大川小学校 三度(みたび) 20161202 その1 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
我が家の北や西は工事で削られ、最近、強風は北からも西からも吹いています。時には北東からも冷たい風が(>_<)
今日は師走の15日。昨夜から時折小雪が舞っていましたが、朝になり、割とまじめに降ることがあり、時には吹雪みたいです。
ただ、長くは続きません。積もりません。まだ暖かいようです。
時には綿雪が舞っていました。綿雪は大粒。なので、綿雪がちらほら舞うときは、小雪とは言わないですよね!??
午後になって雪は止み、太陽は余り射さないまま沈み、南西の空に金星が輝き出しました。
さて、ヨコミーは三度目になりますが、12月2日、旧・石巻市立大川小学校へ行ってきました。
東日本大震災による大津波で、児童、先生のほか、地域の方々も大勢亡くなった、悲劇の地です。
※写真は、クリックすると大きくなります。
大川小学校の裏手(北側)です。この道は凡そ南西から北東に走っていて、この先は河口へ続きます。
河口は写真中央やや右手で、右から続く黒っぽい山の向こうです。なので、ここからは、河口も海も見えません。
中央から左へ、白く、そして細く伸びているのは、北上川の堤防です。確か、手前にも小さな川が在ります。
前の写真の右側です。正面が大川小学校です。
右奥は「裏山」といわれている山。ヨコミーにしてみれば、裏山じゃなくて、前の山とか、脇の山。先生と一部の児童が逃げ込み、助かりました。
中央に小さな慰霊碑が見えます。この日この時、ここを訪れていたのは、他に誰もいませんでした。
平日の、お昼近くだったためでしょうか。
悲惨な現実が風化しそうで、心配です(>_<)
右端が学校から見て西の方向。裏山が終わる辺りは一段高くなっていて、画面の右外には大きな橋が在ります。
亡くなられた方々は、この高台を目指したようですが.....(>_<)
校地に入ってみました。
すぐに小さな慰霊碑があり、犠牲になられた方々のご冥福を祈りました。
校章の下は、玄関だったのでしょうね。左側の丸い部屋は、窓が少なく、何の部屋だったのでしょうか。
窓を大きく作れば、せっかくの太陽光を、十分に取り入れられたと思うのですが(>_<)
先ほどからチリーン、チリーンとうるさいくらいに鳴っていた風鈴みたいな音は、通称トラロープに取り付けられた、小さなベルからでした。
この日は身体が飛ばされそうなくらいの強風で、ロープやベルが揺れ、何重にもベルが鳴っていたのです。
中央やや左は、昇降口らしいです。手前では、子供たちが椅子に座り、談笑に耽っていたことでしょう。
こうやってカメラを向けていると、強風が背中を押し、前に倒れそうです。
強風に飛ばされないよう注意して、建物の右端に向かいます。
ここは多分、ガラス窓が多い、何かの特別教室だったのでしょうね。
左奥に橋が見えます。大きな北上川と、手前にある小さな川の上を通っています。
橋の袂が、校地より高くなっている様子が分かります。
ヨコミー、天井まで見えるように、屈んでみました。
見れば、真ん中奥から右手前に鉄骨が渡されていて、可動式?の間仕切でも有ったのでしょうか。
室内は片付けられたようで、瓦礫らしきものは見えません。でも、天井の傷みは当時に近いのではと思います。
この教室で、多くの笑顔が見られたことでしょう(>_<)
ちょっと引いて右手も。あちらは普通教室なのでしょう。
ここの校舎は、北側にある玄関(写真中央左に見える円い特別?教室棟の向こう)から時計回りに、4等分したドーナツのような形で、東側で終わっています(右端)。
二階の渡り廊下が校舎側で外れています。右は体育館かもしれません。
左は体育館と思います。津波で大きな屋根が流されたのでしょう。気仙沼市にある県立向洋高校の体育館がそうでした。向洋高校についても、引き続き紹介する予定です。
右は、屋外集会施設の外壁に、子供たちが描いた卒業制作です。
すみませんが、ヨコミーは小休止 (^_^;)
置いたり取ったりでブログを作っていたら、いつもはネットが切れていて、保存できませんと冷たく告げられ、途中からやり直す羽目になるのですが、今回はパソコンがフリーズしてしまい、ほぼ最初からのやり直しでした。
先日、ウィンドゥズを更新したのがいけなかったのか.....(>_<)
とりあえず、前編としての公開です m(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
我が家の北や西は工事で削られ、最近、強風は北からも西からも吹いています。時には北東からも冷たい風が(>_<)
今日は師走の15日。昨夜から時折小雪が舞っていましたが、朝になり、割とまじめに降ることがあり、時には吹雪みたいです。
ただ、長くは続きません。積もりません。まだ暖かいようです。
時には綿雪が舞っていました。綿雪は大粒。なので、綿雪がちらほら舞うときは、小雪とは言わないですよね!??
