サクラ咲いたのは..... 20170224 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
多少、春の香りがしてきました。

おおっと、サクラです(*^_^*)
でも、「桜」です。すみませんm(_ _)m
咲いたのは、ヨコミー家の風除室。
息子が花材として持ってきたもの(^_^;)

ヨコミーがサクラ見として薦めるのは、気仙沼市民会館向かいの、気仙沼中学校校庭端に在る桜並木。

市民会館前から中学校校庭へ登る坂道の途中から。

サクラの蕾を見れば、まだまだ堅く、北国の春は遠いです。

坂の上の校庭には、まだ中学校仮設住宅が建っています。
校庭入り口の右手には、ツバキが有りました。

この場所は、日当たりはとてもいいのですが、そのツバキの蕾も、まだまだ堅いようです。

坂を下ると、右手に気仙沼公園仮設住宅が見えます。
確か、昨秋で、市内の仮設住宅入居率は、50%を切ったとか。大規模な仮設でも3割程度とも聞きます。
市内でも災害公営住宅や防災集団移転の宅地が完成し、多くの方が仮設を後にしました。
一部では、空いた仮設住宅が取り壊されていますが、諸般の事情で、まだ仮設から移り住めないでいる方々も多いようです。
仮設住宅が建っている所は、公園の中のグラウンドでした。
市民会館で大規模な催事があるときには、駐車場代わりにもなっていました。

上の写真の左に続く、小さな公園です。

中央奥、やや左に屋根だけ見えるのは、市立内ノ脇(ないのわき)保育所。
時間帯が違えば、寒風に負けないで遊んでいる子ども達の姿が見えたかも(*^_^*)

東日本大震災で市民会館が避難所となったとき、広島から来られた保健師さんの指導で、毎朝ラジオ体操が行われた場所でもありました。

東日本大震災時、何晩も泊まった、泊まらずにはいられなかった、市民会館。その玄関。

玄関の右手に有る貼り物。
右側のポスターは、石巻の旧北上川中州に在った、老舗の岡田劇場さんによる映画会。
津波で劇場と社長も流されましたが、社長や社員はどこかに流れ着いたと。
市内に映画館の灯が消えてから長い間、気仙沼の映画文化を支えています。感謝m(_ _)m
左側のポスター。
はるばる奈良の薬師寺さんが来られて、3月4日(土)に、東日本大震災七回忌追悼・復興祈願法要が行われますので、ヨコミー家も参加します。
あれから、もう6年になります。
なのに沿岸部の防潮堤建設は、ヨコミーの地元でも、「景観が悪くなるから....」と反対意見が出て、計画がまとまっていません。
一般的に反対の多くは、「人命は、幅広い避難路(車道)を整備すれば助かる」「防潮堤は建設費や維持管理費が掛かり過ぎる」という論法です。
しかし避難路は、海に近い工場やお店、農地までも運んではくれません(>_<)
5年経って、ようやく再建された工場もあります。超大手は、小さな工場を再建しただけで、震災以前の面影はありません。個人に至っては、再建を諦めた方も(>_<)
津波によって失われる収入は、いったい誰が補填してくれるのでしょうか??
海水が入った水田を、税金も投入して整備したのに、再び、津波の被害に遭わせてもいいものでしょうか????
「海と生きる」と決めた気仙沼市に住む民なら、有事に備えるための費用は、欠かすことは出来ないと考えます。(防潮堤は、県や国の事業なのでしょうけれど、市民だって県民であり国民(^_^;)
津波対策は、人命のみならず、仕事や暮らし、地域の環境をも守って欲しいと、ヨコミーは思うのです。
ただ、一気に巨大防潮堤を作ることは、私たち世代の費用負担も大変なので、国は期間を定めず、20年や50年の長期計画でも作るつもりで、また、防潮堤内側の整備や維持管理にも目を向けた、そんな復興計画の制度を作って欲しかったと思うのです。
例えば防潮堤を、毎年10cmずつ積み上げたっていいじゃないですか!! まあ、極端な話(^_^;)
自身や肉親、仕事、財産等々、そして一切を失う悲劇を、再び起こさないためにも(*^_^*)
そう、子孫の世代にも語り継ぎ、不断の警戒と維持管理を伝えたいものです。
あれから間もなく6年。3.11には、静かに手を合わせたいです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
多少、春の香りがしてきました。

