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桜三昧でした 滝桜の帰路も 20240411 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘の季節風は花散らしの風となり、桜の花びらを吹き飛ばしました。
ところがヨコミー、各種総会等で忙しいのに、なんと風邪気味(>_<) 相変わらず熱は無く、そこそこの咳と痰。鼻水も少々。鼻をかんでいるため?か耳に圧力が掛かり、嫌な感じ。これはダイビングしているときにやる耳抜きをすれば治るのですが、ヨコミーは普通なら鼻を摘ままないで簡単に解消出来るのですが、今は鼻の調子か耳の調子が悪いらしく、仕方無く鼻を摘まんで。なので、風邪症状でもメインは鼻か耳かも知れません。
そんな訳で月イチ半日のバイトも終えたのに、写真整理に力が入りません(>_<)
ナノで、今回は短編で....と思ったら簡単じゃなかった(^_^;)
今回も先頭は見映えしそうなコマから(^_^;) 二本松市東部に有る中島の地蔵桜(紅枝垂れ桜)です。4月11日14時過ぎの撮影です。
時間は遡り...。この日は午前早めに三春町の滝桜を堪能し、田園生活館で早めのお昼を食べ、田村市船引町に有る「仲森の紅枝垂れ桜」に向かいました。正午直後の撮影です。
三春町から北東に向かう県道50号の左側。この左手に染井吉野の様な巨木が、右続きには小振りながら形の良い枝垂れ桜が有り、こちらはやや遅く咲くようです。
拡大です。
国道349号に出、暫し北上すると左手に道の駅さくらの郷が有り、100mも過ぎると左手に新殿神社が有ります。鳥居の上が岩桜、左奥は道の駅裏手です。
逆光気味なので右手に回り込みました。これは枝垂れじゃないですね。
拡大です。
こんな看板が有りました。
岩桜の右隣に有る「福田寺の糸桜(紅枝垂れ)」で、これは三春町に有る滝桜の子供とか。
拡大です。次に出てくる「合戦場の枝垂れ桜」の母とも言われています。
二本松市東部、国道459号南側に見える「合戦場の枝垂れ桜」です。福田寺から車で2分3分程度。
花が少ないですが、病気のため治療中とか。右手黄色く染まった丘の上に大駐車場が有り、ここからの眺めも良いです。黄色の右にも色良い桜が有るのですが、電線(>_<)
血管の末梢が消えるみたいに....(T_T) 早く元気になって欲しいものです。募金しました(^_^;)
南側の窪地です。国道は左手。ここの右手から遊歩道「いわしろさくら回廊」が始まり、向かいへ。そこにも駐車場も有ります。そして遊歩道は下り、福田寺を経由して新殿神社、そして道の駅さくらの郷へと続きます。
なんと、次に行く「中島の地蔵桜」の看板が合戦場の駐車場に有りました。
中島の地蔵桜です。国道349号を北上。二本松市東和町の文化センターを過ぎると看板が有り、右折して東に緩く登ります。花の時期なら国道から見えます。
このカットは西向き。なので右端の車は国道から入ってきた車です。
手前、下側から撮ると西側の水面に花が映ります。この記事の先頭に載せた写真は、南側の水面に映しています。
地球のどこに居ても、花々を愛でる事が出来る平和な世界が実現することを祈り、本日もお終いとしますm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘の季節風は花散らしの風となり、桜の花びらを吹き飛ばしました。
ところがヨコミー、各種総会等で忙しいのに、なんと風邪気味(>_<) 相変わらず熱は無く、そこそこの咳と痰。鼻水も少々。鼻をかんでいるため?か耳に圧力が掛かり、嫌な感じ。これはダイビングしているときにやる耳抜きをすれば治るのですが、ヨコミーは普通なら鼻を摘ままないで簡単に解消出来るのですが、今は鼻の調子か耳の調子が悪いらしく、仕方無く鼻を摘まんで。なので、風邪症状でもメインは鼻か耳かも知れません。
そんな訳で月イチ半日のバイトも終えたのに、写真整理に力が入りません(>_<)
ナノで、今回は短編で....と思ったら簡単じゃなかった(^_^;)
今回も先頭は見映えしそうなコマから(^_^;) 二本松市東部に有る中島の地蔵桜(紅枝垂れ桜)です。4月11日14時過ぎの撮影です。
時間は遡り...。この日は午前早めに三春町の滝桜を堪能し、田園生活館で早めのお昼を食べ、田村市船引町に有る「仲森の紅枝垂れ桜」に向かいました。正午直後の撮影です。
三春町から北東に向かう県道50号の左側。この左手に染井吉野の様な巨木が、右続きには小振りながら形の良い枝垂れ桜が有り、こちらはやや遅く咲くようです。
拡大です。
国道349号に出、暫し北上すると左手に道の駅さくらの郷が有り、100mも過ぎると左手に新殿神社が有ります。鳥居の上が岩桜、左奥は道の駅裏手です。
逆光気味なので右手に回り込みました。これは枝垂れじゃないですね。
拡大です。
こんな看板が有りました。
岩桜の右隣に有る「福田寺の糸桜(紅枝垂れ)」で、これは三春町に有る滝桜の子供とか。
拡大です。次に出てくる「合戦場の枝垂れ桜」の母とも言われています。
二本松市東部、国道459号南側に見える「合戦場の枝垂れ桜」です。福田寺から車で2分3分程度。
花が少ないですが、病気のため治療中とか。右手黄色く染まった丘の上に大駐車場が有り、ここからの眺めも良いです。黄色の右にも色良い桜が有るのですが、電線(>_<)
血管の末梢が消えるみたいに....(T_T) 早く元気になって欲しいものです。募金しました(^_^;)
南側の窪地です。国道は左手。ここの右手から遊歩道「いわしろさくら回廊」が始まり、向かいへ。そこにも駐車場も有ります。そして遊歩道は下り、福田寺を経由して新殿神社、そして道の駅さくらの郷へと続きます。
なんと、次に行く「中島の地蔵桜」の看板が合戦場の駐車場に有りました。
中島の地蔵桜です。国道349号を北上。二本松市東和町の文化センターを過ぎると看板が有り、右折して東に緩く登ります。花の時期なら国道から見えます。
このカットは西向き。なので右端の車は国道から入ってきた車です。
手前、下側から撮ると西側の水面に花が映ります。この記事の先頭に載せた写真は、南側の水面に映しています。
地球のどこに居ても、花々を愛でる事が出来る平和な世界が実現することを祈り、本日もお終いとしますm(_ _)m
満開でした 三春町滝桜 20240411 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘に吹く強風は、最近はちょっと大人しい感じ。まあ、そんなときも有って良いでしょう(^_^)v
さて、今年も福島県三春町の滝桜を見てきました。4月11日です。満開(^_^)v 今年もタイミングを合わせるために日帰りとし、朝4時過ぎに起きたものの、いつものようにぐずぐずとした訳では有りませんが、出発は5時近くに成ってしまいました(>_<)
ガソリン代が高いのでスピードはやや控えめとし、上り坂での追越・追い抜きは禁止(^_^;) でも、何と言っても平日の高速代は高かったです(>_<)
まあ、町内に入ってコースを混雑しない道を選ぶなど頑張った甲斐が有り、駐車場入口には8時35分頃に到着。でも、そこからがちょっと渋滞(^_^;) 今まで来た内では1番か2番目の混み具合(>_<)
でも、まあ、良いのです。駐車場に無事駐められれば、今日の心配事は殆ど終わったようなものですから(^_^;)
いつものように写真が多いです。似たコマも有りますので、飛ばして見てください。観方の参考や、自分ならこう撮る....というような参考になれば幸いです。
先ずは色良き辺りの1コマ。午前10時の撮影です。滝桜はエドヒガン系紅枝垂れ桜で、樹齢1000年以上とか。
向かい側の小高い所から撮りました。左右対称に近いかなぁと思いましたが、向かって左側に枝が伸びているのが分かります。
時間は遡って、8時55分。道路向かいの駐車場から出てパチリ。左の駐車場はバス、バイク、タクシー用か。奥に並んでいる普通車は右奥へ。
道路を渡ると関所が(^_^;) 観楼料500円を支払い、更には土産物や飲食の関所も。まあ、後で(^_^;)
緩い登り坂。「門前町」のような誘惑の多い(^_^;)小径を登ります。
おおっ、見えてきました(^_^)v 左に「三角油揚げ」の「おおはたや」の出店(^_^;) ここも目的の一つです(*^_^*)
正面手前に菜の花が密生していてパチリ。
滝桜に対して真っ直ぐな小径が有るので「正面」と判断しました。ここから近付いて、反時計回りに進みます。
近付いて上の方を拡大気味にパチリ。
近くに下がっている枝を拡大。この辺りを見る限り蕾は無く、桜吹雪、いや花弁1枚2枚....とヒラヒラする様子さえ有りません。
ホームページで満開と伝えていましたが、今日14日分も確認したら、まだ満開(^_^;)
何処かでは8分咲きになったら「満開」とすると聞きましたが、別な所では散り始めたら「満開」とするとも聞きました(>_<)
各方面のご商売上、満開が長ければ長いほど良いのでしょうけれど、また満開じゃ無きゃ行かない訳でも無いのですが、正しい様子を知りたいです。「心して」行けますから(^_^;)
またまた見上げました。
少し離れて北東側から。あっ、方角はプラスマイナス10°近くの誤差はあります(>_<) 目感ですから(^_^;)
ちょっと引いて。
北北東からです。正面右手の後ろ....といった感じ。
北側、集会所の下辺りからパチリ。菜の花を入れると滝桜の下が隠れてしまいますが(^_^;)
滝桜裏、丘の上からパチリ。左端に、船引三春インターから駐車場へ向かう車列が見えます。大渋滞です。コースを選び、早く来た甲斐が有ります(^_^;) ちなみに駐車場は右奥です。
北西側からパチリ。正面から見れば、真後ろのやや左。
西北西からパチリ。右手に長く枝が伸びています。正面から見れば左手です。
これまで、もう少し良い構図も有ったのですが、手前には紫陽花のような下部がいくつも有って邪魔でした。
西側からです。車が更に渋滞です。向こうの道は駐車も停車も禁止です。
南西側からパチリ。更に青空が広がって来ました(^_^)v
南側です。
一昨年でしたね。記念事業で夜にライトアップされた際、マッピングというのか周回する小径に動く模様が投影され、それを踏みつけようとする子供が多く、照明等は有っても薄暗い中で急に方向を変えたりしてして、危険でした。
正面ほぼ向かい、1コマ目と同じ位置からの撮影です。広場の上と道路の間にトイレが有り、道路側と広場側に腰を掛けられる所が有ります。まあこちら側ならあちこちで腰を掛けられそうですが、屋根が有るので、降雨時や雨降り上がりでも大丈夫。
天気が良ければ、向こうの丘の上でも腰を掛けることが出来ます。
あれから3日経ちますが、当日は早起きしても昼寝は無し。帰路の居眠り防止にコーヒーを飲んで頑張った為か、無事には帰ってきたものの直ぐには寝付けず、それが響いてか未だ不調です(>_<) あっ、帰路は一般道でしたよ(^_^;) 経費節減(>_<)
まだ若いつもりでしたが....(^_^;) まあ最近鼻がちょっと痛くて、それが睡眠に響いているのでしょうか(>_<)
そんな訳で、世界の平和を祈り、本日は寝ますm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘に吹く強風は、最近はちょっと大人しい感じ。まあ、そんなときも有って良いでしょう(^_^)v
さて、今年も福島県三春町の滝桜を見てきました。4月11日です。満開(^_^)v 今年もタイミングを合わせるために日帰りとし、朝4時過ぎに起きたものの、いつものようにぐずぐずとした訳では有りませんが、出発は5時近くに成ってしまいました(>_<)
ガソリン代が高いのでスピードはやや控えめとし、上り坂での追越・追い抜きは禁止(^_^;) でも、何と言っても平日の高速代は高かったです(>_<)
まあ、町内に入ってコースを混雑しない道を選ぶなど頑張った甲斐が有り、駐車場入口には8時35分頃に到着。でも、そこからがちょっと渋滞(^_^;) 今まで来た内では1番か2番目の混み具合(>_<)
でも、まあ、良いのです。駐車場に無事駐められれば、今日の心配事は殆ど終わったようなものですから(^_^;)
いつものように写真が多いです。似たコマも有りますので、飛ばして見てください。観方の参考や、自分ならこう撮る....というような参考になれば幸いです。
先ずは色良き辺りの1コマ。午前10時の撮影です。滝桜はエドヒガン系紅枝垂れ桜で、樹齢1000年以上とか。
向かい側の小高い所から撮りました。左右対称に近いかなぁと思いましたが、向かって左側に枝が伸びているのが分かります。
時間は遡って、8時55分。道路向かいの駐車場から出てパチリ。左の駐車場はバス、バイク、タクシー用か。奥に並んでいる普通車は右奥へ。
道路を渡ると関所が(^_^;) 観楼料500円を支払い、更には土産物や飲食の関所も。まあ、後で(^_^;)
緩い登り坂。「門前町」のような誘惑の多い(^_^;)小径を登ります。
おおっ、見えてきました(^_^)v 左に「三角油揚げ」の「おおはたや」の出店(^_^;) ここも目的の一つです(*^_^*)
正面手前に菜の花が密生していてパチリ。
滝桜に対して真っ直ぐな小径が有るので「正面」と判断しました。ここから近付いて、反時計回りに進みます。
近付いて上の方を拡大気味にパチリ。
近くに下がっている枝を拡大。この辺りを見る限り蕾は無く、桜吹雪、いや花弁1枚2枚....とヒラヒラする様子さえ有りません。
ホームページで満開と伝えていましたが、今日14日分も確認したら、まだ満開(^_^;)
何処かでは8分咲きになったら「満開」とすると聞きましたが、別な所では散り始めたら「満開」とするとも聞きました(>_<)
各方面のご商売上、満開が長ければ長いほど良いのでしょうけれど、また満開じゃ無きゃ行かない訳でも無いのですが、正しい様子を知りたいです。「心して」行けますから(^_^;)
またまた見上げました。
少し離れて北東側から。あっ、方角はプラスマイナス10°近くの誤差はあります(>_<) 目感ですから(^_^;)
ちょっと引いて。
北北東からです。正面右手の後ろ....といった感じ。
北側、集会所の下辺りからパチリ。菜の花を入れると滝桜の下が隠れてしまいますが(^_^;)
滝桜裏、丘の上からパチリ。左端に、船引三春インターから駐車場へ向かう車列が見えます。大渋滞です。コースを選び、早く来た甲斐が有ります(^_^;) ちなみに駐車場は右奥です。
北西側からパチリ。正面から見れば、真後ろのやや左。
西北西からパチリ。右手に長く枝が伸びています。正面から見れば左手です。
これまで、もう少し良い構図も有ったのですが、手前には紫陽花のような下部がいくつも有って邪魔でした。
西側からです。車が更に渋滞です。向こうの道は駐車も停車も禁止です。
南西側からパチリ。更に青空が広がって来ました(^_^)v
南側です。
一昨年でしたね。記念事業で夜にライトアップされた際、マッピングというのか周回する小径に動く模様が投影され、それを踏みつけようとする子供が多く、照明等は有っても薄暗い中で急に方向を変えたりしてして、危険でした。
正面ほぼ向かい、1コマ目と同じ位置からの撮影です。広場の上と道路の間にトイレが有り、道路側と広場側に腰を掛けられる所が有ります。まあこちら側ならあちこちで腰を掛けられそうですが、屋根が有るので、降雨時や雨降り上がりでも大丈夫。
天気が良ければ、向こうの丘の上でも腰を掛けることが出来ます。
あれから3日経ちますが、当日は早起きしても昼寝は無し。帰路の居眠り防止にコーヒーを飲んで頑張った為か、無事には帰ってきたものの直ぐには寝付けず、それが響いてか未だ不調です(>_<) あっ、帰路は一般道でしたよ(^_^;) 経費節減(>_<)
まだ若いつもりでしたが....(^_^;) まあ最近鼻がちょっと痛くて、それが睡眠に響いているのでしょうか(>_<)
そんな訳で、世界の平和を祈り、本日は寝ますm(_ _)m
花見山そろそろ見頃かな 20240331 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘の南東側は国道45号が通る切り通し。その崖っぷちに毎年桜が咲いているのですが、今まで染井吉野とばかり思って居ました。その桜が、市内や近隣でも桜の開花が宣言されていない内に、3月末辺りから、なんとほころび始めたのです。染井吉野じゃ無い!?? 実は、ヨコミー家でも異変があり、2本有る暖地桜桃の内の1つが、その頃に咲き出しました。
桜前線の進行が思いのほか速くないようですが、それでも何やら異変があるようです。
それから「桜の開花宣言」ですが、多分このときの「桜」とは染井吉野だと思うのですが、単に「桜」ではなく、具体的に「染井吉野の開花宣言」としたいところ。そして「染井吉野の桜前線」と(^_^)v だって十月ザクラは前年の10月から咲くんですから(^_^;)
この季節になると、近年はどうしても出掛けたくなります。そう、やはり桜です。今年はヨコミー奥様のおリュウさんと、途中仙台に住む娘の仮名・春江ちゃんを拾った3人で、3月31日、福島市の花見山公園に行ってきました。
花見山公園は福島駅の東南東3km余の所に在り、駅前からバスで、マイカーの方は規制が有りますので、競馬場川向かいの河川敷駐車場からのシャトルバス利用となります。
先ずは目立つ、色よい写真から(^_^;) 花見山公園山頂を少し過ぎた所に在るオカメザクラです。
時間は少し遡ります。シャトルバスを降り、1分も歩いた所でパチリ。中央右上、白壁の家向こうに見える小山が花見山公園。少し歩きますが勾配は緩く、周囲を見回しながら飽きずに進むことが出来ます。
右手に小さな川が在り、沿って進むと間もなく橋を渡ります。支流と思われる更に小さな小川に沿うように進むと公園です。この小川は風情があるのか、娘があちこちで撮影しています。
そして帰路は向かって左手を下りてきます。
花見山の拡大です。三角お山のてっぺんに四阿が見えます。
左手に見えるのは手前に菜の花。その向こうは物産の広場。そして向こうの小山に菜の花や桜畑が広がっています。山の手前下は帰路の道。
こんな景色も(^_^)v いいですね(^_^;) メインの帰路は、やはり山裾。
小径の傍に色濃い桜が。オカメザクラ??
