気仙沼の今 打ち上げられた300t船の下手界隈 20171230 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日1月6日は朝から余り陽が射さないなぁ....と思っていたら、青空が南にまで広がり、段々と晴れてきました。
それでも午後からは雲が多くなり、午後3時頃は小雨がぱらつきました。そう、雪じゃなかったのでした。
そんな中、午前中から家庭菜園の土を起こしたり、今頃ですがニンニクも植えました(^_^;)
ニンニクは秋蒔きのはずですが、今頃でも春でも、それなりに育ってくれます。
もちろん、黒マルチと呼ばれるビニールシートの中に。
これで地温がいくらかでも上がり、より育ってくれるのでしょう(^_^)v
12月30日、所用で生まれ故郷の市内鹿折(ししおり)地区へ行きました。
車を停めたのは、工事でしばらく立ち入りが難しかった新浜町一丁目5番と7番の間に在る市道。
別な方向から言えば、東日本大震災による大津波で、300tもの船が打ち上げられましたが、そこから南南西に150m近く離れた所。(船は今は在りません)
ここ。
https://www.google.co.jp/maps/@38.9142209,141.5812485,18z
※写真はクリックすると大きくなります。
まず西方向から。
左手前には池田塗装店が在りました。
左右の端に伸びる白いガードレールは、以前は鉄路のJR大船渡線が走っていました。
しかし大津波後、JRはBRTという専用道を走るバス路線にしてしまいました(T_T)
大津波は小高い土手の線路を越え、特に右側は乗用車まで乗り越えるほどの水嵩でしたが、土手自体、大きな傷みは無かったはず。
右手少し先に在る鹿折駅辺りまで津波は越しましたが、以北は越すことは無く、県境を越え、陸前高田市の陸前矢作駅まで被害は無いと思います。(参考:陸前高田市浸水区域図)
ヨコミー、被災地の復旧復興に、それまで在ったJRの鉄路は、即時復旧が必要だと思うのですよ(^_^)v
鹿折の小さな駅舎を建て、前後の錆びた線路を敷き代える等の整備で、とりあえず気仙沼駅から陸前高田駅の2つ手前・陸前矢作(りくぜんやはぎ)駅まで、列車が走ったはず。既に。
陸前高田の旧・市街地は、まだまだ整備の途中で、今後どうなるのかヨコミーには分かりませんが、気仙沼以南のBRT関連工事を見ていると、JRがやる気なら、陸前矢作駅までは、既に開通していたと思える期間が経過しちゃったのですよ。
JR大船渡線は、JR気仙沼線と同様、鉄路は見捨てられるのでしょうか(>_<)
よーく、「1票の格差、1票の格差」と騒いでいる都会の弁護士さん等は、こんな地方の、更に地方の状況を、知らないだろうし、見る暇も無いのでしょうね(*^_^*)
力を発揮出来ない代議士は不要で差し上げてもいいのですが、その「枠」だけは、どうかそのまま置いててくれませんかねぇ(^_^;)
鉄路の復旧に金が掛かるので、地元に大枚の負担を求めたJR(>_<)
国に陳情すれば、利益を出している民間企業のJRに、鉄路復旧の補助金は出せぬと(>_<)
なのに、アイムソーリは、同じく被災したJR常磐線については「国が責任を持って復旧させます」とテレビで言っていた。国が気仙沼に言う、「民間企業」にですよ!!
JRは、昨年流行の忖度をしたのだろうか??? 圧力があった!?? こっそりと補助金を頂いた???
