1234kmの墓参旅 長野・飯山へ 2023-09-28 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
さすが、暑さ寒さも彼岸まで...とは、よく言ったものです。それまでの蒸し暑さが台風13号以降緩む日が出てきて、ついに彼岸に入ると朝の冷えが気になるようになりました。
といって、昼間がとても過ごし易い....と言う訳でもなく、暑さは程々、蒸し暑さも少なくなり、ただ湿気は感じる事も有る今日この頃です。
さて、父実家が有る長野県飯山市の周辺に居た最後の従兄弟が一昨年亡くなりました。実家の従姉妹はもう30年前もに亡くなっていて、今回亡くなったのは父の直ぐ上の兄の子でした。残念ながら葬儀には行きかね、昨年墓参に行こうとしたら春の彼岸は雪で埋もれているとかで諦め、自宅の仏壇を拝みました。でもリベンジにと思いましたが、お盆はスケジュール的に無理と諦め、漸く昨年秋の彼岸に。
そうしたらヨコミー奥様のおリュウさんと、仙台に住む娘が今年は是非行きたいというので、9月21日夕方気仙沼を発ち、仙台で娘を拾い、高速道へ。出来れば新潟市までは、星まつりで通い慣れた一般道を行きたかったのですが、娘の残業が長引き仕方無く高速へ....(>_<)
遅れたおかげで、夜半までに長岡を越せず、午前2時に諦め、磐越道新潟パーキングで車中泊です。
少し早い朝、ここは食べる所が無いので北陸道黒崎パーキングエリアへ移動したら、結構な車の数で断念。更に進み、割と泊まることが多い米山サービスエリアでやっと朝食です。ちょっと遅くなり、しかも小雨模様でしたが、美味しく食べることが出来ました。何より、食堂で働く小母ちゃん達が元気に声を掛けてくれている姿が素敵でした(^_^)v
上越ジャンクションから上信越道で南下し、新井パーキングエリアに到着です。
ここで、併設されたスマートインターから出ました。このパーキングには数は限られていますが木陰もあり、車中泊で利用していました。また道の駅隣接で、パーキングに駐めたまま食事や買い物、そして道の駅内にあるホテルに泊まることも出来ます(^_^)v 目的地が近いので泊まったことは無いですが(^_^;)
以降のルートは、新井から飯山に向かう途中で父の生家跡地へ立ち寄るのが常でしたが、小雨が降っているし、時間の都合もあって最後としました。
車は山道を越え、寺のまち・飯山市に有る一つのお寺へ。
父実家が世話になっている墓地です。この坂を下るとお寺が有り、直ぐ下に素敵な喫茶店が有り、市街地が広がります。
お墓から車に戻る際、こんな石と小さな朱色の花を見つけました。優しそうな石です(^_^;)
花を拡大してみました。別な場所でも見掛けましたが、名前は3人とも分かりません(>_<)
墓参の後、父実家へ立ち寄り、仏壇にお線香を上げ、次の墓参へ。
でも、まあトイレ休憩に、飯山市の東隣・木島平村に有る道の駅ファームス木島平へ。広い駐車場側から入ろうとしたら、ここはどちらかと言えば裏口(^_^;) 左に不思議な構築物が見えますが、この施設は某有名メーカーの、トマトの加工場を改修して出来たと聞いています。その雰囲気を伝えるためのものでしょう。
凄い数のポプラ並木です。上のコマを撮影している背中側やや左に見える景色。ヨコミーが子供の頃はあちこちでポプラが見掛けられましたが、余りに高くなるためか、最近では見掛けることは少ないです。向こうは老人施設ですが、元は小学校でも有ったのでしょうか。もし施設側で植えたのなら敬意を表したいです(^_^)v
裏側の...玄関?を突き抜けると表側の玄関に(^_^;) 左右の建物を繋いで玄関としたのでしょうか。
玄関左手です。観光の案内所が有ります。ここから中に入ることも出来ます。ここでウッドチップも販売しています。
玄関右手です。中央は中のカフェと繋がっています。左の可愛くない(^_^;)猪は、この村の米を食い荒らして大きくなったと(^_^;) 右手には木材を多用した遊具が沢山有り、下に敷き詰められたウッドチップと相まって、子供たちが楽しく遊べそうです。勿論、親はコーヒーや各種アイスを楽しみながら(^_^;)
単にトイレ休憩に寄っただけですが、また、朝飯もやや遅く食べたのですが、やはりそば処でもあり、誘惑に負け、このようなものを(>_<) 美味しかったです(^_^;)
従兄弟が眠る木島平村の墓地です。見ての通り、墓地と寺を結ぶ小径の両側には水田が広がります。
うーん、こういうパターンは初めてです。お寺の墓地って、普通、お寺に隣接していませんか? 歴史的背景を知りたいです。
時々見掛ける木ですが、ここの墓地にも有って気にしています。葉の一部が枯れているようですが、違いました。
花がらかと思いましたが、拡大したらモミジのヒラヒラと舞う種のように翼・羽根を持っていました。種と思われる物をこんなに付けているのに、この木の群生は見たことが有りません。無事に芽が出るのは極々一部のようですね(>_<)
ここでも墓地に咲く花が気になりました。上の木や花についても、ご教示頂ければ幸いです。
墓地のこちら側直ぐ隣では、赤紫蘇や大根等が栽培されています(^_^;) 遠くにスキー場が見えました。
奥が木島平スキー場です。オートキャンプ場も有るようです。写真右下は県道に面するお寺の山門。山門を潜って、木々の間を抜けるのですが、本堂までが長いです(^_^;)
墓地の北側に市道が有り、その北側の側溝は流れの速い水が沢山。とても綺麗な水なので、昨年来たときは、多分供えたお団子を載せてきたと思われるお皿を洗っているお婆さんを見掛けました。綺麗で、豊富な水でした。
面倒を掛ける娘が、ちょっと登って右に行って欲しいとリクエスト。で、角まで登ったら、「目玉のおやじ」から水がザアザアと流れ出ていました。昨年も通って知っていたのですが、上堰円筒分水(かみぜきえんとうぶんすい)です。上流の川から引いた水を、二つ有る仕切りの比率で分け、あちらとこちらの地域へと引き、用水として利用されているのです。これが面白いとおリュウさんと娘が色々と構図を変えて撮影していました(^_^;)
みんなのダリア園です。個人所有かと思いますが無料です。娘の要望でちょっとだけ行った先で、娘は何かをゲットしました。その直ぐ側にダリア園は有りました。
私はやらないので知りませんが、娘がやっているのはポケモンとかドラクエウォークみたいなやつ。信長の野望....とか(^_^;) パチンコに有ったような....。こちらもやらないので知りませんが(^_^;)
コキアは一部が色付いていました。
ダリアの花は余り知りませんので、楽しんで撮りました(^_^;)
菊に似ているような感じ。個人でダリア園を公開しているなんて、とてもうらやましいです。
またまた、ファームス木島平です。本当のトイレ休憩....のつもりが、カフェに有った美味しいジェラート(^_^;)を食べ、玄関西側の棟、あの観光案内所を突き抜けて入った広い所です。
開業して間もなく、営業不振になったのかトイレのみ利用可能の時期、ここに案内所が有りました。今ではキャラクターとなっているガラの悪そうな(^_^;)猪と可愛い奴らがいます。前には小動物の木工芸品が展示してありました。
その左にはゼロ円マーケットが有ります。家庭で不要となった物を展示し、欲しい人へ無料で差し上げる場かと。決して「持ち込まないでください」と(^_^;) 色を塗る前のボーリングのピンやぬいぐるみ、各種瀬戸物等々。折角の企画なのでお客さんを誘導したいです。
あっ、ここはこんなに広いのですよ。開業当初、野菜等はここで売られていましたが、今では食堂と同じ、カフェの奥側へ移っています。
ストリートピアノならぬストリートオルガンが有りました。幸いお客さんが少ないです。ヨコミーはどの位置がドなのか分かりませんが、適当に押したら大体分かったので、ドドシドレー....と、ちょっとだけ遊びました(^_^;)
次は最遠となりましたが土産物を買いに小布施へ。いろんな店が有りますが、面倒なのでいつもここで(^_^;) 栗の入ったのも美味しいです(^_^)v
小布施堂の前付近です。平日の金曜日なのに車の通りが多いなぁと思いましたが、写真はたまたま台数が少ないときだったようで....(^_^;)
写真中央付近に人が集まり出しました。奥の酒造会社と小布施堂との間らしいですが、原因は不明(^_^;) 左端に限定スィーツ「朱雀」の張り紙は有りましたが、これ!??
