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市内魚市場前から 気仙沼の今 20210412 [東日本大震災]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。
 今日6月30日は前夜から暫く振りの晴れ間が続いています。湿気は多少有りますが、吹き込む海風が涼しく、まだなんとか暮らせます。
 先週末を挟んで4日間、仲間と小さな写真展を開催しました。準備も大変でしたが、予想通り来客は少なく、残ったのはストレスと疲れのみ(>_<) まあ、次回の秋も大変ですね(^_^;)
 さて、撮影したもののちょっと見失っていた写真をようやく見つけました(^_^;) 4月12日、所用で行った旧・河北ビルで許可を得て高い所に登る機会を得、東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼魚市場付近を撮っていたのですが...(>_<)
 今回のタイトルに「今」の文字は有りますが、特に道路工事などは日々進んでいて、そんな状況を知っている市内の方には「『今』でねえべ...」と思われる方も居るかもしれませんが、そんな工事を除けば、まあまだ「今」なので以下に紹介します。
 写真はクリックすると大きくなります。

202104121445 中公西南西 w1280 DSC_1549.jpg
 旧・河北ビル屋上から西南西方向をパチリ。位置は気仙沼魚市場の凡そ西。気仙沼市役所前の小山が凡そ南東に延びています。気仙沼小学校・中学校を経て市民会館辺りから半島状とか丘状に延びていて、字名も「南が丘」。その南東端辺りがこの右手。先端は後述の、写真枠外、手前左。
 右下には人しか通れない階段があり、東日本大震災による大津波では多くの人々が登って難を逃れました。それが道路拡幅の影響で今まで右側から登っていたのを、今度は左から登るようにしたようです。
 南が丘の左右を見れば結構な崖ですね。大昔は波に洗われていたのでしょうか。いつか詳しい方から伺いし、勉強します(^_^;)
 左は幸町の災害公営住宅です。この辺りは震災直後マリリンさんから写真を頂いていて、変化を載せたいと思っていたのですが、同じようなアングルから撮れず、今に至っています(>_<)
 左端の道は国道45号気仙沼バイパスの上田中交差点に至ります。
 蛇足程度に山の紹介です。中央奥が手長山。住宅の上が市民の森、住宅左肩に近い峰がヤマツツジが群生する徳仙丈山。左端が愛宕山。

20210628グーグルマップ.jpg
 という訳で、参考までにグーグルマップから拝借。すみませんが拡大縮小は各自ネットでお願いしますm(_ _)m

202104121445 中公西北西 w1280 DSC_1550.jpg
 右隣です。凡そ西北西です。左の丘の上は南が丘で、その右下が昔は河原田大通りとも呼ばれていた河原田一丁目(通りの右手)と二丁目(同左手。中央)。奥の鉄塔が有る建物はNTT。ここまで大津波が登ってきました。震災後は被災した法務局も入って居ます。右上の白い建物は裁判所。
 大通りは奥の上から右下に延びていましたが、緊急避難路も兼ねさせたいのか(そうじゃなくても良いのですが)、途中から右手に延びていた小さな横丁みたいな通りが今では立派な道に(^_^;) 道路工事による単なる迂回路...だけじゃないみたいに立派(^_^;) 
 でも、旧横丁通り(ヨコミー勝手に命名。高校生から通っていた通り)は魚市場北桟橋や港町の出漁岸壁に繋がっていて緊急時には多くの車両が通るだろうし、河原田大通り下手の先は魚市場や関連会社等に繋がっているので、こちらの交通量も多いはず。なので、万が一の避難時、写真中央やや右上の交差点は大渋滞になろうかと。 
 行政によれば避難は徒歩で...と呼びかけていますが、①避難生活が長く続くと思えば車で色々と持って行きたいし、②会社や通勤に使っている車はより高い所に避難させたいのが人情。①と②は東日本大震災で実際に有りました(>_<) 大通りの上の方を4車線にでもするなら納得ですが、万が一は警官が交差点に立ち、反対車線を逆走させるのかな?(^_^;)

202104121445 えぬTT w1024 DSC_1551.jpg
 NTTビルを中心とした拡大です。鉄塔の真後ろになっている建物は気仙沼市図書館。その並びの左中程に気仙沼中学校の屋体、少し離れて左端まで白く角張った建物が市民会館です。
それにしても左下、南が丘の崖が凄いです。そして立て込んでいるので、自宅前まで車が入れない家が何軒も有ります。震災前の河原田も建て込んでいましたが、今はこんな感じ。
 鉄塔直ぐ右の山は岩手県一関市室根町の室根山895m。右上の山は安波山(あんばさん。あんばやま)238m。

