「息子孝行」で撮った岩本彗星他 20190129 [星]
こんちには、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
やはり今年は暖冬傾向のようです。明日2月1日の朝は冷えるようですが、例年ならもっと厳しいはず。まあ、余り冷えないのは、いろいろと助かりますが。
季節風が強いです。でも、割と臭いのです。
風の丘の西側に三陸道の大谷海岸ICが在るのですが、仙台方面は未だ開通しておらず、2月16日かの本吉北ICまでの開通を目指し、急ピッチで工事が進められています。
その「ピッチ」に引っ掛けた訳でも無いのですが、アスファルト舗装時の臭気が、西南西に600mほど離れた所から季節風に乗って、しばらく、風の丘を襲っています(>_<) その前は土煙でした。
一般的に季節風と聞くと北風を思うのでしょうけれど、風の丘は地形の影響か西寄りの風が多いです。季節風の通り道。
昨日30日は結構臭っていましたが、今日は珍しく北から北東の風が多く、臭気は一時的なものでした。
その現場近くに地域の会長宅が在りますが、今日は大変だったでしょう。
さて、今夜は放送大学の試験を終え、仙台から帰ってくる予定でしたが、息子孝行な老母が26日、更に体調を崩し、今週2日間の試験は取りやめに(>_<) 26日はヨコミー奥様のおリュウさんも介護疲れから体調を崩し、その日、ヨコミーはおお大変(>_<) まあおリュウさんは翌日には割と回復しましたが(>_<)
足が衰えていた老母は12月辺りから歩行器を使っても歩けなくなり、ついには車椅子を使っていました。
それでも多少は立ち上がることが出来たので、寝起きやトイレはおリュウさんが一人で面倒を見ていました。
それが26日から軟体動物に成り、掴まっても立つことが出来なくなり、とりあえずトイレは超大変でした(>_<)(>_<)
29日は市立病院の内科と整形外科を受診したのですが、歳のため...と大した治療はありませんでした(>_<) 貧血の検査と胃薬を代えたくらい。
今では寝起きとトイレは基本的に2人掛かり(>_<) 病院で体重を調べたら33kgだと。でも、重いんですよ(>_<)
椅子に座れば前傾になり、ちょっとの動きで前に落ちそうになるのは少し前からありましたが、今度は更に右にも傾きます(>_<)
夕食時は茶の間へ連れて来るのですが、そのような状態なので、椅子に乗せ、車のシートベルトを掛ける要領で、ヨコミーお下がりのベルトで締めます(^_^;)
食事はヨコミーが養い(食べさせ)ます。左手でスプーンを持ち、右手で老母の下がったおでこを戻し、ぱくりと(^_^)v まあ食べるのが遅くて大変です。
今宵はトイレの後、寝かせ付けようとしたら急に大声で「すねが痛い、痛い」とわめきます。何かのスイッチが入ったように(>_<)
見れば何の異常も、脹ら脛にも見られません(>_<) しょうがないので湿布の液体薬を塗ってやったのですが、なかなか納得しません。
「痛゛~い、痛゛~い。裏だぁ~」と二重サッシも突き抜ける程に喚きます(>_<) 痴呆のスイッチが入った!???
「痛゛~い、痛゛~い。殺してけろ! すぐ、すぐ!!」と大声で泣き喚きます。
ヨコミーは「息子に母親殺しの罪を着せる(正しい表現では無いかも知れない(^_^;)気か!!! 冗談じゃねぇ。勝手に死ね!!!」と応戦(^_^;) まあ残念ながら力は無いので、自殺も出来ない老母です(>_<)
まあ勝手に騒がせていても良いのですが、そこは優しい(^_^;)ヨコミー、前回会得した「あやし方」で対処(^_^)v
老母の腰をまくり、上記液体薬を塗って、左が下になるよう、体位を変えてやったら何とか収まり、深夜の今、静かです(^_^)v
えっ、死んだ??? 急いで確認して来ます。ん、でも、老母にとって静かに死ねることは、幸いなのかも知れませんよ(^_^;)
すみません、前置きが長くなりましたm(_ _)m
老母を寝かしつけた29日夜、今週は星を見る予定は無かったのですが、星を見たい、見たい息子を思ってか体調を更に崩し、老母のおかげで(^_^;)久し振りに4つの彗星を撮影出来ました。
ただ、直ぐ近くで大きなぼんぼりを点けて、高速道へ続く道の夜間工事が行われていて、しかも600m程離れた未開通区間の所から、工事車両なのかハイビームでこちらをしきりに照らしています(>_<)
そんな悪い環境の中で撮影しましたので、写りやバックの色が悪いです。お許しをm(_ _)m
スイフト・ゲーレルス彗星です。おうし座の「すばる」に近いです。以前は緑色の綺麗なコマに包まれていたのですが....。
ウィルタネン彗星です。おおぐま座の前足付近に在ります。多少小さくなりましたが、光害が無ければ、もっと綺麗に写せたでしょう。残念(>_<)
ウエスト・ハートレー彗星です。おおぐま座の後ろ足の辺りに在ります。見かけは小さいですが、尾が写っています。
岩本さんという方が昨年2個目に発見した岩本彗星です。結構大きくなりました。昨年の終わりに近い頃、続けての発見です。凄いです(^_^)v おとめ座のスピカの下方に在ります。
この夜の撮影を終えて家に入ったら、またまた老母が「痛~い、痛~い」と騒いでいました。
なので液体薬を痛いという所へ塗って騒ぎを収めたのですが、痛いという箇所は曖昧。「液体薬」のおまじないはいつまで効果が続くのか...(>_<)
老母だって人間らしく暮らしたいだろうし、穏やかに死にたいと思っているでしょう。
なのに医療は、介護保険は、老母の痛みにどう正対しているのでしょうか。
液体薬のおまじないが効かなくなったら、ヨコミーは孝行息子になるようかも知れません(>_<)
親の言うことを聴く子は良い子です、から(^_^;) 最後の親孝行になるのなら、臭い飯でも食べてきましょう(^_^)v
☆今月もブログの更新が思うように出来ませんでしたm(_ _)m 所用有り、介護有り。しかしそれらも、テキパキと熟せなくなってきたようです。これではお遊び協会事務はやってらんねぇー...と、明日にも辞表を出します。本当は1月31日付けで出したかったのですが(^_^;) まあ、ガンバんべぇ(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
やはり今年は暖冬傾向のようです。明日2月1日の朝は冷えるようですが、例年ならもっと厳しいはず。まあ、余り冷えないのは、いろいろと助かりますが。
季節風が強いです。でも、割と臭いのです。
風の丘の西側に三陸道の大谷海岸ICが在るのですが、仙台方面は未だ開通しておらず、2月16日かの本吉北ICまでの開通を目指し、急ピッチで工事が進められています。
その「ピッチ」に引っ掛けた訳でも無いのですが、アスファルト舗装時の臭気が、西南西に600mほど離れた所から季節風に乗って、しばらく、風の丘を襲っています(>_<) その前は土煙でした。
一般的に季節風と聞くと北風を思うのでしょうけれど、風の丘は地形の影響か西寄りの風が多いです。季節風の通り道。
昨日30日は結構臭っていましたが、今日は珍しく北から北東の風が多く、臭気は一時的なものでした。
その現場近くに地域の会長宅が在りますが、今日は大変だったでしょう。
さて、今夜は放送大学の試験を終え、仙台から帰ってくる予定でしたが、息子孝行な老母が26日、更に体調を崩し、今週2日間の試験は取りやめに(>_<) 26日はヨコミー奥様のおリュウさんも介護疲れから体調を崩し、その日、ヨコミーはおお大変(>_<) まあおリュウさんは翌日には割と回復しましたが(>_<)
足が衰えていた老母は12月辺りから歩行器を使っても歩けなくなり、ついには車椅子を使っていました。
それでも多少は立ち上がることが出来たので、寝起きやトイレはおリュウさんが一人で面倒を見ていました。
それが26日から軟体動物に成り、掴まっても立つことが出来なくなり、とりあえずトイレは超大変でした(>_<)(>_<)
29日は市立病院の内科と整形外科を受診したのですが、歳のため...と大した治療はありませんでした(>_<) 貧血の検査と胃薬を代えたくらい。
今では寝起きとトイレは基本的に2人掛かり(>_<) 病院で体重を調べたら33kgだと。でも、重いんですよ(>_<)
椅子に座れば前傾になり、ちょっとの動きで前に落ちそうになるのは少し前からありましたが、今度は更に右にも傾きます(>_<)
夕食時は茶の間へ連れて来るのですが、そのような状態なので、椅子に乗せ、車のシートベルトを掛ける要領で、ヨコミーお下がりのベルトで締めます(^_^;)
食事はヨコミーが養い(食べさせ)ます。左手でスプーンを持ち、右手で老母の下がったおでこを戻し、ぱくりと(^_^)v まあ食べるのが遅くて大変です。
今宵はトイレの後、寝かせ付けようとしたら急に大声で「すねが痛い、痛い」とわめきます。何かのスイッチが入ったように(>_<)
見れば何の異常も、脹ら脛にも見られません(>_<) しょうがないので湿布の液体薬を塗ってやったのですが、なかなか納得しません。
「痛゛~い、痛゛~い。裏だぁ~」と二重サッシも突き抜ける程に喚きます(>_<) 痴呆のスイッチが入った!???
