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生徒・職員全員無事 気仙沼市震災遺構 旧・気仙沼向洋高校 20230523 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
東日本大震災直後、私が手伝っていた避難所へ支援に来られた方々が今月2グループお出でになり、あのときの苦しい時代を振り返りながら御礼を申し上げ、当時出来なかった市内を始めとする震災遺構等をご案内する機会に恵まれました。
まず紹介したかったのは気仙沼市震災遺構となった旧・気仙沼向洋高校校舎。元々は気仙沼魚市場に近い低地に建つ気仙沼水産高校でしたが、移転新築後ややあって、「水産」からのカバーエリアを広げた事を機に、この名前に。
東日本大震災による大きな津波で建物は大きな被害を受けて使えなくなりましたが、的確な判断で生徒も職員も全員無事でした。地震後5分で避難行動を起こしたことが幸いでした。
(写真はクリックすると大きくなります)

あっ、最上階西端の外壁が.....(>_<)

南校舎の西端をパチリ。何で4階部分が??(>_<) 左下は玄関と昇降口。

時間はちょっと遡り、先ずは駐車場から。凡そ西を向いてのパチリです。左の4階建てが南校舎。右は震災後に建てられた、展示施設等がある伝承館。この裏手に北校舎や屋体等が有ります。
まず伝承館で展示や概略の投影を見ます。校舎への出入口は伝承館ですが、ここは撮影禁止なので写真は....

いきなり南校舎1階の廊下です。校舎の北側に有ります。4階まで大津波が押し寄せた、その1階廊下。天井板が有ったのでしょうけれど....。照明は見学用に付けられたものです。

CAD室です。コースによっては、こんな授業もあったのですね。

保健室。
3階の教室に車が....(>_<) 左下に見える図は、写真右奥側凡そ東側から見た図で、立ち入りが出来きるのは凡そ西側なので、車の傾きが逆です。脳内変換をお願いします。海側の窓から流されて入りました(>_<)

説明板の拡大です。図右上のレターケースも覚えていてください。

4階南校舎西端の教室です。浸水自体は30センチ程度なのでしょうけれど、地震や後述の理由で色んな物が散乱しています。特に中央右に見える大きなオレンジ色の物体は....。

同じ室内北側に置かれたレターケース。下から何段かが錆びています。海水がここまで(>_<)

最初の写真に写っていた外壁の破損箇所を教室からパチリ。さて、これは....。

なんと大津波で流されてきた冷凍工場との衝突痕でした(>_<) そして室内に有ったオレンジ色の物体は、窓から入り込んだ冷凍工場の断熱材とは....(>_<)

屋上に上がりました。校庭に西半分です。
校舎前に広がる校庭は、近年パークゴルフの場となり、平日でも賑わっています。左上、島のように見えるのは旭崎。詳細後述。その向こうは海ですが、旭崎の右に南三陸町歌津(うたつ)の岬が伸びています。
写真上から1/3の辺りを左右に走る道は、1km余り西(向かって右)を走る国道45号と左の先に在る景勝地・岩井崎を結びます。その右から1/4辺りで右下に伸びるのは学校の玄関や昇降口に至る通路。

ほぼ南に在る旭崎です。この辺りではやや高くなっていて、上には別荘や神社が有ります。ここの木に10人が登って助かりました。これらの木々は大津波で洗われたのに今でも健在です。

旭崎の説明板です。

校庭の東半分です。左上は再建された魚の冷凍工場。

屋上西側に避難経路の説明板が有りました。
中央上に見える携帯電話中継塔の左下は被災したお寺ですが、その左側の道路を通り右上中程に在る陸前階上(りくぜんはしかみ)駅に一時避難しました。しかし「大津波」との情報で更に奥の階上中学校へ生徒全員と引率した職員が避難。

説明板の拡大です。
まあ結果的には駅で大丈夫でしたが、更なる安全を求めた行動は学ぶべきです。良き判断と行動でした。
岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)の小中学生は避難場所を当初設定されていた所から、より安全な所へと2度3度と変更し、途中から合流した保育所の児童を手助けしながら、避難した一行は全員無事でした。

南校舎西端近くから見た屋体跡。コンクリート製の1階部分のみ残りました(>_<) この屋体の右側に有る生徒会館と北校舎の間に、流された民家の2階部分が引っ掛かり、それに乗っていた2人が夜明けまで校舎側から励ましを受け、明るくなってから無事に助け出されました。

南校舎の後ろ側には北校舎が在ります。当時ここは耐震工事が終わり、南校舎も....という段取りでした。中庭西にはヒバの木が有ります。これは水没したのですが、今でも元気です。

大津波来襲時を撮影した写真が有りました。ヒバは完全に水没です。その後更に水位は上がりました(>_<)

渡り廊下の1階から撮影。水没したヒバは元気です(^_^)v

北校舎1階から南校舎の北側をパチリ。大津波が通り抜けた3階までは窓枠さえ有りません。
北校舎から伝承館に戻ると、被災した方々のお話が投影されています。それを見て、終わりとしました。
上の写真説明にも有りましたが、校舎には人が残っていました。以前、職員20人は残って書類が流されないよう高い所へ上げていたと聞きました。工事中であり関係者が25人、近隣から避難してきた人が4人。ここに人が残っていたことにより救助された2人の計51人。
救助された人は別として、重要書類も有ったのでしょうけれど、ヨコミーは、先ずは皆さんに避難して戴きたかったです。4階床上で済んだものの、水位がもっと上がる可能性も有りました。冷凍工場は幸いにかすった程度で済みましたが、正面から衝突したら屋上まで被害があったかも知れません。
近隣から避難されてきた人は多分生徒出発より後で校舎に来たのでしょう。もし出発時までにここへ避難されていれば、生徒の手を借りながらも中学校まで行けたかと。
普通、学校を含めた公共施設は一時避難場所に指定されていることが多いです。なので、ひょっとしたら事前に指定されていなくても、近隣の住民は先ずは学校へ避難しようと詰めかけるでしょう。
海や川に近い低地に建つ、特に小学校で、予め、より高い所に避難場所が決められていない場合、学校の先生方は何処へ避難させようかと迷うでしょう。そこに地域の住民が何十人も押し寄せたら、先生方はどう切り盛りすれば良いのでしょうか。
子供が学校に居る時間帯は多くの家庭で働きに出ており、避難して来る方々は結構高齢者が多いかと。ヨコミーみたく椎間板ヘルニアで走ることが難しかったり、ヨコミー奥様のおリュウさんみたいに足が弱って長くは歩けない人とか....(>_<)
学校や地域が避難計画を作る、或いは見直す際は、一時避難所の設定で終わりとせず、行政を巻き込み、より高い所を目指して欲しいです。もし適切な避難場所が無いなら高い丘に何かを確保してもらったり、近隣の高いビルに避難場所を設けてもらうなり、津波避難塔等を建設して戴きましょう。
また避難行動要支援者等も連れられて来るでしょう。その場合はどうするか等々、色んなケースを想定して立案し、避難訓練を数多くこなして身に付けて欲しいです。
「今まで来ないから大丈夫」なんて思うのは思い上がり(>_<) 人生僅か100年が精々。体験出来ることは少ないです。
あの東日本大震災に押し寄せた大津波は800年周期とか。それでも今の地形が整った年代から考えれば、まだまだ短時間(>_<) 生き延びる為に今出来ることを極めたいです。
ウクライナを始めとする戦争・紛争地域に早く平和が戻る事を祈り、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
東日本大震災直後、私が手伝っていた避難所へ支援に来られた方々が今月2グループお出でになり、あのときの苦しい時代を振り返りながら御礼を申し上げ、当時出来なかった市内を始めとする震災遺構等をご案内する機会に恵まれました。
まず紹介したかったのは気仙沼市震災遺構となった旧・気仙沼向洋高校校舎。元々は気仙沼魚市場に近い低地に建つ気仙沼水産高校でしたが、移転新築後ややあって、「水産」からのカバーエリアを広げた事を機に、この名前に。
東日本大震災による大きな津波で建物は大きな被害を受けて使えなくなりましたが、的確な判断で生徒も職員も全員無事でした。地震後5分で避難行動を起こしたことが幸いでした。
(写真はクリックすると大きくなります)

