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春の訪れ 墓参 20240317 [四季の便り 花,植物,農遊]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。
 風の丘には時折、もの凄い強風が吹いています(>_<) まあ、常に吹くなら風力発電も考えなくては成りませんが(^_^;)

 春のお彼岸に入った3月17日は、参るべき4つの内2カ所の墓参に行きました。

 202403171047 四季ザクラ w1280 P3170015.jpg
 先ずは目立つ写真から(^_^;) 気仙沼市鹿折地区に在る興福寺の四季ザクラです。
 鹿折地区は、昭和20年代終わりに旧・気仙沼町と合併した鹿折町です。旧・気仙沼町の凡そ北隣。あの震災による大津波で海岸から600m余り離れた駅前に300tもの船が打ち上げられた所。そこから3km弱川上に入った山間に興福寺は在ります。
 ここの四季ザクラはこの時期、華やかな位の花数は有りませんが清楚に咲き、ヨコミーのお気に入りです。和尚さんから「名前は四季でも夏は咲かないよ」と聴いています(^_^;)

202403171049 興福寺 w1280 P3170023.jpg
 興福寺の門前です。左に樹齢400年余といわれる10本の大杉が在ります。

202403171046 興福寺 w1280 P3170009.jpg
 興福寺です。奥のやや右に見える緑色の葉が茂った木の裏側に四季ザクラが在ります。

202403171035 駐車場の梅 h1280 P33170004.jpg
 境内に白い梅の花が咲いていました。品種なのか、日当たりがやや悪いためか、咲き具合はやや遅いようです。

202403171034 ムクゲ h1280 P3170003.jpg
 墓地にはムクゲの花が咲いていました(^_^;) 花の季節じゃないので花がらかと思ったら、種がはじけた後の姿でした。ちょっと見には本当の花のように見えます。まだまだ寒くて花が少ない東北の墓地には、色合いは少ないモノの貴重な「花」です(^_^;)

202403171034 マンサク w1280 P3170001.jpg
 墓地の上、少し遠い所で咲いていますが、マンサクかと思います。春ですね。

202403171135 海蔵寺 w1280 P3170046.jpg
 次に向かったのは市内階上(はしかみ。旧・階上村)地区最知(さいち)に在る海蔵寺です。右手前に見えるのは...

202403171134 サンシュユ h1280 P3170043.jpg
 サンシュユです。綺麗ですね。ヨコミー家のサンシュユよりも早く咲いたようです。

202403171130 海蔵寺 w1280 P3170029.jpg
 墓地からの眺めです。奥に見えるのは気仙沼の大島。小高い山は亀山です。亀山の右手裏側に、キャンプ場も備えた休暇村気仙沼大島が在ります。遊びに来ませんか(^_^)v 亀山左側の裾で、左手前の杉林に隠れる辺りに大島大橋が見えます。

202403171131 大島亀山と浦の浜 w1280 P3170032.jpg
 亀山方向を拡大してみました。春霞か花粉か知りませんが、ちょっと霞んでいます。
 左の高い所が山頂。その下にレストハウスと無料休憩所が有ります。レストハウスと汽船発着所(右手赤白クレーンの右奥)が在る浦の浜とはリフトで結んでいましたが、リフトは赤字続き。更には東日本大震災による大津波で被災。復活には国の支援が必要でしたか受けられず、廃止(>_<)
 とある中堅国会議員が気仙沼を地元としているのですが、これまた被災した市内を走る鉄路が国の支援を受けられず廃止されたりと、なかなかご活躍の跡が見えません(>_<)
 レストハウスまでは市道が在るのですが、なにせ離島時代のもので、駐車場は極僅か(>_<) なのでレストハウスまでは車両乗り入れ禁止とされ、橋開通と前後して手前の、写真中央右上辺りに市営駐車場が整備されました。
 手前は本土側。下に見える竹林の両側直ぐ向こうに防潮堤が見えます。右下に見える白い色の大型トラックは駐車場に有りますが、直ぐ向こう隣は鉄路が引き剥がされ、代替バスが走る専用道。トラック左側に黒っぽく見えるのがバスの最知駅です。またまたトラックですが、手前は国道45号。
 あの大津波は鉄路や国道を乗り越え、お寺の直ぐ下まで押し寄せました。勿論、興福寺もですが、すぐ避難所となりました。震災後、ヨコミーは県南に在る亘理町の海岸を訪れましたが、海に近い所に在ったお寺も被災しました(>_<) みんなが利用する施設などは、津波や水害の心配が無い高台、でも山崩れ等の虞も無い所に作って欲しいですね。そして、作りたいですね(^_^)v