道路向かいを北側に進み、いつもの「おやき」屋さんに行こうとしたら、なにやら奇妙な物が(^_^;)
聞けば焼き栗の機械だと。面白い(^_^)v
更にやや歩いて無事にいろんな餡のおやきを仕入れ、帰路です。
午前中の雨は上がり、生家跡地を訪ねましたがご覧の通りで立ち入ることが出来ません(>_<)
右奥の、3mか4mも山に登った辺りにいくつかの墓が有りました。家は中央から左に有り、多分今でもタイルで出来た、壊れてしまった風呂桶が有るはず。
今残る小さな建物は、家の残材を利用して、実家を継いだ従姉妹の長男爺が作ったもの。退職後、街に移った家からここを拠点として、田畑を耕して居ました。沢の右奥には一族の爺達が同様の小屋をいくつか建て、退職後の身体と相談しながら耕していました。が、そんな爺達の姿は皆消えました(>_<)
この地に通って40年余。爺婆が楽しみながら一生懸命耕していました。そんなときに見た爺婆の歳にヨコミーもそろそろ(>_<) そんな農地が変わり果ててしまいました。実家を継ぐ者は休日出勤も有る働き盛り(>_<) その妻は婆様の介護(>_<)
まあ多少効率は悪くても耕せない土地ではありませんが、耕すとしたら農業法人でしょうか。営業的には厳しくても、食糧自給率が低い日本にとって、国の政策として耕作面積を増やしたいところ。
そりより輸入すれば良い....という人も居るでしょうけれど、ロシアによるウクライナ侵略で小麦の需給が大変だったり、西隣国のように輸出品を意図的に絞ったりされる心配が伴います。いつかのレアアースがそうでしたね(>_<)
西隣国は逆のパターンですが、今回、福島原発処理水の海中投棄に反発して日本産の水産物を輸入禁止としたことは皆様ご存じかと。またノルウェー産サーモンも西隣国から輸入禁止という争いの道具とされ、ノルウェー側が頭を下げ、輸入が再開された....と池上 彰さんが解説していました。西隣国はオーストラリア産ワインも争いの道具としました(>_<)
このように国を超えての売買は、特に旧共産圏の国々とは、かなりのリスクを持つと考えなくては成らないかと(>_<)
地下資源は少ない日本。でも耕作放棄地は大きな都市近くでも見掛けます。個人では出来ない耕作も、国が食糧危機対策の一つとして位置付け、食糧の増産で自給率を少しでも上げて欲しいです。
あっ、22日は安全を見て新潟の安宿に泊まり、23日は市内の墓地2カ所を経由し、18時半過ぎに帰宅しました。足掛け3日間ですが実質49時間、往復1234kmの旅でした。とても疲れましたが、実は「お疲れ週間」の始まりに過ぎませんでした(>_<) 機会が有れば後日(^_^;)
ロシアがウクライナを侵略しようと戦争を始めて1年半(>_<) そして他の地域でも戦争や紛争が終わり、圧政の政権も倒れ、身近でいえば虐待やイジメが起こらない、世界中で平和を満喫出来る日が一日でも早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
さすが、暑さ寒さも彼岸まで...とは、よく言ったものです。それまでの蒸し暑さが台風13号以降緩む日が出てきて、ついに彼岸に入ると朝の冷えが気になるようになりました。
といって、昼間がとても過ごし易い....と言う訳でもなく、暑さは程々、蒸し暑さも少なくなり、ただ湿気は感じる事も有る今日この頃です。
さて、父実家が有る長野県飯山市の周辺に居た最後の従兄弟が一昨年亡くなりました。実家の従姉妹はもう30年前もに亡くなっていて、今回亡くなったのは父の直ぐ上の兄の子でした。残念ながら葬儀には行きかね、昨年墓参に行こうとしたら春の彼岸は雪で埋もれているとかで諦め、自宅の仏壇を拝みました。でもリベンジにと思いましたが、お盆はスケジュール的に無理と諦め、漸く昨年秋の彼岸に。
そうしたらヨコミー奥様のおリュウさんと、仙台に住む娘が今年は是非行きたいというので、9月21日夕方気仙沼を発ち、仙台で娘を拾い、高速道へ。出来れば新潟市までは、星まつりで通い慣れた一般道を行きたかったのですが、娘の残業が長引き仕方無く高速へ....(>_<)
遅れたおかげで、夜半までに長岡を越せず、午前2時に諦め、磐越道新潟パーキングで車中泊です。
少し早い朝、ここは食べる所が無いので北陸道黒崎パーキングエリアへ移動したら、結構な車の数で断念。更に進み、割と泊まることが多い米山サービスエリアでやっと朝食です。ちょっと遅くなり、しかも小雨模様でしたが、美味しく食べることが出来ました。何より、食堂で働く小母ちゃん達が元気に声を掛けてくれている姿が素敵でした(^_^)v
上越ジャンクションから上信越道で南下し、新井パーキングエリアに到着です。
ここで、併設されたスマートインターから出ました。このパーキングには数は限られていますが木陰もあり、車中泊で利用していました。また道の駅隣接で、パーキングに駐めたまま食事や買い物、そして道の駅内にあるホテルに泊まることも出来ます(^_^)v 目的地が近いので泊まったことは無いですが(^_^;)
以降のルートは、新井から飯山に向かう途中で父の生家跡地へ立ち寄るのが常でしたが、小雨が降っているし、時間の都合もあって最後としました。
車は山道を越え、寺のまち・飯山市に有る一つのお寺へ。
父実家が世話になっている墓地です。この坂を下るとお寺が有り、直ぐ下に素敵な喫茶店が有り、市街地が広がります。
お墓から車に戻る際、こんな石と小さな朱色の花を見つけました。優しそうな石です(^_^;)
花を拡大してみました。別な場所でも見掛けましたが、名前は3人とも分かりません(>_<)