あっ、最上階西端の外壁が.....(>_<)

南校舎の西端をパチリ。何で4階部分が??(>_<) 左下は玄関と昇降口。

時間はちょっと遡り、先ずは駐車場から。凡そ西を向いてのパチリです。左の4階建てが南校舎。右は震災後に建てられた、展示施設等がある伝承館。この裏手に北校舎や屋体等が有ります。
まず伝承館で展示や概略の投影を見ます。校舎への出入口は伝承館ですが、ここは撮影禁止なので写真は....

いきなり南校舎1階の廊下です。校舎の北側に有ります。4階まで大津波が押し寄せた、その1階廊下。天井板が有ったのでしょうけれど....。照明は見学用に付けられたものです。

CAD室です。コースによっては、こんな授業もあったのですね。

保健室。

3階の教室に車が....(>_<) 左下に見える図は、写真右奥側凡そ東側から見た図で、立ち入りが出来きるのは凡そ西側なので、車の傾きが逆です。脳内変換をお願いします。海側の窓から流されて入りました(>_<)

説明板の拡大です。図右上のレターケースも覚えていてください。

4階南校舎西端の教室です。浸水自体は30センチ程度なのでしょうけれど、地震や後述の理由で色んな物が散乱しています。特に中央右に見える大きなオレンジ色の物体は....。

同じ室内北側に置かれたレターケース。下から何段かが錆びています。海水がここまで(>_<)

最初の写真に写っていた外壁の破損箇所を教室からパチリ。さて、これは....。

なんと大津波で流されてきた冷凍工場との衝突痕でした(>_<) そして室内に有ったオレンジ色の物体は、窓から入り込んだ冷凍工場の断熱材とは....(>_<)

屋上に上がりました。校庭に西半分です。
校舎前に広がる校庭は、近年パークゴルフの場となり、平日でも賑わっています。左上、島のように見えるのは旭崎。詳細後述。その向こうは海ですが、旭崎の右に南三陸町歌津(うたつ)の岬が伸びています。
写真上から1/3の辺りを左右に走る道は、1km余り西(向かって右)を走る国道45号と左の先に在る景勝地・岩井崎を結びます。その右から1/4辺りで右下に伸びるのは学校の玄関や昇降口に至る通路。

ほぼ南に在る旭崎です。この辺りではやや高くなっていて、上には別荘や神社が有ります。ここの木に10人が登って助かりました。これらの木々は大津波で洗われたのに今でも健在です。

旭崎の説明板です。

校庭の東半分です。左上は再建された魚の冷凍工場。

屋上西側に避難経路の説明板が有りました。
中央上に見える携帯電話中継塔の左下は被災したお寺ですが、その左側の道路を通り右上中程に在る陸前階上(りくぜんはしかみ)駅に一時避難しました。しかし「大津波」との情報で更に奥の階上中学校へ生徒全員と引率した職員が避難。

説明板の拡大です。
まあ結果的には駅で大丈夫でしたが、更なる安全を求めた行動は学ぶべきです。良き判断と行動でした。
岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)の小中学生は避難場所を当初設定されていた所から、より安全な所へと2度3度と変更し、途中から合流した保育所の児童を手助けしながら、避難した一行は全員無事でした。

南校舎西端近くから見た屋体跡。コンクリート製の1階部分のみ残りました(>_<) この屋体の右側に有る生徒会館と北校舎の間に、流された民家の2階部分が引っ掛かり、それに乗っていた2人が夜明けまで校舎側から励ましを受け、明るくなってから無事に助け出されました。

南校舎の後ろ側には北校舎が在ります。当時ここは耐震工事が終わり、南校舎も....という段取りでした。中庭西にはヒバの木が有ります。これは水没したのですが、今でも元気です。

大津波来襲時を撮影した写真が有りました。ヒバは完全に水没です。その後更に水位は上がりました(>_<)

