小粒だけど緑色のコマも アトラス彗星(C/2023 E1) 20230524 [星]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘の季節風は少し前にシーズンを終えたようです。年によっては6月上旬にも吹いていました。
さて、いろいろと多忙で写真整理が出来ていません。天文は全く(>_<) そんな中、ようやくアトラス彗星(C/2023 E1)を3日分処理しましたので、1枚だけ紹介します。
実は昨夜も撮ったのですが、時間が早い内は明るい月が有り、写りが芳しくありません。月が有る内に「保険」として撮っては居たのですが、やはり写りが悪いです。そして待期している内に寝てしまい....(>_<)(^_^;)
5月24日の夜も月は有ったものの細く、影響は少なかったです。
ほぼ中央、緑色のコマ(「髪の毛」の意味)を纏った点像が彗星です。画角は左右が満月1個分、約0.5度です。分度器の0.5度です。
撮影は5月24日23時48分前後、38コマを重ね合わせ合計950秒の露出です。この彗星は動きがやや速く、彗星の動きに合わせたので、星が縦長に写っています。
左や左上にNGCやPGCとあるのは、私たちが居る銀河系の外に有る星雲です。因みに彗星は銀河系の一部でしかない太陽系の中を回っています。宇宙は奥行きが広過ぎます(>_<)
すみませんが、今回は超短編です(^_^;)
ウクライナを始めとする戦争・紛争等が早く終わり、世界中が平和になることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘の季節風は少し前にシーズンを終えたようです。年によっては6月上旬にも吹いていました。
さて、いろいろと多忙で写真整理が出来ていません。天文は全く(>_<) そんな中、ようやくアトラス彗星(C/2023 E1)を3日分処理しましたので、1枚だけ紹介します。
実は昨夜も撮ったのですが、時間が早い内は明るい月が有り、写りが芳しくありません。月が有る内に「保険」として撮っては居たのですが、やはり写りが悪いです。そして待期している内に寝てしまい....(>_<)(^_^;)
5月24日の夜も月は有ったものの細く、影響は少なかったです。
ほぼ中央、緑色のコマ(「髪の毛」の意味)を纏った点像が彗星です。画角は左右が満月1個分、約0.5度です。分度器の0.5度です。
撮影は5月24日23時48分前後、38コマを重ね合わせ合計950秒の露出です。この彗星は動きがやや速く、彗星の動きに合わせたので、星が縦長に写っています。
左や左上にNGCやPGCとあるのは、私たちが居る銀河系の外に有る星雲です。因みに彗星は銀河系の一部でしかない太陽系の中を回っています。宇宙は奥行きが広過ぎます(>_<)
すみませんが、今回は超短編です(^_^;)
ウクライナを始めとする戦争・紛争等が早く終わり、世界中が平和になることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
生徒・職員全員無事 気仙沼市震災遺構 旧・気仙沼向洋高校 20230523 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
東日本大震災直後、私が手伝っていた避難所へ支援に来られた方々が今月2グループお出でになり、あのときの苦しい時代を振り返りながら御礼を申し上げ、当時出来なかった市内を始めとする震災遺構等をご案内する機会に恵まれました。
まず紹介したかったのは気仙沼市震災遺構となった旧・気仙沼向洋高校校舎。元々は気仙沼魚市場に近い低地に建つ気仙沼水産高校でしたが、移転新築後ややあって、「水産」からのカバーエリアを広げた事を機に、この名前に。
東日本大震災による大きな津波で建物は大きな被害を受けて使えなくなりましたが、的確な判断で生徒も職員も全員無事でした。地震後5分で避難行動を起こしたことが幸いでした。
(写真はクリックすると大きくなります)
あっ、最上階西端の外壁が.....(>_<)
南校舎の西端をパチリ。何で4階部分が??(>_<) 左下は玄関と昇降口。
時間はちょっと遡り、先ずは駐車場から。凡そ西を向いてのパチリです。左の4階建てが南校舎。右は震災後に建てられた、展示施設等がある伝承館。この裏手に北校舎や屋体等が有ります。
まず伝承館で展示や概略の投影を見ます。校舎への出入口は伝承館ですが、ここは撮影禁止なので写真は....