202104121445 中公北 w1280 DSC_1552.jpg
 右続きです。左の山が安波山。その右隣はホテル観洋。その右下は魚の冷凍倉庫。冷蔵?? その右端の真上は気仙沼プラザホテル。ちょっと離れて右端の茶色い建物は鮮魚や土産物、飲食店、観光協会が入った海の市。その直ぐ裏の薄い青色の建物は気仙沼魚市場北桟橋の西端。
 中程を左右に走るのが震災前は狭い横丁だった道。左下は河原田大通りの下手。手前の角には薬屋が、その左、黄色いボディと青緑色のアームを持つ重機が有る辺りには、避難所でお世話になったスーさん班長んちの酒屋も有りましたのに....(>_<)

202104121449 安波山 w1024 DSC_1568.jpg
 安波山(右奥)の拡大です。左中程、薄く左右に延びるのが駐車場のガードレール。近年中腹まで車で上れるようになりましたが、木々が伸びて折角の景観が狭まりました(>_<) 
 右端がホテル観洋。中央やや右に有るとんがり屋根が未チェックでした(>_<) この辺りも建て込んでいて、自宅に車を着けられない家が多いです。

202104121446 中公北北東 w1280 DSC_1553.jpg
 右続きの北北東方向です。左上端がプラザホテル、奥の山手前が、大津波で300tもの船が打ち上げられた鹿折地区で右上の山まで同地区です。真ん中上の茶色いのが海の市。その直ぐ左後ろから裏を通ってかまぼこ屋根や四阿辺りが魚市場北桟橋。そして右端に見える白い魚市場の建物に気仙沼漁協の出先が入って居たのですが、震災後の近年、漁協が全て魚市場2階南側に入ったので、今はどう配置になっているか...。
 中央の、今は駐車場になっている交差点角には、震災前、信金の内の脇支店が有りました。それが今年になってようやく、これより500m南の仲町二丁目に再建されました。
 ABCで描いた「UMIICHI」看板の上に小さくレンガ色が見えますが、地元の旧・畠山学園が建てた東陵高校。今は愛知?かの法人が経営。右上かまぼこ屋根の奥右隣は鹿折地区浪板の防災集団移転の団地です。

202104121449 鹿折方面 w1920 DSC_1570.jpg
 鹿折方面の拡大です。左端がプラザホテルで右の青緑色のとんがった建物はチャペル。その上、白色のトゲみたいなものが建っていますが、気仙沼地区と鹿折地区の境・陣山山頂に近年開設された震災復興祈念公園のシンボル。上の方が少し曲がっていて簡略化した観音像にも見えます。これとは別に市が今流行のクラウドファンディングでお金を集め、人型のオブジェを作る...とのことで、慰霊の場に人型のオブジェとは怖い....という反対意見も有ったのですが、市は聞き入れず、その後どうなったか、要調査です。出資者はそんな意見を知らされていたのか否か...。
 JFとカメイの看板は凡そプラザホテルの距離で、中央の船はコの字型岸壁といって鹿折地区から土埃を舞上げて埋め立てしたものの完成したら気仙沼地区となり、鹿折地区出身のヨコミーはカンカン(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
 鹿折地区で目立つのは鹿折南災害公営住宅の群。個人的な驚きは、右手の山々が結構右手(南)寄りだということ。この山は陣山裏手から3kmほど北上し、東北東に登った先にあるはず。望遠レンズによる圧縮効果なのでしょうか。
 右下の茶色は海の市。かまぼこ屋根とちょいと変わった屋根2つは魚市場屋上の四阿。カメイの通りから登ることが出来ます。1つ上の写真をまた見てください。右端のレンガ色は東陵高校。
 それにしても手前の縁が邪魔でしたね。なにせ鍵持ちさんの目が早くしろーっと言っているようで...(^_^;)

202104121449 浪板防集 w1024 DSC_1569.jpg
 左は浪板の防災集団移転団地方面の拡大です。中央に小さく灰色で箱状のモノが見えるのですが、上水道の施設かも。そこから緩く右上に小さな建物が並んでいますが、農作業小屋? 並びの右端は畜舎? 太陽光発電? ヨコミー鹿折地区にはン十年も住んでいましたが、足が伸びない所でした(>_<) 要調査(^_^;)
 右下に海が見えますが、震災前はそこからほんのちょっと高い所が県道でした。今では左下に見える四阿上端に載っている小さな屋根に重なる所が付け替えられた県道で、南(右手)は大島大橋へ至ります。