常磐線の宮城県側は、既に1年余り前に開通しました。福島県側を含めて、31
年度末には全線鉄路で開通の予定です。
その鉄路での全線開通ですが、気仙沼線は首の皮一枚も繋がっていないよう...(T_T)
因みに、宮城のJR仙石線は既に復旧して全通しています。
大船渡線はどうなるのだろう.....(>_<)
自民党を飛び出したO沢大先生が居残りしていたなら、今頃は矢作駅に止まらず、より先の竹駒駅、いやいや陸前高田駅まで開通させていたかも(^_^;) 好きじゃない先生ですが(^_^)v
あっ、道草しちゃった(^_^;)
左奥の山は、旧・気仙沼町と鹿折町(多分白山小学区と浦島小学区を除く)のシンボル的山の安波山(あんばさん、あんばやま)。
中央上の小山の天辺は、「ご飯9(21。喰う)時」の現場(^_^;) 我が父は、何も言わずに頑張りましたm(_ _)m
左隣の南西方向です。BRT専用道のガードレールがずーっと.....。
ヨコミーが立っているのは以前からの道ですが、どうやら南側にちょっとずれて付け替えられるようです。
左のピンクリボンの奥にトンネルが在り、その上を三坂という坂が通っていて、旧・気仙沼町の太田という飲み屋街を経て、市街地へ行くことが出来ます。
南方向です。以前は住宅や小さな事業所が建ち並び....。
左上の小山は陣山。先日紹介した復興公園が予定されている所。計画では駐車場は数十台だと(>_<) 狭いです。通じる道も狭いです。
被災して市が買い上げたものの、まだ使い道が決まっていない土地が沢山在ると地元紙が報じていますのに.....。なんでだす???????????????????????????????
陣山と今立っている所の中間辺りに、以前は仮設の商店街が在りました。それ以前は、300tの船が打ち上げられた所よりも上手に在ったのです。
ヨコミーのお知り合い、2つの仮設商店街を経たものの、結局復旧出来ないでしまいました。古いお店でしたのに、とても残念です(T_T)
南東方向です。右手前には塗装屋さん、左には梶原電気という小さな電気工事屋さんが、真ん中の向こうには藤喜というプロパン屋さんが在りました。住宅もいっぱい在ったのですが....。
大津波後、大島の亀山が見えていたはず。黄色い看板の右下に、ちょっと霞んで手前の尾根と重なっている山が、そうかもしれません。
東方向です。正面の山の向こうは旧・唐桑町。
左奥に、(これでも市内では)高層の災害公営住宅が見えてきました。
赤い車の左、仮設のトイレが建っている手前辺りには、その昔、森山燃料店の倉庫が在り、その後、「まるかわ」という飲食屋さんに替わり、繁盛していましたのに....。
仮設トイレが有る建物の向こうは旧国道で、渡ると気仙沼商会のガソリンスタンドが在りました。
大津波は火の海も伴ったのですが、それで大爆発が起きたとは聞きません。地元の人に聞いてみたいです。
北東方向です。
災害公営住宅は3棟しか見えませんが、確か全部で10棟近く在ったはず。
個人の住宅が、ゆっくりですが、建ちつつあります。
3棟見える災害公営住宅の、左に見える2階建ての白い建物は床屋さん。
以前は、より海に近い「かもめ通り商店街」の北入口に在りました。
大津波のときは、身体が弱いお年寄りも居て連れ出せず、3階に避難していたそうですが、とても怖かったと。
1階2階と大きく壊れ、小学校近くの仮店舗で営業していましたが、昨年、ここに新築移転しました。お客さんが戻って来てくれるといいですね(^_^)v
北方向です。大津波で打ち上げられた300tもの船は、右の通りを150m近く進んだ所に在りました。
JR鹿折駅は写真左上、建築中の家の裏方向。300tの船は駅前に鎮座していたのです(>_<)
手前には、既に仕事は辞めていましたが、山崎漁網店が在ったのです。その向こう隣は細谷大工さん。
実はこの土地、昭和35年のチリ地震津波以前は水田でした。
それが海水が入ったため稲作が出来なくなり、そのまま沼となっていました。
そしていつしか埋め立てられ、宅地となってしまったのです(>_<)
大工さんは、まだまだ忙しいようです。
北西方向です。鹿折駅は建築中の家の裏方向。
真ん中から左に伸びる白いガードレールはJRのバス代替路線。大津波はこの上を越えて乗用車を流しました。
奥の赤い瓦のお宅は、辛うじて大津波の難を逃れ、直後からしばらくの間、避難所となった民家でした。この家のおばあちゃん、元気かなっ?
