気仙沼の今 内湾界隈 20171222 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日12月24日は朝にちょっとだけ青空が見えたものの、雲が多く、午後遅くからは小雨が降り出しました。
小さなお食事会が有り、正午に旧市立病院奥の上田中(かみたなか)に在る某所へ。
帰路、下手のお店に寄り、知り合いへ差し上げるお土産として、1500円ほどの商品を買いました。
このお店は、1000円以上買うと、地域商店会のスタンプか(と?)市内商店街連合会の福引き補助券をくれるはずでしたが、貰わなかったことに店を出てから気付き....。
再度入店するのも嫌なので、そのまま車のエンジンを掛け....(>_<)
今日はクリスマスイブでレジも忙しいのでしょうけれど、素敵な企画でお客さんを多く呼びたいんだ!!という意気込みが感じられない、残念なお店でした。
こんなんだったら、律儀に地元商店を利用することなく、その手の企画が無い外来大型商業施設の方が良かったなぁ....と反省(>_<)
12月22日、所用で市内南町へ行ったので、帰路、旧・鰹鮪(かつおまぐろ)会館前で内湾の風景を撮影してみました。
https://www.google.co.jp/maps/@38.9046197,141.5766233,18z
この辺一帯は、あの東日本大震災による大津波で多くの被害が出た所。
復旧はまだまだです。
※写真はクリックすると大きくなります。
大きな岩の上に建つのは気仙沼プラザホテル。手前の塔はホテル下の駐車場と結ぶエレベーター。
その左は鮮魚等の土産物屋さん。共に南三陸町から進出してきた企業に買収されました(>_<)
左隣です。奥の山は旧・唐桑町との境の山。麓の海岸に見えるクレーン群は、鹿折地区浪板(なみいた)の造船地帯です。
左奥の白い船はサンマ船です。
造船地帯の拡大です。
ヨコミーは鹿折育ちなので、同級生に家業が造船業の子も居ました。
写真がちょっと変です?? 真ん中の船の下を見てください。やや広い線が左右に伸びでいます。
左側は割と違和感は無いのですが、右側は溺れそうな感じ(^_^;) そして鏡面のような反射。
蜃気楼の一種、逃げ水みたいな現象でしょう。
サンマ船の拡大です。斜めに沢山突き出ているのは集魚灯です。
既に漁は終わったので、これからサンマ用の設備を下ろすのでしょう。
来年は大きなサンマを沢山水揚げしてくださいね(^_^)v
更に左隣です。
中央右の岬は五十鈴神社が在る神明崎。震災前は朱塗りの浮御堂が在りました。
中央の白っぽい小山は、防潮堤?工事用の採石でしょうか。
その左上、ちょっとだけ見える白い建物は、今年辺りで営業を終了した、老舗のホテル望洋。昔は望洋館という名で、長い間親しまれてきたのですが、残念です。
お神明さんの拡大です。いつになったら朱塗りの浮御堂が再建されるのやら(>_<)
更に左へ続きます。
湾の奥には漁船漁業会社や仕込み屋さん等がズラリと並んでいて、大津波の前は山の麓がこんなには見えませんでした。
真ん中上に見える明るい草色の屋根は、教会風の結婚式場。
右端に在るホテル望洋の左の小山は陣山。山の向こう側は、300tもの船が打ち上げられた鹿折地区。
市はこの山の上に復興祈念公園を計画していますが、ヨコミーは心配(>_<)
地元紙によれば、計画している駐車場はなんと数十台分だけとか。
この場所は狭いので、当然なのでしょうけれど、公の大きなイベントは絶対に企画しないのでしょうか。単なる都市公園ではなく、「復興祈念」公園なのですが。
市内の公共施設は、一般的に駐車場が狭いのです。
大きな催事があると、駐車場から車が溢れます。離れた駐車場からシャトルバスを出す事も有るようですが、お金が有る事業だけ。
同じ苦労を強いるのでしょうか。
一方、大津波で被災した、南気仙沼や観光地・岩井崎の手前等々は、まだまだ建物が建っていない土地が在ります。未利用地が多いとも、地元紙にありました。
そんな所ならば、公園自体は同程度としても、駐車場は何倍も広く取ることが出来ると思うのです。