土佐ミズキも有りました。
東海桜? 桜の種類は難しいです(T_T)
公園入口手前には、右手に菜の花畑が広がっています。バックは桜の畑です。菜の花畑には通路が有り、立ち入って写真を撮るカップルも(^_^;)
公園入口です。所有者宅の前を通ります。自宅の花木山(畑)を開放してくれた所有者に感謝m(_ _)m
いつもなら左に見える時計の傍にある枝垂れ桜も多少咲いているのですが、今年は来るタイミングが早かったです。
右手に在る地図。30分、45分、1時間のコースが有ります。登りこそ多少つづら折りですが急ではなく、花や風景を楽しみながら、楽に登ることが出来ます。帰路は単純な下りです。
白梅がまだ綺麗に咲いています。
マンサクです。欲しい木の一つです(^_^;)
アンギョウザクラ。素敵な花です。
サンシュユ。春を感じる黄色い花(^_^)v
不詳の花。とても綺麗ですが、草花は全くの勉強不足です(T_T)
ちなみに昨日4月7日、マーゴのUちゃんが我が家に来て、家庭菜園に生える雑草みたいな花の名を2つ私に教えてくれました。5歳児(^_^;) 傍で聞いていたヨコミー奥様のおリュウさんが、正解だとビックリしていました。
幼子は2歳辺りから語彙爆発が有り、急激に学習すると。お猿のような生まれたばかりの姿が、段々と成長し、いろいろと覚えて行く姿に興味津々です。面白い(^_^;)
よーく育児放棄、虐待....などと聞きますが、親以外にも周囲ももっと目を掛けてあげるべきと思いますし、そういう環境にない家庭を早く察知し、適切な手を差し伸べる仕組みが欲しいです。前にも書きましたが、他の地域では民生委員さんが新たなバイトを探していた....と聞きガックリとし、政府の子育て政策に力が入っていないことを痛感します(>_<) ヨコミーは、今までの民生委員制度を廃止し、お給金を貰ってしっかりと働いて貰う仕組みが欲しいと思うのです。
フキノトウです。我が家ではもっと背が伸びても食べます(^_^;)
彼岸桜。
これも不詳花。綺麗ですね。先程のも含め、ご存じの方はご教示をm(_ _)m
東海桜。
花桃。
不詳の桜。彼岸桜??
ボケ。100km以上北に在るヨコミー家でも咲いています。
寒緋桜。色濃いですね。これも欲しい(^_^;)
所々で市街地が見えますが、これは山頂から。下からちょっと見えましたが、四阿や椅子が有り、休めます。
見渡せば市街地からこんなに近い所に「桃源郷」が(^_^)v 左手に吾妻小富士等福島市西側の山々が見えるのでしょうけれど、黄砂(>_<)
中央右側に黄色く見えるのは菜の花畑。次に拡大です。
菜の花畑の向こうに横長の建物と大きなテントが広がっています。ここは物産の広場。
その右向こう、白壁はトイレ、右は事務所。その右奥がバスの降車場。河川敷駐車場からも、福島駅からもバスが着くので、帰りのバスは間違えないように(^_^;)
行きは菜の花の左を流れる小川沿いに、帰路は手前の桜畑と菜の花の間を行きます。通りの右手には土産物屋さんが有ります。
広い範囲で更に右続き。右手前の黄色はレンギョウ。その上に菜の花で輪郭を作ったハートが見えます。
拡大してみましたが、ハートがちょっと目立ちません。来たのがやはり早かったようです。
彼岸桜。このように書いている名称は、札まで撮っているので間違いないですが、違う場所の彼岸桜とは若干違うような....。花が密生。開花が進むにつれて花柄が伸びれば、もう少しパラッと、他所の彼岸桜のようになるのでしょうか、近くに住み、じっくりと観察したいです(^_^;)
日向水木です。
山頂を向こう側に下る帰路の直ぐ左側は、十月桜の並木道。食べ物も薄味好みとなったヨコミー、清楚な感じが好きです(^_^)v でも、色濃い寒緋桜も好きなのですよ(^_^;)
この桜は10月から咲いていると(^_^)v モノを知らない人が、何処かでこの花を見れば、「あっ、桜がもう咲いている! 今年の桜の開花は早いなぁ...」となるのでしょう。それが3月の初旬であっても(>_<)
今日7日お昼のNHKニュースでも「山形市で桜が開花した」と報じていました。山形でも、もっと早く咲いていた桜が有ることでしょう。紛らわしい(>_<)
日本人は言葉を省略することが好きなようで、究極はKY(^_^;) でも、省略したり掘り下げが足らないので、安倍政権時代の2014年、安倍総理は従来から自民党が守ってきた憲法解釈を、海外でも戦争が出来るよう閣議決定のみで変更したという弊害も(>_<) 法律によっては1つ1つ解説する逐条解説等の本も有りますが、まだまだ規定の曖昧な法律も有るようです。
あっ、法律ではありませんでした(>_<) 「桜」です。やはり具体的に「染井吉野の開花」とか「染井吉野の開花前線」と報じて欲しいですね(^_^)v
最初に掲載したオカメザクラの拡大です。十月桜に続いての並木道です。
色が濃いのでヨコミーも苗を購入し、植えていましたが、ここ2年か、花が付きません(>_<)
ミヤビザクラです。来るのがまだ早かったです。
下ると所有者宅前庭の奥に出、感謝して通り過ぎます。ここで、花が付いた東海桜等の枝をプレゼントしていました。
花見山公園を出ての帰路、余所様のお宅で咲いている八重咲きの椿をパチリ。八重も欲しいな(^_^;)
帰路の右手に野仏。
行きに左手に見えた小山です。時間の有る方は登ってみてください。一昨年登った際は小さな出店もあり、素敵なお姉さんから色々とお話を聞くことが出来ました。あっ、おリュウさんも一緒でしたよ(^_^;)
拡大してみました。四阿の右には「茅の輪くぐり」ではありませんが、桜の細い枝で作ったハートがあります。
土産物、蕎麦や団子、苗木の他、足湯も有りました。なのでヨコミーは蕎麦、娘はお団子を食べながら足湯(^_^;) タオルは小さいのを買い求め、足を拭きました。
足湯が有るお店の入口で。娘のお気に入りです(^_^)v うーん、そんなモノを可愛がっていないで、早くお嫁に行けっ(^_^;)
バス乗り場が近くなってきました。物産の広場で土産を買い、下で待っていたバスに飛び乗り、帰路に就きました。
先程聞いたところでは、花見山は染井吉野も咲き始めたと。お暇な方は勿論、お仕事の方もたまにはずる休みをしてでも、「桃源郷」を見る価値はあります(^_^;)
ちなみに新大阪駅から福島駅まで新幹線で4時間余り。十分な「日帰り」区域(^_^)v 花見山公園多目的広場まで直通で行ける臨時バス「花見山号」は、福島駅東口から約20分間隔で走っています。バスは往復500円で、乗車時間は約15分。
花見山は、あなたを待っています(^_^)v
仕事をずる休みしてでも行ける「平和」が、世界隅々まで広がることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘の南東側は国道45号が通る切り通し。その崖っぷちに毎年桜が咲いているのですが、今まで染井吉野とばかり思って居ました。その桜が、市内や近隣でも桜の開花が宣言されていない内に、3月末辺りから、なんとほころび始めたのです。染井吉野じゃ無い!?? 実は、ヨコミー家でも異変があり、2本有る暖地桜桃の内の1つが、その頃に咲き出しました。
桜前線の進行が思いのほか速くないようですが、それでも何やら異変があるようです。
それから「桜の開花宣言」ですが、多分このときの「桜」とは染井吉野だと思うのですが、単に「桜」ではなく、具体的に「染井吉野の開花宣言」としたいところ。そして「染井吉野の桜前線」と(^_^)v だって十月ザクラは前年の10月から咲くんですから(^_^;)
この季節になると、近年はどうしても出掛けたくなります。そう、やはり桜です。今年はヨコミー奥様のおリュウさんと、途中仙台に住む娘の仮名・春江ちゃんを拾った3人で、3月31日、福島市の花見山公園に行ってきました。
花見山公園は福島駅の東南東3km余の所に在り、駅前からバスで、マイカーの方は規制が有りますので、競馬場川向かいの河川敷駐車場からのシャトルバス利用となります。
先ずは目立つ、色よい写真から(^_^;) 花見山公園山頂を少し過ぎた所に在るオカメザクラです。
時間は少し遡ります。シャトルバスを降り、1分も歩いた所でパチリ。中央右上、白壁の家向こうに見える小山が花見山公園。少し歩きますが勾配は緩く、周囲を見回しながら飽きずに進むことが出来ます。
右手に小さな川が在り、沿って進むと間もなく橋を渡ります。支流と思われる更に小さな小川に沿うように進むと公園です。この小川は風情があるのか、娘があちこちで撮影しています。
そして帰路は向かって左手を下りてきます。
花見山の拡大です。三角お山のてっぺんに四阿が見えます。
左手に見えるのは手前に菜の花。その向こうは物産の広場。そして向こうの小山に菜の花や桜畑が広がっています。山の手前下は帰路の道。
こんな景色も(^_^)v いいですね(^_^;) メインの帰路は、やはり山裾。
小径の傍に色濃い桜が。オカメザクラ??
土佐ミズキも有りました。
東海桜? 桜の種類は難しいです(T_T)
公園入口手前には、右手に菜の花畑が広がっています。バックは桜の畑です。菜の花畑には通路が有り、立ち入って写真を撮るカップルも(^_^;)
公園入口です。所有者宅の前を通ります。自宅の花木山(畑)を開放してくれた所有者に感謝m(_ _)m
いつもなら左に見える時計の傍にある枝垂れ桜も多少咲いているのですが、今年は来るタイミングが早かったです。
右手に在る地図。30分、45分、1時間のコースが有ります。登りこそ多少つづら折りですが急ではなく、花や風景を楽しみながら、楽に登ることが出来ます。帰路は単純な下りです。
白梅がまだ綺麗に咲いています。
マンサクです。欲しい木の一つです(^_^;)
アンギョウザクラ。素敵な花です。
サンシュユ。春を感じる黄色い花(^_^)v
不詳の花。とても綺麗ですが、草花は全くの勉強不足です(T_T)
ちなみに昨日4月7日、マーゴのUちゃんが我が家に来て、家庭菜園に生える雑草みたいな花の名を2つ私に教えてくれました。5歳児(^_^;) 傍で聞いていたヨコミー奥様のおリュウさんが、正解だとビックリしていました。
幼子は2歳辺りから語彙爆発が有り、急激に学習すると。お猿のような生まれたばかりの姿が、段々と成長し、いろいろと覚えて行く姿に興味津々です。面白い(^_^;)
よーく育児放棄、虐待....などと聞きますが、親以外にも周囲ももっと目を掛けてあげるべきと思いますし、そういう環境にない家庭を早く察知し、適切な手を差し伸べる仕組みが欲しいです。前にも書きましたが、他の地域では民生委員さんが新たなバイトを探していた....と聞きガックリとし、政府の子育て政策に力が入っていないことを痛感します(>_<) ヨコミーは、今までの民生委員制度を廃止し、お給金を貰ってしっかりと働いて貰う仕組みが欲しいと思うのです。
フキノトウです。我が家ではもっと背が伸びても食べます(^_^;)
彼岸桜。
これも不詳花。綺麗ですね。先程のも含め、ご存じの方はご教示をm(_ _)m
東海桜。
花桃。
不詳の桜。彼岸桜??