手前の空き地は、2年くらい前まで、工事の進み具合を見せるための、見晴台が在りました。
そういえば、そこからこのようにグルッと撮影していたのですが、紹介しなかったかなぁ.....(^_^;)
工事現場は正月休みを終えて、来週辺りから本格的に再開するようです。
気仙沼も、復旧はまだまだです。しかし、ゆっくりとではありますが着実に進んでいます。
長い目で関心を持って頂ければ幸いですm(_ _)m
ならば、観光に来て頂けると、とても有り難いのですが(^_^;)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日1月6日は朝から余り陽が射さないなぁ....と思っていたら、青空が南にまで広がり、段々と晴れてきました。
それでも午後からは雲が多くなり、午後3時頃は小雨がぱらつきました。そう、雪じゃなかったのでした。
そんな中、午前中から家庭菜園の土を起こしたり、今頃ですがニンニクも植えました(^_^;)
ニンニクは秋蒔きのはずですが、今頃でも春でも、それなりに育ってくれます。
もちろん、黒マルチと呼ばれるビニールシートの中に。
これで地温がいくらかでも上がり、より育ってくれるのでしょう(^_^)v
12月30日、所用で生まれ故郷の市内鹿折(ししおり)地区へ行きました。
車を停めたのは、工事でしばらく立ち入りが難しかった新浜町一丁目5番と7番の間に在る市道。
別な方向から言えば、東日本大震災による大津波で、300tもの船が打ち上げられましたが、そこから南南西に150m近く離れた所。(船は今は在りません)
ここ。
https://www.google.co.jp/maps/@38.9142209,141.5812485,18z
※写真はクリックすると大きくなります。
まず西方向から。
左手前には池田塗装店が在りました。
左右の端に伸びる白いガードレールは、以前は鉄路のJR大船渡線が走っていました。
しかし大津波後、JRはBRTという専用道を走るバス路線にしてしまいました(T_T)
大津波は小高い土手の線路を越え、特に右側は乗用車まで乗り越えるほどの水嵩でしたが、土手自体、大きな傷みは無かったはず。
右手少し先に在る鹿折駅辺りまで津波は越しましたが、以北は越すことは無く、県境を越え、陸前高田市の陸前矢作駅まで被害は無いと思います。(参考:陸前高田市浸水区域図)
ヨコミー、被災地の復旧復興に、それまで在ったJRの鉄路は、即時復旧が必要だと思うのですよ(^_^)v
鹿折の小さな駅舎を建て、前後の錆びた線路を敷き代える等の整備で、とりあえず気仙沼駅から陸前高田駅の2つ手前・陸前矢作(りくぜんやはぎ)駅まで、列車が走ったはず。既に。
陸前高田の旧・市街地は、まだまだ整備の途中で、今後どうなるのかヨコミーには分かりませんが、気仙沼以南のBRT関連工事を見ていると、JRがやる気なら、陸前矢作駅までは、既に開通していたと思える期間が経過しちゃったのですよ。
JR大船渡線は、JR気仙沼線と同様、鉄路は見捨てられるのでしょうか(>_<)
よーく、「1票の格差、1票の格差」と騒いでいる都会の弁護士さん等は、こんな地方の、更に地方の状況を、知らないだろうし、見る暇も無いのでしょうね(*^_^*)
力を発揮出来ない代議士は不要で差し上げてもいいのですが、その「枠」だけは、どうかそのまま置いててくれませんかねぇ(^_^;)
鉄路の復旧に金が掛かるので、地元に大枚の負担を求めたJR(>_<)
国に陳情すれば、利益を出している民間企業のJRに、鉄路復旧の補助金は出せぬと(>_<)
なのに、アイムソーリは、同じく被災したJR常磐線については「国が責任を持って復旧させます」とテレビで言っていた。国が気仙沼に言う、「民間企業」にですよ!!
JRは、昨年流行の忖度をしたのだろうか??? 圧力があった!?? こっそりと補助金を頂いた???