このことを、知り合いの市議と話したのですが、なんか認識が足らないようで....(>_<)
新しく出来る中央公民館(浸水地に盛土して建設予定)に隣接させてもいいし、震災前に在った南運動広場も作るのでしょうから、そこに隣接させてもいいんだけれど(^_^)v
陣山の拡大です。計画されている公園へは、左奥の裏側から車は入ります。
しかし、そこに続く坂道はとても狭く、被災していない所の両脇には人家がぎっしり。普通車でもすれ違いは大変です。
バスは内湾側からは無理。鹿折側とて道は狭く、すれ違いには民家を壊して待避所を作るか拡幅するか.....。
選定理由として、一説には、この場所なら復旧が進む内湾地域と鹿折地区が一望に出来るということらしいですが、このこんもりしている林をハゲ山にしなければなりません。
見通しが良いことでここを優位とする理由なら、民家の裏ぎりぎりまで買収して伐採し、また民家脇の木についても、高さを未来永劫規制しないといけません(>_<)
なぜ自然を壊してまで、見通しを確保する必要があるのでしょうか。
ヨコミーなら浸水地の未利用地を再調整して、もちろん盛土し、そこに作ります(^_^)v
結婚式場付近の拡大です。
その下の赤い屋根に白く文字が見えるのは、「気仙沼第二保育所」。市が直営する保育所ではありませんが、興味深い名称です。
左下に見える斜面のような草地の下は、確か相沢病院があった所。
岸壁では、防潮堤工事が進められているようです。
更に左隣です。
奥にどーんと立つ建物は、魚町と入沢の災害公営住宅。
住宅の上に見える山は安波山(あんばやま、あんばさん。238m)
気仙沼地区と鹿折地区のシンボルです。
災害公営住宅の拡大です。1号棟は県道沿いの山側。小高い所に見える2号棟3号棟は、生徒数の減少で廃校となった、畠山学園の気仙沼女子高等学校跡地付近に建てられました。
震災前なら、丁度2号棟3号棟の位置に、最上階にカマボコ屋根の屋内体育館を備えた同校が在り、内湾のシンボルでもありましたのに、残念です。
それにしても、人口統計を見れば、20年30年も前から人口減少が予測出来たのに、国政は無策に近いものでしたね。
人口が減れば消費が減り、生産を少なくしなければならず、経済は小さくなります。
地方の、更に地方などは、尚更大変。まだ十分に使えたり、立派な学校まで廃校にしなければなりません(>_<)
1号棟の直ぐ右隣です。
今春に営業をやめた「亀の湯」です。右端に煙突、水色のダンプカー左上に看板が見えます。
ヨコミーが鹿折に住んでいた頃、1号棟の辺りに「はしもと菓子店」があり、夏の帰路はそこが関所。かき氷でした(^_^;)
ここの氷は歯触りが良く、何度も立ち寄りました。
ある夜に寄って食べていると、怖そうな船員さんが入ってきて、なんとかき氷を注文するのです(>_<)
そう、亀の湯の帰りでした(^_^;)
岸壁に船を泊め、亀の湯で汗を流し、更にかき氷を食べて....、幸せそうでした(*^_^*)
今はそんな姿を見ることは出来ません(>_<)
因みに、大谷に引っ越してからは、家族分のかき氷を買い、マイカーの常備品となっている発泡スチロールの箱に入れ、持ち帰ったものです。
さすがに氷で、解けることなく家族に届けられました(^_^)v
あの美味しいかき氷、亡き父とも食べたあのかき氷は、もう食べられません(T_T)
更に左隣の汽船発着所方面です。
その拡大です。昔は2階建てのレストハウスが、その後改築されて3階建てのエースポートが在りました。
大島汽船の事務所や土産物屋さん、美味しいイタリアンのレストラン、観光協会等が入ってました。
なのに大津波は.....(>_<)
正面奥右側は魚町二丁目の災害公営住宅で、左は新築された気仙沼信用金庫本店です。
汽船発着所の左手には、3階建ての市営駐車場がありました。
白く続く壁は防潮堤のようです。
中央やや左上の波形は、南町二丁目に在る災害公営住宅の大通り側に隣接する商業施設です。
更に左です。
赤いダンプカーの奥と右に見えるのは、南町一丁目の災害公営住宅です。
信号機がある交差点の左角に大きな交番が在りましたが、内陸部に移転しました。
この辺りが手薄になった気がするのはヨコミーだけ???
