今が見頃(^_^)v ヨコミー家の秋バラ 20211027 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
どうやら季節風のシーズンになりました。凡そ西からの強い風です。幸い今日は穏やかで割と暖かかったので、ヨコミーは半袖の肌着に薄い長袖のシャツだけでランチを食べてきました。
でも、地元のラジオによれば内湾付近にはダウンジャケットを着ていた人も居たようです。うーん、南国から来られた観光客かな(^_^;)
さて、コロナであちこちに出掛けられないでいるうちに秋バラの季節となりました。コロナと多忙でなかなか出歩けませんので、自宅のバラで辛抱です(^_^;)
写真はクリックすると大きくなります。
最初は目立ち用に(^_^;)、クイーン・エリザベスです。上向きに咲く明るい花です。
でも、しばらくはピエール・ド・ロンサールです(^_^;) この蕾がお気に入り(^_^)v
やや開きかけたピエール・ド・ロンサールです。
ピエール・ド・ロンサールがだいぶ膨らみました。美味しそう(^_^;) このカップが素敵です(^_^)v
開いてきたピエール・ド・ロンサールです。花弁の質感がなんとも...(^_^;)
ピエール・ド・ロンサールは開いて大きくなると下向きになるので、撮影が大変(^_^;)
一番最初に紹介したクイーン・エリザベスの蕾です。特徴として咲き開いても上向きです(^_^)v
やや開いてきたクイーン・エリザベスの蕾です。この色合いも素敵です(^_^)v
昨夜から降り続いていた雨粒が残っているクイーン・エリザベスです。この色も好みです(^_^)v
ちょっと雨水が重いのか、やや下向き(^_^;)
これもクイーン・エリザベスですが、雲で日陰になってもカメラのセットは昼光色で撮っていた為か、妖しげな雰囲気に(^_^;)
この色も若干不思議に色をしているのは、そんな理由(>_<)
朱色のつるバラが咲いていました。小さい花です。ヨコミー家には他に白色と黄色のつるバラが有ります。しかしこれらは夏までのようで、蕾は見えません。
ヨコミー家のバラはまだまだ手入れが足りません。単に増やしても可哀想なので、新規参入は手入れが続いたときにでも考えます(^_^)v
そんなヨコミー家とは一線を画す素敵なお宅を紹介します。市内山の手にある住宅地に住む潮沢弁お嬢さまは、バラ作りなどのガーデニングや菓子作り、調理などを楽しんでいます。素敵な動画のリンクは下記のとおりです(^_^)v
https://youtu.be/iT52naNpckM
https://youtu.be/d4JKg2nvxvo
https://youtu.be/em09ZKRy78k
https://youtu.be/LzSxgj5qq8M
本日はこれでおしまいm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
どうやら季節風のシーズンになりました。凡そ西からの強い風です。幸い今日は穏やかで割と暖かかったので、ヨコミーは半袖の肌着に薄い長袖のシャツだけでランチを食べてきました。
でも、地元のラジオによれば内湾付近にはダウンジャケットを着ていた人も居たようです。うーん、南国から来られた観光客かな(^_^;)
さて、コロナであちこちに出掛けられないでいるうちに秋バラの季節となりました。コロナと多忙でなかなか出歩けませんので、自宅のバラで辛抱です(^_^;)
写真はクリックすると大きくなります。
最初は目立ち用に(^_^;)、クイーン・エリザベスです。上向きに咲く明るい花です。
でも、しばらくはピエール・ド・ロンサールです(^_^;) この蕾がお気に入り(^_^)v
やや開きかけたピエール・ド・ロンサールです。
ピエール・ド・ロンサールがだいぶ膨らみました。美味しそう(^_^;) このカップが素敵です(^_^)v
開いてきたピエール・ド・ロンサールです。花弁の質感がなんとも...(^_^;)
ピエール・ド・ロンサールは開いて大きくなると下向きになるので、撮影が大変(^_^;)
一番最初に紹介したクイーン・エリザベスの蕾です。特徴として咲き開いても上向きです(^_^)v
やや開いてきたクイーン・エリザベスの蕾です。この色合いも素敵です(^_^)v
昨夜から降り続いていた雨粒が残っているクイーン・エリザベスです。この色も好みです(^_^)v
ちょっと雨水が重いのか、やや下向き(^_^;)
これもクイーン・エリザベスですが、雲で日陰になってもカメラのセットは昼光色で撮っていた為か、妖しげな雰囲気に(^_^;)
この色も若干不思議に色をしているのは、そんな理由(>_<)
朱色のつるバラが咲いていました。小さい花です。ヨコミー家には他に白色と黄色のつるバラが有ります。しかしこれらは夏までのようで、蕾は見えません。
ヨコミー家のバラはまだまだ手入れが足りません。単に増やしても可哀想なので、新規参入は手入れが続いたときにでも考えます(^_^)v
そんなヨコミー家とは一線を画す素敵なお宅を紹介します。市内山の手にある住宅地に住む潮沢弁お嬢さまは、バラ作りなどのガーデニングや菓子作り、調理などを楽しんでいます。素敵な動画のリンクは下記のとおりです(^_^)v
https://youtu.be/iT52naNpckM
https://youtu.be/d4JKg2nvxvo
https://youtu.be/em09ZKRy78k
https://youtu.be/LzSxgj5qq8M
本日はこれでおしまいm(_ _)m
気仙沼湾横断橋展望スポット 気仙沼の今 20211007 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
最近ようやく天候が落ち着き、割と晴れるようになりました。ただ先日、ヨコミー奥様のおリュウさんに逃げられ、台所に立って昼食を作っていたとき、ザァーッと雨の音。至急洗濯物を取り入れたかったのですが鍋の都合も有り、外に出るのがちょっと遅れたら、道路はすっかりと雨水が溜まっていました(>_<)
天気予報では寒くなる寒くなると繰り返して言っていましたが、それほどまだ寒くは無いです。今朝はアメダスに拠れば気温は3℃台でしたが昼間は気温が上がり14℃を超えました。昨日は最高気温が13℃ギリギリでしたが朝が寒くなかった為か、それほど外の寒さは感じませんでした。ただ昨日栗駒山の須川温泉に行った方は雪が積もっていたと話していました。そろそろ山道は冬タイヤが必要です。
さて、今回は写真が多いです。若干重複している所もありますが、サラッとお進み願いますm(_ _)m
いつもの事ながら、写真をクリックすると大きくなります。
こんな感じの橋を見てきました。手前の大きな橋は今年3月に開通した高速の三陸道気仙沼湾横断橋。
左奥が2019年春開通の、離島・大島を本土と結ぶ県道の大島大橋。橋の右側が大島側。
車を駐めたのはここ。正面は防潮堤。その防潮堤に階段があります。気仙沼市鹿折(ししおり)地区(旧・鹿折町)の字名は大浦という所です。
ところで、ヨコミー奥様・おリュウさんの車が変わりました。赤系ですが、ちょっと暗めに。ガソリン代高騰、太陽光発電売渡し単価の超低価格、災害時への備えという理由で、本当はプラグインハイブリッドにしたかったのですが、手が届きやすいプリウスは屋根が低くて乗り降り時に頭が当たって大変(>_<) 座高の高いヨコミーは禿げになりそう(^_^;) で、仕方なくプラモのような電池自動車(>_<) 太陽光や夜間電力で充電し、貯めた電気を家庭に吐き出す充電機械も頼んだのですが、なんと国の補助金申請が決定まで5ヶ月も要するということで決定待ち(>_<) この時代に5ヶ月なんて、行政相談モノですよね(^_^;) 車の記事は後日に出来れば...。