「痛゛~い、痛゛~い。殺してけろ! すぐ、すぐ!!」と大声で泣き喚きます。
ヨコミーは「息子に母親殺しの罪を着せる(正しい表現では無いかも知れない(^_^;)気か!!! 冗談じゃねぇ。勝手に死ね!!!」と応戦(^_^;) まあ残念ながら力は無いので、自殺も出来ない老母です(>_<)
まあ勝手に騒がせていても良いのですが、そこは優しい(^_^;)ヨコミー、前回会得した「あやし方」で対処(^_^)v
老母の腰をまくり、上記液体薬を塗って、左が下になるよう、体位を変えてやったら何とか収まり、深夜の今、静かです(^_^)v
えっ、死んだ??? 急いで確認して来ます。ん、でも、老母にとって静かに死ねることは、幸いなのかも知れませんよ(^_^;)
すみません、前置きが長くなりましたm(_ _)m
老母を寝かしつけた29日夜、今週は星を見る予定は無かったのですが、星を見たい、見たい息子を思ってか体調を更に崩し、老母のおかげで(^_^;)久し振りに4つの彗星を撮影出来ました。
ただ、直ぐ近くで大きなぼんぼりを点けて、高速道へ続く道の夜間工事が行われていて、しかも600m程離れた未開通区間の所から、工事車両なのかハイビームでこちらをしきりに照らしています(>_<)
そんな悪い環境の中で撮影しましたので、写りやバックの色が悪いです。お許しをm(_ _)m
スイフト・ゲーレルス彗星です。おうし座の「すばる」に近いです。以前は緑色の綺麗なコマに包まれていたのですが....。
ウィルタネン彗星です。おおぐま座の前足付近に在ります。多少小さくなりましたが、光害が無ければ、もっと綺麗に写せたでしょう。残念(>_<)
ウエスト・ハートレー彗星です。おおぐま座の後ろ足の辺りに在ります。見かけは小さいですが、尾が写っています。
岩本さんという方が昨年2個目に発見した岩本彗星です。結構大きくなりました。昨年の終わりに近い頃、続けての発見です。凄いです(^_^)v おとめ座のスピカの下方に在ります。
この夜の撮影を終えて家に入ったら、またまた老母が「痛~い、痛~い」と騒いでいました。
なので液体薬を痛いという所へ塗って騒ぎを収めたのですが、痛いという箇所は曖昧。「液体薬」のおまじないはいつまで効果が続くのか...(>_<)
老母だって人間らしく暮らしたいだろうし、穏やかに死にたいと思っているでしょう。
なのに医療は、介護保険は、老母の痛みにどう正対しているのでしょうか。
液体薬のおまじないが効かなくなったら、ヨコミーは孝行息子になるようかも知れません(>_<)
親の言うことを聴く子は良い子です、から(^_^;) 最後の親孝行になるのなら、臭い飯でも食べてきましょう(^_^)v
☆今月もブログの更新が思うように出来ませんでしたm(_ _)m 所用有り、介護有り。しかしそれらも、テキパキと熟せなくなってきたようです。これではお遊び協会事務はやってらんねぇー...と、明日にも辞表を出します。本当は1月31日付けで出したかったのですが(^_^;) まあ、ガンバんべぇ(^_^)v
どんと祭 気仙沼市日門海岸 20190113 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日1月24日、朝起きたら雪が降っていて、既に少し積もっていました。
まあ大したことはないなぁと思っていたら、7時過ぎ辺りから綿雪に(>_<)
その後小雪になり、昼前後には止みましたが、雪掃きはそれから。
天候の回復はイマイチです。
最近は気温が下がり、季節の強風が吹いています。
暦は大寒を過ぎてしまいましたが、寒さはこれからがピークかと(>_<)
遅れた記事となりましたが、1月13日午後、地域の日門(ひかど)海岸で、どんと焼きが行われました。ヨコミー家でも持参(^_^)v
地区の役員、消防団、そして消防署の方や駐在さんも居るようです。
近づいて見たら、もう終わり加減。
ただ見守るのも暇なので、周囲を紹介します。
先ずは南側の日門漁港から。小さな漁港です。左奥は防波堤。向こうは太平洋です。ここでよーく釣り人を見掛けます。
海水が澄んでいます。小魚やカニが見えそう(^_^)v
左隣です。左の防波堤が先の小島と繋がっています。この防波堤の右側を沖に延長すると小島にぶつかりますが、岩山の上にちょっとだけ白く見えるのが、奥に広がる防波堤の先端に建っている灯台です。初日の出の写真にも写っている灯台です。後でもう少し見えます(^_^;)
更に左隣です。海に伸びる防波堤は、こんな感じ。
左手前の砂浜は、通称・日門海水浴場。残念ながら正式な海水浴場ではありませんが、震災前から、岩手方面からの海水浴客もいました。ファミリーが多く、惜しいことに、トイレやシャワーはありません。
奥の浜は大谷海水浴場ですが、東日本大震災の大津波で殆どの砂が流され、残念ながら休止中です。 なので、大谷海水浴場に隣接する道の駅でトイレを済まし、こちらで1・2時間も遊び、シャワー代わりに2リットルのペットボトルに水を入れて砂浜に置き、帰りに水が暖まったところで頭から振り掛け、塩水を流して帰った....という話も聞きます(^_^;)
左の白い建物は、大谷海水浴場西端の丘に建つ小さなホテル・海洋館。
更に左です。地元の人曰く。震災後、この浜の砂が増えたと。右奥に見える大谷海水浴場(休止中)から、大津波によって流出した砂の一部が、こちらへ波で寄せられているのでは...と話していました。
ところで、中央にJR気仙沼線(現在鉄路は廃止(>_<)のトンネルが見えますが、大津波はその上のお宅まで流してしまいました(>_<)
海洋館付近の拡大です。直ぐ下の浜には、砂が戻りつつあります。
右手の盛土は、国道を嵩上げして防潮堤も兼ねさせようとする事業で使う土で、仮置き。
中央、海に近い所に立つ白い平屋造り2棟は道の駅の施設。左は加工施設と食堂、直売所。メカカレーやホヤおにぎりが美味しいです。いつかはアワビのおにぎりも(^_^)v
右側は震災前から有ったトイレ。更にその右手には、震災前はJRの駅や水族館、レストランが入ったメインの建物が在ったのですが....(>_<) 今後、国道の嵩上げと並行して、新しい施設を作るそうです。
手前の海岸は大谷海水浴場の東側。震災でこの辺の家が無くなり、周辺を整備していたら、この辺りは「砂丘」だったことが、改めて証明されました。
上に載っているように見える建物は、更に数百mも奥に行った丘に建つ中華高橋水産。フカヒレ製造では名が知られている会社です(^_^)v
小島に続く防波堤で休むウミネコです。風と太陽が在る方向を向いています。
小島の右手には小さな鳥居が、正面奥には先程記した灯台の先端が、ちょっとだけ見えます。
ヨコミー、川が砂浜に注ぐ辺りというか、河口での砂の振る舞いも好きです(^_^)v
水の流れ、風、波、潮の流れ等が複雑に絡み合い、いろんな姿を見せてくれます。
どんと焼きはそろそろ終わりです。係の方が消火の準備をしています。
折角なので、漁港にも足を伸ばしてみました。
大きな6個のランプを積んだのは、イカ釣り船? ランプが漁り火です。
大きなクレーンを積んだのは、沿岸の定置置網を引き上げる漁船かと。うーん、もう少し勉強が必要だなぁ(^_^;)
