潮風に吹かれて 気仙沼市魚市場屋上 20240529 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
もう6月も11日になってしまいました。月日だけが順調に流れて行きます(>_<)
懸案はなかなか上手く進まず、それでも来週には形を作らねば成りません。プレッシャー(^_^;)
3月から5月は、お金に成らない各種団体の総会が有り、気休めも兼ねて5月29日、気仙沼市魚市場の会議室等をお借りして開催される会議のお手伝いに行ってきました。
カメラ爺のヨコミーなのでいつもカメラは持参ですが、大きめなカメラを持っていると、知らない出席者からは報道関係者と間違われるので、このときはコンパクトカメラです。一部会議室のガラス窓越しに撮ったコマも有り、画質が多少悪いかも知れません。ご容赦を。
魚市場は13年前の東日本大震災時、大津波が何度も何度も押し寄せ、3階や屋上駐車場で何人もの人が避難し、一夜を明かしました。でも、湾内に流れ込む重油に火が付き、生きた心地がしなかったと聞きます(>_<)
写真は業務(^_^;)の都合や建物の重なりを避けるため屋上を数十m移動して撮影したモノも有ります。なので、奥と手前で多少のズレも有りますので悪しからずm(_ _)m
取り敢えず目立つ写真として、屋上駐車場から北北西方向をやや拡大してパチリ(^_^;)
右端は震災後まで何とか営業していたホテル望洋。以前は望洋館という老舗でしたが、外来資本の手に渡った設備の良いホテルには劣り、客足が少なくなっていました。港が見える大浴場は素敵でしたが、建物が古く、エレベーターの小ささがネックだったかも。
左上に見える屋根が明るい緑色の建物は、港が見える結婚式場。直ぐ下に有る横長の建物は「第二保育所」。お寺さんが経営する認可保育所でしたが、少子化と、既存保育所近隣の子供までトロール漁船のように連れ去って行く「(他社の)園バス」によってか、来春、長い歴史を閉じます(T_T)
望遠レンズの距離感を圧縮する効果は見事なモノで、奥の山から下って手前に結婚式場の丘が有り、更に下、手前の岸壁に船が並んでいるように見えます。
でも、本当は結婚式場の下と「カメイ」の間には内湾が有るのです。
ちなみにカメイとは仙台市に本店を置くガソリンや重油、ガス等の他、薬局も展開している企業です。
中央のコンモリとしているのは五十鈴神社で、ホテルや結婚式場が有る側からこちらへちょっと突き出ている岬。こことカメイの間が内湾の入口です。五十鈴神社は昨年辺りの当ブログ記事に出て来ます。
で、まずはぐるりと(^_^)v 魚市場の陸側左端、凡そ南方向です。
右奥に見える山の裏は、平成の合併で気仙沼市に編入された本吉町です。左奥に魚市場南側に続く棟の屋上へ行くスロープが見えますが、ヨコミーが居る屋上とは行き来が出来ないみたい....!??
