旧・気仙沼向洋高校の今 その2 20161203 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
2月最後の日曜日。昼間は割と日射しがあり、暖かくも感じましたが、夕方には冷たい風が吹いて来ました。
風は、この時期としては大人しく、夕方の風は冷たい北風。
ん!?? 北風とはいっても、具体的には北東から北北東の風。冷たいです。
以前は、北から北東に掛けて、結構な杉林で、この時期、この方向からの風は意識したことはなかったのですが、2・3年前に公共工事で切られ、以後、びゅーびゅー冷たい風が吹いてきます。
もちろん、メインの西風には負けますが。
さて、先日お伝えしていた旧・気仙沼向洋高校校舎の現況、つづきです。
東日本大震災による大津波で、海に近い同校は、4階まで浸水しました。
現在は、市街地西部に在る気仙沼高校の第2グラウンドに、仮設の校舎が建てられ、授業が行われています。
被災した旧校舎は、幸いにも人的被害が無かったことなどで、震災遺構として保存されることが決まっています。
昨年12月3日に見学会が行われ、ヨコミーも行ってきたのです。
写真は、まだ南校舎の1階です。
美術室だったのでしょうか。床にはこんなものが....。
あっ、ヨコミーの足、靴が写ってしまいました(^_^;)
見てお分かりの通り、安いスニーカー。しかも、メッシュが見えませんか? そう、夏物です。しかも、年中(>_<)
実は足が蒸れるのです。あっ、水虫じゃありませんよ。
仕事も、多くの場合は、これ。まあ革靴は、社長にはんこを頂きに行くときぐらい。
おっと、先に進みましょう。
湯沸かし器がある教室?です。美術室? 準備室??
なんともすさまじい様子が分かります。
窓に見える筋交いみたいなものは、耐震補強の鉄骨かと。
南校舎と北校舎をつなぐ2つの通路の内、東側のものです。
渡り廊下から東に突き出ている建物は、何だったのでしょうか。
破損した箇所を通して、向こう側の景色まで見えます。
2階へ向かう階段は、この通り。
真ん中の方が撮影しているのは、近くの冷凍工場から流れ着いた魚が、もちろん痛んで乾いていますが、猫やバクテリア等にも食べられず、残っていました。
2階の廊下天井です。天井板はどこへ??
2階廊下の床です。
この中に、天井板が落ちているか否かは不詳。
2階の床にも、流れ着いた冷凍魚の残骸が。
更に3階へ上ります。
階段の手すりは....(>_<)
市は遺構として保存し、公開するのでしょうけれど、現況を変えないで、保存や補強の工事はどうやるのでしょうか。難問です。
左奥は北校舎。連絡通路は、1階は渡り廊下、2階は普通の廊下、3階は屋上が通路。
真ん中は、上で紹介した、通路途中から東側に突き出た建物。
同校は、正面から右は外海が近く、左方向は内海です。引き波は左側からやってきました。
3階トイレの入り口です。
屋内消火栓のホースが見えます。
3階の廊下です。ここも、何ともはや.....です。
左側は3階の教室です。
右側は廊下ですが、奥になにやら.....。
3階廊下から見た北校舎です。
手前の内庭には、瓦礫が見えます。誰かによって集められた?? 集まった??