墓参の後、父実家へ立ち寄り、仏壇にお線香を上げ、次の墓参へ。
でも、まあトイレ休憩に、飯山市の東隣・木島平村に有る道の駅ファームス木島平へ。広い駐車場側から入ろうとしたら、ここはどちらかと言えば裏口(^_^;) 左に不思議な構築物が見えますが、この施設は某有名メーカーの、トマトの加工場を改修して出来たと聞いています。その雰囲気を伝えるためのものでしょう。
凄い数のポプラ並木です。上のコマを撮影している背中側やや左に見える景色。ヨコミーが子供の頃はあちこちでポプラが見掛けられましたが、余りに高くなるためか、最近では見掛けることは少ないです。向こうは老人施設ですが、元は小学校でも有ったのでしょうか。もし施設側で植えたのなら敬意を表したいです(^_^)v
裏側の...玄関?を突き抜けると表側の玄関に(^_^;) 左右の建物を繋いで玄関としたのでしょうか。
玄関左手です。観光の案内所が有ります。ここから中に入ることも出来ます。ここでウッドチップも販売しています。
玄関右手です。中央は中のカフェと繋がっています。左の可愛くない(^_^;)猪は、この村の米を食い荒らして大きくなったと(^_^;) 右手には木材を多用した遊具が沢山有り、下に敷き詰められたウッドチップと相まって、子供たちが楽しく遊べそうです。勿論、親はコーヒーや各種アイスを楽しみながら(^_^;)
単にトイレ休憩に寄っただけですが、また、朝飯もやや遅く食べたのですが、やはりそば処でもあり、誘惑に負け、このようなものを(>_<) 美味しかったです(^_^;)
従兄弟が眠る木島平村の墓地です。見ての通り、墓地と寺を結ぶ小径の両側には水田が広がります。
うーん、こういうパターンは初めてです。お寺の墓地って、普通、お寺に隣接していませんか? 歴史的背景を知りたいです。
時々見掛ける木ですが、ここの墓地にも有って気にしています。葉の一部が枯れているようですが、違いました。
花がらかと思いましたが、拡大したらモミジのヒラヒラと舞う種のように翼・羽根を持っていました。種と思われる物をこんなに付けているのに、この木の群生は見たことが有りません。無事に芽が出るのは極々一部のようですね(>_<)
ここでも墓地に咲く花が気になりました。上の木や花についても、ご教示頂ければ幸いです。
墓地のこちら側直ぐ隣では、赤紫蘇や大根等が栽培されています(^_^;) 遠くにスキー場が見えました。
奥が木島平スキー場です。オートキャンプ場も有るようです。写真右下は県道に面するお寺の山門。山門を潜って、木々の間を抜けるのですが、本堂までが長いです(^_^;)
墓地の北側に市道が有り、その北側の側溝は流れの速い水が沢山。とても綺麗な水なので、昨年来たときは、多分供えたお団子を載せてきたと思われるお皿を洗っているお婆さんを見掛けました。綺麗で、豊富な水でした。
面倒を掛ける娘が、ちょっと登って右に行って欲しいとリクエスト。で、角まで登ったら、「目玉のおやじ」から水がザアザアと流れ出ていました。昨年も通って知っていたのですが、上堰円筒分水(かみぜきえんとうぶんすい)です。上流の川から引いた水を、二つ有る仕切りの比率で分け、あちらとこちらの地域へと引き、用水として利用されているのです。これが面白いとおリュウさんと娘が色々と構図を変えて撮影していました(^_^;)
みんなのダリア園です。個人所有かと思いますが無料です。娘の要望でちょっとだけ行った先で、娘は何かをゲットしました。その直ぐ側にダリア園は有りました。
私はやらないので知りませんが、娘がやっているのはポケモンとかドラクエウォークみたいなやつ。信長の野望....とか(^_^;) パチンコに有ったような....。こちらもやらないので知りませんが(^_^;)
コキアは一部が色付いていました。
ダリアの花は余り知りませんので、楽しんで撮りました(^_^;)
菊に似ているような感じ。個人でダリア園を公開しているなんて、とてもうらやましいです。
またまた、ファームス木島平です。本当のトイレ休憩....のつもりが、カフェに有った美味しいジェラート(^_^;)を食べ、玄関西側の棟、あの観光案内所を突き抜けて入った広い所です。
開業して間もなく、営業不振になったのかトイレのみ利用可能の時期、ここに案内所が有りました。今ではキャラクターとなっているガラの悪そうな(^_^;)猪と可愛い奴らがいます。前には小動物の木工芸品が展示してありました。
その左にはゼロ円マーケットが有ります。家庭で不要となった物を展示し、欲しい人へ無料で差し上げる場かと。決して「持ち込まないでください」と(^_^;) 色を塗る前のボーリングのピンやぬいぐるみ、各種瀬戸物等々。折角の企画なのでお客さんを誘導したいです。
あっ、ここはこんなに広いのですよ。開業当初、野菜等はここで売られていましたが、今では食堂と同じ、カフェの奥側へ移っています。
ストリートピアノならぬストリートオルガンが有りました。幸いお客さんが少ないです。ヨコミーはどの位置がドなのか分かりませんが、適当に押したら大体分かったので、ドドシドレー....と、ちょっとだけ遊びました(^_^;)
次は最遠となりましたが土産物を買いに小布施へ。いろんな店が有りますが、面倒なのでいつもここで(^_^;) 栗の入ったのも美味しいです(^_^)v
小布施堂の前付近です。平日の金曜日なのに車の通りが多いなぁと思いましたが、写真はたまたま台数が少ないときだったようで....(^_^;)
写真中央付近に人が集まり出しました。奥の酒造会社と小布施堂との間らしいですが、原因は不明(^_^;) 左端に限定スィーツ「朱雀」の張り紙は有りましたが、これ!??