そのスロープ右側からずーっと右へ伸びているのが防潮堤です。青い色のダンプカーが出ようとする開口部は、スライド式で閉じます。防潮堤に見える隙間は、耐圧のガラスかアクリルの窓です。
真ん中辺りを拡大。左端はパークホテル、真ん中奥はホテル一景閣。2つのホテルは大津波でやられたモノの建物が残り、改修して早めに営業を再開しています。ホテル一景閣の直ぐ右側に見える建物には歯科(内科も有ったか?)等が入っていた建物ですが、歯科は内陸部に移転しました。
右手前は「たばこ屋」ではなく、「たばご屋」(^_^;) 「たばご」とはおやつや小昼のことを指します。看板にはお弁当・お食事処と書いてあります。震災後に出来ました。
広い範囲での右隣です。真ん中の空き地は、気仙沼商会という燃油やガス、住宅設備等を扱う会社の本社等が有った所。等....ですよ(^_^;) ヨコミー遠縁のお宅も有りました。そこは親父が震災前に亡くなり、施設に入っていた母親は震災後に亡くなり、一人息子は都会で生活していて、実家を失いました。勿論、再建はしません。
写真右上の奥に見える2棟の高層住宅は、内の脇災害公営住宅。
広い範囲で更に右隣です。右奥はNTTや市民会館等が有る丘。真ん中奥は手長山、左は市民の森、そして山頂がヤマツツジで赤く染まる徳仙丈山と続きます。
この辺りにもごちゃごちゃと水産関連の事業所やお店、民家が建ち並んでいましたが、木造はほぼ全滅。古い鉄骨造の建物も被災して解体されました。
真ん中から左に伸びる何棟かの平屋は「みしおね横丁」。仮設で営業を終えた店主が多いと思います。飲食店の他、銭湯も有ったはず。船員さんが喜んでいる姿を以前テレビで見ました。周りはまだまだ建物が少ないですが、頑張って欲しいです。
ちょっと拡大です。右が市民の森です。中腹に、何十人も雨を凌いでおにぎりを食べられそうな、水洗トイレも有る大きな四阿が有ったのですが、10年も前に消失したまま(>_<) 予算無いのかなぁ(^_^;)
左奥は徳仙丈山。どれが....?と言われると困るので、凸凹続く山々の一番右端。既にヤマツツジの花は終わり、赤味は見えません。そういえば徳仙丈山駐車場に近い所に有った立派な舞台、ここにも水洗トイレが有り、郷土芸能等で使われていたのですが、市民の森の施設と同様、消失しました。不思議。
犯人は捕まったとの報道は見ていませんし、耳にも入ってきません。
以前市民の森の施設を利用した時、木床が焦げているのを見ました。安易なアウトドアブームによって、木床で有ることも気にせず、薄い鉄板1枚で焚き火をしたか、脚を付けないでバーベキューコンロを置いた名残かと(>_<)
犯人の捜査はどうなっているのかなぁ....っと、話が飛びました(>_<)
また、拡大モノです(^_^;) 真ん中が旧・河北ビル。仙台市に本社を置く河北新報社が、カルチャーも含めた総支局として建てたもの。大津波で1階天井まで浸水しましたが、何人もが3階等に逃げ、助かりました。
その後支局機能は内陸側に移り、カルチャーは撤退したようです。建物は市に移管され、現在は教育委員会等が入っています。主に向こう側ですが、ここの3階トイレの窓から撮影(^_^;)したのが、2017年8月6日付けの記事です。
右手前に見えるサイシンは被災したお店を改修して営業しています。お酒やお菓子、カップ麺、フカヒレスープ等々小さなスーパー並み。船員さんが出航前に嗜好品をまとめ買いしたり、水産業従事者が多く入って居る感じ。ヨコミーは常温保存が利く鍋焼きうどんを買ったり....(^_^;)
上の場所からだと河北ビルの裏側になるので、南へちょっと移動してパチリ。右奥、灰色に近い建物が河北ビル。その左奥に見える高層住宅が幸町災害公営住宅です。写真では2棟しか見えませんが、ここには全部で6棟が有ります。
中央に見える青い壁の家はやや小高い所に建っていて、しかも周囲は大きな建物に囲まれていたことから大津波は阻まれ、大した被害は無かったと聞きました。