ということで階段へ進みます。横断橋の展望スポット入り口と書いてあります。夜間照明も有るみたい。
防潮堤に登って右側をぱちり。右の砕石敷が駐車場。真ん中辺りを左右に通っているのが県道大島線が出来る前の旧道。旧道は大島に通じていなかったので何線と言っていたか不詳(>_<) 新しい県道はこの山手に出来ました。中央に見える黄土色の倉庫。その少し左、そしてちょっとだけ上に少しの区間が見えています。
カメラは更に左へ。右から1/3の辺りが北です。ずーっと奥に見える建物群が、東日本大震災の大津波で300tもの船が打ち上げられた鹿折地区です。鹿折地区も壊滅的な被害を受け、多くの方が亡くなりました。
以降、ほぼこんな範囲の写真を「広い範囲」とか「広い写真」と称します。広い写真を左回りに撮ってブログ上は縦に並べ、そして各写真の一部拡大をその間に置きます。そんなパターンです。
写真中央上に何やら鵜かんでいます(^_^;)
海鵜のようです。でも、このホースって海水を吸うやつかなぁ...。調査不足(>_<)
鹿折地区のちょっと拡大です。あっ、左1/4位は気仙沼地区(旧・気仙沼町)。でも左端に見える廃業したホテルの経営者は鹿折の方で、私的にはここまで(^_^;) そのホテルの右上に見える白い針が復興祈念公園。目印です。
で、もう一つ。右奥の山です。すっとした独立峰が素敵な高判形山(たかはんぎょうさん。432m)。鹿折地区の上手に在り、岩手県盛岡市の北東にそびえる姫神山にその姿が似ていて美しいです。
鹿折地区の街並みをもっと拡大。真ん中から右に伸びている護岸は鹿折川の堤防。河口です。
手前の建物群は再建された水産加工場。その背後に、頭が揃った何棟かの災害公営住宅が建ち並んでいます。
こんな姿を見ると、「復興しましたねぇ...」と言う方が居ますが、水平方向から見ているので、空き地の多さは見えません。あの、新規に家を建てられない程に建て込んでいた以前の姿はどこにもありません。住宅が集約されたとしても、地区の人口をみれば人の戻りはまだまだ足りないです。
真ん中は広い写真の左端に見えていた、今は廃業したホテル望洋です。ちょっと休んでいた時期もありましたが、震災後までやっていたのですが...。以前に掲載した内湾からの記事では右後ろ側がちょっとだけ写っていましたが、今回は前から。右側のちょっと低い所がバンケットで、忘年会で飲み、二次会へ行く前に下の大浴場へ飛び込む強者もいました(^_^;)
ホテル右上がトゲというか針状(^_^;) 震災復興祈念公園です。こういう施設は丘の狭い所に作るんじゃなく、市が買い上げた浸水地の中で、まだ沢山残っている未利用地を使って欲しかった。広い駐車場も出来るでしょうに...(>_<)
左端に近いとんがり屋根は結婚式場。内湾を見下ろす良い所にあります。その下、海に浮かぶような森には、五十鈴神社が有ります。過日の内湾からの記事にも載っている「お神明さん」。左下角に浮御堂が有り(小さい(>_<)、赤い橋を歩いてホテル望洋の下側へ行けます。ちょっとした公園になっていて、四阿やトイレが有ります。海の上を歩いてみませんか(^_^)v
カメラは広い範囲で左隣へ。右端に先程の結婚式場、右上の山は安波山(あんばやま、あんばさん)、山頂左下の白い色の建物は気仙沼プラザホテル、真ん中付近の海沿いから左へ続くのが気仙沼魚市場。真ん中の薄茶色の建物はホテル観洋。
写真の映りが悪くてすみませんm(_ _)m ヨコミーの技量以上にお天気が悪くて...(>_<)(^_^;)
拡大したプラザホテルと安波山方面です。ホテルの右端に見える白いとんがりは、以前はホテルの結婚式場でしたが、最近はお呼ばれや忘年会が無いので不詳(^_^;)
山頂直下の沢は昔歓楽街で栄えた太田(おおた)。ここに気仙沼の酒蔵の一つである両国ブランドの酒蔵が有ります。ただ、先程紹介した高判形山麓の廃校となった白山小学校を利用して酒蔵が整備され、稼働したと地元紙に載っていましたので、すっかり移転したのか並行して作るのかは不詳(>_<)
そして拡大のまま左へ。
左端がホテル観洋です。その下が魚市場で右側が北東端。ここから裏側に60°程折れ、北桟橋となっています。屋上の三角屋根は四阿。左側の屋上は駐車場になっています。中央の白い建物は魚市場の塔屋?で、下に震災前は魚市場を運営する漁協の出先事務所などが入って居ました。震災で内湾に有った漁協の建物は被災し、後に魚市場の中にすっかりと入ったので、白い建物の中がどうなっているかは不詳。震災前はオンバの義理息子さんや父が世話になった方の息子さん、ヨコミー同級生の旦那さんも居たのですが、もう10年以上も経ち、顔見知りは居ないかも...(>_<)
拡大分で更に左。市の図書館やNTT方面です。気仙沼小学校は木立の中からちょっとだけ。中学校の建物も右肩部分がちょっとだけ見えます(^_^;)
改修中に被災し、完成まで更に時間が掛かった魚市場の真ん中辺り。クッキングスタジオも整備されましたが最近またPRしているので、利用が少ないのかも知れません。いろんな仕掛けが要りますね。
魚市場岸壁の長さでは同じ県内の石巻魚市場に負けているようですが、それでも結構長く、構図を斜めにしてやっと1コマに収まりました(^_^;) 横幅はフルハイビジョンの倍にしています。すみませんが横にスクロールしてお楽しみ願いますm(_ _)m
広い範囲で更に左をパチリ。魚市場の南側です。凡そ潮見町方面かと。では、拡大に(^_^)v
上の写真で右から1/4辺りの所を拡大しました。老朽化で立て替えられた市立病院などが見えます。そして左上の山のてっぺん(平ですが)には牧沢の災害公営住宅が見えます。閉校した気仙沼西高の天文台より高い所。
今日、小話の様なことを聞いてきました。ここに住む人が冬、雪が降ってきたので十分な身支度をして麓に下りてきたら、なんと晴れていた....という笑えない話(>_<) 西高が建つずーっと前のことですが、その東側斜面にはその昔牧沢市営住宅というのが出来、当時は結構山手だなぁ...と思って居ましたが、それが引き金になったか人口増で開発が進み、今では結構な団地となりました。支援学校、特養、高校までも出来ました。でも、やはり山手の気候。この災害公営住宅は更に高い山の上に出来ました。
気仙沼は確かに平地は少ないです。平地は既に建物が建ち並んでいたり農耕地。といってもあの山より低い所にも森はあったはず。有ります。山の上の災害公営住宅は航空写真で見て頂ければ分かりますが、3つに分かれています。余所の災害公営住宅や防災集団移転の団地を見れば、もっと小規模の団地がありますので「コストが高いから...」とは言わせません。地権者と金額が折り合わなかったのか、それとも公有地?を求めていた為なのかは知りませんが、残念な結果です。知る限りでは山に近い、一番標高が高い団地だと思います。気軽に街へ自転車で出掛けても、電動自転車じゃなければ帰れないかも(>_<) 折り畳んでバスで帰宅? ヨコミーのような変人なら高い所を好みますが、一般の方、特に高齢者には辛かろうと(>_<)
東南海地震等で津波の恐れがある地域にお住まいの方々は、行政がどのように対応する計画を持っているのか至急確認し、不都合があれば修正して頂きましょう。もし計画等が無い場合は行政のお尻を叩き、万が一のときでも後悔しないようなまちづくりが出来るよう、意見を反映して頂きましょう(^_^)v
あっ、長くなりました(>_<)
海上保安庁の船です。この辺だけなので大きな船ではありません。
