昨日 蕎麦小屋デビュー 宮城県栗原市 20240306 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
3月も1週間を過ぎました。今日7日は天気が良く、夜になって10時を過ぎたら、何故か寒く感じました。あっ、ストーブを焚いていませんでした(^_^;)
ヨコミー奥様のおリュウさんが台所で夕食前後に点けていましたが、台所仕事を終えて消したまま。その後、おリュウさんは茶の間のコタツで写真を印刷していたのでストーブは要らなかったようですが、風呂に行き、布団へ消えた辺りから寒さを感じました(>_<) なので点火(^_^)v
ヨコミーが勉強のために巡回しているブログの中に、同じ県内に住むXZ_Channelさんがやっている「☆ひとりごと☆」があります。https://jm7xzc.blog.ss-blog.jp/
以前、宮城県栗原市一迫町にある「蕎麦小屋」を取り上げていて、ヨコミーは気になっていました。そうしたら先日も取り上げていたので、ついでも有り、食いしん坊が重い腰を上げました(^_^;)
蕎麦小屋は手打ち、十割、自家製粉を看板に掲げています。
あっ、ヨコミーは決してグルメではありませんよ。食事も撮影しませんでしたし(^_^;)
行ったのは一昨日、3月6日。栗原市の中心となる築館の市街地から西へ約5km程離れた山の中に有ります。
ルート、メニュー等はお店のブログ「宮城県 蕎麦小屋 公式 http://sobakoya.livedoor.blog/ 」をご覧願います。そっちの方の写真が綺麗ですしね(^_^;)
舗装道路脇の駐車場から木々の間を徒歩30秒です。見ての通り「小屋」でした。
遡ること30分も前。国道398号からの入口を素通りし、車で3分余り先(西)に有る農協の産直へ。
買い物を済ませて戻ったら、国道からの入口で赤信号となり、パチリ。蕎麦小屋は向こうに見える森の中です。予約1分前となってしまいました。うーん、遅刻しそう(^_^;) まあ国道から駐車場まで多分1分2分です。
ちなみに産直には食堂が有りました。蕎麦小屋が営業していないときに立ち寄ってみたいです。
駐車場に車を置き、少しだけ森の中を歩くと、木々の間から蕎麦小屋が見えてきました(^_^)v
雪の量は少ないのですが、足下の雪を掃いていてくれました。
小さな建物です。う~ん、男の隠れ家風(^_^;)
中に入ってみて、「あっ、ヨコミーはこんな所で暮らしたいなぁ...」と思った次第。まあ、シャワーと大きな物置は欲しいですけどね(^_^;) トイレは水洗です。
広くないお店なので、小さな薪ストーブで足りているようです。勿論、乗っかっている2つのやかんで沸かしたお湯も使って蕎麦を茹でるとのこと。薪は周辺の広葉樹で、2年乾燥させるとか。
お供はおリュウさん。それぞれ白い蕎麦に天ぷらを添え、ちょっとお腹が足らないと困るので黒い蕎麦を1枚だけ追加(^_^;) 蕎麦は白と黒の違いを感じながら、そしてちょっと熱い揚げたて天ぷらの種を楽しみながら...。
そういえば天ぷらの中に、我が家ではやらない種が2つ有りました。①最初は何かと思ったのですが、大根でした。これも美味しいですね ②もう1つは里芋かと思いましたが、基本的に里芋嫌いなヨコミーでしたが、美味しく食べることが出来ました。次回、おリュウさんが天ぷらを揚げるとき、この2つもリクエストします(^_^;)
デザートはソンナコッタ&抹茶。蕎麦湯も含めて、全て美味しく頂きました<(_ _)>
次回は裏メニューに挑戦したいです(^_^)v
(失礼ながら)超高級店でもないお店で食べ、美味しさに幸せを感じているヨコミー、平和ですね(^_^;) 本当に美味しいのですよ(^_^)v
でも世界を見ればウクライナやパレスチナのガザ地区では、まだまだ戦争が続いています(>_<) 他の国でも小規模ですが戦闘がまだ有ります(T_T)
ロシアが武力で併合したウクライナ領の一部から、ロシアに連れ去られた子供たちは、極一部は取り戻したとの報道も有りましたが、多くは今、どうしているのでしょうか。
かつて日本軍が奇襲した真珠湾攻撃の如く、ガザ地区からイスラエルへ侵攻して人質を連れてきたイスラム武装組織ハマスですが、その代償としてガザ地区は、イスラエルから虐殺のような攻撃を受けています(>_<) イスラエルはハマスを壊滅させようと、一般市民が巻き添えになることに構わず、攻撃しています(>_<)
なのに国連は、ロシアのウクライナ侵略で西側が提案するとロシアが拒否権を行使し、逆にガザ地区の戦争ではアメリカが拒否権を行使(>_<)
それに、どうやらまたアメリカの大統領に返り咲きそうなトランプが、2つの戦争に対し更に暗い影を落としそう(T_T)
残念ながら日本は、2つの戦争に影響力を行使出来る力が無いようで悲しいです。第三の勢力が台頭しないかなぁ(T_T)
それにしても日産自動車はやってくれましたね(>_<) 次回日産から買うときは、契約書に押印しても全額から一部を差し引いて支払ってみたいな(^_^)v これは、日産が立場を利用した悪い行為で、立派なパワーハラスメント(>_<) 相手の文句さえも踏みつぶしてしまうロシアみたいな会社がここに有りました(>_<)
日産のような一方的なものも含めて、世界には至る所で争い事が有りますが、世界の隅々に暮らす人々にまで、お蕎麦を食べに行けるような平和な日々が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
3月も1週間を過ぎました。今日7日は天気が良く、夜になって10時を過ぎたら、何故か寒く感じました。あっ、ストーブを焚いていませんでした(^_^;)
ヨコミー奥様のおリュウさんが台所で夕食前後に点けていましたが、台所仕事を終えて消したまま。その後、おリュウさんは茶の間のコタツで写真を印刷していたのでストーブは要らなかったようですが、風呂に行き、布団へ消えた辺りから寒さを感じました(>_<) なので点火(^_^)v
ヨコミーが勉強のために巡回しているブログの中に、同じ県内に住むXZ_Channelさんがやっている「☆ひとりごと☆」があります。https://jm7xzc.blog.ss-blog.jp/
以前、宮城県栗原市一迫町にある「蕎麦小屋」を取り上げていて、ヨコミーは気になっていました。そうしたら先日も取り上げていたので、ついでも有り、食いしん坊が重い腰を上げました(^_^;)
蕎麦小屋は手打ち、十割、自家製粉を看板に掲げています。
あっ、ヨコミーは決してグルメではありませんよ。食事も撮影しませんでしたし(^_^;)
行ったのは一昨日、3月6日。栗原市の中心となる築館の市街地から西へ約5km程離れた山の中に有ります。
ルート、メニュー等はお店のブログ「宮城県 蕎麦小屋 公式 http://sobakoya.livedoor.blog/ 」をご覧願います。そっちの方の写真が綺麗ですしね(^_^;)
舗装道路脇の駐車場から木々の間を徒歩30秒です。見ての通り「小屋」でした。
遡ること30分も前。国道398号からの入口を素通りし、車で3分余り先(西)に有る農協の産直へ。
買い物を済ませて戻ったら、国道からの入口で赤信号となり、パチリ。蕎麦小屋は向こうに見える森の中です。予約1分前となってしまいました。うーん、遅刻しそう(^_^;) まあ国道から駐車場まで多分1分2分です。
ちなみに産直には食堂が有りました。蕎麦小屋が営業していないときに立ち寄ってみたいです。
駐車場に車を置き、少しだけ森の中を歩くと、木々の間から蕎麦小屋が見えてきました(^_^)v
雪の量は少ないのですが、足下の雪を掃いていてくれました。
小さな建物です。う~ん、男の隠れ家風(^_^;)
中に入ってみて、「あっ、ヨコミーはこんな所で暮らしたいなぁ...」と思った次第。まあ、シャワーと大きな物置は欲しいですけどね(^_^;) トイレは水洗です。
広くないお店なので、小さな薪ストーブで足りているようです。勿論、乗っかっている2つのやかんで沸かしたお湯も使って蕎麦を茹でるとのこと。薪は周辺の広葉樹で、2年乾燥させるとか。
お供はおリュウさん。それぞれ白い蕎麦に天ぷらを添え、ちょっとお腹が足らないと困るので黒い蕎麦を1枚だけ追加(^_^;) 蕎麦は白と黒の違いを感じながら、そしてちょっと熱い揚げたて天ぷらの種を楽しみながら...。
そういえば天ぷらの中に、我が家ではやらない種が2つ有りました。①最初は何かと思ったのですが、大根でした。これも美味しいですね ②もう1つは里芋かと思いましたが、基本的に里芋嫌いなヨコミーでしたが、美味しく食べることが出来ました。次回、おリュウさんが天ぷらを揚げるとき、この2つもリクエストします(^_^;)
デザートはソンナコッタ&抹茶。蕎麦湯も含めて、全て美味しく頂きました<(_ _)>
次回は裏メニューに挑戦したいです(^_^)v
(失礼ながら)超高級店でもないお店で食べ、美味しさに幸せを感じているヨコミー、平和ですね(^_^;) 本当に美味しいのですよ(^_^)v
でも世界を見ればウクライナやパレスチナのガザ地区では、まだまだ戦争が続いています(>_<) 他の国でも小規模ですが戦闘がまだ有ります(T_T)
ロシアが武力で併合したウクライナ領の一部から、ロシアに連れ去られた子供たちは、極一部は取り戻したとの報道も有りましたが、多くは今、どうしているのでしょうか。
かつて日本軍が奇襲した真珠湾攻撃の如く、ガザ地区からイスラエルへ侵攻して人質を連れてきたイスラム武装組織ハマスですが、その代償としてガザ地区は、イスラエルから虐殺のような攻撃を受けています(>_<) イスラエルはハマスを壊滅させようと、一般市民が巻き添えになることに構わず、攻撃しています(>_<)
なのに国連は、ロシアのウクライナ侵略で西側が提案するとロシアが拒否権を行使し、逆にガザ地区の戦争ではアメリカが拒否権を行使(>_<)
それに、どうやらまたアメリカの大統領に返り咲きそうなトランプが、2つの戦争に対し更に暗い影を落としそう(T_T)
残念ながら日本は、2つの戦争に影響力を行使出来る力が無いようで悲しいです。第三の勢力が台頭しないかなぁ(T_T)
それにしても日産自動車はやってくれましたね(>_<) 次回日産から買うときは、契約書に押印しても全額から一部を差し引いて支払ってみたいな(^_^)v これは、日産が立場を利用した悪い行為で、立派なパワーハラスメント(>_<) 相手の文句さえも踏みつぶしてしまうロシアみたいな会社がここに有りました(>_<)
日産のような一方的なものも含めて、世界には至る所で争い事が有りますが、世界の隅々に暮らす人々にまで、お蕎麦を食べに行けるような平和な日々が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
身体に優しい鍾乳洞で 福島県 あぶくま洞 20231216 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風邪の丘。あっ、宮城県ですよ(^_^;) 遠くの方には岩手県と覚えられている方が多いです。まあ、新幹線は岩手県一関駅が最寄りですが(^_^;)
風の丘に吹き荒れる強い西風は、今季も吹いていますが、体感的に例年より少ない感じです。一方暖冬で、降雪は少ないです。
先月上旬に母譲りの風邪を引きました(>_<) でも熱は平熱程度、いつもの頭痛は無く、鼻水も出ず、喉の奥が痛くなる酷い咳も出ず、普通の咳と白っぽい痰ですが、どうにも具合が悪いのです(T_T)
まあそれには波が有り、吐き気を伴う咳もやや治まり、以前から予定していた、ヨコミーの希望、娘の希望、ヨコミー奥様のおリュウさんを仙台で回収(^_^;)することも兼ねて、12月16日、福島県田村市に有る「あぶくま洞」のコンサートに行ってきました。
福島県を拠点に活動しているフォルクローレのグループ「La Paz(らぱす)」です。
昨年?の記事にも書いてあるかも知れませんが、ヨコミーは福島県川俣町で毎年開催されているフォルクローレの音楽祭「コスキン・エン・ハポン」に20年以上前から通っていて、その中で出会った素晴らしいグループです。
La Paz一番の魅力はこれかと。
https://www.youtube.com/watch?v=-Rw-mSddGSY
この会場は、あぶくま洞の中。こんな所です。
広く空洞が出来ている「滝根御殿」と呼ばれる所。滝根とは旧町名で、隣接する星の村天文台は以前、滝根天文台と呼ばれていました。見ての通り凄い所です。演奏者には音の反響をどう味方に付けるか、大変かも知れませんが。
グーグルマップからお借りした地図です。あぶくま洞は福島県の中通りと浜通りの間に有ります。郡山市の東に位置し、この地図を新幹線の位置で2つ折にすると、猪苗代湖と重なる感じ(^_^;) 東を見れば、今なお原発被害に苦慮している富岡町等が有ります。
時間は少々遡ります。車を手前の大駐車場に置き、ここまで徒歩1分かな。左奥にレストハウス等が見えます。左端に伸びる白い物は鍾乳洞入口までの渡り廊下的な屋根。
レストハウスです。1階は土産物、2階はレストラン。美味しかったです(^_^;) 入場券を求めて左へ。
券を買って入口へ。
渡り廊下から左に振り返ってパチリ。岩壁が凄い迫力(>_<) 中央右の建物は掘削していた当時の建物でしょうか、古い感じです。次回、下りてみたいです。
渡り廊下で下ると鍾乳洞の入口があり、進むと各所に解説があり、理解が進みます。この文字、見て、ちょっとは覚えてくださいm(_ _)m
白磁の滝...でしょうか、写真の文字は不鮮明、記憶も不鮮明(>_<) 確かに滝のように見えます。うーん、やはり白磁ですかね(^_^;)
この場を過ぎて滝根御殿でした。30分という短時間ではありましたが、素晴らしい演奏を堪能した後は、折角片道300km程を走ってきたのですから、帰路のコースを興味津々と(^_^;)
左の段々から流れ落ちる鍾乳石と、右側は割と素直に長く下がっています。
ところで構図が悪くて立体感はありませんが、下から真ん中やや上まで伸びているのは、手前で伸びた石筍です。
これは見上げて撮ったものです。左側は鋭く、右側は草や海藻みたいです。この違いは何でしょうか。粘度の違い??