ボケ。100km以上北に在るヨコミー家でも咲いています。
寒緋桜。色濃いですね。これも欲しい(^_^;)
所々で市街地が見えますが、これは山頂から。下からちょっと見えましたが、四阿や椅子が有り、休めます。
見渡せば市街地からこんなに近い所に「桃源郷」が(^_^)v 左手に吾妻小富士等福島市西側の山々が見えるのでしょうけれど、黄砂(>_<)
中央右側に黄色く見えるのは菜の花畑。次に拡大です。
菜の花畑の向こうに横長の建物と大きなテントが広がっています。ここは物産の広場。
その右向こう、白壁はトイレ、右は事務所。その右奥がバスの降車場。河川敷駐車場からも、福島駅からもバスが着くので、帰りのバスは間違えないように(^_^;)
行きは菜の花の左を流れる小川沿いに、帰路は手前の桜畑と菜の花の間を行きます。通りの右手には土産物屋さんが有ります。
広い範囲で更に右続き。右手前の黄色はレンギョウ。その上に菜の花で輪郭を作ったハートが見えます。
拡大してみましたが、ハートがちょっと目立ちません。来たのがやはり早かったようです。
彼岸桜。このように書いている名称は、札まで撮っているので間違いないですが、違う場所の彼岸桜とは若干違うような....。花が密生。開花が進むにつれて花柄が伸びれば、もう少しパラッと、他所の彼岸桜のようになるのでしょうか、近くに住み、じっくりと観察したいです(^_^;)
日向水木です。
山頂を向こう側に下る帰路の直ぐ左側は、十月桜の並木道。食べ物も薄味好みとなったヨコミー、清楚な感じが好きです(^_^)v でも、色濃い寒緋桜も好きなのですよ(^_^;)
この桜は10月から咲いていると(^_^)v モノを知らない人が、何処かでこの花を見れば、「あっ、桜がもう咲いている! 今年の桜の開花は早いなぁ...」となるのでしょう。それが3月の初旬であっても(>_<)
今日7日お昼のNHKニュースでも「山形市で桜が開花した」と報じていました。山形でも、もっと早く咲いていた桜が有ることでしょう。紛らわしい(>_<)
日本人は言葉を省略することが好きなようで、究極はKY(^_^;) でも、省略したり掘り下げが足らないので、安倍政権時代の2014年、安倍総理は従来から自民党が守ってきた憲法解釈を、海外でも戦争が出来るよう閣議決定のみで変更したという弊害も(>_<) 法律によっては1つ1つ解説する逐条解説等の本も有りますが、まだまだ規定の曖昧な法律も有るようです。
あっ、法律ではありませんでした(>_<) 「桜」です。やはり具体的に「染井吉野の開花」とか「染井吉野の開花前線」と報じて欲しいですね(^_^)v
最初に掲載したオカメザクラの拡大です。十月桜に続いての並木道です。
色が濃いのでヨコミーも苗を購入し、植えていましたが、ここ2年か、花が付きません(>_<)
ミヤビザクラです。来るのがまだ早かったです。
下ると所有者宅前庭の奥に出、感謝して通り過ぎます。ここで、花が付いた東海桜等の枝をプレゼントしていました。
花見山公園を出ての帰路、余所様のお宅で咲いている八重咲きの椿をパチリ。八重も欲しいな(^_^;)
帰路の右手に野仏。
行きに左手に見えた小山です。時間の有る方は登ってみてください。一昨年登った際は小さな出店もあり、素敵なお姉さんから色々とお話を聞くことが出来ました。あっ、おリュウさんも一緒でしたよ(^_^;)
拡大してみました。四阿の右には「茅の輪くぐり」ではありませんが、桜の細い枝で作ったハートがあります。
土産物、蕎麦や団子、苗木の他、足湯も有りました。なのでヨコミーは蕎麦、娘はお団子を食べながら足湯(^_^;) タオルは小さいのを買い求め、足を拭きました。
足湯が有るお店の入口で。娘のお気に入りです(^_^)v うーん、そんなモノを可愛がっていないで、早くお嫁に行けっ(^_^;)
バス乗り場が近くなってきました。物産の広場で土産を買い、下で待っていたバスに飛び乗り、帰路に就きました。
先程聞いたところでは、花見山は染井吉野も咲き始めたと。お暇な方は勿論、お仕事の方もたまにはずる休みをしてでも、「桃源郷」を見る価値はあります(^_^;)
ちなみに新大阪駅から福島駅まで新幹線で4時間余り。十分な「日帰り」区域(^_^)v 花見山公園多目的広場まで直通で行ける臨時バス「花見山号」は、福島駅東口から約20分間隔で走っています。バスは往復500円で、乗車時間は約15分。
花見山は、あなたを待っています(^_^)v
仕事をずる休みしてでも行ける「平和」が、世界隅々まで広がることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
春の訪れ 墓参 20240317 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘には時折、もの凄い強風が吹いています(>_<) まあ、常に吹くなら風力発電も考えなくては成りませんが(^_^;)
春のお彼岸に入った3月17日は、参るべき4つの内2カ所の墓参に行きました。
先ずは目立つ写真から(^_^;) 気仙沼市鹿折地区に在る興福寺の四季ザクラです。
鹿折地区は、昭和20年代終わりに旧・気仙沼町と合併した鹿折町です。旧・気仙沼町の凡そ北隣。あの震災による大津波で海岸から600m余り離れた駅前に300tもの船が打ち上げられた所。そこから3km弱川上に入った山間に興福寺は在ります。
ここの四季ザクラはこの時期、華やかな位の花数は有りませんが清楚に咲き、ヨコミーのお気に入りです。和尚さんから「名前は四季でも夏は咲かないよ」と聴いています(^_^;)
興福寺の門前です。左に樹齢400年余といわれる10本の大杉が在ります。
興福寺です。奥のやや右に見える緑色の葉が茂った木の裏側に四季ザクラが在ります。
境内に白い梅の花が咲いていました。品種なのか、日当たりがやや悪いためか、咲き具合はやや遅いようです。
墓地にはムクゲの花が咲いていました(^_^;) 花の季節じゃないので花がらかと思ったら、種がはじけた後の姿でした。ちょっと見には本当の花のように見えます。まだまだ寒くて花が少ない東北の墓地には、色合いは少ないモノの貴重な「花」です(^_^;)
墓地の上、少し遠い所で咲いていますが、マンサクかと思います。春ですね。
次に向かったのは市内階上(はしかみ。旧・階上村)地区最知(さいち)に在る海蔵寺です。右手前に見えるのは...
サンシュユです。綺麗ですね。ヨコミー家のサンシュユよりも早く咲いたようです。
墓地からの眺めです。奥に見えるのは気仙沼の大島。小高い山は亀山です。亀山の右手裏側に、キャンプ場も備えた休暇村気仙沼大島が在ります。遊びに来ませんか(^_^)v 亀山左側の裾で、左手前の杉林に隠れる辺りに大島大橋が見えます。
亀山方向を拡大してみました。春霞か花粉か知りませんが、ちょっと霞んでいます。
左の高い所が山頂。その下にレストハウスと無料休憩所が有ります。レストハウスと汽船発着所(右手赤白クレーンの右奥)が在る浦の浜とはリフトで結んでいましたが、リフトは赤字続き。更には東日本大震災による大津波で被災。復活には国の支援が必要でしたか受けられず、廃止(>_<)
とある中堅国会議員が気仙沼を地元としているのですが、これまた被災した市内を走る鉄路が国の支援を受けられず廃止されたりと、なかなかご活躍の跡が見えません(>_<)
レストハウスまでは市道が在るのですが、なにせ離島時代のもので、駐車場は極僅か(>_<) なのでレストハウスまでは車両乗り入れ禁止とされ、橋開通と前後して手前の、写真中央右上辺りに市営駐車場が整備されました。
手前は本土側。下に見える竹林の両側直ぐ向こうに防潮堤が見えます。右下に見える白い色の大型トラックは駐車場に有りますが、直ぐ向こう隣は鉄路が引き剥がされ、代替バスが走る専用道。トラック左側に黒っぽく見えるのがバスの最知駅です。またまたトラックですが、手前は国道45号。
あの大津波は鉄路や国道を乗り越え、お寺の直ぐ下まで押し寄せました。勿論、興福寺もですが、すぐ避難所となりました。震災後、ヨコミーは県南に在る亘理町の海岸を訪れましたが、海に近い所に在ったお寺も被災しました(>_<) みんなが利用する施設などは、津波や水害の心配が無い高台、でも山崩れ等の虞も無い所に作って欲しいですね。そして、作りたいですね(^_^)v
階上から見た大島大橋です。個人的には利便が良い大島の西側へ架けて欲しかったのですが、管理する県はお金が無かったのでしょうね、本土との間隔が短い北側に架けました。
この橋、震災復興の名目で国から頂いたように思って居る、市外か遠くの方もいらっしゃいました。利用台数が少なく勿体ないと。ちょっとした断片を見ただけで、事情も知らない浅慮の方だと呆れてしまいます。
大島は直ぐ見える距離に在りますが、離島です。市などで運航する連絡船は19時位で終わり、その後は個人運営の臨時船が23時過ぎまで有りますが料金は高く、更に海上タクシーというモーターボートも有りましたが簡単に乗れる料金ではありません。
海は凪いでいる時だけじゃなく、嵐や濃霧で簡単に欠航となります。一番は救急車(>_<) 濃霧が晴れるまで消防艇は走られず、緊急を要する患者だって渡れません(>_<)
高校や仕事場への通勤通学、そして通院等々でも島民は難儀していました。更にはフェリーが運ぶ車の数は限られていて通勤には使えず、仕方無く本土側の駐車場を借りてマイカーを置く人も(>_<)
更には島の汽船発着所は北西側。なので南部や亀山北東部に住む人は汽船発着所まで車が必要(>_<) えっ、バス? バスは採算が取れないのか1台しか有りませんでした。うーん、じゃあタクシーは? タクシーは昔は3台4台は有ったかと。しかし知っているところの近年では1台しか無く、島民も訪れる本土の人も苦労(>_<)
そんな訳で、40年50年も前から橋を早く架けて欲しい...という運動が始まっていました。その運動が実り、県から開通の目標年度が公表され、震災前に先ずは本土側県道の整備が始まっていたのです。
決して震災復興の名目で、地元が何もしないで棚ぼた式に頂いた訳ではないのです。橋を通る車が少ないと思ったら、何時頃に撮った写真だろうか?と疑問を持ち、まあこれはグーグルマップ等の地図と木などの影を見れば大方分かることですが、更には市のホームページ等で人口と大島へ渡る観光客数を調べてみてください。地方の、更に地方は人口減が激しいですが、費用対効果などと言わないでください。人命を守る橋なのですから(^_^)v
ところで、高齢化や人口減で空き家が増えています。そんな風光明媚な所に建つ空き家を購入し、移住したり別荘としてみませんか(^_^)v 不動産屋さん、この機会に眠っている空き家を掘り起こし、都会の人向けに売りに出しませんか(^_^;) またはゲストハウスとして儲けたり(^_^;) 地価が下がっている気仙沼、今がビジネスチャンスかも(^_^)v
世界の平和を祈り....と思いながら、先日発表された日本が受け入れた難民の数が、申請数に比べて極端に少ないことに危惧(>_<) ある面「結い」の面も有るだろうし、ドイツには追い抜かれたモノの世界第4位のGNPを誇る日本は、社会的責任、世界的責任(^_^;)を果たすべき(^_^)v
「結い」とは書きましたが、政府は万が一国民が難民として日本を脱出するとしても、仮想敵地に近い韓国に行く線は無いだろうし、軍の物量で勝る中露の攻撃をかいくぐって、安全に飛行機や船舶で米国等へ逃げ果せる事は無いなぁ....と踏んで、「結い」は無いなぁと形ばかりの受け入れに留まっているのではないかなぁ....とゲスの勘ぐり(^_^;)
もう少し話を飛ばせば、イスラエルの攻撃でパレスチナのガザ地区は死者・怪我人は多く、飢餓状態だと(>_<) 人攫いのテロリスト共を始末するのは賛成だけど、一般市民まで攻撃の巻き添えで、イスラエル側の死者より何十倍もガザの人々が死んでいる現実には賛成出来ません(>_<)
その昔のユダヤ人がイスラエルを建国する少し前、ナチスから迫害されていたユダヤ人を人道上の理由から救おうと、本国からの指示に背き、ビザを発給し続けた、在リトアニア日本領事館領事代理の杉浦千畝(すぎうらちうね)の事を、イスラエル政府は、イスラエル国民は思い出して欲しい。
イスラエルは、厳格な審査で良いからガザの難民を、イスラエル領内やヨルダン川西岸のパレスチナ自治区等へ一時的にでもキャンプを作り、避難させて欲しい。
ちなみに杉浦千畝の事をご存じない方のために。彼は「東洋のシンドラー」とも呼ばれていました。シンドラーとは映画「シンドラーのリスト」で知られるシンドラーです。その東洋版と言われる人物。下記を参照願います。
国立公文書館アジア歴史資料センター https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p14.html
改めて世界の隅々までの平和と安心安全を祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘には時折、もの凄い強風が吹いています(>_<) まあ、常に吹くなら風力発電も考えなくては成りませんが(^_^;)
春のお彼岸に入った3月17日は、参るべき4つの内2カ所の墓参に行きました。
先ずは目立つ写真から(^_^;) 気仙沼市鹿折地区に在る興福寺の四季ザクラです。
鹿折地区は、昭和20年代終わりに旧・気仙沼町と合併した鹿折町です。旧・気仙沼町の凡そ北隣。あの震災による大津波で海岸から600m余り離れた駅前に300tもの船が打ち上げられた所。そこから3km弱川上に入った山間に興福寺は在ります。
ここの四季ザクラはこの時期、華やかな位の花数は有りませんが清楚に咲き、ヨコミーのお気に入りです。和尚さんから「名前は四季でも夏は咲かないよ」と聴いています(^_^;)
興福寺の門前です。左に樹齢400年余といわれる10本の大杉が在ります。
興福寺です。奥のやや右に見える緑色の葉が茂った木の裏側に四季ザクラが在ります。
境内に白い梅の花が咲いていました。品種なのか、日当たりがやや悪いためか、咲き具合はやや遅いようです。
墓地にはムクゲの花が咲いていました(^_^;) 花の季節じゃないので花がらかと思ったら、種がはじけた後の姿でした。ちょっと見には本当の花のように見えます。まだまだ寒くて花が少ない東北の墓地には、色合いは少ないモノの貴重な「花」です(^_^;)
墓地の上、少し遠い所で咲いていますが、マンサクかと思います。春ですね。
次に向かったのは市内階上(はしかみ。旧・階上村)地区最知(さいち)に在る海蔵寺です。右手前に見えるのは...