いきなり南校舎1階の廊下です。校舎の北側に有ります。4階まで大津波が押し寄せた、その1階廊下。天井板が有ったのでしょうけれど....。照明は見学用に付けられたものです。
CAD室です。コースによっては、こんな授業もあったのですね。
保健室。
3階の教室に車が....(>_<) 左下に見える図は、写真右奥側凡そ東側から見た図で、立ち入りが出来きるのは凡そ西側なので、車の傾きが逆です。脳内変換をお願いします。海側の窓から流されて入りました(>_<)
説明板の拡大です。図右上のレターケースも覚えていてください。
4階南校舎西端の教室です。浸水自体は30センチ程度なのでしょうけれど、地震や後述の理由で色んな物が散乱しています。特に中央右に見える大きなオレンジ色の物体は....。
同じ室内北側に置かれたレターケース。下から何段かが錆びています。海水がここまで(>_<)
最初の写真に写っていた外壁の破損箇所を教室からパチリ。さて、これは....。
なんと大津波で流されてきた冷凍工場との衝突痕でした(>_<) そして室内に有ったオレンジ色の物体は、窓から入り込んだ冷凍工場の断熱材とは....(>_<)
屋上に上がりました。校庭に西半分です。
校舎前に広がる校庭は、近年パークゴルフの場となり、平日でも賑わっています。左上、島のように見えるのは旭崎。詳細後述。その向こうは海ですが、旭崎の右に南三陸町歌津(うたつ)の岬が伸びています。
写真上から1/3の辺りを左右に走る道は、1km余り西(向かって右)を走る国道45号と左の先に在る景勝地・岩井崎を結びます。その右から1/4辺りで右下に伸びるのは学校の玄関や昇降口に至る通路。
ほぼ南に在る旭崎です。この辺りではやや高くなっていて、上には別荘や神社が有ります。ここの木に10人が登って助かりました。これらの木々は大津波で洗われたのに今でも健在です。
旭崎の説明板です。
校庭の東半分です。左上は再建された魚の冷凍工場。
屋上西側に避難経路の説明板が有りました。
中央上に見える携帯電話中継塔の左下は被災したお寺ですが、その左側の道路を通り右上中程に在る陸前階上(りくぜんはしかみ)駅に一時避難しました。しかし「大津波」との情報で更に奥の階上中学校へ生徒全員と引率した職員が避難。
説明板の拡大です。
まあ結果的には駅で大丈夫でしたが、更なる安全を求めた行動は学ぶべきです。良き判断と行動でした。
岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)の小中学生は避難場所を当初設定されていた所から、より安全な所へと2度3度と変更し、途中から合流した保育所の児童を手助けしながら、避難した一行は全員無事でした。
南校舎西端近くから見た屋体跡。コンクリート製の1階部分のみ残りました(>_<) この屋体の右側に有る生徒会館と北校舎の間に、流された民家の2階部分が引っ掛かり、それに乗っていた2人が夜明けまで校舎側から励ましを受け、明るくなってから無事に助け出されました。
南校舎の後ろ側には北校舎が在ります。当時ここは耐震工事が終わり、南校舎も....という段取りでした。中庭西にはヒバの木が有ります。これは水没したのですが、今でも元気です。
大津波来襲時を撮影した写真が有りました。ヒバは完全に水没です。その後更に水位は上がりました(>_<)
渡り廊下の1階から撮影。水没したヒバは元気です(^_^)v
北校舎1階から南校舎の北側をパチリ。大津波が通り抜けた3階までは窓枠さえ有りません。
北校舎から伝承館に戻ると、被災した方々のお話が投影されています。それを見て、終わりとしました。
上の写真説明にも有りましたが、校舎には人が残っていました。以前、職員20人は残って書類が流されないよう高い所へ上げていたと聞きました。工事中であり関係者が25人、近隣から避難してきた人が4人。ここに人が残っていたことにより救助された2人の計51人。
救助された人は別として、重要書類も有ったのでしょうけれど、ヨコミーは、先ずは皆さんに避難して戴きたかったです。4階床上で済んだものの、水位がもっと上がる可能性も有りました。冷凍工場は幸いにかすった程度で済みましたが、正面から衝突したら屋上まで被害があったかも知れません。
近隣から避難されてきた人は多分生徒出発より後で校舎に来たのでしょう。もし出発時までにここへ避難されていれば、生徒の手を借りながらも中学校まで行けたかと。
普通、学校を含めた公共施設は一時避難場所に指定されていることが多いです。なので、ひょっとしたら事前に指定されていなくても、近隣の住民は先ずは学校へ避難しようと詰めかけるでしょう。