河北ビルと災害公営住宅の間には、何年も前から幹線道路が敷かれているのですが、「やや小高い所」であるのは、気仙沼中学校や市民会館等が有る丘が南東に伸び、河北ビルの右奥、災害公営住宅の裏右手を通って平地に至るその先端だと思えるのです。勿論、道路を作るに際して丘の流れは切断されていますが。
河北ビルの屋上から撮影したモノが下記にあります。2021年の記事でした。
https://yokomi.blog.ss-blog.jp/archive/202106-1
サイシン方向を拡大しました。が、少し南に移動して(^_^;) なので視差が有ります(>_<)
サイシンとNTTの間が狭くなりました(^_^;) 中央奥の丘で、木々に隠されているのが市民会館。会館で左の背が高いのは舞台の幕などが釣り上げられる所だから。その右には大ホール玄関2階ホワイエの窓が見えます。
その右には気仙沼中学校の校舎や屋体の屋根、右端には市図書館も見えます。
サイシン右下に見える建物は、向かい側に在る森川理容店。被災しましたが、しっかりした建物に再建しました。
広い範囲で更に右隣です。右上も魚市場の建物です。以前2階の事務所にちょっと出入りしていました。魚市場はこの先、逆「く」の字の様に左へ曲がり、北桟橋の端に至ります。写真真ん中に青い壁のカマボコ屋根がそうです。
カマボコの左はホテル観洋。前身は私の結婚式を挙げた所ですが、市外の資本に買い取られ....。
観洋左手前に見えるのは「海の市」という、土産物屋や飲食店、慣行協会等が入った建物。バブル最盛期の計画で、6階建て、屋上にはプラネタリウムも....との話でしたが段々と萎み....(>_<)
そういえば画面を大きく上下に分けているのは、屋上に至るスロープですが、左下の道を進んで入ったり、海の市駐車場から入ったりと、ちょっと面倒。ただ、3時間までは無料なので、魚市場内の見学コースや屋上を散歩していても大丈夫(^_^)v
ヨコミーがたまに出入りしていた事務所が入っていた部分を陸側からパチリ。津波の浸水高が分かります。2階の事務所までダメでしたね(>_<)
観洋方向を拡大しました。またまたちょっと南にズレてですが(^_^;) 左奥は、上の写真では隠れていた室根山(895m)です。気仙沼市の西隣、岩手県一関市旧・室根村に有ります。その昔は室根山にスキー場も有ったのですが、ファミリー層には急で、ベテランには狭いようで、設備の良いスキー場へ客が流れ、以前に閉鎖となっています。
屋上の、南にズレた位置から凡そ北側をパチリ。三角屋根は四阿です。何カ所かの階段も有って、あっ、ここの左にエレベーターも有りましたが、自由に来ることが出来ます。深夜は分かりませんが(^_^;)
ずーっと奥は、先程記事に出たカメイの裏手にそびえる岩場に建つ気仙沼プラザホテル。ここも市外資本と成りました。ホテルの裏側に内湾が有ります。
折角なので海側を見てみましょう。
凡そ北向き。岸壁に横付けされている漁船です。上から(^_^;) 午後1時過ぎなので、水揚げはとっくに終わっています。湾の奥から右が鹿折地区。昭和20年代後半の合併時は「鹿折町」でした。
奥、左手の山の向こうは岩手県陸前高田市。あの、奇跡の一本松が有る所です。
右手の山の向こうは合併して気仙沼市となった旧・唐桑町。大きな、生食用の牡蛎が獲れる所。美味しい(^_^;)
鹿折地区の拡大です。大津波が来る前は、水産加工と造船で栄えていました。
大津波で工場や家々が流され、その後大きな工場が再建されたり、8棟もの災害公営住宅が完成し、民家も多少建ち並んできましたが、小さな加工屋さんは余り目に付きません。
広い範囲での右隣です。海岸線に白く見えるのは防潮堤です。右側にぽつんと造船所が有ります。
鹿折地区に残った造船所を拡大。鹿折地区の東海岸は小さな造船所がいくつも有り、栄えていました。同級生には社長令嬢も居ます(^_^;) 別な社長令嬢と結婚した同級生も(^_^;)
全てが被災したとき、1社を除いて国の補助金を得て、対岸の気仙沼地区へ移転しました。集約(>_<) 鹿折地区を気仙沼市から独立させようとするヨコミーにとっては大きな痛手(^_^;)