広い範囲で左隣をパチリ。三陸道の気仙沼湾横断橋が見えてきました。朝日町付近です。海面の上にちょっと汚れたコンクリートの防潮堤が見えます。
左に見える橋脚の左下奥にクレーンが有ります。これは鹿折東海岸に有った造船各社が合併して移転した会社のものです。おかげで市内造船業のほとんどを占めていた会社の多くが鹿折から居なくなりました(>_<)
ここの土地の多くはこの海を浚渫したときの土砂を埋め立てたと聞きます。ヨコミーが若い頃、皆さんはここを「ナンベー」と呼んでいました。南米?南辺?からの言葉でしょうか、詳細は不詳です。
写真真ん中、オレンジ色のクレーンが重なっている建物は国の合同庁舎です。大津波で被災したのですが、右隣に有った県の合同庁舎と違って、改修して使っています。その改修でフロアが減ったのか、震災前は1階に有ったハローワークが気仙沼駅南西側の新興地域に、2階に有った法務局は市民会館下に有るNTTビル1階に移転しました。あの大津波がまたやってきたら、法務局は床上浸水するかも知れませんが(>_<)
ところでご存じでしたか? 震災後に出来た大きな防潮堤は、あの大津波対応じゃないことを(>_<) 地元の日門海岸防潮堤説明会で県の方が話していましたが、整備する(した)防潮堤はより低い宮城県沖地震で発生すると想定されている程度の津波に対応しているようです。お時間がある方はL1(エルワン)防潮堤、L2(エルツー)防潮堤を調べてみてください。出来ることなら、本当は嫌いですが、田中角栄を呼んで来たいです(>_<)
広い範囲で更に左隣です。横断橋に近いので1枚の写真に橋が収まりません(^_^;) 右奥てっぺんに雲が掛かっているのは大島の亀山。小さな橋が大島大橋です。何度も言いますが、大島大橋は震災で作って頂いた橋ではなく、もう何十年も前から地元が要望していた橋です。
大島大橋の拡大です。朝ドラにもこんな姿が映し出されていました。亀山は画面の左外。雲?霧?の中。左上の平らな部分は小亀山といって、その昔は桜の名所でしたが後に病気で....(>_<)
今の朝ドラ「おかえりモネ」を見ている方はご存じでしょうけれど、ちょっとした嵐や濃霧で連絡船が欠航し、特に救急が大変でした。また通勤通学にも影響し、夕方欠航した場合は本土の宿に泊まった方も居たようです(>_<)
そんな不便に思いも馳せずに、勝手な解釈で「橋は震災復興で作ってもらったのに利用が少なくて勿体ない。けしからん」的に思っているお人も居るようで、全く残念でたまりません(>_<) 利用が少ないなら何曜日の何時の撮影か、季節はいつか等々、上っ面の1場面だけじゃなく、その裏側というか真実はどこに有るのか、気にして欲しいです(^_^)v
奥に見えるのが小々汐(こごしお)の入り江。その上にちょっとだけ新しい県道が見えます。大島へ行く道です。昨年春、その道から完成間近の横断橋を撮った写真が過去記事に有ります。
この地域は尾形一族の地といっても過言ではなく、旧網元の大家(おおいえ)と呼ばれるお宅が取り仕切っていました。このお宅はとても凄い古民家で、大津波でだいぶ傷んだものの、千葉?かの古民家を集めた施設に移築されたようです。
広い範囲で更に左へ。この地は蜂ヶ崎と言います。あの大津波が乗り越えたとも聞きます。右1/3辺りに道が見えるのは旧・県道。先程車を置いた駐車場の奥に見えた道がこの鉄塔が立っている丘の直ぐ向こうを通り、右手に続いています。
ところでこの鉄塔は対岸の朝日町から鹿折へ湾を横断する高圧線の鉄塔です。この辺りは対岸がより近いのです。
説明板が有りました。地図も載っているのでブログの先に載せようかとも思いましたが、皆様方の想像力に期待し、展望スポットの奥にも有るので最後としました。悪しからずm(_ _)m
今後は見える風景の写真付き説明板も欲しいですね(^_^)v
日本は災害が多い国のようです。自分の住む地域にどのような危険性が有り、過去にはどのような災害が有ったか....を学ぶことは大切です。それらをこれからのまちづくりに活かし、減災に役立てて頂ければと思います。各地の災害を学び、こんな災害が起こりやすいから万が一の場合の対策は....等々自治会等で話し合い、それを行政にぶつけ、一緒に対策等を考えて欲しいです。
おしまいm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
最近ようやく天候が落ち着き、割と晴れるようになりました。ただ先日、ヨコミー奥様のおリュウさんに逃げられ、台所に立って昼食を作っていたとき、ザァーッと雨の音。至急洗濯物を取り入れたかったのですが鍋の都合も有り、外に出るのがちょっと遅れたら、道路はすっかりと雨水が溜まっていました(>_<)
天気予報では寒くなる寒くなると繰り返して言っていましたが、それほどまだ寒くは無いです。今朝はアメダスに拠れば気温は3℃台でしたが昼間は気温が上がり14℃を超えました。昨日は最高気温が13℃ギリギリでしたが朝が寒くなかった為か、それほど外の寒さは感じませんでした。ただ昨日栗駒山の須川温泉に行った方は雪が積もっていたと話していました。そろそろ山道は冬タイヤが必要です。
さて、今回は写真が多いです。若干重複している所もありますが、サラッとお進み願いますm(_ _)m
いつもの事ながら、写真をクリックすると大きくなります。
こんな感じの橋を見てきました。手前の大きな橋は今年3月に開通した高速の三陸道気仙沼湾横断橋。
左奥が2019年春開通の、離島・大島を本土と結ぶ県道の大島大橋。橋の右側が大島側。
車を駐めたのはここ。正面は防潮堤。その防潮堤に階段があります。気仙沼市鹿折(ししおり)地区(旧・鹿折町)の字名は大浦という所です。
ところで、ヨコミー奥様・おリュウさんの車が変わりました。赤系ですが、ちょっと暗めに。ガソリン代高騰、太陽光発電売渡し単価の超低価格、災害時への備えという理由で、本当はプラグインハイブリッドにしたかったのですが、手が届きやすいプリウスは屋根が低くて乗り降り時に頭が当たって大変(>_<) 座高の高いヨコミーは禿げになりそう(^_^;) で、仕方なくプラモのような電池自動車(>_<) 太陽光や夜間電力で充電し、貯めた電気を家庭に吐き出す充電機械も頼んだのですが、なんと国の補助金申請が決定まで5ヶ月も要するということで決定待ち(>_<) この時代に5ヶ月なんて、行政相談モノですよね(^_^;) 車の記事は後日に出来れば...。
ということで階段へ進みます。横断橋の展望スポット入り口と書いてあります。夜間照明も有るみたい。
防潮堤に登って右側をぱちり。右の砕石敷が駐車場。真ん中辺りを左右に通っているのが県道大島線が出来る前の旧道。旧道は大島に通じていなかったので何線と言っていたか不詳(>_<) 新しい県道はこの山手に出来ました。中央に見える黄土色の倉庫。その少し左、そしてちょっとだけ上に少しの区間が見えています。
カメラは更に左へ。右から1/3の辺りが北です。ずーっと奥に見える建物群が、東日本大震災の大津波で300tもの船が打ち上げられた鹿折地区です。鹿折地区も壊滅的な被害を受け、多くの方が亡くなりました。
以降、ほぼこんな範囲の写真を「広い範囲」とか「広い写真」と称します。広い写真を左回りに撮ってブログ上は縦に並べ、そして各写真の一部拡大をその間に置きます。そんなパターンです。
写真中央上に何やら鵜かんでいます(^_^;)
海鵜のようです。でも、このホースって海水を吸うやつかなぁ...。調査不足(>_<)
鹿折地区のちょっと拡大です。あっ、左1/4位は気仙沼地区(旧・気仙沼町)。でも左端に見える廃業したホテルの経営者は鹿折の方で、私的にはここまで(^_^;) そのホテルの右上に見える白い針が復興祈念公園。目印です。
