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気仙沼内湾防潮堤22cm修正に数億円も!?? 20180627 [東日本大震災]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。

 なんと無断で「梅雨休み」を頂いてしまいました。そして10日以上更新をお休みしてしまいました。
 大変すみませんm(_ _)m
 偏頭痛の風邪は余りひどくならず、回復することが出来ました。
 声帯のポリープは、昨日金曜日にまた診て貰ったのですが、多少小さくなりましたね、と医者に言われました。まあ、私の見立てでは誤差程度の感じ(^_^;) 
 「先生っ、ヨコミーは誤嚥が得意で、よーく咳き込みます」と懺悔したら、「それは関係ありません。逆に誤嚥は脳の血管が切れているかも....」だと。ふぅーん。
 確かにヨコミーは胸焼けが多いのですが、胃酸が気管に入ったことは無いかも。
 逆に自分の唾や飲み物が時々気管に入り込み、よーく咳き込むのです。
 まあ様子見です。

 昔の上司が亡くなったのですが、諸般の事情でお通夜にも葬儀にも行けませんでした。
 そんな訳で、6月27日、小雨の中、市内鹿折地区に在るご自宅へ行って来ました。
 その帰路、地元紙や地方紙、全国紙の県内版を賑わせている、気仙沼内湾の「22センチ高く作り過ぎてしまった防潮堤」問題の辺りを通って来ました。

201806271145 内湾 w1024 P1270544.jpg
 鹿折から旧国道を南下すると左手の五十鈴神社が在る小山をかわすように道は右へ曲がります。
 正面の向こう下から左がその辺り。

201806271145 内湾 w1024 P1270546.jpg
 左にちょっとだけ海が見えてきました。
 正面の段々に並ぶ建物は、魚町と入沢の災害公営住宅。

201806271145 内湾 w1024 P1270548.jpg
 震災直後を除き、右手の交差点で左折し、海に出られたのですが、ダメです。防潮堤と道路の嵩上げ工事の為でしょう。
 進む道の左側が魚町二丁目。

201806271145 坂口バス停 w1024 P1270549.jpg
 この道は、緩くは曲がるものの概ね真っ直ぐでしたが、坂口のバス停を過ぎたら急に左へ曲がっていました。
 といって海岸にまでは出ず、白いガードレールに導かれ、海と従来の道が在った右端の重機との間辺りを進みます。

201806271145 防潮堤か w1024 P1270551.jpg
 左がその防潮堤らしいです。その上に見えるのは気仙沼プラザホテル。内湾の向こうです。
 以前は地元資本でしたが、何年か前に買収され、南三陸町から進出してきたホテル観洋のグループとなりました。
 中央から右手の盛土は嵩上げされる道路らしいです。仮置き??

201806271146 内湾 w1024 P1270561.jpg
 道路?は立派に嵩上げされています。奥の丘には気仙沼小学校や中学校が在ります。

201806271146 やまと食堂 w1024 P1270563.jpg
 この道はいつの間にか右に緩く曲がり、従来在った信号機の所で元の道へ繋がります。
 この右手前に、現職の、防衛大臣のご実家が在ります。
 更地の所に、やまと食堂が在りました。よーく旦那さんが配達する姿を見掛けました。
 手前は先輩んちのお茶屋さん。
 あっ、この信号は一方通行でしたが、左折が可能になったようです。曲がります。

201806271146 宝洋水産乾物や w1024 P1270564.jpg
 左折しました。直ぐ左は宝洋水産という漁業会社が在りましたが、震災のずーっと以前に無くなりました。
 信号機の左には、以前は乾物屋さんが在ったかと。そこもずーっと以前にやめ、どこかの会社が入っていたような。

201806271147 防潮堤か w1024 P1270570.jpg
 交差点で先がつっかえていたので止まり、カメラだけ左に向けてパチリ。
 盛土造成の看板が見えます。奥の小山に先程脇を通過した五十鈴神社が在ります。
 右手のコンクリートは防潮堤のようです。
 前の車が動き始めましたので、前を向いて進みます。うーん、カメラだけ左を見ただけ(^_^;)

201806271148 対岸右から w1280 P1270586.jpg
 内湾をグルッと回り、魚町の向かい側へ来ましたので、車を降りてパチリ。
 右手が五十鈴神社が在る小山。今回の最初から2コマ目は、中央に見えるクレーン車の辺りから撮影です。
 左の小山は陣山で、復興記念公園の建設が予定されています。魚町の直ぐ背後です。
 
201806271148 望洋 w1024 P1270587.jpg
 1枚上の写真中、陣山とクレーン車の間にちょっとだけ見えている白い建物は、昨春に閉鎖され、今春に解散(?)されることになった、地元資本の老舗・ホテル望洋。
 近年パッとしなくなり、震災後は作業員等向けにビジネス的に営業していたと聞きましたが、踏ん張りが効かなかったようです。残念。

201806271148 右2 w1280 P1270585.jpg
 左続きです。防潮堤が長く見えています。

201806271148 右3 w1280 P1270584.jpg
 更に左隣。左手前は汽船発着所の桟橋。来春には大島架橋が使えるように成り、定期便は無くなるでしょう。寂しくなります。

201806271148 右4 w1280 P1270583.jpg
 更に左隣です。正面の建物は以前は汽船発着所が在った所。来春まで入居するのでしょうか?
 この辺りに勤労青少年ホームが建てられると聞いています。どこかな?
 同ホームは、旧・水産高校跡地に建てられていて、被災。当時の猪瀬東京都副知事指揮による救出劇があった中央公民館の南隣に在りました。
 左は、以前は市営駐車場が在った所。
 来春から大島への玄関口が変わるので、大きな駐車場は不要になります。

201806271148 右4 w1280 P1270582.jpg
 更に左です。
 これがホームかな?? また行ってみます(^_^)v

201806271148 防潮堤 w1024 P1270589.jpg
 対岸からの防潮堤をアップしてみました。
 宮城県は当初、海抜6.2mの防潮堤を提案していましたが、地元は反対。その後地元協議会と何度も協議し、4.1m+1mかの浮力式ゲートで合意。更に、当初震災で大きく地盤沈下したものの、その後に隆起したといわれる22cmを考慮してその分を差し引くことで最終合意しました。
 ところが、施工側のミスで22cmが配慮されないまま工事が進んでいた事が判明。
 これに対し地元は猛反発。県は安価には22cmを修正できないことから、知事が頭を下げたのですが、地元は作り直せと納得しません。
 地元の県議は県議会で22cmを追求していました。
 作り直すには数億円掛かるとか(>_<)

 ヨコミー家が昔、鹿折に在ったとき、チリ地震津波では自宅は辛うじて床下浸水を免れましたが、前の水田に海水が入りました。
 でも津波が引いても海水は残り、その水田は二度と農地になることはありませんでした。
 大潮の時には側溝に海水が逆流する低地であり、今のような農地復旧への補助制度ではなく、制度が貧しかったのかも。
 そんな低地に住んでいたヨコミーなら、県が22cm高く作ってくれるのなら、「まあまあ有り難い」と思うでしょう。2mならムシロ旗かな(^_^;)
 でも、内湾の地元はそうじゃないようです。
 新聞を見たら、地元は「防潮堤は要らない」からスタートしていたようです。
 なので安易に合意できないのでしょう(>_<)
 この地は現職の防衛大臣、そして歴代の市長を輩出し、経済的にも漁船漁業会社や関連会社が林立し、気仙沼を牛耳ってきた要衝(*^_^*)
 そんな大切な地なので、22cmでも高くなれば、より安心とヨコミーは思うのですよ(^_^)v

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