渡り廊下の1階から撮影。水没したヒバは元気です(^_^)v

北校舎1階から南校舎の北側をパチリ。大津波が通り抜けた3階までは窓枠さえ有りません。
北校舎から伝承館に戻ると、被災した方々のお話が投影されています。それを見て、終わりとしました。
上の写真説明にも有りましたが、校舎には人が残っていました。以前、職員20人は残って書類が流されないよう高い所へ上げていたと聞きました。工事中であり関係者が25人、近隣から避難してきた人が4人。ここに人が残っていたことにより救助された2人の計51人。
救助された人は別として、重要書類も有ったのでしょうけれど、ヨコミーは、先ずは皆さんに避難して戴きたかったです。4階床上で済んだものの、水位がもっと上がる可能性も有りました。冷凍工場は幸いにかすった程度で済みましたが、正面から衝突したら屋上まで被害があったかも知れません。
近隣から避難されてきた人は多分生徒出発より後で校舎に来たのでしょう。もし出発時までにここへ避難されていれば、生徒の手を借りながらも中学校まで行けたかと。
普通、学校を含めた公共施設は一時避難場所に指定されていることが多いです。なので、ひょっとしたら事前に指定されていなくても、近隣の住民は先ずは学校へ避難しようと詰めかけるでしょう。
海や川に近い低地に建つ、特に小学校で、予め、より高い所に避難場所が決められていない場合、学校の先生方は何処へ避難させようかと迷うでしょう。そこに地域の住民が何十人も押し寄せたら、先生方はどう切り盛りすれば良いのでしょうか。
子供が学校に居る時間帯は多くの家庭で働きに出ており、避難して来る方々は結構高齢者が多いかと。ヨコミーみたく椎間板ヘルニアで走ることが難しかったり、ヨコミー奥様のおリュウさんみたいに足が弱って長くは歩けない人とか....(>_<)
学校や地域が避難計画を作る、或いは見直す際は、一時避難所の設定で終わりとせず、行政を巻き込み、より高い所を目指して欲しいです。もし適切な避難場所が無いなら高い丘に何かを確保してもらったり、近隣の高いビルに避難場所を設けてもらうなり、津波避難塔等を建設して戴きましょう。
また避難行動要支援者等も連れられて来るでしょう。その場合はどうするか等々、色んなケースを想定して立案し、避難訓練を数多くこなして身に付けて欲しいです。
「今まで来ないから大丈夫」なんて思うのは思い上がり(>_<) 人生僅か100年が精々。体験出来ることは少ないです。
あの東日本大震災に押し寄せた大津波は800年周期とか。それでも今の地形が整った年代から考えれば、まだまだ短時間(>_<) 生き延びる為に今出来ることを極めたいです。
ウクライナを始めとする戦争・紛争地域に早く平和が戻る事を祈り、本日はお終いm(_ _)m
内湾 新たなまちに 気仙沼の今 20230421 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘にはまだ強い西風が時々吹いています(>_<) 長方形をした家の横方向からの風が多いのですが、風が単に通り過ぎるだけではなく巻いているようで、茶の間の前に置いた外用の椅子には、砂粒が舞上げられています(>_<)
さて、なかなか時間が取れなくて、我が儘な更新や諸氏ブログへの訪問も滞りがち(>_<) すみませんm(_ _)m
今般、震災直後に支援で気仙沼へ来られた"政府開発援助"さんが来市するので、まあ当ブログで以前紹介しており、また何度か訪れているので多少の土地勘は有るかとは思いますが、参考までに老婆心ならぬ「老爺心」で最近の内湾を紹介します。説明は時間も無く、手抜きです(>_<)
写真はクリックすると大きくなります。

気仙沼湾の内湾、凡そ東に在る五十鈴神社西側となる丘下の駐車場。赤い車がヨコミー奥様・おリュウさんの日産リーフ。車の向こうはトイレで震災後に整備されました。

グーグルマップからお借りした内湾周辺の地図です。

では1枚目の左隣です。以後左々と写真は進みます。
魚町の岩壁です。ここには小さめの船が係留されています。一番高く見える山は安波山(238m。「あんばやま」「あんばさん」)。旧・気仙沼町と旧・鹿折町に住む市民にとってはシンボルです。右上に見える緑色の屋根は結婚式場。

結婚式場の拡大です。その下は気仙沼第二保育所。「第二」というと公営のような感じですが、確か民営の認可保育所。数十年前から保育しています。「第二」の由来は宿題(^_^;)

魚町の一部を拡大。右上の丘には私立気仙沼女子高等学校の大きな体育館が建っていましたが、近年生徒数の減少で廃校となり、その後、建物が壊され、写真左下まで魚町入沢災害公営住宅(4棟と立体駐車場)が建てられました。

更に隣です。凡そ右側が魚町、左側海沿いが南町海岸、奥が南町です。
※最下段参照


今度は真ん中から左を拡大。右奥の建物は震災後に出来た調理専門学校。左の南町海岸に建つ、屋根が波形の建物は、こちらも震災後に出来た内湾観光施設「迎(ムカエル)」。震災前は汽船発着場が入っていた観光施設・エースポートが有った場所です。主に飲食店が入っています。

更に左。凡そ右が南町海岸と南町、左は海際が(町字の)港町、丘が柏崎。その昔、港町のこの辺りには「マルちゃん」のラーメン工場が有り、見学者にはラーメンのお土産が有ったと聞いていました(^_^)v

写真右側の拡大です。ここは迎の左隣です。右奥は官民の共同事業で建てられた南町二丁目に災害公営住宅。なので1階にはお店が入っています。
左は被災した市営駐車場の跡地に建った、3階建ての気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER 7)。「ピアーセブン」と読むそうですが、7番岸壁の意味だとか。残念ながら一般人には何番岸壁というのは全く馴染が無いです。1階に汽船発着所の事務室、2階右端にはラヂオ気仙沼のスタジオが有ります。

上で拡大した所の左隣の拡大です。右1/3は交流プラザの左側。真ん中は共同化事業で建てられた南町一丁目災害公営住宅の南棟。北棟は交流プラザに隠れているようです。この南町一丁目災害公営住宅を調べていたら、ネットに載っている某役所の資料では「1棟」と有るのに、別な役所の資料では「北棟」「南棟」と有りました。なら2棟ですよね。
役所とは不思議な所です。安倍政権時代、憲法9条に関する政府解釈を、変更に慎重な内閣法制局長官を代え、単に閣議決定の方法で変更したり、どこの官民でもイベント開催時は昨年のモノを参考にしているはずなのに、安倍総理主催の桜を見る会では名簿をさっさとその年度に処分する....等々実に怪しげな所でも有ります。国民が、住民が一人ひとり意識して行政を見守りたいです。「1棟」「2棟」は氷山の一角の更に一角なのでしょう。要注視(^_^)v

広い範囲で更に左。改修中の気仙沼プラザホテルが建つ丘は柏崎。海際が港町です。ホテル下の建物は魚関係の物販店。共に地元資本でしたが何年も前、市外の資本に買収されました。直ぐ右は下の駐車場とホテルを繋ぐエレベーター。丘の右端付近にNTTビルのアンテナが見えます。
因みに左端の道は、少し先から五十鈴神社に至る石段の下を経て浮御堂、海上遊歩道へと至ります。
ちょっと用事を終え、折角なので内湾の施設へ向かいました。

内湾観光施設「迎」の岸壁側です。真ん中やや右の小高い丘に建つのは魚町入沢災害公営住宅の1号棟。ここに気女高の銀色に輝く体育館が有り、内湾のシンボルでも有りました。生徒数の減少で残念なことに(>_<) いつも書いていますが、30年以上前に少子化が叫ばれており、現況は公害ならぬ「政治害」です。真摯に取り組まなかった結果(>_<)
真ん中やや左、灰色の高い建物は先程書いた男山本店。大津波で1階部分が潰れたものの、幸いなことに倒れずにいました。なので各方面の協力を得て復旧されました。うーん、やはり2階のデッキから撮りましょう。

左に魚町入沢災害公営住宅、右端、湾向かいのこんもりした所が五十鈴神社。その下、小さく見える箱形をした車の隣に居ました。車の主はまだ昼休み中です(^_^;) 手前には二つの浮き桟橋が見えます。

