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陸前高田市の今 20161014午後(後編) [東日本大震災]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。
 11日未明からの小雨は、夜まで降り続いています。

 さて、「陸前高田市の今 20161014午後(前編)」の続きです。 ※写真はクリックすると大きくなります(*^_^*)201610141531  気仙川水門左1024 DSC01549.jpg
 海は堤防の左側。
 中央やや右は、気仙川河口に在る水門で、内側にわずかに見える沼の水位を調整する役目。
 
201610141531 気仙川水門東 w1024 DSC01550.jpg
 更に左隣です。中央の小山の左は、向こう岸の長部漁港。堤防のすぐ上に、工場の姿がちょっだけみえます。
 この辺りの工場へは、10年も前に気仙沼・本吉地方産業まつりを手伝っていた時、周知のポスターを貼りに、訪問したことがあります。隣がすぐ海のあの工場は、再開したのでしょうか。

201610141531 長部漁港方向 w1024 DSC01551.jpg
 更に左隣です。手前の立派な盛土は、仮置きではなく、道路でしょうか。

540" height="232" border="0" align="" alt="201610141531 海側 w1024 DSC01552.jpg" />
 更に左隣です。堤防の内側に、嵩上げされた国道45号が出来るはずですが、向こうの草が生えた所か、一番手前か.....。近くに地元の方が居なくて......(-_-)
 もう少し見ていたいのですが、そろそろ次のお座敷も有り.....。
 あっ、違った。15日16日は福島県郡山市でした。(^_^;)

201610141537 ホテル方向 w800 DSC01575.jpg
 白く細長いビニールハウスの左上に見える3階建ての建物が、キャピタルホテル1000。その敷地の左端から、今回の写真の多くを撮影しました。
 この写真は、前編で紹介した、ホテル東側に建った市営住宅の南西側から撮影しました。国道45号は、もう2つ角を曲がったら、出ることが出来ます。

201610141539 市街地北側丘陵 w1024 DSC01576.jpg
 ようやく国道に出ました。左が西です。
 右2つの建物は市営住宅。ほぼ中央がホテル。
 でも、ちょっと違和感が(^_^;) なんと、ホテルに重なるように、更に上の丘にある高田高校の校舎が見えます。ホテル左端の上には屋体も見えます。
 左には盛土が見え、左端は被災した旧・雇用促進住宅。

201610141540 旧雇用促進住宅 w900 DSC01579.jpg
 その旧・雇用促進住宅です。手前は国道45号です。
 住宅左下にある小さな付属建物の上に、先ほどのホテルが小さく、更にホテルの左上には高田高校の校舎が見えます。

 前編に、ちょっと見にくかったのですが、「旧・雇用促進住宅の2階から右に見えるのは.....」と書いていたのは、来るとき、これを見て5階建てであることを知っていたから。
 この住宅、日当たりの良い南向き。つまり海に向いていました。「波飛沫」ではない海そのものが大津波として押し寄せ、ベランダのパネルや窓ガラスを簡単に破り、室内に侵入し、裏側の玄関から多くの財産や思い出の品々までも、流し去っていったのでしょう。
 1階2階は、窓枠が殆ど残っていません。
 3階4階では壊れた窓枠が有ります。そして玄関の戸が無いか壊れているのか、部屋を通して、向こう側の青空や山が見えています。
 5階はベランダのパネルが多く残っていますが、腰高辺りまで浸水したようです。これはあとで。
 この住宅、鹿折の同級生タケミちゃんが若い頃住んでいましたが、その後どうなったのか、消息は分かりません。みんな避難出来たのでしょうか......(>_<)

20161014 雇用促進壁水位 W800 DSC01528.jpg
 津波の浸水高は14.5m、5階ベランダの上端付近でした。

201610141540 45号西向き w800 DSC01581.jpg
 旧・雇用促進住宅の前を通り過ぎ、更に西進です。右の盛土の山脈は、新国道にでもなるのでしょうか。
 それにしても、土埃がひどいです。交通誘導員や、エアコンがない重機を運転する方などに、防塵対策がとられているのでしょうか、とても心配です。