で、もう一つ。右奥の山です。すっとした独立峰が素敵な高判形山(たかはんぎょうさん。432m)。鹿折地区の上手に在り、岩手県盛岡市の北東にそびえる姫神山にその姿が似ていて美しいです。
鹿折地区の街並みをもっと拡大。真ん中から右に伸びている護岸は鹿折川の堤防。河口です。
手前の建物群は再建された水産加工場。その背後に、頭が揃った何棟かの災害公営住宅が建ち並んでいます。
こんな姿を見ると、「復興しましたねぇ...」と言う方が居ますが、水平方向から見ているので、空き地の多さは見えません。あの、新規に家を建てられない程に建て込んでいた以前の姿はどこにもありません。住宅が集約されたとしても、地区の人口をみれば人の戻りはまだまだ足りないです。
真ん中は広い写真の左端に見えていた、今は廃業したホテル望洋です。ちょっと休んでいた時期もありましたが、震災後までやっていたのですが...。以前に掲載した内湾からの記事では右後ろ側がちょっとだけ写っていましたが、今回は前から。右側のちょっと低い所がバンケットで、忘年会で飲み、二次会へ行く前に下の大浴場へ飛び込む強者もいました(^_^;)
ホテル右上がトゲというか針状(^_^;) 震災復興祈念公園です。こういう施設は丘の狭い所に作るんじゃなく、市が買い上げた浸水地の中で、まだ沢山残っている未利用地を使って欲しかった。広い駐車場も出来るでしょうに...(>_<)
左端に近いとんがり屋根は結婚式場。内湾を見下ろす良い所にあります。その下、海に浮かぶような森には、五十鈴神社が有ります。過日の内湾からの記事にも載っている「お神明さん」。左下角に浮御堂が有り(小さい(>_<)、赤い橋を歩いてホテル望洋の下側へ行けます。ちょっとした公園になっていて、四阿やトイレが有ります。海の上を歩いてみませんか(^_^)v
カメラは広い範囲で左隣へ。右端に先程の結婚式場、右上の山は安波山(あんばやま、あんばさん)、山頂左下の白い色の建物は気仙沼プラザホテル、真ん中付近の海沿いから左へ続くのが気仙沼魚市場。真ん中の薄茶色の建物はホテル観洋。
写真の映りが悪くてすみませんm(_ _)m ヨコミーの技量以上にお天気が悪くて...(>_<)(^_^;)
拡大したプラザホテルと安波山方面です。ホテルの右端に見える白いとんがりは、以前はホテルの結婚式場でしたが、最近はお呼ばれや忘年会が無いので不詳(^_^;)
山頂直下の沢は昔歓楽街で栄えた太田(おおた)。ここに気仙沼の酒蔵の一つである両国ブランドの酒蔵が有ります。ただ、先程紹介した高判形山麓の廃校となった白山小学校を利用して酒蔵が整備され、稼働したと地元紙に載っていましたので、すっかり移転したのか並行して作るのかは不詳(>_<)
そして拡大のまま左へ。
左端がホテル観洋です。その下が魚市場で右側が北東端。ここから裏側に60°程折れ、北桟橋となっています。屋上の三角屋根は四阿。左側の屋上は駐車場になっています。中央の白い建物は魚市場の塔屋?で、下に震災前は魚市場を運営する漁協の出先事務所などが入って居ました。震災で内湾に有った漁協の建物は被災し、後に魚市場の中にすっかりと入ったので、白い建物の中がどうなっているかは不詳。震災前はオンバの義理息子さんや父が世話になった方の息子さん、ヨコミー同級生の旦那さんも居たのですが、もう10年以上も経ち、顔見知りは居ないかも...(>_<)
拡大分で更に左。市の図書館やNTT方面です。気仙沼小学校は木立の中からちょっとだけ。中学校の建物も右肩部分がちょっとだけ見えます(^_^;)
改修中に被災し、完成まで更に時間が掛かった魚市場の真ん中辺り。クッキングスタジオも整備されましたが最近またPRしているので、利用が少ないのかも知れません。いろんな仕掛けが要りますね。
魚市場岸壁の長さでは同じ県内の石巻魚市場に負けているようですが、それでも結構長く、構図を斜めにしてやっと1コマに収まりました(^_^;) 横幅はフルハイビジョンの倍にしています。すみませんが横にスクロールしてお楽しみ願いますm(_ _)m
広い範囲で更に左をパチリ。魚市場の南側です。凡そ潮見町方面かと。では、拡大に(^_^)v
上の写真で右から1/4辺りの所を拡大しました。老朽化で立て替えられた市立病院などが見えます。そして左上の山のてっぺん(平ですが)には牧沢の災害公営住宅が見えます。閉校した気仙沼西高の天文台より高い所。
今日、小話の様なことを聞いてきました。ここに住む人が冬、雪が降ってきたので十分な身支度をして麓に下りてきたら、なんと晴れていた....という笑えない話(>_<) 西高が建つずーっと前のことですが、その東側斜面にはその昔牧沢市営住宅というのが出来、当時は結構山手だなぁ...と思って居ましたが、それが引き金になったか人口増で開発が進み、今では結構な団地となりました。支援学校、特養、高校までも出来ました。でも、やはり山手の気候。この災害公営住宅は更に高い山の上に出来ました。
気仙沼は確かに平地は少ないです。平地は既に建物が建ち並んでいたり農耕地。といってもあの山より低い所にも森はあったはず。有ります。山の上の災害公営住宅は航空写真で見て頂ければ分かりますが、3つに分かれています。余所の災害公営住宅や防災集団移転の団地を見れば、もっと小規模の団地がありますので「コストが高いから...」とは言わせません。地権者と金額が折り合わなかったのか、それとも公有地?を求めていた為なのかは知りませんが、残念な結果です。知る限りでは山に近い、一番標高が高い団地だと思います。気軽に街へ自転車で出掛けても、電動自転車じゃなければ帰れないかも(>_<) 折り畳んでバスで帰宅? ヨコミーのような変人なら高い所を好みますが、一般の方、特に高齢者には辛かろうと(>_<)
東南海地震等で津波の恐れがある地域にお住まいの方々は、行政がどのように対応する計画を持っているのか至急確認し、不都合があれば修正して頂きましょう。もし計画等が無い場合は行政のお尻を叩き、万が一のときでも後悔しないようなまちづくりが出来るよう、意見を反映して頂きましょう(^_^)v
あっ、長くなりました(>_<)
海上保安庁の船です。この辺だけなので大きな船ではありません。
広い範囲で左隣をパチリ。三陸道の気仙沼湾横断橋が見えてきました。朝日町付近です。海面の上にちょっと汚れたコンクリートの防潮堤が見えます。
左に見える橋脚の左下奥にクレーンが有ります。これは鹿折東海岸に有った造船各社が合併して移転した会社のものです。おかげで市内造船業のほとんどを占めていた会社の多くが鹿折から居なくなりました(>_<)
ここの土地の多くはこの海を浚渫したときの土砂を埋め立てたと聞きます。ヨコミーが若い頃、皆さんはここを「ナンベー」と呼んでいました。南米?南辺?からの言葉でしょうか、詳細は不詳です。
写真真ん中、オレンジ色のクレーンが重なっている建物は国の合同庁舎です。大津波で被災したのですが、右隣に有った県の合同庁舎と違って、改修して使っています。その改修でフロアが減ったのか、震災前は1階に有ったハローワークが気仙沼駅南西側の新興地域に、2階に有った法務局は市民会館下に有るNTTビル1階に移転しました。あの大津波がまたやってきたら、法務局は床上浸水するかも知れませんが(>_<)
ところでご存じでしたか? 震災後に出来た大きな防潮堤は、あの大津波対応じゃないことを(>_<) 地元の日門海岸防潮堤説明会で県の方が話していましたが、整備する(した)防潮堤はより低い宮城県沖地震で発生すると想定されている程度の津波に対応しているようです。お時間がある方はL1(エルワン)防潮堤、L2(エルツー)防潮堤を調べてみてください。出来ることなら、本当は嫌いですが、田中角栄を呼んで来たいです(>_<)