今度は右隣です。右上がプラザホテル。ところで手前のネットは岸壁のモノではなく、防潮堤の扉を動かす機械の上に置かれた物のようです。

右側が交流プラザ。真ん中下に防潮堤扉のレール?が見えます。

更に右。交流プラザです。手前がラヂオ気仙沼のスタジオ。平日7時~10時、12時~14時、17時~19時に生放送が有ります。コミュニティFMなので小出力で、しかも市外へ届きにくいような所へ市がアンテナを設置したものですから隣の市町でも聴きにくいです(>_<)
ただ世の中は便利なモノで、リスラジというものがあり、スマホやタブレットにアプリを入れれば、ネット環境下なら全国何処でも聴くことが出来ます。ラヂオ気仙沼やリスラジのホームページからお進み願います。
またパソコンならアプリを入れること無く、リスラジホームページの閲覧という形で聴くことが出来ますので、職場で昼休みにでも聴いてください。
カテゴリーで「全国のラジオ」を選び、その右に有るチャンネルで東北を選び、更にラヂオ気仙沼を選びます。ローディング中とややあって、読み込み後に右向き三角マーク(再生)を押せば聞こえます。
お試しをm(_ _)m

更に右。スタジオは左端です。正面奥が南町一丁目災害公営住宅の北棟。その左、交流プラザ庇の先端下に見えるのが同南棟。
南棟の左奥には煎餅坂が有り、途中から左手に登ると気仙沼ホテル観洋裏手に抜けます。奥の丘の上には気仙沼小学校、気仙沼中学校、気仙沼市図書館が建っています。

更に右です。左奥屋根が波形?のテラスを持つ建物は南町二丁目の災害公営住宅です。これも共同化事業で下がお店、テラスの上は市営住宅です。
その手前、結(ゆい)の文字が見えるのは商業施設で、いろんなお店が入っています。セブンイレブンの右後ろは東北地方最大の金融機関七十七銀行の気仙沼支店ですが、再建された建物の裏側はちょっと寂しいです。

更に右、真ん中は内湾観光施設「迎」です。ちょっと小さく見えますが、短辺方向から見ています(^_^;) 階段途中に見えるのは、おリュウさん号の赤リーフ。駐車場は少ないですが、交流プラザ向かいに3時間まで無料の市営駐車場が有ります。ご利用をm(_ _)m
セブンイレブンの駐車場マークと重なっている蔵のような赤瓦の建物は、気仙沼の二大酒造メーカーの一つ、株式会社角星。市内では両国の銘柄で知られていますが、店舗は登録有形文化財です。
南町、特に二丁目、特に特に三丁目などは被災して再開発された結果、震災以前の面影は有りません。幼き頃実家へ顔を出す母と共に立ち寄った魚屋さんが消え、素敵なお姉さんが居た喫茶店も、小さな食堂も、おでん屋さん、バスの案内所等々も消え、更には某2つの銀行もこの地を去りました。南町海岸に有った気仙沼大島への汽船発着所も、今では大島大橋が出来たことで航路は廃止され、単に遊覧船乗り場と成り、交流人口はかなり減ったかと。
そんな中で浸水地は官民の力で再開発され、別な街に生まれ変わったようです。ただ心配なのは交流人口の減です。建物を建てて終わりじゃなく、スタートしたばかり(>_<) この地には大したつながりの無いヨコミーでも、何かのお役に立たなければ成りません。多少でも(>_<)
相変わらず世界では争い事が続いています(>_<) ニュースは各段に少なくなりましたが、ロシアによるウクライナ侵略はまだまだ続いています。ロシアの弾薬不足も報じられていますが、ウクライナの反転攻勢も、まだ計画段階。この機を捉えきれないようです(>_<)
世界の平和を祈り、本日はお終いm(_ _)m
☆困り事
ブログの途中で2枚の写真が続いていますが、実は下記の文が入っています。下書きではキチッと入っているのですが、何度やっても2枚の写真の間隔が狭くなり、文章が出て来ません。調整は続けますが、取り敢えず下記に入れましたのでご理解願いますm(_ _)m
『 上の写真右から1/3辺りを拡大。真ん中奥の大きな建物は気仙沼信用金庫本店。被災したので津波対応と思われる強固な作りに成りました。左端に近い、青い軽自動車の上奥に見える灰色の建物は「木筋」モルタル造3階建ての、造り酒屋男山本店。 』
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風の丘にはまだ強い西風が時々吹いています(>_<) 長方形をした家の横方向からの風が多いのですが、風が単に通り過ぎるだけではなく巻いているようで、茶の間の前に置いた外用の椅子には、砂粒が舞上げられています(>_<)
さて、なかなか時間が取れなくて、我が儘な更新や諸氏ブログへの訪問も滞りがち(>_<) すみませんm(_ _)m
今般、震災直後に支援で気仙沼へ来られた"政府開発援助"さんが来市するので、まあ当ブログで以前紹介しており、また何度か訪れているので多少の土地勘は有るかとは思いますが、参考までに老婆心ならぬ「老爺心」で最近の内湾を紹介します。説明は時間も無く、手抜きです(>_<)
写真はクリックすると大きくなります。

気仙沼湾の内湾、凡そ東に在る五十鈴神社西側となる丘下の駐車場。赤い車がヨコミー奥様・おリュウさんの日産リーフ。車の向こうはトイレで震災後に整備されました。

グーグルマップからお借りした内湾周辺の地図です。

では1枚目の左隣です。以後左々と写真は進みます。
魚町の岩壁です。ここには小さめの船が係留されています。一番高く見える山は安波山(238m。「あんばやま」「あんばさん」)。旧・気仙沼町と旧・鹿折町に住む市民にとってはシンボルです。右上に見える緑色の屋根は結婚式場。

結婚式場の拡大です。その下は気仙沼第二保育所。「第二」というと公営のような感じですが、確か民営の認可保育所。数十年前から保育しています。「第二」の由来は宿題(^_^;)

魚町の一部を拡大。右上の丘には私立気仙沼女子高等学校の大きな体育館が建っていましたが、近年生徒数の減少で廃校となり、その後、建物が壊され、写真左下まで魚町入沢災害公営住宅(4棟と立体駐車場)が建てられました。

更に隣です。凡そ右側が魚町、左側海沿いが南町海岸、奥が南町です。
※最下段参照


今度は真ん中から左を拡大。右奥の建物は震災後に出来た調理専門学校。左の南町海岸に建つ、屋根が波形の建物は、こちらも震災後に出来た内湾観光施設「迎(ムカエル)」。震災前は汽船発着場が入っていた観光施設・エースポートが有った場所です。主に飲食店が入っています。

更に左。凡そ右が南町海岸と南町、左は海際が(町字の)港町、丘が柏崎。その昔、港町のこの辺りには「マルちゃん」のラーメン工場が有り、見学者にはラーメンのお土産が有ったと聞いていました(^_^)v

写真右側の拡大です。ここは迎の左隣です。右奥は官民の共同事業で建てられた南町二丁目に災害公営住宅。なので1階にはお店が入っています。
左は被災した市営駐車場の跡地に建った、3階建ての気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER 7)。「ピアーセブン」と読むそうですが、7番岸壁の意味だとか。残念ながら一般人には何番岸壁というのは全く馴染が無いです。1階に汽船発着所の事務室、2階右端にはラヂオ気仙沼のスタジオが有ります。