海や川に近い低地に建つ、特に小学校で、予め、より高い所に避難場所が決められていない場合、学校の先生方は何処へ避難させようかと迷うでしょう。そこに地域の住民が何十人も押し寄せたら、先生方はどう切り盛りすれば良いのでしょうか。
子供が学校に居る時間帯は多くの家庭で働きに出ており、避難して来る方々は結構高齢者が多いかと。ヨコミーみたく椎間板ヘルニアで走ることが難しかったり、ヨコミー奥様のおリュウさんみたいに足が弱って長くは歩けない人とか....(>_<)
学校や地域が避難計画を作る、或いは見直す際は、一時避難所の設定で終わりとせず、行政を巻き込み、より高い所を目指して欲しいです。もし適切な避難場所が無いなら高い丘に何かを確保してもらったり、近隣の高いビルに避難場所を設けてもらうなり、津波避難塔等を建設して戴きましょう。
また避難行動要支援者等も連れられて来るでしょう。その場合はどうするか等々、色んなケースを想定して立案し、避難訓練を数多くこなして身に付けて欲しいです。
「今まで来ないから大丈夫」なんて思うのは思い上がり(>_<) 人生僅か100年が精々。体験出来ることは少ないです。
あの東日本大震災に押し寄せた大津波は800年周期とか。それでも今の地形が整った年代から考えれば、まだまだ短時間(>_<) 生き延びる為に今出来ることを極めたいです。
ウクライナを始めとする戦争・紛争地域に早く平和が戻る事を祈り、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
東日本大震災直後、私が手伝っていた避難所へ支援に来られた方々が今月2グループお出でになり、あのときの苦しい時代を振り返りながら御礼を申し上げ、当時出来なかった市内を始めとする震災遺構等をご案内する機会に恵まれました。
まず紹介したかったのは気仙沼市震災遺構となった旧・気仙沼向洋高校校舎。元々は気仙沼魚市場に近い低地に建つ気仙沼水産高校でしたが、移転新築後ややあって、「水産」からのカバーエリアを広げた事を機に、この名前に。
東日本大震災による大きな津波で建物は大きな被害を受けて使えなくなりましたが、的確な判断で生徒も職員も全員無事でした。地震後5分で避難行動を起こしたことが幸いでした。
(写真はクリックすると大きくなります)
あっ、最上階西端の外壁が.....(>_<)
南校舎の西端をパチリ。何で4階部分が??(>_<) 左下は玄関と昇降口。
時間はちょっと遡り、先ずは駐車場から。凡そ西を向いてのパチリです。左の4階建てが南校舎。右は震災後に建てられた、展示施設等がある伝承館。この裏手に北校舎や屋体等が有ります。
まず伝承館で展示や概略の投影を見ます。校舎への出入口は伝承館ですが、ここは撮影禁止なので写真は....
いきなり南校舎1階の廊下です。校舎の北側に有ります。4階まで大津波が押し寄せた、その1階廊下。天井板が有ったのでしょうけれど....。照明は見学用に付けられたものです。
CAD室です。コースによっては、こんな授業もあったのですね。
保健室。
3階の教室に車が....(>_<) 左下に見える図は、写真右奥側凡そ東側から見た図で、立ち入りが出来きるのは凡そ西側なので、車の傾きが逆です。脳内変換をお願いします。海側の窓から流されて入りました(>_<)
説明板の拡大です。図右上のレターケースも覚えていてください。
4階南校舎西端の教室です。浸水自体は30センチ程度なのでしょうけれど、地震や後述の理由で色んな物が散乱しています。特に中央右に見える大きなオレンジ色の物体は....。
同じ室内北側に置かれたレターケース。下から何段かが錆びています。海水がここまで(>_<)
最初の写真に写っていた外壁の破損箇所を教室からパチリ。さて、これは....。
なんと大津波で流されてきた冷凍工場との衝突痕でした(>_<) そして室内に有ったオレンジ色の物体は、窓から入り込んだ冷凍工場の断熱材とは....(>_<)
屋上に上がりました。校庭に西半分です。
校舎前に広がる校庭は、近年パークゴルフの場となり、平日でも賑わっています。左上、島のように見えるのは旭崎。詳細後述。その向こうは海ですが、旭崎の右に南三陸町歌津(うたつ)の岬が伸びています。
写真上から1/3の辺りを左右に走る道は、1km余り西(向かって右)を走る国道45号と左の先に在る景勝地・岩井崎を結びます。その右から1/4辺りで右下に伸びるのは学校の玄関や昇降口に至る通路。
ほぼ南に在る旭崎です。この辺りではやや高くなっていて、上には別荘や神社が有ります。ここの木に10人が登って助かりました。これらの木々は大津波で洗われたのに今でも健在です。