202403171131 大島大橋 w1280 P3170030.jpg
 階上から見た大島大橋です。個人的には利便が良い大島の西側へ架けて欲しかったのですが、管理する県はお金が無かったのでしょうね、本土との間隔が短い北側に架けました。
 この橋、震災復興の名目で国から頂いたように思って居る、市外か遠くの方もいらっしゃいました。利用台数が少なく勿体ないと。ちょっとした断片を見ただけで、事情も知らない浅慮の方だと呆れてしまいます。
 大島は直ぐ見える距離に在りますが、離島です。市などで運航する連絡船は19時位で終わり、その後は個人運営の臨時船が23時過ぎまで有りますが料金は高く、更に海上タクシーというモーターボートも有りましたが簡単に乗れる料金ではありません。
 海は凪いでいる時だけじゃなく、嵐や濃霧で簡単に欠航となります。一番は救急車(>_<) 濃霧が晴れるまで消防艇は走られず、緊急を要する患者だって渡れません(>_<)
 高校や仕事場への通勤通学、そして通院等々でも島民は難儀していました。更にはフェリーが運ぶ車の数は限られていて通勤には使えず、仕方無く本土側の駐車場を借りてマイカーを置く人も(>_<)
 更には島の汽船発着所は北西側。なので南部や亀山北東部に住む人は汽船発着所まで車が必要(>_<) えっ、バス? バスは採算が取れないのか1台しか有りませんでした。うーん、じゃあタクシーは? タクシーは昔は3台4台は有ったかと。しかし知っているところの近年では1台しか無く、島民も訪れる本土の人も苦労(>_<)
 そんな訳で、40年50年も前から橋を早く架けて欲しい...という運動が始まっていました。その運動が実り、県から開通の目標年度が公表され、震災前に先ずは本土側県道の整備が始まっていたのです。
 決して震災復興の名目で、地元が何もしないで棚ぼた式に頂いた訳ではないのです。橋を通る車が少ないと思ったら、何時頃に撮った写真だろうか?と疑問を持ち、まあこれはグーグルマップ等の地図と木などの影を見れば大方分かることですが、更には市のホームページ等で人口と大島へ渡る観光客数を調べてみてください。地方の、更に地方は人口減が激しいですが、費用対効果などと言わないでください。人命を守る橋なのですから(^_^)v
 ところで、高齢化や人口減で空き家が増えています。そんな風光明媚な所に建つ空き家を購入し、移住したり別荘としてみませんか(^_^)v 不動産屋さん、この機会に眠っている空き家を掘り起こし、都会の人向けに売りに出しませんか(^_^;) またはゲストハウスとして儲けたり(^_^;) 地価が下がっている気仙沼、今がビジネスチャンスかも(^_^)v

 世界の平和を祈り....と思いながら、先日発表された日本が受け入れた難民の数が、申請数に比べて極端に少ないことに危惧(>_<) ある面「結い」の面も有るだろうし、ドイツには追い抜かれたモノの世界第4位のGNPを誇る日本は、社会的責任、世界的責任(^_^;)を果たすべき(^_^)v 
 「結い」とは書きましたが、政府は万が一国民が難民として日本を脱出するとしても、仮想敵地に近い韓国に行く線は無いだろうし、軍の物量で勝る中露の攻撃をかいくぐって、安全に飛行機や船舶で米国等へ逃げ果せる事は無いなぁ....と踏んで、「結い」は無いなぁと形ばかりの受け入れに留まっているのではないかなぁ....とゲスの勘ぐり(^_^;)

 もう少し話を飛ばせば、イスラエルの攻撃でパレスチナのガザ地区は死者・怪我人は多く、飢餓状態だと(>_<) 人攫いのテロリスト共を始末するのは賛成だけど、一般市民まで攻撃の巻き添えで、イスラエル側の死者より何十倍もガザの人々が死んでいる現実には賛成出来ません(>_<)
 その昔のユダヤ人がイスラエルを建国する少し前、ナチスから迫害されていたユダヤ人を人道上の理由から救おうと、本国からの指示に背き、ビザを発給し続けた、在リトアニア日本領事館領事代理の杉浦千畝(すぎうらちうね)の事を、イスラエル政府は、イスラエル国民は思い出して欲しい。
 イスラエルは、厳格な審査で良いからガザの難民を、イスラエル領内やヨルダン川西岸のパレスチナ自治区等へ一時的にでもキャンプを作り、避難させて欲しい。
 ちなみに杉浦千畝の事をご存じない方のために。彼は「東洋のシンドラー」とも呼ばれていました。シンドラーとは映画「シンドラーのリスト」で知られるシンドラーです。その東洋版と言われる人物。下記を参照願います。
 国立公文書館アジア歴史資料センター https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p14.html

 改めて世界の隅々までの平和と安心安全を祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m

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