サンシュユです。綺麗ですね。ヨコミー家のサンシュユよりも早く咲いたようです。
墓地からの眺めです。奥に見えるのは気仙沼の大島。小高い山は亀山です。亀山の右手裏側に、キャンプ場も備えた休暇村気仙沼大島が在ります。遊びに来ませんか(^_^)v 亀山左側の裾で、左手前の杉林に隠れる辺りに大島大橋が見えます。
亀山方向を拡大してみました。春霞か花粉か知りませんが、ちょっと霞んでいます。
左の高い所が山頂。その下にレストハウスと無料休憩所が有ります。レストハウスと汽船発着所(右手赤白クレーンの右奥)が在る浦の浜とはリフトで結んでいましたが、リフトは赤字続き。更には東日本大震災による大津波で被災。復活には国の支援が必要でしたか受けられず、廃止(>_<)
とある中堅国会議員が気仙沼を地元としているのですが、これまた被災した市内を走る鉄路が国の支援を受けられず廃止されたりと、なかなかご活躍の跡が見えません(>_<)
レストハウスまでは市道が在るのですが、なにせ離島時代のもので、駐車場は極僅か(>_<) なのでレストハウスまでは車両乗り入れ禁止とされ、橋開通と前後して手前の、写真中央右上辺りに市営駐車場が整備されました。
手前は本土側。下に見える竹林の両側直ぐ向こうに防潮堤が見えます。右下に見える白い色の大型トラックは駐車場に有りますが、直ぐ向こう隣は鉄路が引き剥がされ、代替バスが走る専用道。トラック左側に黒っぽく見えるのがバスの最知駅です。またまたトラックですが、手前は国道45号。
あの大津波は鉄路や国道を乗り越え、お寺の直ぐ下まで押し寄せました。勿論、興福寺もですが、すぐ避難所となりました。震災後、ヨコミーは県南に在る亘理町の海岸を訪れましたが、海に近い所に在ったお寺も被災しました(>_<) みんなが利用する施設などは、津波や水害の心配が無い高台、でも山崩れ等の虞も無い所に作って欲しいですね。そして、作りたいですね(^_^)v
階上から見た大島大橋です。個人的には利便が良い大島の西側へ架けて欲しかったのですが、管理する県はお金が無かったのでしょうね、本土との間隔が短い北側に架けました。
この橋、震災復興の名目で国から頂いたように思って居る、市外か遠くの方もいらっしゃいました。利用台数が少なく勿体ないと。ちょっとした断片を見ただけで、事情も知らない浅慮の方だと呆れてしまいます。
大島は直ぐ見える距離に在りますが、離島です。市などで運航する連絡船は19時位で終わり、その後は個人運営の臨時船が23時過ぎまで有りますが料金は高く、更に海上タクシーというモーターボートも有りましたが簡単に乗れる料金ではありません。
海は凪いでいる時だけじゃなく、嵐や濃霧で簡単に欠航となります。一番は救急車(>_<) 濃霧が晴れるまで消防艇は走られず、緊急を要する患者だって渡れません(>_<)
高校や仕事場への通勤通学、そして通院等々でも島民は難儀していました。更にはフェリーが運ぶ車の数は限られていて通勤には使えず、仕方無く本土側の駐車場を借りてマイカーを置く人も(>_<)
更には島の汽船発着所は北西側。なので南部や亀山北東部に住む人は汽船発着所まで車が必要(>_<) えっ、バス? バスは採算が取れないのか1台しか有りませんでした。うーん、じゃあタクシーは? タクシーは昔は3台4台は有ったかと。しかし知っているところの近年では1台しか無く、島民も訪れる本土の人も苦労(>_<)
そんな訳で、40年50年も前から橋を早く架けて欲しい...という運動が始まっていました。その運動が実り、県から開通の目標年度が公表され、震災前に先ずは本土側県道の整備が始まっていたのです。
決して震災復興の名目で、地元が何もしないで棚ぼた式に頂いた訳ではないのです。橋を通る車が少ないと思ったら、何時頃に撮った写真だろうか?と疑問を持ち、まあこれはグーグルマップ等の地図と木などの影を見れば大方分かることですが、更には市のホームページ等で人口と大島へ渡る観光客数を調べてみてください。地方の、更に地方は人口減が激しいですが、費用対効果などと言わないでください。人命を守る橋なのですから(^_^)v
ところで、高齢化や人口減で空き家が増えています。そんな風光明媚な所に建つ空き家を購入し、移住したり別荘としてみませんか(^_^)v 不動産屋さん、この機会に眠っている空き家を掘り起こし、都会の人向けに売りに出しませんか(^_^;) またはゲストハウスとして儲けたり(^_^;) 地価が下がっている気仙沼、今がビジネスチャンスかも(^_^)v
世界の平和を祈り....と思いながら、先日発表された日本が受け入れた難民の数が、申請数に比べて極端に少ないことに危惧(>_<) ある面「結い」の面も有るだろうし、ドイツには追い抜かれたモノの世界第4位のGNPを誇る日本は、社会的責任、世界的責任(^_^;)を果たすべき(^_^)v
「結い」とは書きましたが、政府は万が一国民が難民として日本を脱出するとしても、仮想敵地に近い韓国に行く線は無いだろうし、軍の物量で勝る中露の攻撃をかいくぐって、安全に飛行機や船舶で米国等へ逃げ果せる事は無いなぁ....と踏んで、「結い」は無いなぁと形ばかりの受け入れに留まっているのではないかなぁ....とゲスの勘ぐり(^_^;)
もう少し話を飛ばせば、イスラエルの攻撃でパレスチナのガザ地区は死者・怪我人は多く、飢餓状態だと(>_<) 人攫いのテロリスト共を始末するのは賛成だけど、一般市民まで攻撃の巻き添えで、イスラエル側の死者より何十倍もガザの人々が死んでいる現実には賛成出来ません(>_<)
その昔のユダヤ人がイスラエルを建国する少し前、ナチスから迫害されていたユダヤ人を人道上の理由から救おうと、本国からの指示に背き、ビザを発給し続けた、在リトアニア日本領事館領事代理の杉浦千畝(すぎうらちうね)の事を、イスラエル政府は、イスラエル国民は思い出して欲しい。
イスラエルは、厳格な審査で良いからガザの難民を、イスラエル領内やヨルダン川西岸のパレスチナ自治区等へ一時的にでもキャンプを作り、避難させて欲しい。
ちなみに杉浦千畝の事をご存じない方のために。彼は「東洋のシンドラー」とも呼ばれていました。シンドラーとは映画「シンドラーのリスト」で知られるシンドラーです。その東洋版と言われる人物。下記を参照願います。
国立公文書館アジア歴史資料センター https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p14.html
改めて世界の隅々までの平和と安心安全を祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m
あれから13年経ちました 東日本大震災 20240311 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘の季節風=西風は、今日3月17日の夜は収まりましたが、昨夜もに引き続きゴォーッと調子良く吹いていましたす(>_<)
3月といえば13年前の東日本大震災。多くの方が亡くなり、更に多くの方が被災し、人生を強制的に変えられた悔しさは、まだ癒えることが無いでしょう。ヨコミー家で亡くなった人は居ませんが、義父が関連死(>_<) 家は僅かに傾いたり隙間が広がりましたが、そのまま。テレビ等が落下しましたが、大きく破損した物は無いです。ただヨコミー、大切なモノを失いました(T_T)
そんな中、市からの案内も有り、3月11日午後1時から始まる「気仙沼市東日本大震災追悼と防災のつどい」(会場:気仙沼中央公民館)へ行ってきました。
13年前の大津波で被災し、西へ400m程離れた川沿いに立て替えられた気仙沼中央公民館。左が、以前隣接していた勤労者体育センター分の体育館か。ホールや会議室は右奥です。ただ右奥の上に見えているの内の脇災害公営住宅です、中央公民館は大きくはありません。県合同庁舎や警察署は震災後に大きくなったのですが、市はお金が無いのですね。以前は400席有ったホールの席は減らされました。畳の間も結構狭くなったようだし(>_<)
市長さんのご挨拶。
右の垂れ幕を見てください。テレビ等で活躍の気象予報士・井田寛子さん基調講演が予定されています。気象ファンでもあるヨコミーは楽しみ(^_^)v....にしていたのですが、何故か挨拶する方々の話が長引き、講演のスタートが10分以上遅れました。身勝手(>_<)
一連のつどいの途中で、地震発生が発生した14時46分には参加者一同が黙祷し、その直後体育館では市長等の献花も予定されており、終わりの時間が後ろにずれ込めない事情もあるのに....(>_<)
でも井田さんはプロですね。ご自分の終了予定時刻までにはきちんと終わらせました。それに引き替え、挨拶された方々のなんと時間感覚の無いこと(>_<) 修行が足りません(^_^;)
15時からは「避難情報を正しく読み取る」をテーマにトークセッション。災害時等はSNS等でデマも流れ易く、公的機関の発信や複数の情報で確認することが大切だと。
16時に一切が終わり、混雑を避けて展示等を見てゆっくりと出て来たので、駐車場には車が殆ど居ません。
右にカメラを振り、パチリ。向こうの山の手前に気仙沼湾が広がります。
震災前は多くの民家や企業の建物が有りましたが、この地は家を新築することが出来ない災害危険区域(>_<) ラグビーのグラウンド2面が取られていますが、気仙沼は野球の方が盛んだと思うのですが...。
中央公民館は震災まで、真ん中方向に有りました。隣接する市の障害児施設等からここに避難してきていたのですが、何度も押し寄せる大津波や流れ出た重油に引火して火災も発生し、一時は死も覚悟したと。
そんな中、障害児施設の長がイギリスに行っていた息子にメールで悲惨な状況を知らせたことから始まる避難劇は、猪瀬直樹著「救出: 3・11気仙沼 公民館に取り残された446人」に載っています。
https://www.amazon.co.jp/%E6%95%91%E5%87%BA-3%E3%83%BB11%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC-%E5%85%AC%E6%B0%91%E9%A4%A8%E3%81%AB%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%AE%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F446%E4%BA%BA-%E7%8C%AA%E7%80%AC-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4309023584
更に右方向です。中央公民館を背にしてパチリ。三陸道の気仙沼湾横断橋や大島大橋も見えます。
事業所や戸建ての民家、アパート等々が建っていたのに、災害危険区域では住宅新築も出来ず、工場がいくつか建つだけ(>_<)
更に右なんですが続かず、右後ろ方向(^_^;) 凡そ南東方向。
イオンの手前は岩手県から流れてくる大川が流れていて、13年前は大津波が遡上し、ここも被災。イオン西側を走る旧国道向かいにはかつて県立女子校がありましたが統合で廃校。その跡地に県の合同庁舎と県の警察署が移転。建て替えられた市立病院は、それまでバス便も無かった丘の上に...(>_<) 県民でもある市民の利便を考えれば、女子高跡地と入れ替えるべきでした。たとえスタートが多少違っていたとしても(>_<)
今日はヨコミー家としては早めの墓参でした。午後からちょっとだけ梅を剪定し、近くを見たら、なんど暖地桜桃(サクランボ)の花が咲いていました。近日紹介出来ればと思います。
明日は自治会の書類を整理し、来週の総会で自治会から足を、手を洗いたいと思います。出来ればちょっと仕事をしたくなりましたので(^_^;)
ウクライナに侵略戦争を仕掛けているロシアでは大統領選挙だと。現政権に協力的な候補者しか立てない選挙、過日のイランでもそうでしたが、茶番ですね(^_^)v
浮沈大統領は高い得票率を狙い、国民は投票後に特典を頂けると複数の報道機関が伝えています。可哀想な国民。自覚が必要です(^_^;) でも情報統制下では難しいかなぁ。
そんな国民にならぬよう、私たちも気を付けたいです。裏金作りに精を出す国会議員も要りません。
何処の片隅でも幸せをかみしめられるよう、平和で安心安全な社会を作りましょう。その為には何が出来るか、各々じっくりと考えて欲しいです。
世界の平和を祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘の季節風=西風は、今日3月17日の夜は
3月といえば13年前の東日本大震災。多くの方が亡くなり、更に多くの方が被災し、人生を強制的に変えられた悔しさは、まだ癒えることが無いでしょう。ヨコミー家で亡くなった人は居ませんが、義父が関連死(>_<) 家は僅かに傾いたり隙間が広がりましたが、そのまま。テレビ等が落下しましたが、大きく破損した物は無いです。ただヨコミー、大切なモノを失いました(T_T)
そんな中、市からの案内も有り、3月11日午後1時から始まる「気仙沼市東日本大震災追悼と防災のつどい」(会場:気仙沼中央公民館)へ行ってきました。
13年前の大津波で被災し、西へ400m程離れた川沿いに立て替えられた気仙沼中央公民館。左が、以前隣接していた勤労者体育センター分の体育館か。ホールや会議室は右奥です。ただ右奥の上に見えているの内の脇災害公営住宅です、中央公民館は大きくはありません。県合同庁舎や警察署は震災後に大きくなったのですが、市はお金が無いのですね。以前は400席有ったホールの席は減らされました。畳の間も結構狭くなったようだし(>_<)
市長さんのご挨拶。
右の垂れ幕を見てください。テレビ等で活躍の気象予報士・井田寛子さん基調講演が予定されています。気象ファンでもあるヨコミーは楽しみ(^_^)v....にしていたのですが、何故か挨拶する方々の話が長引き、講演のスタートが10分以上遅れました。身勝手(>_<)
一連のつどいの途中で、地震発生が発生した14時46分には参加者一同が黙祷し、その直後体育館では市長等の献花も予定されており、終わりの時間が後ろにずれ込めない事情もあるのに....(>_<)
でも井田さんはプロですね。ご自分の終了予定時刻までにはきちんと終わらせました。それに引き替え、挨拶された方々のなんと時間感覚の無いこと(>_<) 修行が足りません(^_^;)
15時からは「避難情報を正しく読み取る」をテーマにトークセッション。災害時等はSNS等でデマも流れ易く、公的機関の発信や複数の情報で確認することが大切だと。
16時に一切が終わり、混雑を避けて展示等を見てゆっくりと出て来たので、駐車場には車が殆ど居ません。
右にカメラを振り、パチリ。向こうの山の手前に気仙沼湾が広がります。
震災前は多くの民家や企業の建物が有りましたが、この地は家を新築することが出来ない災害危険区域(>_<) ラグビーのグラウンド2面が取られていますが、気仙沼は野球の方が盛んだと思うのですが...。
中央公民館は震災まで、真ん中方向に有りました。隣接する市の障害児施設等からここに避難してきていたのですが、何度も押し寄せる大津波や流れ出た重油に引火して火災も発生し、一時は死も覚悟したと。
そんな中、障害児施設の長がイギリスに行っていた息子にメールで悲惨な状況を知らせたことから始まる避難劇は、猪瀬直樹著「救出: 3・11気仙沼 公民館に取り残された446人」に載っています。
https://www.amazon.co.jp/%E6%95%91%E5%87%BA-3%E3%83%BB11%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC-%E5%85%AC%E6%B0%91%E9%A4%A8%E3%81%AB%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%AE%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F446%E4%BA%BA-%E7%8C%AA%E7%80%AC-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4309023584
更に右方向です。中央公民館を背にしてパチリ。三陸道の気仙沼湾横断橋や大島大橋も見えます。
事業所や戸建ての民家、アパート等々が建っていたのに、災害危険区域では住宅新築も出来ず、工場がいくつか建つだけ(>_<)