うーん、あぶくま洞でもフカヒレを干して居たのかな....(^_^;) 因みに気仙沼はフカヒレ生産の全国シェアが7割といわれています。
うーん、自然が作り出した造形にただ唸るだけ(^_^;)
シールドと書いてあった所です。
怖いとは思いませんか(>_<) 目が窪んだ老婆の鼻から顔の右側が.....あーっ、怖い怖い(>_<)
これらは石筍が大きく育ったものかと。
リムストーンです。ちょっと暗くて申し訳ないのですが、水田の畦道を細くしたような感じ。
何でリムが出来るのでしょうか。同じように流れれば緩やかな盛り上がりと成り、大きな石筍等に成りそうなものですが、不思議です。時を早回しにして見たいです(^_^)v
屋外の、もっと大きなものですが、何処かの世界遺産に似たやつが有りましたね。
月の世界とか。真ん中は溶けかかったウェディングケーキの様にも見えます。卑しいですね(^_^;)
と、楽しんでいる内に出口へ。なんと出口はレストハウスの左裏でした。出て、一周でした。
その出口に近い所で、今回のポスターを発見。あっ、無料のコンサートで、入場料のみが必要です。
レストハウス2階で美味しいお昼を食べましたが、食事が出てくるまでの間、眺めを楽しみました。
左奥は天文台です。近年、それまで秋に開催していた星まつりを6月開催としたものの、やはり雨に祟られているようです。
上の左側です。鍾乳洞の中ではなく、この大岩壁にフォルクローレを響かせたいと思うのです(^_^;)
鍾乳洞の中は寒くはなく、空気も乾燥しておらず、風邪引きの身には優しい環境でした。が、やはり帰路で....(>_<) まあまた、多少寝たのでした(^_^;)
今回のあぶくま洞行きには前後の場所が有りますが、機会が有れば(^_^)v
世界を見れば戦争が続き、国内を見れば能登の大地震(>_<) そして自民党のパーティ券売り上げ代金のキックバック事件。
裏金となったキックバックは今年の悪い流行語になりそうですが、二階派等では更に悪いことに、代金を派閥に納入しない方々も居たのですね(>_<) ネコババ(>_<) うーん、派閥公認の(^_^)v
これって、パーティ券を買ってくれた方々に、大変失礼な行為だと思うのです。議員から買った方の中には、今後の仕事への影響力を期待して(^_^;)1枚じゃなく、5枚、10枚とか買った方も居るのでしょうね。そして派閥の長たる親分にも顔を繋ぎたいはず。
でも、直接売った議員には感謝されても、直ぐポケットに入れるので、派閥の長へ「貢献している」事実が届いて居ないのでは??? 汚い金の流れでも、買って頂いた方々に対し、礼儀を欠いていると思います(>_<) 親しき仲にも礼儀有り(^_^)v うーん、汚い金にも仁義有り(^_^;)
自民党は派閥を解散したところも有りますが、全て解散となるのでしょうか。多分、いや必ず、また派閥は出来てくるでしょう。総理総裁を目指す御方は総裁選で票が欲しいし、新人議員は次の選挙で大物の応援が欲しいだろうし。集まれば力、力は金を生み出すことでしょう。甘い汁(^_^;)
キックバックのメインは安倍元総理が束ねていた派閥の「清和会」。「美しい日本」を求める御方なら、もっと早く自浄作用を発揮して欲しかったです。「森」「加計」「桜」だって(>_<)
写真4枚で仕上げるつもりが長々と(>_<) 修行が足りません(T_T)
世界の平和と安心安全を祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風邪の丘。あっ、宮城県ですよ(^_^;) 遠くの方には岩手県と覚えられている方が多いです。まあ、新幹線は岩手県一関駅が最寄りですが(^_^;)
風の丘に吹き荒れる強い西風は、今季も吹いていますが、体感的に例年より少ない感じです。一方暖冬で、降雪は少ないです。
先月上旬に母譲りの風邪を引きました(>_<) でも熱は平熱程度、いつもの頭痛は無く、鼻水も出ず、喉の奥が痛くなる酷い咳も出ず、普通の咳と白っぽい痰ですが、どうにも具合が悪いのです(T_T)
まあそれには波が有り、吐き気を伴う咳もやや治まり、以前から予定していた、ヨコミーの希望、娘の希望、ヨコミー奥様のおリュウさんを仙台で回収(^_^;)することも兼ねて、12月16日、福島県田村市に有る「あぶくま洞」のコンサートに行ってきました。
福島県を拠点に活動しているフォルクローレのグループ「La Paz(らぱす)」です。
昨年?の記事にも書いてあるかも知れませんが、ヨコミーは福島県川俣町で毎年開催されているフォルクローレの音楽祭「コスキン・エン・ハポン」に20年以上前から通っていて、その中で出会った素晴らしいグループです。
La Paz一番の魅力はこれかと。
https://www.youtube.com/watch?v=-Rw-mSddGSY
この会場は、あぶくま洞の中。こんな所です。
広く空洞が出来ている「滝根御殿」と呼ばれる所。滝根とは旧町名で、隣接する星の村天文台は以前、滝根天文台と呼ばれていました。見ての通り凄い所です。演奏者には音の反響をどう味方に付けるか、大変かも知れませんが。
グーグルマップからお借りした地図です。あぶくま洞は福島県の中通りと浜通りの間に有ります。郡山市の東に位置し、この地図を新幹線の位置で2つ折にすると、猪苗代湖と重なる感じ(^_^;) 東を見れば、今なお原発被害に苦慮している富岡町等が有ります。
時間は少々遡ります。車を手前の大駐車場に置き、ここまで徒歩1分かな。左奥にレストハウス等が見えます。左端に伸びる白い物は鍾乳洞入口までの渡り廊下的な屋根。
レストハウスです。1階は土産物、2階はレストラン。美味しかったです(^_^;) 入場券を求めて左へ。
券を買って入口へ。
渡り廊下から左に振り返ってパチリ。岩壁が凄い迫力(>_<) 中央右の建物は掘削していた当時の建物でしょうか、古い感じです。次回、下りてみたいです。
渡り廊下で下ると鍾乳洞の入口があり、進むと各所に解説があり、理解が進みます。この文字、見て、ちょっとは覚えてくださいm(_ _)m
白磁の滝...でしょうか、写真の文字は不鮮明、記憶も不鮮明(>_<) 確かに滝のように見えます。うーん、やはり白磁ですかね(^_^;)
この場を過ぎて滝根御殿でした。30分という短時間ではありましたが、素晴らしい演奏を堪能した後は、折角片道300km程を走ってきたのですから、帰路のコースを興味津々と(^_^;)
左の段々から流れ落ちる鍾乳石と、右側は割と素直に長く下がっています。
ところで構図が悪くて立体感はありませんが、下から真ん中やや上まで伸びているのは、手前で伸びた石筍です。
これは見上げて撮ったものです。左側は鋭く、右側は草や海藻みたいです。この違いは何でしょうか。粘度の違い??
うーん、あぶくま洞でもフカヒレを干して居たのかな....(^_^;) 因みに気仙沼はフカヒレ生産の全国シェアが7割といわれています。
うーん、自然が作り出した造形にただ唸るだけ(^_^;)
シールドと書いてあった所です。
怖いとは思いませんか(>_<) 目が窪んだ老婆の鼻から顔の右側が.....あーっ、怖い怖い(>_<)
これらは石筍が大きく育ったものかと。
リムストーンです。ちょっと暗くて申し訳ないのですが、水田の畦道を細くしたような感じ。
何でリムが出来るのでしょうか。同じように流れれば緩やかな盛り上がりと成り、大きな石筍等に成りそうなものですが、不思議です。時を早回しにして見たいです(^_^)v
屋外の、もっと大きなものですが、何処かの世界遺産に似たやつが有りましたね。
月の世界とか。真ん中は溶けかかったウェディングケーキの様にも見えます。卑しいですね(^_^;)
と、楽しんでいる内に出口へ。なんと出口はレストハウスの左裏でした。出て、一周でした。
その出口に近い所で、今回のポスターを発見。あっ、無料のコンサートで、入場料のみが必要です。
レストハウス2階で美味しいお昼を食べましたが、食事が出てくるまでの間、眺めを楽しみました。
左奥は天文台です。近年、それまで秋に開催していた星まつりを6月開催としたものの、やはり雨に祟られているようです。
上の左側です。鍾乳洞の中ではなく、この大岩壁にフォルクローレを響かせたいと思うのです(^_^;)
鍾乳洞の中は寒くはなく、空気も乾燥しておらず、風邪引きの身には優しい環境でした。が、やはり帰路で....(>_<) まあまた、多少寝たのでした(^_^;)
今回のあぶくま洞行きには前後の場所が有りますが、機会が有れば(^_^)v
世界を見れば戦争が続き、国内を見れば能登の大地震(>_<) そして自民党のパーティ券売り上げ代金のキックバック事件。
裏金となったキックバックは今年の悪い流行語になりそうですが、二階派等では更に悪いことに、代金を派閥に納入しない方々も居たのですね(>_<) ネコババ(>_<) うーん、派閥公認の(^_^)v
これって、パーティ券を買ってくれた方々に、大変失礼な行為だと思うのです。議員から買った方の中には、今後の仕事への影響力を期待して(^_^;)1枚じゃなく、5枚、10枚とか買った方も居るのでしょうね。そして派閥の長たる親分にも顔を繋ぎたいはず。
でも、直接売った議員には感謝されても、直ぐポケットに入れるので、派閥の長へ「貢献している」事実が届いて居ないのでは??? 汚い金の流れでも、買って頂いた方々に対し、礼儀を欠いていると思います(>_<) 親しき仲にも礼儀有り(^_^)v うーん、汚い金にも仁義有り(^_^;)
自民党は派閥を解散したところも有りますが、全て解散となるのでしょうか。多分、いや必ず、また派閥は出来てくるでしょう。総理総裁を目指す御方は総裁選で票が欲しいし、新人議員は次の選挙で大物の応援が欲しいだろうし。集まれば力、力は金を生み出すことでしょう。甘い汁(^_^;)
キックバックのメインは安倍元総理が束ねていた派閥の「清和会」。「美しい日本」を求める御方なら、もっと早く自浄作用を発揮して欲しかったです。「森」「加計」「桜」だって(>_<)
写真4枚で仕上げるつもりが長々と(>_<) 修行が足りません(T_T)
世界の平和と安心安全を祈り、本日もお終いm(_ _)m
国宝合掌土偶 是川縄文館後編 20231126 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
まだ風邪引き中で、今日1月13日も午後は布団の中。まあ、午前中は見舞い品のお届けと、夕方は自治会の買い物。早く足を洗いたい(>_<) ん、染めた手を洗うの??(^_^;)
今冬は比較的暖かく過ぎてきましたが、気仙沼にもここ2日3日例年並みの寒さが来ています。東日本大震災の月命日に当たる11日は、アメダスによる最低気温が-5.0でした。まあ、最高気温が氷点下...というのはまだ有りませんし、暖冬で寒さがゆっくりと来たので身体も慣れ、厳しさは感じません。
昨年11月25/26日、受講している放送大学の面接授業で、八戸市に有る是川縄文館に行き、前回ご紹介していましたが、今回はその後編です。
面接授業とは受講以前は全く知らない言葉です。奇異!?(^_^;) 放送大学は簡単に言えば通信教育で、主に衛星テレビやラジオ、ネット、DVD等の視聴で主に学ぶのですが、サブ的に各県に有る学習センター等で、皆と肩を並べて学ぶ単発の授業を面接授業と言っているようです。各地で魅力的な授業が開かれていて、これまで学割を使って、遠くは横浜南区や前泊は車中泊の群馬県天文台等々へ(^_^;) もっとも東北で開催される授業に関西から来られる方も居ました。凄いっ(^_^)v
ヨコミーは、考古学・埋蔵文化財等には殆ど興味は無く、土の中と言えば鉱石(^_^;) 歴史は最近、石ノ森章太郎著「マンガ日本の歴史」を見る程度(^_^;) なのに今回、何を思ったか200km以上離れた是川縄文館会場の授業を申し込んだのです(^_^;)
さて、続きです。結構撮影していますが、ストロボを使用しないならOKでしたので。
写真はクリックすると大きくなります。
重要文化財から国宝になった合掌土偶(がっしょうどぐう)です。縄文時代後期と推定されています。
掌を合わせています。何をしているのでしょう。合掌なら祈るのが多いと思うのですが、その対象は? 大王? 宗教? また、見れば体育座りの様にも見えます。祈るのであれば、背筋を伸ばして立つか正座では? 不思議。
後ろ姿です。
説明図です。
こんな土偶も(^_^;) 髪は力士みたい(^_^;) 右手(向かって左側)が左の顎に付いています。うーん(>_<)
土器の数々。凝ったデザインのも有りますね。この頃から腕の良い人が職人として居たのでしょうか。それとも皆必須?
素敵な文様です(^_^)v 驚きます(>_<)
ベンガラを入れた容器。ベンガラとは、土中の鉄が酸化した酸化第二鉄の顔料で、光学系のヨコミーはレンズ・鏡を磨くときに用いることは知っていましたが、まさか色付けに使うとは学びが足りませんでした(^_^;) これが出土したのです。なので、前回紹介したように飾り太刀や籃体漆器(らんたいしっき)等に色付けしていたのですね。
館内にポスターが有りました。木胎漆器(もくたいしっき)で、出土時の様子です。木の部分は殆ど腐り、ベンガラを塗った漆が皮のように辛うじて残っていたようです。大昔にこのように素敵な器が有ったなんて本当に驚きです。
授業は17時で初日が終わり。受講者は、ここが少し田舎なのでバスやマイカーで帰ります。
2日目の授業が進み、お昼に近かったのですが午前中最後の授業は外歩き。小高い丘から是川遺跡を眺め渡すもの。その途中に有ったお宅の庭では、まだ紅葉が綺麗でした。
是川縄文館から南西の方向に有る山の麓へ15分ほど歩いて着きました。凡そ東側をパチリ。遺跡の記念碑が有ります。
南東方向です。右奥は階上(はしかみ)岳739m。この辺りでは高い山です。
階上岳の拡大です。山頂には各種中継電波塔が建ち並んでいます。アマチュア無線の中継器も(^_^;)
記念碑の傍に有る説明板です。
忘れていました。見晴台です。
途中に有った小さなお宮。後ろ姿が気に入りました(^_^;)
午後は実技で縄文入りの器を作ったり座学。最後にレポート提出ですが、手間取り、ギリギリに(>_<) まあ、しんがりじゃなかったのが幸い(^_^;) 楽しかった2日間を振り返りながら、パチリ。
正月早々に起きた能登の大地震では行方不明者がまだ多いですね。早く見つかって欲しいです(>_<)
2日に起きた航空機事故は、海上保安庁機が能登大地震関連支援品を積んで向かおうとしていたようです。海保機の機長と管制塔との意思疎通が不十分だったことが原因なのでしょうけれど、いくら海保機の基地が有るからといって、わざわざ正月休み客でとても混雑する羽田から飛び立つことも無かったのでは....と。勿論成田も除いて、別な飛行場は考えられなかったのでしょうか。「急がば回れ」とは昔から言われていること。教訓が活かされませんでした(>_<)
ウクライナを始めとする戦争、そして圧政、「圧」と言えばパワハラ等のハラスメント、学校や会社に留まらないイジメ....等々が無くなり、世界中が安心安全な社会の中、仕事や子育て、介護、遊び等々に打ち込める日が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
まだ風邪引き中で、今日1月13日も午後は布団の中。まあ、午前中は見舞い品のお届けと、夕方は自治会の買い物。早く足を洗いたい(>_<) ん、染めた手を洗うの??(^_^;)
今冬は比較的暖かく過ぎてきましたが、気仙沼にもここ2日3日例年並みの寒さが来ています。東日本大震災の月命日に当たる11日は、アメダスによる最低気温が-5.0でした。まあ、最高気温が氷点下...というのはまだ有りませんし、暖冬で寒さがゆっくりと来たので身体も慣れ、厳しさは感じません。
昨年11月25/26日、受講している放送大学の面接授業で、八戸市に有る是川縄文館に行き、前回ご紹介していましたが、今回はその後編です。
面接授業とは受講以前は全く知らない言葉です。奇異!?(^_^;) 放送大学は簡単に言えば通信教育で、主に衛星テレビやラジオ、ネット、DVD等の視聴で主に学ぶのですが、サブ的に各県に有る学習センター等で、皆と肩を並べて学ぶ単発の授業を面接授業と言っているようです。各地で魅力的な授業が開かれていて、これまで学割を使って、遠くは横浜南区や前泊は車中泊の群馬県天文台等々へ(^_^;) もっとも東北で開催される授業に関西から来られる方も居ました。凄いっ(^_^)v
ヨコミーは、考古学・埋蔵文化財等には殆ど興味は無く、土の中と言えば鉱石(^_^;) 歴史は最近、石ノ森章太郎著「マンガ日本の歴史」を見る程度(^_^;) なのに今回、何を思ったか200km以上離れた是川縄文館会場の授業を申し込んだのです(^_^;)
さて、続きです。結構撮影していますが、ストロボを使用しないならOKでしたので。
写真はクリックすると大きくなります。
重要文化財から国宝になった合掌土偶(がっしょうどぐう)です。縄文時代後期と推定されています。
掌を合わせています。何をしているのでしょう。合掌なら祈るのが多いと思うのですが、その対象は? 大王? 宗教? また、見れば体育座りの様にも見えます。祈るのであれば、背筋を伸ばして立つか正座では? 不思議。
後ろ姿です。
説明図です。
こんな土偶も(^_^;) 髪は力士みたい(^_^;) 右手(向かって左側)が左の顎に付いています。うーん(>_<)
土器の数々。凝ったデザインのも有りますね。この頃から腕の良い人が職人として居たのでしょうか。それとも皆必須?