その交番のあちら向かいに南町消防署がありましたが、これは気仙沼駅前に移転(>_<)
赤い営業中看板の向こうには、仮設商店街が在りました。ここを去ったお店は、全てが本設のお店を持てた訳ではないようです(>_<)
左の鉄塔は、市民会館下に在るNTTのアンテナです。
更に左です。
右側の黒い大きな建物は、市営駐車場向かいの南町二丁目にも在った魚屋さん。ここに来ていました。
ヨコミー小さい頃、鹿折の駅近くから母と歩いてきて、そこで魚を買い、近くのバス案内所は通り過ぎ、煎餅坂を登り、河原田の通を下り、南気仙沼駅から伸びる通で曲がり、駅に向かいました。
小さい頃、歩くのは大変でした。まあ母は乗り物酔いが有り、しかもバス料金は高く、節約したかったのでしょう。
でも母の実家へ行くことが出来るので、数少ない楽しみでもありました。
真ん中の黒いお店は喫茶店。K-port (ケイポート)という小洒落た店らしいのですが、ヨコミーには尚更足が遠くなります(^_^;)
左端は、以前はエースポート前に在った「かもめ食堂」。でも、経営者は別な方。
大島や近くの方々から長く愛されていたお店でしたが、ヨコミー残念ながら縁は有りませんでした。
ヨコミーが一時割と食べたのは、直ぐ近くの「箸膳(はしぜん)」(^_^;)
その箸膳も過日市内神山で見掛けましたが、その後はどうしたのか....。
でも、「かもめ食堂」近々に行ってみましょう(^_^)v
おっと忘れていました。この角に大津波前は鰹鮪会館が在って、お金の関係だったか、漁船員さんの保険のことだったかで、その昔訪問しました。でも、しばらくご無沙汰でした。
やっと一周です。お疲れ様でしたm(_ _)m
ちょっと思い出が多くなりました(>_<)
うーん、ヨコミーもそろそろ回帰する支度をしなければならない、そんなお歳に近づいてきたのかな(^_^;)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日12月24日は朝にちょっとだけ青空が見えたものの、雲が多く、午後遅くからは小雨が降り出しました。
小さなお食事会が有り、正午に旧市立病院奥の上田中(かみたなか)に在る某所へ。
帰路、下手のお店に寄り、知り合いへ差し上げるお土産として、1500円ほどの商品を買いました。
このお店は、1000円以上買うと、地域商店会のスタンプか(と?)市内商店街連合会の福引き補助券をくれるはずでしたが、貰わなかったことに店を出てから気付き....。
再度入店するのも嫌なので、そのまま車のエンジンを掛け....(>_<)
今日はクリスマスイブでレジも忙しいのでしょうけれど、素敵な企画でお客さんを多く呼びたいんだ!!という意気込みが感じられない、残念なお店でした。
こんなんだったら、律儀に地元商店を利用することなく、その手の企画が無い外来大型商業施設の方が良かったなぁ....と反省(>_<)
12月22日、所用で市内南町へ行ったので、帰路、旧・鰹鮪(かつおまぐろ)会館前で内湾の風景を撮影してみました。
https://www.google.co.jp/maps/@38.9046197,141.5766233,18z
この辺一帯は、あの東日本大震災による大津波で多くの被害が出た所。
復旧はまだまだです。
※写真はクリックすると大きくなります。
大きな岩の上に建つのは気仙沼プラザホテル。手前の塔はホテル下の駐車場と結ぶエレベーター。
その左は鮮魚等の土産物屋さん。共に南三陸町から進出してきた企業に買収されました(>_<)
左隣です。奥の山は旧・唐桑町との境の山。麓の海岸に見えるクレーン群は、鹿折地区浪板(なみいた)の造船地帯です。
左奥の白い船はサンマ船です。
造船地帯の拡大です。
ヨコミーは鹿折育ちなので、同級生に家業が造船業の子も居ました。
写真がちょっと変です?? 真ん中の船の下を見てください。やや広い線が左右に伸びでいます。
左側は割と違和感は無いのですが、右側は溺れそうな感じ(^_^;) そして鏡面のような反射。