道路向かいを北側に進み、いつもの「おやき」屋さんに行こうとしたら、なにやら奇妙な物が(^_^;)
聞けば焼き栗の機械だと。面白い(^_^)v
更にやや歩いて無事にいろんな餡のおやきを仕入れ、帰路です。
午前中の雨は上がり、生家跡地を訪ねましたがご覧の通りで立ち入ることが出来ません(>_<)
右奥の、3mか4mも山に登った辺りにいくつかの墓が有りました。家は中央から左に有り、多分今でもタイルで出来た、壊れてしまった風呂桶が有るはず。
今残る小さな建物は、家の残材を利用して、実家を継いだ従姉妹の長男爺が作ったもの。退職後、街に移った家からここを拠点として、田畑を耕して居ました。沢の右奥には一族の爺達が同様の小屋をいくつか建て、退職後の身体と相談しながら耕していました。が、そんな爺達の姿は皆消えました(>_<)
この地に通って40年余。爺婆が楽しみながら一生懸命耕していました。そんなときに見た爺婆の歳にヨコミーもそろそろ(>_<) そんな農地が変わり果ててしまいました。実家を継ぐ者は休日出勤も有る働き盛り(>_<) その妻は婆様の介護(>_<)
まあ多少効率は悪くても耕せない土地ではありませんが、耕すとしたら農業法人でしょうか。営業的には厳しくても、食糧自給率が低い日本にとって、国の政策として耕作面積を増やしたいところ。
そりより輸入すれば良い....という人も居るでしょうけれど、ロシアによるウクライナ侵略で小麦の需給が大変だったり、西隣国のように輸出品を意図的に絞ったりされる心配が伴います。いつかのレアアースがそうでしたね(>_<)
西隣国は逆のパターンですが、今回、福島原発処理水の海中投棄に反発して日本産の水産物を輸入禁止としたことは皆様ご存じかと。またノルウェー産サーモンも西隣国から輸入禁止という争いの道具とされ、ノルウェー側が頭を下げ、輸入が再開された....と池上 彰さんが解説していました。西隣国はオーストラリア産ワインも争いの道具としました(>_<)
このように国を超えての売買は、特に旧共産圏の国々とは、かなりのリスクを持つと考えなくては成らないかと(>_<)
地下資源は少ない日本。でも耕作放棄地は大きな都市近くでも見掛けます。個人では出来ない耕作も、国が食糧危機対策の一つとして位置付け、食糧の増産で自給率を少しでも上げて欲しいです。
あっ、22日は安全を見て新潟の安宿に泊まり、23日は市内の墓地2カ所を経由し、18時半過ぎに帰宅しました。足掛け3日間ですが実質49時間、往復1234kmの旅でした。とても疲れましたが、実は「お疲れ週間」の始まりに過ぎませんでした(>_<) 機会が有れば後日(^_^;)
ロシアがウクライナを侵略しようと戦争を始めて1年半(>_<) そして他の地域でも戦争や紛争が終わり、圧政の政権も倒れ、身近でいえば虐待やイジメが起こらない、世界中で平和を満喫出来る日が一日でも早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
稔りの秋,,,かな 家の周り 20230919 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
台風13号後から一昨日辺りまで割と過ごし易かった気仙沼ですが、今日9月19日と昨日は暑くてとても蒸し暑い日と成りました(>_<) 今宵もエアコンの世話になっています。ただ、電気代は多分それほど使っていません。初期投資の回収でしたが、詳細は後日。
この夏はとても暑いので、家周辺の観察が疎かになり、草が結構ぼうぼうと伸びています。草の半分ほどは今日に刈りましたが、なかなか刈れない所も(>_<)
何でしょう(^_^;)
ゴーヤーです。大きなモノは長さ38センチ、直径8センチでした。
ゴーヤーは夏のモノなのでしょうけれど、9月になっても暑いためか、まだ花が咲き、育っています。そうそう、そろそろ追肥が必要です。
茗荷(ミョウガ)です。茗荷は群落をなしていて、採るのも大変(>_<) まさか草刈り機で刈り取れませんしね(^_^;) 開いても勿体ないので、しっかりと洗って食べます(^_^)v 白いのは花。
玄関風除室に向かって右をパチリ。左はパッションフルーツですが、最初の実は熟さず落ちました(>_<) その後は花が付きません(>_<)
中央やや左下は、遅れて蒔いたアンデスメロン。でも、遅れたのでまだこんな感じ(>_<)
中央白い鉢はミモザアカシアです。安い苗木を見つけて衝動買い(^_^;) 年を取ったら家庭菜園さえ出来なくなるので、ヨコミー奥様のおリュウさんと相談し、家庭菜園を行く行くは桜の花見場所にしようと桜を植えつつあるその端に....と思って居たら、事情がちょっと有って、ミモザの植栽は1年2年後と成りそうです。
その右、今年はオリーブに実が成るだろうなぁ...と期待していた3鉢の内、(本当は小さいのですが)大きめな1鉢の木が消えていました(>_<) 美味しそうなので鹿でも食べたのでしょうか、こんなごちゃごちゃの中から(>_<)
ここは玄関風除室左の芝桜を植えている所。なのですが、コスモスの種が飛んできてこの有様(>_<) なので端にアンデスメロンを植えた2鉢を置き、お休み中の芝桜の上に繁茂(^_^;)
そして、実っているのです(^_^;) 撮影は9月11日で、大きさはピンポン球よりやや大きい程度。それが今日見たら軟式野球のボール程度まで育っていました。
これからでも更に大きくなり、熟すのでしょうか。ここならちょっと、格好は悪くてもネットやビニールで覆って保温も出来そうです。まあ頻繁に見て、調子が悪そうなら早めに収穫し、チャンプルーの足しにしましょう(^_^;)
ヨコミー家裏の西側にあるごちゃです(^_^;) 植えてもいないキウイフルーツの蔓が繁茂して、ちょっと切っただけではダメでした。
でも、
良ーく見ると実が付いていました(^_^)v
こっちにも(^_^;)
実はヨコミー家のキウイフルーツは、40年近く前に、以前住んで居た鹿折地区、あの300tもの船が打ち上げられた辺りですが、そこで育てていたやつを30年ほど前にこの地に移植して、実を収穫していたのは、家表側の東端でした。
当時世話をしていた父が体調を崩し、手を掛けられなくなっていたのですが、勿論ヨコミーも手を掛けられず繁茂(>_<) その内に父が亡くなり、その翌年辺りで、風の丘の季節風で東側へ棚が持ち上げられ、ひっくり返ってしまいました(>_<)
とても繁茂していたので結構剪定したら、翌年から花が咲かなくなりガックリ(>_<) 少し待っていたら多少咲いたものの結実までには至りませんでした。多分、雄か雌の一方しか咲かなかったのでしょう。キウイフルーツは雌雄異株。
それで諦め、更に大きく剪定したモノのダメで、諦めていました。来年にでもすっかり切るつもりで(>_<)
そんな中、動物か運んだのか自宅裏には、何年も前からキウイフルーツの蔓が繁茂し、何度も切っていました。
それにもめげず、何と今年は花を咲かせていましたが、驚くことに実まで付けていました(>_<)
思うに、裏のは雌の木で、表の花は雄花だったようで、たまたま裏と表を回った蜂が受粉させたのでしょう。ただ表のは残念ながら繁茂していて、どの木が雄か分かりません。