上で拡大した所の左隣の拡大です。右1/3は交流プラザの左側。真ん中は共同化事業で建てられた南町一丁目災害公営住宅の南棟。北棟は交流プラザに隠れているようです。この南町一丁目災害公営住宅を調べていたら、ネットに載っている某役所の資料では「1棟」と有るのに、別な役所の資料では「北棟」「南棟」と有りました。なら2棟ですよね。
役所とは不思議な所です。安倍政権時代、憲法9条に関する政府解釈を、変更に慎重な内閣法制局長官を代え、単に閣議決定の方法で変更したり、どこの官民でもイベント開催時は昨年のモノを参考にしているはずなのに、安倍総理主催の桜を見る会では名簿をさっさとその年度に処分する....等々実に怪しげな所でも有ります。国民が、住民が一人ひとり意識して行政を見守りたいです。「1棟」「2棟」は氷山の一角の更に一角なのでしょう。要注視(^_^)v

広い範囲で更に左。改修中の気仙沼プラザホテルが建つ丘は柏崎。海際が港町です。ホテル下の建物は魚関係の物販店。共に地元資本でしたが何年も前、市外の資本に買収されました。直ぐ右は下の駐車場とホテルを繋ぐエレベーター。丘の右端付近にNTTビルのアンテナが見えます。
因みに左端の道は、少し先から五十鈴神社に至る石段の下を経て浮御堂、海上遊歩道へと至ります。
ちょっと用事を終え、折角なので内湾の施設へ向かいました。

内湾観光施設「迎」の岸壁側です。真ん中やや右の小高い丘に建つのは魚町入沢災害公営住宅の1号棟。ここに気女高の銀色に輝く体育館が有り、内湾のシンボルでも有りました。生徒数の減少で残念なことに(>_<) いつも書いていますが、30年以上前に少子化が叫ばれており、現況は公害ならぬ「政治害」です。真摯に取り組まなかった結果(>_<)
真ん中やや左、灰色の高い建物は先程書いた男山本店。大津波で1階部分が潰れたものの、幸いなことに倒れずにいました。なので各方面の協力を得て復旧されました。うーん、やはり2階のデッキから撮りましょう。

左に魚町入沢災害公営住宅、右端、湾向かいのこんもりした所が五十鈴神社。その下、小さく見える箱形をした車の隣に居ました。車の主はまだ昼休み中です(^_^;) 手前には二つの浮き桟橋が見えます。

今度は右隣です。右上がプラザホテル。ところで手前のネットは岸壁のモノではなく、防潮堤の扉を動かす機械の上に置かれた物のようです。

右側が交流プラザ。真ん中下に防潮堤扉のレール?が見えます。

更に右。交流プラザです。手前がラヂオ気仙沼のスタジオ。平日7時~10時、12時~14時、17時~19時に生放送が有ります。コミュニティFMなので小出力で、しかも市外へ届きにくいような所へ市がアンテナを設置したものですから隣の市町でも聴きにくいです(>_<)
ただ世の中は便利なモノで、リスラジというものがあり、スマホやタブレットにアプリを入れれば、ネット環境下なら全国何処でも聴くことが出来ます。ラヂオ気仙沼やリスラジのホームページからお進み願います。
またパソコンならアプリを入れること無く、リスラジホームページの閲覧という形で聴くことが出来ますので、職場で昼休みにでも聴いてください。
カテゴリーで「全国のラジオ」を選び、その右に有るチャンネルで東北を選び、更にラヂオ気仙沼を選びます。ローディング中とややあって、読み込み後に右向き三角マーク(再生)を押せば聞こえます。
お試しをm(_ _)m

更に右。スタジオは左端です。正面奥が南町一丁目災害公営住宅の北棟。その左、交流プラザ庇の先端下に見えるのが同南棟。
南棟の左奥には煎餅坂が有り、途中から左手に登ると気仙沼ホテル観洋裏手に抜けます。奥の丘の上には気仙沼小学校、気仙沼中学校、気仙沼市図書館が建っています。

更に右です。左奥屋根が波形?のテラスを持つ建物は南町二丁目の災害公営住宅です。これも共同化事業で下がお店、テラスの上は市営住宅です。
その手前、結(ゆい)の文字が見えるのは商業施設で、いろんなお店が入っています。セブンイレブンの右後ろは東北地方最大の金融機関七十七銀行の気仙沼支店ですが、再建された建物の裏側はちょっと寂しいです。

更に右、真ん中は内湾観光施設「迎」です。ちょっと小さく見えますが、短辺方向から見ています(^_^;) 階段途中に見えるのは、おリュウさん号の赤リーフ。駐車場は少ないですが、交流プラザ向かいに3時間まで無料の市営駐車場が有ります。ご利用をm(_ _)m
セブンイレブンの駐車場マークと重なっている蔵のような赤瓦の建物は、気仙沼の二大酒造メーカーの一つ、株式会社角星。市内では両国の銘柄で知られていますが、店舗は登録有形文化財です。
南町、特に二丁目、特に特に三丁目などは被災して再開発された結果、震災以前の面影は有りません。幼き頃実家へ顔を出す母と共に立ち寄った魚屋さんが消え、素敵なお姉さんが居た喫茶店も、小さな食堂も、おでん屋さん、バスの案内所等々も消え、更には某2つの銀行もこの地を去りました。南町海岸に有った気仙沼大島への汽船発着所も、今では大島大橋が出来たことで航路は廃止され、単に遊覧船乗り場と成り、交流人口はかなり減ったかと。
そんな中で浸水地は官民の力で再開発され、別な街に生まれ変わったようです。ただ心配なのは交流人口の減です。建物を建てて終わりじゃなく、スタートしたばかり(>_<) この地には大したつながりの無いヨコミーでも、何かのお役に立たなければ成りません。多少でも(>_<)
相変わらず世界では争い事が続いています(>_<) ニュースは各段に少なくなりましたが、ロシアによるウクライナ侵略はまだまだ続いています。ロシアの弾薬不足も報じられていますが、ウクライナの反転攻勢も、まだ計画段階。この機を捉えきれないようです(>_<)
世界の平和を祈り、本日はお終いm(_ _)m
☆困り事
ブログの途中で2枚の写真が続いていますが、実は下記の文が入っています。下書きではキチッと入っているのですが、何度やっても2枚の写真の間隔が狭くなり、文章が出て来ません。調整は続けますが、取り敢えず下記に入れましたのでご理解願いますm(_ _)m
『 上の写真右から1/3辺りを拡大。真ん中奥の大きな建物は気仙沼信用金庫本店。被災したので津波対応と思われる強固な作りに成りました。左端に近い、青い軽自動車の上奥に見える灰色の建物は「木筋」モルタル造3階建ての、造り酒屋男山本店。 』
春なのに...疲れ気味(>_<) 菊桜 20230430 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
春です。風の丘は時折、結構キツい風が吹いていますが、季節風の1つかと(>_<)
春なのに元気いっぱいに動きたいところですが、爺化が進んだのか夜の頑張りが出来ず、夕食後、ちょっと落ち着くと毎晩のように眠くなり....(>_<) かといって、どこぞの年寄りみたく朝4時に起きて散歩とかラジオを聴く....等ということはなく、途中でトイレに起きることは有っても、7時過ぎまで寝ています(>_<) うーん、単なる年寄りになった訳では無いのかも(^_^;)
2月からの風邪は4月になって殆ど無くなり....と思ったら4月2日には膝を痛め、だいぶ良くなりましたが高所作業が出来なかったりと不自由でした。なので運動不足(>_<)
暫く無かった胸焼けが今晩有り、薬を飲んでも直ぐには効かないだろうから、炭酸水を飲みました。暫く....なので何かの異変でしょうか。
それにしても体力が無くなったのでしょうね。今夜も頑張りが効かないようなので、写真1枚だけの寂しい更新です(T_T)