202104121446 中公東北東 w1280 DSC_1554.jpg
 右続きです。魚市場が右端まで続いています。手前一体に人家や事業所が広がっていたのですが...(>_<) ヨコミー遠縁もこの辺りで加工屋を営んでいたのですが、跡形も無く...(>_<) 
 地酒看板右に見えるのは「みしおね横丁」。インドネシア料理やお風呂も有ったはず。来市の際はご利用をm(_ _)m
 同看板奥の左右に見えるのは大浦防災集団移転の団地。左の下には震災後の造船団地へ加わらなかった造船所が見えます。 

202104121448 鹿折大浦防災集団移転団地 w1024 DSC_1566.jpg
 大浦防災集団移転団地方向の拡大です。船の上端をかすめるように左右に細い黒線が延びていますが、新しい県道のガードレールです。魚市場の屋上は駐車場でもあります。

202104121446 中公南東 w1280 DSC_1556.jpg
 更に右続きです。真ん中奥は大島の亀山。朝ドラでは大島が亀島となっています。で、大島の辺りで左右に白く伸びている線は三陸道の気仙沼湾横断橋。手前はまばら。昔のようにギシッと埋まることは無いでしょうね。

202104121447 大島拡大 w1024 DSC_1565.jpg
 大島方面の拡大です。横断橋右側の主塔右下に大島大橋が見えます。中央左の気仙沼パークホテル、そして左下の建物は震災前から有ったのですが、このように残った建物は浸水部分を改修して使っているようです。ただ土地の嵩上げが有ったため1階部分が窮屈となり、以前の2階へ出入り口を移して使っているようです。この今の足下も周りの道路が嵩上げされるので、1階部分はどうなることやら。まあ1階の天井は高めなのですが。

202104121447 中公南南東 w1280 DSC_1557.jpg
 更に右続きです。奥の薄緑色をした建物の辺りに、震災当時中央公民館が有りました。当時の東京都猪瀬直樹副知事が指令を出した救出劇の現場。この辺り、10年経ってもこんな感じ。いろんな建物が密集していましたのに...(>_<) 
 手前のちょっとした台地に建つ家々は3戸有ったようで、海側の1戸がここでの生活を諦めました。ここはまた別角度で下に出てきます(^_^;)

202104121445 河北ビル南側 w1280 DSC_1546.jpg
 中央が残った2戸です。上の写真ではちょっとだけ高いように見えますが、右下の車と比べると4~5mは高いかと。もう少し高い気もしますが、駐車場は以前より嵩上げしたものの、ヨコミー足下の建物は、1階部分がちょっと高めですが嵩上げ前の土地に建てた鉄筋コンクリート3階建て。その屋上。
 で、この台地は写真右手前が南が丘方向に...。つまり南が丘の、丘の先端がここじゃないかと推測。丘をちょっと削って南気仙沼駅から真っ直ぐな道路を作った...かな(^_^;) やはりいつか、地質の大先生にお伺いするようです(^_^)v

202104121447 中公南南西 w1280 DSC_1558.jpg
 1つ前の右続きです。凡そ南南西方向。中央上がドラッグストア、その真ん中直ぐ向こうは再建された信金内ノ脇支店かと。その左はチェーン?フランチャイズ?の書店。右のチョコレート色をした建物は再建されたお菓子屋さん。
 ドラッグストアの右隣は仲町郵便局。震災まで魚市場間近に有った気仙沼魚市場前郵便局が被災して長いこと休止していましたが、5月に移転し、名称を改めての再開です。この建物、近年建築直後からうどん屋さんが少し前まで営業していたのですが、儲からなくなったのか、ヨコミーが食べに行く前に撤退(>_<) 1年もやっていた?????
 右上は内ノ脇と奥で川向かいに建つ南郷の各災害公営住宅が重なって見えています。

202104121445 中公南西 w1280 DSC_1548.jpg
 更に右隣。右手に幸町の災害公営住宅が見え、ようやく1周(^_^;) 大変お疲れ様でしたm(_ _)m
 先程の災害公営住宅ですが、真ん中上「ツルハ」の看板に重なっているのが、大川川向かいに有る南郷の災害公営住宅(3棟有る内の1つ)。その左、真ん中と左端が大川手前に建つ内ノ脇災害公営住宅です。2棟とも縦に白い筋が見えます。この辺りも隙間無く建ち並んでいたのですが...(>_<)