素敵な文様です(^_^)v 驚きます(>_<)
ベンガラを入れた容器。ベンガラとは、土中の鉄が酸化した酸化第二鉄の顔料で、光学系のヨコミーはレンズ・鏡を磨くときに用いることは知っていましたが、まさか色付けに使うとは学びが足りませんでした(^_^;) これが出土したのです。なので、前回紹介したように飾り太刀や籃体漆器(らんたいしっき)等に色付けしていたのですね。
館内にポスターが有りました。木胎漆器(もくたいしっき)で、出土時の様子です。木の部分は殆ど腐り、ベンガラを塗った漆が皮のように辛うじて残っていたようです。大昔にこのように素敵な器が有ったなんて本当に驚きです。
授業は17時で初日が終わり。受講者は、ここが少し田舎なのでバスやマイカーで帰ります。
2日目の授業が進み、お昼に近かったのですが午前中最後の授業は外歩き。小高い丘から是川遺跡を眺め渡すもの。その途中に有ったお宅の庭では、まだ紅葉が綺麗でした。
是川縄文館から南西の方向に有る山の麓へ15分ほど歩いて着きました。凡そ東側をパチリ。遺跡の記念碑が有ります。
南東方向です。右奥は階上(はしかみ)岳739m。この辺りでは高い山です。
階上岳の拡大です。山頂には各種中継電波塔が建ち並んでいます。アマチュア無線の中継器も(^_^;)
記念碑の傍に有る説明板です。
忘れていました。見晴台です。
途中に有った小さなお宮。後ろ姿が気に入りました(^_^;)
午後は実技で縄文入りの器を作ったり座学。最後にレポート提出ですが、手間取り、ギリギリに(>_<) まあ、しんがりじゃなかったのが幸い(^_^;) 楽しかった2日間を振り返りながら、パチリ。
正月早々に起きた能登の大地震では行方不明者がまだ多いですね。早く見つかって欲しいです(>_<)
2日に起きた航空機事故は、海上保安庁機が能登大地震関連支援品を積んで向かおうとしていたようです。海保機の機長と管制塔との意思疎通が不十分だったことが原因なのでしょうけれど、いくら海保機の基地が有るからといって、わざわざ正月休み客でとても混雑する羽田から飛び立つことも無かったのでは....と。勿論成田も除いて、別な飛行場は考えられなかったのでしょうか。「急がば回れ」とは昔から言われていること。教訓が活かされませんでした(>_<)
ウクライナを始めとする戦争、そして圧政、「圧」と言えばパワハラ等のハラスメント、学校や会社に留まらないイジメ....等々が無くなり、世界中が安心安全な社会の中、仕事や子育て、介護、遊び等々に打ち込める日が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
八戸は雪だった(T_T) 是川縄文館前編 20231125 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
10月からの(良くいえば(^_^;)多忙は11月になっても続き、ブログの更新から庭木に登っての枝払い等々も出来かねています(>_<)
以前から受講している放送大学のお勉強は、このところ多忙で間口を広げられず、2学期は1科目だけ。
でも学期の中間試験(私はネット受験)みたいなものが11/29〆で有り、手を付けないまま(^_^;)、11月25・26日に青森県八戸市に在る是川縄文館(これかわじょうもんかん)で開催される放送大学の面接授業に行ってきました。面接授業とは聞き慣れませんが、講座。最後にレポートや試験が有ります(>_<) 是川遺跡を学びます。
25日は10時10分開始なので、何年か前に全線開通した三陸道では3時間余りと、ネットが教えてくれました。これは、当日の朝早めに出れば間に合いそうな時間ですが、そこは三陸道、時速100kmで走られる区間は少なかったかと(>_<)
なので前泊としたのです。ただ諸般の事情で行けないことも有るのかなぁ...とギリギリの宿探しであり、またもう1000円2000円お金を出せば天然温泉の良い宿も取れたのですが、JR本八戸駅隣のルートインに。天然温泉の大浴場にゆっくりと浸かる余裕は無く、この宿で満足でした。
(いつものことですが、写真はクリックすると大きくなります)
前泊。部屋のカーテンを開けたら、満月に近い月が見えます。凡そ西方向。月は西南西。
夜景を眺めています。
で、ピントの位置がちょっとズレ、面白い色遊び(^_^;)
本八戸駅北側の西方向です。左下から中央に伸びるのがJR八戸駅へ向かう八戸線。で、.....
夜が明けたら、なんと積雪(>_<) 早朝の高速道じゃなくて良かったぁ....(^_^;)
会場に向かおうとしたら、少なくても走行車線に雪は無く、路面凍結も無いのですが、南の方のナンバーを付けた車は、ヨコミー号の前でトロトロ(>_<) 勿論ヨコミーは既に冬タイヤです。お陰で到着はギリギリ(T_T) 迷惑(>_<)
会場の位置図です。グーグルマップからお借りしましたm(_ _)m
是川縄文館です。初日の朝はバタバタで、これは翌日に撮ったので、雪は有りません。雪ですが、翌日は脇の方にちょっとだけ残っていました。
玄関前には周辺の遺跡マップが有りました。
玄関を入ったホールには「いのるん」が居て、脇に顔を出してパチリ出来ます(^_^;) 「いのるん」は合掌土偶からの命名でしょう。
講義の会場は右奥。
1時限のお話を聞いた後は館内見学で、先ずは是川遺跡の説明図。是川遺跡は、縄文時代前期、中期、晩期に繁栄した中井、一王寺、堀田という3つの遺跡の総称です。
航空写真の上の方が東で、太平洋。
発掘というと、何処かの大学等の研究機関が行い、研究のために持ち帰るのが世界の常識らしく、大切な資料が散らばって後に困ることになるようですが、是川遺跡は地元の泉山兄弟等が発掘し、八戸市へ寄贈されたことから、多くの大切な出土品が収蔵されています。
発掘された飾り太刀です。儀式用なので木製です。
ヨコミー、籃胎漆器(らんたいしっき)というものを初めて知りました。そう、ヨコミーは、実は考古学とか古代史のマニアではないのです(>_<) 手塚治虫の漫画で卑弥呼の時代を学んだりする程度(^_^;)
それにしても竹などを編み、土や木粉で形を整え、更に漆(ウルシ)を塗って仕上げるとは、とても拘った作り。高い工芸技術が分かりますが、出土の数からみて日用品ではないのでしょうね。
そして漆工芸の技術がその時代にも有ったとは驚きです。勿論是川には余所から伝えられた技術なのでしょうけれど、いつ、どこで生まれたのか知る方法は無いのでしょうか。とても気になります(^_^;)
素焼きの土器に漆を塗ったもの。釉薬ではありません。見事です。
漆塗り台付き土器(鉢)です。縄文時代の品ですが、この器の文様は縄ではなく、竹串や竹ベラで作られたようですが、下の台は紐状の粘土で文様を作ったのでしょうか。
実は参加者には実技もあり、縄文土器紛いの物を作ってきました(^_^)v 来年、桜が咲く頃に着払いで焼き上がりが届くそうです(^_^;)
土偶です。説明によれば子孫繁栄や精霊の象徴とか。
土偶といえば遮光土偶が知られています。何を表したのでしょうね。精霊? 舞い降りた宇宙人が地上の眩しさに耐えかねて、スリット状のサングラスを掛けた? ほんと、不思議な姿ですね(^_^;)
こちらの左は遮光土偶ですが、右は老人みたい(^_^;) で、裏側から....
右手に居た老人らしき御方は、ここでは左。髪型が分かります。
3体の土偶です。右は知られている遮光土偶の類なのでしょうけれど、真ん中は膨らんだ目にスリットは有りますが顔は人間みたいで、左端は老人の顔で目は窪んでいるのでしょうか。興味津々(^_^;)
こちらも遮光土偶なのでしょうけれど、今まで見たものとは違って目が膨らんでいません。フラット(^_^;) 子供のような感じもします。子供の宇宙人??(^_^;)
是川遺跡の勉強はまだまだ続きますが、一休み(^_^;)
ウクライナではまだロシアによる侵略が続いているのに、イスラエルはガザ地区のイスラム武装組織ハマスと戦争を続けています。
直近の発端はハマス側の奇襲ですが、ガザ地区は天井の無い監獄とか呼ばれている所。大した仕事も無いのに、種子島ほどの面積に200万人の人が押し込められています。こんな現状にハマスではない一般のパレスチナ人でも満足はしていないでしょう。
なのに今、中東アラブ諸国はイスラエルとの対立から融和に進んでいて、イスラエルのパレスチナ人問題が忘れ去られようとしている焦りからの奇襲と見られています。
つい最近は一時的な停戦で、お互い人質や捕虜を交換していますが、今日11月30日のNHKニュースによれば、驚くことに、イスラエルはハマス側に開放した人数を上回るパレスチナ人を、ヨルダン川西岸のパレスナ人居住区から同時に拘束したと報じていました(>_<)
つまり、ハマス側が持っている人質は交換で減るものの、イスラエル側が拘束している人数は開放しても減らず、増えているという内容でした。強い武力を持つ者のなせる技かと(>_<)
こんなイスラエル側の行為で、何処かの商人の事を思い出しました(>_<)
これら2つの地域以外にも紛争があると報じられて居ます。世界中で、そして職場や家庭でも「平和」を満足に享受出来る日が来ることを祈り、今夜もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
10月からの(良くいえば(^_^;)多忙は11月になっても続き、ブログの更新から庭木に登っての枝払い等々も出来かねています(>_<)
以前から受講している放送大学のお勉強は、このところ多忙で間口を広げられず、2学期は1科目だけ。
でも学期の中間試験(私はネット受験)みたいなものが11/29〆で有り、手を付けないまま(^_^;)、11月25・26日に青森県八戸市に在る是川縄文館(これかわじょうもんかん)で開催される放送大学の面接授業に行ってきました。面接授業とは聞き慣れませんが、講座。最後にレポートや試験が有ります(>_<) 是川遺跡を学びます。
25日は10時10分開始なので、何年か前に全線開通した三陸道では3時間余りと、ネットが教えてくれました。これは、当日の朝早めに出れば間に合いそうな時間ですが、そこは三陸道、時速100kmで走られる区間は少なかったかと(>_<)
なので前泊としたのです。ただ諸般の事情で行けないことも有るのかなぁ...とギリギリの宿探しであり、またもう1000円2000円お金を出せば天然温泉の良い宿も取れたのですが、JR本八戸駅隣のルートインに。天然温泉の大浴場にゆっくりと浸かる余裕は無く、この宿で満足でした。
(いつものことですが、写真はクリックすると大きくなります)
前泊。部屋のカーテンを開けたら、満月に近い月が見えます。凡そ西方向。月は西南西。
夜景を眺めています。
で、ピントの位置がちょっとズレ、面白い色遊び(^_^;)
本八戸駅北側の西方向です。左下から中央に伸びるのがJR八戸駅へ向かう八戸線。で、.....
夜が明けたら、なんと積雪(>_<) 早朝の高速道じゃなくて良かったぁ....(^_^;)
会場に向かおうとしたら、少なくても走行車線に雪は無く、路面凍結も無いのですが、南の方のナンバーを付けた車は、ヨコミー号の前でトロトロ(>_<) 勿論ヨコミーは既に冬タイヤです。お陰で到着はギリギリ(T_T) 迷惑(>_<)
会場の位置図です。グーグルマップからお借りしましたm(_ _)m
是川縄文館です。初日の朝はバタバタで、これは翌日に撮ったので、雪は有りません。雪ですが、翌日は脇の方にちょっとだけ残っていました。
玄関前には周辺の遺跡マップが有りました。
玄関を入ったホールには「いのるん」が居て、脇に顔を出してパチリ出来ます(^_^;) 「いのるん」は合掌土偶からの命名でしょう。
講義の会場は右奥。
1時限のお話を聞いた後は館内見学で、先ずは是川遺跡の説明図。是川遺跡は、縄文時代前期、中期、晩期に繁栄した中井、一王寺、堀田という3つの遺跡の総称です。
航空写真の上の方が東で、太平洋。
発掘というと、何処かの大学等の研究機関が行い、研究のために持ち帰るのが世界の常識らしく、大切な資料が散らばって後に困ることになるようですが、是川遺跡は地元の泉山兄弟等が発掘し、八戸市へ寄贈されたことから、多くの大切な出土品が収蔵されています。
発掘された飾り太刀です。儀式用なので木製です。
ヨコミー、籃胎漆器(らんたいしっき)というものを初めて知りました。そう、ヨコミーは、実は考古学とか古代史のマニアではないのです(>_<) 手塚治虫の漫画で卑弥呼の時代を学んだりする程度(^_^;)
それにしても竹などを編み、土や木粉で形を整え、更に漆(ウルシ)を塗って仕上げるとは、とても拘った作り。高い工芸技術が分かりますが、出土の数からみて日用品ではないのでしょうね。
そして漆工芸の技術がその時代にも有ったとは驚きです。勿論是川には余所から伝えられた技術なのでしょうけれど、いつ、どこで生まれたのか知る方法は無いのでしょうか。とても気になります(^_^;)
素焼きの土器に漆を塗ったもの。釉薬ではありません。見事です。
漆塗り台付き土器(鉢)です。縄文時代の品ですが、この器の文様は縄ではなく、竹串や竹ベラで作られたようですが、下の台は紐状の粘土で文様を作ったのでしょうか。
実は参加者には実技もあり、縄文土器紛いの物を作ってきました(^_^)v 来年、桜が咲く頃に着払いで焼き上がりが届くそうです(^_^;)
土偶です。説明によれば子孫繁栄や精霊の象徴とか。
土偶といえば遮光土偶が知られています。何を表したのでしょうね。精霊? 舞い降りた宇宙人が地上の眩しさに耐えかねて、スリット状のサングラスを掛けた? ほんと、不思議な姿ですね(^_^;)
こちらの左は遮光土偶ですが、右は老人みたい(^_^;) で、裏側から....