更に右なんですが続かず、右後ろ方向(^_^;) 凡そ南東方向。
イオンの手前は岩手県から流れてくる大川が流れていて、13年前は大津波が遡上し、ここも被災。イオン西側を走る旧国道向かいにはかつて県立女子校がありましたが統合で廃校。その跡地に県の合同庁舎と県の警察署が移転。建て替えられた市立病院は、それまでバス便も無かった丘の上に...(>_<) 県民でもある市民の利便を考えれば、女子高跡地と入れ替えるべきでした。たとえスタートが多少違っていたとしても(>_<)
今日はヨコミー家としては早めの墓参でした。午後からちょっとだけ梅を剪定し、近くを見たら、なんど暖地桜桃(サクランボ)の花が咲いていました。近日紹介出来ればと思います。
明日は自治会の書類を整理し、来週の総会で自治会から足を、手を洗いたいと思います。出来ればちょっと仕事をしたくなりましたので(^_^;)
ウクライナに侵略戦争を仕掛けているロシアでは大統領選挙だと。現政権に協力的な候補者しか立てない選挙、過日のイランでもそうでしたが、茶番ですね(^_^)v
浮沈大統領は高い得票率を狙い、国民は投票後に特典を頂けると複数の報道機関が伝えています。可哀想な国民。自覚が必要です(^_^;) でも情報統制下では難しいかなぁ。
そんな国民にならぬよう、私たちも気を付けたいです。裏金作りに精を出す国会議員も要りません。
何処の片隅でも幸せをかみしめられるよう、平和で安心安全な社会を作りましょう。その為には何が出来るか、各々じっくりと考えて欲しいです。
世界の平和を祈り、本日もお終いm(_ _)m
昨日 蕎麦小屋デビュー 宮城県栗原市 20240306 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
3月も1週間を過ぎました。今日7日は天気が良く、夜になって10時を過ぎたら、何故か寒く感じました。あっ、ストーブを焚いていませんでした(^_^;)
ヨコミー奥様のおリュウさんが台所で夕食前後に点けていましたが、台所仕事を終えて消したまま。その後、おリュウさんは茶の間のコタツで写真を印刷していたのでストーブは要らなかったようですが、風呂に行き、布団へ消えた辺りから寒さを感じました(>_<) なので点火(^_^)v
ヨコミーが勉強のために巡回しているブログの中に、同じ県内に住むXZ_Channelさんがやっている「☆ひとりごと☆」があります。https://jm7xzc.blog.ss-blog.jp/
以前、宮城県栗原市一迫町にある「蕎麦小屋」を取り上げていて、ヨコミーは気になっていました。そうしたら先日も取り上げていたので、ついでも有り、食いしん坊が重い腰を上げました(^_^;)
蕎麦小屋は手打ち、十割、自家製粉を看板に掲げています。
あっ、ヨコミーは決してグルメではありませんよ。食事も撮影しませんでしたし(^_^;)
行ったのは一昨日、3月6日。栗原市の中心となる築館の市街地から西へ約5km程離れた山の中に有ります。
ルート、メニュー等はお店のブログ「宮城県 蕎麦小屋 公式 http://sobakoya.livedoor.blog/ 」をご覧願います。そっちの方の写真が綺麗ですしね(^_^;)
舗装道路脇の駐車場から木々の間を徒歩30秒です。見ての通り「小屋」でした。
遡ること30分も前。国道398号からの入口を素通りし、車で3分余り先(西)に有る農協の産直へ。
買い物を済ませて戻ったら、国道からの入口で赤信号となり、パチリ。蕎麦小屋は向こうに見える森の中です。予約1分前となってしまいました。うーん、遅刻しそう(^_^;) まあ国道から駐車場まで多分1分2分です。
ちなみに産直には食堂が有りました。蕎麦小屋が営業していないときに立ち寄ってみたいです。
駐車場に車を置き、少しだけ森の中を歩くと、木々の間から蕎麦小屋が見えてきました(^_^)v
雪の量は少ないのですが、足下の雪を掃いていてくれました。
小さな建物です。う~ん、男の隠れ家風(^_^;)
中に入ってみて、「あっ、ヨコミーはこんな所で暮らしたいなぁ...」と思った次第。まあ、シャワーと大きな物置は欲しいですけどね(^_^;) トイレは水洗です。
広くないお店なので、小さな薪ストーブで足りているようです。勿論、乗っかっている2つのやかんで沸かしたお湯も使って蕎麦を茹でるとのこと。薪は周辺の広葉樹で、2年乾燥させるとか。
お供はおリュウさん。それぞれ白い蕎麦に天ぷらを添え、ちょっとお腹が足らないと困るので黒い蕎麦を1枚だけ追加(^_^;) 蕎麦は白と黒の違いを感じながら、そしてちょっと熱い揚げたて天ぷらの種を楽しみながら...。
そういえば天ぷらの中に、我が家ではやらない種が2つ有りました。①最初は何かと思ったのですが、大根でした。これも美味しいですね ②もう1つは里芋かと思いましたが、基本的に里芋嫌いなヨコミーでしたが、美味しく食べることが出来ました。次回、おリュウさんが天ぷらを揚げるとき、この2つもリクエストします(^_^;)
デザートはソンナコッタ&抹茶。蕎麦湯も含めて、全て美味しく頂きました<(_ _)>
次回は裏メニューに挑戦したいです(^_^)v
(失礼ながら)超高級店でもないお店で食べ、美味しさに幸せを感じているヨコミー、平和ですね(^_^;) 本当に美味しいのですよ(^_^)v
でも世界を見ればウクライナやパレスチナのガザ地区では、まだまだ戦争が続いています(>_<) 他の国でも小規模ですが戦闘がまだ有ります(T_T)
ロシアが武力で併合したウクライナ領の一部から、ロシアに連れ去られた子供たちは、極一部は取り戻したとの報道も有りましたが、多くは今、どうしているのでしょうか。
かつて日本軍が奇襲した真珠湾攻撃の如く、ガザ地区からイスラエルへ侵攻して人質を連れてきたイスラム武装組織ハマスですが、その代償としてガザ地区は、イスラエルから虐殺のような攻撃を受けています(>_<) イスラエルはハマスを壊滅させようと、一般市民が巻き添えになることに構わず、攻撃しています(>_<)
なのに国連は、ロシアのウクライナ侵略で西側が提案するとロシアが拒否権を行使し、逆にガザ地区の戦争ではアメリカが拒否権を行使(>_<)
それに、どうやらまたアメリカの大統領に返り咲きそうなトランプが、2つの戦争に対し更に暗い影を落としそう(T_T)
残念ながら日本は、2つの戦争に影響力を行使出来る力が無いようで悲しいです。第三の勢力が台頭しないかなぁ(T_T)
それにしても日産自動車はやってくれましたね(>_<) 次回日産から買うときは、契約書に押印しても全額から一部を差し引いて支払ってみたいな(^_^)v これは、日産が立場を利用した悪い行為で、立派なパワーハラスメント(>_<) 相手の文句さえも踏みつぶしてしまうロシアみたいな会社がここに有りました(>_<)
日産のような一方的なものも含めて、世界には至る所で争い事が有りますが、世界の隅々に暮らす人々にまで、お蕎麦を食べに行けるような平和な日々が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
3月も1週間を過ぎました。今日7日は天気が良く、夜になって10時を過ぎたら、何故か寒く感じました。あっ、ストーブを焚いていませんでした(^_^;)
ヨコミー奥様のおリュウさんが台所で夕食前後に点けていましたが、台所仕事を終えて消したまま。その後、おリュウさんは茶の間のコタツで写真を印刷していたのでストーブは要らなかったようですが、風呂に行き、布団へ消えた辺りから寒さを感じました(>_<) なので点火(^_^)v
ヨコミーが勉強のために巡回しているブログの中に、同じ県内に住むXZ_Channelさんがやっている「☆ひとりごと☆」があります。https://jm7xzc.blog.ss-blog.jp/
以前、宮城県栗原市一迫町にある「蕎麦小屋」を取り上げていて、ヨコミーは気になっていました。そうしたら先日も取り上げていたので、ついでも有り、食いしん坊が重い腰を上げました(^_^;)
蕎麦小屋は手打ち、十割、自家製粉を看板に掲げています。
あっ、ヨコミーは決してグルメではありませんよ。食事も撮影しませんでしたし(^_^;)
行ったのは一昨日、3月6日。栗原市の中心となる築館の市街地から西へ約5km程離れた山の中に有ります。
ルート、メニュー等はお店のブログ「宮城県 蕎麦小屋 公式 http://sobakoya.livedoor.blog/ 」をご覧願います。そっちの方の写真が綺麗ですしね(^_^;)
舗装道路脇の駐車場から木々の間を徒歩30秒です。見ての通り「小屋」でした。
遡ること30分も前。国道398号からの入口を素通りし、車で3分余り先(西)に有る農協の産直へ。
買い物を済ませて戻ったら、国道からの入口で赤信号となり、パチリ。蕎麦小屋は向こうに見える森の中です。予約1分前となってしまいました。うーん、遅刻しそう(^_^;) まあ国道から駐車場まで多分1分2分です。
ちなみに産直には食堂が有りました。蕎麦小屋が営業していないときに立ち寄ってみたいです。
駐車場に車を置き、少しだけ森の中を歩くと、木々の間から蕎麦小屋が見えてきました(^_^)v
雪の量は少ないのですが、足下の雪を掃いていてくれました。
小さな建物です。う~ん、男の隠れ家風(^_^;)
中に入ってみて、「あっ、ヨコミーはこんな所で暮らしたいなぁ...」と思った次第。まあ、シャワーと大きな物置は欲しいですけどね(^_^;) トイレは水洗です。
広くないお店なので、小さな薪ストーブで足りているようです。勿論、乗っかっている2つのやかんで沸かしたお湯も使って蕎麦を茹でるとのこと。薪は周辺の広葉樹で、2年乾燥させるとか。
お供はおリュウさん。それぞれ白い蕎麦に天ぷらを添え、ちょっとお腹が足らないと困るので黒い蕎麦を1枚だけ追加(^_^;) 蕎麦は白と黒の違いを感じながら、そしてちょっと熱い揚げたて天ぷらの種を楽しみながら...。
そういえば天ぷらの中に、我が家ではやらない種が2つ有りました。①最初は何かと思ったのですが、大根でした。これも美味しいですね ②もう1つは里芋かと思いましたが、基本的に里芋嫌いなヨコミーでしたが、美味しく食べることが出来ました。次回、おリュウさんが天ぷらを揚げるとき、この2つもリクエストします(^_^;)
デザートはソンナコッタ&抹茶。蕎麦湯も含めて、全て美味しく頂きました<(_ _)>
次回は裏メニューに挑戦したいです(^_^)v
(失礼ながら)超高級店でもないお店で食べ、美味しさに幸せを感じているヨコミー、平和ですね(^_^;) 本当に美味しいのですよ(^_^)v
でも世界を見ればウクライナやパレスチナのガザ地区では、まだまだ戦争が続いています(>_<) 他の国でも小規模ですが戦闘がまだ有ります(T_T)
ロシアが武力で併合したウクライナ領の一部から、ロシアに連れ去られた子供たちは、極一部は取り戻したとの報道も有りましたが、多くは今、どうしているのでしょうか。
かつて日本軍が奇襲した真珠湾攻撃の如く、ガザ地区からイスラエルへ侵攻して人質を連れてきたイスラム武装組織ハマスですが、その代償としてガザ地区は、イスラエルから虐殺のような攻撃を受けています(>_<) イスラエルはハマスを壊滅させようと、一般市民が巻き添えになることに構わず、攻撃しています(>_<)
なのに国連は、ロシアのウクライナ侵略で西側が提案するとロシアが拒否権を行使し、逆にガザ地区の戦争ではアメリカが拒否権を行使(>_<)
それに、どうやらまたアメリカの大統領に返り咲きそうなトランプが、2つの戦争に対し更に暗い影を落としそう(T_T)
残念ながら日本は、2つの戦争に影響力を行使出来る力が無いようで悲しいです。第三の勢力が台頭しないかなぁ(T_T)
それにしても日産自動車はやってくれましたね(>_<) 次回日産から買うときは、契約書に押印しても全額から一部を差し引いて支払ってみたいな(^_^)v これは、日産が立場を利用した悪い行為で、立派なパワーハラスメント(>_<) 相手の文句さえも踏みつぶしてしまうロシアみたいな会社がここに有りました(>_<)
日産のような一方的なものも含めて、世界には至る所で争い事が有りますが、世界の隅々に暮らす人々にまで、お蕎麦を食べに行けるような平和な日々が早く来ることを祈り、本日もお終いm(_ _)m
またも大雪でした(^_^;) 気仙沼の今 20240222 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
昨日(2月28日)、今日と割と良いお天気でしたが、考えて見ればもう1週間も過ぎたのですが、2月22日は、朝起きたらまた大雪でした。
ヨコミー家では17~18cmの積雪と見ました。まあ札幌等を除き都会地にしてみれば大変な雪でしょうけれど、ここ気仙沼は雪国じゃありませんので、ちょっとした大雪ではあります。
でも、公道は深夜から行政が除雪してくれるし、公道までを家庭で除雪すれば、車は皆冬タイヤなので事故でも起きない限り渋滞になることはありません。
確かに一度に降る量としては多いのですが、今冬は少雪で推移しているので、貯まっていたのが払い出しされた感じ(^_^;) それでも例年並みの量では無いと思います。スキー場でも少ないです。
さてその2月22日、所用が有って市街地へ出掛けましたので、雪の様子を紹介します。
参考までにグーグルマップからお借りして地図を貼り付けたいのですが、「Google Maps へのアクセス権がありません....」と訳の分からないことを言ってきます(>_<) なので地図無しですm(_ _)m
新しい商業の中心地となって久しい中谷地交差点付近です。旧国道45号です。10時過ぎ、南側から北方向をパチリ。
多くの地方小都市は同じだと思うのですが、中心市街地は衰退しつつあって、新しい商業の中心は郊外に出来ているのかと。
気仙沼市の中心市街地は、交差点向こうに見えるお山(本町や化粧坂)を越えた辺りに有る気仙沼駅から、東南東2km弱の所に有る内湾を結ぶ古町、三日町、八日町、南町等一帯かと。
それが、40年も前に撮影場所の右後ろ300m程の所にジャスコ(現・イオン)が出来、それに対して中心市街地は急速に発達する車社会に対応しきれなかったり、後継者問題が有ったり、複合施設は出来たもののイマイチ時流に乗れず....。
震災を機に内湾一帯は再開発されましたが、架橋によって大島への玄関口じゃなくなったことが、中心市街地に悪い影響を与えるのではないかと心配。あっ、ここ中谷地交差点のことではありませんでしたね(^_^;)
少し進んで中谷地交差点直前です。写真的には上に置いた写真の方が間近に見えるのは望遠気味で撮ったため。こちらは超広角レンズです。
右(東)に行くと気仙沼魚市場方向。途中で左折すると丘の上にある市民会館や気仙沼小学校、気仙沼中学校等に。魚市場北桟橋をかすめて進めば出漁岸壁や内湾に至る道。
左(西)に行けば国道45号バイパスまでの間に発達した商業地が続きます。
今でこそ商業地ですが一帯は以前田んぼで、50年近く前に土地区画整理があり、更には南側の国道隣接地にジャスコが出来て大きく変貌しました。西側にこの道、旧・国道のバイパスが出来て、中谷地交差点から西へ事業所や商店が続くようになりました。
左側の服屋さんは除雪の苦労が忍ばれます(^_^;)
気仙沼駅から南西に1km程離れた丘の上に有る住宅地から、大島方向をパチリ。右奥の山が大島の亀山で、北麓。
中央付近に見える高層アパートは内ノ脇の災害公営住宅。津波が遡った川の直ぐ隣ですが、堤防の整備や盛土、そして1階に住居が無い設計で建てられています。
公営住宅の屋根に接するように見えているのが三陸道。
撮影場所は国道45号バイパスのちょっとだけ西側です。山の麓なので多少は雪が多いかと。
凡そ南北に伸びる東新城のメインストリートです。北端は気仙沼駅前通り西端と僅かに接していますが、中心市街地とは大川や本町や館山の丘陵地帯で遮られています。
30年以上前に土地の区画整理が行われ、その後住宅や事業所が少しずつ移ってきて、それなりの街を形成していました。左は気仙沼保健所です。この先に薄らと大島が見えています。
13年前の大津波被害を受けた以降、更に住宅や事業所、飲食店等が建ち並びました。
左手の斜面は本町2丁目。右奥の杉林はお墓山が有る本町1丁目で、その裏側には中心市街地の三日町等が有ります。本日の1枚目2枚目の奥、突き当たりがここです。ちょっと大きめな駐在所も有ります。1丁目と2丁目の間を旧国道45号が通っています。