中腹に見える家々は集団移転の大浦北団地。右端に南団地がちょっとだけ写っています。白いガードレールは大島へ行く県道ではなく、両団地を結んで県道へ落ちる市道。県道は以前は造船所と同じ高さでしたが、写真上、船の穂先に見える高さで整備されました。
広い範囲での右隣です。真ん中から左が大浦、右が小々汐(こごしお)。でも、地元では小々磯(こごいそ)という方も居ます。右端に、三陸道気仙沼湾横断橋の、北側の主塔が見えます。
広い範囲で更に右隣。奥の山は大島の亀山234m。その右裾に大島大橋のアーチが見え、手前に横断橋が有ります。
うーん、右奥を見れば、南側のスロープで登った所に行けるかも!? でも、先程のスロープはまだ工事中のような感じ。要調査(^_^;)
大島方向の拡大です。右手にそびえ立つのは横断橋南側の主塔です。その右に赤白のクレーンが見えますが、鹿折地区東海岸から移転した数社の造成所が作った「みらい造船」。うーん、上で「対岸」とは書きましたが、「下手の対岸」ですね(^_^;)
広い範囲での更に右隣で最後です(^_^;) 駐車場から廊下1本隔てて会議室。楽ちん(^_^;)
大津波時、この会議室や屋上で一夜を明かした人たちの一部は、翌朝、ヨコミーも手伝っていた市民会館避難所へ移ってきました。
気仙沼湾は入口に大島が有り、東には唐桑半島も有って、大きな被害を受けたものの、浸水高はあの程度の高さで済みました。南隣の南三陸町や北隣の陸前高田市では、湾口が広いためか、かなり高い津波となり、襲われました(>_<)
東日本大震災後、海を抱える自治体では浸水想定の地図が各世帯に配られた事と思いますが、自宅や勤務先以外に、出掛けたときのことも考え、広く地図を読み込んで欲しいです。
旅行者の方は、警察や消防・消防団が未だ配置に就いていないタイミングだったり、配置自体が危険と判断される場合も想定して、海や河口に近い所では地震が有ったら津波を用心して、どう逃げたら良いか心に留めて、その場その場で想定してみてください。
世界を見ればウクライナではロシアの侵略戦争が続き、パレスチナのガザ地区では圧倒的に戦力で勝るイスラエルが、虐殺まがいの攻撃で子供まで巻き込んで殺しています。イスラエルはイスラム武装組織ハマスを全滅させると宣う。しかし身内まで巻き添えをくって殺されれば、パレスチナの一般市民は反イスラエル感情を持ち、それがヨコミーなら明日のハマスを担うかも知れません(>_<)
何処の宗教だったでしょうか。右を頬をぶたれたら左の頬も差し出しなさい....と神がお教えするのは。イスラムでは「目には目を、歯には歯を」だと。というのは目をやられたら攻撃は目までにしなさい...という教えだと。つまり過剰に攻撃しないことだと。イスラエルに、この2つの教えを届けたい(>_<)
政治を見ればヨーロッパでは極右が選挙で議席を伸ばし、それにトランプが加われば未来は混沌としそう(>_<)
世界の平和と公正を祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
もう6月も11日になってしまいました。月日だけが順調に流れて行きます(>_<)
懸案はなかなか上手く進まず、それでも来週には形を作らねば成りません。プレッシャー(^_^;)
3月から5月は、お金に成らない各種団体の総会が有り、気休めも兼ねて5月29日、気仙沼市魚市場の会議室等をお借りして開催される会議のお手伝いに行ってきました。
カメラ爺のヨコミーなのでいつもカメラは持参ですが、大きめなカメラを持っていると、知らない出席者からは報道関係者と間違われるので、このときはコンパクトカメラです。一部会議室のガラス窓越しに撮ったコマも有り、画質が多少悪いかも知れません。ご容赦を。
魚市場は13年前の東日本大震災時、大津波が何度も何度も押し寄せ、3階や屋上駐車場で何人もの人が避難し、一夜を明かしました。でも、湾内に流れ込む重油に火が付き、生きた心地がしなかったと聞きます(>_<)