右端に見えるのは、防波堤の先に見えた、小さな赤い鳥居があった小島。
太陽がいずる地・日門で、あなたも海鳥と戯れてみませんか(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日1月24日、朝起きたら雪が降っていて、既に少し積もっていました。
まあ大したことはないなぁと思っていたら、7時過ぎ辺りから綿雪に(>_<)
その後小雪になり、昼前後には止みましたが、雪掃きはそれから。
天候の回復はイマイチです。
最近は気温が下がり、季節の強風が吹いています。
暦は大寒を過ぎてしまいましたが、寒さはこれからがピークかと(>_<)
遅れた記事となりましたが、1月13日午後、地域の日門(ひかど)海岸で、どんと焼きが行われました。ヨコミー家でも持参(^_^)v
地区の役員、消防団、そして消防署の方や駐在さんも居るようです。
近づいて見たら、もう終わり加減。
ただ見守るのも暇なので、周囲を紹介します。
先ずは南側の日門漁港から。小さな漁港です。左奥は防波堤。向こうは太平洋です。ここでよーく釣り人を見掛けます。
海水が澄んでいます。小魚やカニが見えそう(^_^)v
左隣です。左の防波堤が先の小島と繋がっています。この防波堤の右側を沖に延長すると小島にぶつかりますが、岩山の上にちょっとだけ白く見えるのが、奥に広がる防波堤の先端に建っている灯台です。初日の出の写真にも写っている灯台です。後でもう少し見えます(^_^;)
更に左隣です。海に伸びる防波堤は、こんな感じ。
左手前の砂浜は、通称・日門海水浴場。残念ながら正式な海水浴場ではありませんが、震災前から、岩手方面からの海水浴客もいました。ファミリーが多く、惜しいことに、トイレやシャワーはありません。
奥の浜は大谷海水浴場ですが、東日本大震災の大津波で殆どの砂が流され、残念ながら休止中です。 なので、大谷海水浴場に隣接する道の駅でトイレを済まし、こちらで1・2時間も遊び、シャワー代わりに2リットルのペットボトルに水を入れて砂浜に置き、帰りに水が暖まったところで頭から振り掛け、塩水を流して帰った....という話も聞きます(^_^;)
左の白い建物は、大谷海水浴場西端の丘に建つ小さなホテル・海洋館。
更に左です。地元の人曰く。震災後、この浜の砂が増えたと。右奥に見える大谷海水浴場(休止中)から、大津波によって流出した砂の一部が、こちらへ波で寄せられているのでは...と話していました。
ところで、中央にJR気仙沼線(現在鉄路は廃止(>_<)のトンネルが見えますが、大津波はその上のお宅まで流してしまいました(>_<)
海洋館付近の拡大です。直ぐ下の浜には、砂が戻りつつあります。
右手の盛土は、国道を嵩上げして防潮堤も兼ねさせようとする事業で使う土で、仮置き。
中央、海に近い所に立つ白い平屋造り2棟は道の駅の施設。左は加工施設と食堂、直売所。メカカレーやホヤおにぎりが美味しいです。いつかはアワビのおにぎりも(^_^)v
右側は震災前から有ったトイレ。更にその右手には、震災前はJRの駅や水族館、レストランが入ったメインの建物が在ったのですが....(>_<) 今後、国道の嵩上げと並行して、新しい施設を作るそうです。
手前の海岸は大谷海水浴場の東側。震災でこの辺の家が無くなり、周辺を整備していたら、この辺りは「砂丘」だったことが、改めて証明されました。
上に載っているように見える建物は、更に数百mも奥に行った丘に建つ中華高橋水産。フカヒレ製造では名が知られている会社です(^_^)v
小島に続く防波堤で休むウミネコです。風と太陽が在る方向を向いています。
小島の右手には小さな鳥居が、正面奥には先程記した灯台の先端が、ちょっとだけ見えます。
ヨコミー、川が砂浜に注ぐ辺りというか、河口での砂の振る舞いも好きです(^_^)v
水の流れ、風、波、潮の流れ等が複雑に絡み合い、いろんな姿を見せてくれます。
どんと焼きはそろそろ終わりです。係の方が消火の準備をしています。
折角なので、漁港にも足を伸ばしてみました。
大きな6個のランプを積んだのは、イカ釣り船? ランプが漁り火です。
大きなクレーンを積んだのは、沿岸の定置置網を引き上げる漁船かと。うーん、もう少し勉強が必要だなぁ(^_^;)
右端に見えるのは、防波堤の先に見えた、小さな赤い鳥居があった小島。
太陽がいずる地・日門で、あなたも海鳥と戯れてみませんか(^_^)v
風の丘の季節風 20190119 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
ヨコミーが「風の丘」「風の丘」っていつも書いていますが、風の強さがどれほどのものか、文章での表現は難しいなぁ...といつも思うのです。宿題(>_<)
風の丘に引っ越してきた頃、ヨコミー家で鯉のぼりが勢いよく泳いでいるのに、北側に在る近くのお宅で揚げている鯉のぼりを見れば、いくらか動く程度。そう、そのお宅の西側には小山が在り、木々が茂っていたのです。
ところが、ヨコミー家の西には山が在りません。その差(>_<)
それが東日本大震災の少し前から三陸沿岸道路(いつもは「三陸道」と標記)の工事が始まり、風の丘の奥に位置する5軒が移転させられ、木々は切られ、山は大きく削られました。
そのおかげで、風の丘の風は更に強くなったのです(>_<)
ヨコミー家ではミシミシからガタガタと震度2~3(>_<) タマさんちじゃ屋根が飛ばされそうだと嘆いています。千治さんは冬野菜の保護に防風ネットを立てました(>_<)
丘の舳先のような所に住んでいるツローさんは「夕べはとても怖くて眠られなかった(>_<)」と昨19日夜、話していました。
そう、18日午後辺りから風は段々と強くなり、その後、夜も眠られない程の大風になりました。
因みに気仙沼市のアメダスを見ると、既に18日のデーターは有りませんが、19日午前1時の風は5m弱でした。
この数値は多分平均値かと思いますが、地形も違うので風向・風速は違ってくるかと。まあとても強い風でした(>_<)
大風の夜が明けた1月19日朝の玄関前です。
左上が玄関の風除室。青い蓋は宅配の牛乳を入れる箱。両サイドをプランターや石で押さえています。
その前に置いていた緑色の安いマットは、右の、物干し竿下に吹き飛んでいました。
この風除室は数年前に作りました。ヨコミーが風の丘に引っ越して10年余、玄関のマットは一度も飛ばされたり、引っ繰り返ることはありませんでした。
それが三陸道の工事が進んだ震災後、大風が吹くと初めて吹き飛んだり、引っ繰り返ってしまいました。
もちろん玄関前の鉢物も倒れたり転び....。一番の被害は、ヨコミー奥様のおリュウさんです(>_<)
交渉事百戦錬磨のおリュウさんなら、直ぐ担当役所へ言いに行くのですが、生憎震災で悪いものを食べたかちょっとした病気をし、体力気力が衰えていた時期でもあり....。おかげで「離婚する!」とのお言葉も聞こえなくなり....(^_^;)
まあそこで、風を除けるために、ほんと、風除室を玄関前に作ったのでした。
写真左下に多く見えますが、玄関前の土や細かい砂粒が強風で吹き飛び、地肌が見えています。
