気仙沼の今 小泉・新町橋界隈 20171128 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日12月18日は、朝にちょっとだけ陽が射しただけで、殆ど曇り空でした。
風の冷たさはまあまあ。
厳しい寒さではないのですが、夜にはちょっと小雪が舞いました。
12月も半分過ぎたのですが、11月の話ですみませんm(_ _)m
11月28日、老母の希望があり、市内本吉町小泉のパーマ屋さんへ行ってきました。
小泉地区は、東日本大震災による大津波で大きな被害を受けた所です。規模は小さいですが、中心部が壊滅的な被害を受けた南三陸町や陸前高田市と同様の被害です。
老母生家の近くに在ったパーマ屋さんでしたが、すっかりと流され、今は小高い丘の上に。
送迎は2度。だってパーマが終わるまで、待っていられません(^_^;)
送り届けた帰路、定点撮影している外尾(そでお)川に架かる新町(しんまち)橋からパチリ。
※写真はクリックすると大きくなります。
橋から下流側を見てみました。凡そ東北東です。
向こうに見える一番上の橋は、国道45号の新橋。その下で途切れていたり一段ズレているのは、JR気仙沼線の高架橋ですが、残念ながら、ここを鉄道が走ることはないようです。
高架の下で、川の奥の両側に見えるのは小泉(津谷)川の堤防工事らしいです。
その右隣。川の隣にはコンクリート製品がぎっしりと積まれていました。
多分、防潮堤や川の堤防工事に使われるのでしょう。
小高い丘の上、真ん中辺りは小学校。左端に被災して移転新築した公民館、そして奥には保育所があります。写真では屋根だけでも見えるかな!??
更に右隣。通りの左右には、新町(しんまち)の家々が並んでいました。
右上の丘の上に見える、三角の塔屋を持つ建物は、今春統合で閉校となった小泉中学校。
建物はまだまだ立派でしたのに、児童数の減少には勝てませんでした。
建設費用の借金は、もう全部返済したのでしょうか?
市内唐桑の小原木(こはらぎ)中学校もそう、とても立派。
同じ今春に閉校した市内本吉町の馬籠(まごめ)小学校は、以前、若い世代の定住を誘導するために割安な宅地を分譲しましたが、結果として役に立たなかったようです。
大阪でも人口減と聞きましたが、地方の更に地方では、より深刻です。閉校になったからって、借金を棒引きしてくれる所は、何処にも在りませんし....。
手前の整地された所も草ボウボウな所も、民家が建ち並んでいました。
左の2階建ては工事関係の。正面奥の、やや小高い位置にある民家は、以前見た気がします。
正面やや右が西北西です。奥の小高い丘に在る建物は老人介護施設です。
今春廃校となった中学校は、以前はそこに在って、結構ボロイ校舎だったと聞いています。
その跡地に老人施設が建てられて10年程。
その施設左下に同じ規格で並ぶプレハブ3棟の建物は、復旧工事で働く人たちの作業員宿舎。
橋の西側に立つ丘です。この上は大津波の難を逃れたようです。
このずーっと奥に、小泉の町(まち)3行政区が移った防災集団移転の団地が出来ました。
多分以後津波は決して来ないような山の高台。津波は来ないけど、近くに高速道路が来ます。
ん、先に高速道路の計画が有ったので、後から団地がやって来た....。
この辺りにも民家が軒を連ねていました。メインストリートの西端付近です。
向こうへ伸びる道は北北西方向。中程から左斜め上に伸びる白いガードレールは、被災した小泉地区公民館があった所へ登る坂道。上には車が2台停まっています。
その上のお宅は大丈夫だったようです。
右奥は工事関係の建物です。
道の先に見えるダンプカー右手には、工事が進められている三陸道の橋脚が白く小さく見えます。
写真右には、前回撮影の前からもですが、コンクリート製品が置かれています。
真ん中辺りに交通整理のおじさんが立っているのは、そこから右に通りがあるから。
以前は下(しも)町と仲(なか)町に挟まれた、小泉のメインストリート(まあ片田舎の)でしたが、今では工事車両専用道路と化しています。
更に右隣です。コンクリート製品がいっぱい。向こうの建物も建設関係。
奥の杉林はちょっと変な感じです。歯が抜けたみたい(^_^;)
上に載せた写真もでしたが、あの大津波で根が海水に浸った杉は枯れたようです。