 よーく、建ち並んだ災害公営住宅を見て、「復興しましたね!」と言う人と出会います。勿論市外の人。災害公営住宅や防災集団移転の団地が出来れば復興なのでしょうか。心の底では苛つきを感じます。「復興」という文字を広辞苑等で調べてから「復興」という言葉を使って欲しい。
 といってこの辺が従来のように建物で埋め尽くされることは無い....とは思います。確か規制も有ったかと。それにしても10年です。 
 そして震災を契機に市外へ行った市民がまだ戻っていない...。OHNO-YOU夫妻も、QPO夫妻も、寮母夫妻も、運転手のタカ夫妻も、酒好きイ夫妻も、富熊夫妻も(>_<) 市の人口は震災を境に大きく減りました。
 唯一、いや二つか、建設業界と飲食業界は一時復興したと言えたのでしょうけれど、ピークが過ぎた今、遠縁の建設屋は出稼ぎに。コロナも有って飲食店は閉める所も出ています。
 前政権時、米中貿易摩擦やコロナまでは長い好景気が続いた...と自画自賛したような政府発表が有っても、統計の原材料をいじくったようでも有り、大本営発表だったのでしょうね、当地には好景気の臭いも無かったかと。建設業界と飲食業界を除く(^_^;)
 この3月で10年が経ちました。でも、こんな現状。次の10年で100%の「復旧」を超えられるのでしょうか。少子高齢化、人口減等々も絡み、被災地の前途はまだまだ大変かと(>_<)  我も微力ながら、100%を超える為に役に立ちたいと思います。微力(^_^;)

 先程、ヨコミー奥様のおリュウさんが「明日は早く起きてね!」と文字上は優しく呼びかけたのですが、イントネーションは超怖っ!! (>_<) 明日は早く起きなきゃ(^_^;)
 おしまいm(_ _)m

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青い森のヨッチン

新幹線の新青森駅前よりも開発(復興)が進んでいる感じです。

by 青い森のヨッチン (2021-07-01 08:44) 

yokomi

 こんにちは、青い森のヨッチンさん。ありがとうございますm(_ _)m
 えっ、そうなんですか??? すみません、新青森駅は通過の1往復だけでした(^_^;) グーグルマップで見ると確かに隙間は有りますが、まだまだ期待出来る地域かと。今後は通過客をどこかの国の大統領みたく「爆弾だぁ」と嘘を言って下ろし、強制的に観光させて下さい( ̄▽ ̄) 
by yokomi (2021-07-01 11:07) 

わたし

仕方ない事だけれど、いろいろ思い出のある地が、まったく違う町になっていく様は、つらいでしょうね。
災害のない我が地域でも、どんどん思い出深いところが新しく個性のないようなものに変わっていくのは残念に思います。
by わたし (2021-07-04 09:04) 

yokomi

 こんにちは、 わたしさん。ありがとうございますm(_ _)m
 ほんと、仕方ないことですが、以前の姿を再現して!!といっても出来るものでもないし...。震災前から長期低落傾向にありましたが、更に落ち込まないよう、「復興」といえる日が来ることを信じて、少しずつ上を目指したいですね(^_^)v 震災前に公営住宅から抜け出して新築したものの、間もなく大津波でやられ、それでも漸く以前の場所近くに小さな自宅を再建した、昔なじみのオネエ様と昨日、そんな話をしました。頑張んべ(^_^)v
by yokomi (2021-07-05 13:54) 

かんかん

いつも拝見してます、今回私の住んでいたとこが載ったのでコメントしました!1枚目、階段の付け替え工事が進んでますが、あのコンクリートの足場のあたりに「ささや」という旅館がありました。震災前に引っ越されましたが・・下から2枚目の3軒あってなくなったお宅は大谷のほうに引っ越されたとか・・・西風坂(ならいさか)と呼ばれた急坂で屋号にもなってましたが、ささやの崖とつながっていた説、興味深いです。ちなみに明治には南が丘へ登れた模様です(写真有)個人情報ばかりですみませんmm
by かんかん (2021-07-07 19:42) 

yokomi

 こんにちは、かんかんさん。ありがとうございますm(_ _)
 うわぁ、気仙沼に住んで居られるか、既に市外へ行かれた方でしょうか。市内でこのアドレスをお知らせしたのは1人だけ。市内では内緒の、無名のブログです。なので嬉しいです(^_^)v
 さて諸々ありがとうございます。元々鹿折の下町育ちなので、就職前の時代は詳しくはないのです。南映の裏手から一景島方面は就職してからも(>_<) 母がまだ若い頃、河原田一丁目途中の親戚宅へ何度か行きましたが、その後途絶え...。バスに弱い母、実家が小泉なので、内湾の磯屋支店から魚を買って河原田を下り、南駅から漸くJRに乗ったものです。高校生に成って港町の横丁通りにあった千葉無線へも通いました。南映(^_^;) 魚市場前に居た遠縁とは距離も遠くなりましたが、いつか会った機会に更に仕入れてみます(^_^;) あそこを撮れ!というリクエストも歓迎です(^_^)v
 
by yokomi (2021-07-08 12:31) 

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