キウイフルーツの蔓に感謝です。十数年振りに自宅で採れたキウイフルーツを食べることが出来ます。ただ収穫は11月辺りかと。大事にしたいです。
来年は雄の苗木を買い、裏に植えましょう。苗木の花が咲くまでは、表から花を採取し、人工授粉をやってみます。ただ花の時期がずれなければ....とちょっと心配。
ウクライナを始めとする世界各地での戦争や紛争等が終結し、圧政の政権も倒れ、庶民的なところでは虐待やイジメも無くなり、一日も早く平和で安心安全な暮らしが世界中で出来ることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
台風13号後から一昨日辺りまで割と過ごし易かった気仙沼ですが、今日9月19日と昨日は暑くてとても蒸し暑い日と成りました(>_<) 今宵もエアコンの世話になっています。ただ、電気代は多分それほど使っていません。初期投資の回収でしたが、詳細は後日。
この夏はとても暑いので、家周辺の観察が疎かになり、草が結構ぼうぼうと伸びています。草の半分ほどは今日に刈りましたが、なかなか刈れない所も(>_<)
何でしょう(^_^;)
ゴーヤーです。大きなモノは長さ38センチ、直径8センチでした。
ゴーヤーは夏のモノなのでしょうけれど、9月になっても暑いためか、まだ花が咲き、育っています。そうそう、そろそろ追肥が必要です。
茗荷(ミョウガ)です。茗荷は群落をなしていて、採るのも大変(>_<) まさか草刈り機で刈り取れませんしね(^_^;) 開いても勿体ないので、しっかりと洗って食べます(^_^)v 白いのは花。
玄関風除室に向かって右をパチリ。左はパッションフルーツですが、最初の実は熟さず落ちました(>_<) その後は花が付きません(>_<)
中央やや左下は、遅れて蒔いたアンデスメロン。でも、遅れたのでまだこんな感じ(>_<)
中央白い鉢はミモザアカシアです。安い苗木を見つけて衝動買い(^_^;) 年を取ったら家庭菜園さえ出来なくなるので、ヨコミー奥様のおリュウさんと相談し、家庭菜園を行く行くは桜の花見場所にしようと桜を植えつつあるその端に....と思って居たら、事情がちょっと有って、ミモザの植栽は1年2年後と成りそうです。
その右、今年はオリーブに実が成るだろうなぁ...と期待していた3鉢の内、(本当は小さいのですが)大きめな1鉢の木が消えていました(>_<) 美味しそうなので鹿でも食べたのでしょうか、こんなごちゃごちゃの中から(>_<)
ここは玄関風除室左の芝桜を植えている所。なのですが、コスモスの種が飛んできてこの有様(>_<) なので端にアンデスメロンを植えた2鉢を置き、お休み中の芝桜の上に繁茂(^_^;)
そして、実っているのです(^_^;) 撮影は9月11日で、大きさはピンポン球よりやや大きい程度。それが今日見たら軟式野球のボール程度まで育っていました。
これからでも更に大きくなり、熟すのでしょうか。ここならちょっと、格好は悪くてもネットやビニールで覆って保温も出来そうです。まあ頻繁に見て、調子が悪そうなら早めに収穫し、チャンプルーの足しにしましょう(^_^;)
ヨコミー家裏の西側にあるごちゃです(^_^;) 植えてもいないキウイフルーツの蔓が繁茂して、ちょっと切っただけではダメでした。
でも、
良ーく見ると実が付いていました(^_^)v
こっちにも(^_^;)
実はヨコミー家のキウイフルーツは、40年近く前に、以前住んで居た鹿折地区、あの300tもの船が打ち上げられた辺りですが、そこで育てていたやつを30年ほど前にこの地に移植して、実を収穫していたのは、家表側の東端でした。
当時世話をしていた父が体調を崩し、手を掛けられなくなっていたのですが、勿論ヨコミーも手を掛けられず繁茂(>_<) その内に父が亡くなり、その翌年辺りで、風の丘の季節風で東側へ棚が持ち上げられ、ひっくり返ってしまいました(>_<)
とても繁茂していたので結構剪定したら、翌年から花が咲かなくなりガックリ(>_<) 少し待っていたら多少咲いたものの結実までには至りませんでした。多分、雄か雌の一方しか咲かなかったのでしょう。キウイフルーツは雌雄異株。
それで諦め、更に大きく剪定したモノのダメで、諦めていました。来年にでもすっかり切るつもりで(>_<)
そんな中、動物か運んだのか自宅裏には、何年も前からキウイフルーツの蔓が繁茂し、何度も切っていました。
それにもめげず、何と今年は花を咲かせていましたが、驚くことに実まで付けていました(>_<)
思うに、裏のは雌の木で、表の花は雄花だったようで、たまたま裏と表を回った蜂が受粉させたのでしょう。ただ表のは残念ながら繁茂していて、どの木が雄か分かりません。
キウイフルーツの蔓に感謝です。十数年振りに自宅で採れたキウイフルーツを食べることが出来ます。ただ収穫は11月辺りかと。大事にしたいです。
来年は雄の苗木を買い、裏に植えましょう。苗木の花が咲くまでは、表から花を採取し、人工授粉をやってみます。ただ花の時期がずれなければ....とちょっと心配。
ウクライナを始めとする世界各地での戦争や紛争等が終結し、圧政の政権も倒れ、庶民的なところでは虐待やイジメも無くなり、一日も早く平和で安心安全な暮らしが世界中で出来ることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
銀行は戻ったが... 気仙沼の今 20230825 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日9月11日は東日本大震災の月命日。午前10時頃だったか、あの震災後、気仙沼市は毎月11日を「防災を考える日」と定め、広報塔から「....防災を考えましょう」と流しています。
あの震災から12年と半年が過ぎました。人によっては、まだ12年...なのでしょう。多くの建物が流され、多くの人も流され、中にはまだ見つかっていない人も....(T_T) 身近では、娘が通っていたお習字の先生、アマチュア無線の先輩、母実家の小母ちゃん等々。
浸水地の多くは、その場に住居を再建出来なくなりました。以前ゴミゴミと建物が有った所には、大きな工場は再建されたものの、住居兼工場みたいな建物は再建されていません。なので12年も経った今でも、虫食い状態で空き地が目立ちます。
もう以前のような町並みは見ることが出来ないのでしょうね(>_<)
8月25日、終活の一環で、普通預金通帳を解約するため、市内南町三丁目に有る七十七銀行気仙沼支店(以下、「気仙沼支店」)へ行きました。以前は給与振り込みでしたが、今は振り込んでくれる人は居ません(^_^;) 三桁の残高はあったなぁ...と捨てずに、解約(^_^;)
ところで、すみませんが今日は諸般の事情で、写真は1枚だけですm(_ _)m
その日14時半頃には着いたのですが、手続きをして、帰りは15時をちょっと過ぎました。車は真裏に駐め、向かって右側から道に出て、直ぐ赤信号。信号が青に変わって、とろとろと走り出したときに、ノーファインダーでバチリ。斜めですみません(^_^;)