写真は業務(^_^;)の都合や建物の重なりを避けるため屋上を数十m移動して撮影したモノも有ります。なので、奥と手前で多少のズレも有りますので悪しからずm(_ _)m
取り敢えず目立つ写真として、屋上駐車場から北北西方向をやや拡大してパチリ(^_^;)
右端は震災後まで何とか営業していたホテル望洋。以前は望洋館という老舗でしたが、外来資本の手に渡った設備の良いホテルには劣り、客足が少なくなっていました。港が見える大浴場は素敵でしたが、建物が古く、エレベーターの小ささがネックだったかも。
左上に見える屋根が明るい緑色の建物は、港が見える結婚式場。直ぐ下に有る横長の建物は「第二保育所」。お寺さんが経営する認可保育所でしたが、少子化と、既存保育所近隣の子供までトロール漁船のように連れ去って行く「(他社の)園バス」によってか、来春、長い歴史を閉じます(T_T)
望遠レンズの距離感を圧縮する効果は見事なモノで、奥の山から下って手前に結婚式場の丘が有り、更に下、手前の岸壁に船が並んでいるように見えます。
でも、本当は結婚式場の下と「カメイ」の間には内湾が有るのです。
ちなみにカメイとは仙台市に本店を置くガソリンや重油、ガス等の他、薬局も展開している企業です。
中央のコンモリとしているのは五十鈴神社で、ホテルや結婚式場が有る側からこちらへちょっと突き出ている岬。こことカメイの間が内湾の入口です。五十鈴神社は昨年辺りの当ブログ記事に出て来ます。
で、まずはぐるりと(^_^)v 魚市場の陸側左端、凡そ南方向です。
右奥に見える山の裏は、平成の合併で気仙沼市に編入された本吉町です。左奥に魚市場南側に続く棟の屋上へ行くスロープが見えますが、ヨコミーが居る屋上とは行き来が出来ないみたい....!??
そのスロープ右側からずーっと右へ伸びているのが防潮堤です。青い色のダンプカーが出ようとする開口部は、スライド式で閉じます。防潮堤に見える隙間は、耐圧のガラスかアクリルの窓です。
真ん中辺りを拡大。左端はパークホテル、真ん中奥はホテル一景閣。2つのホテルは大津波でやられたモノの建物が残り、改修して早めに営業を再開しています。ホテル一景閣の直ぐ右側に見える建物には歯科(内科も有ったか?)等が入っていた建物ですが、歯科は内陸部に移転しました。
右手前は「たばこ屋」ではなく、「たばご屋」(^_^;) 「たばご」とはおやつや小昼のことを指します。看板にはお弁当・お食事処と書いてあります。震災後に出来ました。
広い範囲での右隣です。真ん中の空き地は、気仙沼商会という燃油やガス、住宅設備等を扱う会社の本社等が有った所。等....ですよ(^_^;) ヨコミー遠縁のお宅も有りました。そこは親父が震災前に亡くなり、施設に入っていた母親は震災後に亡くなり、一人息子は都会で生活していて、実家を失いました。勿論、再建はしません。
写真右上の奥に見える2棟の高層住宅は、内の脇災害公営住宅。
広い範囲で更に右隣です。右奥はNTTや市民会館等が有る丘。真ん中奥は手長山、左は市民の森、そして山頂がヤマツツジで赤く染まる徳仙丈山と続きます。
この辺りにもごちゃごちゃと水産関連の事業所やお店、民家が建ち並んでいましたが、木造はほぼ全滅。古い鉄骨造の建物も被災して解体されました。
真ん中から左に伸びる何棟かの平屋は「みしおね横丁」。仮設で営業を終えた店主が多いと思います。飲食店の他、銭湯も有ったはず。船員さんが喜んでいる姿を以前テレビで見ました。周りはまだまだ建物が少ないですが、頑張って欲しいです。
ちょっと拡大です。右が市民の森です。中腹に、何十人も雨を凌いでおにぎりを食べられそうな、水洗トイレも有る大きな四阿が有ったのですが、10年も前に消失したまま(>_<) 予算無いのかなぁ(^_^;)
左奥は徳仙丈山。どれが....?と言われると困るので、凸凹続く山々の一番右端。既にヤマツツジの花は終わり、赤味は見えません。そういえば徳仙丈山駐車場に近い所に有った立派な舞台、ここにも水洗トイレが有り、郷土芸能等で使われていたのですが、市民の森の施設と同様、消失しました。不思議。