常磐線の宮城県側は、既に1年余り前に開通しました。福島県側を含めて、31
年度末には全線鉄路で開通の予定です。
その鉄路での全線開通ですが、気仙沼線は首の皮一枚も繋がっていないよう...(T_T)
因みに、宮城のJR仙石線は既に復旧して全通しています。
大船渡線はどうなるのだろう.....(>_<)
自民党を飛び出したO沢大先生が居残りしていたなら、今頃は矢作駅に止まらず、より先の竹駒駅、いやいや陸前高田駅まで開通させていたかも(^_^;) 好きじゃない先生ですが(^_^)v
あっ、道草しちゃった(^_^;)
左奥の山は、旧・気仙沼町と鹿折町(多分白山小学区と浦島小学区を除く)のシンボル的山の安波山(あんばさん、あんばやま)。
中央上の小山の天辺は、「ご飯9(21。喰う)時」の現場(^_^;) 我が父は、何も言わずに頑張りましたm(_ _)m
左隣の南西方向です。BRT専用道のガードレールがずーっと.....。
ヨコミーが立っているのは以前からの道ですが、どうやら南側にちょっとずれて付け替えられるようです。
左のピンクリボンの奥にトンネルが在り、その上を三坂という坂が通っていて、旧・気仙沼町の太田という飲み屋街を経て、市街地へ行くことが出来ます。
南方向です。以前は住宅や小さな事業所が建ち並び....。
左上の小山は陣山。先日紹介した復興公園が予定されている所。計画では駐車場は数十台だと(>_<) 狭いです。通じる道も狭いです。
被災して市が買い上げたものの、まだ使い道が決まっていない土地が沢山在ると地元紙が報じていますのに.....。なんでだす???????????????????????????????
陣山と今立っている所の中間辺りに、以前は仮設の商店街が在りました。それ以前は、300tの船が打ち上げられた所よりも上手に在ったのです。
ヨコミーのお知り合い、2つの仮設商店街を経たものの、結局復旧出来ないでしまいました。古いお店でしたのに、とても残念です(T_T)
南東方向です。右手前には塗装屋さん、左には梶原電気という小さな電気工事屋さんが、真ん中の向こうには藤喜というプロパン屋さんが在りました。住宅もいっぱい在ったのですが....。
大津波後、大島の亀山が見えていたはず。黄色い看板の右下に、ちょっと霞んで手前の尾根と重なっている山が、そうかもしれません。
東方向です。正面の山の向こうは旧・唐桑町。
左奥に、(これでも市内では)高層の災害公営住宅が見えてきました。
赤い車の左、仮設のトイレが建っている手前辺りには、その昔、森山燃料店の倉庫が在り、その後、「まるかわ」という飲食屋さんに替わり、繁盛していましたのに....。
仮設トイレが有る建物の向こうは旧国道で、渡ると気仙沼商会のガソリンスタンドが在りました。
大津波は火の海も伴ったのですが、それで大爆発が起きたとは聞きません。地元の人に聞いてみたいです。
北東方向です。
災害公営住宅は3棟しか見えませんが、確か全部で10棟近く在ったはず。
個人の住宅が、ゆっくりですが、建ちつつあります。
3棟見える災害公営住宅の、左に見える2階建ての白い建物は床屋さん。
以前は、より海に近い「かもめ通り商店街」の北入口に在りました。
大津波のときは、身体が弱いお年寄りも居て連れ出せず、3階に避難していたそうですが、とても怖かったと。
1階2階と大きく壊れ、小学校近くの仮店舗で営業していましたが、昨年、ここに新築移転しました。お客さんが戻って来てくれるといいですね(^_^)v
北方向です。大津波で打ち上げられた300tもの船は、右の通りを150m近く進んだ所に在りました。
JR鹿折駅は写真左上、建築中の家の裏方向。300tの船は駅前に鎮座していたのです(>_<)
手前には、既に仕事は辞めていましたが、山崎漁網店が在ったのです。その向こう隣は細谷大工さん。
実はこの土地、昭和35年のチリ地震津波以前は水田でした。
それが海水が入ったため稲作が出来なくなり、そのまま沼となっていました。
そしていつしか埋め立てられ、宅地となってしまったのです(>_<)
大工さんは、まだまだ忙しいようです。
北西方向です。鹿折駅は建築中の家の裏方向。
真ん中から左に伸びる白いガードレールはJRのバス代替路線。大津波はこの上を越えて乗用車を流しました。
奥の赤い瓦のお宅は、辛うじて大津波の難を逃れ、直後からしばらくの間、避難所となった民家でした。この家のおばあちゃん、元気かなっ?
手前の空き地は、2年くらい前まで、工事の進み具合を見せるための、見晴台が在りました。
そういえば、そこからこのようにグルッと撮影していたのですが、紹介しなかったかなぁ.....(^_^;)
工事現場は正月休みを終えて、来週辺りから本格的に再開するようです。
気仙沼も、復旧はまだまだです。しかし、ゆっくりとではありますが着実に進んでいます。
長い目で関心を持って頂ければ幸いですm(_ _)m
ならば、観光に来て頂けると、とても有り難いのですが(^_^;)