気仙沼支店も勿論被災しました。同行は東北地方では最大の銀行だと思います。気仙沼には気仙沼支店の他に内ノ脇支店が有り、こちらも被災。旧市立病院南側の新興商業地へ移転しました。
先程グーグルマップからストリートビューで南町を見たら、親切にも?被災した三階建ての旧・気仙沼支店がまだ有り、ビックリ。お時間がある方はお試し願います。
被災後、市役所の近い所に有った商工会議所の旧建物で再開し、三年前か、以前有ったこの地へ再建、移転しました。気仙沼もご多分に漏れず中心市街地の空洞化が進んでいましたが、元の場所に戻ってきてくれました。
交差点の左側は、震災前は事業所の建物が建ち並び、向こうの山は見えなかったかと。気仙沼支店の右奥には、新しい飲食店やお店が建ち並んでいますが、以前のようなごちゃごちゃ感は有りません。空き地もまだ有ります。
震災以前はこの裏手に汽船発着所が有って、(気仙沼)大島観光の玄関口となり、周辺はそれなりの人出は有りましたが、大津波が来て、そして何十年来の念願だった大島架橋が出来、大島には直接車で渡れるように成り、人の流れが変わりました。
この辺りは飲食店が多く、観光客や入港する船員が楽しまれていますが、先が心配です。
[ 気仙沼関連情報 ]
見逃し配信のご案内。
NHKのNHKプラスをご存じですか? 簡単な登録で、基本的には1週間以内の見逃し番組がパソコンやスマホ、タブレットで見ることが出来ます。勿論無料。スマホやタブレットならアプリをGoogle PlayやAppstoreから。
まだの方は
https://plus.nhk.jp/info/id/
から入って手続きをされてみては? とりあえずメールアドレスが必要です。またブラウザで見る場合、制限が有ります。推奨のブラウザはMicrosoft Edge・Google Chrome・Safari の最新版です。残念ながらInternet Explorerと私が使っているFirefoxでは見えません。NHKさんよ、なんで??
と、ちょっと前振りが長かったですが、
1. 東北ココから「みなとまちの小さな新聞」配信期限 : 9/15(金) 午後7:56 まで
https://plus.nhk.jp/watch/st/040_g1_2023090147378?cid=jp-WJ1LZ5K145
2.東北ココから「自分らしい世界は少しずつだけど広がっていく」配信期限 : 9/12(火) 午後2:36 まで
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023090520926?cid=jp-WJ1LZ5K145
3. 解体キングダム 「復興のシンボル 漁業取締船たつまい 涙の解体」配信期限 : 9/13(水) 午後8:43 まで
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023090621401
.....を紹介します。
1.はヨコミーが住む日門地域の防潮堤問題を地元紙・三陸新報社が取材するところも有り、ヨコミーも映っています(^_^;)
2.気仙沼にあるフリースクール「つなぎ」が取り上げられています。
3.で解体されている船は気仙沼で活躍した船でした。大島の龍舞崎に由来した船名でした。
特に2と3は期限間近となって大変すみませんm(_ _)m
ウクライナを始めとする戦争や紛争、圧政、イジメ等々が無くなり、世界中が平和を満喫出来る日が一日でも早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日9月11日は東日本大震災の月命日。午前10時頃だったか、あの震災後、気仙沼市は毎月11日を「防災を考える日」と定め、広報塔から「....防災を考えましょう」と流しています。
あの震災から12年と半年が過ぎました。人によっては、まだ12年...なのでしょう。多くの建物が流され、多くの人も流され、中にはまだ見つかっていない人も....(T_T) 身近では、娘が通っていたお習字の先生、アマチュア無線の先輩、母実家の小母ちゃん等々。
浸水地の多くは、その場に住居を再建出来なくなりました。以前ゴミゴミと建物が有った所には、大きな工場は再建されたものの、住居兼工場みたいな建物は再建されていません。なので12年も経った今でも、虫食い状態で空き地が目立ちます。
もう以前のような町並みは見ることが出来ないのでしょうね(>_<)
8月25日、終活の一環で、普通預金通帳を解約するため、市内南町三丁目に有る七十七銀行気仙沼支店(以下、「気仙沼支店」)へ行きました。以前は給与振り込みでしたが、今は振り込んでくれる人は居ません(^_^;) 三桁の残高はあったなぁ...と捨てずに、解約(^_^;)
ところで、すみませんが今日は諸般の事情で、写真は1枚だけですm(_ _)m
その日14時半頃には着いたのですが、手続きをして、帰りは15時をちょっと過ぎました。車は真裏に駐め、向かって右側から道に出て、直ぐ赤信号。信号が青に変わって、とろとろと走り出したときに、ノーファインダーでバチリ。斜めですみません(^_^;)
気仙沼支店も勿論被災しました。同行は東北地方では最大の銀行だと思います。気仙沼には気仙沼支店の他に内ノ脇支店が有り、こちらも被災。旧市立病院南側の新興商業地へ移転しました。
先程グーグルマップからストリートビューで南町を見たら、親切にも?被災した三階建ての旧・気仙沼支店がまだ有り、ビックリ。お時間がある方はお試し願います。
被災後、市役所の近い所に有った商工会議所の旧建物で再開し、三年前か、以前有ったこの地へ再建、移転しました。気仙沼もご多分に漏れず中心市街地の空洞化が進んでいましたが、元の場所に戻ってきてくれました。
交差点の左側は、震災前は事業所の建物が建ち並び、向こうの山は見えなかったかと。気仙沼支店の右奥には、新しい飲食店やお店が建ち並んでいますが、以前のようなごちゃごちゃ感は有りません。空き地もまだ有ります。
震災以前はこの裏手に汽船発着所が有って、(気仙沼)大島観光の玄関口となり、周辺はそれなりの人出は有りましたが、大津波が来て、そして何十年来の念願だった大島架橋が出来、大島には直接車で渡れるように成り、人の流れが変わりました。
この辺りは飲食店が多く、観光客や入港する船員が楽しまれていますが、先が心配です。
[ 気仙沼関連情報 ]
見逃し配信のご案内。
NHKのNHKプラスをご存じですか? 簡単な登録で、基本的には1週間以内の見逃し番組がパソコンやスマホ、タブレットで見ることが出来ます。勿論無料。スマホやタブレットならアプリをGoogle PlayやAppstoreから。
まだの方は
https://plus.nhk.jp/info/id/
から入って手続きをされてみては? とりあえずメールアドレスが必要です。またブラウザで見る場合、制限が有ります。推奨のブラウザはMicrosoft Edge・Google Chrome・Safari の最新版です。残念ながらInternet Explorerと私が使っているFirefoxでは見えません。NHKさんよ、なんで??