以前、風の多くは玄関に向かって左やや後から吹いていたので、鉢物等の被害は無かったのです。
しかし近年、裏手の地形が変わり、玄関前を吹き抜けて行ったり、右手裏から北風が回り込むようになりました。
18日の夜中、変な音がするの出てみたら、右手裏に置いていた発泡スチロールの大箱が玄関前を通り、写真左側に飛ばされていたのです(>_<)
19日の朝、フジとツツジの植え込みに切れたケーブルが落ちていました(>_<)
マツクイムシにやられたアカマツの幹に小箱が有ります。これはアマチュア無線のアンテナと同軸ケーブルを整合する小箱。
短波帯用に上げていましたが、3年前の大風で箱から左側のアンテナ線が切れ、修理しようとしましたが直後に右肩を痛め、引き続いて左肩も痛め、手つかずでいました(>_<)
それが今回、制御信号と電源のケーブルが切れてしまいました(>_<)
切断面はこんな感じ。これで全く使えなくなりました(>_<)
直ぐに登って修理したいところですが、少し暖かくなってからとします。高さは11m余り(>_<) 決死の覚悟(^_^;)
それにしても、痛めてからもうすぐ3年になる右肩は、本市基幹病院で異常なしと診断されたのに、まだまだ痛みます。2年半を過ぎた左肩は、仙台の病院に行きましたが、「手術はしないよ」と言われ、自然治癒を待っているのですが、両肩とも未だですね(>_<)
相撲の横綱・稀勢の里が引退しましたね。成績不振の原因は、間違いなく、優勝したときの怪我だとヨコミーも思うのです。
ヨコミー、たいした稼ぎもしないのに、両肩はまだ治りません。まあ、老母を介護でたんがく(持ち上げる)のも逆効果なのでしょうけれど(^_^;)
まして、年6場所を熟さなくてはならない力士は、まあ他に地方巡業もあるのでしょうけれど、じっくりと怪我を治す暇が無かったのでしょうね、稀勢の里は。
多分、半端に直して、稽古、稽古....だったのでは...。長く安静に為べきでした(>_<) ヨコミー、スポーツ医学にも詳しくないけど、整形外科はお得意様です(^_^;)
公傷となるのなら、半年でも1年でも治療に専念出来る仕組みを早く作らないと、折角の人材をまた潰しかねません(>_<)
風の丘の強風は、今シーズンは出だしが遅れたものの、いつもは西風が9月末か10月頭から冬を経て、5月末か6月頭まで吹きます。期間は長いけど、季節風かな。
あっ、これって雨風の嵐とか台風ではありませんから。煌煌と月が照って吹いた18日の夜みたく、晴れや曇りの時に吹く強風です。台風が過ぎ去った、吹き戻しみたいな風は、もちろん除きます。
風の丘の「お困り風シーズン」は、まだ始まったばかり(>_<)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
ヨコミーが「風の丘」「風の丘」っていつも書いていますが、風の強さがどれほどのものか、文章での表現は難しいなぁ...といつも思うのです。宿題(>_<)
風の丘に引っ越してきた頃、ヨコミー家で鯉のぼりが勢いよく泳いでいるのに、北側に在る近くのお宅で揚げている鯉のぼりを見れば、いくらか動く程度。そう、そのお宅の西側には小山が在り、木々が茂っていたのです。
ところが、ヨコミー家の西には山が在りません。その差(>_<)
それが東日本大震災の少し前から三陸沿岸道路(いつもは「三陸道」と標記)の工事が始まり、風の丘の奥に位置する5軒が移転させられ、木々は切られ、山は大きく削られました。
そのおかげで、風の丘の風は更に強くなったのです(>_<)
ヨコミー家ではミシミシからガタガタと震度2~3(>_<) タマさんちじゃ屋根が飛ばされそうだと嘆いています。千治さんは冬野菜の保護に防風ネットを立てました(>_<)
丘の舳先のような所に住んでいるツローさんは「夕べはとても怖くて眠られなかった(>_<)」と昨19日夜、話していました。
そう、18日午後辺りから風は段々と強くなり、その後、夜も眠られない程の大風になりました。
因みに気仙沼市のアメダスを見ると、既に18日のデーターは有りませんが、19日午前1時の風は5m弱でした。
この数値は多分平均値かと思いますが、地形も違うので風向・風速は違ってくるかと。まあとても強い風でした(>_<)
大風の夜が明けた1月19日朝の玄関前です。
左上が玄関の風除室。青い蓋は宅配の牛乳を入れる箱。両サイドをプランターや石で押さえています。
その前に置いていた緑色の安いマットは、右の、物干し竿下に吹き飛んでいました。
この風除室は数年前に作りました。ヨコミーが風の丘に引っ越して10年余、玄関のマットは一度も飛ばされたり、引っ繰り返ることはありませんでした。
それが三陸道の工事が進んだ震災後、大風が吹くと初めて吹き飛んだり、引っ繰り返ってしまいました。
もちろん玄関前の鉢物も倒れたり転び....。一番の被害は、ヨコミー奥様のおリュウさんです(>_<)
交渉事百戦錬磨のおリュウさんなら、直ぐ担当役所へ言いに行くのですが、生憎震災で悪いものを食べたかちょっとした病気をし、体力気力が衰えていた時期でもあり....。おかげで「離婚する!」とのお言葉も聞こえなくなり....(^_^;)
まあそこで、風を除けるために、ほんと、風除室を玄関前に作ったのでした。
写真左下に多く見えますが、玄関前の土や細かい砂粒が強風で吹き飛び、地肌が見えています。
以前、風の多くは玄関に向かって左やや後から吹いていたので、鉢物等の被害は無かったのです。
しかし近年、裏手の地形が変わり、玄関前を吹き抜けて行ったり、右手裏から北風が回り込むようになりました。
18日の夜中、変な音がするの出てみたら、右手裏に置いていた発泡スチロールの大箱が玄関前を通り、写真左側に飛ばされていたのです(>_<)
19日の朝、フジとツツジの植え込みに切れたケーブルが落ちていました(>_<)
マツクイムシにやられたアカマツの幹に小箱が有ります。これはアマチュア無線のアンテナと同軸ケーブルを整合する小箱。
短波帯用に上げていましたが、3年前の大風で箱から左側のアンテナ線が切れ、修理しようとしましたが直後に右肩を痛め、引き続いて左肩も痛め、手つかずでいました(>_<)
それが今回、制御信号と電源のケーブルが切れてしまいました(>_<)
切断面はこんな感じ。これで全く使えなくなりました(>_<)
直ぐに登って修理したいところですが、少し暖かくなってからとします。高さは11m余り(>_<) 決死の覚悟(^_^;)
それにしても、痛めてからもうすぐ3年になる右肩は、本市基幹病院で異常なしと診断されたのに、まだまだ痛みます。2年半を過ぎた左肩は、仙台の病院に行きましたが、「手術はしないよ」と言われ、自然治癒を待っているのですが、両肩とも未だですね(>_<)
相撲の横綱・稀勢の里が引退しましたね。成績不振の原因は、間違いなく、優勝したときの怪我だとヨコミーも思うのです。
ヨコミー、たいした稼ぎもしないのに、両肩はまだ治りません。まあ、老母を介護でたんがく(持ち上げる)のも逆効果なのでしょうけれど(^_^;)