午後になって雪は止み、太陽は余り射さないまま沈み、南西の空に金星が輝き出しました。
さて、ヨコミーは三度目になりますが、12月2日、旧・石巻市立大川小学校へ行ってきました。
東日本大震災による大津波で、児童、先生のほか、地域の方々も大勢亡くなった、悲劇の地です。
※写真は、クリックすると大きくなります。
大川小学校の裏手(北側)です。この道は凡そ南西から北東に走っていて、この先は河口へ続きます。
河口は写真中央やや右手で、右から続く黒っぽい山の向こうです。なので、ここからは、河口も海も見えません。
中央から左へ、白く、そして細く伸びているのは、北上川の堤防です。確か、手前にも小さな川が在ります。
前の写真の右側です。正面が大川小学校です。
右奥は「裏山」といわれている山。ヨコミーにしてみれば、裏山じゃなくて、前の山とか、脇の山。先生と一部の児童が逃げ込み、助かりました。
中央に小さな慰霊碑が見えます。この日この時、ここを訪れていたのは、他に誰もいませんでした。
平日の、お昼近くだったためでしょうか。
悲惨な現実が風化しそうで、心配です(>_<)
右端が学校から見て西の方向。裏山が終わる辺りは一段高くなっていて、画面の右外には大きな橋が在ります。
亡くなられた方々は、この高台を目指したようですが.....(>_<)
校地に入ってみました。
すぐに小さな慰霊碑があり、犠牲になられた方々のご冥福を祈りました。
校章の下は、玄関だったのでしょうね。左側の丸い部屋は、窓が少なく、何の部屋だったのでしょうか。
窓を大きく作れば、せっかくの太陽光を、十分に取り入れられたと思うのですが(>_<)
先ほどからチリーン、チリーンとうるさいくらいに鳴っていた風鈴みたいな音は、通称トラロープに取り付けられた、小さなベルからでした。
この日は身体が飛ばされそうなくらいの強風で、ロープやベルが揺れ、何重にもベルが鳴っていたのです。
中央やや左は、昇降口らしいです。手前では、子供たちが椅子に座り、談笑に耽っていたことでしょう。
こうやってカメラを向けていると、強風が背中を押し、前に倒れそうです。
強風に飛ばされないよう注意して、建物の右端に向かいます。
ここは多分、ガラス窓が多い、何かの特別教室だったのでしょうね。
左奥に橋が見えます。大きな北上川と、手前にある小さな川の上を通っています。
橋の袂が、校地より高くなっている様子が分かります。
ヨコミー、天井まで見えるように、屈んでみました。
見れば、真ん中奥から右手前に鉄骨が渡されていて、可動式?の間仕切でも有ったのでしょうか。
室内は片付けられたようで、瓦礫らしきものは見えません。でも、天井の傷みは当時に近いのではと思います。
この教室で、多くの笑顔が見られたことでしょう(>_<)
ちょっと引いて右手も。あちらは普通教室なのでしょう。
ここの校舎は、北側にある玄関(写真中央左に見える円い特別?教室棟の向こう)から時計回りに、4等分したドーナツのような形で、東側で終わっています(右端)。
二階の渡り廊下が校舎側で外れています。右は体育館かもしれません。
左は体育館と思います。津波で大きな屋根が流されたのでしょう。気仙沼市にある県立向洋高校の体育館がそうでした。向洋高校についても、引き続き紹介する予定です。
右は、屋外集会施設の外壁に、子供たちが描いた卒業制作です。
すみませんが、ヨコミーは小休止 (^_^;)
置いたり取ったりでブログを作っていたら、いつもはネットが切れていて、保存できませんと冷たく告げられ、途中からやり直す羽目になるのですが、今回はパソコンがフリーズしてしまい、ほぼ最初からのやり直しでした。
先日、ウィンドゥズを更新したのがいけなかったのか.....(>_<)
とりあえず、前編としての公開です m(_ _)m
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