旭崎の説明板です。
校庭の東半分です。左上は再建された魚の冷凍工場。
屋上西側に避難経路の説明板が有りました。
中央上に見える携帯電話中継塔の左下は被災したお寺ですが、その左側の道路を通り右上中程に在る陸前階上(りくぜんはしかみ)駅に一時避難しました。しかし「大津波」との情報で更に奥の階上中学校へ生徒全員と引率した職員が避難。
説明板の拡大です。
まあ結果的には駅で大丈夫でしたが、更なる安全を求めた行動は学ぶべきです。良き判断と行動でした。
岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)の小中学生は避難場所を当初設定されていた所から、より安全な所へと2度3度と変更し、途中から合流した保育所の児童を手助けしながら、避難した一行は全員無事でした。
南校舎西端近くから見た屋体跡。コンクリート製の1階部分のみ残りました(>_<) この屋体の右側に有る生徒会館と北校舎の間に、流された民家の2階部分が引っ掛かり、それに乗っていた2人が夜明けまで校舎側から励ましを受け、明るくなってから無事に助け出されました。
南校舎の後ろ側には北校舎が在ります。当時ここは耐震工事が終わり、南校舎も....という段取りでした。中庭西にはヒバの木が有ります。これは水没したのですが、今でも元気です。
大津波来襲時を撮影した写真が有りました。ヒバは完全に水没です。その後更に水位は上がりました(>_<)
渡り廊下の1階から撮影。水没したヒバは元気です(^_^)v
北校舎1階から南校舎の北側をパチリ。大津波が通り抜けた3階までは窓枠さえ有りません。
北校舎から伝承館に戻ると、被災した方々のお話が投影されています。それを見て、終わりとしました。
上の写真説明にも有りましたが、校舎には人が残っていました。以前、職員20人は残って書類が流されないよう高い所へ上げていたと聞きました。工事中であり関係者が25人、近隣から避難してきた人が4人。ここに人が残っていたことにより救助された2人の計51人。
救助された人は別として、重要書類も有ったのでしょうけれど、ヨコミーは、先ずは皆さんに避難して戴きたかったです。4階床上で済んだものの、水位がもっと上がる可能性も有りました。冷凍工場は幸いにかすった程度で済みましたが、正面から衝突したら屋上まで被害があったかも知れません。
近隣から避難されてきた人は多分生徒出発より後で校舎に来たのでしょう。もし出発時までにここへ避難されていれば、生徒の手を借りながらも中学校まで行けたかと。
普通、学校を含めた公共施設は一時避難場所に指定されていることが多いです。なので、ひょっとしたら事前に指定されていなくても、近隣の住民は先ずは学校へ避難しようと詰めかけるでしょう。
海や川に近い低地に建つ、特に小学校で、予め、より高い所に避難場所が決められていない場合、学校の先生方は何処へ避難させようかと迷うでしょう。そこに地域の住民が何十人も押し寄せたら、先生方はどう切り盛りすれば良いのでしょうか。
子供が学校に居る時間帯は多くの家庭で働きに出ており、避難して来る方々は結構高齢者が多いかと。ヨコミーみたく椎間板ヘルニアで走ることが難しかったり、ヨコミー奥様のおリュウさんみたいに足が弱って長くは歩けない人とか....(>_<)
学校や地域が避難計画を作る、或いは見直す際は、一時避難所の設定で終わりとせず、行政を巻き込み、より高い所を目指して欲しいです。もし適切な避難場所が無いなら高い丘に何かを確保してもらったり、近隣の高いビルに避難場所を設けてもらうなり、津波避難塔等を建設して戴きましょう。
また避難行動要支援者等も連れられて来るでしょう。その場合はどうするか等々、色んなケースを想定して立案し、避難訓練を数多くこなして身に付けて欲しいです。
「今まで来ないから大丈夫」なんて思うのは思い上がり(>_<) 人生僅か100年が精々。体験出来ることは少ないです。
あの東日本大震災に押し寄せた大津波は800年周期とか。それでも今の地形が整った年代から考えれば、まだまだ短時間(>_<) 生き延びる為に今出来ることを極めたいです。
ウクライナを始めとする戦争・紛争地域に早く平和が戻る事を祈り、本日はお終いm(_ _)m
内湾 新たなまちに 気仙沼の今 20230421 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘にはまだ強い西風が時々吹いています(>_<) 長方形をした家の横方向からの風が多いのですが、風が単に通り過ぎるだけではなく巻いているようで、茶の間の前に置いた外用の椅子には、砂粒が舞上げられています(>_<)
