JR大谷海岸駅跡 20160822 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
健康保険の手続きで街に下りた帰路、お昼の足しにしようと、道の駅大谷海岸へ寄りました。
お目当てはもちろん、ホヤおにぎり(*^-^*)
直売所へ行ったら売っておらず、レジの人に聞いたら、これから作るようでした。
で、時間稼ぎのために車からカメラを持ち出し、左側(東)に在る駐車場へ回りました。
海側に献花台が見えます。在るのは、あの、東日本大震災による大津波で破壊された、JR大谷海岸駅のホームだった所。
大谷海岸駅は、その昔は大谷駅といい、日本で一番、海水浴場に近いということで、いつか名前を変え、そしてマンボウの水槽が有る道の駅も併設され、ちょっとは賑わっていました。
それが、間もなく5年6か月になるあの日、2011年3月11日。誰もが経験しなかった大地震が起こり、そして高い高い大津波が押し寄せ、辺りの様子をすっかりと変えてしまいました。駅やレストランが入っていた建物は大きく壊れ、その後解体されました。
献花台の位置は、ホームから建物東側の駐車場へ直接降りられる所、だと思います。JRから降りる娘を、何度か拾いに行きましたが、建物が撤去され、位置関係が微妙にずれているかも....(^-^;
献花台の後ろ側から、ホームの東端を見てみました。
列車が通わなくなって5年半。線路はただ赤茶け、草はぼうぼう。この辺りは、だいぶ塩水に浸かったのですが、土地に染み込んだ塩が抜けたか、塩への耐性が強いのか、雑草は元気です。
「雑草」というと、砂糖先生に注意されますが(^-^; 先生は、雑草という草は無く、1つ1つに名前が有るんですよと教えてくれた。そういえば、どの子にも名前が有るのですよね。さすがに元・教育者(*^-^*)
ホームの東端には、大谷駅の名前が、ABCで書かれてありました。
ホーム下のレール。
大津波は、先人各氏が努力され、気仙沼~仙台間を画期的な2時間未満で結んだ鉄路をも、そして夢さえも流し去りました。
同じJRなのに、仙石線は一部変更して復旧され、常磐線は総理大臣が復旧させると明言し、工事が進められています。なんなんだべねぇ....(一一")
東方向を見ています。ホームが曲がっています。
西方向。右上は直売所。その左の白い建物は、海辺のホテル・海洋館。
堤防が壊されたので、その位置に大きな土のうを積み上げ、波を防いでいます。
左端に見えるのは、海水浴場が開設されていた時に使われていた、広報塔。電光掲示板。小さくて分かりづらいですが、ホテルの左にも見えます。
もうちょっと進んでみました。ホームが傷んでいます。
ホームが崩れています。構造が違うのは、後から延長したためでしょうか。
左やや上に、二つ目の広報塔が見えます。そのすぐ上にある赤い表示板は、津波がこの高さまで来た(訂正(>_<)計画している堤防の高さがここという表示です。いつか書いた大谷海岸界隈の記事に、やや大きな写真が有ります。
その広報塔の大きな部分から、左に約35度下がった方向で、黒い土のうの上に見える薄暗い「黒丸」が、JRのトンネル。
線路の向きとはだいぶ違いますが、ホームから線路は緩く左へ曲がり、横倒しになった楔のように見える白い擁壁の下を左へ進み、トンネルへと続きます。
トンネルを抜けると、そこは雪国ではなく(^-^;、プライベートビーチみたいな九多丸(くだまる)浜が在ります。
線路が途切れました。夢も(>_<) 大きな土嚢は3段です。この空き地になっている所には、6年前までの毎年夏、海水浴客の車があふれていましたのに.....。で、国道まで渋滞し.....(^-^;
念のため。その1。左の海側から白い気体が陸側へ流れていますが、多少海は荒れていますけど、波しぶきではありません(^-^; ヨコミーは右上に見えるホテルの駐車場にも降りましたが、しぶきや霧と違い、水分は感じられませんでした。靄、です。安心してお出で願います。
