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気仙沼早見(^_^)v 三陸道の湾横断橋開通 上り線編 20210308 [観味良好]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。
 風は毎日のように強いです(>_<) ミシッ、ミシッと(T_T)
 昨日5月10日も天気が割と良いのに強い風(>_<) 夕方、地方のテレビに出ていた気象予報士は「青嵐」と話していました。

 このシリーズ「下り線」編でも書きましたが、また先日も地震が有り、ちょっとした活動期かな?と。先日のは震度5弱で、2月3月と大きめな地震が続いた中では唯一破損が有った地震でした。
 ヨコミー家は棚の上に色々と載せて置くのですが、ガラスのやや厚いコップに入った飾り物1個が数十センチ下の木床に落ち、結構欠けてしまいました(>_<) 破損はそれだけで、他はこけしやビデオテープ等があちこちで落ちた程度。
 飾り戸棚の上に扇風機を載せていたのですが、これは仕舞い忘れじゃなく、窓側の高い所に溜まった暖気を台所へ送るつもりで置いていたのですが、これは落ちませんでした(^_^;)
 そしてやはり、一つの可動軸を北極星に向けていた天体望遠鏡もずれ、とりあえず仮修正しました。
 今年に入って3回発生した地震の間隔からして、次は6月前半にも!?...と素人は考えているのですが、世の中も土の中も、そう単純に....いったら拍手喝采(^_^;) そのときは地震についてもっと勉強します(^_^)v
 
 さて、3月6日に開通した三陸道の気仙沼湾横断橋を2日後の8日に通った渡った記事の続きで、これで終わりです。
 ☆各写真はクリックすると大きくなります。まあ、大きくしたからって見栄えが良くなることはありませんが、お試しをm(_ _)m

202103081340 県道大島線から三陸道へ入る w1024 P1740153.jpg
 大島大橋の南端を見て、帰路の県道を北上していましたが、インター入り口に来ましたので右折(東進)します。
 写真の左端、横断歩道有りの看板下方に見える台形の山は、岩手県一関市、旧・室根(むろね)村の室根山895m。その右、ダンプカーの向こうは安波山(あんばさん、あんばやま)ですが木の陰で良くは見えません。反対車線を走る軽ワゴン車の上は鍋越山。

202103081340 浦島大島インター w1280 P1740158.jpg
 右折しました。右奥を走るのが三陸道。浦島大島インターです。
 大島は伊豆の大島じゃなく、気仙沼の大島なのですが、ここに浦島という「島」は有りません。
 「浦島」とは、一般的には浦島太郎の「浦島」ですね(^_^;) しかし、この地に浦島伝説が伝わっていたとは聞きません。
 大好きな広辞苑が埋もれてしまい(^_^;)国語的意味はハッキリしませんが、「浦」とは「港」や「浜」「入り江」を指すのかと。
 この辺りの総称は、古い人は「四ケ浜」と呼ぶほど小さな港は有るのですが、「島」とは??? 決して「大島」のことではないと思うのです。インターの少し南に在った、震災による人口減で廃校となった浦島小学校は、大島までカバーしていませんでしたし...。
 などと考えていると、いつまでも帰宅できないので、宿題(>_<) いつまでかな(^_^;) いつか村史でも見てみます。

202103081341 合流1車線 w1024 P1740169.jpg
 本線との合流部です。この先が仙台へ通じます。
 本線は1車線なので、本線に隙間が有ったら直ぐ入ります。もたもたしていると本線の後ろから吹っ飛ばしてくる車も居て事故の原因となったり、合流できず左側の車線で止まって何台もやり過ごさなくては成らなくなるからです(^_^;)
 事故防止の観点から、合流部だけでも2車線にして欲しかった....(>_<) ヨコミーは人柱になりたくない(^_^;) 

202103081341 三陸道気仙沼湾横断橋上り線 w1280 P1740171.jpg
 橋を吊る主塔に近付きました。進行方向は南南西と南西の間辺り。あっ、先ほどから逆光です(>_<)

202103081341 四ケ浜 w1920 P1740175.jpg
 四ケ浜方面です。といっても道の都合上、写っているのは小々汐の南部と梶ケ浦の一部ですが(^_^;)
 写真左から中央やや右まで海岸線に白く防潮堤が見えている辺りが小々汐の南部。主たる入り江は写真左の外です(>_<) 昨年5月5日付け、気仙沼湾横断橋を取り上げた記事の最初から5枚めまでがそうです。左側の網の目が見える崖は以前からの崖で、斜面の補強工事が行われたようです。下の海との狭い間を県道が走っていました。その右隣は大島大橋の開通に併せて県道の改良が行われ、渚の傍から大津波が来ても安心な山の上へ移った事による切り土。この裏手に浦島小学校が在りました。
 浦島小学校はそれでなくても小規模校でした。しかし、震災でも校舎は大丈夫だったものの、児童の家庭が大きく被害を受け、多くの児童宅が他の学区に行くことに。多くの子等が戻ってこず、廃校となりました(>_<) 
 いつか行った紀伊半島沿岸部も似たような地形で、大きな津波が来たら町の存続自体が心配されることに...(>_<) 今からでも住宅の立て替えを高台に誘導したり、万里の長城に負けないような防潮堤を作るなど、早急な取り組みが必要です。
 防潮堤が途切れた辺りから右端の大島大橋下までが梶ケ浦で、突堤や防潮堤が少しだけ見えます。
 カメラは右側へ。