さて、なかなか時間が取れなくて、我が儘な更新や諸氏ブログへの訪問も滞りがち(>_<) すみませんm(_ _)m
今般、震災直後に支援で気仙沼へ来られた"政府開発援助"さんが来市するので、まあ当ブログで以前紹介しており、また何度か訪れているので多少の土地勘は有るかとは思いますが、参考までに老婆心ならぬ「老爺心」で最近の内湾を紹介します。説明は時間も無く、手抜きです(>_<)
写真はクリックすると大きくなります。
気仙沼湾の内湾、凡そ東に在る五十鈴神社西側となる丘下の駐車場。赤い車がヨコミー奥様・おリュウさんの日産リーフ。車の向こうはトイレで震災後に整備されました。
グーグルマップからお借りした内湾周辺の地図です。
では1枚目の左隣です。以後左々と写真は進みます。
魚町の岩壁です。ここには小さめの船が係留されています。一番高く見える山は安波山(238m。「あんばやま」「あんばさん」)。旧・気仙沼町と旧・鹿折町に住む市民にとってはシンボルです。右上に見える緑色の屋根は結婚式場。
結婚式場の拡大です。その下は気仙沼第二保育所。「第二」というと公営のような感じですが、確か民営の認可保育所。数十年前から保育しています。「第二」の由来は宿題(^_^;)
魚町の一部を拡大。右上の丘には私立気仙沼女子高等学校の大きな体育館が建っていましたが、近年生徒数の減少で廃校となり、その後、建物が壊され、写真左下まで魚町入沢災害公営住宅(4棟と立体駐車場)が建てられました。
更に隣です。凡そ右側が魚町、左側海沿いが南町海岸、奥が南町です。
※最下段参照
今度は真ん中から左を拡大。右奥の建物は震災後に出来た調理専門学校。左の南町海岸に建つ、屋根が波形の建物は、こちらも震災後に出来た内湾観光施設「迎(ムカエル)」。震災前は汽船発着場が入っていた観光施設・エースポートが有った場所です。主に飲食店が入っています。
更に左。凡そ右が南町海岸と南町、左は海際が(町字の)港町、丘が柏崎。その昔、港町のこの辺りには「マルちゃん」のラーメン工場が有り、見学者にはラーメンのお土産が有ったと聞いていました(^_^)v
写真右側の拡大です。ここは迎の左隣です。右奥は官民の共同事業で建てられた南町二丁目に災害公営住宅。なので1階にはお店が入っています。
左は被災した市営駐車場の跡地に建った、3階建ての気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER 7)。「ピアーセブン」と読むそうですが、7番岸壁の意味だとか。残念ながら一般人には何番岸壁というのは全く馴染が無いです。1階に汽船発着所の事務室、2階右端にはラヂオ気仙沼のスタジオが有ります。
上で拡大した所の左隣の拡大です。右1/3は交流プラザの左側。真ん中は共同化事業で建てられた南町一丁目災害公営住宅の南棟。北棟は交流プラザに隠れているようです。この南町一丁目災害公営住宅を調べていたら、ネットに載っている某役所の資料では「1棟」と有るのに、別な役所の資料では「北棟」「南棟」と有りました。なら2棟ですよね。
役所とは不思議な所です。安倍政権時代、憲法9条に関する政府解釈を、変更に慎重な内閣法制局長官を代え、単に閣議決定の方法で変更したり、どこの官民でもイベント開催時は昨年のモノを参考にしているはずなのに、安倍総理主催の桜を見る会では名簿をさっさとその年度に処分する....等々実に怪しげな所でも有ります。国民が、住民が一人ひとり意識して行政を見守りたいです。「1棟」「2棟」は氷山の一角の更に一角なのでしょう。要注視(^_^)v
広い範囲で更に左。改修中の気仙沼プラザホテルが建つ丘は柏崎。海際が港町です。ホテル下の建物は魚関係の物販店。共に地元資本でしたが何年も前、市外の資本に買収されました。直ぐ右は下の駐車場とホテルを繋ぐエレベーター。丘の右端付近にNTTビルのアンテナが見えます。
因みに左端の道は、少し先から五十鈴神社に至る石段の下を経て浮御堂、海上遊歩道へと至ります。
ちょっと用事を終え、折角なので内湾の施設へ向かいました。
内湾観光施設「迎」の岸壁側です。真ん中やや右の小高い丘に建つのは魚町入沢災害公営住宅の1号棟。ここに気女高の銀色に輝く体育館が有り、内湾のシンボルでも有りました。生徒数の減少で残念なことに(>_<) いつも書いていますが、30年以上前に少子化が叫ばれており、現況は公害ならぬ「政治害」です。真摯に取り組まなかった結果(>_<)