花びらが菊の花のように細いことから菊桜と名付けらました。4月17日、ヨコミー家での撮影です。なので市内の染井吉野より遅いです。葉が出るのと花が咲くのはほぼ同時。河津桜も葉と花が同時でした。
今春、ヨコミー家の桜たちに異変がありました。早く咲いたのは別として、雅桜(ミヤビザクラ)がここ3年ほど10輪位花を付けていたのですが、今年は1輪だけ(>_<) 20輪近く花を付けていたオカメザクラは全く咲きませんでした(T_T) 不思議。注視したいです。
うーん、今夜も眠くなってきました(>_<) 世界中で戦争や圧政が終わり、世界中が平和になることを祈り、本日はお終い(>_<) m(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
春です。風の丘は時折、結構キツい風が吹いていますが、季節風の1つかと(>_<)
春なのに元気いっぱいに動きたいところですが、爺化が進んだのか夜の頑張りが出来ず、夕食後、ちょっと落ち着くと毎晩のように眠くなり....(>_<) かといって、どこぞの年寄りみたく朝4時に起きて散歩とかラジオを聴く....等ということはなく、途中でトイレに起きることは有っても、7時過ぎまで寝ています(>_<) うーん、単なる年寄りになった訳では無いのかも(^_^;)
2月からの風邪は4月になって殆ど無くなり....と思ったら4月2日には膝を痛め、だいぶ良くなりましたが高所作業が出来なかったりと不自由でした。なので運動不足(>_<)
暫く無かった胸焼けが今晩有り、薬を飲んでも直ぐには効かないだろうから、炭酸水を飲みました。暫く....なので何かの異変でしょうか。
それにしても体力が無くなったのでしょうね。今夜も頑張りが効かないようなので、写真1枚だけの寂しい更新です(T_T)

花びらが菊の花のように細いことから菊桜と名付けらました。4月17日、ヨコミー家での撮影です。なので市内の染井吉野より遅いです。葉が出るのと花が咲くのはほぼ同時。河津桜も葉と花が同時でした。
今春、ヨコミー家の桜たちに異変がありました。早く咲いたのは別として、雅桜(ミヤビザクラ)がここ3年ほど10輪位花を付けていたのですが、今年は1輪だけ(>_<) 20輪近く花を付けていたオカメザクラは全く咲きませんでした(T_T) 不思議。注視したいです。
うーん、今夜も眠くなってきました(>_<) 世界中で戦争や圧政が終わり、世界中が平和になることを祈り、本日はお終い(>_<) m(_ _)m
サクラサク 気仙沼市民会館周辺 20230411 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今年は桜前線の北上が早く、当地はサクラ満開辺りから花散らしの雨が降ったり、強い季節風が吹き、花弁が急速に消えて行きました。
今月2日、福島市花見山に出掛けたとき転び、右膝下を強打しました(>_<) その後、今はだいぶ回復してきましたが、市内の桜最盛期には足がなかなか不自由で、ちょっと花見....とは行きませんでした(>_<)
11日は不自由な足を引きずり、所用のついでに、市内ではちょっとした桜の名所となっている気仙沼市民会館周辺を歩いてきました。車で(^_^;)
(写真はクリックすると大きくなります)

4月11日撮影、気仙沼市民会館前の、多分染井吉野と思います。だって左上は....(^_^;)
今立っている所は後ろが高くなっている坂道。段々とバックして登ります。

ちなみに10日前の4月1日撮影です。1本の木に2輪から5輪程度咲いていました。うーん、気持ちいい青空でした。

ちょっと拡大してみました。

4月11日に戻って、縦位置で(^_^;) 枝の数が以前より少ない感じです。手入れが十分行き届いている訳では有りませんが、剪定はいくらかしているようです。

坂を登り切ったら、気仙沼中学校の校庭でした(^_^;) 12年前の大津波後、何棟もの仮設住宅が建っていました。
市民は普通、市民会館の桜...とか市民会館前の桜....と言いますが、本当は気仙沼中学校校庭の土手に有る桜です。染井吉野。

拡大してみました。花弁は割と白い薄いピンク色ですが、離れて見ると更に濃いピンク色に見えるのは、くすんだピンク色の花柄や萼、苞なども混ざって見えている為だと思います。

太い幹からも花が。よく見ると花に混じって葉芽が開いてきたようです。

市民会館の駐車場に駐めてある車にも花弁が落ちています。明るい紺色の壁や窓に白く小さく見えるのも花弁。花吹雪でしたが、タイミングが(>_<)

気仙沼公園の枝垂れ桜も咲いています。12年前の震災直後、大津波で家を失い、市民会館に避難した方々が、支援に入った広島県や同県市町の保健師さん方の指導で毎朝ラジオ体操をした所。12年経って、枝垂れはやや大きくなった程度(^_^;)

大ホール玄関側に回ってみました。向かいは気仙沼中学校。半分から右は屋内体育館です。12年前は校舎も屋体も避難所となりました。
春3月とはいえ天井の高い屋体はとても寒かったと聞きます。地震や津波、水害等で避難所に指定されている屋体等は、床暖や輻射熱による暖房を設置して欲しいですね。灯油を燃やして温風を出す機器は暖気が天井に上がり、効率的では有りません。
次は右端、銅像の右にカメラを振ります。

銅像は左端。銅像の上、薄い青色の建物が市図書館。右端が市民会館大ホール玄関です。真ん中の向こうは河原田に下り、更に右折して行くと魚市場に向かいます。
図書館側の染井吉野は大木です。図書館に向かう坂の右には色濃い紅枝垂れが咲いていますが、近年の修景事業で植えられたものです。中央奥の薄いピンク色は染井吉野とはやや違った感じです。
進入禁止マーク下の桜は染井吉野かと思ったら、やや微妙です。もう、割と散っていました。後で。