写真右下は雪が乗った縁石ですが、写真中程やや手前に白いガードレールが有り、その向こう、本町との間に岩手県から流れ出る大川が有ります。
ちなみにアメダスの観測所は左側の山続きのてっぺんに有ります。気仙沼駅の玄関前に立てば右前方向です。気仙沼のアメダスが示す気温は、冬ならば市街地より1℃か2℃低く表していると考えて良いかもしれません。
中谷地交差点を、今度は北側から見ています。もう11時近くです。これから右折です。
中谷地交差点と直交する、バイパスへ向かう道です。雪を載せているのはVOLVOの車だったような(^_^;)
歩道の除雪は事業所任せです。まあ歩く人が多いのは通勤時がメインなのでしょうけれど、人が見えません(^_^;) なので?夕方の閉店も早いです(>_<)
更に西に向けて進みますが、人の姿は見えません。まあ、基本は車(>_<) 次いでバイクや自転車、バス。
この通りは「新中央商店街」と銘打っていましたが、50年ほど前でしょうか、住宅の南進に対応して地域に新設された条南中学校が、震災の影響や、統合される気仙沼中学校より生徒数が多いのにも関わらず来春にも閉校となるので、「条南」の文字を残そうと新中央商店街改め条南商店街となったようです。
奥の山は市民の森。ヤマツツジの花が、山が燃えるように染める徳仙丈山は、その左奥。
この先、バイパスとの交差点で左折し、南下します。
13年前の大津波で被災した、気仙沼信用金庫松岩支店がバイパス沿いに再建されました。北側を向いてパチリです。ここは標高35m余りです。
ここのセブンは新規出店かと思うのですが、セブンの向こう隣、信金看板下の右にちょっとだけ窓が見えている国交省の国道維持管理事務所は、ここから3km南南東の海に近い国道脇に有って被災し、こちらへ。
右端にちょっとだけ見えているのは、震災後の需要を狙ったかビジネスホテルのルートインが来ました。
用事が終わったので、先程通ったバイパスを戻ります。北向きにパチリ。ここの歩道は除雪されていませんね(>_<)
震災とは直接関係は有りませんが、移転した市立病院が間もなく右手に見えてきます。
右奥に見える市立病院前を過ぎ、先程このバイパスに入った交差点で信号待ちです。丁度神山川に架かる橋の上です(^_^;) 東を向いてパチリです。左側が条南地区。
市立病院は以前の街中から市街地を外れた小高い丘の上に移転しました。当初バスルートも無い所でした。今は多少のバス便は有っても、中谷地交差点を通る旧国道から歩いて登るのは大変です。マイカーかタクシー(>_<)
なのに被災した県合同庁舎や警察は、利便が良い旧国道に隣接するイオンの向かいに有った県立女子校の跡地に再建されました。
身体が弱かったり、運転免許も持っていない人が多い患者が毎日何人も通うのに、より遠い市立病院。一般市民が毎日通うことなど滅多に無い、殆ど事業所系の人が車で行く警察と県の合同庁舎が市街地に近い.....(>_<)
市立病院移転の計画は震災前から進んでいたのですが、似たタイミングであり、あの震災を契機に大所高所の観点から見直せたはず。
更に言えば、計画段階で宮城県に優しい気持ちが有るのなら、市街地に近い女子高跡地は市民の通院に便利なので、移転用地に如何ですか?と市長に話して欲しかった....。
まあ県には県のご都合があり、地方の、更に地方の小都市の住民なんか知るもんか!!!的な態度は、宮城県が地元・仙台市の反対を押し切って進めようとしている、仙台方面4病院統合そして仙台市脱出を企てる姿と同一のものかと。お時間がある方は、「宮城県 4病院統合」で検索してみてください。
仙台市内に有る県関連2病院を日赤等と統合して2つとし、北隣と南隣にある市にそれぞれ新設するもの。人口の多い市内から病院が2つも無くなる仙台市が、県に対しどうして北隣の市に移転するか紹介したら、宮城県の中心は北隣の市だから....という県の回答でした。笑っちゃいますね(>_<) うーん、確かに地図上じゃ宮城県の中心位置かも知れませんが、人口や交通で見れば仙台が中心。
逆に、どうして南隣市に行くのか県に聞いたら、何と回答するのでしょうか。まさか、地図の重心とか適当なことを言うのでしょうか。聞いてみたいっ(^_^;) コロナの時もだけれど、宮城県知事と仙台市長は割と対立する姿を照ればでも見せていて、まあそれは良しとしても、知事は北隣市と何か密約でもしているのでは無いかなぁ...と勘ぐりたい発言。
100歩譲って南隣市には東北本線や仙台バイパスが有って便利なのですが、北隣市にはJRは無いし仙台地下鉄も行っていません。田舎では病状が重くなったり大きな手術で大病院を紹介されることが多く、特に北隣市への移転新設は交通が不便なので認める訳には行きません。
あっ、気仙沼の話でした(^_^;) でも、聞いてみたいのです。イオンの前で交通渋滞する所に警察署を移転新築して不便とは思わないのでしょうか。ここに見える市立病院の敷地はバイパス沿いで三陸道のインターにも近いです。地域の駐在所にはお巡りさんが居ないことも多い現状なら、パトカーに1分でも1秒でも現場へ早く着いて貰いたいものですが、イオン前の渋滞する道路に隣接する県有地に立地を決めた御方に聞いてみたいです(^_^)v
おおっと、そろそろスピードアップです(^_^;)
この道はまだバイパス。少し進んでまた止まりました。北向けです。右に行けば条南商店街経由の中谷地交差点です。当初ここで右折する予定でしたが、条南の郵便局を目指して1つ北側の交差点、つまりトンネル手前の交差点で右折します。
トンネルを抜けると先程居た東新城が右手に広がります。
左手のドラッグストアは、ここ上田中交差点に面していて、ただまだ工事中です。ここは40年以上も前、市内の家具屋さんがホームセンターに生まれ変わって出店しました。市内では一番目のホームセンターでしたが、その後、市外資本のホームセンターがいくつか進出してきたり、ドラッグストアでも食料品を扱うようになって売り上げが低迷し、昨年店を閉じました。思えばここから初めてのスキー板を買いました。ヨコミー奥様のおリュウさんや3匹の子豚の分も(^_^;) 地元資本の店が無くなるのは悲しいです(T_T)
トンネルが近くなりました。左手に同じドラッグストアの看板が有り、あれっ??と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、どうやらトンネル手前の既存店が、より大きな交差点角に移るようです。
正面は気仙沼高校や九条小学校が在る丘陵地帯の南面ですが、山の麓に近いためか積雪は多めです。
では、右折します。
右折して丘陵の南側を東進し、旧市立病院下を通り、旧国道に出る市道です。右側が区画整理された、条南商店街が有る市街地です。
写真左は枝垂れ桜の雪姿です。手前は家庭菜園かと。
私たちには公立病院と言った方がぴんとくるのですが、合併で市立病院となり、老朽化であちらへ移転新築された旧・市立病院ですが、解体が殆ど終わったようです。
右の坂道が大変なときも有りましたが、途中の染井吉野や御衣黄桜、そして別棟で学ぶ看護学生の姿に和み通院したものですが、特に珍しい御衣黄桜の姿が見えません。病院や工事関係者に御衣黄桜の貴重さを分かる人が居なかったのかな....(>_<)
という行程で、ヨコミー号12ヶ月点検の間に、代車で金融機関や郵便局、星爺宅を巡った旅は終わりを迎えます。
ちなみに代車は日産の軽・電気自動車サクラでした。蓄電池の容量が小さく、1回の充電では田舎では市内か隣接市の近い側だけ用かと思いました。もっとも埼玉県蕨市のような小振りの市が続いている辺りなら3つ4つも隣の市へ行けるでしょうけれど。
ところで、ついでに....とはいえ先日も紹介していますので自宅の様子を簡単に。
時間はやや遡り9時過ぎの撮影です。湿雪ですね。左がビワ、真ん中がモミジ、右がサザンカです。細い枝しか無いモミジに雪がいっぱい付いていますし、左のビワは雪の重さで枝がかなり垂れ下がりました。なので急いで突き、雪を下ろしました。美味しいビワを食べるために(^_^;)
以前もお見せした宅配瓶牛乳を受ける箱ですが、先日とは違って三角に積もっています。自宅側が不思議に少ないです。配達の無い日なので積もったまま。箱の前に雪が無いのは?? 箱は移動していません。上から前に多少出る形で積もったため雪が庇が割となったのでしょうか。風の向きか更に考えたいです。
直ぐ向こうの円筒は新聞受け。これは配達さんが雪を除けたのでしょう。
縁台です。この朝までの積雪は17~18cmとみましたが、よーく見ると右の家庭菜園側が左端自宅側より15%近く厚く積もっています。どのように風が吹けばこのように積もるのでしょうか、誰に聞こうかな?(^_^;)
簡単に更新しようとしたら、思いの外時間が掛かってしまいました(>_<)
世界中が平和になるなんて、いろんな考えの人が住んで居るので、途方も無い夢なのかも知れませんが、先ずは1人でも2人でも....少しでも幸せになって欲しいと祈り、各々に何が出来るか考えることを広めたいです。
疲れた身体と頭を休め、3月、まだ頑張りたいです。そんな訳で、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
昨日(2月28日)、今日と割と良いお天気でしたが、考えて見ればもう1週間も過ぎたのですが、2月22日は、朝起きたらまた大雪でした。
ヨコミー家では17~18cmの積雪と見ました。まあ札幌等を除き都会地にしてみれば大変な雪でしょうけれど、ここ気仙沼は雪国じゃありませんので、ちょっとした大雪ではあります。
でも、公道は深夜から行政が除雪してくれるし、公道までを家庭で除雪すれば、車は皆冬タイヤなので事故でも起きない限り渋滞になることはありません。
確かに一度に降る量としては多いのですが、今冬は少雪で推移しているので、貯まっていたのが払い出しされた感じ(^_^;) それでも例年並みの量では無いと思います。スキー場でも少ないです。
さてその2月22日、所用が有って市街地へ出掛けましたので、雪の様子を紹介します。
参考までにグーグルマップからお借りして地図を貼り付けたいのですが、「Google Maps へのアクセス権がありません....」と訳の分からないことを言ってきます(>_<) なので地図無しですm(_ _)m
新しい商業の中心地となって久しい中谷地交差点付近です。旧国道45号です。10時過ぎ、南側から北方向をパチリ。
多くの地方小都市は同じだと思うのですが、中心市街地は衰退しつつあって、新しい商業の中心は郊外に出来ているのかと。
気仙沼市の中心市街地は、交差点向こうに見えるお山(本町や化粧坂)を越えた辺りに有る気仙沼駅から、東南東2km弱の所に有る内湾を結ぶ古町、三日町、八日町、南町等一帯かと。
それが、40年も前に撮影場所の右後ろ300m程の所にジャスコ(現・イオン)が出来、それに対して中心市街地は急速に発達する車社会に対応しきれなかったり、後継者問題が有ったり、複合施設は出来たもののイマイチ時流に乗れず....。
震災を機に内湾一帯は再開発されましたが、架橋によって大島への玄関口じゃなくなったことが、中心市街地に悪い影響を与えるのではないかと心配。あっ、ここ中谷地交差点のことではありませんでしたね(^_^;)
少し進んで中谷地交差点直前です。写真的には上に置いた写真の方が間近に見えるのは望遠気味で撮ったため。こちらは超広角レンズです。
右(東)に行くと気仙沼魚市場方向。途中で左折すると丘の上にある市民会館や気仙沼小学校、気仙沼中学校等に。魚市場北桟橋をかすめて進めば出漁岸壁や内湾に至る道。
左(西)に行けば国道45号バイパスまでの間に発達した商業地が続きます。
今でこそ商業地ですが一帯は以前田んぼで、50年近く前に土地区画整理があり、更には南側の国道隣接地にジャスコが出来て大きく変貌しました。西側にこの道、旧・国道のバイパスが出来て、中谷地交差点から西へ事業所や商店が続くようになりました。
左側の服屋さんは除雪の苦労が忍ばれます(^_^;)
気仙沼駅から南西に1km程離れた丘の上に有る住宅地から、大島方向をパチリ。右奥の山が大島の亀山で、北麓。
中央付近に見える高層アパートは内ノ脇の災害公営住宅。津波が遡った川の直ぐ隣ですが、堤防の整備や盛土、そして1階に住居が無い設計で建てられています。
公営住宅の屋根に接するように見えているのが三陸道。
撮影場所は国道45号バイパスのちょっとだけ西側です。山の麓なので多少は雪が多いかと。
凡そ南北に伸びる東新城のメインストリートです。北端は気仙沼駅前通り西端と僅かに接していますが、中心市街地とは大川や本町や館山の丘陵地帯で遮られています。
30年以上前に土地の区画整理が行われ、その後住宅や事業所が少しずつ移ってきて、それなりの街を形成していました。左は気仙沼保健所です。この先に薄らと大島が見えています。
13年前の大津波被害を受けた以降、更に住宅や事業所、飲食店等が建ち並びました。
左手の斜面は本町2丁目。右奥の杉林はお墓山が有る本町1丁目で、その裏側には中心市街地の三日町等が有ります。本日の1枚目2枚目の奥、突き当たりがここです。ちょっと大きめな駐在所も有ります。1丁目と2丁目の間を旧国道45号が通っています。
写真右下は雪が乗った縁石ですが、写真中程やや手前に白いガードレールが有り、その向こう、本町との間に岩手県から流れ出る大川が有ります。
ちなみにアメダスの観測所は左側の山続きのてっぺんに有ります。気仙沼駅の玄関前に立てば右前方向です。気仙沼のアメダスが示す気温は、冬ならば市街地より1℃か2℃低く表していると考えて良いかもしれません。
中谷地交差点を、今度は北側から見ています。もう11時近くです。これから右折です。
中谷地交差点と直交する、バイパスへ向かう道です。雪を載せているのはVOLVOの車だったような(^_^;)
歩道の除雪は事業所任せです。まあ歩く人が多いのは通勤時がメインなのでしょうけれど、人が見えません(^_^;) なので?夕方の閉店も早いです(>_<)
更に西に向けて進みますが、人の姿は見えません。まあ、基本は車(>_<) 次いでバイクや自転車、バス。
この通りは「新中央商店街」と銘打っていましたが、50年ほど前でしょうか、住宅の南進に対応して地域に新設された条南中学校が、震災の影響や、統合される気仙沼中学校より生徒数が多いのにも関わらず来春にも閉校となるので、「条南」の文字を残そうと新中央商店街改め条南商店街となったようです。
奥の山は市民の森。ヤマツツジの花が、山が燃えるように染める徳仙丈山は、その左奥。
この先、バイパスとの交差点で左折し、南下します。
13年前の大津波で被災した、気仙沼信用金庫松岩支店がバイパス沿いに再建されました。北側を向いてパチリです。ここは標高35m余りです。
ここのセブンは新規出店かと思うのですが、セブンの向こう隣、信金看板下の右にちょっとだけ窓が見えている国交省の国道維持管理事務所は、ここから3km南南東の海に近い国道脇に有って被災し、こちらへ。
右端にちょっとだけ見えているのは、震災後の需要を狙ったかビジネスホテルのルートインが来ました。
用事が終わったので、先程通ったバイパスを戻ります。北向きにパチリ。ここの歩道は除雪されていませんね(>_<)
震災とは直接関係は有りませんが、移転した市立病院が間もなく右手に見えてきます。
右奥に見える市立病院前を過ぎ、先程このバイパスに入った交差点で信号待ちです。丁度神山川に架かる橋の上です(^_^;) 東を向いてパチリです。左側が条南地区。
市立病院は以前の街中から市街地を外れた小高い丘の上に移転しました。当初バスルートも無い所でした。今は多少のバス便は有っても、中谷地交差点を通る旧国道から歩いて登るのは大変です。マイカーかタクシー(>_<)
なのに被災した県合同庁舎や警察は、利便が良い旧国道に隣接するイオンの向かいに有った県立女子校の跡地に再建されました。
身体が弱かったり、運転免許も持っていない人が多い患者が毎日何人も通うのに、より遠い市立病院。一般市民が毎日通うことなど滅多に無い、殆ど事業所系の人が車で行く警察と県の合同庁舎が市街地に近い.....(>_<)
市立病院移転の計画は震災前から進んでいたのですが、似たタイミングであり、あの震災を契機に大所高所の観点から見直せたはず。
更に言えば、計画段階で宮城県に優しい気持ちが有るのなら、市街地に近い女子高跡地は市民の通院に便利なので、移転用地に如何ですか?と市長に話して欲しかった....。