まして、年6場所を熟さなくてはならない力士は、まあ他に地方巡業もあるのでしょうけれど、じっくりと怪我を治す暇が無かったのでしょうね、稀勢の里は。
多分、半端に直して、稽古、稽古....だったのでは...。長く安静に為べきでした(>_<) ヨコミー、スポーツ医学にも詳しくないけど、整形外科はお得意様です(^_^;)
公傷となるのなら、半年でも1年でも治療に専念出来る仕組みを早く作らないと、折角の人材をまた潰しかねません(>_<)
風の丘の強風は、今シーズンは出だしが遅れたものの、いつもは西風が9月末か10月頭から冬を経て、5月末か6月頭まで吹きます。期間は長いけど、季節風かな。
あっ、これって雨風の嵐とか台風ではありませんから。煌煌と月が照って吹いた18日の夜みたく、晴れや曇りの時に吹く強風です。台風が過ぎ去った、吹き戻しみたいな風は、もちろん除きます。
風の丘の「お困り風シーズン」は、まだ始まったばかり(>_<)
ニューイヤー花火そして初日の出 気仙沼市日門海岸 20190110 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
昨日1月9日から、とても強い季節風が吹いています。家の裏で床暖ボイラーの素人修理に取り組んでいますが、強い風にめげ、漏れている不凍液の補充のみに(>_<)
強い風は今日も吹き、仕方無いので夕方近くまで様子を見、やや収まったのでボイラーを開けてみました。今度は太いゴム管接続部から漏れているようです。
簡単に交換出来そうなものですが、床暖の不凍液は仕組み上屋根裏まで行っているので、ヘタするとゴム管交換時に不凍液が全て抜けそうです。まあ「全て」ではなく、一部かも知れませんが。
もし多くが抜けた場合、高い所までどのようにして不凍液を送るのか、素人には不詳なので、とりあえずホースバンドをややずらして締め直したのです。
ボイラーのスイッチを入れたら、漏れていた不凍液が止まったように見えたのですが、時間を置いて見たらやはり漏れていました(>_<)
ただ、漏れる量が幾分少なくなった気がするので、今日は時間切れとして、明日に持ち越しました(^_^;)
今夜はまた強い風が吹き出しました(>_<)
12月31日から2019年の1月1日になったとたん、そう午前零時、近くの日門(ひかど)海岸でニューイヤー花火大会が行われました。
2018年元日未明の花火は、予算の都合か、始まったのを家の外で見て、すぐカメラを取りに行ったら終わってしまいました(>_<)
その反省か、2019年は多くの資金が集まったようで、見応えのある花火大会でした。
それにしてもヨコミーの写真は下手でした(>_<) もっと上手く撮影したものですが...m(_ _)m
明るくなってきた元日の6時半に起床し、里帰りしていた娘を伴い、日門海岸へ行きました。
午前6時51分の撮影です。水平線には分厚い雲が在り、タコ坊主のような日の出は見られないようです。
写真下、やや左の海に、黒く小さな人影があるのが分かるでしょうか。右側の人はボートに乗っているように何とか見えます。ところが左の人は船が見えません。海に立っているように見えますが、大きなサーフボードに載っているか、シーカャック?? 左の方へ進んで行きました。
6時58分の撮影です。太陽は既に水平線上ですが、やはり分厚い雲の中(>_<)
今年も残念です。
新春を迎えた日門漁港です。確かメカジキの突きん棒漁基地。手前の島はウミネコがいっぱい。岸から堤防伝いに行けます。
太陽が雲の上に出ました。
日の出は、縦位置でも好きです。海面のギラギラが(^_^;)
老母(ヨコミー語では「ろうはは」と読みます)はだいぶ弱りました。介護する2人の身も弱りました(>_<)
母が弱ったのは足腰、そして手指。ここ1か月、急激に(>_<)
以前は事務椅子改造(^_^;)の歩行器で、前が見えない程に腰を曲げ、適当に進んでいました。もちろん、船頭は付きます(^_^;)
それが少しずつ歩けなくなり、車椅子を介護保険で借りました。それでは弱ってしまうばかりなので、いやがる老母を事務椅子改造歩行器にすがらせるのですが、腰から崩れてしまい、仕方無いので椅子に乗せて移動させます。乗せるのが大変(>_<)
車椅子でもそうなのですが、足腰が弱っているので乗り降りが大変なのです(>_<)
車椅子を使っても、自分で乗り降りは出来ず、大きな力で介助が必要です。老母は何かに掴まって立つことが出来ません。
肩や腰を痛めているヨコミー、力の無い我が奥様・オリュウさんでは、大変(>_<)
老母も、最近では屍を病んで(骨身を惜しんで)ベッドで喰うと宣う(>_<)
それでは本当に寝たきりと成り、老母のためにも、もちろん介護する身のためにもと、茶の間の椅子に連れて来るのです。
ところが茶の間のテーブルが低く、車椅子では食べられないことから、茶の間の回転椅子へ乗せ替えるのですが、これも難儀(>_<)
無事に乗せ替えても、老母はお尻だけが丈夫なようで、少しずつ前にずらしながら椅子の上を進み、いつかはコタツに滑り落ちそうに成り、2人掛かりで引き上げました(>_<)
今夜も、滑り落ちるから嫌だと駄々をこねるので、ヨコミーのベルトで老母と椅子を一緒に締め、滑り落ちないようにしたのですが、それでも滑るから嫌だとベルトを理解しません(>_<)
老母は嘆いて、いつものように「オレを殺せー」と叫びます(>_<) まあ身体が不自由なので、もう生きていたくないようです(T_T)
ヨコミーは親孝行息子なので、「では、死んで頂きます」と言いたいところだけど、いくら母の願いでも聞き届けることは出来ません。殺人罪(>_<)
どうやったら、老母は苦しみから抜け出ることが出来るのでしょうか? 死を選ぶ気持ちは分かります。親孝行しましょうか!??
でも「息子を母親殺しにする気かぁ!! 勝手に死ね~」と言ってやります。まあ、いつもの親子喧嘩(^_^;)
悲しいかな、老母は自分で死ぬことは出来ないでしょう。力が無い(>_<)
あっ、でも、夜中にもお菓子を食べたり飴を舐める老母。なのでハサミが枕元にありました。
そう、お菓子の個包装を千切る力さえ無いのでハサミなのですが、痛い思いをさせないよう、明朝にもハサミは回収しましょう(^_^)v
おっと話が反れました(^_^;)
それで、母を納得させるために裏の倉庫へ行き、縄を綯うところでしたが、綯うのも手間だし、老母を待たせても悪いので、太めのポリロープを適宜切り、茶の間に戻って母の腰を、母に見えるように椅子に縛ってあげました(^_^)v
すると納得したかのように食べ始めたのですが、途中でぐずり、食べ終えないままで終了。明日からは全部ベッドで食べると(>_<)
手も足も不調で、口だけは自覚の無い一丁前なのですが、身体の動きが少ないベッドでは本当に寝たきりと成り、老母のためにもならないし、介護する身も大変だということを、全く分かっていない(>_<)
身体が不自由に成り、自分で死ぬことさえ出来ない老母。
その姿は何年か後のヨコミー.....!!??? これは恐ろしいことです(>_<)
死にたいときに電話一本で、一定の痴呆になったらお約束で、公明正大にあの世へ送ってくれる、そんなシステムは出来ないものでしょうか??