と、ちょっと前振りが長かったですが、
1. 東北ココから「みなとまちの小さな新聞」配信期限 : 9/15(金) 午後7:56 まで
https://plus.nhk.jp/watch/st/040_g1_2023090147378?cid=jp-WJ1LZ5K145
2.東北ココから「自分らしい世界は少しずつだけど広がっていく」配信期限 : 9/12(火) 午後2:36 まで
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023090520926?cid=jp-WJ1LZ5K145
3. 解体キングダム 「復興のシンボル 漁業取締船たつまい 涙の解体」配信期限 : 9/13(水) 午後8:43 まで
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023090621401
.....を紹介します。
1.はヨコミーが住む日門地域の防潮堤問題を地元紙・三陸新報社が取材するところも有り、ヨコミーも映っています(^_^;)
2.気仙沼にあるフリースクール「つなぎ」が取り上げられています。
3.で解体されている船は気仙沼で活躍した船でした。大島の龍舞崎に由来した船名でした。
特に2と3は期限間近となって大変すみませんm(_ _)m
ウクライナを始めとする戦争や紛争、圧政、イジメ等々が無くなり、世界中が平和を満喫出来る日が一日でも早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
SOS! 死んじゃ嫌だ(>_<) 20230906 [もの]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日9月6日は一昨日から引き続き雨模様。雨は4日夕方から降り、一時土砂降り。その後、昨日昼間は多少良かったものの、午後遅くからまた雨。一時は音を立てて降っていました。そして今日は朝から(>_<)
洗濯物は取り敢えず洗濯機内で風を送り、雨は有っても外は風が吹いていないようなので、軒下に干しました。夕方に成り雨は上がったようですが、昨日の洗濯物が室内でまだ干して居るので、夕方エアコンをスタートさせ、その風を少し当てた後の夜に、入れ替えました。
人生の終活になるか結婚の終活になるか分かりませんが、多少片付けていたらこのようなモノが出て来ました。
うーん、星かなぁ? 星座の早見盤? いえいえ、上から右を見れば、TOKEIです(^_^;)
残念ながら、今は販売されていないシチズン精密星座掛け時計コスモサインです。その昔、ヨコミー奥様のおリュウさんが若い方達から頂いた品です。
単三電池1本を入れると、星座が描かれた大きな円盤が回り、凡そ24時間で1回転です。なのでリアルタイムで、昼間でも星座を示してくれます。しかも回転には1日1度ほどのズレが有り、365日で360度回転します。つまり四季の移り変わりにも対応という優れもの(^_^)v
円盤には星座を表す星を結ぶ線や境界線、星座の和名と英語の略称、α、β...というギリシャ文字の星名、主な星雲星団、そして太陽の通り道・黄道まで描かれていて、趣味人は泣いて喜びます(^_^;)
大きさ比較用として置いたマッチの左端辺りに、この写真では縮小しているので分からないかも知れませんが、1994の多分西暦年と社名が有り、今から30年近く前の時計で有ることが分かります。
ただこの製品は、実際はいつに作られたのでしょう。1ロットだけで、本でいう増刷は無かったのかなぁ。そういえば、これの南天版が後日出ました。南天版は星に色が付いています。色が付いた北天版は、無かったかなぁ...。
頂いてから直ぐ電池を入れ、動きを見て楽しんだのですが、残念ながら各部屋にはそれぞれ安物ですが、選んで買ったお気に入りの時計が既に有り、並べて飾るのも変で、コスモサインは間もなく再び箱に戻されました。
そしてその後、何年かして既存の時計が壊れ、いよいよ出番...となったら、なんと不調(>_<) 新しい電池を入れても秒針がピクッピクッと僅かに動くだけで、長針短針も含めて回りません(>_<)
当時は仕事が忙しく、深く追求すること無く、またまた箱へ(>_<) そのままになっていました(T_T)
今回終活の一環で整理していたらこれが見つかり、またまた動かないことを確認。秒針がピクッピクッとのみ動きますが、回りません。見たら保護ガラスの内側にカビが(>_<)
今回は時間が有ったのでメーカーのホームページで修理を照会したら、「発売が1994年の時計ですでに製造が停止しております。そのため部品が無く、修理を承ることが出来ません」だと。ただ「時計で」の後ろには読点の「、」を入れるか、「すでに」は漢字の「既に」にして欲しかった....(^_^;)
ただ、承ることが出来ません....と言われて、ハイそうですか....とは思いたくないです。
第一、なんで現物を見ないで部品が無いと言えるのでしょうか。ひょっとしたらこの製品には、同様の苦情が発売以来数多く集まっていたのでしょうか? なので見なくても、この症状ならあの部品が壊れているらしいけど、既に交換する部品が無い....と分かったのかも(>_<)
まあ1994年当時は製造物責任法が翌年の施行なので、本体に仮に壊れやすい部品の欠陥が有っても、当初の保証期間が過ぎれば会社としては何の責任も無かったのですね。でも、今回の不調は部品がズレていた....とか、見て欲しかった(>_<)
一方この手の製品は、星に多少なりと興味を持つ方が自分の楽しみ用として求めたり、たまたま贈り物として探している内に出会い、惚れ込んで買い求め、相手方に届けるケースが殆どかと。そういう思いが籠もりやすいと思われる製品には、企業として保守の余白を長く残して欲しかったです。この製品を、使い捨てで良いから....と作った訳ではないでしょう。
実はヨコミーも、この製品が天文雑誌に紹介されて欲しくは成ったのですが、ヨコミーとしては高価であり、残念ながら子育て中でもあり、小遣いが少ないので断念した経緯が有ります(>_<)
ヨコミーが星好きなことは、おリュウさんの仕事先にも知られていて、1994年以降の何かのタイミングで、若い方々から「夫婦で楽しんでください」という意味を込められ、我が家に来たと思います。