受水槽が見えます。なんと、蓋が2つとも、有りません。津波の水圧に負けて、壊れたのでしょうか。
先ほど廊下の奥に見えたのは、流れ着いた自動車でした。
エンジンは手前側にあるようです。
この地は海に近く、しかもここは校舎の3階です。この様子だと、南校舎の南側窓(この窓)から入ってきたのでしょう。
南側には民家は少ないです。なのに重い自動車が3階にまで持ち上げられ....。
津波の威力は、とても恐ろしいです。
左側に高々と見える土の山は、仮置き。2月25日に前を通ったら、結構無くなっていました。
この教室の床には、半田ごてが無惨な姿で....。この半田ごてで、生徒は何を作っていたのかな...。
ようやく、南校舎の3階が終わりそうです(^_^;)
またまた、つづく(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
2月最後の日曜日。昼間は割と日射しがあり、暖かくも感じましたが、夕方には冷たい風が吹いて来ました。
風は、この時期としては大人しく、夕方の風は冷たい北風。
ん!?? 北風とはいっても、具体的には北東から北北東の風。冷たいです。
以前は、北から北東に掛けて、結構な杉林で、この時期、この方向からの風は意識したことはなかったのですが、2・3年前に公共工事で切られ、以後、びゅーびゅー冷たい風が吹いてきます。
もちろん、メインの西風には負けますが。
さて、先日お伝えしていた旧・気仙沼向洋高校校舎の現況、つづきです。
東日本大震災による大津波で、海に近い同校は、4階まで浸水しました。
現在は、市街地西部に在る気仙沼高校の第2グラウンドに、仮設の校舎が建てられ、授業が行われています。
被災した旧校舎は、幸いにも人的被害が無かったことなどで、震災遺構として保存されることが決まっています。
昨年12月3日に見学会が行われ、ヨコミーも行ってきたのです。
写真は、まだ南校舎の1階です。
美術室だったのでしょうか。床にはこんなものが....。
あっ、ヨコミーの足、靴が写ってしまいました(^_^;)
見てお分かりの通り、安いスニーカー。しかも、メッシュが見えませんか? そう、夏物です。しかも、年中(>_<)
実は足が蒸れるのです。あっ、水虫じゃありませんよ。
仕事も、多くの場合は、これ。まあ革靴は、社長にはんこを頂きに行くときぐらい。
おっと、先に進みましょう。
湯沸かし器がある教室?です。美術室? 準備室??
なんともすさまじい様子が分かります。
窓に見える筋交いみたいなものは、耐震補強の鉄骨かと。
南校舎と北校舎をつなぐ2つの通路の内、東側のものです。
渡り廊下から東に突き出ている建物は、何だったのでしょうか。
破損した箇所を通して、向こう側の景色まで見えます。
2階へ向かう階段は、この通り。
真ん中の方が撮影しているのは、近くの冷凍工場から流れ着いた魚が、もちろん痛んで乾いていますが、猫やバクテリア等にも食べられず、残っていました。
2階の廊下天井です。天井板はどこへ??
2階廊下の床です。
この中に、天井板が落ちているか否かは不詳。
2階の床にも、流れ着いた冷凍魚の残骸が。
更に3階へ上ります。
階段の手すりは....(>_<)
市は遺構として保存し、公開するのでしょうけれど、現況を変えないで、保存や補強の工事はどうやるのでしょうか。難問です。
左奥は北校舎。連絡通路は、1階は渡り廊下、2階は普通の廊下、3階は屋上が通路。
真ん中は、上で紹介した、通路途中から東側に突き出た建物。
同校は、正面から右は外海が近く、左方向は内海です。引き波は左側からやってきました。
3階トイレの入り口です。
屋内消火栓のホースが見えます。
3階の廊下です。ここも、何ともはや.....です。
左側は3階の教室です。
右側は廊下ですが、奥になにやら.....。
3階廊下から見た北校舎です。
手前の内庭には、瓦礫が見えます。誰かによって集められた?? 集まった??
受水槽が見えます。なんと、蓋が2つとも、有りません。津波の水圧に負けて、壊れたのでしょうか。
先ほど廊下の奥に見えたのは、流れ着いた自動車でした。
エンジンは手前側にあるようです。
この地は海に近く、しかもここは校舎の3階です。この様子だと、南校舎の南側窓(この窓)から入ってきたのでしょう。
南側には民家は少ないです。なのに重い自動車が3階にまで持ち上げられ....。
津波の威力は、とても恐ろしいです。
左側に高々と見える土の山は、仮置き。2月25日に前を通ったら、結構無くなっていました。
この教室の床には、半田ごてが無惨な姿で....。この半田ごてで、生徒は何を作っていたのかな...。
ようやく、南校舎の3階が終わりそうです(^_^;)
またまた、つづく(^_^)v
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