ビジネスをお考えの方、起業してみませんか(^_^)v
『 泣きながら 老母縛る 縄を綯い 』 親孝行のため、いつか、本当に綯うようでしょうか(>_<)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
昨日1月9日から、とても強い季節風が吹いています。家の裏で床暖ボイラーの素人修理に取り組んでいますが、強い風にめげ、漏れている不凍液の補充のみに(>_<)
強い風は今日も吹き、仕方無いので夕方近くまで様子を見、やや収まったのでボイラーを開けてみました。今度は太いゴム管接続部から漏れているようです。
簡単に交換出来そうなものですが、床暖の不凍液は仕組み上屋根裏まで行っているので、ヘタするとゴム管交換時に不凍液が全て抜けそうです。まあ「全て」ではなく、一部かも知れませんが。
もし多くが抜けた場合、高い所までどのようにして不凍液を送るのか、素人には不詳なので、とりあえずホースバンドをややずらして締め直したのです。
ボイラーのスイッチを入れたら、漏れていた不凍液が止まったように見えたのですが、時間を置いて見たらやはり漏れていました(>_<)
ただ、漏れる量が幾分少なくなった気がするので、今日は時間切れとして、明日に持ち越しました(^_^;)
今夜はまた強い風が吹き出しました(>_<)
12月31日から2019年の1月1日になったとたん、そう午前零時、近くの日門(ひかど)海岸でニューイヤー花火大会が行われました。
2018年元日未明の花火は、予算の都合か、始まったのを家の外で見て、すぐカメラを取りに行ったら終わってしまいました(>_<)
その反省か、2019年は多くの資金が集まったようで、見応えのある花火大会でした。
それにしてもヨコミーの写真は下手でした(>_<) もっと上手く撮影したものですが...m(_ _)m
明るくなってきた元日の6時半に起床し、里帰りしていた娘を伴い、日門海岸へ行きました。
午前6時51分の撮影です。水平線には分厚い雲が在り、タコ坊主のような日の出は見られないようです。
写真下、やや左の海に、黒く小さな人影があるのが分かるでしょうか。右側の人はボートに乗っているように何とか見えます。ところが左の人は船が見えません。海に立っているように見えますが、大きなサーフボードに載っているか、シーカャック?? 左の方へ進んで行きました。
6時58分の撮影です。太陽は既に水平線上ですが、やはり分厚い雲の中(>_<)
今年も残念です。
新春を迎えた日門漁港です。確かメカジキの突きん棒漁基地。手前の島はウミネコがいっぱい。岸から堤防伝いに行けます。
太陽が雲の上に出ました。
日の出は、縦位置でも好きです。海面のギラギラが(^_^;)
老母(ヨコミー語では「ろうはは」と読みます)はだいぶ弱りました。介護する2人の身も弱りました(>_<)
母が弱ったのは足腰、そして手指。ここ1か月、急激に(>_<)
以前は事務椅子改造(^_^;)の歩行器で、前が見えない程に腰を曲げ、適当に進んでいました。もちろん、船頭は付きます(^_^;)
それが少しずつ歩けなくなり、車椅子を介護保険で借りました。それでは弱ってしまうばかりなので、いやがる老母を事務椅子改造歩行器にすがらせるのですが、腰から崩れてしまい、仕方無いので椅子に乗せて移動させます。乗せるのが大変(>_<)
車椅子でもそうなのですが、足腰が弱っているので乗り降りが大変なのです(>_<)
車椅子を使っても、自分で乗り降りは出来ず、大きな力で介助が必要です。老母は何かに掴まって立つことが出来ません。
肩や腰を痛めているヨコミー、力の無い我が奥様・オリュウさんでは、大変(>_<)
老母も、最近では屍を病んで(骨身を惜しんで)ベッドで喰うと宣う(>_<)
それでは本当に寝たきりと成り、老母のためにも、もちろん介護する身のためにもと、茶の間の椅子に連れて来るのです。
ところが茶の間のテーブルが低く、車椅子では食べられないことから、茶の間の回転椅子へ乗せ替えるのですが、これも難儀(>_<)
無事に乗せ替えても、老母はお尻だけが丈夫なようで、少しずつ前にずらしながら椅子の上を進み、いつかはコタツに滑り落ちそうに成り、2人掛かりで引き上げました(>_<)
今夜も、滑り落ちるから嫌だと駄々をこねるので、ヨコミーのベルトで老母と椅子を一緒に締め、滑り落ちないようにしたのですが、それでも滑るから嫌だとベルトを理解しません(>_<)
老母は嘆いて、いつものように「オレを殺せー」と叫びます(>_<) まあ身体が不自由なので、もう生きていたくないようです(T_T)
ヨコミーは親孝行息子なので、「では、死んで頂きます」と言いたいところだけど、いくら母の願いでも聞き届けることは出来ません。殺人罪(>_<)
どうやったら、老母は苦しみから抜け出ることが出来るのでしょうか? 死を選ぶ気持ちは分かります。親孝行しましょうか!??
でも「息子を母親殺しにする気かぁ!! 勝手に死ね~」と言ってやります。まあ、いつもの親子喧嘩(^_^;)
悲しいかな、老母は自分で死ぬことは出来ないでしょう。力が無い(>_<)
あっ、でも、夜中にもお菓子を食べたり飴を舐める老母。なのでハサミが枕元にありました。
そう、お菓子の個包装を千切る力さえ無いのでハサミなのですが、痛い思いをさせないよう、明朝にもハサミは回収しましょう(^_^)v
おっと話が反れました(^_^;)
それで、母を納得させるために裏の倉庫へ行き、縄を綯うところでしたが、綯うのも手間だし、老母を待たせても悪いので、太めのポリロープを適宜切り、茶の間に戻って母の腰を、母に見えるように椅子に縛ってあげました(^_^)v
すると納得したかのように食べ始めたのですが、途中でぐずり、食べ終えないままで終了。明日からは全部ベッドで食べると(>_<)
手も足も不調で、口だけは自覚の無い一丁前なのですが、身体の動きが少ないベッドでは本当に寝たきりと成り、老母のためにもならないし、介護する身も大変だということを、全く分かっていない(>_<)
身体が不自由に成り、自分で死ぬことさえ出来ない老母。
その姿は何年か後のヨコミー.....!!??? これは恐ろしいことです(>_<)
死にたいときに電話一本で、一定の痴呆になったらお約束で、公明正大にあの世へ送ってくれる、そんなシステムは出来ないものでしょうか??
ビジネスをお考えの方、起業してみませんか(^_^)v
『 泣きながら 老母縛る 縄を綯い 』 親孝行のため、いつか、本当に綯うようでしょうか(>_<)
部分日食@気仙沼 20190106 [星]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日1月6日は日本で部分日食があり、始めは雲が多かったものの、気仙沼でも楽しむことが出来ました。
午前9時47分22秒の撮影です。漸く、撮影開始です。
太陽は右上から欠け始め、月は太陽の約上半分を隠しながら、左へ移動して行きます。
朝から太陽が見えてはいたものの雲は多く、私たちのグループで部分日食を見る会を開催した会場では、太陽が雲の通り道に当たったような感じ。
なので北側は割と青空が広がっているものの、太陽の方向は次から次へと雲が通り、まともに見えたのは食が始まって約1時間も過ぎてから(T_T)
左端を除き、本日最初のお客さんです。
右端は、仙台から親と共に気仙沼のお婆ちゃんちに来た小学生。タブレットで見事日食を撮影しました(^_^)v
真ん中に有る双眼鏡と奥の望遠鏡には、レンズの前にアルミ箔みたいな専用のフィルターが付いています。これで太陽の強烈な光や熱を遮るのです。
左端は所有者の星爺。小学生の時、先生から望遠鏡で星を見せて貰ってから50年の歳月を過ぎ、趣味として漸く天文が開花したお方。
その先生は凄いですね。50年間も忘れられない大きな感銘を星爺に与えたのです。先生、斯くあってね(^_^)v
中学、高校を終え、社会人となって、更に子育て等の多忙な中で、なかなか実現しなかった夢だけど、退職を機に幼き頃の夢を実現させた星爺。今では19年のベテランです。
10時11分24秒の撮影です。
誠文堂新光社刊天文年鑑2019年版の図によれば、当地方に於ける食の最大は、10時12分頃と読み取れます。
露出時間を調整してみたのですが、極小期のためか、太陽黒点は見えません。
食の最大が過ぎ、一時は10人程居たお客さんも、また所用で中抜けした星爺も居なくなり、ここにはヨコミーと4台の機材だけ(^_^;)
星爺の機材は写真が下手なので重なって仕舞いましたが、ヨコミーのは左の2つ。
左端は安易な観望用。1970年代の口径65mmセミアポクロマートという、やや良いレンズが付いた望遠鏡に、カメラの三脚です。
