春の訪れ 墓参 20240317 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘には時折、もの凄い強風が吹いています(>_<) まあ、常に吹くなら風力発電も考えなくては成りませんが(^_^;)
春のお彼岸に入った3月17日は、参るべき4つの内2カ所の墓参に行きました。
先ずは目立つ写真から(^_^;) 気仙沼市鹿折地区に在る興福寺の四季ザクラです。
鹿折地区は、昭和20年代終わりに旧・気仙沼町と合併した鹿折町です。旧・気仙沼町の凡そ北隣。あの震災による大津波で海岸から600m余り離れた駅前に300tもの船が打ち上げられた所。そこから3km弱川上に入った山間に興福寺は在ります。
ここの四季ザクラはこの時期、華やかな位の花数は有りませんが清楚に咲き、ヨコミーのお気に入りです。和尚さんから「名前は四季でも夏は咲かないよ」と聴いています(^_^;)
興福寺の門前です。左に樹齢400年余といわれる10本の大杉が在ります。
興福寺です。奥のやや右に見える緑色の葉が茂った木の裏側に四季ザクラが在ります。
境内に白い梅の花が咲いていました。品種なのか、日当たりがやや悪いためか、咲き具合はやや遅いようです。
墓地にはムクゲの花が咲いていました(^_^;) 花の季節じゃないので花がらかと思ったら、種がはじけた後の姿でした。ちょっと見には本当の花のように見えます。まだまだ寒くて花が少ない東北の墓地には、色合いは少ないモノの貴重な「花」です(^_^;)
墓地の上、少し遠い所で咲いていますが、マンサクかと思います。春ですね。
次に向かったのは市内階上(はしかみ。旧・階上村)地区最知(さいち)に在る海蔵寺です。右手前に見えるのは...
サンシュユです。綺麗ですね。ヨコミー家のサンシュユよりも早く咲いたようです。
墓地からの眺めです。奥に見えるのは気仙沼の大島。小高い山は亀山です。亀山の右手裏側に、キャンプ場も備えた休暇村気仙沼大島が在ります。遊びに来ませんか(^_^)v 亀山左側の裾で、左手前の杉林に隠れる辺りに大島大橋が見えます。
亀山方向を拡大してみました。春霞か花粉か知りませんが、ちょっと霞んでいます。
左の高い所が山頂。その下にレストハウスと無料休憩所が有ります。レストハウスと汽船発着所(右手赤白クレーンの右奥)が在る浦の浜とはリフトで結んでいましたが、リフトは赤字続き。更には東日本大震災による大津波で被災。復活には国の支援が必要でしたか受けられず、廃止(>_<)
とある中堅国会議員が気仙沼を地元としているのですが、これまた被災した市内を走る鉄路が国の支援を受けられず廃止されたりと、なかなかご活躍の跡が見えません(>_<)
レストハウスまでは市道が在るのですが、なにせ離島時代のもので、駐車場は極僅か(>_<) なのでレストハウスまでは車両乗り入れ禁止とされ、橋開通と前後して手前の、写真中央右上辺りに市営駐車場が整備されました。
手前は本土側。下に見える竹林の両側直ぐ向こうに防潮堤が見えます。右下に見える白い色の大型トラックは駐車場に有りますが、直ぐ向こう隣は鉄路が引き剥がされ、代替バスが走る専用道。トラック左側に黒っぽく見えるのがバスの最知駅です。またまたトラックですが、手前は国道45号。
あの大津波は鉄路や国道を乗り越え、お寺の直ぐ下まで押し寄せました。勿論、興福寺もですが、すぐ避難所となりました。震災後、ヨコミーは県南に在る亘理町の海岸を訪れましたが、海に近い所に在ったお寺も被災しました(>_<) みんなが利用する施設などは、津波や水害の心配が無い高台、でも山崩れ等の虞も無い所に作って欲しいですね。そして、作りたいですね(^_^)v
階上から見た大島大橋です。個人的には利便が良い大島の西側へ架けて欲しかったのですが、管理する県はお金が無かったのでしょうね、本土との間隔が短い北側に架けました。
この橋、震災復興の名目で国から頂いたように思って居る、市外か遠くの方もいらっしゃいました。利用台数が少なく勿体ないと。ちょっとした断片を見ただけで、事情も知らない浅慮の方だと呆れてしまいます。
大島は直ぐ見える距離に在りますが、離島です。市などで運航する連絡船は19時位で終わり、その後は個人運営の臨時船が23時過ぎまで有りますが料金は高く、更に海上タクシーというモーターボートも有りましたが簡単に乗れる料金ではありません。
海は凪いでいる時だけじゃなく、嵐や濃霧で簡単に欠航となります。一番は救急車(>_<) 濃霧が晴れるまで消防艇は走られず、緊急を要する患者だって渡れません(>_<)
高校や仕事場への通勤通学、そして通院等々でも島民は難儀していました。更にはフェリーが運ぶ車の数は限られていて通勤には使えず、仕方無く本土側の駐車場を借りてマイカーを置く人も(>_<)
更には島の汽船発着所は北西側。なので南部や亀山北東部に住む人は汽船発着所まで車が必要(>_<) えっ、バス? バスは採算が取れないのか1台しか有りませんでした。うーん、じゃあタクシーは? タクシーは昔は3台4台は有ったかと。しかし知っているところの近年では1台しか無く、島民も訪れる本土の人も苦労(>_<)