ここもそうかと。
以前は、遠くの山が見えるか見えないか位に民家が建ち並んでいたのですが、その面影は全くありません。
黄色い重機の奥では、河川堤防の改修工事が行われていて、高い盛土が見えます。
沢山のコンクリート製品、草はボウボウ、遠くには巨大な堤防や国道の高架....。
東日本大震災による大津波は、ここが以前はどんな所だったのか、想像さえ出来ないように変えてしまいました。
ここに在った多くの民家は高台へ移転したり、地区外へも行ったと聞きます。
そんななかで、この土地に再び賑わいが戻ることがあるのでしょうか(>_<)
これでやっと一周です。
いつかも見たように、橋から川下側をのぞいてみました。
水量が少ないです。2年ほど前は、少ない水量の中で、鮭が泳いでいましたが、その姿は見えません。
南西に見えた介護施設付近を拡大してみました。10年ほど前、中学校跡地に出来ました。
施設の右手、杉林の陰には仮設住宅がありましたが、今はどうなっているか...。
真ん中の建物は事業所風。新しく建てられたようです。
左の2棟は作業員宿舎。もう1棟は写真の外。
大津波の押し波で、施設の下に瓦礫が集まったと。もちろん、引き波にさらわれた瓦礫は太平洋へ流出し、思い出の回収は全く出来ないことに....(>_<)
公民館跡地方向の拡大です。
各種震災復旧関連工事に加え、三陸道の工事も重なり、ダンプカーなどで混雑しています。土煙を舞い上げながら(>_<)
外尾川右岸(上流側から見て右の岸)の市道です。
震災の被害を残しつつ、復旧名目の巨大建造物が作られて行く違和感....。
この被災した土地に、どんな明るい未来が待っているのでしょうか、教えてください(>_<)
※JR様、この先の高架橋を全部とは欲張りませんので、その2~3スパンを、また陸前小泉駅の残骸を、JRが受けた被害、つまり震災遺構として残して欲しいのです。残すと高架橋の所は通れなくなるので、新たな経路は作らず、立派な国道の橋を利用しては如何でしょうか。高速道も間もなく開通するので、渋滞は無いかと。既に離れた所では改修が進んでいるようですが、国道の橋利用で経費が削減出来、株主にも喜ばれます。また消えゆく気仙沼の震災遺構が残るので、気仙沼のためにも良いかと。どうかひと肌脱いでください(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日12月18日は、朝にちょっとだけ陽が射しただけで、殆ど曇り空でした。
風の冷たさはまあまあ。
厳しい寒さではないのですが、夜にはちょっと小雪が舞いました。
12月も半分過ぎたのですが、11月の話ですみませんm(_ _)m
11月28日、老母の希望があり、市内本吉町小泉のパーマ屋さんへ行ってきました。
小泉地区は、東日本大震災による大津波で大きな被害を受けた所です。規模は小さいですが、中心部が壊滅的な被害を受けた南三陸町や陸前高田市と同様の被害です。
老母生家の近くに在ったパーマ屋さんでしたが、すっかりと流され、今は小高い丘の上に。
送迎は2度。だってパーマが終わるまで、待っていられません(^_^;)
送り届けた帰路、定点撮影している外尾(そでお)川に架かる新町(しんまち)橋からパチリ。
※写真はクリックすると大きくなります。
橋から下流側を見てみました。凡そ東北東です。
向こうに見える一番上の橋は、国道45号の新橋。その下で途切れていたり一段ズレているのは、JR気仙沼線の高架橋ですが、残念ながら、ここを鉄道が走ることはないようです。
高架の下で、川の奥の両側に見えるのは小泉(津谷)川の堤防工事らしいです。
その右隣。川の隣にはコンクリート製品がぎっしりと積まれていました。
多分、防潮堤や川の堤防工事に使われるのでしょう。
小高い丘の上、真ん中辺りは小学校。左端に被災して移転新築した公民館、そして奥には保育所があります。写真では屋根だけでも見えるかな!??
更に右隣。通りの左右には、新町(しんまち)の家々が並んでいました。
右上の丘の上に見える、三角の塔屋を持つ建物は、今春統合で閉校となった小泉中学校。
建物はまだまだ立派でしたのに、児童数の減少には勝てませんでした。
建設費用の借金は、もう全部返済したのでしょうか?