右手に居た老人らしき御方は、ここでは左。髪型が分かります。
3体の土偶です。右は知られている遮光土偶の類なのでしょうけれど、真ん中は膨らんだ目にスリットは有りますが顔は人間みたいで、左端は老人の顔で目は窪んでいるのでしょうか。興味津々(^_^;)
こちらも遮光土偶なのでしょうけれど、今まで見たものとは違って目が膨らんでいません。フラット(^_^;) 子供のような感じもします。子供の宇宙人??(^_^;)
是川遺跡の勉強はまだまだ続きますが、一休み(^_^;)
ウクライナではまだロシアによる侵略が続いているのに、イスラエルはガザ地区のイスラム武装組織ハマスと戦争を続けています。
直近の発端はハマス側の奇襲ですが、ガザ地区は天井の無い監獄とか呼ばれている所。大した仕事も無いのに、種子島ほどの面積に200万人の人が押し込められています。こんな現状にハマスではない一般のパレスチナ人でも満足はしていないでしょう。
なのに今、中東アラブ諸国はイスラエルとの対立から融和に進んでいて、イスラエルのパレスチナ人問題が忘れ去られようとしている焦りからの奇襲と見られています。
つい最近は一時的な停戦で、お互い人質や捕虜を交換していますが、今日11月30日のNHKニュースによれば、驚くことに、イスラエルはハマス側に開放した人数を上回るパレスチナ人を、ヨルダン川西岸のパレスナ人居住区から同時に拘束したと報じていました(>_<)
つまり、ハマス側が持っている人質は交換で減るものの、イスラエル側が拘束している人数は開放しても減らず、増えているという内容でした。強い武力を持つ者のなせる技かと(>_<)
こんなイスラエル側の行為で、何処かの商人の事を思い出しました(>_<)
これら2つの地域以外にも紛争があると報じられて居ます。世界中で、そして職場や家庭でも「平和」を満足に享受出来る日が来ることを祈り、今夜もお終いm(_ _)m
1234kmの墓参旅 長野・飯山へ 2023-09-28 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
さすが、暑さ寒さも彼岸まで...とは、よく言ったものです。それまでの蒸し暑さが台風13号以降緩む日が出てきて、ついに彼岸に入ると朝の冷えが気になるようになりました。
といって、昼間がとても過ごし易い....と言う訳でもなく、暑さは程々、蒸し暑さも少なくなり、ただ湿気は感じる事も有る今日この頃です。
さて、父実家が有る長野県飯山市の周辺に居た最後の従兄弟が一昨年亡くなりました。実家の従姉妹はもう30年前もに亡くなっていて、今回亡くなったのは父の直ぐ上の兄の子でした。残念ながら葬儀には行きかね、昨年墓参に行こうとしたら春の彼岸は雪で埋もれているとかで諦め、自宅の仏壇を拝みました。でもリベンジにと思いましたが、お盆はスケジュール的に無理と諦め、漸く昨年秋の彼岸に。
そうしたらヨコミー奥様のおリュウさんと、仙台に住む娘が今年は是非行きたいというので、9月21日夕方気仙沼を発ち、仙台で娘を拾い、高速道へ。出来れば新潟市までは、星まつりで通い慣れた一般道を行きたかったのですが、娘の残業が長引き仕方無く高速へ....(>_<)
遅れたおかげで、夜半までに長岡を越せず、午前2時に諦め、磐越道新潟パーキングで車中泊です。
少し早い朝、ここは食べる所が無いので北陸道黒崎パーキングエリアへ移動したら、結構な車の数で断念。更に進み、割と泊まることが多い米山サービスエリアでやっと朝食です。ちょっと遅くなり、しかも小雨模様でしたが、美味しく食べることが出来ました。何より、食堂で働く小母ちゃん達が元気に声を掛けてくれている姿が素敵でした(^_^)v
上越ジャンクションから上信越道で南下し、新井パーキングエリアに到着です。
ここで、併設されたスマートインターから出ました。このパーキングには数は限られていますが木陰もあり、車中泊で利用していました。また道の駅隣接で、パーキングに駐めたまま食事や買い物、そして道の駅内にあるホテルに泊まることも出来ます(^_^)v 目的地が近いので泊まったことは無いですが(^_^;)
以降のルートは、新井から飯山に向かう途中で父の生家跡地へ立ち寄るのが常でしたが、小雨が降っているし、時間の都合もあって最後としました。
車は山道を越え、寺のまち・飯山市に有る一つのお寺へ。
父実家が世話になっている墓地です。この坂を下るとお寺が有り、直ぐ下に素敵な喫茶店が有り、市街地が広がります。
お墓から車に戻る際、こんな石と小さな朱色の花を見つけました。優しそうな石です(^_^;)
花を拡大してみました。別な場所でも見掛けましたが、名前は3人とも分かりません(>_<)
墓参の後、父実家へ立ち寄り、仏壇にお線香を上げ、次の墓参へ。
でも、まあトイレ休憩に、飯山市の東隣・木島平村に有る道の駅ファームス木島平へ。広い駐車場側から入ろうとしたら、ここはどちらかと言えば裏口(^_^;) 左に不思議な構築物が見えますが、この施設は某有名メーカーの、トマトの加工場を改修して出来たと聞いています。その雰囲気を伝えるためのものでしょう。
凄い数のポプラ並木です。上のコマを撮影している背中側やや左に見える景色。ヨコミーが子供の頃はあちこちでポプラが見掛けられましたが、余りに高くなるためか、最近では見掛けることは少ないです。向こうは老人施設ですが、元は小学校でも有ったのでしょうか。もし施設側で植えたのなら敬意を表したいです(^_^)v
裏側の...玄関?を突き抜けると表側の玄関に(^_^;) 左右の建物を繋いで玄関としたのでしょうか。
玄関左手です。観光の案内所が有ります。ここから中に入ることも出来ます。ここでウッドチップも販売しています。
玄関右手です。中央は中のカフェと繋がっています。左の可愛くない(^_^;)猪は、この村の米を食い荒らして大きくなったと(^_^;) 右手には木材を多用した遊具が沢山有り、下に敷き詰められたウッドチップと相まって、子供たちが楽しく遊べそうです。勿論、親はコーヒーや各種アイスを楽しみながら(^_^;)
単にトイレ休憩に寄っただけですが、また、朝飯もやや遅く食べたのですが、やはりそば処でもあり、誘惑に負け、このようなものを(>_<) 美味しかったです(^_^;)
従兄弟が眠る木島平村の墓地です。見ての通り、墓地と寺を結ぶ小径の両側には水田が広がります。
うーん、こういうパターンは初めてです。お寺の墓地って、普通、お寺に隣接していませんか? 歴史的背景を知りたいです。
時々見掛ける木ですが、ここの墓地にも有って気にしています。葉の一部が枯れているようですが、違いました。
花がらかと思いましたが、拡大したらモミジのヒラヒラと舞う種のように翼・羽根を持っていました。種と思われる物をこんなに付けているのに、この木の群生は見たことが有りません。無事に芽が出るのは極々一部のようですね(>_<)
ここでも墓地に咲く花が気になりました。上の木や花についても、ご教示頂ければ幸いです。
墓地のこちら側直ぐ隣では、赤紫蘇や大根等が栽培されています(^_^;) 遠くにスキー場が見えました。
奥が木島平スキー場です。オートキャンプ場も有るようです。写真右下は県道に面するお寺の山門。山門を潜って、木々の間を抜けるのですが、本堂までが長いです(^_^;)
墓地の北側に市道が有り、その北側の側溝は流れの速い水が沢山。とても綺麗な水なので、昨年来たときは、多分供えたお団子を載せてきたと思われるお皿を洗っているお婆さんを見掛けました。綺麗で、豊富な水でした。
面倒を掛ける娘が、ちょっと登って右に行って欲しいとリクエスト。で、角まで登ったら、「目玉のおやじ」から水がザアザアと流れ出ていました。昨年も通って知っていたのですが、上堰円筒分水(かみぜきえんとうぶんすい)です。上流の川から引いた水を、二つ有る仕切りの比率で分け、あちらとこちらの地域へと引き、用水として利用されているのです。これが面白いとおリュウさんと娘が色々と構図を変えて撮影していました(^_^;)
みんなのダリア園です。個人所有かと思いますが無料です。娘の要望でちょっとだけ行った先で、娘は何かをゲットしました。その直ぐ側にダリア園は有りました。
私はやらないので知りませんが、娘がやっているのはポケモンとかドラクエウォークみたいなやつ。信長の野望....とか(^_^;) パチンコに有ったような....。こちらもやらないので知りませんが(^_^;)
コキアは一部が色付いていました。
ダリアの花は余り知りませんので、楽しんで撮りました(^_^;)
菊に似ているような感じ。個人でダリア園を公開しているなんて、とてもうらやましいです。
またまた、ファームス木島平です。本当のトイレ休憩....のつもりが、カフェに有った美味しいジェラート(^_^;)を食べ、玄関西側の棟、あの観光案内所を突き抜けて入った広い所です。
開業して間もなく、営業不振になったのかトイレのみ利用可能の時期、ここに案内所が有りました。今ではキャラクターとなっているガラの悪そうな(^_^;)猪と可愛い奴らがいます。前には小動物の木工芸品が展示してありました。
その左にはゼロ円マーケットが有ります。家庭で不要となった物を展示し、欲しい人へ無料で差し上げる場かと。決して「持ち込まないでください」と(^_^;) 色を塗る前のボーリングのピンやぬいぐるみ、各種瀬戸物等々。折角の企画なのでお客さんを誘導したいです。
あっ、ここはこんなに広いのですよ。開業当初、野菜等はここで売られていましたが、今では食堂と同じ、カフェの奥側へ移っています。
ストリートピアノならぬストリートオルガンが有りました。幸いお客さんが少ないです。ヨコミーはどの位置がドなのか分かりませんが、適当に押したら大体分かったので、ドドシドレー....と、ちょっとだけ遊びました(^_^;)
次は最遠となりましたが土産物を買いに小布施へ。いろんな店が有りますが、面倒なのでいつもここで(^_^;) 栗の入ったのも美味しいです(^_^)v
小布施堂の前付近です。平日の金曜日なのに車の通りが多いなぁと思いましたが、写真はたまたま台数が少ないときだったようで....(^_^;)
写真中央付近に人が集まり出しました。奥の酒造会社と小布施堂との間らしいですが、原因は不明(^_^;) 左端に限定スィーツ「朱雀」の張り紙は有りましたが、これ!??
道路向かいを北側に進み、いつもの「おやき」屋さんに行こうとしたら、なにやら奇妙な物が(^_^;)
聞けば焼き栗の機械だと。面白い(^_^)v
更にやや歩いて無事にいろんな餡のおやきを仕入れ、帰路です。
午前中の雨は上がり、生家跡地を訪ねましたがご覧の通りで立ち入ることが出来ません(>_<)
右奥の、3mか4mも山に登った辺りにいくつかの墓が有りました。家は中央から左に有り、多分今でもタイルで出来た、壊れてしまった風呂桶が有るはず。
今残る小さな建物は、家の残材を利用して、実家を継いだ従姉妹の長男爺が作ったもの。退職後、街に移った家からここを拠点として、田畑を耕して居ました。沢の右奥には一族の爺達が同様の小屋をいくつか建て、退職後の身体と相談しながら耕していました。が、そんな爺達の姿は皆消えました(>_<)
この地に通って40年余。爺婆が楽しみながら一生懸命耕していました。そんなときに見た爺婆の歳にヨコミーもそろそろ(>_<) そんな農地が変わり果ててしまいました。実家を継ぐ者は休日出勤も有る働き盛り(>_<) その妻は婆様の介護(>_<)
まあ多少効率は悪くても耕せない土地ではありませんが、耕すとしたら農業法人でしょうか。営業的には厳しくても、食糧自給率が低い日本にとって、国の政策として耕作面積を増やしたいところ。
そりより輸入すれば良い....という人も居るでしょうけれど、ロシアによるウクライナ侵略で小麦の需給が大変だったり、西隣国のように輸出品を意図的に絞ったりされる心配が伴います。いつかのレアアースがそうでしたね(>_<)
西隣国は逆のパターンですが、今回、福島原発処理水の海中投棄に反発して日本産の水産物を輸入禁止としたことは皆様ご存じかと。またノルウェー産サーモンも西隣国から輸入禁止という争いの道具とされ、ノルウェー側が頭を下げ、輸入が再開された....と池上 彰さんが解説していました。西隣国はオーストラリア産ワインも争いの道具としました(>_<)
このように国を超えての売買は、特に旧共産圏の国々とは、かなりのリスクを持つと考えなくては成らないかと(>_<)
地下資源は少ない日本。でも耕作放棄地は大きな都市近くでも見掛けます。個人では出来ない耕作も、国が食糧危機対策の一つとして位置付け、食糧の増産で自給率を少しでも上げて欲しいです。
あっ、22日は安全を見て新潟の安宿に泊まり、23日は市内の墓地2カ所を経由し、18時半過ぎに帰宅しました。足掛け3日間ですが実質49時間、往復1234kmの旅でした。とても疲れましたが、実は「お疲れ週間」の始まりに過ぎませんでした(>_<) 機会が有れば後日(^_^;)
ロシアがウクライナを侵略しようと戦争を始めて1年半(>_<) そして他の地域でも戦争や紛争が終わり、圧政の政権も倒れ、身近でいえば虐待やイジメが起こらない、世界中で平和を満喫出来る日が一日でも早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
さすが、暑さ寒さも彼岸まで...とは、よく言ったものです。それまでの蒸し暑さが台風13号以降緩む日が出てきて、ついに彼岸に入ると朝の冷えが気になるようになりました。
といって、昼間がとても過ごし易い....と言う訳でもなく、暑さは程々、蒸し暑さも少なくなり、ただ湿気は感じる事も有る今日この頃です。
さて、父実家が有る長野県飯山市の周辺に居た最後の従兄弟が一昨年亡くなりました。実家の従姉妹はもう30年前もに亡くなっていて、今回亡くなったのは父の直ぐ上の兄の子でした。残念ながら葬儀には行きかね、昨年墓参に行こうとしたら春の彼岸は雪で埋もれているとかで諦め、自宅の仏壇を拝みました。でもリベンジにと思いましたが、お盆はスケジュール的に無理と諦め、漸く昨年秋の彼岸に。
そうしたらヨコミー奥様のおリュウさんと、仙台に住む娘が今年は是非行きたいというので、9月21日夕方気仙沼を発ち、仙台で娘を拾い、高速道へ。出来れば新潟市までは、星まつりで通い慣れた一般道を行きたかったのですが、娘の残業が長引き仕方無く高速へ....(>_<)
遅れたおかげで、夜半までに長岡を越せず、午前2時に諦め、磐越道新潟パーキングで車中泊です。
少し早い朝、ここは食べる所が無いので北陸道黒崎パーキングエリアへ移動したら、結構な車の数で断念。更に進み、割と泊まることが多い米山サービスエリアでやっと朝食です。ちょっと遅くなり、しかも小雨模様でしたが、美味しく食べることが出来ました。何より、食堂で働く小母ちゃん達が元気に声を掛けてくれている姿が素敵でした(^_^)v
上越ジャンクションから上信越道で南下し、新井パーキングエリアに到着です。
ここで、併設されたスマートインターから出ました。このパーキングには数は限られていますが木陰もあり、車中泊で利用していました。また道の駅隣接で、パーキングに駐めたまま食事や買い物、そして道の駅内にあるホテルに泊まることも出来ます(^_^)v 目的地が近いので泊まったことは無いですが(^_^;)
以降のルートは、新井から飯山に向かう途中で父の生家跡地へ立ち寄るのが常でしたが、小雨が降っているし、時間の都合もあって最後としました。
車は山道を越え、寺のまち・飯山市に有る一つのお寺へ。
父実家が世話になっている墓地です。この坂を下るとお寺が有り、直ぐ下に素敵な喫茶店が有り、市街地が広がります。
お墓から車に戻る際、こんな石と小さな朱色の花を見つけました。優しそうな石です(^_^;)
花を拡大してみました。別な場所でも見掛けましたが、名前は3人とも分かりません(>_<)
墓参の後、父実家へ立ち寄り、仏壇にお線香を上げ、次の墓参へ。
でも、まあトイレ休憩に、飯山市の東隣・木島平村に有る道の駅ファームス木島平へ。広い駐車場側から入ろうとしたら、ここはどちらかと言えば裏口(^_^;) 左に不思議な構築物が見えますが、この施設は某有名メーカーの、トマトの加工場を改修して出来たと聞いています。その雰囲気を伝えるためのものでしょう。
凄い数のポプラ並木です。上のコマを撮影している背中側やや左に見える景色。ヨコミーが子供の頃はあちこちでポプラが見掛けられましたが、余りに高くなるためか、最近では見掛けることは少ないです。向こうは老人施設ですが、元は小学校でも有ったのでしょうか。もし施設側で植えたのなら敬意を表したいです(^_^)v
裏側の...玄関?を突き抜けると表側の玄関に(^_^;) 左右の建物を繋いで玄関としたのでしょうか。
玄関左手です。観光の案内所が有ります。ここから中に入ることも出来ます。ここでウッドチップも販売しています。
玄関右手です。中央は中のカフェと繋がっています。左の可愛くない(^_^;)猪は、この村の米を食い荒らして大きくなったと(^_^;) 右手には木材を多用した遊具が沢山有り、下に敷き詰められたウッドチップと相まって、子供たちが楽しく遊べそうです。勿論、親はコーヒーや各種アイスを楽しみながら(^_^;)
単にトイレ休憩に寄っただけですが、また、朝飯もやや遅く食べたのですが、やはりそば処でもあり、誘惑に負け、このようなものを(>_<) 美味しかったです(^_^;)
従兄弟が眠る木島平村の墓地です。見ての通り、墓地と寺を結ぶ小径の両側には水田が広がります。
うーん、こういうパターンは初めてです。お寺の墓地って、普通、お寺に隣接していませんか? 歴史的背景を知りたいです。
時々見掛ける木ですが、ここの墓地にも有って気にしています。葉の一部が枯れているようですが、違いました。
花がらかと思いましたが、拡大したらモミジのヒラヒラと舞う種のように翼・羽根を持っていました。種と思われる物をこんなに付けているのに、この木の群生は見たことが有りません。無事に芽が出るのは極々一部のようですね(>_<)
ここでも墓地に咲く花が気になりました。上の木や花についても、ご教示頂ければ幸いです。
墓地のこちら側直ぐ隣では、赤紫蘇や大根等が栽培されています(^_^;) 遠くにスキー場が見えました。
奥が木島平スキー場です。オートキャンプ場も有るようです。写真右下は県道に面するお寺の山門。山門を潜って、木々の間を抜けるのですが、本堂までが長いです(^_^;)
墓地の北側に市道が有り、その北側の側溝は流れの速い水が沢山。とても綺麗な水なので、昨年来たときは、多分供えたお団子を載せてきたと思われるお皿を洗っているお婆さんを見掛けました。綺麗で、豊富な水でした。
面倒を掛ける娘が、ちょっと登って右に行って欲しいとリクエスト。で、角まで登ったら、「目玉のおやじ」から水がザアザアと流れ出ていました。昨年も通って知っていたのですが、上堰円筒分水(かみぜきえんとうぶんすい)です。上流の川から引いた水を、二つ有る仕切りの比率で分け、あちらとこちらの地域へと引き、用水として利用されているのです。これが面白いとおリュウさんと娘が色々と構図を変えて撮影していました(^_^;)
みんなのダリア園です。個人所有かと思いますが無料です。娘の要望でちょっとだけ行った先で、娘は何かをゲットしました。その直ぐ側にダリア園は有りました。
私はやらないので知りませんが、娘がやっているのはポケモンとかドラクエウォークみたいなやつ。信長の野望....とか(^_^;) パチンコに有ったような....。こちらもやらないので知りませんが(^_^;)
コキアは一部が色付いていました。
ダリアの花は余り知りませんので、楽しんで撮りました(^_^;)
菊に似ているような感じ。個人でダリア園を公開しているなんて、とてもうらやましいです。
またまた、ファームス木島平です。本当のトイレ休憩....のつもりが、カフェに有った美味しいジェラート(^_^;)を食べ、玄関西側の棟、あの観光案内所を突き抜けて入った広い所です。
開業して間もなく、営業不振になったのかトイレのみ利用可能の時期、ここに案内所が有りました。今ではキャラクターとなっているガラの悪そうな(^_^;)猪と可愛い奴らがいます。前には小動物の木工芸品が展示してありました。
その左にはゼロ円マーケットが有ります。家庭で不要となった物を展示し、欲しい人へ無料で差し上げる場かと。決して「持ち込まないでください」と(^_^;) 色を塗る前のボーリングのピンやぬいぐるみ、各種瀬戸物等々。折角の企画なのでお客さんを誘導したいです。
あっ、ここはこんなに広いのですよ。開業当初、野菜等はここで売られていましたが、今では食堂と同じ、カフェの奥側へ移っています。
ストリートピアノならぬストリートオルガンが有りました。幸いお客さんが少ないです。ヨコミーはどの位置がドなのか分かりませんが、適当に押したら大体分かったので、ドドシドレー....と、ちょっとだけ遊びました(^_^;)
次は最遠となりましたが土産物を買いに小布施へ。いろんな店が有りますが、面倒なのでいつもここで(^_^;) 栗の入ったのも美味しいです(^_^)v
小布施堂の前付近です。平日の金曜日なのに車の通りが多いなぁと思いましたが、写真はたまたま台数が少ないときだったようで....(^_^;)
写真中央付近に人が集まり出しました。奥の酒造会社と小布施堂との間らしいですが、原因は不明(^_^;) 左端に限定スィーツ「朱雀」の張り紙は有りましたが、これ!??