そんな訳で、40年50年も前から橋を早く架けて欲しい...という運動が始まっていました。その運動が実り、県から開通の目標年度が公表され、震災前に先ずは本土側県道の整備が始まっていたのです。
決して震災復興の名目で、地元が何もしないで棚ぼた式に頂いた訳ではないのです。橋を通る車が少ないと思ったら、何時頃に撮った写真だろうか?と疑問を持ち、まあこれはグーグルマップ等の地図と木などの影を見れば大方分かることですが、更には市のホームページ等で人口と大島へ渡る観光客数を調べてみてください。地方の、更に地方は人口減が激しいですが、費用対効果などと言わないでください。人命を守る橋なのですから(^_^)v
ところで、高齢化や人口減で空き家が増えています。そんな風光明媚な所に建つ空き家を購入し、移住したり別荘としてみませんか(^_^)v 不動産屋さん、この機会に眠っている空き家を掘り起こし、都会の人向けに売りに出しませんか(^_^;) またはゲストハウスとして儲けたり(^_^;) 地価が下がっている気仙沼、今がビジネスチャンスかも(^_^)v
世界の平和を祈り....と思いながら、先日発表された日本が受け入れた難民の数が、申請数に比べて極端に少ないことに危惧(>_<) ある面「結い」の面も有るだろうし、ドイツには追い抜かれたモノの世界第4位のGNPを誇る日本は、社会的責任、世界的責任(^_^;)を果たすべき(^_^)v
「結い」とは書きましたが、政府は万が一国民が難民として日本を脱出するとしても、仮想敵地に近い韓国に行く線は無いだろうし、軍の物量で勝る中露の攻撃をかいくぐって、安全に飛行機や船舶で米国等へ逃げ果せる事は無いなぁ....と踏んで、「結い」は無いなぁと形ばかりの受け入れに留まっているのではないかなぁ....とゲスの勘ぐり(^_^;)
もう少し話を飛ばせば、イスラエルの攻撃でパレスチナのガザ地区は死者・怪我人は多く、飢餓状態だと(>_<) 人攫いのテロリスト共を始末するのは賛成だけど、一般市民まで攻撃の巻き添えで、イスラエル側の死者より何十倍もガザの人々が死んでいる現実には賛成出来ません(>_<)
その昔のユダヤ人がイスラエルを建国する少し前、ナチスから迫害されていたユダヤ人を人道上の理由から救おうと、本国からの指示に背き、ビザを発給し続けた、在リトアニア日本領事館領事代理の杉浦千畝(すぎうらちうね)の事を、イスラエル政府は、イスラエル国民は思い出して欲しい。
イスラエルは、厳格な審査で良いからガザの難民を、イスラエル領内やヨルダン川西岸のパレスチナ自治区等へ一時的にでもキャンプを作り、避難させて欲しい。
ちなみに杉浦千畝の事をご存じない方のために。彼は「東洋のシンドラー」とも呼ばれていました。シンドラーとは映画「シンドラーのリスト」で知られるシンドラーです。その東洋版と言われる人物。下記を参照願います。
国立公文書館アジア歴史資料センター https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p14.html
改めて世界の隅々までの平和と安心安全を祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘には時折、もの凄い強風が吹いています(>_<) まあ、常に吹くなら風力発電も考えなくては成りませんが(^_^;)
春のお彼岸に入った3月17日は、参るべき4つの内2カ所の墓参に行きました。
先ずは目立つ写真から(^_^;) 気仙沼市鹿折地区に在る興福寺の四季ザクラです。
鹿折地区は、昭和20年代終わりに旧・気仙沼町と合併した鹿折町です。旧・気仙沼町の凡そ北隣。あの震災による大津波で海岸から600m余り離れた駅前に300tもの船が打ち上げられた所。そこから3km弱川上に入った山間に興福寺は在ります。
ここの四季ザクラはこの時期、華やかな位の花数は有りませんが清楚に咲き、ヨコミーのお気に入りです。和尚さんから「名前は四季でも夏は咲かないよ」と聴いています(^_^;)
興福寺の門前です。左に樹齢400年余といわれる10本の大杉が在ります。
興福寺です。奥のやや右に見える緑色の葉が茂った木の裏側に四季ザクラが在ります。
境内に白い梅の花が咲いていました。品種なのか、日当たりがやや悪いためか、咲き具合はやや遅いようです。
墓地にはムクゲの花が咲いていました(^_^;) 花の季節じゃないので花がらかと思ったら、種がはじけた後の姿でした。ちょっと見には本当の花のように見えます。まだまだ寒くて花が少ない東北の墓地には、色合いは少ないモノの貴重な「花」です(^_^;)
墓地の上、少し遠い所で咲いていますが、マンサクかと思います。春ですね。
次に向かったのは市内階上(はしかみ。旧・階上村)地区最知(さいち)に在る海蔵寺です。右手前に見えるのは...