犯人は捕まったとの報道は見ていませんし、耳にも入ってきません。
以前市民の森の施設を利用した時、木床が焦げているのを見ました。安易なアウトドアブームによって、木床で有ることも気にせず、薄い鉄板1枚で焚き火をしたか、脚を付けないでバーベキューコンロを置いた名残かと(>_<)
犯人の捜査はどうなっているのかなぁ....っと、話が飛びました(>_<)
また、拡大モノです(^_^;) 真ん中が旧・河北ビル。仙台市に本社を置く河北新報社が、カルチャーも含めた総支局として建てたもの。大津波で1階天井まで浸水しましたが、何人もが3階等に逃げ、助かりました。
その後支局機能は内陸側に移り、カルチャーは撤退したようです。建物は市に移管され、現在は教育委員会等が入っています。主に向こう側ですが、ここの3階トイレの窓から撮影(^_^;)したのが、2017年8月6日付けの記事です。
右手前に見えるサイシンは被災したお店を改修して営業しています。お酒やお菓子、カップ麺、フカヒレスープ等々小さなスーパー並み。船員さんが出航前に嗜好品をまとめ買いしたり、水産業従事者が多く入って居る感じ。ヨコミーは常温保存が利く鍋焼きうどんを買ったり....(^_^;)
上の場所からだと河北ビルの裏側になるので、南へちょっと移動してパチリ。右奥、灰色に近い建物が河北ビル。その左奥に見える高層住宅が幸町災害公営住宅です。写真では2棟しか見えませんが、ここには全部で6棟が有ります。
中央に見える青い壁の家はやや小高い所に建っていて、しかも周囲は大きな建物に囲まれていたことから大津波は阻まれ、大した被害は無かったと聞きました。
河北ビルと災害公営住宅の間には、何年も前から幹線道路が敷かれているのですが、「やや小高い所」であるのは、気仙沼中学校や市民会館等が有る丘が南東に伸び、河北ビルの右奥、災害公営住宅の裏右手を通って平地に至るその先端だと思えるのです。勿論、道路を作るに際して丘の流れは切断されていますが。
河北ビルの屋上から撮影したモノが下記にあります。2021年の記事でした。
https://yokomi.blog.ss-blog.jp/archive/202106-1
サイシン方向を拡大しました。が、少し南に移動して(^_^;) なので視差が有ります(>_<)
サイシンとNTTの間が狭くなりました(^_^;) 中央奥の丘で、木々に隠されているのが市民会館。会館で左の背が高いのは舞台の幕などが釣り上げられる所だから。その右には大ホール玄関2階ホワイエの窓が見えます。
その右には気仙沼中学校の校舎や屋体の屋根、右端には市図書館も見えます。
サイシン右下に見える建物は、向かい側に在る森川理容店。被災しましたが、しっかりした建物に再建しました。
広い範囲で更に右隣です。右上も魚市場の建物です。以前2階の事務所にちょっと出入りしていました。魚市場はこの先、逆「く」の字の様に左へ曲がり、北桟橋の端に至ります。写真真ん中に青い壁のカマボコ屋根がそうです。
カマボコの左はホテル観洋。前身は私の結婚式を挙げた所ですが、市外の資本に買い取られ....。
観洋左手前に見えるのは「海の市」という、土産物屋や飲食店、慣行協会等が入った建物。バブル最盛期の計画で、6階建て、屋上にはプラネタリウムも....との話でしたが段々と萎み....(>_<)
そういえば画面を大きく上下に分けているのは、屋上に至るスロープですが、左下の道を進んで入ったり、海の市駐車場から入ったりと、ちょっと面倒。ただ、3時間までは無料なので、魚市場内の見学コースや屋上を散歩していても大丈夫(^_^)v
ヨコミーがたまに出入りしていた事務所が入っていた部分を陸側からパチリ。津波の浸水高が分かります。2階の事務所までダメでしたね(>_<)
観洋方向を拡大しました。またまたちょっと南にズレてですが(^_^;) 左奥は、上の写真では隠れていた室根山(895m)です。気仙沼市の西隣、岩手県一関市旧・室根村に有ります。その昔は室根山にスキー場も有ったのですが、ファミリー層には急で、ベテランには狭いようで、設備の良いスキー場へ客が流れ、以前に閉鎖となっています。
