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先行特別部分開通 三陸道 20180318 [なんでだす !!???]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。

 今日3月21日は春分の日。太陽が沈む方向を確認しようとしたら、日が暮れても曇りでした(>_<)
 午前10時から法事があり、帰宅したのは午後1時半頃。
 お寺の中ではストーブの近い所へ陣取ったのですが、それでも寒かったです。
 ましてお墓はとても寒く、風邪に1か月も付き合っている身としては大変でした。
 吹く風は凡そ北東風。オホーツク辺りの冷たい風が吹き込んでいるのでしょうか、風邪引きの身を差し引いても、とても寒く感じました。
 夕方、麓の新設交差点付近を歩いてきたのですが、今日は祝日のためか作業の準備をしている様子はありません。
 でもいつもの工事現場が見下ろせるところへ来たら、本線から下りる道の路肩に何人も集まり、何かしていました。
 場所によっては、祝日の18時を過ぎても働いているのですね。
 麓の夜間工事も、祝日のためか、夕方から降り出した雨のためか、今夜は灯りが在りません。

 さて18日(日)の夕方、地区自治会総会からの帰路、その交差点の前を通ったら、通行止めが解除されているみたいでしたので、付近に車を停め、歩いてきました。
  ※写真はクリックするとちょっと大きくなります。

201803181723 従来 w800 P1210208.jpg
 ヨコミーなど風の丘の住人20戸程は、皆、畳められた緑の照明器具が置かれている上り口から、左に見える坂を登ります。
 あの小さな交差点で、国道へ右折や左折をして、毎日暮らしてきました。
 なのに、今ヨコミーが立っている所にインターへ通じる交差点が出来、向こう側から来る車がインターへ入る右折レーンも出来るため、風の丘の諸車が右折するにはその右折レーンを跨ぐこととなり、危険なので右折を禁止するとのこと(>_<)
 それでも開通は25日であり、車線のラインも引いていないし、その日からの右折禁止だべなぁ....と思っていたら、撮影の翌夜に周知もせずに無断でセンターポールを立て、20日朝から地域住民や域外からやってくる方々を迷わせました(>_<)
 ここの坂から右折で出る行為、ここの坂へ右折で入る行為は禁止なのです。
 そう、何事も「右折禁止」(>_<)
 市街地方向(写真の向こう側)へ勤めている方なら、朝は左折で出て、帰宅はここを通り過ぎ、2つも行った交差点からグニャグニャと曲がって、この坂の下へようやく着きます。

201803181723 従来 w800 P1210209.jpg
 その代替迂回路が、赤ブーの後ろに続くまだ工事中の道(>_<) 

201803181723 アンダー w800 P1210210.jpg
 迂回路はテニスコートの角で曲がります。そして階段状に見える擁壁の所で左折して、インターへの取付道を潜ります。
 今気付いたのですが、この取付道は被災した工場の基礎より低い感じがします。
 下手の浜には、防潮堤の計画は有りません。だからといって国道をより高くした風でもありません。
 以前国道の歩道工事を見たら、縁石の位置から20cmは高くなったかなぁ...。
 「命を守る三陸道」みたいなキャッチフレーズで進められている割には、甘いです。

 このテニスコートは、元々は一段上の敷地に建っていた繊維工場の所有。輸入品に押されたためかここを撤退し、その後電子部品組立工場が稼働していました。
 その工場も東日本大震災による大津波で浸水し、解体。
 その後仮設の資材倉庫が建っていましたが、需要が落ち着いたのか、それも撤去。

201803181723 アンダー広く w800 P1210211.jpg
 交差点のインター側です。
 昨日20日、老母(ヨコミー語では「ろうはは」と読みます)を乗せて墓参へ行こうとあの坂を下り、小さな交差点から仙台方面へ右折しようとしたら、なんと周知も無しに右折禁止のセンターポールが立っていて、うーん、やられたぁ(>_<)
 でも、迂回路は見ての通り、正に工事中といった感じ。通っていいの??
 なので黄色い旗の辺りに居た作業員に声を掛けたのですが、誰も見向きもしません。
 何人も居たのにね。みんな耳が聞こえない人だけ雇っているのかな?? もちろん、誘導員も居ません。一帯の様子を見守るお方も居らず、不思議な現場(>_<)
 こんな方々を、とっつかまえてお聞きしても残念な結果となりそうなので、仕方無く未整備の道を進み、インター取付道の下を潜りました。