蜃気楼の一種、逃げ水みたいな現象でしょう。
サンマ船の拡大です。斜めに沢山突き出ているのは集魚灯です。
既に漁は終わったので、これからサンマ用の設備を下ろすのでしょう。
来年は大きなサンマを沢山水揚げしてくださいね(^_^)v
更に左隣です。
中央右の岬は五十鈴神社が在る神明崎。震災前は朱塗りの浮御堂が在りました。
中央の白っぽい小山は、防潮堤?工事用の採石でしょうか。
その左上、ちょっとだけ見える白い建物は、今年辺りで営業を終了した、老舗のホテル望洋。昔は望洋館という名で、長い間親しまれてきたのですが、残念です。
お神明さんの拡大です。いつになったら朱塗りの浮御堂が再建されるのやら(>_<)
更に左へ続きます。
湾の奥には漁船漁業会社や仕込み屋さん等がズラリと並んでいて、大津波の前は山の麓がこんなには見えませんでした。
真ん中上に見える明るい草色の屋根は、教会風の結婚式場。
右端に在るホテル望洋の左の小山は陣山。山の向こう側は、300tもの船が打ち上げられた鹿折地区。
市はこの山の上に復興祈念公園を計画していますが、ヨコミーは心配(>_<)
地元紙によれば、計画している駐車場はなんと数十台分だけとか。
この場所は狭いので、当然なのでしょうけれど、公の大きなイベントは絶対に企画しないのでしょうか。単なる都市公園ではなく、「復興祈念」公園なのですが。
市内の公共施設は、一般的に駐車場が狭いのです。
大きな催事があると、駐車場から車が溢れます。離れた駐車場からシャトルバスを出す事も有るようですが、お金が有る事業だけ。
同じ苦労を強いるのでしょうか。
一方、大津波で被災した、南気仙沼や観光地・岩井崎の手前等々は、まだまだ建物が建っていない土地が在ります。未利用地が多いとも、地元紙にありました。
そんな所ならば、公園自体は同程度としても、駐車場は何倍も広く取ることが出来ると思うのです。
このことを、知り合いの市議と話したのですが、なんか認識が足らないようで....(>_<)
新しく出来る中央公民館(浸水地に盛土して建設予定)に隣接させてもいいし、震災前に在った南運動広場も作るのでしょうから、そこに隣接させてもいいんだけれど(^_^)v
陣山の拡大です。計画されている公園へは、左奥の裏側から車は入ります。
しかし、そこに続く坂道はとても狭く、被災していない所の両脇には人家がぎっしり。普通車でもすれ違いは大変です。
バスは内湾側からは無理。鹿折側とて道は狭く、すれ違いには民家を壊して待避所を作るか拡幅するか.....。
選定理由として、一説には、この場所なら復旧が進む内湾地域と鹿折地区が一望に出来るということらしいですが、このこんもりしている林をハゲ山にしなければなりません。
見通しが良いことでここを優位とする理由なら、民家の裏ぎりぎりまで買収して伐採し、また民家脇の木についても、高さを未来永劫規制しないといけません(>_<)
なぜ自然を壊してまで、見通しを確保する必要があるのでしょうか。
ヨコミーなら浸水地の未利用地を再調整して、もちろん盛土し、そこに作ります(^_^)v
結婚式場付近の拡大です。
その下の赤い屋根に白く文字が見えるのは、「気仙沼第二保育所」。市が直営する保育所ではありませんが、興味深い名称です。
左下に見える斜面のような草地の下は、確か相沢病院があった所。
岸壁では、防潮堤工事が進められているようです。
更に左隣です。
奥にどーんと立つ建物は、魚町と入沢の災害公営住宅。
住宅の上に見える山は安波山(あんばやま、あんばさん。238m)
気仙沼地区と鹿折地区のシンボルです。
災害公営住宅の拡大です。1号棟は県道沿いの山側。小高い所に見える2号棟3号棟は、生徒数の減少で廃校となった、畠山学園の気仙沼女子高等学校跡地付近に建てられました。
震災前なら、丁度2号棟3号棟の位置に、最上階にカマボコ屋根の屋内体育館を備えた同校が在り、内湾のシンボルでもありましたのに、残念です。
それにしても、人口統計を見れば、20年30年も前から人口減少が予測出来たのに、国政は無策に近いものでしたね。