でも上記理由でちょっとだけ楽しんで、楽しみを少し未来に取って置いたのですが、残念な結果に(>_<)
この時計は、もうこのまま死んでしまうのでしょうか。腕の有る時計屋さんなら、開けてみれば何か解決策を見つけてくれるかも知れませんが、最近の電気屋さんも同様、今は手元で修理せず、直ぐメーカー送りとか。この時計、メーカーでは既にダメだと(>_<)
どこかに見てくれる、修理出来る時計屋さんが居るか、探したいです(>_<) ネット通販を見れば、中古が2/3諭吉程度で売っていますが、頂いた「これ」を大切にしたいのです(^_^;) 修理出来る時計屋さんの売り込み歓迎です(^_^)v
ウクライナを始めとする世界から戦争が無くなり、圧政も消え、小さな戦争である虐待やイジメも無くなり、世界中で安心して暮らせる日が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日9月6日は一昨日から引き続き雨模様。雨は4日夕方から降り、一時土砂降り。その後、昨日昼間は多少良かったものの、午後遅くからまた雨。一時は音を立てて降っていました。そして今日は朝から(>_<)
洗濯物は取り敢えず洗濯機内で風を送り、雨は有っても外は風が吹いていないようなので、軒下に干しました。夕方に成り雨は上がったようですが、昨日の洗濯物が室内でまだ干して居るので、夕方エアコンをスタートさせ、その風を少し当てた後の夜に、入れ替えました。
人生の終活になるか結婚の終活になるか分かりませんが、多少片付けていたらこのようなモノが出て来ました。
うーん、星かなぁ? 星座の早見盤? いえいえ、上から右を見れば、TOKEIです(^_^;)
残念ながら、今は販売されていないシチズン精密星座掛け時計コスモサインです。その昔、ヨコミー奥様のおリュウさんが若い方達から頂いた品です。
単三電池1本を入れると、星座が描かれた大きな円盤が回り、凡そ24時間で1回転です。なのでリアルタイムで、昼間でも星座を示してくれます。しかも回転には1日1度ほどのズレが有り、365日で360度回転します。つまり四季の移り変わりにも対応という優れもの(^_^)v
円盤には星座を表す星を結ぶ線や境界線、星座の和名と英語の略称、α、β...というギリシャ文字の星名、主な星雲星団、そして太陽の通り道・黄道まで描かれていて、趣味人は泣いて喜びます(^_^;)
大きさ比較用として置いたマッチの左端辺りに、この写真では縮小しているので分からないかも知れませんが、1994の多分西暦年と社名が有り、今から30年近く前の時計で有ることが分かります。
ただこの製品は、実際はいつに作られたのでしょう。1ロットだけで、本でいう増刷は無かったのかなぁ。そういえば、これの南天版が後日出ました。南天版は星に色が付いています。色が付いた北天版は、無かったかなぁ...。
頂いてから直ぐ電池を入れ、動きを見て楽しんだのですが、残念ながら各部屋にはそれぞれ安物ですが、選んで買ったお気に入りの時計が既に有り、並べて飾るのも変で、コスモサインは間もなく再び箱に戻されました。
そしてその後、何年かして既存の時計が壊れ、いよいよ出番...となったら、なんと不調(>_<) 新しい電池を入れても秒針がピクッピクッと僅かに動くだけで、長針短針も含めて回りません(>_<)
当時は仕事が忙しく、深く追求すること無く、またまた箱へ(>_<) そのままになっていました(T_T)
今回終活の一環で整理していたらこれが見つかり、またまた動かないことを確認。秒針がピクッピクッとのみ動きますが、回りません。見たら保護ガラスの内側にカビが(>_<)
今回は時間が有ったのでメーカーのホームページで修理を照会したら、「発売が1994年の時計ですでに製造が停止しております。そのため部品が無く、修理を承ることが出来ません」だと。ただ「時計で」の後ろには読点の「、」を入れるか、「すでに」は漢字の「既に」にして欲しかった....(^_^;)
ただ、承ることが出来ません....と言われて、ハイそうですか....とは思いたくないです。
第一、なんで現物を見ないで部品が無いと言えるのでしょうか。ひょっとしたらこの製品には、同様の苦情が発売以来数多く集まっていたのでしょうか? なので見なくても、この症状ならあの部品が壊れているらしいけど、既に交換する部品が無い....と分かったのかも(>_<)
まあ1994年当時は製造物責任法が翌年の施行なので、本体に仮に壊れやすい部品の欠陥が有っても、当初の保証期間が過ぎれば会社としては何の責任も無かったのですね。でも、今回の不調は部品がズレていた....とか、見て欲しかった(>_<)
一方この手の製品は、星に多少なりと興味を持つ方が自分の楽しみ用として求めたり、たまたま贈り物として探している内に出会い、惚れ込んで買い求め、相手方に届けるケースが殆どかと。そういう思いが籠もりやすいと思われる製品には、企業として保守の余白を長く残して欲しかったです。この製品を、使い捨てで良いから....と作った訳ではないでしょう。
実はヨコミーも、この製品が天文雑誌に紹介されて欲しくは成ったのですが、ヨコミーとしては高価であり、残念ながら子育て中でもあり、小遣いが少ないので断念した経緯が有ります(>_<)
ヨコミーが星好きなことは、おリュウさんの仕事先にも知られていて、1994年以降の何かのタイミングで、若い方々から「夫婦で楽しんでください」という意味を込められ、我が家に来たと思います。
でも上記理由でちょっとだけ楽しんで、楽しみを少し未来に取って置いたのですが、残念な結果に(>_<)
この時計は、もうこのまま死んでしまうのでしょうか。腕の有る時計屋さんなら、開けてみれば何か解決策を見つけてくれるかも知れませんが、最近の電気屋さんも同様、今は手元で修理せず、直ぐメーカー送りとか。この時計、メーカーでは既にダメだと(>_<)
どこかに見てくれる、修理出来る時計屋さんが居るか、探したいです(>_<) ネット通販を見れば、中古が2/3諭吉程度で売っていますが、頂いた「これ」を大切にしたいのです(^_^;) 修理出来る時計屋さんの売り込み歓迎です(^_^)v
ウクライナを始めとする世界から戦争が無くなり、圧政も消え、小さな戦争である虐待やイジメも無くなり、世界中で安心して暮らせる日が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m