広い範囲で更に左隣です。横断橋に近いので1枚の写真に橋が収まりません(^_^;) 右奥てっぺんに雲が掛かっているのは大島の亀山。小さな橋が大島大橋です。何度も言いますが、大島大橋は震災で作って頂いた橋ではなく、もう何十年も前から地元が要望していた橋です。
大島大橋の拡大です。朝ドラにもこんな姿が映し出されていました。亀山は画面の左外。雲?霧?の中。左上の平らな部分は小亀山といって、その昔は桜の名所でしたが後に病気で....(>_<)
今の朝ドラ「おかえりモネ」を見ている方はご存じでしょうけれど、ちょっとした嵐や濃霧で連絡船が欠航し、特に救急が大変でした。また通勤通学にも影響し、夕方欠航した場合は本土の宿に泊まった方も居たようです(>_<)
そんな不便に思いも馳せずに、勝手な解釈で「橋は震災復興で作ってもらったのに利用が少なくて勿体ない。けしからん」的に思っているお人も居るようで、全く残念でたまりません(>_<) 利用が少ないなら何曜日の何時の撮影か、季節はいつか等々、上っ面の1場面だけじゃなく、その裏側というか真実はどこに有るのか、気にして欲しいです(^_^)v
奥に見えるのが小々汐(こごしお)の入り江。その上にちょっとだけ新しい県道が見えます。大島へ行く道です。昨年春、その道から完成間近の横断橋を撮った写真が過去記事に有ります。
この地域は尾形一族の地といっても過言ではなく、旧網元の大家(おおいえ)と呼ばれるお宅が取り仕切っていました。このお宅はとても凄い古民家で、大津波でだいぶ傷んだものの、千葉?かの古民家を集めた施設に移築されたようです。
広い範囲で更に左へ。この地は蜂ヶ崎と言います。あの大津波が乗り越えたとも聞きます。右1/3辺りに道が見えるのは旧・県道。先程車を置いた駐車場の奥に見えた道がこの鉄塔が立っている丘の直ぐ向こうを通り、右手に続いています。
ところでこの鉄塔は対岸の朝日町から鹿折へ湾を横断する高圧線の鉄塔です。この辺りは対岸がより近いのです。
説明板が有りました。地図も載っているのでブログの先に載せようかとも思いましたが、皆様方の想像力に期待し、展望スポットの奥にも有るので最後としました。悪しからずm(_ _)m
今後は見える風景の写真付き説明板も欲しいですね(^_^)v
日本は災害が多い国のようです。自分の住む地域にどのような危険性が有り、過去にはどのような災害が有ったか....を学ぶことは大切です。それらをこれからのまちづくりに活かし、減災に役立てて頂ければと思います。各地の災害を学び、こんな災害が起こりやすいから万が一の場合の対策は....等々自治会等で話し合い、それを行政にぶつけ、一緒に対策等を考えて欲しいです。
おしまいm(_ _)m
超新鮮(^_^)v 寒冷地に秋のイチゴ 20211007 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日も寒いです(>_<) 昨日の最高気温は気仙沼のアメダスを見れば15℃、今日は16℃でした(>_<) 雨は朝方に上がったようですが、一瞬薄日が射した以外は多くは暗い曇り空。屋根の太陽光発電はわずか(>_<) そして小雨も短時間ぱらつきました。
思えば天候不順はいつからだったでしょうか。1年近く前に遡れば冬の訪れは早く、前半は寒さが例年より厳しく、積雪も多少多かったかと。
小寒辺りで結構寒くなり、最低気温は-11.2℃(>_<) 大寒になったらなんぼ冷えんだべぇ...と思って心配していたらそれほどでもなく、以降は雨雪が少なく、降ったと思えば警報が出そうに雨がまとまって降るし...(>_<)
7月は途中で少雨となり、いつもは下旬まで梅雨寒なのに早めに暑くなりました。といってもお盆辺りに最高気温が20℃を下回る日が4日も続き、前後の割と気温が低かった日なども合わせて、イチゴは冬が来たのかなぁ...と勘違いしたのでは!? その後の気温回復で春を感じ、イチゴは白い花を付けた...というのが工作員ヨコミーの推理(^_^)v
10月5日撮影、露地で収穫したイチゴです。ヨコミー家には家の内外でもスタジオは無いので、レンガorレンガ風コンクリートブロックの上でパチリ(^_^)v スーパーで季節の終わり頃に安く出る「小粒」よりやや小さいかも(^_^;) でも、摘み取ってから水道水で洗い、口の中へ入れるまで通常30秒未満という超新鮮な味わいは何とも言えません(^_^)v 甘く居酸っぱい。美味しいっ(^_^;)
もっとも、この写真のイチゴは撮影の為、口に入るまで5分近く掛かりましたが(^_^;)
2日後の7日撮影ですが、ヨコミー家玄関前にあるステンレス風物干し支柱の周りには、いろんな物が(^_^;) 左は100円均一のソーラーライト。夜は部屋の中へ(^_^)v その奥はつるバラ。
右下は右からハイビスカス、向こうの葉が殆ど無いのは草ツゲ、白い鉢は種から育てたやつを頂いたアボカド、その直ぐ奥に黒っぽい鉢があるのですがデコポンです。それらの右奥がコキア。
で、イチゴは...というと支柱の足下(^_^;)
また5日の撮影です。何年か前に苗を買ってきて、最初の内は春に何個も収穫していましたが、やはりイチゴのお約束でランナー(子供)に更新しなかった為に収量が減り...(^_^;) 肥料などもやらなかったのでランナーは大きく育たず、一昨年秋、ヨコミー奥様のおリュウさんは別な場所へ移しました。その空いた所へ、プランターに植えていたイチゴを置いていましたが、そのときのランナーが伸びて地面に根付き、この春に赤い実をいくつか付けていました。
花はこんな感じ。ちょっと遡って9月12日に撮影した同所で咲いているイチゴの花です。左下、花弁の無いやつは受粉し花弁が落ちたやつ。これから大きくなり、緑色が赤くなります。
また7日の撮影ですが、イチゴは赤く(^_^)v
同日の拡大です。イチゴは順調に育ち、目線が低いヨコミー・マーゴのUちゃんには格好の獲物となっています(^_^)v ブルーベリーに続いて採集民族! いや、甘味の少ないジューンベリー、そしてパセリまでも生で(^_^;)
以前、県南の亘理(わたり)町にあるお宅へ12月に伺ったところ、自宅南東側の庭にイチゴの花が咲いていて、赤い実までも付いていました。同じ宮城の沿岸部でも、亘理とは気温で4℃も違います。先日は気仙沼より5℃も高く、南方楽園倶楽部(^_^;)指向のヨコミーはとても羨ましく思いました(^_^)v
と思って居たら一昨年初冬だったかヨコミー家でイチゴの花が咲き、そして赤い実を食べた記憶があります。まあ、とても希なことでした。
それにしても5℃高いというのは憧れです。そう、憧れのミカン(^_^;) 栃木の南部や茨城では美味しいミカンが成るようです。気仙沼と比べれば6℃程度気温が高そう(>_<)
2℃3℃のアップなら簡易温室でなんとかなるのでしょうけれど、6℃はなぁ....と諦めていました。でも亘理町なら出来るかなぁ...。仙台に住む娘を口説いて亘理町に中古住宅を探して引っ越しさせ、父が時々行ってミカン作り....というものいいなぁ(^_^)v ん!?、住宅に素敵な若い男が付いていれば更に良し(^_^;)
なぁーんて馬鹿なことを考えていないで、写真整理に励みます(^_^)v
おしまいm(_ _)m