202103081341 浦島から岩井崎 w1920 P1740173.jpg
 右手です。これもハイビジョンサイズ(^_^;) 左の山は大島の亀山234m。亀山の下、大島大橋の下までが本土側、鹿折(ししおり)地区の梶ケ浦。左手前は気仙沼地区南端、朝日町の石油油槽所や冷凍冷蔵庫、造船会社。大小クレーンの左で、海に突き出している構造物は船を揚げる所。昔のような滑り台は無くなったと聞きます。
 造船会社のクレーンが見えますが、その向こう、水平線に張り付くように見えるのが階上地区の岩井崎です。具体的にはクレーンの左側。ちょっと黒っぽく広がっているのは黒松等の林。クレーンの奥が内沼や瀬向辺り。クレーン右側奥には震災遺構となった旧宮城県向洋高校の校舎も見えるはずですが、イマイチハッキリしません(>_<) 
 ところで、クレーンと右端に近い所にあるこんもりとした森の中間辺りで、そのずーっと奥に霞んだ、やや潰れた三角の山が見えます。これは石巻市東に在る牡鹿半島の先端に位置する信仰の島・金華山444mです。ほぼ真南、約65km先です。

202103081341 大島大橋 w1024 P1740176.jpg
 向こうに見えていた大島大橋です。このシリーズ中「大島大橋から」編は、写真右端で手前側に有る駐車場に車を駐めての撮影でした。
 左下には梶ケ浦の漁港が移っていますが、奥までは...(>_<)

202103081342 造船裏手 w1280 P1740187.jpg
 造船所の裏手です。左の白い建物は冷凍工場、右手の中程で白いタンクが並んでいるのは油槽所。震災前はもっと多くありましたが、今は5つだけ。不思議。流通が変わったのでしょうか。タンクの左は水産加工組合の施設。それらを除いた多くの施設は震災後に1つに束ねられた新しい造船所です。
 先ほどのインターは四か浜の一つ・大浦にあり、その中程から北隣の浪板、それは鹿折川の河口付近ですが、そこまで造船所が広がっていました。もちろん海に面していたので大津波で甚大な被害を受け、各社再建を目指していましたが、国のお金を頂いて向こう岸に1つの会社として集約したものです。
 横に延びるパイプが邪魔ですが、中央やや右に2隻がこっちを向いています。艦首の波を切る辺りが見えます。

202103081342 大川河口 w1024 P1740194.jpg
 ほんの少しだけ過ぎ松岩地区に入りました。大川の河口が見えます。中央下の突堤から左手、タンクがある岸との間です。
 ヨコミーはアサリとシジミの違いが分からない男ですが(>_<)季節になると河口の中では小舟に乗った漁師が川底からアサリかシジミ(^_^;)をすくっていましたし、突堤の右側ではお金を支払って潮干狩りが行われていました。っつうことは稚貝を放流していたのでしょうね。
 タンクの右奥、向こう岸には梶ケ浦の漁港が見えますが、イマイチハッキリしません(>_<)
 ところで、右下隅に小さく見える看板「SAITO」は、昨年7月で閉店した菓子舗サイトウです。ヨコミーは震災前、仕事で3年ほど薄いお付き合いがありました。
 元々は気仙沼地区(旧・気仙沼町)南町の振商会通りに有り、それから中心市街地活性化のため、閉店して暫く空いていた小さなスーパーに談話が出来るお菓子屋さんとして入居。ところが間もなく東日本大震災が発生し、大津波がこの店にも押し寄せました(>_<)
 失意の店主ではありましたが、その後海沿いですがあの大津波も及ばない小高いこの地にお菓子屋さん兼レストランを再建。しかし残念ながら、ヨコミーもたまに行っていたのですが閉店...(>_<) 美味しいし値段も妥当と思ったのですが、時代より先を行ってしまったのか、交通がやや不便でした。間もなく横断橋の一部下を通って川向かいとを結ぶ橋が完成すれば、交通の利便はかなり良くなるはずなのに....(>_<) 
 海を見ながら二人で食事を楽しんだり、ひとりボーッと海を眺めてコーヒーを啜ってもいい場所だと思うのですが、気仙沼には景色にこだわる好き者が少ないのでしょうね。因みに新市街地にあるお高そうなレストランは、いつもおばさまたちでいっぱい(^_^;) ヨコミーはレジ近くに有る品を買って帰るだけですが(>_<)
 そういえば市内の大きな道路沿いに有った輸入雑貨から美味しいお米まで扱う洒落た店は、これまた閉店しました(>_<) SAITOさん同様、「気仙沼の時代」が付いてこなかったのか、地方の、更に地方の小都市では好き者の人口が少なくて、商売が成り立たなかったのでは....と勝手な推測(>_<)
 なぁーんて思っている内に場面は進みます(^_^;)

