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気仙沼の今 内湾風景 20190707 [東日本大震災]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。
 今のところ、雨が少ない梅雨です。落果が心配なので、ブルーベリーに水を2回掛けました。既にブルーベリーは3回収穫していますが、例年より量は少ない感じです。
 今日7月12日は未明から降っています。老母(ろうはは=ヨコミー語)をデーサービスへ送り出す時は、多少風も伴って降っていました。
 といって大雨でもなく、植物にはありがたい雨でしょう。

 7月7日七夕の日、所用があり、市内気仙沼地区の南町海岸まで行ってきました。
 内湾エリアは未だ復旧工事の最中で、通る度にパチパチと撮っていましたが、整理しかねていました。
 そんな訳で、地域の変化までは紹介出来ませんが、今の様子をお伝えします。

201907071128 鰹鮪前右1 w1280 P1510790.jpg
 気仙沼市港町(町字名)の内湾側、震災前は漁業関係の団体が入居する鰹鮪会館が在った辺りの海側でパチリ。凡そ東方向です。
 奥の低い山脈は旧・唐桑町との境。奥の白い色の船に邪魔されていますが、山の手前には鹿折地区の造船地帯が見えます。
 一帯の造船会社は、残念ながら震災で被災し、その後に統合され、気仙沼地区の南東端、あの流された大きな油タンクが元々在った辺りに、確か「みらい造船」という新しい会社で今年、スタートしました。今は引っ越し中とか。
 右手前の小型漁船は、すみませんが何の漁をするのか分かりません(^_^;) イカ漁なら漁り火のランプが見えるのでしょうけれど。
 左手のこんもりしたのは神明崎。森の中に五十鈴神社、通称「おしんめいさん」が在ります。森の右下辺りに朱塗りの浮御堂が在ったのですが、津波で流されました。まだ再建されていないようです。

201907071129 神明崎 w1024 P1510797.jpg
 その神明崎の拡大です。

201907071128 右2 w1280 P1510791.jpg
 左続きです。おしんめいさん(右手)の下から海際に防潮堤の工事が進められています。完成にはもう少し時間が掛かりそうです。
 震災で沈下した地盤がその後少し隆起したので、防潮堤を発注した県が、隆起した分22センチを地元からの要請で低くすることで合意したのですが、以前の高さで発注してしまった県のミスで、地元とごたごたが起こり、工事が遅れていました。
 以前、地元の超有力者は、「男はそれほどでもないが、ご婦人方は海が見えなくなるので強く反発している....」と話していましたが、大津波前と比べて沿岸部は大きく変わってしまった所が多い中、ある面、幸せな方々だなぁと思いました。
 中央の明るい緑の丘は、陣山。その昔の戦国時代か、石巻方面に勢力を持つ葛西氏が北上した時、気仙沼から2つ北隣の大船渡方面に勢力を持つ浜田氏が、ここに陣を構えた所とか。遺跡です。

 陣山で今、市が震災復興祈念公園を作ろうと計画を進めています。ここは、被災した気仙沼地区や鹿折地区を見ることが出来る、大津波が来ても被災しない...という選定理由ですが、鹿折地区はともかく、南気仙沼で多くの住居、会社等が在った内の脇、仲町、幸町等は全くか殆ど見えないのです(>_<)
 また陣山への車の乗り入れは道幅が狭く、観光バスを呼んだり、イベントで大型バスを入れることは無理。公園完成に併せて、多くの税金を掛けて民家を立ち退かせ、多くの税金を使って狭い市道を拡幅することでしょう。
 被災した市街地の復旧状況を、より広く見せたいのなら、2つ前の写真に写っている鹿折・浪板(なみいた)に在る造船所の上や、やや下手(右=南)の大浦高台に出来た防災集団移転団地の並びに作るのが適切かと。陣山より更に広い範囲が見えることは、調べなくても地元の人なら分かるはず。どうして市議も分からなかったのかなぁ....(>_<)
 その辺りなら、大島へ行く県道が整備され、間もなく気仙沼湾を横断する無料の高速道・三陸道の橋とインターも完成し、交通は黙っていても便利かと。なのに....。
 でも第一、津波での浸水地を市が買い上げていたのですが、その使途が未だ決まっていない土地が多々有ると報道されていました。
 何故そのような土地を利活用しようとしないのでしょうか。他市町では、同様の公園を低地に建設した所も有るというのに。広い駐車場も出来ます。
 そういえば浸水地に再建される中央公民館の脇に、これまた被災した南運動広場が再建されると。これは当然良いことなのですが、隣接してラグビー場も作ると聞きました。それが本当なら、驚きです(>_<)
 市内のラグビー人口は、そう多くはなく、ラグビー場など有りませんでした。設置しても近くには高校は無いし、部活が有りそうな大学や短大は、最初から有りません。
 買い上げた浸水地の無駄遣いのようにも思えます。南運動広場を拡幅して、多目的に使えるようにすべきかと(^_^)v
 
