気仙沼の今 大谷漁港界隈 20170718 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日18日は早朝から大雨でした。
日付が変わった辺りは、昨日の小雨が止んで星が1個見えていたのですが、明るくなった辺りか、うるさい雨音で目が覚めました。でも、また寝たのです。昨夜の帰宅は遅かったので(^_^;)
朝の通勤時は道路が冠水し、大変だったようです。
18時までの降水量は、88mmでした。
大雨はほとんど朝でしたが、その影響があったのか、昼辺りでも、北は国道45号唐桑トンネルから、南は旧気仙沼市と旧本吉町境まで渋滞でした。
市内では大きな被害は聞いていませんが、九州、関西、新潟などでは、今日も大変な雨だったようです。お見舞い申し上げます。
さて、7月11日午後、大谷郵便局へ滑り込んだとお伝えしていましたが、無事に郵便を差し出した後、駐車場から海が見えていましたので、郵便局の裏手へ回ってみました。
(写真はクリックすると大きくなります)
右端は大谷郵便局です。後ろ姿がちょっとだけですみませんm(_ _)m
震災前の郵便局は、ずーっと右奥、JR大谷海岸駅の近くに在りました。すぐ裏にJR気仙沼線が走り、更には大谷海水浴場でした。
ひょっとして、日本一、海水浴場に近い常設郵便局だったかも(^_^;)
震災直後、仮設で大谷小学校南側に移りましたが、このほど新局舎が完成し、以前よりは高い所へ移りました。
でも、ここの高さでも津波の被害が有ったのです。ここは地区の集会所・漁村センターが在った所。
おかげさまで、ヨコミー宅からは遠くなりました。
震災前も仮設時代も、郵便局は丁度散歩に良い距離でしたが、今ではちょっと遠く、車での利用です。これがメタボの原因に(^_^;)
写真左下には、同級生などの家々や酒屋さんも有ったのですが....。
ちょっとアップしました。
赤い鳥居の右に社務所が在りましたが流され、今は小さな建物で再建されています。
国道45号は、右外側手前の郵便局前を通り、鳥居の左側を経て裏側へ回り、右奥へ続いています。
写真の性格上、ヘアピンカーブみたいですが、実際は緩く鳥居を巻いています。
鳥居の左右に見えるカマボコ型の小さな建物は、作業員宿舎。国道に隣接する建物なので、寝心地はどうなのでしょうか(>_<)
正面の丘の後は、大谷海水浴場の東側。この丘、高いようですが、すべて浸水でした。民家や民宿が在ったのですが......、ここには戻ってこられないようです。
カマボコから左へ続く緑は、復旧した水田です。水田は、やっと復旧した感じ。
最初の写真では左側にちっょと見えた、防潮堤の工事です。
ここは以前、近くからの撮影でお知らせした所です。
防潮堤の手前は、震災後に出来た確かネギ生産組合の畑。
一番手前は水田です。再び米作りが出来、所有者じゃなくても嬉しいです。
ずーっと奥に、うっすらと見えるのは、南三陸町歌津の岬です。結構霞んでいます。
更に左側を。
中央の小高い丘、住宅に結構隠れていますが、中央やや左に見えるオレンジ色の屋根は、フカヒレ製品でちょっとは有名な中華高橋水産です。
この丘は割と高い所まで浸水しました。
参考 津波浸水図
http://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s009/010/010/010/020/shinsuimap_20110311.pdf
更に左側です。大谷漁港が見えてきました。右手の丘の高さが分かります。
更に左側。漁港の中心部です。
大津波でほとんどの船が流されたとか。それが今ではこんなに(*^_^*)
白い灯台の左上に岩礁が見えます。
この漁港、いい釣り場になっているとか。
更に左側です。
奥には市内階上や大島の岬が見えます。
左の水産会社は、震災後、この辺りでは一番先に再建されました。
その水産会社の右側をアップしてみました。
ここは三層の風景が重なっています。
手前の丘に見える赤瓦の建物は、階上(はしかみ)の御伊勢崎に建つ某水産会社の別荘。小さなお宮も隣接しています。
津波浸水図によれば浸水の範囲ですが、何人かが避難し、助かったとか。松の木にしがみついて助かったとも聞きました。国土地理院の地図に拠れば、標高は11mでした。
手前には小さな漁港・杉ノ下漁港が見えます。ここも釣りのポイントです(*^_^*) 左はお伊勢浜海水浴場(休業中)へとつながります。
中央やや左から左端へ延びる松林は、岩井崎の松林です。残念ながら岩井崎の噴潮は、手前の岬の陰となり、見えません。