道路向かいを北側に進み、いつもの「おやき」屋さんに行こうとしたら、なにやら奇妙な物が(^_^;)
聞けば焼き栗の機械だと。面白い(^_^)v
更にやや歩いて無事にいろんな餡のおやきを仕入れ、帰路です。
午前中の雨は上がり、生家跡地を訪ねましたがご覧の通りで立ち入ることが出来ません(>_<)
右奥の、3mか4mも山に登った辺りにいくつかの墓が有りました。家は中央から左に有り、多分今でもタイルで出来た、壊れてしまった風呂桶が有るはず。
今残る小さな建物は、家の残材を利用して、実家を継いだ従姉妹の長男爺が作ったもの。退職後、街に移った家からここを拠点として、田畑を耕して居ました。沢の右奥には一族の爺達が同様の小屋をいくつか建て、退職後の身体と相談しながら耕していました。が、そんな爺達の姿は皆消えました(>_<)
この地に通って40年余。爺婆が楽しみながら一生懸命耕していました。そんなときに見た爺婆の歳にヨコミーもそろそろ(>_<) そんな農地が変わり果ててしまいました。実家を継ぐ者は休日出勤も有る働き盛り(>_<) その妻は婆様の介護(>_<)
まあ多少効率は悪くても耕せない土地ではありませんが、耕すとしたら農業法人でしょうか。営業的には厳しくても、食糧自給率が低い日本にとって、国の政策として耕作面積を増やしたいところ。
そりより輸入すれば良い....という人も居るでしょうけれど、ロシアによるウクライナ侵略で小麦の需給が大変だったり、西隣国のように輸出品を意図的に絞ったりされる心配が伴います。いつかのレアアースがそうでしたね(>_<)
西隣国は逆のパターンですが、今回、福島原発処理水の海中投棄に反発して日本産の水産物を輸入禁止としたことは皆様ご存じかと。またノルウェー産サーモンも西隣国から輸入禁止という争いの道具とされ、ノルウェー側が頭を下げ、輸入が再開された....と池上 彰さんが解説していました。西隣国はオーストラリア産ワインも争いの道具としました(>_<)
このように国を超えての売買は、特に旧共産圏の国々とは、かなりのリスクを持つと考えなくては成らないかと(>_<)
地下資源は少ない日本。でも耕作放棄地は大きな都市近くでも見掛けます。個人では出来ない耕作も、国が食糧危機対策の一つとして位置付け、食糧の増産で自給率を少しでも上げて欲しいです。
あっ、22日は安全を見て新潟の安宿に泊まり、23日は市内の墓地2カ所を経由し、18時半過ぎに帰宅しました。足掛け3日間ですが実質49時間、往復1234kmの旅でした。とても疲れましたが、実は「お疲れ週間」の始まりに過ぎませんでした(>_<) 機会が有れば後日(^_^;)
ロシアがウクライナを侵略しようと戦争を始めて1年半(>_<) そして他の地域でも戦争や紛争が終わり、圧政の政権も倒れ、身近でいえば虐待やイジメが起こらない、世界中で平和を満喫出来る日が一日でも早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
久し振りの胎内星まつり 20230818 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日8月28日は東北地方の東部へ接近した台風10号の御陰か、凡そ午前中は涼しい北寄りの風が吹いていましたが、午後からは風向きが変わり、とても暑くなりました(>_<)
なんと早いことで、8月は暑いまま、もう終わりますね(>_<)
その8月は、天文人にとって「星まつり」の時期で有り、うきうき(^_^;)
中でも日本最大の天文イベント「胎内星まつり(新潟県胎内市。旧・黒川村)」は、コロナの影響を受けていましたが、8月18日から20日までの予定で久し振りの現地開催となりました。
見れば第40回とありました。中止に成った年もありましたので、始まったのは42年前? ヨコミーは2回目から顔を出していて、時折行けなかったり、そして震災も有り、それでも30回は通っていました。
今年は中日の夜に欠かせない用事が有り、残念ながら18日のみとなりました。そして、天候の悪い気仙沼から行くので、もし晴れていたら今明るくなってきた西村彗星を撮影しようと、往復の道にも期待していました。まあ、晴れませんでしたけど(>_<)
18日夜の撮影。本部テントの辺りです。スローシャッターなので人は幽霊みたく写っています。
会場案内図です。胎内市東側に有る県民の森の駐車場がメイン会場。この図の上の方(凡そ北側)に林が広がり、中には芝生の広場も有ります。
出店の様子。望遠鏡メーカーや販売店、中古業者の他に、子供たちも楽しめるグッズや食べ物のテントもあります。
上の案内図下に研修館が有りますが、案内図上中の左側は以前展示でしたが、今は使われていない感じ。会場左端にグリーンハウスという建物が有り、ちょっとした土産物とメニュー数は大して無い食堂が入っていたのですが、今回は入らないで仕舞いました。やっていれば良いなぁ(>_<)
時間はちょっと遡って日没直前の芝生広場です。テントを張ったり望遠鏡を出したり。ここの望遠鏡は個人所有ですが、撮影をしていないなら、声を掛ければ見せてくれます。
駐車は片側1列に路上駐車です。ヨコミー車後ろの方向。
ヨコミー車前方。こんな感じで荷物を運んだり....。前の軽自動車が停まったとき、ヨコミー車と半端なスペースが出来たので、前の方に「詰めましょうか?」と尋ねたら、「軽なら駐車出来ますよ」とのことでそのままにしていたら....
ちょっとトイレに行っていた隙に、狭いスペースに普通車のワゴン車にギリギリと駐車されました。しかも斜めに割り込んでいたではありませんか(>_<) これではヨコミー、出ることが出来ません(T_T)
見れば埼玉県のナンバー。人は既に居ません。後で本部に報告しようと写真を撮りました。
ただ2時間ほどして所有者から話が有り、今夜早く出る....というので了解しました。まあ結局ヨコミーが出る前には来ず、後ろの方に頼んで少しバックして戴き、深夜になんとか出ることが出来ました(>_<)
こんなのは良い程度です。いつかは買い出しと日帰り温泉に行って戻ったら、駐車枠を確保していた物を捨てられて知らない車が停まっていたり、バックで入ろうにも入れないように車が停まっていたり(T_T) よーく、星を見る人は素敵だなぁ....などと言われる方が居ますが、それは観察間違いもあるかと(^_^;)
「星を見る」行為は素敵でも、それがそのまま人格に当てはまる訳ではありません。
今年、この芝生広場に行って残念だったのは、まだ有ります。ここのトイレが閉鎖されていて、表の水道も使えません(>_<) トイレはメイン会場。ちょっと遠いです(>_<)
芝生広場の端、テントとオブジェの間に見える給水栓の蛇口からも水は出ませんでした(>_<)
たまたま知り合った新潟県内の参加者に聞けば、県民の森を誘致した村長は既に居らず、今は合併もして市役所はここにお金を掛けたくないんじゃないかなぁ....との話。
折角作った施設なのに何年か過ぎると行政の親分が代わり、担当者も代わり、初期の熱が段々と失われて行くのでしようね(>_<)
さて、会場で仕入れた数々です(^_^;)
アマチュア天文家憧れの望遠鏡を作る高橋製作所が作った自社望遠鏡用の電源。12Vと24Vが出ます。ただ、ヨコミーはその昔ヨコミー奥様のおリュウさんが東京へ研修に行くというので、買ってきて頂いた電源がそろそろ危うくなり、その予備機としての購入です。ただ持って見たら軽いです。トランス式ではありませんでした。でも、箱が大きいのでヨコミーがノイズ対策をする場合には楽かなぁ...と連れ去ってきました(^_^;) 1諭吉ですが、多少負けて戴きました。
おもちゃのトミーを冠していますが、ヨコミー達には「ボーグ」というブランドの望遠鏡で知られています。また自作部品も供給しています。
あっ、物はピント調整用のヘリコイドです。何個か並べていたので多分新品。左側の滑り止め凸凹を回すと筒の全長が変わります。型番からして6X7判をカバーする太さなのでしょう。
以前から、ヨコミーは超ゆっくりと望遠鏡自作計画を進めています。まだ部品調達の段階(^_^;) その覗き口に使うつもりですが、残りの人生を考えればここ2年3年が勝負(>_<) ダメなら子供にヤフオクかメルカリに出して貰いましょう。
これは格安の3諭吉近くでしたが、負けて戴きました(^_^;)
アルミの厚い板です。望遠鏡の架台に望遠鏡を追加したり、カメラの雲台を付ける時などに使います。当地では厚い板を簡単に仕入れる所が無く、こういうイベントで買っています。
左下はミニDVテープです。@100円。これを除けばガラス類です。真ん中は直径10センチ余りの円形厚ガラス板2枚。反射鏡研磨の練習用にしても良いなぁと思ったら、なんと強化ガラスだと(>_<) まあ、ペーパーウエイトに(^_^;) 上の袋は大小のレンズ、下は小さな三角プリズムで、市民文化祭等ではこれを使って虹を作り、子供たちと遊びます(^_^)v
福島県田村市に有る星の村天文台の台長さんが、天文台に隣接するあぶくま洞で掘削された、今では採集禁止となった鍾乳石を売っていました。ここの天文台へ行くと、色んな鉱石を売っています。
と今思い出したのですが、望遠鏡などに付けたスライドレールを架台に留めるアリミゾも購入し、既に使用中(^_^;) ただスライドレールは売って居らず、後日探しますが、知人に聞いたら廃番らしく、おまけして貰うのでした。うーん、失敗(>_<) 1.5枚の諭吉が....(T_T)
ヨコミーの望遠鏡整備計画はなかなか進みません。もう10年も前なら「まだゆっくり」と言っていられるのですが、そろそろ、そろそろですね(>_<)
終活をモットーとしているおリュウさんが最近また元気になり、ヨコミーがちょっとだけご注意したら「離婚!」だと宣う(^_^;) まあまあ、元気になることは良いのですが、困ったものです。今頃ですが、ヨコミーには過ぎた御方だと漸く分かりましたし、日頃のご愛顧に深く感謝し、段取りが付いたら「はい、はんこ」って機嫌良く押してあげたいです(^_^)v おリュウさん、夢に向かって飛び立てっ(^_^)v
段取りって、ヨコミーが家を出る準備。荷物が多くて大変(>_<) だっておリュウさんの実家が無くなったのでヨコミーが出るつもり。最後のご奉公(^_^;)
ヨコミー家の平和は、戦車を使う訳ではないのでどうあれ、世界中から戦争や圧政が無くなって、みんなが平和になることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日8月28日は東北地方の東部へ接近した台風10号の御陰か、凡そ午前中は涼しい北寄りの風が吹いていましたが、午後からは風向きが変わり、とても暑くなりました(>_<)
なんと早いことで、8月は暑いまま、もう終わりますね(>_<)
その8月は、天文人にとって「星まつり」の時期で有り、うきうき(^_^;)
中でも日本最大の天文イベント「胎内星まつり(新潟県胎内市。旧・黒川村)」は、コロナの影響を受けていましたが、8月18日から20日までの予定で久し振りの現地開催となりました。
見れば第40回とありました。中止に成った年もありましたので、始まったのは42年前? ヨコミーは2回目から顔を出していて、時折行けなかったり、そして震災も有り、それでも30回は通っていました。
今年は中日の夜に欠かせない用事が有り、残念ながら18日のみとなりました。そして、天候の悪い気仙沼から行くので、もし晴れていたら今明るくなってきた西村彗星を撮影しようと、往復の道にも期待していました。まあ、晴れませんでしたけど(>_<)
18日夜の撮影。本部テントの辺りです。スローシャッターなので人は幽霊みたく写っています。
会場案内図です。胎内市東側に有る県民の森の駐車場がメイン会場。この図の上の方(凡そ北側)に林が広がり、中には芝生の広場も有ります。
出店の様子。望遠鏡メーカーや販売店、中古業者の他に、子供たちも楽しめるグッズや食べ物のテントもあります。
上の案内図下に研修館が有りますが、案内図上中の左側は以前展示でしたが、今は使われていない感じ。会場左端にグリーンハウスという建物が有り、ちょっとした土産物とメニュー数は大して無い食堂が入っていたのですが、今回は入らないで仕舞いました。やっていれば良いなぁ(>_<)
時間はちょっと遡って日没直前の芝生広場です。テントを張ったり望遠鏡を出したり。ここの望遠鏡は個人所有ですが、撮影をしていないなら、声を掛ければ見せてくれます。
駐車は片側1列に路上駐車です。ヨコミー車後ろの方向。
ヨコミー車前方。こんな感じで荷物を運んだり....。前の軽自動車が停まったとき、ヨコミー車と半端なスペースが出来たので、前の方に「詰めましょうか?」と尋ねたら、「軽なら駐車出来ますよ」とのことでそのままにしていたら....