☆PS FMラジオ放送番組「南方楽園倶楽部」を暫く振りで思い出しました。その昔、FM東京をキーステーションとして宮城でも放送されていましたが、毎週楽しく聞いていました(^_^)v まあその前から南方指向・嗜好でしたが(^_^;) あんな感じの番組をまたやらないかなぁ...(*^_^*)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日も寒いです(>_<) 昨日の最高気温は気仙沼のアメダスを見れば15℃、今日は16℃でした(>_<) 雨は朝方に上がったようですが、一瞬薄日が射した以外は多くは暗い曇り空。屋根の太陽光発電はわずか(>_<) そして小雨も短時間ぱらつきました。
思えば天候不順はいつからだったでしょうか。1年近く前に遡れば冬の訪れは早く、前半は寒さが例年より厳しく、積雪も多少多かったかと。
小寒辺りで結構寒くなり、最低気温は-11.2℃(>_<) 大寒になったらなんぼ冷えんだべぇ...と思って心配していたらそれほどでもなく、以降は雨雪が少なく、降ったと思えば警報が出そうに雨がまとまって降るし...(>_<)
7月は途中で少雨となり、いつもは下旬まで梅雨寒なのに早めに暑くなりました。といってもお盆辺りに最高気温が20℃を下回る日が4日も続き、前後の割と気温が低かった日なども合わせて、イチゴは冬が来たのかなぁ...と勘違いしたのでは!? その後の気温回復で春を感じ、イチゴは白い花を付けた...というのが工作員ヨコミーの推理(^_^)v
10月5日撮影、露地で収穫したイチゴです。ヨコミー家には家の内外でもスタジオは無いので、レンガorレンガ風コンクリートブロックの上でパチリ(^_^)v スーパーで季節の終わり頃に安く出る「小粒」よりやや小さいかも(^_^;) でも、摘み取ってから水道水で洗い、口の中へ入れるまで通常30秒未満という超新鮮な味わいは何とも言えません(^_^)v 甘く居酸っぱい。美味しいっ(^_^;)
もっとも、この写真のイチゴは撮影の為、口に入るまで5分近く掛かりましたが(^_^;)
2日後の7日撮影ですが、ヨコミー家玄関前にあるステンレス風物干し支柱の周りには、いろんな物が(^_^;) 左は100円均一のソーラーライト。夜は部屋の中へ(^_^)v その奥はつるバラ。
右下は右からハイビスカス、向こうの葉が殆ど無いのは草ツゲ、白い鉢は種から育てたやつを頂いたアボカド、その直ぐ奥に黒っぽい鉢があるのですがデコポンです。それらの右奥がコキア。
で、イチゴは...というと支柱の足下(^_^;)
また5日の撮影です。何年か前に苗を買ってきて、最初の内は春に何個も収穫していましたが、やはりイチゴのお約束でランナー(子供)に更新しなかった為に収量が減り...(^_^;) 肥料などもやらなかったのでランナーは大きく育たず、一昨年秋、ヨコミー奥様のおリュウさんは別な場所へ移しました。その空いた所へ、プランターに植えていたイチゴを置いていましたが、そのときのランナーが伸びて地面に根付き、この春に赤い実をいくつか付けていました。
花はこんな感じ。ちょっと遡って9月12日に撮影した同所で咲いているイチゴの花です。左下、花弁の無いやつは受粉し花弁が落ちたやつ。これから大きくなり、緑色が赤くなります。
また7日の撮影ですが、イチゴは赤く(^_^)v
同日の拡大です。イチゴは順調に育ち、目線が低いヨコミー・マーゴのUちゃんには格好の獲物となっています(^_^)v ブルーベリーに続いて採集民族! いや、甘味の少ないジューンベリー、そしてパセリまでも生で(^_^;)
以前、県南の亘理(わたり)町にあるお宅へ12月に伺ったところ、自宅南東側の庭にイチゴの花が咲いていて、赤い実までも付いていました。同じ宮城の沿岸部でも、亘理とは気温で4℃も違います。先日は気仙沼より5℃も高く、南方楽園倶楽部(^_^;)指向のヨコミーはとても羨ましく思いました(^_^)v
と思って居たら一昨年初冬だったかヨコミー家でイチゴの花が咲き、そして赤い実を食べた記憶があります。まあ、とても希なことでした。
それにしても5℃高いというのは憧れです。そう、憧れのミカン(^_^;) 栃木の南部や茨城では美味しいミカンが成るようです。気仙沼と比べれば6℃程度気温が高そう(>_<)
2℃3℃のアップなら簡易温室でなんとかなるのでしょうけれど、6℃はなぁ....と諦めていました。でも亘理町なら出来るかなぁ...。仙台に住む娘を口説いて亘理町に中古住宅を探して引っ越しさせ、父が時々行ってミカン作り....というものいいなぁ(^_^)v ん!?、住宅に素敵な若い男が付いていれば更に良し(^_^;)
なぁーんて馬鹿なことを考えていないで、写真整理に励みます(^_^)v
おしまいm(_ _)m
☆PS FMラジオ放送番組「南方楽園倶楽部」を暫く振りで思い出しました。その昔、FM東京をキーステーションとして宮城でも放送されていましたが、毎週楽しく聞いていました(^_^)v まあその前から南方指向・嗜好でしたが(^_^;) あんな感じの番組をまたやらないかなぁ...(*^_^*)
小さな紅葉みーつけた 栗駒山の初秋 20210913 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
気温が割と下がり、東北の高山は本格的な紅葉のシーズンを迎えました。なのに初秋の話しです(^_^;) すみませんm(_ _)m
栗駒山(標高1626m)は宮城、岩手、秋田の3県にまたがる山で、山頂は宮城と岩手の境に在ります。若い頃、計算上は南の水平線からちょっとだけ見えるという星の北限を極めようと、仲間と夜中も含めて何度か登った山です。
時々北麓の須川温泉に行っては居たのですが、毎晩午前様になる仕事や子育てが有ったりその後は父母の介護等で、山頂はご無沙汰でした。
震災後、とある公民館で宮城側から登るというので、一足先という別行動で久し振りに登ったのがきっかけとなってその後毎年続いていました。
それが昨年、コロナで中断。今年はコロナ医療関係者であるヨコミー奥様のおリュウさんがワクチンを先に接種し、そしてついにヨコミーまで接種出来ましたので、麓での星見を兼ねて栗駒山登山を計画しました。
行ったのは9月13日という、紅葉が始まったばかりの頃。今日は10月6日ですが、3日の日曜日、宮城側の登山口に続く県道は大渋滞となり、シャトルバスさえ動けなかったとニュースになっていました(>_<)
今回は北麓の岩手県須川温泉からですが、山が割と色付いてくる9月25日辺りでも、例年午前10時近くになると平日でも駐車場が殆ど無くなる状態。宮城側とは比べものにならないくらい広いのですが(>_<)
なので近年はお彼岸の前にずらして、山頂付近で始まったばかりの綺麗な紅葉を求めています。
とこの日、朝早く気仙沼を出て向かったのですが、須川温泉に届いたら小雨が降っていて...(>_<) 山頂は諦めました(T_T) 雨合羽や傘はザックに入れて持っているのですが、あくまでも途中や帰路の雨対策で、雨の中を登り始める山男ではありません。なので車中で様子を見ながらお昼前寝(^_^;) 栗駒山荘で昼食のソバを食べても小雨なので、更に昼寝(^_^;)
14時半頃にはガスも晴れたので急いで準備し、歩き出しました。過去には星が見える18時過ぎの下山も有ったので、猛者ならこれから山頂を目指しても良いのですが、ヨコミーは山を登る人ではなく山を観る人なので山頂は断念。途中の名残が原辺りを目指すこととしました。
ようやく青空が出てきました。14時53分(^_^;)
駐車場の都合で須川温泉の秋田側から登ります。左は岩手側の須川温泉。
参考までに、別なコースで撮った須川温泉(手前)と栗駒山荘(奥=秋田側)です。晴れていれば左奥に鳥海山が見えます。
そびえ立つシラカバの下にナナカマドの赤い実がいっぱい。
ヤマアジサイ。
サンゴのような小枝に黒い実が成っています。その道の人ではないので氏名不詳ですがミズキの類かと。