この松林も、大津波で洗われたのですが、ほとんどが残っています。すごいです(^_^)v
奥に幅広く見えるのは、気仙沼の大島。
昔は5000人以上が暮らしていましたが、今は3000人台になってしまった....と書こうとしたら、なんと6月末では2559人でした(>_<)(T_T)
皆さん、大島は間もなく離島じゃなくなります。どうですか、移住してみませんか(^_^)v
この辺としては割と暖かです。ツバキが咲き、ユズも生産している素敵な島です。
御伊勢崎の右側です。小さな小島が見えますが、震災前は砂嘴(さし)でつながっていました。
向こうとこちらから押し寄せる波が小石や砂を運び、満潮時でも渡れる陸地が出来ていました。
震災後は沈下したようで、潮が満ちてくると渡ることは出来ません。
強いて言えば、フランスのモン・サン・ミシェル(Mont-Saint-Michel)みたいです(^_^;)
それにしてもこの7本の松は、東日本大震災による大津波に何度も襲われながらも、こうやって生きています。
ちょっと長いですが、「奇跡な七人の侍松」といった感じ(*^_^*)
「落ちない、めげない、流されない」。どうですか、お参りしてみては(^_^)v
奥は、大島の最南端・龍舞崎(たつまいざき)です。岩井埼の灯台も素敵ですが、龍舞崎の灯台もいいです。
ヨコミー、観光業界にも居ましたので、歩いてみました。細い岬の先端に在ります。
更に右側。龍舞崎の南に浮かぶ黒崎島です。広く写した上の写真で、岩礁のように写っていた島です。
一番高い所は海抜23m。
松どころか草さえも生えていない感じです。黒い岩だけの島.....そんな所からの名前なのでしょう。
ところで、ちょっと白く見えるのは、ウミネコのフンと思われます。この辺はウミネコが多いです。
ヨコミーは島や岩礁も好きです。
なんか被災地紹介風の記事が、いつの間にか観光ガイドになっていましたが(^_^;)
まあ、それも手の内です(*^_^*)
被災地気仙沼の現状を、観光を兼ねて来て見て頂きたいし、震災後だってまだまだ素敵な所が有る気仙沼も、皆さんに見て頂きたいと、ヨコミーは思うのです。
待ってっから~(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日18日は早朝から大雨でした。
日付が変わった辺りは、昨日の小雨が止んで星が1個見えていたのですが、明るくなった辺りか、うるさい雨音で目が覚めました。でも、また寝たのです。昨夜の帰宅は遅かったので(^_^;)
朝の通勤時は道路が冠水し、大変だったようです。
18時までの降水量は、88mmでした。
大雨はほとんど朝でしたが、その影響があったのか、昼辺りでも、北は国道45号唐桑トンネルから、南は旧気仙沼市と旧本吉町境まで渋滞でした。
市内では大きな被害は聞いていませんが、九州、関西、新潟などでは、今日も大変な雨だったようです。お見舞い申し上げます。
さて、7月11日午後、大谷郵便局へ滑り込んだとお伝えしていましたが、無事に郵便を差し出した後、駐車場から海が見えていましたので、郵便局の裏手へ回ってみました。
(写真はクリックすると大きくなります)
右端は大谷郵便局です。後ろ姿がちょっとだけですみませんm(_ _)m
震災前の郵便局は、ずーっと右奥、JR大谷海岸駅の近くに在りました。すぐ裏にJR気仙沼線が走り、更には大谷海水浴場でした。
ひょっとして、日本一、海水浴場に近い常設郵便局だったかも(^_^;)
震災直後、仮設で大谷小学校南側に移りましたが、このほど新局舎が完成し、以前よりは高い所へ移りました。
でも、ここの高さでも津波の被害が有ったのです。ここは地区の集会所・漁村センターが在った所。
おかげさまで、ヨコミー宅からは遠くなりました。
震災前も仮設時代も、郵便局は丁度散歩に良い距離でしたが、今ではちょっと遠く、車での利用です。これがメタボの原因に(^_^;)
写真左下には、同級生などの家々や酒屋さんも有ったのですが....。
ちょっとアップしました。
赤い鳥居の右に社務所が在りましたが流され、今は小さな建物で再建されています。
国道45号は、右外側手前の郵便局前を通り、鳥居の左側を経て裏側へ回り、右奥へ続いています。
写真の性格上、ヘアピンカーブみたいですが、実際は緩く鳥居を巻いています。
鳥居の左右に見えるカマボコ型の小さな建物は、作業員宿舎。国道に隣接する建物なので、寝心地はどうなのでしょうか(>_<)