その奥に小さく写っているのが、今回の日食を撮影した口径77mm焦点距離714mmの望遠鏡です。いつか紹介した、国際宇宙ステーションが、見掛け上太陽面を通過する現象を撮影したセットです。
10時36分42秒の撮影です。欠けている範囲が少しずつ狭くなってきました。
この駐車場の南隣は公園になっていて、震災直後、避難所に暮らす人たちが毎朝のようにラジオ体操をしていました。
そんな公園に間もなく新たな広報塔が建ちました。
それと一緒にパチリ(^_^;) 10時45分です。
あっ、綺麗な彩雲も見えましたよ(^_^)v
11時29分59秒の撮影です。欠けている所はほんの少しとなりました。
11時45分46秒の撮影です。
欠けているとすれば左上ですが、それらしいところは見当たりません。
天文年鑑の図を見れば、終了は11時45分辺りです。
雲が多かったものの、なんとか最後まで辿り着きました。
今回は15人余りのお客さんでした。中でも小さな子ども達が多く、星爺の例のように、大きな感動を与えることが出来たか、ちょっと自信はありません(^_^;)
でもいつの日か、また日食や月食、星を見たいなぁと思ってくれるに違いありません。期待だけ大(^_^)v
ところで、今年は12月26日にも部分日食が見えます。
ただ時間帯は15時前後で、冬の太陽でもあり位置は低いので、南西方向が開けた所で見るようです。
まあそれでも、今から楽しみです。クリスマスの翌日ですよ。お忘れなく(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日1月6日は日本で部分日食があり、始めは雲が多かったものの、気仙沼でも楽しむことが出来ました。
午前9時47分22秒の撮影です。漸く、撮影開始です。
太陽は右上から欠け始め、月は太陽の約上半分を隠しながら、左へ移動して行きます。
朝から太陽が見えてはいたものの雲は多く、私たちのグループで部分日食を見る会を開催した会場では、太陽が雲の通り道に当たったような感じ。
なので北側は割と青空が広がっているものの、太陽の方向は次から次へと雲が通り、まともに見えたのは食が始まって約1時間も過ぎてから(T_T)
左端を除き、本日最初のお客さんです。
右端は、仙台から親と共に気仙沼のお婆ちゃんちに来た小学生。タブレットで見事日食を撮影しました(^_^)v
真ん中に有る双眼鏡と奥の望遠鏡には、レンズの前にアルミ箔みたいな専用のフィルターが付いています。これで太陽の強烈な光や熱を遮るのです。
左端は所有者の星爺。小学生の時、先生から望遠鏡で星を見せて貰ってから50年の歳月を過ぎ、趣味として漸く天文が開花したお方。
その先生は凄いですね。50年間も忘れられない大きな感銘を星爺に与えたのです。先生、斯くあってね(^_^)v
中学、高校を終え、社会人となって、更に子育て等の多忙な中で、なかなか実現しなかった夢だけど、退職を機に幼き頃の夢を実現させた星爺。今では19年のベテランです。
10時11分24秒の撮影です。
誠文堂新光社刊天文年鑑2019年版の図によれば、当地方に於ける食の最大は、10時12分頃と読み取れます。
露出時間を調整してみたのですが、極小期のためか、太陽黒点は見えません。
食の最大が過ぎ、一時は10人程居たお客さんも、また所用で中抜けした星爺も居なくなり、ここにはヨコミーと4台の機材だけ(^_^;)
星爺の機材は写真が下手なので重なって仕舞いましたが、ヨコミーのは左の2つ。
左端は安易な観望用。1970年代の口径65mmセミアポクロマートという、やや良いレンズが付いた望遠鏡に、カメラの三脚です。
その奥に小さく写っているのが、今回の日食を撮影した口径77mm焦点距離714mmの望遠鏡です。いつか紹介した、国際宇宙ステーションが、見掛け上太陽面を通過する現象を撮影したセットです。
10時36分42秒の撮影です。欠けている範囲が少しずつ狭くなってきました。
この駐車場の南隣は公園になっていて、震災直後、避難所に暮らす人たちが毎朝のようにラジオ体操をしていました。
そんな公園に間もなく新たな広報塔が建ちました。
それと一緒にパチリ(^_^;) 10時45分です。
あっ、綺麗な彩雲も見えましたよ(^_^)v
11時29分59秒の撮影です。欠けている所はほんの少しとなりました。
11時45分46秒の撮影です。
欠けているとすれば左上ですが、それらしいところは見当たりません。
天文年鑑の図を見れば、終了は11時45分辺りです。
雲が多かったものの、なんとか最後まで辿り着きました。
今回は15人余りのお客さんでした。中でも小さな子ども達が多く、星爺の例のように、大きな感動を与えることが出来たか、ちょっと自信はありません(^_^;)
でもいつの日か、また日食や月食、星を見たいなぁと思ってくれるに違いありません。期待だけ大(^_^)v
ところで、今年は12月26日にも部分日食が見えます。
ただ時間帯は15時前後で、冬の太陽でもあり位置は低いので、南西方向が開けた所で見るようです。
まあそれでも、今から楽しみです。クリスマスの翌日ですよ。お忘れなく(^_^)v
寒ザクラ咲く興福寺 気仙沼市東中才 20190102 [観味良好]
こんにちはヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
新年明けまして、おめでとうございますm(_ _)m
でも、中には、昨年に身内が亡くなったり、不幸な出来事が起きたりした方々もいらっしゃるかと(>_<)
そういう方には、めでたくもありませんね(>_<)
その悲しみや苦しみを忘れて....というのではなく、忘れがたい事柄に正対しつつも、ひとまず自身の心の健康のため、本来の自分自身を多少なりと取り戻し、育てて行く....そんな切っ掛けを、新しい年が明けたということで見いだして欲しいと思うのですm(_ _)m
さて、風の丘にも季節風が強く吹く時節となりました。
ヨコミー家の床暖は灯油が燃料ですが、震災後にとても寒いときには着火が不良となっていました。また床を循環する不凍液が、ボイラーから少しずつ漏れ出しました。こちらは昨年冬からのことです。
今冬の暖房開始時、結構な量の不凍液を補充したことから、工務店に相談したところ、既に保守部品は無く、本体の交換になるとのこと。
見積書を取ったところ45万円だと(>_<) とても納得出来る金額ではありません。
実はこのボイラーは2台目で、お風呂のボイラーは3台目。壊れやすいものですね、メーカーさん(>_<)
過去の交換費用は、記憶では20万円弱と25万円弱の2階層でした。多分高い方が床暖かと。
とすれば、今回の交換では倍のお金が掛かると(>_<) なんでだす!!???????????
見積書にあるボイラー価格は20万円もしないのですが、要は工賃がかなり高くなっていました。
つまり人件費ですが、これも震災効果、オリンピック効果なのでしょうか? 総理大臣にお伺いしたいものです(^_^)v
まあ聞いたって費用が安くなる訳じゃ無いと思うので、すっかりと壊れるまで使おうと、我が家の奥様・オリュウさんと意見が一致。床暖なのに、寒いときは石油ストーブを焚く(^_^;)
で、陽が当たらない、しかも冷たく強い風の通り道でもある自宅の裏手で、とりあえずの水漏れを解消しようと修理したのですが、まだ別な場所からの漏水があるようで.....(>_<)(T_T)
あっ、季節風説明のために道草が過ぎました。すみません(>_<)
今回は、どうみん@るざりんさんのリクエストもあり、ヨコミー家も檀家の末尾に名を連らねている、気仙沼市東中才に在る興福寺を取り上げました。
東日本大震災で、鹿折(ししおり)地区に300tの船が打ち上げられた辺りから、陸前高田市矢作町へ通じる県道を3km余り北上すると、左手の鹿折川に中央橋という普通車が渡れる橋が見えてきます。
そこから右に入る細い通りが在り、100mも入った所でパチリ。県道からの入口直ぐ手前右側には、「中央橋」というバス停も在ります。
写真の左手前に見える濡れた駐車場は、ヨコミーが小さい頃、両親が借りて耕していた畑でした。
今でいえば家庭菜園なのでしょうけれど、共働きでも低い賃金で暮らして行くには、欠かせない食料生産の場でした。
右手のアカマツは、当時、幹の直径が30cm程度だったかと。根元に大きな蛇が居て、驚いて離れた記憶があります(>_<)
おっと、興福寺といえば欠かせないのが左手の大杉です。
こんな感じ。近くで見ると、その大きさを感じます。
樹齢は400年以上かと。
いつか市教育委員会製作のパンフレットに載っていたような気がするのですが、市の有形文化財になっていなかったかなぁ....。不詳(>_<) すみませんm(_ _)m
大杉の近くから山門とその右手を見てみました。
