや上、右上から左下に伸びるのは、国道の仮橋。元の橋は少し上流(左)に有りました。  この仮橋は、震災直後、自衛隊が作ってくれました。感謝。
 仮橋左上から左へ細長く伸びるのは、トマトの栽培工場。
 この一帯、水田が復旧されましたが、石が多くて作付出来ないと(>_<)。発注者も、元請けも、下請けも、現場監督も、ダンプの運ちゃんも、水田の復旧工事だと分がんねでやっていだんだべが!!??? 
 右やや上に並び立つ橋脚は、わざわざ海側へ付け替えされる国道の橋。
 今でさえも、防災集団移転や災害公営住宅の団地から、国道のバス停は遠くなったのに、橋が完成したら、爺ちゃん婆ちゃんはどーすんの??
 そして、なんでわざわざ、海に近づけて橋を作るんだろう。  その分お金を掛けて、より高く、より丈夫に作らなくてはならないべに.....。
 なんで、税金を使って不便を作るんだろう。
 単にバス路線を迂回させたら、その先の利用者には余計な時間の負担を強いることになるし....。  なんでだす!??????????

20160509メインストリート方向 小学校からw800 IMG_6002.jpg
 更に左側。下半分の多くは農地でした。農地も民家もすっかりと.....。
 右端に見える高架の下にあるT字路辺りから、中心街は左端まで伸びていました。今、その面影は全く在りません。
 そのT字路の手前に見えるのは、外尾川に掛かる橋。川はメインストリートの南裏を平行に左から流れていました。先程の撮影場所は、更に左側。
 今日のNHKテレビで放送していた、行方不明者の捜索は、中央右側の辺りで行われたようです。  中央右上の仮橋は、がれき焼却施設が有った時に出来た専用の橋。今は工事関係者専用の橋みたいです。
 この仮橋の両岸上に見えるコンクリート施設は、三陸道の橋脚やその下を通ることになる市道の隧道。
 付け替えられる国道は、トマト工場の向うから、今見える仮橋付近を通り、この左手へ来て、トンネルで抜けて行ったら、利便性も防災上からもいいのになぁ....とヨコミーは思うんだけど(^-^;
 行政の関係者は、住民に不便を与えるように協議したのかなぁ.....!???

20160509旧公民館方向 小学校からw800 IMG_6003.jpg 
 ようやく新町橋が見えてきました。コンクリート製品が左で途切れた、すぐ左隣。
 旧・公民館は、中央やや上に見える坂道の上に有りました。この高さでも被災。  押し流された民家は瓦礫となり、左の沢の奥まで流されたとか。
 因みに、防災集団移転と災害公営住宅の大きな団地は、左の小山のずーっと奥に作られました。  交通弱者には、とてもつらい環境です。
 もう一つ因みに、その山奥の団地、高速道路が近いとか。もっとも、インターは遠いですが(^-^;
 うーん、これを逆手にとって、シートベルトは必要だけど、路線バスの一部高速化をやってみては!!!!!
 この三陸道、割と人家の密集地帯を買収しながら作られているようだし.....(^-^;  気仙沼の市街地から遠い、旧・本吉町の小泉、津谷の皆さんには、メリットが大きいのでは!??

 ここで前編の終わり。後編はサラリと.....の予定(^-^;
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