201803181724 交差点西方向 w800 P1210213.jpg
 時間は戻って18日夕方。交差点から仙台方向です。
 信号機はまだ稼働していませんが、インターへの道は解放されているようです(^_^)v
 もちろん、誘導員も居ません。

201803181724 インター側 w800 P1210215.jpg
 これは、「行ってみなはれ」という神の啓示か御仏の思し召しと、有り難く足を進めました(^_^)v 
 短い距離なのに、なぜか曲がっています。

201803181727 新交差点取付道~ W800 P1210235.jpg
 お得意の、ちょっと振り返っての撮影。ねっ、規制は無いでしょう(^_^)v
 工事が終わったようで誘導員も居ないし、侵入を拒む鉄柵も在りません(*^_^*)

201803181727 ゲート h800 P1210232.jpg
 ほらゲートだってオープン。黒色と黄色のポールが上がっています(^_^)v

201803181725 新交差点 w800 P1210226.jpg
 もう少し進んで振り返っての撮影。
 国道の向こう、左上の小山には4軒在って、深夜の騒音が大変だったでしょう(>_<)

201803181725 東側 w800 P1210227.jpg
 先程の迂回路ですが、赤ブーの右を緩く下り、テニスコート角で曲がり、テニスコートとこの道路の法面に挟まれて、丁度この辺りで、ここの下を潜ります。

201803181725 交差点西側 w800 P1210225.jpg
 この道路の下を潜ると写真右下に出、右奥の沢伝いに通る市道に接続されます。
 ただこの道は、インターから更に仙台方向の高速道路工事が進められていて、大型ダンプカー等工事車両の通行が多いのです。
 更には、この市道が国道に接続する交差点は、右上に見える山手に住む住民も利用しています。
 ここは、交差点右側(仙台側)の見通しが悪く、以前から危険だといわれていた所なのに、なんで更に車両を集中させるのでしょうかねぇ。
 見で、分がんねんだべがや....(>_<)
 この交差点、以前自治会で警察に照会したところ、新設交差点が近いから信号機設置はダメと言われたと(>_<)
 ご通行中の皆様の利便を図るため、風の丘の住民は不便を被り、危険に晒されます(>_<)
 地域でこんな不便を作ってくれと誘致したとは聞きませんし、自身もやっていません。決めたのはラストエンペラーならぬ最後の町長さんでしょうか?
 それとも合併後の気仙沼市? やはり国交省が勝手に決めた???
 なんでだす!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 まあ時間も時間なんで、そろそろ戻ります(^_^;)

201803181728 歩道シニアカー w800 P1210237.jpg
 交差点の歩道切り替え工事です。
 どうしてマンホールで狭くなるように、仮設の歩道を確保するのでしょうか? 不思議です。
 まあ子ども達なら、そんな危険な箇所も遊び場の内でしょうけれど(^_^;)
 ヨコミーが設計者なら、マンホールを右か左に寄せます(^_^)v
 でも、こんな下手な設計図を与えられてしまったヨコミー工事業者なら、左の溝を埋めて、仮設の歩道を広くします(^_^)v この溝は、既に終わった左端のコンクリート工事の為だべがら。
 なぜヨコミーがそこまで気にするのかといえば、ヨコミー、胸が痛いのです。
 そう、もっと早く気がつくべきでした(>_<)
 この歩道、電動シニアカーに乗った御老人が通っている道でした(>_<)
 電動シニアカーは、歩道を走るべき車です。
 その御老人、右上の小山に居るらしく、時折見掛けます。いつか、漁協の辺りを走っていたとき、偶然に撮影し、このブログにも小さく載った方です。
 あちらから進んで来て、ここに至ったとき、乗り物の転回は出来ず、苦労してバックし、あの奥の危険な交差点へ辿り着き、そこから更に危険な車道を通って来ているのでしょうね(>_<)
 設計者は知らねべねぇ。工事業者は、見ないのがねぇ。
 ヨコミー、もっと早く気付いて、関係機関に御注進するのでした(>_<)