201610141541 タピック45 w900 DSC01586.jpg
 国道の海側に在る、被災した道の駅「高田松原 タピック45」です。復旧はまだまだでした。
 嵩上げされる国道に高さを合わせるのでしょうね。早く再開して、旅人の疲れを癒したり、地場産品を売って欲しいものです。
 以前はここで、地場産品のヤーコンを練り込んだ、ヤーコン冷麺を食べました。ヨコミーに合う美味しさで、何度か立ち寄りましたが、早く食べたいのです(^_^;)

201610141542 橋の西岸北 w1024 DSC01591.jpg
 国道45号陸前高田バイパス気仙大橋から、橋の西側です。川の名は気仙川。右手が上流。
 向こうは市内気仙町といい、正面の川岸から麓まで、民家や小さな商店街、ちょっと有名な醤油屋さん等がありました。
 正面の山の工事は、作りからして三陸道でしょう。左の赤茶けた2つの構造物は、今通っている仮橋の、新しい橋の橋脚のようです。
 少し上流の右奥に姉歯(あねは)橋という橋が在り、気仙町から渡ると、県立病院を右手に見て、市内高田町の駅前商店街に行けました。旧道です。
 姉歯橋を渡らず、交差点(T字路)を左折して、ちょっとグニャグニャと曲がると、江戸時代後期の武士で、剣術北辰一刀流の創始者・千葉周作を奉った神社が在ります。
 その近くには、老舗の美味しいウナギ屋さんが在りました。もともとは、すぐ裏の気仙川からウナギを捕って、商売していたのでしょう。
 薄給のヨコミーなので、職場の仲間と片手で数える程度でしたが、何度か行きました。昔なので、そのころはニホンウナギだったのでしょうね、きっと(*^_^*)

201610141542 気仙大橋西側 w1024 DSC01595.jpg
 気仙大橋の南西側です。
 橋の向こう、左上の構造物は何だったか.....。陸前高田市は、浸水地の嵩上げに使う土砂を、時間をより掛けずに調達しようと、テレビにも出た巨大長大なベルトコンベアで運びましたが、この気仙大橋の下手を通っていたような気がします。その名残の施設かもしれません。
 そういえば、街の未来を作ったベルトコンベアを、一部残すと聞いたことがありますが、その後どうなったか....(^_^;)
 左端には、被災した中学校が見えてきました。

201610141543 気仙中学校旧校舎 w900 DSC01598.jpg
 橋を渡るとT字路になっていて、帰る気仙沼は左折。
 国道左側には、被災した旧・陸前高田市立気仙中学校が見えてきました。
 先程の旧・雇用促進住宅もですが、人が取り残されていないか探すため、多少の瓦礫は取り除かれてはいるのでしょうけれど、建物は震災直後の姿を留めているようです。
 校舎右側の、向こうが透けて見える教室は、ガラスが多用された教室だったのでしょうか。
 高田松原から川を隔てた山の麓ですが、すぐ左は河口に近い気仙川。住宅との、天井高の違いは有りますが、たった3階の校舎は、大津波にすっかり飲み込まれてしまいました。 

201610141543 気仙中学校旧校舎 w800 DSC01599.jpg
 旧・気仙中学校校舎の道路側に、こんな懸垂幕が張られていました。
 もちろん、このような幕などは、大津波ではひとたまりもないので、震災後に掲げられたのでしょう。
 中学生の、力強い決意です。
 でも、進学して高校を卒業するとき、最初の試練が。進学や就職で、ふるさとを離れなければなりません。
 4年間の辛抱で大学を卒業しても、全員がふるさとへ戻ってこられるような就職先は、地方の更に地方小都市には、どこにもないのでしょうね。
 子供たちが、なんとか地元で暮らせる仕事が、本当に欲しいです。気仙沼市にも(^_^;)
 震災後、ヨコミーには岩手日報を広げて見る時間が無くなり、間もなく購読を止めてしまいました。
 岩手の情報は途絶えたままでした。
 ヨコミーだって、4分の1は岩手県人だもの(^_^;)
 今からでもあちこちへ行って震災の爪痕を見、いろんな書物も見て、頭の中に記録として残したいヨコミーなのでした(*^_^*)
 遠隔地の皆さん、是非、観光でいいですから、各地の被災地を歩いてください。観光だって、立派な被災地支援です。お待ちしまーす(^_^)v
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