もう少し進んだ、ロータリーの端でパチリ。残念ながら4月1日の撮影です。まあ当然ですが、左端図書館の染井吉野はほんのちょっとしか咲いておらず、枝垂れの色も分かりません。
右寄り、ピンク色の花を付けている木が、進入禁止マーク下に見えていた桜です。他の染井吉野よりやや色濃い気がしますし、何より咲きが早い! 右端はコブシです。

進入禁止マークの奥に有った桜。4月1日の撮影です。
染井吉野でしょうか? 他よりやや早く咲くのは強い西風が当たりにくい、坂のやや下側にある為でしょうか? 花弁がやや大きい気もしますが、気にしなくて良いのでしょうか? もし染井吉野だとすると、ぽつんと1軒屋みたいに、ここだけになるのですが良いのでしょうか? だってこの右手は八重桜が数本有りましたよ。

拡大です。なんか微妙に違う気がするのですが、気のせい???(^_^;)

その右手は大ホール玄関の左側。4月11日撮影です。八重桜は真ん中に2本、左画面外に1本。右奥、白い防災倉庫を建てる際に1本伐採され(>_<)、まだもう1本有ったような....。この樹は市民会館完成時に植栽されたようなので50年物です。でも、蔓が....(>_<)
左は崖下にあるNTTビル。現市立病院の前身の前身・公立病院が有った所。ヨコミーも生まれた所(^_^;) ビル向こう側に、確か染井吉野の並木が有りました。
NTTビル左は市民会館等に通じる坂ですが、NTTからは民家が続き、染井吉野の並木と成るスペースは有りません。なので2コマ3コマ上の桜が染井吉野だとすると、坂の道路向かいでは1本だけということになります。なんで??? ここの続きで八重桜を植えて良かったのに....なんで???
ヨコミーの推理では単に余ったからじゃなく(^_^;)、ちょっとお高い桜を植えたのでは....と推理(^_^;) うーん、おいおいの宿題です(>_<)

その八重桜、良ーく見たらつぼみが開き加減でした(^_^)v

図書館前の染井吉野は見事な大木です。残念ながらこの11日は図書館に行けませんでしたが、後ほど4月1日に撮影したものを紹介します。
手前の紅枝垂れは4本ぐらい有り、まだ小さいですが見応えがあります。その続きから右手はまた別な種類の桜ですが氏名不詳。いつか調べてみたいです。

以下は最後まで4月1日の撮影です。2・3年前に、古い建物を壊して新築された気仙沼市図書館です。開館してやや経って初めて中に入ったとき、撮影しようとしたら女性職員に注意されました。撮っちゃだめっ!! えっ、公の施設だし、人の顔が写らなければ良いのでは?? 設計者は素人写真愛好者からも『撮影料』を撮るつもりなのでしょうか?
日頃は嫌いなんだけど、特に似合いそうな言葉なので(^_^;)、あえて中国外務省の報道官発表を真似して「断固反対」(^_^)v

奥は気仙沼市民会館です。右は図書館庭に有る染井吉野。以前も紹介しましたが、剪定跡の保護にモルタルを使っています。プロの技術、盗みました(^_^;)
中程は先程見えた紅枝垂れ桜。自分はまだまだ若い若いと思うことは皆さん有ることなのでしょうけれど、この枝垂れ桜も若木だといつも思って居ましたが、30年近いのかも。

図書館に有る染井吉野の老木です。ヨコミーが立っているのは、先程見えた右下に市民会館へ下る道が有り、右手下に先程の紅枝垂れが見える所。
見れば1本に平均して10輪前後の花が咲いています。なので前日辺りの開花宣言(^_^)v ここを知らない人は、玄関前につい最近植えられた染井吉野が花をいっぱい付けているのを見て、「あっ、桜が既に開花しましたよね!」等と言いますが、新参者の染井吉野を開花基準にしたくは有りません(^_^;)

太い幹にも花が付いていました(^_^)v こうやって切り取ると、岩に花が咲いているみたいです(^_^;)

よーく見ると、1本の木だけでしたが、一部の枝でごちゃっと開花している部分を見つけました。一部....というのに違和感(^_^;) 排気のダクトでも有ったかな? 来年注視したいです(^_^)v

ピントが外れて大変申し訳ないのですが、これ、好きです(^_^;) 真ん中だけが花芽で、左右は葉芽です。以前に何度か小枝が出て剪定された跡が見えます。フジツボみたい(^_^;) 何度も「伸びたい!」と頑張っているのですね。個人的には、なんとかしてあげたいです(^_^)v
トリミングしましたが、カメラのピントマークは花芽でした。測距範囲はスポット。なのにピントが外れ....。確認ミスでした(T_T)
足がちょっした怪我で不自由だったり、多忙だったりと気仙沼市内の桜は十分堪能とは行きませんでしたが、素敵なシーンとの出会いも有りました。これからは膝や肘にプロテクター(^_^;)を付け、段差では足を滑らせないよう十分気を付け、撮影時以外はカメラをこまめにバッグに入れる等注意して、撮影を楽しみたいです(^_^)v
最近マスコミに露出が少ないウクライナのニュースですが、ロシアによる侵略戦争は続いています。と思えば、アフリカでは南スーダンが独立して争いが収まったかと思えば、本家のスーダンでまたまた内戦が(>_<)
政府は国会答弁に導入したいとするChatGPTがそんなに優秀なら、戦争終結策を作らせたい(^_^;) 更にはそんなに優秀なら国も地方も議員は要らないので、政策作りをChatGPTに任せたい(^_^)v 究極の行政改革(^_^;)
どんな争い事でも、「まぁ~るく収めまっせ(^_^;)」的な策は無いものでしょうか。隘路(>_<)
世界の平和を願い、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今年は桜前線の北上が早く、当地はサクラ満開辺りから花散らしの雨が降ったり、強い季節風が吹き、花弁が急速に消えて行きました。
今月2日、福島市花見山に出掛けたとき転び、右膝下を強打しました(>_<) その後、今はだいぶ回復してきましたが、市内の桜最盛期には足がなかなか不自由で、ちょっと花見....とは行きませんでした(>_<)
11日は不自由な足を引きずり、所用のついでに、市内ではちょっとした桜の名所となっている気仙沼市民会館周辺を歩いてきました。車で(^_^;)
(写真はクリックすると大きくなります)

4月11日撮影、気仙沼市民会館前の、多分染井吉野と思います。だって左上は....(^_^;)
今立っている所は後ろが高くなっている坂道。段々とバックして登ります。

ちなみに10日前の4月1日撮影です。1本の木に2輪から5輪程度咲いていました。うーん、気持ちいい青空でした。

ちょっと拡大してみました。

4月11日に戻って、縦位置で(^_^;) 枝の数が以前より少ない感じです。手入れが十分行き届いている訳では有りませんが、剪定はいくらかしているようです。

坂を登り切ったら、気仙沼中学校の校庭でした(^_^;) 12年前の大津波後、何棟もの仮設住宅が建っていました。
市民は普通、市民会館の桜...とか市民会館前の桜....と言いますが、本当は気仙沼中学校校庭の土手に有る桜です。染井吉野。