 それにしてもこの国道、あの大津波が越えたのです。なのに以前とほぼ変わらない高さ。
 下の浜に巨大防潮堤の計画は聞きませんし、そのスペースも無いような。
 「命を守る三陸道」のキャッチフレーズが本当なら、国道への接続部だって大切なはず。
 ここが大津波にやられては、救援物資を下ろすことが出来ません(>_<)
 なんでもう2m3mも高くしないんだろう。そのために道の裾が広がっても、立ち退く家はもう無いのに(>_<)
 防災という面では、なんか調整がとられていない感じ。
 ほんと、なんでだす!!!!! と、ちょっと力が抜けました(>_<)
 なんだべねぇ......。

 あっ、お約束を忘れていました(>_<) すみませんm(_ _)m
 20日午後にヨコミーと老母がちょっと苦労して墓参へ出掛けた直後、ヨコミー奥方の仮名・おリュウさんが留守番しているヨコミー家へ、カズエ叔母さんが尋ねてきました。
 カズエ叔母さんは気仙沼市街地方向から来るので、登り口の小さな交差点をいつも右折して入ってきます。
 ところが、右折の制限を風の丘の住民のみならず、何処にも周知していなかったため、カズエ叔母さんは変だなぁと思いながらも少し進み、そうしたら新しく立派な交差点が出来た ! とばかりに喜んで右折して進んで行ったら、いつにまにか高速道路の本線に入ってしまったと、おリュウさんに助けを求める電話があったと(^_^;)
 カズエ叔母さんは初めて間違ったことに気付き、本線上で車を回し、今来た道を逆走してヨコミー家に来たそうな(^_^)v
 今日お昼を叔母さんとご一緒したら、そのとき本線上では何人も工事関係者が居たけど、誰も飛んでこなかったと。もちろん誘導員も居なかったと。
 それにしてもその少し前の時間には、交差点付近では私の声に反応しない作業員が何人も居たはず。
 あそこに現場代理人や副が居れば、関係者以外の車が進入して行ったぞと、本線の現場に連絡し、もっと早くカズエ叔母さんをご指導出来たはずでしたが。
 会検様、現場代理人や副が居ない公共工事の現場って在るのでしょうか???
 お役所様、工事現場の入口に誘導員を置かない工事って、あるのでしょうか??
 んんん??? やっぱり先行特別部分開通だったのでしょうね(^_^;) きっと(^_^)v

 ズキン! うーん、また偏頭痛(>_<) 熱が出てきたようです。今日のお墓はとても冷えました。寝ます(^_^;)
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もも

ヨコミーさま
こんばんわ、ももで~す。
なんだか、いちゃもん探しお疲れ様です!
みなさん、それぞれの立場で一所懸命頑張っていらっしゃるのですよ。
by もも (2018-03-22 21:49) 

yokomi

 こんにちは、ももさん。ありがとうございます。
 残念ながら、いちゃもん探しではありません(*^_^*)
 先程通った1つ北側のインター前では、進入禁止の鉄柵があり、誘導員らしき人が立っていました。これなら、カズエ叔母さんのように間違って高速道に入ってしまう事も無いでしょう(^_^)v
 迂回路も整備しないでサッサと右折禁止としたものですから、先程も近所の方が小さな交差点で、工事関係者に話をしていました。多分、苦情。帰宅したら、ヨコミー奥様も近所の奥さんに苦情を言われた...と話していました。そう、我が家は班長さん(^_^;) 警察のご指導もあり、この現状を既に会長さんへお伝えし、地域としてお役所へ改善をお願いする予定です。
 ももさん、これは工事業者だけの問題じゃ無く、発注するお役所の問題でもあります。
 それぞれ一生懸命になされているのでしょうけれど、綻びが出来たなら繕う、焦ってきたなら時間を作る....。
 現場の様子をしっかり把握しないで3月25日開通なんて発表したのかもしれませんが、そこは工期延長も含めて柔軟に考えて欲しいなと思ったのでした。
 現場管理、進行管理、フィードバック等々、とても大切ですよね。まあ、ももさんとこはももさんとこで、頑張ってね(^_^)v
by yokomi (2018-03-23 13:09) 