サンシュユです。綺麗ですね。ヨコミー家のサンシュユよりも早く咲いたようです。
墓地からの眺めです。奥に見えるのは気仙沼の大島。小高い山は亀山です。亀山の右手裏側に、キャンプ場も備えた休暇村気仙沼大島が在ります。遊びに来ませんか(^_^)v 亀山左側の裾で、左手前の杉林に隠れる辺りに大島大橋が見えます。
亀山方向を拡大してみました。春霞か花粉か知りませんが、ちょっと霞んでいます。
左の高い所が山頂。その下にレストハウスと無料休憩所が有ります。レストハウスと汽船発着所(右手赤白クレーンの右奥)が在る浦の浜とはリフトで結んでいましたが、リフトは赤字続き。更には東日本大震災による大津波で被災。復活には国の支援が必要でしたか受けられず、廃止(>_<)
とある中堅国会議員が気仙沼を地元としているのですが、これまた被災した市内を走る鉄路が国の支援を受けられず廃止されたりと、なかなかご活躍の跡が見えません(>_<)
レストハウスまでは市道が在るのですが、なにせ離島時代のもので、駐車場は極僅か(>_<) なのでレストハウスまでは車両乗り入れ禁止とされ、橋開通と前後して手前の、写真中央右上辺りに市営駐車場が整備されました。
手前は本土側。下に見える竹林の両側直ぐ向こうに防潮堤が見えます。右下に見える白い色の大型トラックは駐車場に有りますが、直ぐ向こう隣は鉄路が引き剥がされ、代替バスが走る専用道。トラック左側に黒っぽく見えるのがバスの最知駅です。またまたトラックですが、手前は国道45号。
あの大津波は鉄路や国道を乗り越え、お寺の直ぐ下まで押し寄せました。勿論、興福寺もですが、すぐ避難所となりました。震災後、ヨコミーは県南に在る亘理町の海岸を訪れましたが、海に近い所に在ったお寺も被災しました(>_<) みんなが利用する施設などは、津波や水害の心配が無い高台、でも山崩れ等の虞も無い所に作って欲しいですね。そして、作りたいですね(^_^)v
階上から見た大島大橋です。個人的には利便が良い大島の西側へ架けて欲しかったのですが、管理する県はお金が無かったのでしょうね、本土との間隔が短い北側に架けました。
この橋、震災復興の名目で国から頂いたように思って居る、市外か遠くの方もいらっしゃいました。利用台数が少なく勿体ないと。ちょっとした断片を見ただけで、事情も知らない浅慮の方だと呆れてしまいます。
大島は直ぐ見える距離に在りますが、離島です。市などで運航する連絡船は19時位で終わり、その後は個人運営の臨時船が23時過ぎまで有りますが料金は高く、更に海上タクシーというモーターボートも有りましたが簡単に乗れる料金ではありません。
海は凪いでいる時だけじゃなく、嵐や濃霧で簡単に欠航となります。一番は救急車(>_<) 濃霧が晴れるまで消防艇は走られず、緊急を要する患者だって渡れません(>_<)
高校や仕事場への通勤通学、そして通院等々でも島民は難儀していました。更にはフェリーが運ぶ車の数は限られていて通勤には使えず、仕方無く本土側の駐車場を借りてマイカーを置く人も(>_<)
更には島の汽船発着所は北西側。なので南部や亀山北東部に住む人は汽船発着所まで車が必要(>_<) えっ、バス? バスは採算が取れないのか1台しか有りませんでした。うーん、じゃあタクシーは? タクシーは昔は3台4台は有ったかと。しかし知っているところの近年では1台しか無く、島民も訪れる本土の人も苦労(>_<)
そんな訳で、40年50年も前から橋を早く架けて欲しい...という運動が始まっていました。その運動が実り、県から開通の目標年度が公表され、震災前に先ずは本土側県道の整備が始まっていたのです。
決して震災復興の名目で、地元が何もしないで棚ぼた式に頂いた訳ではないのです。橋を通る車が少ないと思ったら、何時頃に撮った写真だろうか?と疑問を持ち、まあこれはグーグルマップ等の地図と木などの影を見れば大方分かることですが、更には市のホームページ等で人口と大島へ渡る観光客数を調べてみてください。地方の、更に地方は人口減が激しいですが、費用対効果などと言わないでください。人命を守る橋なのですから(^_^)v
ところで、高齢化や人口減で空き家が増えています。そんな風光明媚な所に建つ空き家を購入し、移住したり別荘としてみませんか(^_^)v 不動産屋さん、この機会に眠っている空き家を掘り起こし、都会の人向けに売りに出しませんか(^_^;) またはゲストハウスとして儲けたり(^_^;) 地価が下がっている気仙沼、今がビジネスチャンスかも(^_^)v
世界の平和を祈り....と思いながら、先日発表された日本が受け入れた難民の数が、申請数に比べて極端に少ないことに危惧(>_<) ある面「結い」の面も有るだろうし、ドイツには追い抜かれたモノの世界第4位のGNPを誇る日本は、社会的責任、世界的責任(^_^;)を果たすべき(^_^)v