その2。白いホテルも被災し、取り壊しましたが、津波に対応した設計で新築しました。防潮堤は、地域で作った案が行政から認められ、進みだしました。想定を超える大津波が来る場合は、徒歩1分余りで、国道向かいの小高い丘に避難することが出来ます。安心してお泊り願います(*^-^*)
道の駅西端にある、観光パンフレット等を置いてある小さな建物の裏から、ホームの西端を見てみました。左下は漁業用浮き球。ビン玉といいます。ここの飾りです。
JR気仙沼線は、このように、三陸沿岸の各所で被害を受けました。
今ではJRが、あちこちのレールを撤去して専用道を作っています。その上を、仮復旧としてJRが進めた代替バスが、何便も走っています。
ほんと、何便も。朝の7時台には4便も。まあ、1台当たりの乗車人数が違いますけど、他の時間帯はほぼ1時間に2便。これは異常です。鉄路のときは、1日に10便、11便でしたから。
代替輸送が始まった当初、鈍いヨコミーでも、これには意志を感じていました。JRは気仙沼線を鉄路では復旧させないぞ、という。
先日の地元紙に載っていましたが、以前、JRは鉄路の復旧に、気仙沼市と南三陸町へ数百億円を要求していました。
なぜ、財政規模の小さい地元自治体が、災害で不通となった鉄路の復旧に、大枚を負担しなければならないのでしょうか。
人気俳優の父親で、「民間に出来ることは民間に(やらせます)」と声高に叫んで人気を博した政治家は、こんな時こそ「民間に出来ないことは国が責任を持ってやります」と言って欲しいものです。まあ今は、ご威光は無くなったようですけど。
便数が多くなって便利では?とお思いでしょうけれど、基本的な乗り降りは旧駅。
市立病院前で停車するのは、工事で近づけない南気仙沼駅の「代わり」だと、路線バス会社に言い訳できます。路線バスのように便利ではありません。便利にしたら路線バス会社とけんかになりますし。
(またまた)先日の地元紙に、線路の専用道化が進み、代替バスで気仙沼から気仙沼線柳津駅までを、2時間弱で結ばれたと、やや嬉しそうに報じていました。
しかしヨコミー宅に有る最近の時刻表、といっても震災で購入が途絶えていた状況での最新版ですが(^-^; 、鉄路では1時間未満で結ばれていました。そして仙台までは2時間未満。
記者さんは、気仙沼線に載ったことが有ったのでしょうか?
少し譲っても、柳津から仙台まで、30分で行ける手段は無いのです。仮に柳津から快速が通っても(#^^#) 目的は柳津ではなく、仙台での仕事(出張)や通院、駅での乗り換え等なのですから。
復旧のために大枚を出せと脅かしを受ければ、小さな自治体は上げていた手を下げ、首長は白旗を上げざるを得なかったのでしょう。ここに、政治の姿はありませんでした。(>_<)
せめて南三陸町が頑張って、JRの被害が少ない市街地西端まで、鉄路を引っ張ってきてほしかったのですが。
それなら、復旧費用は大きく抑えることが出来るはず。そして、気仙沼との差別化も出来たでしょうに。
ヨコミーのように、まだまだ鉄路を諦めきれない人が、市内や南三陸町にいっぱい居ました。そんな人たちとともに、ヨコミーは歩みたいと思います。先人の努力を無駄にしないためにも(*^-^*)
線路好きの砂風さん、こんな鉄路ですが、早めに見に来てください。ご案内しますよ~(*^-^*)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
健康保険の手続きで街に下りた帰路、お昼の足しにしようと、道の駅大谷海岸へ寄りました。
お目当てはもちろん、ホヤおにぎり(*^-^*)
直売所へ行ったら売っておらず、レジの人に聞いたら、これから作るようでした。