人口が減れば消費が減り、生産を少なくしなければならず、経済は小さくなります。
地方の、更に地方などは、尚更大変。まだ十分に使えたり、立派な学校まで廃校にしなければなりません(>_<)
1号棟の直ぐ右隣です。
今春に営業をやめた「亀の湯」です。右端に煙突、水色のダンプカー左上に看板が見えます。
ヨコミーが鹿折に住んでいた頃、1号棟の辺りに「はしもと菓子店」があり、夏の帰路はそこが関所。かき氷でした(^_^;)
ここの氷は歯触りが良く、何度も立ち寄りました。
ある夜に寄って食べていると、怖そうな船員さんが入ってきて、なんとかき氷を注文するのです(>_<)
そう、亀の湯の帰りでした(^_^;)
岸壁に船を泊め、亀の湯で汗を流し、更にかき氷を食べて....、幸せそうでした(*^_^*)
今はそんな姿を見ることは出来ません(>_<)
因みに、大谷に引っ越してからは、家族分のかき氷を買い、マイカーの常備品となっている発泡スチロールの箱に入れ、持ち帰ったものです。
さすがに氷で、解けることなく家族に届けられました(^_^)v
あの美味しいかき氷、亡き父とも食べたあのかき氷は、もう食べられません(T_T)
更に左隣の汽船発着所方面です。
その拡大です。昔は2階建てのレストハウスが、その後改築されて3階建てのエースポートが在りました。
大島汽船の事務所や土産物屋さん、美味しいイタリアンのレストラン、観光協会等が入ってました。
なのに大津波は.....(>_<)
正面奥右側は魚町二丁目の災害公営住宅で、左は新築された気仙沼信用金庫本店です。
汽船発着所の左手には、3階建ての市営駐車場がありました。
白く続く壁は防潮堤のようです。
中央やや左上の波形は、南町二丁目に在る災害公営住宅の大通り側に隣接する商業施設です。
更に左です。
赤いダンプカーの奥と右に見えるのは、南町一丁目の災害公営住宅です。
信号機がある交差点の左角に大きな交番が在りましたが、内陸部に移転しました。
この辺りが手薄になった気がするのはヨコミーだけ???
その交番のあちら向かいに南町消防署がありましたが、これは気仙沼駅前に移転(>_<)
赤い営業中看板の向こうには、仮設商店街が在りました。ここを去ったお店は、全てが本設のお店を持てた訳ではないようです(>_<)
左の鉄塔は、市民会館下に在るNTTのアンテナです。
更に左です。
右側の黒い大きな建物は、市営駐車場向かいの南町二丁目にも在った魚屋さん。ここに来ていました。
ヨコミー小さい頃、鹿折の駅近くから母と歩いてきて、そこで魚を買い、近くのバス案内所は通り過ぎ、煎餅坂を登り、河原田の通を下り、南気仙沼駅から伸びる通で曲がり、駅に向かいました。
小さい頃、歩くのは大変でした。まあ母は乗り物酔いが有り、しかもバス料金は高く、節約したかったのでしょう。
でも母の実家へ行くことが出来るので、数少ない楽しみでもありました。
真ん中の黒いお店は喫茶店。K-port (ケイポート)という小洒落た店らしいのですが、ヨコミーには尚更足が遠くなります(^_^;)
左端は、以前はエースポート前に在った「かもめ食堂」。でも、経営者は別な方。
大島や近くの方々から長く愛されていたお店でしたが、ヨコミー残念ながら縁は有りませんでした。
ヨコミーが一時割と食べたのは、直ぐ近くの「箸膳(はしぜん)」(^_^;)
その箸膳も過日市内神山で見掛けましたが、その後はどうしたのか....。
でも、「かもめ食堂」近々に行ってみましょう(^_^)v
おっと忘れていました。この角に大津波前は鰹鮪会館が在って、お金の関係だったか、漁船員さんの保険のことだったかで、その昔訪問しました。でも、しばらくご無沙汰でした。
やっと一周です。お疲れ様でしたm(_ _)m
ちょっと思い出が多くなりました(>_<)
うーん、ヨコミーもそろそろ回帰する支度をしなければならない、そんなお歳に近づいてきたのかな(^_^;)
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