「結い」とは書きましたが、政府は万が一国民が難民として日本を脱出するとしても、仮想敵地に近い韓国に行く線は無いだろうし、軍の物量で勝る中露の攻撃をかいくぐって、安全に飛行機や船舶で米国等へ逃げ果せる事は無いなぁ....と踏んで、「結い」は無いなぁと形ばかりの受け入れに留まっているのではないかなぁ....とゲスの勘ぐり(^_^;)
もう少し話を飛ばせば、イスラエルの攻撃でパレスチナのガザ地区は死者・怪我人は多く、飢餓状態だと(>_<) 人攫いのテロリスト共を始末するのは賛成だけど、一般市民まで攻撃の巻き添えで、イスラエル側の死者より何十倍もガザの人々が死んでいる現実には賛成出来ません(>_<)
その昔のユダヤ人がイスラエルを建国する少し前、ナチスから迫害されていたユダヤ人を人道上の理由から救おうと、本国からの指示に背き、ビザを発給し続けた、在リトアニア日本領事館領事代理の杉浦千畝(すぎうらちうね)の事を、イスラエル政府は、イスラエル国民は思い出して欲しい。
イスラエルは、厳格な審査で良いからガザの難民を、イスラエル領内やヨルダン川西岸のパレスチナ自治区等へ一時的にでもキャンプを作り、避難させて欲しい。
ちなみに杉浦千畝の事をご存じない方のために。彼は「東洋のシンドラー」とも呼ばれていました。シンドラーとは映画「シンドラーのリスト」で知られるシンドラーです。その東洋版と言われる人物。下記を参照願います。
国立公文書館アジア歴史資料センター https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p14.html
改めて世界の隅々までの平和と安心安全を祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m
あれから13年経ちました 東日本大震災 20240311 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘の季節風=西風は、今日3月17日の夜は収まりましたが、昨夜もに引き続きゴォーッと調子良く吹いていましたす(>_<)
3月といえば13年前の東日本大震災。多くの方が亡くなり、更に多くの方が被災し、人生を強制的に変えられた悔しさは、まだ癒えることが無いでしょう。ヨコミー家で亡くなった人は居ませんが、義父が関連死(>_<) 家は僅かに傾いたり隙間が広がりましたが、そのまま。テレビ等が落下しましたが、大きく破損した物は無いです。ただヨコミー、大切なモノを失いました(T_T)
そんな中、市からの案内も有り、3月11日午後1時から始まる「気仙沼市東日本大震災追悼と防災のつどい」(会場:気仙沼中央公民館)へ行ってきました。
13年前の大津波で被災し、西へ400m程離れた川沿いに立て替えられた気仙沼中央公民館。左が、以前隣接していた勤労者体育センター分の体育館か。ホールや会議室は右奥です。ただ右奥の上に見えているの内の脇災害公営住宅です、中央公民館は大きくはありません。県合同庁舎や警察署は震災後に大きくなったのですが、市はお金が無いのですね。以前は400席有ったホールの席は減らされました。畳の間も結構狭くなったようだし(>_<)
市長さんのご挨拶。
右の垂れ幕を見てください。テレビ等で活躍の気象予報士・井田寛子さん基調講演が予定されています。気象ファンでもあるヨコミーは楽しみ(^_^)v....にしていたのですが、何故か挨拶する方々の話が長引き、講演のスタートが10分以上遅れました。身勝手(>_<)
一連のつどいの途中で、地震発生が発生した14時46分には参加者一同が黙祷し、その直後体育館では市長等の献花も予定されており、終わりの時間が後ろにずれ込めない事情もあるのに....(>_<)
でも井田さんはプロですね。ご自分の終了予定時刻までにはきちんと終わらせました。それに引き替え、挨拶された方々のなんと時間感覚の無いこと(>_<) 修行が足りません(^_^;)
15時からは「避難情報を正しく読み取る」をテーマにトークセッション。災害時等はSNS等でデマも流れ易く、公的機関の発信や複数の情報で確認することが大切だと。
16時に一切が終わり、混雑を避けて展示等を見てゆっくりと出て来たので、駐車場には車が殆ど居ません。
右にカメラを振り、パチリ。向こうの山の手前に気仙沼湾が広がります。
震災前は多くの民家や企業の建物が有りましたが、この地は家を新築することが出来ない災害危険区域(>_<) ラグビーのグラウンド2面が取られていますが、気仙沼は野球の方が盛んだと思うのですが...。
中央公民館は震災まで、真ん中方向に有りました。隣接する市の障害児施設等からここに避難してきていたのですが、何度も押し寄せる大津波や流れ出た重油に引火して火災も発生し、一時は死も覚悟したと。