ちょっとトイレに行っていた隙に、狭いスペースに普通車のワゴン車にギリギリと駐車されました。しかも斜めに割り込んでいたではありませんか(>_<) これではヨコミー、出ることが出来ません(T_T)
見れば埼玉県のナンバー。人は既に居ません。後で本部に報告しようと写真を撮りました。
ただ2時間ほどして所有者から話が有り、今夜早く出る....というので了解しました。まあ結局ヨコミーが出る前には来ず、後ろの方に頼んで少しバックして戴き、深夜になんとか出ることが出来ました(>_<)
こんなのは良い程度です。いつかは買い出しと日帰り温泉に行って戻ったら、駐車枠を確保していた物を捨てられて知らない車が停まっていたり、バックで入ろうにも入れないように車が停まっていたり(T_T) よーく、星を見る人は素敵だなぁ....などと言われる方が居ますが、それは観察間違いもあるかと(^_^;)
「星を見る」行為は素敵でも、それがそのまま人格に当てはまる訳ではありません。
今年、この芝生広場に行って残念だったのは、まだ有ります。ここのトイレが閉鎖されていて、表の水道も使えません(>_<) トイレはメイン会場。ちょっと遠いです(>_<)
芝生広場の端、テントとオブジェの間に見える給水栓の蛇口からも水は出ませんでした(>_<)
たまたま知り合った新潟県内の参加者に聞けば、県民の森を誘致した村長は既に居らず、今は合併もして市役所はここにお金を掛けたくないんじゃないかなぁ....との話。
折角作った施設なのに何年か過ぎると行政の親分が代わり、担当者も代わり、初期の熱が段々と失われて行くのでしようね(>_<)
さて、会場で仕入れた数々です(^_^;)
アマチュア天文家憧れの望遠鏡を作る高橋製作所が作った自社望遠鏡用の電源。12Vと24Vが出ます。ただ、ヨコミーはその昔ヨコミー奥様のおリュウさんが東京へ研修に行くというので、買ってきて頂いた電源がそろそろ危うくなり、その予備機としての購入です。ただ持って見たら軽いです。トランス式ではありませんでした。でも、箱が大きいのでヨコミーがノイズ対策をする場合には楽かなぁ...と連れ去ってきました(^_^;) 1諭吉ですが、多少負けて戴きました。
おもちゃのトミーを冠していますが、ヨコミー達には「ボーグ」というブランドの望遠鏡で知られています。また自作部品も供給しています。
あっ、物はピント調整用のヘリコイドです。何個か並べていたので多分新品。左側の滑り止め凸凹を回すと筒の全長が変わります。型番からして6X7判をカバーする太さなのでしょう。
以前から、ヨコミーは超ゆっくりと望遠鏡自作計画を進めています。まだ部品調達の段階(^_^;) その覗き口に使うつもりですが、残りの人生を考えればここ2年3年が勝負(>_<) ダメなら子供にヤフオクかメルカリに出して貰いましょう。
これは格安の3諭吉近くでしたが、負けて戴きました(^_^;)
アルミの厚い板です。望遠鏡の架台に望遠鏡を追加したり、カメラの雲台を付ける時などに使います。当地では厚い板を簡単に仕入れる所が無く、こういうイベントで買っています。
左下はミニDVテープです。@100円。これを除けばガラス類です。真ん中は直径10センチ余りの円形厚ガラス板2枚。反射鏡研磨の練習用にしても良いなぁと思ったら、なんと強化ガラスだと(>_<) まあ、ペーパーウエイトに(^_^;) 上の袋は大小のレンズ、下は小さな三角プリズムで、市民文化祭等ではこれを使って虹を作り、子供たちと遊びます(^_^)v
福島県田村市に有る星の村天文台の台長さんが、天文台に隣接するあぶくま洞で掘削された、今では採集禁止となった鍾乳石を売っていました。ここの天文台へ行くと、色んな鉱石を売っています。
と今思い出したのですが、望遠鏡などに付けたスライドレールを架台に留めるアリミゾも購入し、既に使用中(^_^;) ただスライドレールは売って居らず、後日探しますが、知人に聞いたら廃番らしく、おまけして貰うのでした。うーん、失敗(>_<) 1.5枚の諭吉が....(T_T)
ヨコミーの望遠鏡整備計画はなかなか進みません。もう10年も前なら「まだゆっくり」と言っていられるのですが、そろそろ、そろそろですね(>_<)
終活をモットーとしているおリュウさんが最近また元気になり、ヨコミーがちょっとだけご注意したら「離婚!」だと宣う(^_^;) まあまあ、元気になることは良いのですが、困ったものです。今頃ですが、ヨコミーには過ぎた御方だと漸く分かりましたし、日頃のご愛顧に深く感謝し、段取りが付いたら「はい、はんこ」って機嫌良く押してあげたいです(^_^)v おリュウさん、夢に向かって飛び立てっ(^_^)v
段取りって、ヨコミーが家を出る準備。荷物が多くて大変(>_<) だっておリュウさんの実家が無くなったのでヨコミーが出るつもり。最後のご奉公(^_^;)
ヨコミー家の平和は、戦車を使う訳ではないのでどうあれ、世界中から戦争や圧政が無くなって、みんなが平和になることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
暫く振りの見物 地方小都市の花火 20230806 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今回は短信です(^_^;)
気仙沼みなとまつりが8月5日と6日に行われました。これは4年振りに、元の2日間開催でした。まあ、コロナで大変でしたので(>_<)
ヨコミー、みなとまつりにはちょこちょこと手伝っていたので、何年か前からお疲れモードで、見物に行っていませんでした(^_^;)
まあ、そろそろ頃合いなので、とりあえず花火見物へと、20年くらい振りに出掛けました。うーん、見物目的では30年!??
まずは一番良く写ったものから(^_^;) 花火撮影は勉強中です(>_<) 撮影はおよそ、北向きです。左下の「光いっぱい」はホテル気仙沼観洋。
撮影場所は三陸道気仙沼湾横断橋の下、(気仙沼)大川に架かる、お国の都合で架けられた橋の上から(^_^;) 右が三陸道です。左の光源は新たに立て替えられた中央公民館隣の運動広場。
左下中程、白いトゲのようなものは、内湾北側、陣山の天辺に出来た慰霊施設。「祈りのセイル」
とかいったと思いますが、「セイル」って一般市民には何のことか分かりません(>_<)
下見が出来なかったので、右下の鉄塔が邪魔になりました(^_^;) カットによっては鉄塔から放電しているような...(^_^;)
地方の、更に地方小都市の気仙沼なので、今年は2400発とか。景気も悪い感じ。もっといっぱいの花火が見える様な好景気にならないかなぁ(^_^;)
今日は夏の身近なバカンスです。出先から(^_^;)
世界の平和を祈り、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今回は短信です(^_^;)
気仙沼みなとまつりが8月5日と6日に行われました。これは4年振りに、元の2日間開催でした。まあ、コロナで大変でしたので(>_<)
ヨコミー、みなとまつりにはちょこちょこと手伝っていたので、何年か前からお疲れモードで、見物に行っていませんでした(^_^;)
まあ、そろそろ頃合いなので、とりあえず花火見物へと、20年くらい振りに出掛けました。うーん、見物目的では30年!??
まずは一番良く写ったものから(^_^;) 花火撮影は勉強中です(>_<) 撮影はおよそ、北向きです。左下の「光いっぱい」はホテル気仙沼観洋。
撮影場所は三陸道気仙沼湾横断橋の下、(気仙沼)大川に架かる、お国の都合で架けられた橋の上から(^_^;) 右が三陸道です。左の光源は新たに立て替えられた中央公民館隣の運動広場。
左下中程、白いトゲのようなものは、内湾北側、陣山の天辺に出来た慰霊施設。「祈りのセイル」
とかいったと思いますが、「セイル」って一般市民には何のことか分かりません(>_<)
下見が出来なかったので、右下の鉄塔が邪魔になりました(^_^;) カットによっては鉄塔から放電しているような...(^_^;)
地方の、更に地方小都市の気仙沼なので、今年は2400発とか。景気も悪い感じ。もっといっぱいの花火が見える様な好景気にならないかなぁ(^_^;)
今日は夏の身近なバカンスです。出先から(^_^;)
世界の平和を祈り、本日はお終いm(_ _)m
楽しい帽子も有った商店街 博多祇園山笠(後編) 20230706 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日7月11日は、あの東日本大震災の月命日。あれから気仙沼市では、毎月11日を「防災を考える日」と定め、午前中に広報塔で防災を再確認しろ...と呼びかけています。あっ、本当は「しろ」じゃないですよ(^_^;)
九州や山陰で大雨被害ですが、亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災され方々にはお見舞いを申し上げますm(_ _)m
先週始め、我が家の密命で博多に行かねばならなかったのですが、みれば天候が心配(>_<) 新幹線等の交通機関が一時止まりましたね(>_<)
場合によっては少し延期も考えていましたが、6日の予想が良さそうだったので、6日を中日(なかび)とする5日から7日までに、1日の予備日を加えて4日間のつもりで出掛けました。
博多で雨に祟られなかったことについて、某先生には「強運」と言われましたが、私が住む気仙沼より予報は当たりやすいだろうなぁ...という希望的観測と、まあ我が家の仏壇を通じて、亡き父と三母がお天気を遠隔操作してくれたのでしょう(^_^)v
実際は予備日を諦めた3日間でしたが、雨にだけは当たりませんでした。ただ、灼熱地獄でした(>_<)
帽子を忘れたので、安いのでも買いたいなぁ....と、祇園に有る泊まった宿のフロントに聞いた事から始まった、飾られた山笠の観光でした。川端通商店街も素敵な、元気な商店街と見ました(^_^)v
さて、ぜんざいを美味しく頂いたので、そろそろ再開です。
(写真はクリックすると大きくなります)
川端ぜんざい広場を川側に通り抜けたら、素敵な川端が広がっていました。博多川です。
綺麗に整備されています。川向かいが中州、左奥が上流方向です。
右側です。右奥が下流。時間が有れば下りたかったのですが....(>_<)
さあ、商店街に戻りましょう。
中洲川端駅方向に進んだら、楽しい帽子がいっぱい並んでいました。お店はネーム刺繍店とあります。刺繍の技術を活かしたのでしょう。一つ一つ表情が皆違うのでオリジナルなのかも(^_^)v
もう少し進んだら....十四番山笠でした。
「蘇我の夜討ち」です。
見送りは世界水泳福岡。
なんと松岡修造さん(左下)(^_^;) しばらく見ない内にタレントになったのですね。
そろそろ商店街が終わります。通り西端の出入り口です。事前の調べも無いし、向こうに見える建物の下に駅が有るようなので、そちらに渡りますが、帰路に見たら、ここの右後ろ、商店街の中にも地下鉄の出入口が有ったのですね(>_<)
まあ、気付かなかった為に、もう少しの展開が待ち受けていました(^_^;)
取り敢えずアーケードが切れた所で振り返り、パチリ。
渡ろうと信号待ちをしていたら、右側にお座りしていたのが川上音二郎でした。若い方はご存じないかも知れません。明治の中期、世情を風刺したオッペケペー節を歌った御方。自由民権運動。
残念ながら刻まれた歌詞は、黒い塗料が一部剥げています。が、大凡のことはお分かりになるかと。
音二郎...といえば音ちゃん。あっ、石巻市の旧北上川中州に有った、江戸時代から続くという見世物小屋改め岡田劇場に居たスタッフです(^_^;)
岡田劇場はイオンに出来た映画館....という時代の波に揉まれ、東日本大震災では劇場自体も流され....(>_<) 音ちゃんや社長さんも流されたけど何とか助かり、興行はしているようですが、イオンという壁も有り、映画館再建はどうなったのかなぁ...。
信号を2つ3つ待って向かいのビルを見たら、エスカレーターホールの前に背の高いテントが...。怪しい...(^_^;)
向かいのビルは「博多リバレインモール by TAKASHIMAYA」でした。次回は美術館でも見たいです。
二番山笠 大黒流でした。こちらは高さが無いので担ぐ「舁山(かきやま)」でしょうか。
でも、どうやら後ろです(^_^;) 京都祇園祭山鉾は後ろに下げる織物等を「見送り」と言っているようですが、博多では単に後ろを見送りと言っているようです。まあ表側に回ります。
じゃーん、大黒様(^_^)v
エスカレーターホールを背にして左側を見たら、遠くにまたまた怪しいモノがありましたので拡大したら、一番山笠でした。
あっ、大変(>_<) 昼前に現着したかったのに、もう11時45分です(T_T)
名残惜しい川端通商店街にお別れを告げ、地下鉄への階段を下りました。さあ、任務遂行の為に急ぎまょう。昼時間ですが、食べるのは後回し(>_<)
今回旅行に際し、事前に気仙沼駅へ行って切符を買い求めようとしたら、丁度午後の休憩時間に、タッチの差で入ってしまいました。なので1つだけしか無い窓口は閉鎖。タッチの差なので20分間、ただ待ちます。うーん不便なまち(>_<)
不便なまちといえば、某爺が過日市立病院へ行ったら、「今日は予約でいっぱいだから」と帰された....、是非行きたいなら救急車だなぁと怒っていました。痛いから行くのに、初診なら診て欲しいし、次回から予約だよ....とやるべき。しかも、内科や整形外科等町医者が居る診療科は、まず町医者に行け....とばかりに初診料を超割高な何千円も取られる....とも話していました。
そういえば身近な知り合いは、胸が時々痛むので市立病院へ行き、総合受付で初診票を書いて出したら、(外の業者さんが総合受付をやっているので)苦慮していたのか暫くしてから呼ばれ、「直接外来窓口に行って受診したいと話して下さい」と話され、その外来窓口に行ったら、「当外来は予約制です。午後3時に電話して下さい」と受付さえもしてもらえなかったと(>_<) 市民の為の病院じゃなくなった(T_T)
この春だったか、何かの雑誌で、私が住む気仙沼市は「東北で2番目に住みよい街」だと載っていたそうな。私はそのような雑誌は買わないけど。
勿論雑誌社ではそれなりの項目で評価しているのでしょうけれど、実際は単にそれだけのこと。
何日かは忘れたけど、4月か5月の聖教新聞、最後の面に某先生が統計数字の読み方について書いていました。「数字にはバイアスが掛かっている」と。
気仙沼市では隣市にならい、公民館の市民センター化を進めるという。これは大都市の市民センターではなく、簡単に言えば公民館の管理を単に外注(指定管理)すること。隣市は先進地だと。でも、私が以前見た隣市の「公民館」は、地域の自治会館みたいな小規模のものも有りました。
このような小さなものと、言わば旧町村単位で設置されている気仙沼市の公民館とは、同一に比べられないと思います。でも、公民館という名前の建物は、数字上小さくても大きくても1つは1つです。
しっかりとした検証が足らない数字が表に出、その数字が一人歩きする場合があります。その数字、いや数字のみに限らず、目の前にある物事が本当に正しいのか、行動を起こす前に一度や二度叩いてみることをお勧めします。
ウクライナを始めとする戦争や紛争、強圧政治が終わり、世界中で平和を満喫出来る日が早く来ることを祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日7月11日は、あの東日本大震災の月命日。あれから気仙沼市では、毎月11日を「防災を考える日」と定め、午前中に広報塔で防災を再確認しろ...と呼びかけています。あっ、本当は「しろ」じゃないですよ(^_^;)
九州や山陰で大雨被害ですが、亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災され方々にはお見舞いを申し上げますm(_ _)m
先週始め、我が家の密命で博多に行かねばならなかったのですが、みれば天候が心配(>_<) 新幹線等の交通機関が一時止まりましたね(>_<)
場合によっては少し延期も考えていましたが、6日の予想が良さそうだったので、6日を中日(なかび)とする5日から7日までに、1日の予備日を加えて4日間のつもりで出掛けました。
博多で雨に祟られなかったことについて、某先生には「強運」と言われましたが、私が住む気仙沼より予報は当たりやすいだろうなぁ...という希望的観測と、まあ我が家の仏壇を通じて、亡き父と三母がお天気を遠隔操作してくれたのでしょう(^_^)v
実際は予備日を諦めた3日間でしたが、雨にだけは当たりませんでした。ただ、灼熱地獄でした(>_<)
帽子を忘れたので、安いのでも買いたいなぁ....と、祇園に有る泊まった宿のフロントに聞いた事から始まった、飾られた山笠の観光でした。川端通商店街も素敵な、元気な商店街と見ました(^_^)v
さて、ぜんざいを美味しく頂いたので、そろそろ再開です。
(写真はクリックすると大きくなります)
川端ぜんざい広場を川側に通り抜けたら、素敵な川端が広がっていました。博多川です。
綺麗に整備されています。川向かいが中州、左奥が上流方向です。
右側です。右奥が下流。時間が有れば下りたかったのですが....(>_<)
さあ、商店街に戻りましょう。
中洲川端駅方向に進んだら、楽しい帽子がいっぱい並んでいました。お店はネーム刺繍店とあります。刺繍の技術を活かしたのでしょう。一つ一つ表情が皆違うのでオリジナルなのかも(^_^)v
もう少し進んだら....十四番山笠でした。
「蘇我の夜討ち」です。
見送りは世界水泳福岡。
なんと松岡修造さん(左下)(^_^;) しばらく見ない内にタレントになったのですね。
そろそろ商店街が終わります。通り西端の出入り口です。事前の調べも無いし、向こうに見える建物の下に駅が有るようなので、そちらに渡りますが、帰路に見たら、ここの右後ろ、商店街の中にも地下鉄の出入口が有ったのですね(>_<)
まあ、気付かなかった為に、もう少しの展開が待ち受けていました(^_^;)
取り敢えずアーケードが切れた所で振り返り、パチリ。
渡ろうと信号待ちをしていたら、右側にお座りしていたのが川上音二郎でした。若い方はご存じないかも知れません。明治の中期、世情を風刺したオッペケペー節を歌った御方。自由民権運動。
残念ながら刻まれた歌詞は、黒い塗料が一部剥げています。が、大凡のことはお分かりになるかと。