真ん中やや左、灰色の高い建物は先程書いた男山本店。大津波で1階部分が潰れたものの、幸いなことに倒れずにいました。なので各方面の協力を得て復旧されました。うーん、やはり2階のデッキから撮りましょう。
左に魚町入沢災害公営住宅、右端、湾向かいのこんもりした所が五十鈴神社。その下、小さく見える箱形をした車の隣に居ました。車の主はまだ昼休み中です(^_^;) 手前には二つの浮き桟橋が見えます。
今度は右隣です。右上がプラザホテル。ところで手前のネットは岸壁のモノではなく、防潮堤の扉を動かす機械の上に置かれた物のようです。
右側が交流プラザ。真ん中下に防潮堤扉のレール?が見えます。
更に右。交流プラザです。手前がラヂオ気仙沼のスタジオ。平日7時~10時、12時~14時、17時~19時に生放送が有ります。コミュニティFMなので小出力で、しかも市外へ届きにくいような所へ市がアンテナを設置したものですから隣の市町でも聴きにくいです(>_<)
ただ世の中は便利なモノで、リスラジというものがあり、スマホやタブレットにアプリを入れれば、ネット環境下なら全国何処でも聴くことが出来ます。ラヂオ気仙沼やリスラジのホームページからお進み願います。
またパソコンならアプリを入れること無く、リスラジホームページの閲覧という形で聴くことが出来ますので、職場で昼休みにでも聴いてください。
カテゴリーで「全国のラジオ」を選び、その右に有るチャンネルで東北を選び、更にラヂオ気仙沼を選びます。ローディング中とややあって、読み込み後に右向き三角マーク(再生)を押せば聞こえます。
お試しをm(_ _)m
更に右。スタジオは左端です。正面奥が南町一丁目災害公営住宅の北棟。その左、交流プラザ庇の先端下に見えるのが同南棟。
南棟の左奥には煎餅坂が有り、途中から左手に登ると気仙沼ホテル観洋裏手に抜けます。奥の丘の上には気仙沼小学校、気仙沼中学校、気仙沼市図書館が建っています。
更に右です。左奥屋根が波形?のテラスを持つ建物は南町二丁目の災害公営住宅です。これも共同化事業で下がお店、テラスの上は市営住宅です。
その手前、結(ゆい)の文字が見えるのは商業施設で、いろんなお店が入っています。セブンイレブンの右後ろは東北地方最大の金融機関七十七銀行の気仙沼支店ですが、再建された建物の裏側はちょっと寂しいです。
更に右、真ん中は内湾観光施設「迎」です。ちょっと小さく見えますが、短辺方向から見ています(^_^;) 階段途中に見えるのは、おリュウさん号の赤リーフ。駐車場は少ないですが、交流プラザ向かいに3時間まで無料の市営駐車場が有ります。ご利用をm(_ _)m
セブンイレブンの駐車場マークと重なっている蔵のような赤瓦の建物は、気仙沼の二大酒造メーカーの一つ、株式会社角星。市内では両国の銘柄で知られていますが、店舗は登録有形文化財です。
南町、特に二丁目、特に特に三丁目などは被災して再開発された結果、震災以前の面影は有りません。幼き頃実家へ顔を出す母と共に立ち寄った魚屋さんが消え、素敵なお姉さんが居た喫茶店も、小さな食堂も、おでん屋さん、バスの案内所等々も消え、更には某2つの銀行もこの地を去りました。南町海岸に有った気仙沼大島への汽船発着所も、今では大島大橋が出来たことで航路は廃止され、単に遊覧船乗り場と成り、交流人口はかなり減ったかと。
そんな中で浸水地は官民の力で再開発され、別な街に生まれ変わったようです。ただ心配なのは交流人口の減です。建物を建てて終わりじゃなく、スタートしたばかり(>_<) この地には大したつながりの無いヨコミーでも、何かのお役に立たなければ成りません。多少でも(>_<)
相変わらず世界では争い事が続いています(>_<) ニュースは各段に少なくなりましたが、ロシアによるウクライナ侵略はまだまだ続いています。ロシアの弾薬不足も報じられていますが、ウクライナの反転攻勢も、まだ計画段階。この機を捉えきれないようです(>_<)
世界の平和を祈り、本日はお終いm(_ _)m
☆困り事
ブログの途中で2枚の写真が続いていますが、実は下記の文が入っています。下書きではキチッと入っているのですが、何度やっても2枚の写真の間隔が狭くなり、文章が出て来ません。調整は続けますが、取り敢えず下記に入れましたのでご理解願いますm(_ _)m
『 上の写真右から1/3辺りを拡大。真ん中奥の大きな建物は気仙沼信用金庫本店。被災したので津波対応と思われる強固な作りに成りました。左端に近い、青い軽自動車の上奥に見える灰色の建物は「木筋」モルタル造3階建ての、造り酒屋男山本店。 』