そんな中、障害児施設の長がイギリスに行っていた息子にメールで悲惨な状況を知らせたことから始まる避難劇は、猪瀬直樹著「救出: 3・11気仙沼 公民館に取り残された446人」に載っています。
https://www.amazon.co.jp/%E6%95%91%E5%87%BA-3%E3%83%BB11%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC-%E5%85%AC%E6%B0%91%E9%A4%A8%E3%81%AB%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%AE%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F446%E4%BA%BA-%E7%8C%AA%E7%80%AC-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4309023584
更に右方向です。中央公民館を背にしてパチリ。三陸道の気仙沼湾横断橋や大島大橋も見えます。
事業所や戸建ての民家、アパート等々が建っていたのに、災害危険区域では住宅新築も出来ず、工場がいくつか建つだけ(>_<)
更に右なんですが続かず、右後ろ方向(^_^;) 凡そ南東方向。
イオンの手前は岩手県から流れてくる大川が流れていて、13年前は大津波が遡上し、ここも被災。イオン西側を走る旧国道向かいにはかつて県立女子校がありましたが統合で廃校。その跡地に県の合同庁舎と県の警察署が移転。建て替えられた市立病院は、それまでバス便も無かった丘の上に...(>_<) 県民でもある市民の利便を考えれば、女子高跡地と入れ替えるべきでした。たとえスタートが多少違っていたとしても(>_<)
今日はヨコミー家としては早めの墓参でした。午後からちょっとだけ梅を剪定し、近くを見たら、なんど暖地桜桃(サクランボ)の花が咲いていました。近日紹介出来ればと思います。
明日は自治会の書類を整理し、来週の総会で自治会から足を、手を洗いたいと思います。出来ればちょっと仕事をしたくなりましたので(^_^;)
ウクライナに侵略戦争を仕掛けているロシアでは大統領選挙だと。現政権に協力的な候補者しか立てない選挙、過日のイランでもそうでしたが、茶番ですね(^_^)v
浮沈大統領は高い得票率を狙い、国民は投票後に特典を頂けると複数の報道機関が伝えています。可哀想な国民。自覚が必要です(^_^;) でも情報統制下では難しいかなぁ。
そんな国民にならぬよう、私たちも気を付けたいです。裏金作りに精を出す国会議員も要りません。
何処の片隅でも幸せをかみしめられるよう、平和で安心安全な社会を作りましょう。その為には何が出来るか、各々じっくりと考えて欲しいです。
世界の平和を祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘の季節風=西風は、今日3月17日の夜は
3月といえば13年前の東日本大震災。多くの方が亡くなり、更に多くの方が被災し、人生を強制的に変えられた悔しさは、まだ癒えることが無いでしょう。ヨコミー家で亡くなった人は居ませんが、義父が関連死(>_<) 家は僅かに傾いたり隙間が広がりましたが、そのまま。テレビ等が落下しましたが、大きく破損した物は無いです。ただヨコミー、大切なモノを失いました(T_T)
そんな中、市からの案内も有り、3月11日午後1時から始まる「気仙沼市東日本大震災追悼と防災のつどい」(会場:気仙沼中央公民館)へ行ってきました。
13年前の大津波で被災し、西へ400m程離れた川沿いに立て替えられた気仙沼中央公民館。左が、以前隣接していた勤労者体育センター分の体育館か。ホールや会議室は右奥です。ただ右奥の上に見えているの内の脇災害公営住宅です、中央公民館は大きくはありません。県合同庁舎や警察署は震災後に大きくなったのですが、市はお金が無いのですね。以前は400席有ったホールの席は減らされました。畳の間も結構狭くなったようだし(>_<)
市長さんのご挨拶。
右の垂れ幕を見てください。テレビ等で活躍の気象予報士・井田寛子さん基調講演が予定されています。気象ファンでもあるヨコミーは楽しみ(^_^)v....にしていたのですが、何故か挨拶する方々の話が長引き、講演のスタートが10分以上遅れました。身勝手(>_<)
一連のつどいの途中で、地震発生が発生した14時46分には参加者一同が黙祷し、その直後体育館では市長等の献花も予定されており、終わりの時間が後ろにずれ込めない事情もあるのに....(>_<)
でも井田さんはプロですね。ご自分の終了予定時刻までにはきちんと終わらせました。それに引き替え、挨拶された方々のなんと時間感覚の無いこと(>_<) 修行が足りません(^_^;)