音二郎...といえば音ちゃん。あっ、石巻市の旧北上川中州に有った、江戸時代から続くという見世物小屋改め岡田劇場に居たスタッフです(^_^;)
岡田劇場はイオンに出来た映画館....という時代の波に揉まれ、東日本大震災では劇場自体も流され....(>_<) 音ちゃんや社長さんも流されたけど何とか助かり、興行はしているようですが、イオンという壁も有り、映画館再建はどうなったのかなぁ...。
信号を2つ3つ待って向かいのビルを見たら、エスカレーターホールの前に背の高いテントが...。怪しい...(^_^;)
向かいのビルは「博多リバレインモール by TAKASHIMAYA」でした。次回は美術館でも見たいです。
二番山笠 大黒流でした。こちらは高さが無いので担ぐ「舁山(かきやま)」でしょうか。
でも、どうやら後ろです(^_^;) 京都祇園祭山鉾は後ろに下げる織物等を「見送り」と言っているようですが、博多では単に後ろを見送りと言っているようです。まあ表側に回ります。
じゃーん、大黒様(^_^)v
エスカレーターホールを背にして左側を見たら、遠くにまたまた怪しいモノがありましたので拡大したら、一番山笠でした。
あっ、大変(>_<) 昼前に現着したかったのに、もう11時45分です(T_T)
名残惜しい川端通商店街にお別れを告げ、地下鉄への階段を下りました。さあ、任務遂行の為に急ぎまょう。昼時間ですが、食べるのは後回し(>_<)
今回旅行に際し、事前に気仙沼駅へ行って切符を買い求めようとしたら、丁度午後の休憩時間に、タッチの差で入ってしまいました。なので1つだけしか無い窓口は閉鎖。タッチの差なので20分間、ただ待ちます。うーん不便なまち(>_<)
不便なまちといえば、某爺が過日市立病院へ行ったら、「今日は予約でいっぱいだから」と帰された....、是非行きたいなら救急車だなぁと怒っていました。痛いから行くのに、初診なら診て欲しいし、次回から予約だよ....とやるべき。しかも、内科や整形外科等町医者が居る診療科は、まず町医者に行け....とばかりに初診料を超割高な何千円も取られる....とも話していました。
そういえば身近な知り合いは、胸が時々痛むので市立病院へ行き、総合受付で初診票を書いて出したら、(外の業者さんが総合受付をやっているので)苦慮していたのか暫くしてから呼ばれ、「直接外来窓口に行って受診したいと話して下さい」と話され、その外来窓口に行ったら、「当外来は予約制です。午後3時に電話して下さい」と受付さえもしてもらえなかったと(>_<) 市民の為の病院じゃなくなった(T_T)
この春だったか、何かの雑誌で、私が住む気仙沼市は「東北で2番目に住みよい街」だと載っていたそうな。私はそのような雑誌は買わないけど。
勿論雑誌社ではそれなりの項目で評価しているのでしょうけれど、実際は単にそれだけのこと。
何日かは忘れたけど、4月か5月の聖教新聞、最後の面に某先生が統計数字の読み方について書いていました。「数字にはバイアスが掛かっている」と。
気仙沼市では隣市にならい、公民館の市民センター化を進めるという。これは大都市の市民センターではなく、簡単に言えば公民館の管理を単に外注(指定管理)すること。隣市は先進地だと。でも、私が以前見た隣市の「公民館」は、地域の自治会館みたいな小規模のものも有りました。
このような小さなものと、言わば旧町村単位で設置されている気仙沼市の公民館とは、同一に比べられないと思います。でも、公民館という名前の建物は、数字上小さくても大きくても1つは1つです。
しっかりとした検証が足らない数字が表に出、その数字が一人歩きする場合があります。その数字、いや数字のみに限らず、目の前にある物事が本当に正しいのか、行動を起こす前に一度や二度叩いてみることをお勧めします。
ウクライナを始めとする戦争や紛争、強圧政治が終わり、世界中で平和を満喫出来る日が早く来ることを祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m
帽子を買いに行ったら...博多祇園山笠(前編) 20230706 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
昨日7月7日は大変な蒸し暑さだと、ヨコミー奥様のおリュウさんが宣っていた。居なくて良かった...(^_^;) ただヨコミー、今日はなんとか過ごせる蒸し暑さでした。
そして今日は山陰地方で大雨とか。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げますm(_ _)m
ところで表題にもあるように、急に博多へ行ってきました。懸案の任務が有り、遂行する為(>_<) 決して、観光ではありません。諸用が散在する日程とお天気をみて5日に発ち、当初は今日8日帰宅の予定でしたが、1日早めて....というか処理出来なかったので仕方無く....(T_T)
でも、この期間に設定して幸いでした。いつも、水が染み込む安いボロスニーカーなので、作業着屋さんで安く売っている防水のスニーカーみたいな安全靴を出発前日に仕入れようとしたら、定休日(T_T) まあ3日間、途中の新幹線車内で雨を見た位で、ヨコミーが博多へ着いてからは....もっとも寝ていたときは知りませんが、幸いに雨に縁の無い3日間でした。ヨコミー家仏壇に居る三母に感謝m(_ _)m
ところが博多へ着いたら灼熱の地獄(>_<)(T_T) 満州やシベリアを経たDNAを頂いているヨコミーには耐えられません。肌着は山用の汗を吸い出すやつを着ていましたが、帽子を忘れました(>_<)
100均に何か有れば買いたいなぁ....と、祇園に有る泊まる宿のフロントに聞いたら、川端通商店街に有ることを教えられ、国体道路に出て、西へ進みました。地図を見たら小さな路地の先に有るようです。
先ずは目立つこれから(^_^;) 歌舞伎十八番押戻の場面を表した八番山笠です。
時は若干遡り国体道路から、やや疲れて小さな路地に入りました。主に飲食店が多い短めな路地を進んだら、向こうにアーケードの入口が見えました。
この路地は近道をしようと選んだモノで、ここの左裏、国体道路から分かれた「ぎなん通り」が商店街に真っ直ぐ続く、より広い道です。念のため。
入口です。左の植え込みみたいなやつは、更に左の「ぎなん通り」から来る車を防ぐものでしょう。黄色いのが気になります(^_^;)
博多祇園山笠をイメージした看板でした。
早速入ろうと思ったら、手前右側に櫛田神社南神門が有りました。すみませんが、今回はパスですm(_ _)m
11時になりました。明るく、高い位置のアーケードは良いですね(^_^)v
段ボール箱がごちゃごちゃ.....と思ったら、ここが100円均一でした。200円の帽子を買いました。
まあまあ使えそうなので喜び、戻ろうとしたら....。
青果店です。安い柑橘類が無いかなぁ...と覗くと、1個100円、1袋3個398円の甘夏が(^_^;)
でも、これから出掛けるので買えません。聞けば営業は19時までと。うーん、なんとか時刻までには戻ろうと決意(^_^;)
祇園駅に戻り始めたら、商店街の先に、私が今日向かう方向に1駅だけ近い中洲川端駅が有ることが分かり、やはり商店街を突き抜けることにしました。
少し進んだら、このようなものが。「歌舞伎十八押戻し」を表した山笠です。本番まで、期間限定の展示なのでしょうけれど、ありがたや(^_^)v
「歌舞伎十八押戻し」の説明です。
主人公は先頭に挙げましたので、上に立つ白拍子を拡大。怖っ(>_<)
反対側は裏とは言わないのですね。「見送り」....なんて素敵な言葉ですね(^_^)v
その見送りが曾我兄弟の「外郎(ういろう)売り」を表したもの。長台詞を聴きたいです(^_^;)
外郎売りの場面が説明されています。
先程も有りましたが「走る飾り山笠」と有ります。特に15日は朝が早いですね(>_<) 京都の祇園祭山鉾巡行は押したり牽いたり優雅に進むのですが、「走る...」とは興味が有ります。でも、来年以降(^_^;)
紙屋さんです。いいなぁ。ヨコミーが住む気仙沼には、もう疾うに紙屋は消えました(>_<)
単に通り過ぎれば良かったのですが、やや過ぎ加減で振り向いたら「氷」の文字が(^_^;) 疲れたし...と思ったら、ぜんざいも有る(^_^)v 悩んで、疲れたので糖分と小豆を補給する為に、ぜんざい(^_^;)
で、中に入ったら源頼政鵺(ぬえ)退治を表した八番山笠。実物ではなく、8/10の大きさで忠実に製作されたとのこと。それにしても見事(^_^)v
八番山笠の説明です。
そして鵺退治の説明。下部が切れてすみませんm(_ _)m
源頼政を拡大してみました。凄い目(^_^;)
見送りは出雲之阿国(いずものおくに)です。
説明です。
左下が出雲阿国です。歌舞伎の始祖かと(^_^)v
ここでぜんざいを食べるので、小休止(^_^;)
ウクライナを始めとする戦争や紛争、強圧政治が終わり、世界中で平和を満喫出来る日が早く来ることを祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m
つづく。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
昨日7月7日は大変な蒸し暑さだと、ヨコミー奥様のおリュウさんが宣っていた。居なくて良かった...(^_^;) ただヨコミー、今日はなんとか過ごせる蒸し暑さでした。
そして今日は山陰地方で大雨とか。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げますm(_ _)m
ところで表題にもあるように、急に博多へ行ってきました。懸案の任務が有り、遂行する為(>_<) 決して、観光ではありません。諸用が散在する日程とお天気をみて5日に発ち、当初は今日8日帰宅の予定でしたが、1日早めて....というか処理出来なかったので仕方無く....(T_T)
でも、この期間に設定して幸いでした。いつも、水が染み込む安いボロスニーカーなので、作業着屋さんで安く売っている防水のスニーカーみたいな安全靴を出発前日に仕入れようとしたら、定休日(T_T) まあ3日間、途中の新幹線車内で雨を見た位で、ヨコミーが博多へ着いてからは....もっとも寝ていたときは知りませんが、幸いに雨に縁の無い3日間でした。ヨコミー家仏壇に居る三母に感謝m(_ _)m
ところが博多へ着いたら灼熱の地獄(>_<)(T_T) 満州やシベリアを経たDNAを頂いているヨコミーには耐えられません。肌着は山用の汗を吸い出すやつを着ていましたが、帽子を忘れました(>_<)
100均に何か有れば買いたいなぁ....と、祇園に有る泊まる宿のフロントに聞いたら、川端通商店街に有ることを教えられ、国体道路に出て、西へ進みました。地図を見たら小さな路地の先に有るようです。
先ずは目立つこれから(^_^;) 歌舞伎十八番押戻の場面を表した八番山笠です。
時は若干遡り国体道路から、やや疲れて小さな路地に入りました。主に飲食店が多い短めな路地を進んだら、向こうにアーケードの入口が見えました。
この路地は近道をしようと選んだモノで、ここの左裏、国体道路から分かれた「ぎなん通り」が商店街に真っ直ぐ続く、より広い道です。念のため。
入口です。左の植え込みみたいなやつは、更に左の「ぎなん通り」から来る車を防ぐものでしょう。黄色いのが気になります(^_^;)
博多祇園山笠をイメージした看板でした。
早速入ろうと思ったら、手前右側に櫛田神社南神門が有りました。すみませんが、今回はパスですm(_ _)m
11時になりました。明るく、高い位置のアーケードは良いですね(^_^)v
段ボール箱がごちゃごちゃ.....と思ったら、ここが100円均一でした。200円の帽子を買いました。
まあまあ使えそうなので喜び、戻ろうとしたら....。
青果店です。安い柑橘類が無いかなぁ...と覗くと、1個100円、1袋3個398円の甘夏が(^_^;)
でも、これから出掛けるので買えません。聞けば営業は19時までと。うーん、なんとか時刻までには戻ろうと決意(^_^;)
祇園駅に戻り始めたら、商店街の先に、私が今日向かう方向に1駅だけ近い中洲川端駅が有ることが分かり、やはり商店街を突き抜けることにしました。
少し進んだら、このようなものが。「歌舞伎十八押戻し」を表した山笠です。本番まで、期間限定の展示なのでしょうけれど、ありがたや(^_^)v
「歌舞伎十八押戻し」の説明です。
主人公は先頭に挙げましたので、上に立つ白拍子を拡大。怖っ(>_<)
反対側は裏とは言わないのですね。「見送り」....なんて素敵な言葉ですね(^_^)v
その見送りが曾我兄弟の「外郎(ういろう)売り」を表したもの。長台詞を聴きたいです(^_^;)
外郎売りの場面が説明されています。
先程も有りましたが「走る飾り山笠」と有ります。特に15日は朝が早いですね(>_<) 京都の祇園祭山鉾巡行は押したり牽いたり優雅に進むのですが、「走る...」とは興味が有ります。でも、来年以降(^_^;)
紙屋さんです。いいなぁ。ヨコミーが住む気仙沼には、もう疾うに紙屋は消えました(>_<)
単に通り過ぎれば良かったのですが、やや過ぎ加減で振り向いたら「氷」の文字が(^_^;) 疲れたし...と思ったら、ぜんざいも有る(^_^)v 悩んで、疲れたので糖分と小豆を補給する為に、ぜんざい(^_^;)
で、中に入ったら源頼政鵺(ぬえ)退治を表した八番山笠。実物ではなく、8/10の大きさで忠実に製作されたとのこと。それにしても見事(^_^)v
八番山笠の説明です。
そして鵺退治の説明。下部が切れてすみませんm(_ _)m
源頼政を拡大してみました。凄い目(^_^;)
見送りは出雲之阿国(いずものおくに)です。
説明です。
左下が出雲阿国です。歌舞伎の始祖かと(^_^)v
ここでぜんざいを食べるので、小休止(^_^;)
ウクライナを始めとする戦争や紛争、強圧政治が終わり、世界中で平和を満喫出来る日が早く来ることを祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m
つづく。
鳥海山までも見えた 八幡平後編 20230525 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
勿論、今は梅雨なので風の丘には強い西風は吹いていません。今日はマーゴのUちゃんと次男夫婦が来て賑やかな夕食そして花火を終え、帰って行きました。静かぁ(^_^;) でも、疲れました(>_<)
ようやくパソコンの前に座ったら、開けた窓から流れ込む風が心地よく感じました。でも暫くしたらやや寒くなり、清拭剤を薄めた水でタオルを絞り、汗が付いた上半身を拭き、長袖のTシャツを着ました。あっ、夕方早い内に風呂へは入ったのですよ(^_^;) 汗っかきなもので2回目の風呂も...とは思うのですが、その後のスキンケアは少ない方が良いので(^_^;)
6月もバタバタでした(>_<) 下旬になっていくらか時間が...と思えば梅の収穫、諸用や会議(>_<) 月末には急な案件も入り....。6月の更新は2回のみに(>_<)
そんな訳で早急に更新を...と思っても写真整理はまだまだ(>_<) なので、5月25日に八幡平へドラゴンアイを見に行った続編です。この蒸し暑い中、清涼剤として楽しんでください(^_^;)
(写真はクリックすると大きくなります)
中央奥が岩手山(2038m)。八幡平山頂直下にあるレストハウス駐車場から、岩手山の北側斜面を見ています。このコマは帰路に撮りました。
時は遡り、八幡平山頂(1613m)の櫓で10分ほど休み、八幡沼や見返峠に向けて歩き出しました。
2・3分も歩いたでしょうか、向こうに岩手山が見え出しました。14時56分です。
更にもう少し進んだら左手に広がる木々の間から八幡沼の一部が見えました。近いです(^_^)v
岩手山が更に顔を出してきたので、ちょいと拡大。左奥に霞む山は盛岡の南東にそびえる早池峰山(1917m)。ちなみにここから岩手山まで約18km、早池峰山までは70kmです。横幅はハイビジョンサイズにしています。
1分ほど進んだら右手にガマ沼が見えてきました。手前は雪が浮いています。ちなみに沼の水が流れ出すのは左奥からです。遊歩道の脇。
ガマ沼の手前側、北西部に当たりますが、拡大。いつ見ても興味深いです。ドラゴンアイには、人間の目にある虹彩(茶目)のように、中央に向かって数多くの筋が有りました。それは、ここで見られるように湖面より高い所から、雪が溶けた水が低い所へ流れ落ちた跡だと分かります。
奥の、明るい緑色も良いですね。これは藻ではなく、沈んだ雪が屈折反射、吸収等光の関係でこの色に見えているのだと思います。下手で見た、流れ出る水は綺麗でした。
不思議な箇所に出会いました。上の写真中央から左右で1/4程左、ほんのちょっと下がった辺りです。何でしょうか。
見れば3つか4つに裂けています。そして同心円状の波紋。爆弾の不発弾が落ちたとしても、爆弾後部の羽根に対して胴回りが細いです(^_^;) 趣味人が扱えるペンシルロケットでは雪を裂く程の重さは有るのでしようか。
ひょっとして、雪に閉じ込められた空気とか、固定から発生するメタンガスとかが浮いた雪の裏面に、下向きに凹んだ所を見つけて貯まり、それが厳冬期に周囲まですっかりと凍って圧縮され、春先になって上が薄くなって裏側からの圧力で同心円を作りながら多少膨らみ、ついには割れた...とするには、圧力が義理堅く、そこに留まっている必要が有ります。今日のような直ぐ近くに水が見える状態では、ガスはその辺りから逃げるでしょう。
裂けた所は厚いですね。そして同心円状の模様がくせ者。うーん、宿題っ(>_<)
ガマ沼の岸で見掛けるミネザクラは、今回の訪問が早過ぎたようで、全く咲いていませんでした。早そうなやつで、こんな感じ。
八幡沼です。私の背中方向にガマ沼が有ります。左の建物は避難小屋の陵雲荘。トイレが有ります。昨年、ここで泊まる....という方に出会いました。ここから滑り降りたいですが、止まれずにドボーンとか、途中の雪面に突然穴が開いて冷水の中に。おやめください(>_<)
奥のやや左、こんもりとした所は源太森(1595m)。
使ってるズームレンズの広角側は、フルサイズ換算で24mmという昔で言えば超広角ですが、八幡沼と岩手山のツーショットは対角線上でした(^_^;) 横幅はハイビジョンサイズにしています。
少し歩き出したら、遊歩道の脇にショウジョウバカマが居ました。可愛いです。
そして名残惜しいので、またまた八幡沼(^_^;) なんと木々の間から....