屋上の、南にズレた位置から凡そ北側をパチリ。三角屋根は四阿です。何カ所かの階段も有って、あっ、ここの左にエレベーターも有りましたが、自由に来ることが出来ます。深夜は分かりませんが(^_^;)
ずーっと奥は、先程記事に出たカメイの裏手にそびえる岩場に建つ気仙沼プラザホテル。ここも市外資本と成りました。ホテルの裏側に内湾が有ります。
折角なので海側を見てみましょう。
凡そ北向き。岸壁に横付けされている漁船です。上から(^_^;) 午後1時過ぎなので、水揚げはとっくに終わっています。湾の奥から右が鹿折地区。昭和20年代後半の合併時は「鹿折町」でした。
奥、左手の山の向こうは岩手県陸前高田市。あの、奇跡の一本松が有る所です。
右手の山の向こうは合併して気仙沼市となった旧・唐桑町。大きな、生食用の牡蛎が獲れる所。美味しい(^_^;)
鹿折地区の拡大です。大津波が来る前は、水産加工と造船で栄えていました。
大津波で工場や家々が流され、その後大きな工場が再建されたり、8棟もの災害公営住宅が完成し、民家も多少建ち並んできましたが、小さな加工屋さんは余り目に付きません。
広い範囲での右隣です。海岸線に白く見えるのは防潮堤です。右側にぽつんと造船所が有ります。
鹿折地区に残った造船所を拡大。鹿折地区の東海岸は小さな造船所がいくつも有り、栄えていました。同級生には社長令嬢も居ます(^_^;) 別な社長令嬢と結婚した同級生も(^_^;)
全てが被災したとき、1社を除いて国の補助金を得て、対岸の気仙沼地区へ移転しました。集約(>_<) 鹿折地区を気仙沼市から独立させようとするヨコミーにとっては大きな痛手(^_^;)
中腹に見える家々は集団移転の大浦北団地。右端に南団地がちょっとだけ写っています。白いガードレールは大島へ行く県道ではなく、両団地を結んで県道へ落ちる市道。県道は以前は造船所と同じ高さでしたが、写真上、船の穂先に見える高さで整備されました。
広い範囲での右隣です。真ん中から左が大浦、右が小々汐(こごしお)。でも、地元では小々磯(こごいそ)という方も居ます。右端に、三陸道気仙沼湾横断橋の、北側の主塔が見えます。
広い範囲で更に右隣。奥の山は大島の亀山234m。その右裾に大島大橋のアーチが見え、手前に横断橋が有ります。
うーん、右奥を見れば、南側のスロープで登った所に行けるかも!? でも、先程のスロープはまだ工事中のような感じ。要調査(^_^;)
大島方向の拡大です。右手にそびえ立つのは横断橋南側の主塔です。その右に赤白のクレーンが見えますが、鹿折地区東海岸から移転した数社の造成所が作った「みらい造船」。うーん、上で「対岸」とは書きましたが、「下手の対岸」ですね(^_^;)
広い範囲での更に右隣で最後です(^_^;) 駐車場から廊下1本隔てて会議室。楽ちん(^_^;)
大津波時、この会議室や屋上で一夜を明かした人たちの一部は、翌朝、ヨコミーも手伝っていた市民会館避難所へ移ってきました。
気仙沼湾は入口に大島が有り、東には唐桑半島も有って、大きな被害を受けたものの、浸水高はあの程度の高さで済みました。南隣の南三陸町や北隣の陸前高田市では、湾口が広いためか、かなり高い津波となり、襲われました(>_<)
東日本大震災後、海を抱える自治体では浸水想定の地図が各世帯に配られた事と思いますが、自宅や勤務先以外に、出掛けたときのことも考え、広く地図を読み込んで欲しいです。
旅行者の方は、警察や消防・消防団が未だ配置に就いていないタイミングだったり、配置自体が危険と判断される場合も想定して、海や河口に近い所では地震が有ったら津波を用心して、どう逃げたら良いか心に留めて、その場その場で想定してみてください。
世界を見ればウクライナではロシアの侵略戦争が続き、パレスチナのガザ地区では圧倒的に戦力で勝るイスラエルが、虐殺まがいの攻撃で子供まで巻き込んで殺しています。イスラエルはイスラム武装組織ハマスを全滅させると宣う。しかし身内まで巻き添えをくって殺されれば、パレスチナの一般市民は反イスラエル感情を持ち、それがヨコミーなら明日のハマスを担うかも知れません(>_<)