15時からは「避難情報を正しく読み取る」をテーマにトークセッション。災害時等はSNS等でデマも流れ易く、公的機関の発信や複数の情報で確認することが大切だと。
16時に一切が終わり、混雑を避けて展示等を見てゆっくりと出て来たので、駐車場には車が殆ど居ません。
右にカメラを振り、パチリ。向こうの山の手前に気仙沼湾が広がります。
震災前は多くの民家や企業の建物が有りましたが、この地は家を新築することが出来ない災害危険区域(>_<) ラグビーのグラウンド2面が取られていますが、気仙沼は野球の方が盛んだと思うのですが...。
中央公民館は震災まで、真ん中方向に有りました。隣接する市の障害児施設等からここに避難してきていたのですが、何度も押し寄せる大津波や流れ出た重油に引火して火災も発生し、一時は死も覚悟したと。
そんな中、障害児施設の長がイギリスに行っていた息子にメールで悲惨な状況を知らせたことから始まる避難劇は、猪瀬直樹著「救出: 3・11気仙沼 公民館に取り残された446人」に載っています。
https://www.amazon.co.jp/%E6%95%91%E5%87%BA-3%E3%83%BB11%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC-%E5%85%AC%E6%B0%91%E9%A4%A8%E3%81%AB%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%AE%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F446%E4%BA%BA-%E7%8C%AA%E7%80%AC-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4309023584
更に右方向です。中央公民館を背にしてパチリ。三陸道の気仙沼湾横断橋や大島大橋も見えます。
事業所や戸建ての民家、アパート等々が建っていたのに、災害危険区域では住宅新築も出来ず、工場がいくつか建つだけ(>_<)
更に右なんですが続かず、右後ろ方向(^_^;) 凡そ南東方向。
イオンの手前は岩手県から流れてくる大川が流れていて、13年前は大津波が遡上し、ここも被災。イオン西側を走る旧国道向かいにはかつて県立女子校がありましたが統合で廃校。その跡地に県の合同庁舎と県の警察署が移転。建て替えられた市立病院は、それまでバス便も無かった丘の上に...(>_<) 県民でもある市民の利便を考えれば、女子高跡地と入れ替えるべきでした。たとえスタートが多少違っていたとしても(>_<)
今日はヨコミー家としては早めの墓参でした。午後からちょっとだけ梅を剪定し、近くを見たら、なんど暖地桜桃(サクランボ)の花が咲いていました。近日紹介出来ればと思います。
明日は自治会の書類を整理し、来週の総会で自治会から足を、手を洗いたいと思います。出来ればちょっと仕事をしたくなりましたので(^_^;)
ウクライナに侵略戦争を仕掛けているロシアでは大統領選挙だと。現政権に協力的な候補者しか立てない選挙、過日のイランでもそうでしたが、茶番ですね(^_^)v
浮沈大統領は高い得票率を狙い、国民は投票後に特典を頂けると複数の報道機関が伝えています。可哀想な国民。自覚が必要です(^_^;) でも情報統制下では難しいかなぁ。
そんな国民にならぬよう、私たちも気を付けたいです。裏金作りに精を出す国会議員も要りません。
何処の片隅でも幸せをかみしめられるよう、平和で安心安全な社会を作りましょう。その為には何が出来るか、各々じっくりと考えて欲しいです。
世界の平和を祈り、本日もお終いm(_ _)m
昨日 蕎麦小屋デビュー 宮城県栗原市 20240306 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
3月も1週間を過ぎました。今日7日は天気が良く、夜になって10時を過ぎたら、何故か寒く感じました。あっ、ストーブを焚いていませんでした(^_^;)
ヨコミー奥様のおリュウさんが台所で夕食前後に点けていましたが、台所仕事を終えて消したまま。その後、おリュウさんは茶の間のコタツで写真を印刷していたのでストーブは要らなかったようですが、風呂に行き、布団へ消えた辺りから寒さを感じました(>_<) なので点火(^_^)v
ヨコミーが勉強のために巡回しているブログの中に、同じ県内に住むXZ_Channelさんがやっている「☆ひとりごと☆」があります。https://jm7xzc.blog.ss-blog.jp/
以前、宮城県栗原市一迫町にある「蕎麦小屋」を取り上げていて、ヨコミーは気になっていました。そうしたら先日も取り上げていたので、ついでも有り、食いしん坊が重い腰を上げました(^_^;)