もも

よこみーさま
こんばんわ、ももで~す。
役所も業者も人間も、時間も予算も人出も全く足りてないのだと思います。復興道路なので役所は政治的にも先に期間と予算を決めます。
あとはそこに向かってまっしぐら!
業者はとにかく期間内に決めないといけなくなり、元受は現場の管理や書類作成で手一杯、切羽詰ってくると下請けやらが休日も返上で残業もいとわず働かされます。
誘導員は派遣会社の人が足りずに現場に配置できません。手配しようにもどこの会社からも断らrます。年間を通して毎日決まった人数ならば確保できるでしょうけど、明日から何人増員とかはムリな話です。しかも賃金が高騰し、役所の単価を上回る逆ザヤ状態。
その誘導員も過酷な労働で、一日中交代要員もなく暑さ寒さも雨の日でも立ち続け、ドライバーとか業者に罵倒され苛められ…かわいそうです。いわゆるブラック業種になっています。役所でも業者でも解決しません。そういう社会になっています。毎日毎日、その日のノルマを達成できるかどうか?綻びても繕う余裕なんてありません。工期延期なんて無理な話です。何がなんでもやらなければいけないのです。開通式でお偉いさんが来るのにできませんでしたでは、誰が責任をとるのでしょうか?
その右折禁止のポールなんたらとかガードレールだとか下請け業者の作業になりますが、資材も発注してから納入時期が数か月とか、にもかかわらず現場の状況が変化して資材の規格や仕様・数量がなかなか決定しなくて結果遅れてしまうこともあります。
専門業者も引っ張りだこで、作業はこの日でと予定しても立て込んでくると天気の関係とかもあり予定通りにはいかず、逆にこの日以外は空いてないって決められてしまうと他に不都合があったとしても、その機会を逃すともう来てくれないか、また何十日後にとかになったりします。そんなこんなで住民への周知とかが遅れてしまうということもあったのかもしれません。
とにかく、現場は大変なんだということを知っていただきたいと思います。近隣住民の側からいえば理由にもならないでしょうけどね。 
どうも申し訳ありませんです。
                   
by もも (2018-03-23 20:20) 

yokomi

 なんとももさん、重ねてありがとうございます(^_^)v
 誘導員の人手不足は、ヨコミーも聞きました。宮城での不足を山形からでまかない、山形が不足になったので新潟から引っ張ってきて、おかげでこっちは人手不足だと、新潟の知り合い(工事屋さん勤務)が嘆いていました。実はヨコミーの長男は岩手で誘導員をやっていて、時折東京出張があるのだとか。まあ人の手配がつかない所へ助っ人に行くのでしょう。本人は都会の空気が吸えるので、まんざらでも無いようですが(>_<)
 ほーんと、「復興道路」だなんて、どなたが名付けたのでしょうかね。本当に早期の復興を願うのなら、この道路、今までの復旧工事には、少なくても気仙沼では役立っていないし、逆にオリンピック関連工事も含め、工事業者、作業員、資材等の奪い合いになり、以前も触れたように、気仙沼市では当初の2.5倍に膨らんでしまった公共工事があります(>_<) 真に早期復旧復興を願うのなら、少なくてもオリンピックは4年8年先延ばしし、高速道路工事も中断し、そこで確保できる工事業者、作業員、資材等を、まだなお復旧できないでいる浸水地へ投入して欲しいと思うのです。
 あっ、ももさん、ブログやっていましたよね。再開しましたか? そんなももさんの目で、いろいろと書いて頂ければ、今の公共工事の問題点が、多少なりとも浮かび上がってくるのでは....。中断中なら再開を頑張って(^_^)v 再開したなら別便でアドレスをこっそり教えて(^_^;)
by yokomi (2018-03-24 00:16) 

もも

ヨコミーさま
こんばんわ、ももで~す。
あらま、そちらの身内でも影響があるのですね~
お疲れ様です!