陵雲荘が見えました。こんなショットは盗撮とかのぞき見の世界ですね(^_^;)
もう少し歩いたら、見返峠に建つトイレの屋根が見えてきました。水洗です。
見返り峠です。私は2つの沼の間を通って左側から来ましたが、案内図上八幡沼の上を右に迂回するコースでは、案内図看板の向こう側からやって来ることになります。
ちなみに、レストハウス駐車場に有った山々の案内写真は、この見返峠から撮ったように記載されていますが、レストハウス付近や鳥海山を撮ってみた結果、もっと奥(東側)から撮っていることが判明しました。
広く南側をパチリ。左上は岩手山。右下の道路脇は無料駐車場。
そして更に右手。左下が無料駐車場、ほぼ中央がレストハウスと有料駐車場。ここから右手にやや登って進み、そして下って有料駐車場へ。更に無料駐車場まで下ります。遠い...(^_^;) そういえば駐車場へ届いたとき、ここから無料駐車場へ滑って行った猛者が複数居ました(>_<)
登るときも気になっていたのですが、ここでハッキリしました。有料駐車場右上に見えるピークの奥に高い山が見えました。
その前に岩手山の拡大です。山頂の右側には火口でしょうか大きく凹んだ地形が有り、山頂は左側の縁の一部です。その右、次に高いピークは凹んだ地形の向こう側で、右に来るにつれて緩く低くなっています。
この2月だったでしょうか、岩手山の、ここから見て裏側(南側)、もっと右手ですが網張温泉スキー場で滑っていたとき、第2リフトを降りる直前、右手に見える木々の間から荘厳とでも表現したら良いのか、高い雪山の北斜面が見え、ぞくりとしました(>_<) 岩手山だと思います。
何度もこのリフトを利用していますが、見えるとも思って居ないので注視もしないし、第一、雲が掛かっていたり雪が降っていて簡単には見えるものではありません。いつか紹介したいです。カシミール等の山岳ソフトを使える方にお助け頂ければ幸いですm(_ _)m
中央やや上、藤七温泉付近を拡大。下は無料駐車場。ヨコミー号は真ん中下、白い日産セレナです。
うーん、ここから下りたい(^_^;) でも、ゲレンデしか滑ったことが無い人が滑りきれるでしょうか。転がり落ちたら、下は笹のようですが、右に下ってしまったら道路に落ちて強打(>_<)
で、その鳥海山(2236m)です。直線で120km弱です。撮ったままの画像は明暗比が殆ど無い状態で、コントラストを高くしたら消えて....(>_<) なので暗めに処理したら、浮かび上がってきました。
有料駐車場に有る山案内写真によれば、山頂左下、手前の中括弧を横にしたようなピークの上に鳥海山が有りました。なので案内写真は、ここ見返峠より更に左(東)側で撮ったと言えるのです。また、案内は有料駐車場の更に右手に広がる山々も示していましたが、3枚上のコマでも分かる通り、手前に丘が在って見えません。
山形県の月山、新井満の組曲・月山でも知られる月山が、鳥海山の左側に見えると案内に有りましたので、いつかチャレンジしてみたいです。
見返峠から10分余りでレストハウスが見えてきました。あっ、時間は参考まで。なにせ撮影もしていますから(^_^;)
下る途中、右に白い柱が見えるのは、ドラゴンアイ等への分岐点。
レストハウスで土産物を買い、トイレを済ませて有料駐車場の端からパチリ。山頂は左上ですが見えません。山の中央に小さな三角が見えますが、見返峠のトイレです。この斜面、上手く右下に滑らないと、重大事故に(>_<) 転倒して意図しない真下へ落ちてしまうのが危険(>_<)
さあ、右に見える無料駐車場まで、もう一息です。道を歩き始めたら、側溝の向こう、積み重なった雪が溶け出している所に美味しそうなバッケ(フキノトウ)が顔を出していました。
下の駐車場で長靴を履き替え、ぬるんだお茶を飲み、帰路に就きました。
おおっと忘れ物です(^_^;) ドラゴンアイが変化する状況を説明した図が有料駐車場の端に有りました。開眼する日にズレは有るのでしょうけれど、今の状況からすれば何日後辺りに開眼する...という判断が出来るようで、今年私の見立ても当たりました(^_^;) 参考になります。
29日の夜が遅かったので、昨夜は夕食後、不覚にも茶の間で火の無いコタツで沈没(^_^;) 今夜も昼間の疲れで眠くなりました。午前中はキュウリの棚作り、午後は先に届けられたマーゴ・Uちゃんの見張りと散歩(^_^;) 本当に疲れました(>_<)
ウクライナを始めとする戦争・紛争、そして強権政治が早く終わり、世界中で平和を満喫出来る日が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
うーん、汗ばんできました(^_^;)
では(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
勿論、今は梅雨なので風の丘には強い西風は吹いていません。今日はマーゴのUちゃんと次男夫婦が来て賑やかな夕食そして花火を終え、帰って行きました。静かぁ(^_^;) でも、疲れました(>_<)
ようやくパソコンの前に座ったら、開けた窓から流れ込む風が心地よく感じました。でも暫くしたらやや寒くなり、清拭剤を薄めた水でタオルを絞り、汗が付いた上半身を拭き、長袖のTシャツを着ました。あっ、夕方早い内に風呂へは入ったのですよ(^_^;) 汗っかきなもので2回目の風呂も...とは思うのですが、その後のスキンケアは少ない方が良いので(^_^;)
6月もバタバタでした(>_<) 下旬になっていくらか時間が...と思えば梅の収穫、諸用や会議(>_<) 月末には急な案件も入り....。6月の更新は2回のみに(>_<)
そんな訳で早急に更新を...と思っても写真整理はまだまだ(>_<) なので、5月25日に八幡平へドラゴンアイを見に行った続編です。この蒸し暑い中、清涼剤として楽しんでください(^_^;)
(写真はクリックすると大きくなります)
中央奥が岩手山(2038m)。八幡平山頂直下にあるレストハウス駐車場から、岩手山の北側斜面を見ています。このコマは帰路に撮りました。
時は遡り、八幡平山頂(1613m)の櫓で10分ほど休み、八幡沼や見返峠に向けて歩き出しました。
2・3分も歩いたでしょうか、向こうに岩手山が見え出しました。14時56分です。
更にもう少し進んだら左手に広がる木々の間から八幡沼の一部が見えました。近いです(^_^)v
岩手山が更に顔を出してきたので、ちょいと拡大。左奥に霞む山は盛岡の南東にそびえる早池峰山(1917m)。ちなみにここから岩手山まで約18km、早池峰山までは70kmです。横幅はハイビジョンサイズにしています。
1分ほど進んだら右手にガマ沼が見えてきました。手前は雪が浮いています。ちなみに沼の水が流れ出すのは左奥からです。遊歩道の脇。
ガマ沼の手前側、北西部に当たりますが、拡大。いつ見ても興味深いです。ドラゴンアイには、人間の目にある虹彩(茶目)のように、中央に向かって数多くの筋が有りました。それは、ここで見られるように湖面より高い所から、雪が溶けた水が低い所へ流れ落ちた跡だと分かります。
奥の、明るい緑色も良いですね。これは藻ではなく、沈んだ雪が屈折反射、吸収等光の関係でこの色に見えているのだと思います。下手で見た、流れ出る水は綺麗でした。
不思議な箇所に出会いました。上の写真中央から左右で1/4程左、ほんのちょっと下がった辺りです。何でしょうか。
見れば3つか4つに裂けています。そして同心円状の波紋。爆弾の不発弾が落ちたとしても、爆弾後部の羽根に対して胴回りが細いです(^_^;) 趣味人が扱えるペンシルロケットでは雪を裂く程の重さは有るのでしようか。
ひょっとして、雪に閉じ込められた空気とか、固定から発生するメタンガスとかが浮いた雪の裏面に、下向きに凹んだ所を見つけて貯まり、それが厳冬期に周囲まですっかりと凍って圧縮され、春先になって上が薄くなって裏側からの圧力で同心円を作りながら多少膨らみ、ついには割れた...とするには、圧力が義理堅く、そこに留まっている必要が有ります。今日のような直ぐ近くに水が見える状態では、ガスはその辺りから逃げるでしょう。
裂けた所は厚いですね。そして同心円状の模様がくせ者。うーん、宿題っ(>_<)
ガマ沼の岸で見掛けるミネザクラは、今回の訪問が早過ぎたようで、全く咲いていませんでした。早そうなやつで、こんな感じ。
八幡沼です。私の背中方向にガマ沼が有ります。左の建物は避難小屋の陵雲荘。トイレが有ります。昨年、ここで泊まる....という方に出会いました。ここから滑り降りたいですが、止まれずにドボーンとか、途中の雪面に突然穴が開いて冷水の中に。おやめください(>_<)
奥のやや左、こんもりとした所は源太森(1595m)。
使ってるズームレンズの広角側は、フルサイズ換算で24mmという昔で言えば超広角ですが、八幡沼と岩手山のツーショットは対角線上でした(^_^;) 横幅はハイビジョンサイズにしています。
少し歩き出したら、遊歩道の脇にショウジョウバカマが居ました。可愛いです。
そして名残惜しいので、またまた八幡沼(^_^;) なんと木々の間から....
陵雲荘が見えました。こんなショットは盗撮とかのぞき見の世界ですね(^_^;)
もう少し歩いたら、見返峠に建つトイレの屋根が見えてきました。水洗です。
見返り峠です。私は2つの沼の間を通って左側から来ましたが、案内図上八幡沼の上を右に迂回するコースでは、案内図看板の向こう側からやって来ることになります。
ちなみに、レストハウス駐車場に有った山々の案内写真は、この見返峠から撮ったように記載されていますが、レストハウス付近や鳥海山を撮ってみた結果、もっと奥(東側)から撮っていることが判明しました。
広く南側をパチリ。左上は岩手山。右下の道路脇は無料駐車場。
そして更に右手。左下が無料駐車場、ほぼ中央がレストハウスと有料駐車場。ここから右手にやや登って進み、そして下って有料駐車場へ。更に無料駐車場まで下ります。遠い...(^_^;) そういえば駐車場へ届いたとき、ここから無料駐車場へ滑って行った猛者が複数居ました(>_<)
登るときも気になっていたのですが、ここでハッキリしました。有料駐車場右上に見えるピークの奥に高い山が見えました。
その前に岩手山の拡大です。山頂の右側には火口でしょうか大きく凹んだ地形が有り、山頂は左側の縁の一部です。その右、次に高いピークは凹んだ地形の向こう側で、右に来るにつれて緩く低くなっています。
この2月だったでしょうか、岩手山の、ここから見て裏側(南側)、もっと右手ですが網張温泉スキー場で滑っていたとき、第2リフトを降りる直前、右手に見える木々の間から荘厳とでも表現したら良いのか、高い雪山の北斜面が見え、ぞくりとしました(>_<) 岩手山だと思います。
何度もこのリフトを利用していますが、見えるとも思って居ないので注視もしないし、第一、雲が掛かっていたり雪が降っていて簡単には見えるものではありません。いつか紹介したいです。カシミール等の山岳ソフトを使える方にお助け頂ければ幸いですm(_ _)m
中央やや上、藤七温泉付近を拡大。下は無料駐車場。ヨコミー号は真ん中下、白い日産セレナです。
うーん、ここから下りたい(^_^;) でも、ゲレンデしか滑ったことが無い人が滑りきれるでしょうか。転がり落ちたら、下は笹のようですが、右に下ってしまったら道路に落ちて強打(>_<)
で、その鳥海山(2236m)です。直線で120km弱です。撮ったままの画像は明暗比が殆ど無い状態で、コントラストを高くしたら消えて....(>_<) なので暗めに処理したら、浮かび上がってきました。
有料駐車場に有る山案内写真によれば、山頂左下、手前の中括弧を横にしたようなピークの上に鳥海山が有りました。なので案内写真は、ここ見返峠より更に左(東)側で撮ったと言えるのです。また、案内は有料駐車場の更に右手に広がる山々も示していましたが、3枚上のコマでも分かる通り、手前に丘が在って見えません。
山形県の月山、新井満の組曲・月山でも知られる月山が、鳥海山の左側に見えると案内に有りましたので、いつかチャレンジしてみたいです。
見返峠から10分余りでレストハウスが見えてきました。あっ、時間は参考まで。なにせ撮影もしていますから(^_^;)
下る途中、右に白い柱が見えるのは、ドラゴンアイ等への分岐点。
レストハウスで土産物を買い、トイレを済ませて有料駐車場の端からパチリ。山頂は左上ですが見えません。山の中央に小さな三角が見えますが、見返峠のトイレです。この斜面、上手く右下に滑らないと、重大事故に(>_<) 転倒して意図しない真下へ落ちてしまうのが危険(>_<)
さあ、右に見える無料駐車場まで、もう一息です。道を歩き始めたら、側溝の向こう、積み重なった雪が溶け出している所に美味しそうなバッケ(フキノトウ)が顔を出していました。
下の駐車場で長靴を履き替え、ぬるんだお茶を飲み、帰路に就きました。
おおっと忘れ物です(^_^;) ドラゴンアイが変化する状況を説明した図が有料駐車場の端に有りました。開眼する日にズレは有るのでしょうけれど、今の状況からすれば何日後辺りに開眼する...という判断が出来るようで、今年私の見立ても当たりました(^_^;) 参考になります。
29日の夜が遅かったので、昨夜は夕食後、不覚にも茶の間で火の無いコタツで沈没(^_^;) 今夜も昼間の疲れで眠くなりました。午前中はキュウリの棚作り、午後は先に届けられたマーゴ・Uちゃんの見張りと散歩(^_^;) 本当に疲れました(>_<)
ウクライナを始めとする戦争・紛争、そして強権政治が早く終わり、世界中で平和を満喫出来る日が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
うーん、汗ばんできました(^_^;)
では(^_^)v