蕎麦小屋は手打ち、十割、自家製粉を看板に掲げています。
あっ、ヨコミーは決してグルメではありませんよ。食事も撮影しませんでしたし(^_^;)
行ったのは一昨日、3月6日。栗原市の中心となる築館の市街地から西へ約5km程離れた山の中に有ります。
ルート、メニュー等はお店のブログ「宮城県 蕎麦小屋 公式 http://sobakoya.livedoor.blog/ 」をご覧願います。そっちの方の写真が綺麗ですしね(^_^;)
舗装道路脇の駐車場から木々の間を徒歩30秒です。見ての通り「小屋」でした。
遡ること30分も前。国道398号からの入口を素通りし、車で3分余り先(西)に有る農協の産直へ。
買い物を済ませて戻ったら、国道からの入口で赤信号となり、パチリ。蕎麦小屋は向こうに見える森の中です。予約1分前となってしまいました。うーん、遅刻しそう(^_^;) まあ国道から駐車場まで多分1分2分です。
ちなみに産直には食堂が有りました。蕎麦小屋が営業していないときに立ち寄ってみたいです。
駐車場に車を置き、少しだけ森の中を歩くと、木々の間から蕎麦小屋が見えてきました(^_^)v
雪の量は少ないのですが、足下の雪を掃いていてくれました。
小さな建物です。う~ん、男の隠れ家風(^_^;)
中に入ってみて、「あっ、ヨコミーはこんな所で暮らしたいなぁ...」と思った次第。まあ、シャワーと大きな物置は欲しいですけどね(^_^;) トイレは水洗です。
広くないお店なので、小さな薪ストーブで足りているようです。勿論、乗っかっている2つのやかんで沸かしたお湯も使って蕎麦を茹でるとのこと。薪は周辺の広葉樹で、2年乾燥させるとか。
お供はおリュウさん。それぞれ白い蕎麦に天ぷらを添え、ちょっとお腹が足らないと困るので黒い蕎麦を1枚だけ追加(^_^;) 蕎麦は白と黒の違いを感じながら、そしてちょっと熱い揚げたて天ぷらの種を楽しみながら...。
そういえば天ぷらの中に、我が家ではやらない種が2つ有りました。①最初は何かと思ったのですが、大根でした。これも美味しいですね ②もう1つは里芋かと思いましたが、基本的に里芋嫌いなヨコミーでしたが、美味しく食べることが出来ました。次回、おリュウさんが天ぷらを揚げるとき、この2つもリクエストします(^_^;)
デザートはソンナコッタ&抹茶。蕎麦湯も含めて、全て美味しく頂きました<(_ _)>
次回は裏メニューに挑戦したいです(^_^)v
(失礼ながら)超高級店でもないお店で食べ、美味しさに幸せを感じているヨコミー、平和ですね(^_^;) 本当に美味しいのですよ(^_^)v
でも世界を見ればウクライナやパレスチナのガザ地区では、まだまだ戦争が続いています(>_<) 他の国でも小規模ですが戦闘がまだ有ります(T_T)
ロシアが武力で併合したウクライナ領の一部から、ロシアに連れ去られた子供たちは、極一部は取り戻したとの報道も有りましたが、多くは今、どうしているのでしょうか。
かつて日本軍が奇襲した真珠湾攻撃の如く、ガザ地区からイスラエルへ侵攻して人質を連れてきたイスラム武装組織ハマスですが、その代償としてガザ地区は、イスラエルから虐殺のような攻撃を受けています(>_<) イスラエルはハマスを壊滅させようと、一般市民が巻き添えになることに構わず、攻撃しています(>_<)
なのに国連は、ロシアのウクライナ侵略で西側が提案するとロシアが拒否権を行使し、逆にガザ地区の戦争ではアメリカが拒否権を行使(>_<)
それに、どうやらまたアメリカの大統領に返り咲きそうなトランプが、2つの戦争に対し更に暗い影を落としそう(T_T)
残念ながら日本は、2つの戦争に影響力を行使出来る力が無いようで悲しいです。第三の勢力が台頭しないかなぁ(T_T)
それにしても日産自動車はやってくれましたね(>_<) 次回日産から買うときは、契約書に押印しても全額から一部を差し引いて支払ってみたいな(^_^)v これは、日産が立場を利用した悪い行為で、立派なパワーハラスメント(>_<) 相手の文句さえも踏みつぶしてしまうロシアみたいな会社がここに有りました(>_<)
日産のような一方的なものも含めて、世界には至る所で争い事が有りますが、世界の隅々に暮らす人々にまで、お蕎麦を食べに行けるような平和な日々が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
3月も1週間を過ぎました。今日7日は天気が良く、夜になって10時を過ぎたら、何故か寒く感じました。あっ、ストーブを焚いていませんでした(^_^;)
ヨコミー奥様のおリュウさんが台所で夕食前後に点けていましたが、台所仕事を終えて消したまま。その後、おリュウさんは茶の間のコタツで写真を印刷していたのでストーブは要らなかったようですが、風呂に行き、布団へ消えた辺りから寒さを感じました(>_<) なので点火(^_^)v