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘にはまだ強い西風が時々吹いています(>_<) 長方形をした家の横方向からの風が多いのですが、風が単に通り過ぎるだけではなく巻いているようで、茶の間の前に置いた外用の椅子には、砂粒が舞上げられています(>_<)
さて、なかなか時間が取れなくて、我が儘な更新や諸氏ブログへの訪問も滞りがち(>_<) すみませんm(_ _)m
今般、震災直後に支援で気仙沼へ来られた"政府開発援助"さんが来市するので、まあ当ブログで以前紹介しており、また何度か訪れているので多少の土地勘は有るかとは思いますが、参考までに老婆心ならぬ「老爺心」で最近の内湾を紹介します。説明は時間も無く、手抜きです(>_<)
写真はクリックすると大きくなります。
気仙沼湾の内湾、凡そ東に在る五十鈴神社西側となる丘下の駐車場。赤い車がヨコミー奥様・おリュウさんの日産リーフ。車の向こうはトイレで震災後に整備されました。
グーグルマップからお借りした内湾周辺の地図です。
では1枚目の左隣です。以後左々と写真は進みます。
魚町の岩壁です。ここには小さめの船が係留されています。一番高く見える山は安波山(238m。「あんばやま」「あんばさん」)。旧・気仙沼町と旧・鹿折町に住む市民にとってはシンボルです。右上に見える緑色の屋根は結婚式場。
結婚式場の拡大です。その下は気仙沼第二保育所。「第二」というと公営のような感じですが、確か民営の認可保育所。数十年前から保育しています。「第二」の由来は宿題(^_^;)
魚町の一部を拡大。右上の丘には私立気仙沼女子高等学校の大きな体育館が建っていましたが、近年生徒数の減少で廃校となり、その後、建物が壊され、写真左下まで魚町入沢災害公営住宅(4棟と立体駐車場)が建てられました。
更に隣です。凡そ右側が魚町、左側海沿いが南町海岸、奥が南町です。
※最下段参照
今度は真ん中から左を拡大。右奥の建物は震災後に出来た調理専門学校。左の南町海岸に建つ、屋根が波形の建物は、こちらも震災後に出来た内湾観光施設「迎(ムカエル)」。震災前は汽船発着場が入っていた観光施設・エースポートが有った場所です。主に飲食店が入っています。
更に左。凡そ右が南町海岸と南町、左は海際が(町字の)港町、丘が柏崎。その昔、港町のこの辺りには「マルちゃん」のラーメン工場が有り、見学者にはラーメンのお土産が有ったと聞いていました(^_^)v
写真右側の拡大です。ここは迎の左隣です。右奥は官民の共同事業で建てられた南町二丁目に災害公営住宅。なので1階にはお店が入っています。
左は被災した市営駐車場の跡地に建った、3階建ての気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER 7)。「ピアーセブン」と読むそうですが、7番岸壁の意味だとか。残念ながら一般人には何番岸壁というのは全く馴染が無いです。1階に汽船発着所の事務室、2階右端にはラヂオ気仙沼のスタジオが有ります。
上で拡大した所の左隣の拡大です。右1/3は交流プラザの左側。真ん中は共同化事業で建てられた南町一丁目災害公営住宅の南棟。北棟は交流プラザに隠れているようです。この南町一丁目災害公営住宅を調べていたら、ネットに載っている某役所の資料では「1棟」と有るのに、別な役所の資料では「北棟」「南棟」と有りました。なら2棟ですよね。
役所とは不思議な所です。安倍政権時代、憲法9条に関する政府解釈を、変更に慎重な内閣法制局長官を代え、単に閣議決定の方法で変更したり、どこの官民でもイベント開催時は昨年のモノを参考にしているはずなのに、安倍総理主催の桜を見る会では名簿をさっさとその年度に処分する....等々実に怪しげな所でも有ります。国民が、住民が一人ひとり意識して行政を見守りたいです。「1棟」「2棟」は氷山の一角の更に一角なのでしょう。要注視(^_^)v
広い範囲で更に左。改修中の気仙沼プラザホテルが建つ丘は柏崎。海際が港町です。ホテル下の建物は魚関係の物販店。共に地元資本でしたが何年も前、市外の資本に買収されました。直ぐ右は下の駐車場とホテルを繋ぐエレベーター。丘の右端付近にNTTビルのアンテナが見えます。
因みに左端の道は、少し先から五十鈴神社に至る石段の下を経て浮御堂、海上遊歩道へと至ります。
ちょっと用事を終え、折角なので内湾の施設へ向かいました。
内湾観光施設「迎」の岸壁側です。真ん中やや右の小高い丘に建つのは魚町入沢災害公営住宅の1号棟。ここに気女高の銀色に輝く体育館が有り、内湾のシンボルでも有りました。生徒数の減少で残念なことに(>_<) いつも書いていますが、30年以上前に少子化が叫ばれており、現況は公害ならぬ「政治害」です。真摯に取り組まなかった結果(>_<)