まあ県には県のご都合があり、地方の、更に地方の小都市の住民なんか知るもんか!!!的な態度は、宮城県が地元・仙台市の反対を押し切って進めようとしている、仙台方面4病院統合そして仙台市脱出を企てる姿と同一のものかと。お時間がある方は、「宮城県 4病院統合」で検索してみてください。
仙台市内に有る県関連2病院を日赤等と統合して2つとし、北隣と南隣にある市にそれぞれ新設するもの。人口の多い市内から病院が2つも無くなる仙台市が、県に対しどうして北隣の市に移転するか紹介したら、宮城県の中心は北隣の市だから....という県の回答でした。笑っちゃいますね(>_<) うーん、確かに地図上じゃ宮城県の中心位置かも知れませんが、人口や交通で見れば仙台が中心。
逆に、どうして南隣市に行くのか県に聞いたら、何と回答するのでしょうか。まさか、地図の重心とか適当なことを言うのでしょうか。聞いてみたいっ(^_^;) コロナの時もだけれど、宮城県知事と仙台市長は割と対立する姿を照ればでも見せていて、まあそれは良しとしても、知事は北隣市と何か密約でもしているのでは無いかなぁ...と勘ぐりたい発言。
100歩譲って南隣市には東北本線や仙台バイパスが有って便利なのですが、北隣市にはJRは無いし仙台地下鉄も行っていません。田舎では病状が重くなったり大きな手術で大病院を紹介されることが多く、特に北隣市への移転新設は交通が不便なので認める訳には行きません。
あっ、気仙沼の話でした(^_^;) でも、聞いてみたいのです。イオンの前で交通渋滞する所に警察署を移転新築して不便とは思わないのでしょうか。ここに見える市立病院の敷地はバイパス沿いで三陸道のインターにも近いです。地域の駐在所にはお巡りさんが居ないことも多い現状なら、パトカーに1分でも1秒でも現場へ早く着いて貰いたいものですが、イオン前の渋滞する道路に隣接する県有地に立地を決めた御方に聞いてみたいです(^_^)v
おおっと、そろそろスピードアップです(^_^;)
この道はまだバイパス。少し進んでまた止まりました。北向けです。右に行けば条南商店街経由の中谷地交差点です。当初ここで右折する予定でしたが、条南の郵便局を目指して1つ北側の交差点、つまりトンネル手前の交差点で右折します。
トンネルを抜けると先程居た東新城が右手に広がります。
左手のドラッグストアは、ここ上田中交差点に面していて、ただまだ工事中です。ここは40年以上も前、市内の家具屋さんがホームセンターに生まれ変わって出店しました。市内では一番目のホームセンターでしたが、その後、市外資本のホームセンターがいくつか進出してきたり、ドラッグストアでも食料品を扱うようになって売り上げが低迷し、昨年店を閉じました。思えばここから初めてのスキー板を買いました。ヨコミー奥様のおリュウさんや3匹の子豚の分も(^_^;) 地元資本の店が無くなるのは悲しいです(T_T)
トンネルが近くなりました。左手に同じドラッグストアの看板が有り、あれっ??と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、どうやらトンネル手前の既存店が、より大きな交差点角に移るようです。
正面は気仙沼高校や九条小学校が在る丘陵地帯の南面ですが、山の麓に近いためか積雪は多めです。
では、右折します。
右折して丘陵の南側を東進し、旧市立病院下を通り、旧国道に出る市道です。右側が区画整理された、条南商店街が有る市街地です。
写真左は枝垂れ桜の雪姿です。手前は家庭菜園かと。
私たちには公立病院と言った方がぴんとくるのですが、合併で市立病院となり、老朽化であちらへ移転新築された旧・市立病院ですが、解体が殆ど終わったようです。
右の坂道が大変なときも有りましたが、途中の染井吉野や御衣黄桜、そして別棟で学ぶ看護学生の姿に和み通院したものですが、特に珍しい御衣黄桜の姿が見えません。病院や工事関係者に御衣黄桜の貴重さを分かる人が居なかったのかな....(>_<)
という行程で、ヨコミー号12ヶ月点検の間に、代車で金融機関や郵便局、星爺宅を巡った旅は終わりを迎えます。
ちなみに代車は日産の軽・電気自動車サクラでした。蓄電池の容量が小さく、1回の充電では田舎では市内か隣接市の近い側だけ用かと思いました。もっとも埼玉県蕨市のような小振りの市が続いている辺りなら3つ4つも隣の市へ行けるでしょうけれど。
ところで、ついでに....とはいえ先日も紹介していますので自宅の様子を簡単に。
時間はやや遡り9時過ぎの撮影です。湿雪ですね。左がビワ、真ん中がモミジ、右がサザンカです。細い枝しか無いモミジに雪がいっぱい付いていますし、左のビワは雪の重さで枝がかなり垂れ下がりました。なので急いで突き、雪を下ろしました。美味しいビワを食べるために(^_^;)
以前もお見せした宅配瓶牛乳を受ける箱ですが、先日とは違って三角に積もっています。自宅側が不思議に少ないです。配達の無い日なので積もったまま。箱の前に雪が無いのは?? 箱は移動していません。上から前に多少出る形で積もったため雪が庇が割となったのでしょうか。風の向きか更に考えたいです。
直ぐ向こうの円筒は新聞受け。これは配達さんが雪を除けたのでしょう。
縁台です。この朝までの積雪は17~18cmとみましたが、よーく見ると右の家庭菜園側が左端自宅側より15%近く厚く積もっています。どのように風が吹けばこのように積もるのでしょうか、誰に聞こうかな?(^_^;)
簡単に更新しようとしたら、思いの外時間が掛かってしまいました(>_<)
世界中が平和になるなんて、いろんな考えの人が住んで居るので、途方も無い夢なのかも知れませんが、先ずは1人でも2人でも....少しでも幸せになって欲しいと祈り、各々に何が出来るか考えることを広めたいです。
疲れた身体と頭を休め、3月、まだ頑張りたいです。そんな訳で、本日もお終いm(_ _)m
北限!? 真冬のパッションフルーツ 20240216 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは北国、宮城県気仙沼市本吉町風の丘。
今日2月21日は朝から雪です。小雪程度の降りなので市道では直ぐ解けます。自宅前の土の上でも直ぐ解けていましたが、家庭菜園や草地では直ぐには解けないようです。
午前中の、一時降る量が少なくなったコーヒータイム後、いつか紹介した竹の編み笠をかぶり、家庭菜園で作業をしました。このとき、外へ出るのに全くのためらいは無く、長引く風邪も完治だと思うのですが、鼻が乾いて鼻血が出たり、まだ時折酷い咳が続きます。まだか(>_<)
先日の夜、頭にヘッドランプを点けて外へ出たら、細かい浮遊物がかなり見えました。風は殆ど無い夜なので、土埃としても量は少ないかと。花粉でしょうか。それとも高速道を走るタイヤからの??
田舎の夜なら、月明かりが無い限り暗いのでヘッドランプで見えますが、都会なら暗い所が無いので分からないで吸っているかも。強力なライトを暗い所で付けて見てください。日を置いて何度かお試しを。
(写真はクリックするとやや大きくなります)
2月16日に撮影したパッションフルーツの実です。あの、南国を思わせる美味し~い果物です。撮影日は以下同です。
ちょっとの前の記事で玄関のカランコエを紹介しましたが、その並びに、まだパッションフルーツが3鉢、各1個の実を付けています。
そう、暖かい所の植物です。なので耐寒性は都内の屋外でやっと越冬出来る程度...と聞いています。
玄関の様子です。ごちゃごちゃ(>_<) 屋外が暖かくなるまで、この状態(^_^;)
ここ気仙沼は宮城県ですが、位置的には沿岸部で岩手県側に食い込んだような所に有り、岩手県気仙沼市....と住所を書いても届く所(^_^;) 岩手県の湘南・陸前高田市の南隣ですが、寒いのです(^_^;)
2個目のパッションフルーツです。うーん、3個目は奥まっていて、撮影が難しく、今回略(^_^;)
そんな所でパッションフルーツを作って居るのは、ヨコミーだけか!? そして最北端かも(>_<)
もっとも、作っている....というより、夏を過ぎて咲いた花が実を付けたので、捨てきれず育てて越冬させているという、消極的なもの(>_<)
玄関に加温設備は無く、晴れた日の日光のみ(>_<) なので普通3ヶ月で熟すのに倍近く掛かっています(>_<) 玄関はホールというか廊下とは仕切られていて、暖房している部屋に隣接している訳ではありませんので、室内の熱は殆ど伝わっていないかと。
まあそろそろ2個は熟して落果しそうなので、見守りたいです。残る1個はまだ遅れていて、熟すのは4月になるかも(>_<)
実が落ちたら根や茎、葉をコンパクトにし、小さな鉢で春を待ちます。もう春ですけどね(^_^;)
カランコエのその後です。同じ2月16日の撮影です。花が終わったら植え替えたいです。
今日2月21日夜のNHKクローズアップ現代は、ロシアに侵略されているウクライナの現況を取り上げていました。兵力の他に兵士も足らず、動員年齢を引き下げるとか(>_<)
でも国民の間には、長引く戦争に嫌気が差している人も居るようで、デモも(>_<)
「夫は2年間前線に行っているので休暇を取らせろ」と言う声も。そう言いたい気持ちも分からないことも無いですが、ロシアと比べて小国のウクライナに、そんな楽勝の余裕は有るのでしょうか。兵士が休暇で戻っている内に国土は侵略が進み、ミサイル防衛もままならないかと(>_<)
また、とある若者は戦争が始まって子供が生まれたので妻子を正規に国外に出し、自らは兵舎から逃げ出し、不法に国境を越えたと。不法滞在で仕事もままならず、でもウクライナが平和になったら戻りたい....だと(>_<) 戦争に負けてロシアの傀儡(かいらい)政権が出来たら、以前のようなウクライナではなくなるし、仮に勝ったとしても、その若者はどんな顔で暮らす事が出来るのでしょうか。
更には兵役逃れを手助けする弁護士も登場していました。兵役逃れが多いためか、まあ、ロシアが流している揺動作戦の動画かもしれませんが、一部では軍が強制的に徴兵に乗り出している様な動画も(>_<)
誰が平和を取り戻し、守るのでしょうか。生産現場なら省力化で人員削減も出来るのでしょうけれど、神や仏に祈れば戦地に来て戦ってくれるのでしょうか。全ては一つ一つの、地道な積み重ねではないでしょうか。
戦争の火種は日本の傍にも。台湾を武力行使してでも手に入れたい中華が直ぐ西に有り、その中華は新聞によれば日本政府が所有者に近年まで借地料を支払っていた尖閣諸島を我がものにせんと、中華政府の船が毎日のように領海侵入を繰り返しています(>_<) そして北にはロケットマンがポンポンと打ち上げています(>_<) 北方領土に居座るロシアも(>_<)
世界の全てが平和の色に染まることが出来るのでしょうか。でも、取り敢えずは平和を祈り、宇宙のゴミみたいな小さなヨコミーに何が出来るか、まあ投票+アルファーかも知れませんが、小さな気持ちをしっかりと持って前に進みたいです。
世界の平和を祈り、今夜もお終いm(_ _)m
ここは北国、宮城県気仙沼市本吉町風の丘。
今日2月21日は朝から雪です。小雪程度の降りなので市道では直ぐ解けます。自宅前の土の上でも直ぐ解けていましたが、家庭菜園や草地では直ぐには解けないようです。
午前中の、一時降る量が少なくなったコーヒータイム後、いつか紹介した竹の編み笠をかぶり、家庭菜園で作業をしました。このとき、外へ出るのに全くのためらいは無く、長引く風邪も完治だと思うのですが、鼻が乾いて鼻血が出たり、まだ時折酷い咳が続きます。まだか(>_<)
先日の夜、頭にヘッドランプを点けて外へ出たら、細かい浮遊物がかなり見えました。風は殆ど無い夜なので、土埃としても量は少ないかと。花粉でしょうか。それとも高速道を走るタイヤからの??
田舎の夜なら、月明かりが無い限り暗いのでヘッドランプで見えますが、都会なら暗い所が無いので分からないで吸っているかも。強力なライトを暗い所で付けて見てください。日を置いて何度かお試しを。
(写真はクリックするとやや大きくなります)
2月16日に撮影したパッションフルーツの実です。あの、南国を思わせる美味し~い果物です。撮影日は以下同です。
ちょっとの前の記事で玄関のカランコエを紹介しましたが、その並びに、まだパッションフルーツが3鉢、各1個の実を付けています。
そう、暖かい所の植物です。なので耐寒性は都内の屋外でやっと越冬出来る程度...と聞いています。
玄関の様子です。ごちゃごちゃ(>_<) 屋外が暖かくなるまで、この状態(^_^;)
ここ気仙沼は宮城県ですが、位置的には沿岸部で岩手県側に食い込んだような所に有り、岩手県気仙沼市....と住所を書いても届く所(^_^;) 岩手県の湘南・陸前高田市の南隣ですが、寒いのです(^_^;)
2個目のパッションフルーツです。うーん、3個目は奥まっていて、撮影が難しく、今回略(^_^;)
そんな所でパッションフルーツを作って居るのは、ヨコミーだけか!? そして最北端かも(>_<)
もっとも、作っている....というより、夏を過ぎて咲いた花が実を付けたので、捨てきれず育てて越冬させているという、消極的なもの(>_<)
玄関に加温設備は無く、晴れた日の日光のみ(>_<) なので普通3ヶ月で熟すのに倍近く掛かっています(>_<) 玄関はホールというか廊下とは仕切られていて、暖房している部屋に隣接している訳ではありませんので、室内の熱は殆ど伝わっていないかと。
まあそろそろ2個は熟して落果しそうなので、見守りたいです。残る1個はまだ遅れていて、熟すのは4月になるかも(>_<)
実が落ちたら根や茎、葉をコンパクトにし、小さな鉢で春を待ちます。もう春ですけどね(^_^;)
カランコエのその後です。同じ2月16日の撮影です。花が終わったら植え替えたいです。
今日2月21日夜のNHKクローズアップ現代は、ロシアに侵略されているウクライナの現況を取り上げていました。兵力の他に兵士も足らず、動員年齢を引き下げるとか(>_<)
でも国民の間には、長引く戦争に嫌気が差している人も居るようで、デモも(>_<)
「夫は2年間前線に行っているので休暇を取らせろ」と言う声も。そう言いたい気持ちも分からないことも無いですが、ロシアと比べて小国のウクライナに、そんな楽勝の余裕は有るのでしょうか。兵士が休暇で戻っている内に国土は侵略が進み、ミサイル防衛もままならないかと(>_<)
また、とある若者は戦争が始まって子供が生まれたので妻子を正規に国外に出し、自らは兵舎から逃げ出し、不法に国境を越えたと。不法滞在で仕事もままならず、でもウクライナが平和になったら戻りたい....だと(>_<) 戦争に負けてロシアの傀儡(かいらい)政権が出来たら、以前のようなウクライナではなくなるし、仮に勝ったとしても、その若者はどんな顔で暮らす事が出来るのでしょうか。
更には兵役逃れを手助けする弁護士も登場していました。兵役逃れが多いためか、まあ、ロシアが流している揺動作戦の動画かもしれませんが、一部では軍が強制的に徴兵に乗り出している様な動画も(>_<)
誰が平和を取り戻し、守るのでしょうか。生産現場なら省力化で人員削減も出来るのでしょうけれど、神や仏に祈れば戦地に来て戦ってくれるのでしょうか。全ては一つ一つの、地道な積み重ねではないでしょうか。
戦争の火種は日本の傍にも。台湾を武力行使してでも手に入れたい中華が直ぐ西に有り、その中華は新聞によれば日本政府が所有者に近年まで借地料を支払っていた尖閣諸島を我がものにせんと、中華政府の船が毎日のように領海侵入を繰り返しています(>_<) そして北にはロケットマンがポンポンと打ち上げています(>_<) 北方領土に居座るロシアも(>_<)
世界の全てが平和の色に染まることが出来るのでしょうか。でも、取り敢えずは平和を祈り、宇宙のゴミみたいな小さなヨコミーに何が出来るか、まあ投票+アルファーかも知れませんが、小さな気持ちをしっかりと持って前に進みたいです。
世界の平和を祈り、今夜もお終いm(_ _)m
ポン・ブルックス彗星他 今冬の彗星 20240208 [星]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日2月14日は春を思わせるほど暖かかったものの、風がとても強かったです。最近特に風が強いです。季節外れの暖かさは、アメダスを見たら17℃位まで上がったようですが、この夏はどうなるのかなぁ...と心配です(>_<)
ヨコミーの風邪は殆ど治りましたが、完治しない内に昨夜風邪症状と思われる偏頭痛がちょっと有り、風邪症状の中でも偏頭痛は大変なので、昨日2回、市販の風邪薬を飲みました。このため何とか今日は偏頭痛無しで過ごすことが出来ました。明日も大丈夫か!??