 陣山への公園設置に戻って、何故か疑問でしたが、ヨコミーだけの偏向かなぁと思っていたら、他にもそのように思っている方も居るようで、異端児ヨコミーとしては、ちょっと安心(^_^;)
 でも、先に陣山ありき、で始まったのでは....という疑念は消えません。
 また見ての通り丘の上は狭く、こちら側は民家に囲まれていて、樹木でその内囲まれてしまうのでは....(>_<) 
 更には、予算が足らないのか、クラウドファンディングで人型のオブジェを作るようですが、夕暮れ時には怖くて近づけない....と早くも心配する声が上がっています。
 お金を出資した方は、それでいいと思っているのでしょうか。
 
 あっ、長くなっちゃいました。すみませんm(_ _)m
 陣山の右端に白い建物が見えます。ずーっと以前は望洋館、その後改築してホテル望洋と名を変え、その当時は市内では一番大きなホテルでしたが、昨年かに閉鎖。地元資本でした。
 改築した辺りか、別な地元資本の大きなホテル(後に南三陸町資本に買収)が建ったり、南三陸町資本の大きなホテルが別に出来たりして低迷し、震災前から存続が心配されていました。
 震災後、工事関係者による需要が有り、一時は持ち直したようですが、復旧工事のピークは過ぎ、惜しまれながらの閉鎖でした。
 中のエレベーターは狭くてレトロ。快進撃で買収しながら北上する資本も、ここには手を出せなかったかな....。第一、ホテル前の駐車場は狭く、離れた駐車場は階段の段数も多く、敬遠されたのでしょう。まだまだ車社会。直ぐ近くの駐車場枠は多いほど宜しいかと(^_^)v 歩いて行くのは超地元だけか。あっ、陣山に進めている公園も同様(^_^;)
 左手の小山に、薄い緑色をした屋根が見えます。ちょっと教会風でもありますが、ここは結婚式場です。
 防潮堤直ぐ上の景色は、震災前は民家や会社、工場等がぎっしりと立ち並び、こんな風にすっかりとは見えませんでした。
 ホテル下に見える坂も、そう。おしんめいさんの森の裏側で大きく左へ曲がり、ホテルの前を通って陣山の向こう、鹿折地区に至ります。坂の下には旧・国道45号が走り、これも大きく曲がって鹿折地区へ至ります。

201907071129  w1280 P1510796.jpg
 陣山の拡大です。広くない天辺に公園が出来る予定です。駐車可能台数も少ない設計です。なのに...。

201907071129 式場 w1280 P1510795.jpg
 結婚式場の拡大です。

201907071128 右3 w1280 P1510792.jpg
 更に左隣です。
 正面の山が安波山(あんばさん、あんばやま。239m)。その下の建物は魚町一丁目と入沢の市営住宅。正面からは一体化して見えますが、横から見れば三段になっています。
 その右は太田(おおた)という、以前は一帯が歓楽街でした。この沢を右上に進むと、陣山の付け根・北西側を通って鹿折へ抜けます。普通車でもすれ違いが大変な坂道なのに、上記公園へ通じる2つの坂の1つとなります。
 市営住宅左の奥は入沢。男山という酒蔵が有ります。太田には両国という酒蔵も有ります。ヨコミー、若い時はこの2つの酒蔵に、月イチで通っていました。飲みに行ったのではなく、お仕事(^_^;)
 左端は2つ次の写真で。