何処の宗教だったでしょうか。右を頬をぶたれたら左の頬も差し出しなさい....と神がお教えするのは。イスラムでは「目には目を、歯には歯を」だと。というのは目をやられたら攻撃は目までにしなさい...という教えだと。つまり過剰に攻撃しないことだと。イスラエルに、この2つの教えを届けたい(>_<)
政治を見ればヨーロッパでは極右が選挙で議席を伸ばし、それにトランプが加われば未来は混沌としそう(>_<)
世界の平和と公正を祈り、本日もお終いm(_ _)m
美しい景色ですが、
地震の時の大変さを思うと、
胸が痛みます。
日本、そして世界の、
あらゆる場所で、
あのような災害が起こらない事を祈ります。
by 青山実花 (2024-06-12 09:26)
気仙沼市街地も、復興しているようですが、所々に震災の爪痕が残っていますね~。でも大島への橋が出来たり、少しずつ変わっているようで、良かったですね^^。数年前大島に行ったことがあり、港で昼食を食べました。海鮮丼でしたが、とても美味しかったです(^^♪。
by drumusuko (2024-06-12 11:54)
二階まで浸水してしまったとは、津波のすごさを物語ってやすね。
ずいぶん整備、建設が進んで、新しい海沿いの街となりやしたね。
もう二度と、あのような大地震が来ないことを祈ってやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2024-06-13 12:25)
徳仙丈のツツジは素晴らしいですね
大渋滞だった記憶のほうが残っています(^^ゞ
河北新報のカルチャースクールは通っていました
先月、主人が気仙沼に出張だったのですがついて行けませんでした
いつかはと思っています
by SWEET (2024-06-18 23:38)
こんにちは、青山実花さん。ありがとうございますm(_ _)m
災害は、忘れない内にもやってきます(>_<) 数年前に起きた大阪の地震ではブロック塀が倒れて人が....(>_<) 50年前に発生した宮城県沖地震でブロック塀倒壊による死傷者が多数出たのに、その経験が全く活かされていなかったことは残念です。これまでの災害を注視し、正面から立ち向かうも良し、逃げるが勝ち....みたく避難優先でも良いですから、キチッと対策を立てて実行し、常に訓練しておきたいものです。
by yokomi (2024-06-25 02:54)
こんにちは、drumusukoさん。ありがとうございますm(_ _)m
近隣も含めて防潮堤建設や復興は進みつつ有ります。ただそれで良しとせず、すぐ追って来るかも知れない災害への対策も、頭のどこかに置いて欲しいです。
海鮮丼は美味しいですね。ただ「観光地価格」と成らないよう、地元は注意しているようです。過日陸前高田市にも行きましたが、比較的求めやすい価格で安心しました。またお出で願いますm(_ _)m
by yokomi (2024-06-25 02:59)
こんにちは、ぼんぼちぼちぼちさん。ありがとうございますm(_ _)m
ほんと、二度と来て欲しくはないですが、自然の災害なので致し方なし(>_<) 出来る対策をしっかりと進め、日頃の訓練で被害を最小限にくい止めたいです。
by yokomi (2024-06-25 03:03)
こんにちは、SWEETさん。ありがとうございますm(_ _)m
徳仙丈山は大渋滞でしたね(>_<) すみませんm(_ _)m
私は渋滞を避け、本吉側から登っています。ただし、全線舗装とは言え、道幅は狭いですし、バスは有りません。ご用命頂ければご案内致します。出来れば本吉側から登り、気仙沼側へ下りたいです。しかも、本吉側は尾根道コース。直ぐの50m程はロープかウネウネですが、尾根道からの眺望は気仙沼側より良いかと(^_^)v
by yokomi (2024-06-25 03:10)