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気仙沼のいま 国道45号バイパスから 20160806 [東日本大震災]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。

 8月11日は朝から快晴ですが、涼しい海風が吹くので、家の中でTシャツ1枚に半ズボンでいると、やや寒い感じも。夜には長ズボンになりました。(^-^;
 亡くなった伯母さんのお導きも有って、8月6日、旧・唐桑町へ行く道すがら、あちこちを撮ってきました。

 国道45号気仙沼バイパスを北上すると、緩い登りになっていて、東日本大震災による大津波で被災した信金松岩支店や、国道維持出張所が左手に移転新築され、その向かいには復興景気による需要を当て込んだのか、ホテルが進出してきました。
 でも、このホテル、他の地域では10階建てとか高層になっていますが、ここは2階建て。噂では、需要が低下したら、老人施設に転用できるよう、考えられた設計だとか。
 ホテルの先には古手のコンビニが在りましたが、信金付近に別なコンビニがやって来て売れなくなったのか、店が締められたようでした。大津波の影響は、こんなところにもありました。
 そんな辺りから1分も北上すると、右手に移転新築工事中の新・市立病院が見えてきました。
201608061052 市立病院工事中 W800 DSC_8970.jpg
 骨組みは出来たようです。現在の建物が老朽化したことによる建て替えです。
 バイパス沿いとはいえ、山の中。被災した警察署と県の合同庁舎が、この東側に在る、統合で廃校となった県立女子高跡地へ移転新築しましたが、そこは街にもより近い、大型商業施設もある、感覚的に一等地。
 ヨコミー的には、病人が通う所こそ、街に近い所に在って欲しかったなぁ....と思うのです。
 買収や震災等のタイミングも有ったのでしょうけれど、警察署は一般人が毎日のように通う所ではないし、震災前は汽船発着所やバスの案内所にも近い所にマンモス交番が在り、まあ今では市役所前に仮設交番が在り、気軽に相談に行ける環境です。
 県の合同庁舎は、被災前は市街地から離れた商港岸壁に、国の合同庁舎と並んで建っていたのに、国は修繕して今も使用しています。
 なぜ、隣の、より大きな県の合同庁舎が移転新築しなければならなかったのか、不思議です。外見では、大きく壊れた様子は見られませんでした。移転新築しなければならないほど、建物は弱かったのでしょうか。ほーんと、不思議です。
 そして確か県有地とはいえ、震災以前からの一等地であった女子高跡地へ、ついに移転新築しちゃった( 一一)
 市民の利便を考えるなら、元防衛大臣も居たし、県政与党の大物県議も居たのに、そんな好ましい横槍を入れたとは聞きません。おおっと、車は進みます(#^^#)

201608061052 新市街地現病院 W1024 DSC_8972.jpg
 写真右奥が今の市立病院。左の、屋根の端が黄色い建物は条南中学校。
 この中学校、もともと気仙沼市民会館の隣に在る、気仙沼中学校の生徒が増え過ぎた時、学区を分割するために新設された中学校です。
 それが出生人口の減が進み、震災もあって、より気仙沼中学校の生徒数が減ったので、以前新設されたこの中学校を閉じて、元の気仙沼中学校に一本化しようと、統合の計画が進んでいます。
 これに対して納得できないのが、条南中学校の父兄さん。生徒数はこちらが多いのに閉じ、生徒数の少ない方を生かす統合計画だからだとか。所詮、分家は本家のために消えろ、ということなのですねと、悲しんでいました。

201608061052 新病院前工事 W800 DSC_8971.jpg 
 新病院の前は片道1車線のバイパスなので、右折レーンの工事です。
 新病院側へ合わせるのか、既存の路面から2m近く盛り上げているようです。
 でも、ここは長い坂道のまだ上。毎年路面が凍る頃、向こうから坂を登ってくる車が、坂道を滑って難儀する様子を見かけます。
 この国道の一部を盛り上げる工事は、部分的には更に急勾配になると、誰も思わないのかなぁ....(>_<)

201608061055 上田中交差点 W800 DSC_8976.jpg
 更に進んだ、国道45号気仙沼バイパス上田中の交差点から市街地(東北東)方向です。大津波は、写真奥まで来ましたが、この辺りまでは来なかったはず。

201608061103 鹿折 w1024 DSC_8977.jpg
 更に数分北上しながら3つのトンネルを抜けると、大津波で300tもの船が打ち上げられた鹿折地区へ。進行方向のすぐ右手です。
 写真左端が東です。極手前や左手奥の小高い所に有る建物を除き、浸水しました。真ん中から左は、修理して住み続けている家々ですが、右側は大きく被害を受け、取り壊され、盛土が進んでいます。

201608061104 鹿折 w1024 DSC_8979.jpg
 更に右(海)側です。
 手前の瓦屋屋根は、JR大船渡線沿いの小高い丘に残った家々。この前辺りは、火の海が押し寄せ、多くの家々が焼かれたところです。
 中央やや左に家々が残っていますが、盛土で1階部分が隠されそうな....。でも、多分、手前の道路や更に右手のガソリンスタンドの高さから考えると、高過ぎる盛土は仮置きと思います。
 中央奥は、鹿折川東岸の浪板地区。小高い所に在った家は残りました。
 右端に鹿折の災害公営住宅が見えてきました。工事中ですが、一部は入居が始まったはず。

201608061104 鹿折 w1024 DSC_8982.jpg
 更に右手です。右手の小山は「陣山」。昔、豪族が陣を構えたのでしょう。ここから見て陣山の手前に、大津波で打ち上げられた300tもの船が在りました。
 南は、およそ一番高い電柱の辺り。
 大きな建築物はすべて災害公営住宅です。
 いよいよ多くの人たちが帰って来るのでしょうけれど、以前のようには戻れません。ヨコミーの知り合いも、生活の基盤を東京へ移しました。いつかテレビで紹介された、岩手へ行った魚屋さんも同様。
 鹿折の仮設商店街で営業しているお店は、盛土のため、その土地の明け渡しを求められていますが、行くはずの場所はまだ土地の造成や道路工事等が終わってなくて行けず、困っています。
 何か月かお店を休むか、またまたどこかで仮設営業するか.....。辛い選択です。
 本当に悪いタイミングです。この地で生活する人々の事を第一に考えてくれる、なんかこう、全体的に調整する仕組みって、無いんでしょうかねぇ.....(>_<)
 

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