さて今回は彗星(すいせい)です。流れ星ではありません。勿論、水星でもありません。ほうき星です。
写真はクリックすると多少大きくなります。
ポン・ブルックス彗星(周期彗星番号=12P)です。1812年、フランスのポンによって発見され、その後見失われていたところを1883年、アメリカのブルックスによって再発見されました。
今は夕方の北西、はくちょう座ととかげ座の間辺りに有りますが、この位置は未明、北東の低空でも見る事が出来ます。71年の周期で太陽に近付きます。
撮影は2月8日18時過ぎ、いつもの望遠鏡(以下同)で撮影しました。望遠レンズ風に書けば焦点距離1200mm、F4.8です。写真のスケールは、長辺が月の直径と同じ0.5度で、以下も同じです。
この望遠鏡を「赤道儀」と呼ばれる、星を長く追い掛けることが出来る架台に載せています。彗星は見掛け上、星より動きが速いので、彗星を基準として望遠鏡で追い掛けた結果、他の星は線状に写っています。
頭部は緑色のコマを纏っています。その直径は月の1/3程度でしょうか。頭部から上にイオンの尾が薄く写っています。
今の光度は凡そ8等。この明るさは、肉眼で見える一番暗い星は6等ですが、その2ランク下の明るさなので、少なくても口径4センチ程度の双眼鏡が必要で、それでもやっと見える程度。今年4月21日には太陽に接近するので、まだまだ明るくなります。その頃はひょっとして肉眼でも見えるか!??
楽しみです(^_^)v
アマチュア天文家の串田嘉男さんが、1994年に発見した串田彗星(12P)です。今はおうし座に有り、明るさは10等程度。7年余りの周期で太陽に近付きます。
緑色のコマが月の1/3程度に広がっていますが、なにやら左へやや上がり気味に細いイオンの尾が有りそうです。
この彗星は1月25日に太陽への接近を終えており、光度はこれから暗くなるばかりです。でも、7年後が楽しみです。
中国で1965年に発見された紫金山第1彗星(62P)です。今はおとめ座に有り、6年余りの周期で太陽に近付きます。
緑色のコマが月の1/4程度の直径で見えていますが、どうやら右上にダストの尾を引いているようです。
今は10等程度ですが太陽への接近は昨年12月25日に終えており、段々と暗くなります。
写真の上端に、他とは違った、やや斜め右上に伸びている星像を調べたら、小惑星シェン・グォ(登録番号2027番)でした。なんか名前からして、こちらも中国発見?と思わせる感じですが、詳しくは調べません(^_^;)
このように、彗星を追い掛けているといろんな遭遇があります。小惑星らしき星像は1月に撮影したコマにも写り込んでいて、でも最新データに更新している星空ソフトでも名前は見つけかねました。
と言うことは新小惑星発見!??なのかも知れませんが、以前も紹介していましたが、地球にぶつかりそうな小天体が組織的に捜索されており、その網に引っ掛からない星がアマチュアの小望遠鏡で捉えられることは、まず無いかと。
また、精度の悪いデーターが更新されずにいた小惑星かも知れません。まあ、いろんな遭遇も楽しみの一つです。
このように星を見て楽しんでいる内に、世界を見ればウクライナやガザ地区等ではまだまだ戦争が続いており、特に米国によるウクライナ支援の予算はトランプ元大統領の発言で議会は可決出来ないで居ます(>_<)
国内を見れば高校生の他殺死体が川原で発見されたりと、この世には争い事に溢れている様に思えます。また、争えない幼児への虐待もまだまだ報じられています。心が痛み、悲しいですね....。
「望めば何でもかなう」と聞いたことは有りますが、本当でしょうか。全ての人が平和に暮らせることなんて、実現出来るのでしょうか。気の遠くなるような「悪」との戦いの先であっても....。
でも....、願いもしないことは実現も出来ないかと。ホップ、ステップ、ジャンプ...ではありませんが、気持ちの輪を広げ、次なる高みへと繋げたいです(^_^)v うーん、ヨコミーは新興宗教の教祖様になろうかな。無神論者みたいなヨコミーですけど(^_^;)
世界の平和を祈り、本日もお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日2月14日は春を思わせるほど暖かかったものの、風がとても強かったです。最近特に風が強いです。季節外れの暖かさは、アメダスを見たら17℃位まで上がったようですが、この夏はどうなるのかなぁ...と心配です(>_<)
ヨコミーの風邪は殆ど治りましたが、完治しない内に昨夜風邪症状と思われる偏頭痛がちょっと有り、風邪症状の中でも偏頭痛は大変なので、昨日2回、市販の風邪薬を飲みました。このため何とか今日は偏頭痛無しで過ごすことが出来ました。明日も大丈夫か!??
さて今回は彗星(すいせい)です。流れ星ではありません。勿論、水星でもありません。ほうき星です。
写真はクリックすると多少大きくなります。
ポン・ブルックス彗星(周期彗星番号=12P)です。1812年、フランスのポンによって発見され、その後見失われていたところを1883年、アメリカのブルックスによって再発見されました。
今は夕方の北西、はくちょう座ととかげ座の間辺りに有りますが、この位置は未明、北東の低空でも見る事が出来ます。71年の周期で太陽に近付きます。
撮影は2月8日18時過ぎ、いつもの望遠鏡(以下同)で撮影しました。望遠レンズ風に書けば焦点距離1200mm、F4.8です。写真のスケールは、長辺が月の直径と同じ0.5度で、以下も同じです。
この望遠鏡を「赤道儀」と呼ばれる、星を長く追い掛けることが出来る架台に載せています。彗星は見掛け上、星より動きが速いので、彗星を基準として望遠鏡で追い掛けた結果、他の星は線状に写っています。
頭部は緑色のコマを纏っています。その直径は月の1/3程度でしょうか。頭部から上にイオンの尾が薄く写っています。
今の光度は凡そ8等。この明るさは、肉眼で見える一番暗い星は6等ですが、その2ランク下の明るさなので、少なくても口径4センチ程度の双眼鏡が必要で、それでもやっと見える程度。今年4月21日には太陽に接近するので、まだまだ明るくなります。その頃はひょっとして肉眼でも見えるか!??
楽しみです(^_^)v
アマチュア天文家の串田嘉男さんが、1994年に発見した串田彗星(12P)です。今はおうし座に有り、明るさは10等程度。7年余りの周期で太陽に近付きます。
緑色のコマが月の1/3程度に広がっていますが、なにやら左へやや上がり気味に細いイオンの尾が有りそうです。
この彗星は1月25日に太陽への接近を終えており、光度はこれから暗くなるばかりです。でも、7年後が楽しみです。
中国で1965年に発見された紫金山第1彗星(62P)です。今はおとめ座に有り、6年余りの周期で太陽に近付きます。
緑色のコマが月の1/4程度の直径で見えていますが、どうやら右上にダストの尾を引いているようです。
今は10等程度ですが太陽への接近は昨年12月25日に終えており、段々と暗くなります。
写真の上端に、他とは違った、やや斜め右上に伸びている星像を調べたら、小惑星シェン・グォ(登録番号2027番)でした。なんか名前からして、こちらも中国発見?と思わせる感じですが、詳しくは調べません(^_^;)
このように、彗星を追い掛けているといろんな遭遇があります。小惑星らしき星像は1月に撮影したコマにも写り込んでいて、でも最新データに更新している星空ソフトでも名前は見つけかねました。
と言うことは新小惑星発見!??なのかも知れませんが、以前も紹介していましたが、地球にぶつかりそうな小天体が組織的に捜索されており、その網に引っ掛からない星がアマチュアの小望遠鏡で捉えられることは、まず無いかと。
また、精度の悪いデーターが更新されずにいた小惑星かも知れません。まあ、いろんな遭遇も楽しみの一つです。
このように星を見て楽しんでいる内に、世界を見ればウクライナやガザ地区等ではまだまだ戦争が続いており、特に米国によるウクライナ支援の予算はトランプ元大統領の発言で議会は可決出来ないで居ます(>_<)
国内を見れば高校生の他殺死体が川原で発見されたりと、この世には争い事に溢れている様に思えます。また、争えない幼児への虐待もまだまだ報じられています。心が痛み、悲しいですね....。
「望めば何でもかなう」と聞いたことは有りますが、本当でしょうか。全ての人が平和に暮らせることなんて、実現出来るのでしょうか。気の遠くなるような「悪」との戦いの先であっても....。
でも....、願いもしないことは実現も出来ないかと。ホップ、ステップ、ジャンプ...ではありませんが、気持ちの輪を広げ、次なる高みへと繋げたいです(^_^)v うーん、ヨコミーは新興宗教の教祖様になろうかな。無神論者みたいなヨコミーですけど(^_^;)
世界の平和を祈り、本日もお終いm(_ _)m
花火みたいなカランコエ ヨコミー家の玄関 20240122 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは宮城県気仙沼市本吉町風の丘。
一つ前の記事で、気仙沼に雪が舞い始めるのは12月....と書きましたが、若干修正m(_ _)m
前住地の、生まれてから40年も住んで居た市内鹿折(ししおり)地区。ヨコミー10歳前後の頃、近くに有る小山の上で父母が小さな畑を耕していました。寒くなる毎年11月下旬、漬け物にする大根を抜いて、畑の北側に有る杉の木の下にハセと呼ばれる長木を渡し、大根を掛けて何日か干します。長くなりましたが、そんな頃に冷たい西風が吹き、良く小雪が舞いました。舞い始め。冷たい風の中、冷たい大根を扱い、軍手も掛けない手は荒れの仕放題(>_<)
実は昨日30日、昨年11月の地元紙を整理していて、11月25日辺り付けに、市役所裏にそびえる標高200m余りの安波山が雪化粧した....との記事が有り、子供の頃を思い出した次第です。
記事は、ただ余りにも白く化粧していて、疑う訳ではありませんが、周りの風景と山の形が記憶に合わず、山のどちら側から撮ったものか判別出来ませんでした。まあ、凡そ西斜面でしょう。
風の丘は、市街地西側より1℃か2℃は暖かいです。うーん、3℃?(^_^;) 雪が舞い始めるのは市街地より遅いです。
そんな風の丘も冬はそれなりに寒く、暖かい所系の鉢物は玄関やその前の風除室、ヨコミー奥様のおリュウさんなどは客間と呼んでいる小さな和室にまで鉢物を取り込んでいます(>_<)
その玄関には、福島県の(^_^;)ホームセンターで安く売っていたスチールラックを置き、年末からごちゃごちゃ(>_<)
カランコエです。それは玄関の....
こんな所に有ります。本当にごちゃごちゃ(^_^;) カランコエはほぼ中央。左に首を長く伸ばし、花が付いています。
上端は昨年紹介したシャコバサボテンですが、今年は昨年の手入れが悪く、花は期待出来そうにありません(>_<)
真ん中左から下はパッションフルーツの3鉢。確か盆過ぎか9月になって咲いたやつで、現在3個の実が付いています。1個はそろそろ完熟し落果間近。更に1つは割と熟してきて2月中には落果かも。残る1個はまだ青々としていて、熟すのが先か、寒さにやられるのが先か....といった状態(>_<)
遅く蕾を持ったとき、早々摘んでいればこの様な寒さの中で育てることも無かったでしょうけれど、遅くなったけど咲きたい....という蕾を摘む気にはなれませんでした。まあ、第一、卑しいし....(^_^;) 機会が有れば、いつか紹介したいです(^_^)v
あっ、カランコエのちょっと拡大です。首を長~くしていますが、光を求めて...なのでしょう。ヨコミー家の玄関は、真冬でも大雪や雨で無ければ、明かり取りのため戸は閉めず(^_^;)、網戸です(^_^)v
そんな状態でも光を欲し、首を....ええっ、長くした? 倒れながら育ったんじゃ?? 前住地は玄関前の風除室でした。陽光燦々、寒さは厳しい(T_T) 風除室での記憶が有りません(>_<)
花火です(^_^;)
1つ上の写真で分かる様に、背景の暗さにオートの露出が引っ張られ、花の辺りが露出オーバーとなっています。なので最初の写真は、思い出しながら多少ガンマを下げています。その際、ツツーッと指が滑り、暗くなり過ぎたら、なんとカランコエの花が花火に(^_^;) 絵心は有りませんので、遊びです。
遊びといえば、最近おもちゃを仕入れました。なので財布には諭吉様が居りません(>_<) ただ大変なおもちゃで、取扱説明書は紙切れ程度(T_T) 使いこなさねば成りません(>_<)
世界の平和を祈り、1月の終わりとします。来月はもう少し頑張りたいですm(_ _)m
ここは宮城県気仙沼市本吉町風の丘。
一つ前の記事で、気仙沼に雪が舞い始めるのは12月....と書きましたが、若干修正m(_ _)m
前住地の、生まれてから40年も住んで居た市内鹿折(ししおり)地区。ヨコミー10歳前後の頃、近くに有る小山の上で父母が小さな畑を耕していました。寒くなる毎年11月下旬、漬け物にする大根を抜いて、畑の北側に有る杉の木の下にハセと呼ばれる長木を渡し、大根を掛けて何日か干します。長くなりましたが、そんな頃に冷たい西風が吹き、良く小雪が舞いました。舞い始め。冷たい風の中、冷たい大根を扱い、軍手も掛けない手は荒れの仕放題(>_<)
実は昨日30日、昨年11月の地元紙を整理していて、11月25日辺り付けに、市役所裏にそびえる標高200m余りの安波山が雪化粧した....との記事が有り、子供の頃を思い出した次第です。
記事は、ただ余りにも白く化粧していて、疑う訳ではありませんが、周りの風景と山の形が記憶に合わず、山のどちら側から撮ったものか判別出来ませんでした。まあ、凡そ西斜面でしょう。
風の丘は、市街地西側より1℃か2℃は暖かいです。うーん、3℃?(^_^;) 雪が舞い始めるのは市街地より遅いです。
そんな風の丘も冬はそれなりに寒く、暖かい所系の鉢物は玄関やその前の風除室、ヨコミー奥様のおリュウさんなどは客間と呼んでいる小さな和室にまで鉢物を取り込んでいます(>_<)
その玄関には、福島県の(^_^;)ホームセンターで安く売っていたスチールラックを置き、年末からごちゃごちゃ(>_<)
カランコエです。それは玄関の....
こんな所に有ります。本当にごちゃごちゃ(^_^;) カランコエはほぼ中央。左に首を長く伸ばし、花が付いています。
上端は昨年紹介したシャコバサボテンですが、今年は昨年の手入れが悪く、花は期待出来そうにありません(>_<)
真ん中左から下はパッションフルーツの3鉢。確か盆過ぎか9月になって咲いたやつで、現在3個の実が付いています。1個はそろそろ完熟し落果間近。更に1つは割と熟してきて2月中には落果かも。残る1個はまだ青々としていて、熟すのが先か、寒さにやられるのが先か....といった状態(>_<)
遅く蕾を持ったとき、早々摘んでいればこの様な寒さの中で育てることも無かったでしょうけれど、遅くなったけど咲きたい....という蕾を摘む気にはなれませんでした。まあ、第一、卑しいし....(^_^;) 機会が有れば、いつか紹介したいです(^_^)v
あっ、カランコエのちょっと拡大です。首を長~くしていますが、光を求めて...なのでしょう。ヨコミー家の玄関は、真冬でも大雪や雨で無ければ、明かり取りのため戸は閉めず(^_^;)、網戸です(^_^)v
そんな状態でも光を欲し、首を....ええっ、長くした? 倒れながら育ったんじゃ?? 前住地は玄関前の風除室でした。陽光燦々、寒さは厳しい(T_T) 風除室での記憶が有りません(>_<)
花火です(^_^;)
1つ上の写真で分かる様に、背景の暗さにオートの露出が引っ張られ、花の辺りが露出オーバーとなっています。なので最初の写真は、思い出しながら多少ガンマを下げています。その際、ツツーッと指が滑り、暗くなり過ぎたら、なんとカランコエの花が花火に(^_^;) 絵心は有りませんので、遊びです。
遊びといえば、最近おもちゃを仕入れました。なので財布には諭吉様が居りません(>_<) ただ大変なおもちゃで、取扱説明書は紙切れ程度(T_T) 使いこなさねば成りません(>_<)
世界の平和を祈り、1月の終わりとします。来月はもう少し頑張りたいですm(_ _)m
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