201907071129 市営住宅魚1入沢 w1024 P1510794.jpg
 市営住宅の拡大です。
 
201907071128 右4 w1280 P1510793.jpg
 以前の汽船発着所。大島大橋が開通した今春から、定期船・臨時船の発着は有りません。フェリーの右側に、ほんのちょっと浮き桟橋が見えているだけですが(^_^;)
 フェリーの裏側に、その昔は確か二階建ての内湾レストハウスが、その後に三階建てのエースポートという観光施設が在り、汽船の事業者も入っていました。
 跡地に、震災後、ようやく昨秋か、「迎(ムカエル)」という商業施設が完成し、営業しています。ムカエルは近々紹介したいと思います。
 左の茶色い壁の建物は、大津波まで四階建ての市営駐車場が在った所に建つ、普通の人にはなんと読むのか分からない公共施設。「PIER 7」とは、ここは英語圏の気仙沼市なのでしょうか(>_<) これで行くなら、振り仮名が欲しい(^_^)v どういう意味??? 
 ハイカラを求めたい気持ちがあるのでしょうけれど、市民の多くが正しく読めるのでしょうか????
 今流行の外国人観光客に読んで欲しいのかな。でも、市民みんなが読めて理解出来る文字で表すべき。外国人観光客から日本語で聞かれても、答えようが無い。英語で答えられる人は何人居るのだろうか。
 じゃなかった(^_^;) ここには勤労青少年ホームとラヂオ気仙沼、遊覧船の発券窓口が入っています。
 この辺りも、近々に紹介出来ればと思います。

 老母、今朝は小声で文句を言ってデーサービスに行きました。夜中に小が出ると叫んだのに、誰も来なかったからオムツにやってしまったと....(^_^;)
 でも、ヨコミーは夜半過ぎまで起きているのですが、聞こえませんでした。明け方に叫んだのでしょうか、小声で(^_^;)
 その割には、身体が更に弱ったこの半年余りで「出そうだからトイレに連れてってくれ」とは、五本の指にも余るくらいしか言っていません(>_<) 
 昨日はトイレに連れて行き、オムツを開けるその度に大が付いていました(>_<) なのに、出る、出たのひと言も有りません。老母は知恵を付けたのかも知れません(^_^;)
 正しく状態を話す方に知恵を付けて欲しいのですが....(>_<)
 老母を見て、つくづく、「ピンピンころり」って大切なんだなぁと思うのです。
 なので、最近、少しですが運動を始めました(^_^;) 「ピンピンころり」で死ぬことを目指して(*^_^*)
 皆さんも、ならば「ピンピンころり」を目指しましょう(^_^)v 
 ちっとやそっとでは、介護施設には入れませんよ(^_^;)

 「入れない」で思い出しました(^_^;) 秋に行われる消費税の増税で、幼児教育(3歳以上らしい)を無償化するとか。
 でも、3年前のこと、覚えていますか?? 「保育所落ちた。日本死ね」のブログ事件です。
 当時安倍総理は、匿名であり事実を確認出来ないと、国会で逃げていました。
 でもこの場合、発信者が誰かを特定するのが優先事項ではなく、市町村に実態を聞けば分かること。逃げて正対していない(^_^)v
 保育所等に入れない「待機児童」は、一部の市区町村で解消されたようですが、当気仙沼市では昨年より倍に増えたと地元紙の報道が有りました。後日訂正記事やそれに類する記事は無いので事実かと。これは気仙沼だけの問題じゃ有りません。
 気仙沼で待機児童が増えたのは、入所児童が少ないからと、小さな保育所が閉鎖され続けたことも原因の一つかと。
 安倍政権は、一億総活躍社会を掲げながら、実は子育てのために働きに出られない方も居ます。
 政権与党は、消費税の増税を通り易くするため、幼児教育の無償化を掲げていますが、まずそれ以前にやらなければならないことは、日本国内から待機児童を完全に無くすことです。
 幼児教育の無償化が実施されたのに、保育所に入れず、法の恩恵を受けられない子供が発生することは、日本国憲法が保障するという法の下の平等に反します。
 先ず待機児童を解消し、それからの幼児教育無償化です。自民党、公明党の議員さんは、そんなことも分からないのでしょうか。それとも上からの締め付け? お得意の忖度??(^_^)v
 参院選初日のNHKテレビで、公明党の親分が「小さな事にも目を向けます」と力説していました。
 この方の目に、日本国に待機児童が居ることは、どう映っているのでしょうか(^_^)v
 
 老母、今宵も黙って、くっつけていました(^_^;)
 おしまいm(_ _)m
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