右手の山に建つのは書物庫かな? 奥じゃないけど奥の院かな(^_^;) 小さい頃、この辺りでは春に桜が咲き乱れ、とても綺麗だった記憶があります。この山を登り、伯父の家の裏手に抜けたこともあります。そんな頃から里山に親しんでいました(^_^;)
さて、山門正面に回ってみましょう(^_^)v 県道から続く細い道の右手には小川が流れています。
山門の左手にはこのような石碑が。権力とお酒は入ってダメよ....の意かと。ヨコミーこの手のものは、読むのが苦手です(^_^;)
山門から本堂を覗いてみました(^_^)v
興福寺の本堂です。ここで父が、2組の伯父夫婦が、そして3人の従兄弟等がお世話になりました。
本堂入口のアップです。
本堂の左手です。本堂の直ぐ隣となる右側の建物は、暫く中才保育所(小規模保育所)として使われていた建物。その後、寺の境内を離れ、先程見た駐車場の隣に保育所が新築されたことから役目を終え、その後は鹿折川向かいに在る西中才行政区の集会所として使われていましたが、いつの頃からか使用されていない感じ。
それがあの東日本大震災直後、避難所として多くの方々が身を寄せていました。
そして避難所も閉鎖され....、今では何の看板も有りません。
左手は鐘楼。十年以上前、近くの子供が定時の鐘を鳴らしていたと聞きます。でも、子ども達が大きくなったためか、いつかは住職の奥様が鐘を突いていました。
本堂の右隣には庫裡(奥)が、手前には池が在ります。
冬場、池の多くは陽が射さず、寒い為もあって水面が凍っています。向こう側が凍っていないのは、噴水から落ちてくる水が水面を揺らすためかと。
日陰では、ヨコミー家付近より多い5cm程の雪が残っています。
庫裡の方に回ってみました。左の老木は紅梅だったか??? 葉の無い右手の枝に、花が咲いています。
詳しい品種は知りませんが、寒ザクラの類かと。咲き終わって黄色くなった花も有り、12月には既に咲いていたかと。
蕾はピンクで、咲き始めもピンクらしいです。そして段々と色が薄くなる....そんな感じを受けました。
春とは違って花の数はとても少ないのですが、厳しい寒さに負けないで咲くこの花に、驚きと憧れを感じます。
ヨコミー、人生は斯く有りたいものですが、残りの人生は少なく、寒ザクラにも樫の木にも成れない感じ(>_<)
でも、せめてお近づきになりたく、いつの日かヨコミー家の庭端を占拠しているアカマツを切り倒して、是非お迎えしたいものです(^_^)v
あっ、ヨコミーはやはり材木屋さん(>_<)=気(木)が多い(^_^;)
お後が宜しいようでm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
新年明けまして、おめでとうございますm(_ _)m
でも、中には、昨年に身内が亡くなったり、不幸な出来事が起きたりした方々もいらっしゃるかと(>_<)
そういう方には、めでたくもありませんね(>_<)
その悲しみや苦しみを忘れて....というのではなく、忘れがたい事柄に正対しつつも、ひとまず自身の心の健康のため、本来の自分自身を多少なりと取り戻し、育てて行く....そんな切っ掛けを、新しい年が明けたということで見いだして欲しいと思うのですm(_ _)m
さて、風の丘にも季節風が強く吹く時節となりました。
ヨコミー家の床暖は灯油が燃料ですが、震災後にとても寒いときには着火が不良となっていました。また床を循環する不凍液が、ボイラーから少しずつ漏れ出しました。こちらは昨年冬からのことです。
今冬の暖房開始時、結構な量の不凍液を補充したことから、工務店に相談したところ、既に保守部品は無く、本体の交換になるとのこと。
見積書を取ったところ45万円だと(>_<) とても納得出来る金額ではありません。
実はこのボイラーは2台目で、お風呂のボイラーは3台目。壊れやすいものですね、メーカーさん(>_<)
過去の交換費用は、記憶では20万円弱と25万円弱の2階層でした。多分高い方が床暖かと。
とすれば、今回の交換では倍のお金が掛かると(>_<) なんでだす!!???????????
見積書にあるボイラー価格は20万円もしないのですが、要は工賃がかなり高くなっていました。
つまり人件費ですが、これも震災効果、オリンピック効果なのでしょうか? 総理大臣にお伺いしたいものです(^_^)v
まあ聞いたって費用が安くなる訳じゃ無いと思うので、すっかりと壊れるまで使おうと、我が家の奥様・オリュウさんと意見が一致。床暖なのに、寒いときは石油ストーブを焚く(^_^;)
で、陽が当たらない、しかも冷たく強い風の通り道でもある自宅の裏手で、とりあえずの水漏れを解消しようと修理したのですが、まだ別な場所からの漏水があるようで.....(>_<)(T_T)
あっ、季節風説明のために道草が過ぎました。すみません(>_<)
今回は、どうみん@るざりんさんのリクエストもあり、ヨコミー家も檀家の末尾に名を連らねている、気仙沼市東中才に在る興福寺を取り上げました。
東日本大震災で、鹿折(ししおり)地区に300tの船が打ち上げられた辺りから、陸前高田市矢作町へ通じる県道を3km余り北上すると、左手の鹿折川に中央橋という普通車が渡れる橋が見えてきます。
そこから右に入る細い通りが在り、100mも入った所でパチリ。県道からの入口直ぐ手前右側には、「中央橋」というバス停も在ります。
写真の左手前に見える濡れた駐車場は、ヨコミーが小さい頃、両親が借りて耕していた畑でした。
今でいえば家庭菜園なのでしょうけれど、共働きでも低い賃金で暮らして行くには、欠かせない食料生産の場でした。
右手のアカマツは、当時、幹の直径が30cm程度だったかと。根元に大きな蛇が居て、驚いて離れた記憶があります(>_<)
おっと、興福寺といえば欠かせないのが左手の大杉です。
こんな感じ。近くで見ると、その大きさを感じます。
樹齢は400年以上かと。
いつか市教育委員会製作のパンフレットに載っていたような気がするのですが、市の有形文化財になっていなかったかなぁ....。不詳(>_<) すみませんm(_ _)m
大杉の近くから山門とその右手を見てみました。
右手の山に建つのは書物庫かな? 奥じゃないけど奥の院かな(^_^;) 小さい頃、この辺りでは春に桜が咲き乱れ、とても綺麗だった記憶があります。この山を登り、伯父の家の裏手に抜けたこともあります。そんな頃から里山に親しんでいました(^_^;)
さて、山門正面に回ってみましょう(^_^)v 県道から続く細い道の右手には小川が流れています。
山門の左手にはこのような石碑が。権力とお酒は入ってダメよ....の意かと。ヨコミーこの手のものは、読むのが苦手です(^_^;)
山門から本堂を覗いてみました(^_^)v
興福寺の本堂です。ここで父が、2組の伯父夫婦が、そして3人の従兄弟等がお世話になりました。
本堂入口のアップです。
本堂の左手です。本堂の直ぐ隣となる右側の建物は、暫く中才保育所(小規模保育所)として使われていた建物。その後、寺の境内を離れ、先程見た駐車場の隣に保育所が新築されたことから役目を終え、その後は鹿折川向かいに在る西中才行政区の集会所として使われていましたが、いつの頃からか使用されていない感じ。
それがあの東日本大震災直後、避難所として多くの方々が身を寄せていました。
そして避難所も閉鎖され....、今では何の看板も有りません。
左手は鐘楼。十年以上前、近くの子供が定時の鐘を鳴らしていたと聞きます。でも、子ども達が大きくなったためか、いつかは住職の奥様が鐘を突いていました。
本堂の右隣には庫裡(奥)が、手前には池が在ります。
冬場、池の多くは陽が射さず、寒い為もあって水面が凍っています。向こう側が凍っていないのは、噴水から落ちてくる水が水面を揺らすためかと。
日陰では、ヨコミー家付近より多い5cm程の雪が残っています。
庫裡の方に回ってみました。左の老木は紅梅だったか??? 葉の無い右手の枝に、花が咲いています。
詳しい品種は知りませんが、寒ザクラの類かと。咲き終わって黄色くなった花も有り、12月には既に咲いていたかと。
蕾はピンクで、咲き始めもピンクらしいです。そして段々と色が薄くなる....そんな感じを受けました。
春とは違って花の数はとても少ないのですが、厳しい寒さに負けないで咲くこの花に、驚きと憧れを感じます。
ヨコミー、人生は斯く有りたいものですが、残りの人生は少なく、寒ザクラにも樫の木にも成れない感じ(>_<)
でも、せめてお近づきになりたく、いつの日かヨコミー家の庭端を占拠しているアカマツを切り倒して、是非お迎えしたいものです(^_^)v
あっ、ヨコミーはやはり材木屋さん(>_<)=気(木)が多い(^_^;)
お後が宜しいようでm(_ _)m