市内唐桑の小原木(こはらぎ)中学校もそう、とても立派。
同じ今春に閉校した市内本吉町の馬籠(まごめ)小学校は、以前、若い世代の定住を誘導するために割安な宅地を分譲しましたが、結果として役に立たなかったようです。
大阪でも人口減と聞きましたが、地方の更に地方では、より深刻です。閉校になったからって、借金を棒引きしてくれる所は、何処にも在りませんし....。
手前の整地された所も草ボウボウな所も、民家が建ち並んでいました。
左の2階建ては工事関係の。正面奥の、やや小高い位置にある民家は、以前見た気がします。
正面やや右が西北西です。奥の小高い丘に在る建物は老人介護施設です。
今春廃校となった中学校は、以前はそこに在って、結構ボロイ校舎だったと聞いています。
その跡地に老人施設が建てられて10年程。
その施設左下に同じ規格で並ぶプレハブ3棟の建物は、復旧工事で働く人たちの作業員宿舎。
橋の西側に立つ丘です。この上は大津波の難を逃れたようです。
このずーっと奥に、小泉の町(まち)3行政区が移った防災集団移転の団地が出来ました。
多分以後津波は決して来ないような山の高台。津波は来ないけど、近くに高速道路が来ます。
ん、先に高速道路の計画が有ったので、後から団地がやって来た....。
この辺りにも民家が軒を連ねていました。メインストリートの西端付近です。
向こうへ伸びる道は北北西方向。中程から左斜め上に伸びる白いガードレールは、被災した小泉地区公民館があった所へ登る坂道。上には車が2台停まっています。
その上のお宅は大丈夫だったようです。
右奥は工事関係の建物です。
道の先に見えるダンプカー右手には、工事が進められている三陸道の橋脚が白く小さく見えます。
写真右には、前回撮影の前からもですが、コンクリート製品が置かれています。
真ん中辺りに交通整理のおじさんが立っているのは、そこから右に通りがあるから。
以前は下(しも)町と仲(なか)町に挟まれた、小泉のメインストリート(まあ片田舎の)でしたが、今では工事車両専用道路と化しています。
更に右隣です。コンクリート製品がいっぱい。向こうの建物も建設関係。
奥の杉林はちょっと変な感じです。歯が抜けたみたい(^_^;)
上に載せた写真もでしたが、あの大津波で根が海水に浸った杉は枯れたようです。
ここもそうかと。
以前は、遠くの山が見えるか見えないか位に民家が建ち並んでいたのですが、その面影は全くありません。
黄色い重機の奥では、河川堤防の改修工事が行われていて、高い盛土が見えます。
沢山のコンクリート製品、草はボウボウ、遠くには巨大な堤防や国道の高架....。
東日本大震災による大津波は、ここが以前はどんな所だったのか、想像さえ出来ないように変えてしまいました。
ここに在った多くの民家は高台へ移転したり、地区外へも行ったと聞きます。
そんななかで、この土地に再び賑わいが戻ることがあるのでしょうか(>_<)
これでやっと一周です。
いつかも見たように、橋から川下側をのぞいてみました。
水量が少ないです。2年ほど前は、少ない水量の中で、鮭が泳いでいましたが、その姿は見えません。
南西に見えた介護施設付近を拡大してみました。10年ほど前、中学校跡地に出来ました。
施設の右手、杉林の陰には仮設住宅がありましたが、今はどうなっているか...。
真ん中の建物は事業所風。新しく建てられたようです。
左の2棟は作業員宿舎。もう1棟は写真の外。
大津波の押し波で、施設の下に瓦礫が集まったと。もちろん、引き波にさらわれた瓦礫は太平洋へ流出し、思い出の回収は全く出来ないことに....(>_<)
公民館跡地方向の拡大です。
各種震災復旧関連工事に加え、三陸道の工事も重なり、ダンプカーなどで混雑しています。土煙を舞い上げながら(>_<)
外尾川右岸(上流側から見て右の岸)の市道です。
震災の被害を残しつつ、復旧名目の巨大建造物が作られて行く違和感....。
この被災した土地に、どんな明るい未来が待っているのでしょうか、教えてください(>_<)
※JR様、この先の高架橋を全部とは欲張りませんので、その2~3スパンを、また陸前小泉駅の残骸を、JRが受けた被害、つまり震災遺構として残して欲しいのです。残すと高架橋の所は通れなくなるので、新たな経路は作らず、立派な国道の橋を利用しては如何でしょうか。高速道も間もなく開通するので、渋滞は無いかと。既に離れた所では改修が進んでいるようですが、国道の橋利用で経費が削減出来、株主にも喜ばれます。また消えゆく気仙沼の震災遺構が残るので、気仙沼のためにも良いかと。どうかひと肌脱いでください(^_^)v
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