おおっと、サクラです(*^_^*)
でも、「桜」です。すみませんm(_ _)m
咲いたのは、ヨコミー家の風除室。
息子が花材として持ってきたもの(^_^;)

ヨコミーがサクラ見として薦めるのは、気仙沼市民会館向かいの、気仙沼中学校校庭端に在る桜並木。

市民会館前から中学校校庭へ登る坂道の途中から。

サクラの蕾を見れば、まだまだ堅く、北国の春は遠いです。

坂の上の校庭には、まだ中学校仮設住宅が建っています。
校庭入り口の右手には、ツバキが有りました。

この場所は、日当たりはとてもいいのですが、そのツバキの蕾も、まだまだ堅いようです。

坂を下ると、右手に気仙沼公園仮設住宅が見えます。
確か、昨秋で、市内の仮設住宅入居率は、50%を切ったとか。大規模な仮設でも3割程度とも聞きます。
市内でも災害公営住宅や防災集団移転の宅地が完成し、多くの方が仮設を後にしました。
一部では、空いた仮設住宅が取り壊されていますが、諸般の事情で、まだ仮設から移り住めないでいる方々も多いようです。
仮設住宅が建っている所は、公園の中のグラウンドでした。
市民会館で大規模な催事があるときには、駐車場代わりにもなっていました。

上の写真の左に続く、小さな公園です。

中央奥、やや左に屋根だけ見えるのは、市立内ノ脇(ないのわき)保育所。
時間帯が違えば、寒風に負けないで遊んでいる子ども達の姿が見えたかも(*^_^*)

東日本大震災で市民会館が避難所となったとき、広島から来られた保健師さんの指導で、毎朝ラジオ体操が行われた場所でもありました。

東日本大震災時、何晩も泊まった、泊まらずにはいられなかった、市民会館。その玄関。

玄関の右手に有る貼り物。
右側のポスターは、石巻の旧北上川中州に在った、老舗の岡田劇場さんによる映画会。
津波で劇場と社長も流されましたが、社長や社員はどこかに流れ着いたと。
市内に映画館の灯が消えてから長い間、気仙沼の映画文化を支えています。感謝m(_ _)m
左側のポスター。
はるばる奈良の薬師寺さんが来られて、3月4日(土)に、東日本大震災七回忌追悼・復興祈願法要が行われますので、ヨコミー家も参加します。
あれから、もう6年になります。
なのに沿岸部の防潮堤建設は、ヨコミーの地元でも、「景観が悪くなるから....」と反対意見が出て、計画がまとまっていません。
一般的に反対の多くは、「人命は、幅広い避難路(車道)を整備すれば助かる」「防潮堤は建設費や維持管理費が掛かり過ぎる」という論法です。
しかし避難路は、海に近い工場やお店、農地までも運んではくれません(>_<)
5年経って、ようやく再建された工場もあります。超大手は、小さな工場を再建しただけで、震災以前の面影はありません。個人に至っては、再建を諦めた方も(>_<)
津波によって失われる収入は、いったい誰が補填してくれるのでしょうか??
海水が入った水田を、税金も投入して整備したのに、再び、津波の被害に遭わせてもいいものでしょうか????
「海と生きる」と決めた気仙沼市に住む民なら、有事に備えるための費用は、欠かすことは出来ないと考えます。(防潮堤は、県や国の事業なのでしょうけれど、市民だって県民であり国民(^_^;)
津波対策は、人命のみならず、仕事や暮らし、地域の環境をも守って欲しいと、ヨコミーは思うのです。
ただ、一気に巨大防潮堤を作ることは、私たち世代の費用負担も大変なので、国は期間を定めず、20年や50年の長期計画でも作るつもりで、また、防潮堤内側の整備や維持管理にも目を向けた、そんな復興計画の制度を作って欲しかったと思うのです。
例えば防潮堤を、毎年10cmずつ積み上げたっていいじゃないですか!! まあ、極端な話(^_^;)
自身や肉親、仕事、財産等々、そして一切を失う悲劇を、再び起こさないためにも(*^_^*)
そう、子孫の世代にも語り継ぎ、不断の警戒と維持管理を伝えたいものです。
あれから間もなく6年。3.11には、静かに手を合わせたいです。
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