で、時間稼ぎのために車からカメラを持ち出し、左側(東)に在る駐車場へ回りました。
海側に献花台が見えます。在るのは、あの、東日本大震災による大津波で破壊された、JR大谷海岸駅のホームだった所。
大谷海岸駅は、その昔は大谷駅といい、日本で一番、海水浴場に近いということで、いつか名前を変え、そしてマンボウの水槽が有る道の駅も併設され、ちょっとは賑わっていました。
それが、間もなく5年6か月になるあの日、2011年3月11日。誰もが経験しなかった大地震が起こり、そして高い高い大津波が押し寄せ、辺りの様子をすっかりと変えてしまいました。駅やレストランが入っていた建物は大きく壊れ、その後解体されました。
献花台の位置は、ホームから建物東側の駐車場へ直接降りられる所、だと思います。JRから降りる娘を、何度か拾いに行きましたが、建物が撤去され、位置関係が微妙にずれているかも....(^-^;
献花台の後ろ側から、ホームの東端を見てみました。
列車が通わなくなって5年半。線路はただ赤茶け、草はぼうぼう。この辺りは、だいぶ塩水に浸かったのですが、土地に染み込んだ塩が抜けたか、塩への耐性が強いのか、雑草は元気です。
「雑草」というと、砂糖先生に注意されますが(^-^; 先生は、雑草という草は無く、1つ1つに名前が有るんですよと教えてくれた。そういえば、どの子にも名前が有るのですよね。さすがに元・教育者(*^-^*)
ホームの東端には、大谷駅の名前が、ABCで書かれてありました。
ホーム下のレール。
大津波は、先人各氏が努力され、気仙沼~仙台間を画期的な2時間未満で結んだ鉄路をも、そして夢さえも流し去りました。
同じJRなのに、仙石線は一部変更して復旧され、常磐線は総理大臣が復旧させると明言し、工事が進められています。なんなんだべねぇ....(一一")
東方向を見ています。ホームが曲がっています。
西方向。右上は直売所。その左の白い建物は、海辺のホテル・海洋館。
堤防が壊されたので、その位置に大きな土のうを積み上げ、波を防いでいます。
左端に見えるのは、海水浴場が開設されていた時に使われていた、広報塔。電光掲示板。小さくて分かりづらいですが、ホテルの左にも見えます。
もうちょっと進んでみました。ホームが傷んでいます。
ホームが崩れています。構造が違うのは、後から延長したためでしょうか。
左やや上に、二つ目の広報塔が見えます。そのすぐ上にある赤い表示板は、
その広報塔の大きな部分から、左に約35度下がった方向で、黒い土のうの上に見える薄暗い「黒丸」が、JRのトンネル。
線路の向きとはだいぶ違いますが、ホームから線路は緩く左へ曲がり、横倒しになった楔のように見える白い擁壁の下を左へ進み、トンネルへと続きます。
トンネルを抜けると、そこは雪国ではなく(^-^;、プライベートビーチみたいな九多丸(くだまる)浜が在ります。
線路が途切れました。夢も(>_<) 大きな土嚢は3段です。この空き地になっている所には、6年前までの毎年夏、海水浴客の車があふれていましたのに.....。で、国道まで渋滞し.....(^-^;
念のため。その1。左の海側から白い気体が陸側へ流れていますが、多少海は荒れていますけど、波しぶきではありません(^-^; ヨコミーは右上に見えるホテルの駐車場にも降りましたが、しぶきや霧と違い、水分は感じられませんでした。靄、です。安心してお出で願います。
その2。白いホテルも被災し、取り壊しましたが、津波に対応した設計で新築しました。防潮堤は、地域で作った案が行政から認められ、進みだしました。想定を超える大津波が来る場合は、徒歩1分余りで、国道向かいの小高い丘に避難することが出来ます。安心してお泊り願います(*^-^*)
道の駅西端にある、観光パンフレット等を置いてある小さな建物の裏から、ホームの西端を見てみました。左下は漁業用浮き球。ビン玉といいます。ここの飾りです。