正面の丘の後は、大谷海水浴場の東側。この丘、高いようですが、すべて浸水でした。民家や民宿が在ったのですが......、ここには戻ってこられないようです。
カマボコから左へ続く緑は、復旧した水田です。水田は、やっと復旧した感じ。
最初の写真では左側にちっょと見えた、防潮堤の工事です。
ここは以前、近くからの撮影でお知らせした所です。
防潮堤の手前は、震災後に出来た確かネギ生産組合の畑。
一番手前は水田です。再び米作りが出来、所有者じゃなくても嬉しいです。
ずーっと奥に、うっすらと見えるのは、南三陸町歌津の岬です。結構霞んでいます。
更に左側を。
中央の小高い丘、住宅に結構隠れていますが、中央やや左に見えるオレンジ色の屋根は、フカヒレ製品でちょっとは有名な中華高橋水産です。
この丘は割と高い所まで浸水しました。
参考 津波浸水図
http://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s009/010/010/010/020/shinsuimap_20110311.pdf
更に左側です。大谷漁港が見えてきました。右手の丘の高さが分かります。
更に左側。漁港の中心部です。
大津波でほとんどの船が流されたとか。それが今ではこんなに(*^_^*)
白い灯台の左上に岩礁が見えます。
この漁港、いい釣り場になっているとか。
更に左側です。
奥には市内階上や大島の岬が見えます。
左の水産会社は、震災後、この辺りでは一番先に再建されました。
その水産会社の右側をアップしてみました。
ここは三層の風景が重なっています。
手前の丘に見える赤瓦の建物は、階上(はしかみ)の御伊勢崎に建つ某水産会社の別荘。小さなお宮も隣接しています。
津波浸水図によれば浸水の範囲ですが、何人かが避難し、助かったとか。松の木にしがみついて助かったとも聞きました。国土地理院の地図に拠れば、標高は11mでした。
手前には小さな漁港・杉ノ下漁港が見えます。ここも釣りのポイントです(*^_^*) 左はお伊勢浜海水浴場(休業中)へとつながります。
中央やや左から左端へ延びる松林は、岩井崎の松林です。残念ながら岩井崎の噴潮は、手前の岬の陰となり、見えません。
この松林も、大津波で洗われたのですが、ほとんどが残っています。すごいです(^_^)v
奥に幅広く見えるのは、気仙沼の大島。
昔は5000人以上が暮らしていましたが、今は3000人台になってしまった....と書こうとしたら、なんと6月末では2559人でした(>_<)(T_T)
皆さん、大島は間もなく離島じゃなくなります。どうですか、移住してみませんか(^_^)v
この辺としては割と暖かです。ツバキが咲き、ユズも生産している素敵な島です。
御伊勢崎の右側です。小さな小島が見えますが、震災前は砂嘴(さし)でつながっていました。
向こうとこちらから押し寄せる波が小石や砂を運び、満潮時でも渡れる陸地が出来ていました。
震災後は沈下したようで、潮が満ちてくると渡ることは出来ません。
強いて言えば、フランスのモン・サン・ミシェル(Mont-Saint-Michel)みたいです(^_^;)
それにしてもこの7本の松は、東日本大震災による大津波に何度も襲われながらも、こうやって生きています。
ちょっと長いですが、「奇跡な七人の侍松」といった感じ(*^_^*)
「落ちない、めげない、流されない」。どうですか、お参りしてみては(^_^)v
奥は、大島の最南端・龍舞崎(たつまいざき)です。岩井埼の灯台も素敵ですが、龍舞崎の灯台もいいです。
ヨコミー、観光業界にも居ましたので、歩いてみました。細い岬の先端に在ります。
更に右側。龍舞崎の南に浮かぶ黒崎島です。広く写した上の写真で、岩礁のように写っていた島です。
一番高い所は海抜23m。
松どころか草さえも生えていない感じです。黒い岩だけの島.....そんな所からの名前なのでしょう。
ところで、ちょっと白く見えるのは、ウミネコのフンと思われます。この辺はウミネコが多いです。
ヨコミーは島や岩礁も好きです。
なんか被災地紹介風の記事が、いつの間にか観光ガイドになっていましたが(^_^;)
まあ、それも手の内です(*^_^*)
被災地気仙沼の現状を、観光を兼ねて来て見て頂きたいし、震災後だってまだまだ素敵な所が有る気仙沼も、皆さんに見て頂きたいと、ヨコミーは思うのです。
待ってっから~(^_^)v
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