岩に根ざしている小さな木にも秋が来ています。
綺麗な紅葉。
我が家では1ヶ月半も過ぎないとこんな紅葉にはなりません(^_^;)
赤色有り、黄色有り、緑色有り....が、また素敵です。
近くに朽ちた建物の跡も有り、一昨年まではここも使われていないのだろうなぁ...と思って居たら、なんと2人以上利用しているようです。
あっ、ガラス戸にヨコミーが写っています。青い帽子、軍手、長袖のポロシャツ、肩にはジェンダーフリーのピンク色をしたザック(^_^;)
そのザックですが、以前はキティちゃんの黄色いやつが機能的に優れていて、ハードオフから3300円という値段に負けて買い、使っていたのですが、この春に写真展を開いたカフェの奥さんに見つけられ、やむなく譲渡(>_<) A4のノートパソコンも入る優れものでしたのに...(T_T) その代わりとして似た格好のザックがピンク色で....(^_^;) まっ、おリュウさんも公認なので(*^_^*)
因みにこの日のズボンも濃紺の作業ズボン(*^_^*) 全くコーディネートなんか有りません(^_^;)
ツゲのような小枝に小さな赤い実が成っています。
赤紫の葉っぱ、そしてナナカマドの赤い実。
あちこちの登山道脇には背丈の低いリンドウが有りました。
おいらんコースの途中から凡そ北側をパチリ。手前右に小さな池が見えます。その向こう、少し土が見える所はゼッタ沢コースと思われるので、帰路に寄ってみます。
名残が原(中央から左)がよく見える、ちょっとだけ岩がごつごつとした場所に来ました。名残が原展望台とか。正面が山頂方向で、右上に見える小さな白い煙らしき物は次に拡大しますが湯気です。
実はこの場所も湯気が立ち上り、眼鏡が曇ることもあります。
右上の拡大です。煙のような物が立ち上っていますが、噴煙でも有りません。湯気とのこと。名残が原西に在る山の南側。1/25000の地図にその名は有りませんが、「ゆげ山」というようです。
名残が原の左端側です。凡そ東向きでパチリ。
いつも不思議に思うのですが、どうしてこんなに広い湿原が出来たのか...ということ。湿原の山手・上手は右側ですが、東側、写真右上に見える斜め左下へ緩く下りる稜線の山とは大きな沢で隔てられています。そして北端の左側にも、手前側にも小さな沢が右に延びています。つまり東側から反時計回りで北を経由して北西側まで、山から流れ落ちてきた土砂を受け止める「縁」が無いようなのです。
簡単に言えば、右手の山から土砂を崩し、ブルドーザーで単に広げていった感じ。縁のお手当無しで。
仮に、有った縁が埋まってしまったから見えなくなった....のなら、凸凹じゃない高さの揃った縁が湿原の半周余りをも囲っていたことになります。不自然(>_<)
火山の噴火口では割と綺麗な丸い縁を持つものも有ります。その形が歪だった噴火口跡が後の噴火等で埋まったと思えば、考えは楽ですが....(^_^;)
この展望台から下界が見えました。凡その方角と奥で霞む山から北上市から金ケ崎町付近の街並みと判断しました。遠くの山は遠野市の北にそびえる早池峰山(はやちねさん。1917m)。
アザミの類かと。
割と青空が広がり、ナナカマドが映えていました。
名残が原湿原に入りました。山頂に向かう方向です。
ずーっと進み、振り返ってのパチリ。先程居た名残が原展望台は木道先のちょい左に見える小高い所。この湿原、ススキの類が多いです。これも自然なのでしょうけれど....(>_<)
所々で木道の傷みが激しいです。気を付けて歩きましょう。
時間がまだ有ったので、苔花台(たいかだい)分岐まで来ました。本来なら右に登って行くところですが、この先に有る地獄谷付近の硫化水素ガス濃度が高くなって、このコースは一昨年から閉鎖されています。
代わりのコースは左下の沢を渡る産沼(うぶぬま)コースですが、このコースには2本の沢が有り、水に落ちないように渡らねば成りません。
丁度渡っていたグループは10時に登り始めたとか。この分では往復6時間半以上掛かったのでしょうけれど、いつものヨコミー+おリュウさん組と比べればまだ早いです(>_<) こちらは9時入山で18時過ぎの下山(^_^;)
この日は沢を渡った所で戻りました。
ヤマアジサイ。
綺麗ですが氏名不詳(>_<) 欲しいっ(^_^;)
足下に白く小さな花2輪。周りのヒトデ状のは花が終わって種を持っている姿のようです。
ウルシの仲間?
歩いているのはゼッタ沢コースです。往路で見た小さな池がこれです。2つ有りました。往路のオイランコースは上端に見える木々の直ぐ下を通っているようです。
足下近くに白玉の木が有りました。本当に白い玉です(^_^)v
と遊んでいる内に薄い雲が全天に広がり、太陽はゆげ山に沈んでしまいます。急ぎましょう(^_^;)
それでもあちこち見ていたので下山は17時過ぎとなりました(>_<) まあ、いつもより1時間は早い(^_^;)
今回の栗駒行きは早い時期で正解でした。中秋の名月が終わったら急に忙しくなり、山などには行けない状況でした。睡眠も不調になっていた時期でもあり、毎晩22時過ぎには眠くて寝てしまいます。早いときは21時台からも(>_<)
ところが、早く寝たのは良いのですが、未明の3時4時頃トイレに行くと寝付けないことが多く、あとはウトウトと。なので熟睡感は無く、お昼を食べた午後には眠くなりますが、昼寝の暇もありません(>_<) で、夜はブログ更新や写真整理をする暇も無く早めに眠くなり....の悪循環でした(>_<)
昼間は勤務している訳ではありませんが元々工作員なので、9月下旬は車庫の大片付けを経て改造作業でした。20年も手付かずの荷物を整理して段ボール箱を畳んだり、プロが作った棚などを苦労して外し、そして再施工(>_<) 木ネジじゃなく機械で打つネジ釘なのでプラスやマイナスの電動ドライバーでは何の役にも立ちません(>_<) 大変でした(^_^;)
作業は9月末で終わり、その後ちょっとした仕事を経て4日辺りからようやく普通の睡眠サイクルに戻りました。トイレに2回起きても眠り続けることが出来ます(^_^;)
今夜は久し振りとなったブログ更新も出来、安心してじっくりと眠ることが出来ます。
車庫片付け関連の話は出来れば近々にお伝えしたいです。
本日はおしまい<(_ _)>
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
気温が割と下がり、東北の高山は本格的な紅葉のシーズンを迎えました。なのに初秋の話しです(^_^;) すみませんm(_ _)m
栗駒山(標高1626m)は宮城、岩手、秋田の3県にまたがる山で、山頂は宮城と岩手の境に在ります。若い頃、計算上は南の水平線からちょっとだけ見えるという星の北限を極めようと、仲間と夜中も含めて何度か登った山です。
時々北麓の須川温泉に行っては居たのですが、毎晩午前様になる仕事や子育てが有ったりその後は父母の介護等で、山頂はご無沙汰でした。
震災後、とある公民館で宮城側から登るというので、一足先という別行動で久し振りに登ったのがきっかけとなってその後毎年続いていました。
それが昨年、コロナで中断。今年はコロナ医療関係者であるヨコミー奥様のおリュウさんがワクチンを先に接種し、そしてついにヨコミーまで接種出来ましたので、麓での星見を兼ねて栗駒山登山を計画しました。
行ったのは9月13日という、紅葉が始まったばかりの頃。今日は10月6日ですが、3日の日曜日、宮城側の登山口に続く県道は大渋滞となり、シャトルバスさえ動けなかったとニュースになっていました(>_<)