JR気仙沼線は、このように、三陸沿岸の各所で被害を受けました。
今ではJRが、あちこちのレールを撤去して専用道を作っています。その上を、仮復旧としてJRが進めた代替バスが、何便も走っています。
ほんと、何便も。朝の7時台には4便も。まあ、1台当たりの乗車人数が違いますけど、他の時間帯はほぼ1時間に2便。これは異常です。鉄路のときは、1日に10便、11便でしたから。
代替輸送が始まった当初、鈍いヨコミーでも、これには意志を感じていました。JRは気仙沼線を鉄路では復旧させないぞ、という。
先日の地元紙に載っていましたが、以前、JRは鉄路の復旧に、気仙沼市と南三陸町へ数百億円を要求していました。
なぜ、財政規模の小さい地元自治体が、災害で不通となった鉄路の復旧に、大枚を負担しなければならないのでしょうか。
人気俳優の父親で、「民間に出来ることは民間に(やらせます)」と声高に叫んで人気を博した政治家は、こんな時こそ「民間に出来ないことは国が責任を持ってやります」と言って欲しいものです。まあ今は、ご威光は無くなったようですけど。
便数が多くなって便利では?とお思いでしょうけれど、基本的な乗り降りは旧駅。
市立病院前で停車するのは、工事で近づけない南気仙沼駅の「代わり」だと、路線バス会社に言い訳できます。路線バスのように便利ではありません。便利にしたら路線バス会社とけんかになりますし。
(またまた)先日の地元紙に、線路の専用道化が進み、代替バスで気仙沼から気仙沼線柳津駅までを、2時間弱で結ばれたと、やや嬉しそうに報じていました。
しかしヨコミー宅に有る最近の時刻表、といっても震災で購入が途絶えていた状況での最新版ですが(^-^; 、鉄路では1時間未満で結ばれていました。そして仙台までは2時間未満。
記者さんは、気仙沼線に載ったことが有ったのでしょうか?
少し譲っても、柳津から仙台まで、30分で行ける手段は無いのです。仮に柳津から快速が通っても(#^^#) 目的は柳津ではなく、仙台での仕事(出張)や通院、駅での乗り換え等なのですから。
復旧のために大枚を出せと脅かしを受ければ、小さな自治体は上げていた手を下げ、首長は白旗を上げざるを得なかったのでしょう。ここに、政治の姿はありませんでした。(>_<)
せめて南三陸町が頑張って、JRの被害が少ない市街地西端まで、鉄路を引っ張ってきてほしかったのですが。
それなら、復旧費用は大きく抑えることが出来るはず。そして、気仙沼との差別化も出来たでしょうに。
ヨコミーのように、まだまだ鉄路を諦めきれない人が、市内や南三陸町にいっぱい居ました。そんな人たちとともに、ヨコミーは歩みたいと思います。先人の努力を無駄にしないためにも(*^-^*)
線路好きの砂風さん、こんな鉄路ですが、早めに見に来てください。ご案内しますよ~(*^-^*)
不謹慎な言い方で申し訳ありませんが、このホームと線路、惹かれます。
ホームや線路を撮影する時、彩度を最低にしてアンバーを補正して色あせたセピア色にしたり、あるいはモノクロ撮影したりすると、また良い絵になるんですよね。
by 砂風 (2016-09-03 20:19)
こんばんは、砂風さん。ありがとうございます。ホームと線路に惹かれてください。鉄ちゃんだった御霊が、ヨコミーを通してお伝えしたかったのかも。いつか、ホヤおにぎりがある時期にお出で頂ければ、嬉しいです。まっ、冬はアワビおにぎりかな(#^^#)
当日は天気が悪く、靄も有って、写りはメリハリがなく、一般受けするよう、仕方なくコントラストを上げました(^-^;
セピア色にするのは、ヨコミーが最後の最後に、JR気仙沼線の鉄路復活を諦めた時に、チャレンジしてみましょう。(*^-^*)
まあ、もともと納豆は大好きで、未練たらしく引きずる性格なので(^_^)v
by yokomi (2016-09-03 22:19)