ま~ワタシに言わせればですが・・・
震災(津波)復興なんてものは、巨大な堤防なんて全く不用だと思います。津波が来たら逃げればいいし、逃げられない人間の被災は享受すればいい。そもそも、自然災害なんてものはそういうものだと割り切る。
だから、津波をかぶった地域はそのまま元に戻しておしまい。
津波に逢いたくない人は自由に高台に移ればいい。
(ま~金銭的な補助は必要かもですけど)

そもそも、地震も津波も災害ではなくて、単なる自然現象。
人間にとって困る状況になる現象だから災害と呼ぶのであって~
風が吹くとか雨が降るのと同じこと。
昔から生活してきた自然の地形やそこからの恵みだって、
そういう自然現象を経て成り立ってきたわけです。
恵みを享受し、ときに起きる自然の荒波には逆らわずに逃げるか耐えるか?どっちもダメなら死ねしかない。
それでいいんじゃないのかなと思っております~

津波からの復興も原発事故からの復興も、いつの間にか金をばらまくバカとそれに群がる亡者の構図でしかありません。
もちろん、それを許してるのは主権であるはずの国民がバカだからなのですね。



by もも (2018-03-24 01:15) 

yokomi

 こんにちは、ももさん。毎度ありがとうございます。
 最後の部分にだけ座布団1枚。残りはマイナス(^_^;)
 そもそも大きな文明は、アンデスを除き平地に。洪水の被害もあったようです。まあももさんちは山地なので洪水の心配は無いでしょうけど(^_^)v
 三陸沿岸の浜には漁村が発達してきましたが、平地が少なく、ヨコミーが以前住んでいた所、つまり鹿折地区の、大津波で打ち上げられた300tの船より海へ150mも近い、大潮には側溝に海水が逆流する所でも稲作が行われ、人が住み、魚関連の工業商業が行われてきました。
 なのに、「津波をかぶった地域はそのまま元に戻しておしまい」とは、お話の前後からして、元在った人家や企業活動の建物を建てて元に戻す...ではなく、更地にして終わり...ということと思います。
 そうでなくても疲弊している当地の産業は、それでは成り立たなくなります。魚市場からの距離、物流等を考慮すれば、狭い浸水地を嵩上げし、防潮堤を作り、利用せざるを得ないのです(>_<) まあ、そんなとこ。
 なので座布団はマイナス沢山(^_^)v

by yokomi (2018-03-24 17:29) 

もも

ヨコミーさま
こんばんわ、ももで~す。
もちろん、更地じゃなくてです。
震災以前、数百年も海と近い生活をしていたわけで。
過去の津波も経験し、それでも山に逃げずに生活してきたわけです。
いや、逃げられない生活でもあったはずですね。
津波の被災という一点からすれば、絶対に津波が届かない高い土地に住めばいいだけですが、そうはしてこなかった歴史があります。
その津波の脅威はあるけれども、海に近く豊かな恵みを享受しつつ。
そうやって生きてきたわけで。
これからもそれで良かったんじゃあなかったのかな?と思うわけです。
三陸沿岸のあの海岸やそこで生活している人々の姿があっての
復興なんじゃないのかな~
肉親や知人を津波で失った人々の感情は置いておいての勝手な話ではありますけど、そんなふうに思っているのです。


by もも (2018-03-24 19:17) 

yokomi

 こんにちは、ももさん。毎度ありがとうございます(^_^)v
 更地じゃなくて、ちょっぴり安心しましたよ(*^_^*)

by yokomi (2018-03-26 14:26) 

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