今回は北麓の岩手県須川温泉からですが、山が割と色付いてくる9月25日辺りでも、例年午前10時近くになると平日でも駐車場が殆ど無くなる状態。宮城側とは比べものにならないくらい広いのですが(>_<)
なので近年はお彼岸の前にずらして、山頂付近で始まったばかりの綺麗な紅葉を求めています。
とこの日、朝早く気仙沼を出て向かったのですが、須川温泉に届いたら小雨が降っていて...(>_<) 山頂は諦めました(T_T) 雨合羽や傘はザックに入れて持っているのですが、あくまでも途中や帰路の雨対策で、雨の中を登り始める山男ではありません。なので車中で様子を見ながらお昼前寝(^_^;) 栗駒山荘で昼食のソバを食べても小雨なので、更に昼寝(^_^;)
14時半頃にはガスも晴れたので急いで準備し、歩き出しました。過去には星が見える18時過ぎの下山も有ったので、猛者ならこれから山頂を目指しても良いのですが、ヨコミーは山を登る人ではなく山を観る人なので山頂は断念。途中の名残が原辺りを目指すこととしました。
ようやく青空が出てきました。14時53分(^_^;)
駐車場の都合で須川温泉の秋田側から登ります。左は岩手側の須川温泉。
参考までに、別なコースで撮った須川温泉(手前)と栗駒山荘(奥=秋田側)です。晴れていれば左奥に鳥海山が見えます。
そびえ立つシラカバの下にナナカマドの赤い実がいっぱい。
ヤマアジサイ。
サンゴのような小枝に黒い実が成っています。その道の人ではないので氏名不詳ですがミズキの類かと。
岩に根ざしている小さな木にも秋が来ています。
綺麗な紅葉。
我が家では1ヶ月半も過ぎないとこんな紅葉にはなりません(^_^;)
赤色有り、黄色有り、緑色有り....が、また素敵です。
近くに朽ちた建物の跡も有り、一昨年まではここも使われていないのだろうなぁ...と思って居たら、なんと2人以上利用しているようです。
あっ、ガラス戸にヨコミーが写っています。青い帽子、軍手、長袖のポロシャツ、肩にはジェンダーフリーのピンク色をしたザック(^_^;)
そのザックですが、以前はキティちゃんの黄色いやつが機能的に優れていて、ハードオフから3300円という値段に負けて買い、使っていたのですが、この春に写真展を開いたカフェの奥さんに見つけられ、やむなく譲渡(>_<) A4のノートパソコンも入る優れものでしたのに...(T_T) その代わりとして似た格好のザックがピンク色で....(^_^;) まっ、おリュウさんも公認なので(*^_^*)
因みにこの日のズボンも濃紺の作業ズボン(*^_^*) 全くコーディネートなんか有りません(^_^;)
ツゲのような小枝に小さな赤い実が成っています。
赤紫の葉っぱ、そしてナナカマドの赤い実。
あちこちの登山道脇には背丈の低いリンドウが有りました。
おいらんコースの途中から凡そ北側をパチリ。手前右に小さな池が見えます。その向こう、少し土が見える所はゼッタ沢コースと思われるので、帰路に寄ってみます。
名残が原(中央から左)がよく見える、ちょっとだけ岩がごつごつとした場所に来ました。名残が原展望台とか。正面が山頂方向で、右上に見える小さな白い煙らしき物は次に拡大しますが湯気です。
実はこの場所も湯気が立ち上り、眼鏡が曇ることもあります。
右上の拡大です。煙のような物が立ち上っていますが、噴煙でも有りません。湯気とのこと。名残が原西に在る山の南側。1/25000の地図にその名は有りませんが、「ゆげ山」というようです。
名残が原の左端側です。凡そ東向きでパチリ。
いつも不思議に思うのですが、どうしてこんなに広い湿原が出来たのか...ということ。湿原の山手・上手は右側ですが、東側、写真右上に見える斜め左下へ緩く下りる稜線の山とは大きな沢で隔てられています。そして北端の左側にも、手前側にも小さな沢が右に延びています。つまり東側から反時計回りで北を経由して北西側まで、山から流れ落ちてきた土砂を受け止める「縁」が無いようなのです。
簡単に言えば、右手の山から土砂を崩し、ブルドーザーで単に広げていった感じ。縁のお手当無しで。
仮に、有った縁が埋まってしまったから見えなくなった....のなら、凸凹じゃない高さの揃った縁が湿原の半周余りをも囲っていたことになります。不自然(>_<)
火山の噴火口では割と綺麗な丸い縁を持つものも有ります。その形が歪だった噴火口跡が後の噴火等で埋まったと思えば、考えは楽ですが....(^_^;)
この展望台から下界が見えました。凡その方角と奥で霞む山から北上市から金ケ崎町付近の街並みと判断しました。遠くの山は遠野市の北にそびえる早池峰山(はやちねさん。1917m)。
アザミの類かと。
割と青空が広がり、ナナカマドが映えていました。
名残が原湿原に入りました。山頂に向かう方向です。
ずーっと進み、振り返ってのパチリ。先程居た名残が原展望台は木道先のちょい左に見える小高い所。この湿原、ススキの類が多いです。これも自然なのでしょうけれど....(>_<)
所々で木道の傷みが激しいです。気を付けて歩きましょう。
時間がまだ有ったので、苔花台(たいかだい)分岐まで来ました。本来なら右に登って行くところですが、この先に有る地獄谷付近の硫化水素ガス濃度が高くなって、このコースは一昨年から閉鎖されています。
代わりのコースは左下の沢を渡る産沼(うぶぬま)コースですが、このコースには2本の沢が有り、水に落ちないように渡らねば成りません。
丁度渡っていたグループは10時に登り始めたとか。この分では往復6時間半以上掛かったのでしょうけれど、いつものヨコミー+おリュウさん組と比べればまだ早いです(>_<) こちらは9時入山で18時過ぎの下山(^_^;)
この日は沢を渡った所で戻りました。
ヤマアジサイ。
綺麗ですが氏名不詳(>_<) 欲しいっ(^_^;)
足下に白く小さな花2輪。周りのヒトデ状のは花が終わって種を持っている姿のようです。
ウルシの仲間?
歩いているのはゼッタ沢コースです。往路で見た小さな池がこれです。2つ有りました。往路のオイランコースは上端に見える木々の直ぐ下を通っているようです。
足下近くに白玉の木が有りました。本当に白い玉です(^_^)v
と遊んでいる内に薄い雲が全天に広がり、太陽はゆげ山に沈んでしまいます。急ぎましょう(^_^;)
それでもあちこち見ていたので下山は17時過ぎとなりました(>_<) まあ、いつもより1時間は早い(^_^;)
今回の栗駒行きは早い時期で正解でした。中秋の名月が終わったら急に忙しくなり、山などには行けない状況でした。睡眠も不調になっていた時期でもあり、毎晩22時過ぎには眠くて寝てしまいます。早いときは21時台からも(>_<)
ところが、早く寝たのは良いのですが、未明の3時4時頃トイレに行くと寝付けないことが多く、あとはウトウトと。なので熟睡感は無く、お昼を食べた午後には眠くなりますが、昼寝の暇もありません(>_<) で、夜はブログ更新や写真整理をする暇も無く早めに眠くなり....の悪循環でした(>_<)
昼間は勤務している訳ではありませんが元々工作員なので、9月下旬は車庫の大片付けを経て改造作業でした。20年も手付かずの荷物を整理して段ボール箱を畳んだり、プロが作った棚などを苦労して外し、そして再施工(>_<) 木ネジじゃなく機械で打つネジ釘なのでプラスやマイナスの電動ドライバーでは何の役にも立ちません(>_<) 大変でした(^_^;)
作業は9月末で終わり、その後ちょっとした仕事を経て4日辺りからようやく普通の睡眠サイクルに戻りました。トイレに2回起きても眠り続けることが出来ます(^_^;)
今夜は久し振りとなったブログ更新も出来、安心してじっくりと眠ることが出来ます。
車庫片付け関連の話は出来れば近々にお伝えしたいです。
本日はおしまい<(_ _)>