202103081342 朝日町付近 w2560 P1740197.jpg
 右下菓子舗サイトウの辺りからパチリ。先ほどより左側が広く写っています。湾の向こう岸、クレーンの右に見える丘に建つのは、閉校した浦島小学校南西側斜面に建つ新しい家々。被災して海辺から上がってきたお宅。ヨコミーが仕事で小学校へも行っていた頃は斜面に4戸程度でしたが。クレーン先端の真下で、木々の間から途切れながらも左右に広がって見えているのが校舎だと思います。
 写真中央下のやや左にある白く広い壁の建物は下水道処理場。クレーンの手前側まで続きます。あの震災時、手伝っていた避難所では水洗トイレが使えず、とても大変でした。
 今後東日本や西日本の太平洋側では規模がとても大きい地震が発生すると予測され、大津波が発生すると心配されていますが、沿岸部の都市では下水処理を結構海の近くで行っている所が多いかと。
 沿岸部で下水道を利用している方は、自分のまちではどういう対策がなされているか確認され、もし対策を取っていなかったら明日からでも行政の尻を一生懸命に叩かなければならないかと(>_<)
 いやいや、我が家はマンションの上層階だから津波なんて関係ないよ...とお思いのあなた、処理場が壊れれば流入は止められます。下水管も壊れたり土砂で中が埋まる可能性も。なのでそんな状況でも流し続けると、お近くのマンホールから糞尿が溢れ出て、「田舎の香水」が漂うことに(>_<)
 じゃあ仮設トイレを...とお思いのあなた、仮設トイレの数には限りが有り、大至急の増産も大変かと。更に沿岸どこのまちでも処理場が被災すると仮設トイレの争奪戦に(>_<) 
 無事に数が足りたとしても、今まで無かった糞尿の量を、いったいどこで処理できるのでしょうか。水洗化が進んだ所ほど、糞尿の処理場は無いかも(>_<) 仮に我がまちに有ったとしても被災したり、大量に増えた糞尿を果たして処理できるでしょうか? 
 困って内陸側の自治体へ処理を依頼するとしても、多少は受け入れてもらえるでしょうけれど、どこでも余力のある処理はしていないかと。そうなると、仮設トイレがあっても汲み取ってもらえず、溢れそうで使えない事態にも(>_<)(>_<)
 快適なトイレライフをいついかなる時でも最大限維持するため、沿岸部に住む下水道利用者の方は下水処理場の災害対策が十分か否か至急確かめ、不十分なら地域を巻き込んで行政のお尻を大至急叩きましょう(^_^)v
 あっ、因みにヨコミー家は田舎なので下水道の区域からかなり外れています。なので合併浄化槽を設置していて、更には仮設トイレも1基、西日が当たらない所に置いています(^_^)v ん?、お掃除(>_<)
 あっ、またまたいろんな事を考えてしまいました。でも運転手じゃなかったのが幸い(^_^;)

202103081342 中央インターへ w1024 P1740200.jpg
 気付いたらもう橋は終わり、こんな標識が。
 でもここは左から上り線に合流する気仙沼港インターです。ここでは下りられない、仙台向きのハーフインター。なので青森・岩手から南下して気仙沼魚市場へ行きたい....と思って横断橋を渡っても、更に1つ先の、1.2km先の中央インターまで進んで下の道を戻ってこないと市街地や魚市場へ行けないという不便な作り(>_<)
 これは先ほど高速道に乗った浦島大島インターも同様の仙台向きで、青森・岩手から南下して大島へ行くお客さんは大島の名が付くインターでは下りられず、1つ北側のインターで下りなければ成りません(>_<)
 あの震災によって「復興道路」と位置づけられ、何が何でも予定通り開通させるんだ...と言わんばかりに配慮・熟慮は二の次として、急がせられたのでしょう。今からでも不便や迷惑な作りを直して欲しいものです。与党を支持する建設業界にも予算が行くことでしょうから(^_^;)

 あっ、明日も多忙なので寝ます(>_<) ヨコミー奥様のおリュウさんはお仕事(^_^)v 鬼の居ぬ間に洗濯です(^_^;)
 おしまいm(_ _)m

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