ヨコミーが勉強のために巡回しているブログの中に、同じ県内に住むXZ_Channelさんがやっている「☆ひとりごと☆」があります。https://jm7xzc.blog.ss-blog.jp/
以前、宮城県栗原市一迫町にある「蕎麦小屋」を取り上げていて、ヨコミーは気になっていました。そうしたら先日も取り上げていたので、ついでも有り、食いしん坊が重い腰を上げました(^_^;)
蕎麦小屋は手打ち、十割、自家製粉を看板に掲げています。
あっ、ヨコミーは決してグルメではありませんよ。食事も撮影しませんでしたし(^_^;)
行ったのは一昨日、3月6日。栗原市の中心となる築館の市街地から西へ約5km程離れた山の中に有ります。
ルート、メニュー等はお店のブログ「宮城県 蕎麦小屋 公式 http://sobakoya.livedoor.blog/ 」をご覧願います。そっちの方の写真が綺麗ですしね(^_^;)
舗装道路脇の駐車場から木々の間を徒歩30秒です。見ての通り「小屋」でした。
遡ること30分も前。国道398号からの入口を素通りし、車で3分余り先(西)に有る農協の産直へ。
買い物を済ませて戻ったら、国道からの入口で赤信号となり、パチリ。蕎麦小屋は向こうに見える森の中です。予約1分前となってしまいました。うーん、遅刻しそう(^_^;) まあ国道から駐車場まで多分1分2分です。
ちなみに産直には食堂が有りました。蕎麦小屋が営業していないときに立ち寄ってみたいです。
駐車場に車を置き、少しだけ森の中を歩くと、木々の間から蕎麦小屋が見えてきました(^_^)v
雪の量は少ないのですが、足下の雪を掃いていてくれました。
小さな建物です。う~ん、男の隠れ家風(^_^;)
中に入ってみて、「あっ、ヨコミーはこんな所で暮らしたいなぁ...」と思った次第。まあ、シャワーと大きな物置は欲しいですけどね(^_^;) トイレは水洗です。
広くないお店なので、小さな薪ストーブで足りているようです。勿論、乗っかっている2つのやかんで沸かしたお湯も使って蕎麦を茹でるとのこと。薪は周辺の広葉樹で、2年乾燥させるとか。
お供はおリュウさん。それぞれ白い蕎麦に天ぷらを添え、ちょっとお腹が足らないと困るので黒い蕎麦を1枚だけ追加(^_^;) 蕎麦は白と黒の違いを感じながら、そしてちょっと熱い揚げたて天ぷらの種を楽しみながら...。
そういえば天ぷらの中に、我が家ではやらない種が2つ有りました。①最初は何かと思ったのですが、大根でした。これも美味しいですね ②もう1つは里芋かと思いましたが、基本的に里芋嫌いなヨコミーでしたが、美味しく食べることが出来ました。次回、おリュウさんが天ぷらを揚げるとき、この2つもリクエストします(^_^;)
デザートはソンナコッタ&抹茶。蕎麦湯も含めて、全て美味しく頂きました<(_ _)>
次回は裏メニューに挑戦したいです(^_^)v
(失礼ながら)超高級店でもないお店で食べ、美味しさに幸せを感じているヨコミー、平和ですね(^_^;) 本当に美味しいのですよ(^_^)v
でも世界を見ればウクライナやパレスチナのガザ地区では、まだまだ戦争が続いています(>_<) 他の国でも小規模ですが戦闘がまだ有ります(T_T)
ロシアが武力で併合したウクライナ領の一部から、ロシアに連れ去られた子供たちは、極一部は取り戻したとの報道も有りましたが、多くは今、どうしているのでしょうか。
かつて日本軍が奇襲した真珠湾攻撃の如く、ガザ地区からイスラエルへ侵攻して人質を連れてきたイスラム武装組織ハマスですが、その代償としてガザ地区は、イスラエルから虐殺のような攻撃を受けています(>_<) イスラエルはハマスを壊滅させようと、一般市民が巻き添えになることに構わず、攻撃しています(>_<)
なのに国連は、ロシアのウクライナ侵略で西側が提案するとロシアが拒否権を行使し、逆にガザ地区の戦争ではアメリカが拒否権を行使(>_<)
それに、どうやらまたアメリカの大統領に返り咲きそうなトランプが、2つの戦争に対し更に暗い影を落としそう(T_T)
残念ながら日本は、2つの戦争に影響力を行使出来る力が無いようで悲しいです。第三の勢力が台頭しないかなぁ(T_T)
それにしても日産自動車はやってくれましたね(>_<) 次回日産から買うときは、契約書に押印しても全額から一部を差し引いて支払ってみたいな(^_^)v これは、日産が立場を利用した悪い行為で、立派なパワーハラスメント(>_<) 相手の文句さえも踏みつぶしてしまうロシアみたいな会社がここに有りました(>_<)
日産のような一方的なものも含めて、世界には至る所で争い事が有りますが、世界の隅々に暮らす人々にまで、お蕎麦を食べに行けるような平和な日々が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m