真ん中やや左、灰色の高い建物は先程書いた男山本店。大津波で1階部分が潰れたものの、幸いなことに倒れずにいました。なので各方面の協力を得て復旧されました。うーん、やはり2階のデッキから撮りましょう。
左に魚町入沢災害公営住宅、右端、湾向かいのこんもりした所が五十鈴神社。その下、小さく見える箱形をした車の隣に居ました。車の主はまだ昼休み中です(^_^;) 手前には二つの浮き桟橋が見えます。
今度は右隣です。右上がプラザホテル。ところで手前のネットは岸壁のモノではなく、防潮堤の扉を動かす機械の上に置かれた物のようです。
右側が交流プラザ。真ん中下に防潮堤扉のレール?が見えます。
更に右。交流プラザです。手前がラヂオ気仙沼のスタジオ。平日7時~10時、12時~14時、17時~19時に生放送が有ります。コミュニティFMなので小出力で、しかも市外へ届きにくいような所へ市がアンテナを設置したものですから隣の市町でも聴きにくいです(>_<)
ただ世の中は便利なモノで、リスラジというものがあり、スマホやタブレットにアプリを入れれば、ネット環境下なら全国何処でも聴くことが出来ます。ラヂオ気仙沼やリスラジのホームページからお進み願います。
またパソコンならアプリを入れること無く、リスラジホームページの閲覧という形で聴くことが出来ますので、職場で昼休みにでも聴いてください。
カテゴリーで「全国のラジオ」を選び、その右に有るチャンネルで東北を選び、更にラヂオ気仙沼を選びます。ローディング中とややあって、読み込み後に右向き三角マーク(再生)を押せば聞こえます。
お試しをm(_ _)m
更に右。スタジオは左端です。正面奥が南町一丁目災害公営住宅の北棟。その左、交流プラザ庇の先端下に見えるのが同南棟。
南棟の左奥には煎餅坂が有り、途中から左手に登ると気仙沼ホテル観洋裏手に抜けます。奥の丘の上には気仙沼小学校、気仙沼中学校、気仙沼市図書館が建っています。
更に右です。左奥屋根が波形?のテラスを持つ建物は南町二丁目の災害公営住宅です。これも共同化事業で下がお店、テラスの上は市営住宅です。
その手前、結(ゆい)の文字が見えるのは商業施設で、いろんなお店が入っています。セブンイレブンの右後ろは東北地方最大の金融機関七十七銀行の気仙沼支店ですが、再建された建物の裏側はちょっと寂しいです。
更に右、真ん中は内湾観光施設「迎」です。ちょっと小さく見えますが、短辺方向から見ています(^_^;) 階段途中に見えるのは、おリュウさん号の赤リーフ。駐車場は少ないですが、交流プラザ向かいに3時間まで無料の市営駐車場が有ります。ご利用をm(_ _)m
セブンイレブンの駐車場マークと重なっている蔵のような赤瓦の建物は、気仙沼の二大酒造メーカーの一つ、株式会社角星。市内では両国の銘柄で知られていますが、店舗は登録有形文化財です。
南町、特に二丁目、特に特に三丁目などは被災して再開発された結果、震災以前の面影は有りません。幼き頃実家へ顔を出す母と共に立ち寄った魚屋さんが消え、素敵なお姉さんが居た喫茶店も、小さな食堂も、おでん屋さん、バスの案内所等々も消え、更には某2つの銀行もこの地を去りました。南町海岸に有った気仙沼大島への汽船発着所も、今では大島大橋が出来たことで航路は廃止され、単に遊覧船乗り場と成り、交流人口はかなり減ったかと。
そんな中で浸水地は官民の力で再開発され、別な街に生まれ変わったようです。ただ心配なのは交流人口の減です。建物を建てて終わりじゃなく、スタートしたばかり(>_<) この地には大したつながりの無いヨコミーでも、何かのお役に立たなければ成りません。多少でも(>_<)
相変わらず世界では争い事が続いています(>_<) ニュースは各段に少なくなりましたが、ロシアによるウクライナ侵略はまだまだ続いています。ロシアの弾薬不足も報じられていますが、ウクライナの反転攻勢も、まだ計画段階。この機を捉えきれないようです(>_<)
世界の平和を祈り、本日はお終いm(_ _)m
☆困り事
ブログの途中で2枚の写真が続いていますが、実は下記の文が入っています。下書きではキチッと入っているのですが、何度やっても2枚の写真の間隔が狭くなり、文章が出て来ません。調整は続けますが、取り敢えず下記に入れましたのでご理解願いますm(_ _)m
『 上の写真右から1/3辺りを拡大。真ん中奥の大きな建物は気仙沼信用金庫本店。被災したので津波対応と思われる強固な作りに成りました。左端に近い、青い軽自動車の上奥に見える灰色の建物は「木筋」モルタル造3階建ての、造り酒屋男山本店。 』