拡大してみました。花弁は割と白い薄いピンク色ですが、離れて見ると更に濃いピンク色に見えるのは、くすんだピンク色の花柄や萼、苞なども混ざって見えている為だと思います。

太い幹からも花が。よく見ると花に混じって葉芽が開いてきたようです。

市民会館の駐車場に駐めてある車にも花弁が落ちています。明るい紺色の壁や窓に白く小さく見えるのも花弁。花吹雪でしたが、タイミングが(>_<)

気仙沼公園の枝垂れ桜も咲いています。12年前の震災直後、大津波で家を失い、市民会館に避難した方々が、支援に入った広島県や同県市町の保健師さん方の指導で毎朝ラジオ体操をした所。12年経って、枝垂れはやや大きくなった程度(^_^;)

大ホール玄関側に回ってみました。向かいは気仙沼中学校。半分から右は屋内体育館です。12年前は校舎も屋体も避難所となりました。
春3月とはいえ天井の高い屋体はとても寒かったと聞きます。地震や津波、水害等で避難所に指定されている屋体等は、床暖や輻射熱による暖房を設置して欲しいですね。灯油を燃やして温風を出す機器は暖気が天井に上がり、効率的では有りません。
次は右端、銅像の右にカメラを振ります。

銅像は左端。銅像の上、薄い青色の建物が市図書館。右端が市民会館大ホール玄関です。真ん中の向こうは河原田に下り、更に右折して行くと魚市場に向かいます。
図書館側の染井吉野は大木です。図書館に向かう坂の右には色濃い紅枝垂れが咲いていますが、近年の修景事業で植えられたものです。中央奥の薄いピンク色は染井吉野とはやや違った感じです。
進入禁止マーク下の桜は染井吉野かと思ったら、やや微妙です。もう、割と散っていました。後で。

もう少し進んだ、ロータリーの端でパチリ。残念ながら4月1日の撮影です。まあ当然ですが、左端図書館の染井吉野はほんのちょっとしか咲いておらず、枝垂れの色も分かりません。
右寄り、ピンク色の花を付けている木が、進入禁止マーク下に見えていた桜です。他の染井吉野よりやや色濃い気がしますし、何より咲きが早い! 右端はコブシです。

進入禁止マークの奥に有った桜。4月1日の撮影です。
染井吉野でしょうか? 他よりやや早く咲くのは強い西風が当たりにくい、坂のやや下側にある為でしょうか? 花弁がやや大きい気もしますが、気にしなくて良いのでしょうか? もし染井吉野だとすると、ぽつんと1軒屋みたいに、ここだけになるのですが良いのでしょうか? だってこの右手は八重桜が数本有りましたよ。

拡大です。なんか微妙に違う気がするのですが、気のせい???(^_^;)

その右手は大ホール玄関の左側。4月11日撮影です。八重桜は真ん中に2本、左画面外に1本。右奥、白い防災倉庫を建てる際に1本伐採され(>_<)、まだもう1本有ったような....。この樹は市民会館完成時に植栽されたようなので50年物です。でも、蔓が....(>_<)
左は崖下にあるNTTビル。現市立病院の前身の前身・公立病院が有った所。ヨコミーも生まれた所(^_^;) ビル向こう側に、確か染井吉野の並木が有りました。
NTTビル左は市民会館等に通じる坂ですが、NTTからは民家が続き、染井吉野の並木と成るスペースは有りません。なので2コマ3コマ上の桜が染井吉野だとすると、坂の道路向かいでは1本だけということになります。なんで??? ここの続きで八重桜を植えて良かったのに....なんで???
ヨコミーの推理では単に余ったからじゃなく(^_^;)、ちょっとお高い桜を植えたのでは....と推理(^_^;) うーん、おいおいの宿題です(>_<)

その八重桜、良ーく見たらつぼみが開き加減でした(^_^)v

図書館前の染井吉野は見事な大木です。残念ながらこの11日は図書館に行けませんでしたが、後ほど4月1日に撮影したものを紹介します。
手前の紅枝垂れは4本ぐらい有り、まだ小さいですが見応えがあります。その続きから右手はまた別な種類の桜ですが氏名不詳。いつか調べてみたいです。

以下は最後まで4月1日の撮影です。2・3年前に、古い建物を壊して新築された気仙沼市図書館です。開館してやや経って初めて中に入ったとき、撮影しようとしたら女性職員に注意されました。撮っちゃだめっ!! えっ、公の施設だし、人の顔が写らなければ良いのでは?? 設計者は素人写真愛好者からも『撮影料』を撮るつもりなのでしょうか?
日頃は嫌いなんだけど、特に似合いそうな言葉なので(^_^;)、あえて中国外務省の報道官発表を真似して「断固反対」(^_^)v

奥は気仙沼市民会館です。右は図書館庭に有る染井吉野。以前も紹介しましたが、剪定跡の保護にモルタルを使っています。プロの技術、盗みました(^_^;)
中程は先程見えた紅枝垂れ桜。自分はまだまだ若い若いと思うことは皆さん有ることなのでしょうけれど、この枝垂れ桜も若木だといつも思って居ましたが、30年近いのかも。

図書館に有る染井吉野の老木です。ヨコミーが立っているのは、先程見えた右下に市民会館へ下る道が有り、右手下に先程の紅枝垂れが見える所。
見れば1本に平均して10輪前後の花が咲いています。なので前日辺りの開花宣言(^_^)v ここを知らない人は、玄関前につい最近植えられた染井吉野が花をいっぱい付けているのを見て、「あっ、桜が既に開花しましたよね!」等と言いますが、新参者の染井吉野を開花基準にしたくは有りません(^_^;)

太い幹にも花が付いていました(^_^)v こうやって切り取ると、岩に花が咲いているみたいです(^_^;)

よーく見ると、1本の木だけでしたが、一部の枝でごちゃっと開花している部分を見つけました。一部....というのに違和感(^_^;) 排気のダクトでも有ったかな? 来年注視したいです(^_^)v

ピントが外れて大変申し訳ないのですが、これ、好きです(^_^;) 真ん中だけが花芽で、左右は葉芽です。以前に何度か小枝が出て剪定された跡が見えます。フジツボみたい(^_^;) 何度も「伸びたい!」と頑張っているのですね。個人的には、なんとかしてあげたいです(^_^)v
トリミングしましたが、カメラのピントマークは花芽でした。測距範囲はスポット。なのにピントが外れ....。確認ミスでした(T_T)
足がちょっした怪我で不自由だったり、多忙だったりと気仙沼市内の桜は十分堪能とは行きませんでしたが、素敵なシーンとの出会いも有りました。これからは膝や肘にプロテクター(^_^;)を付け、段差では足を滑らせないよう十分気を付け、撮影時以外はカメラをこまめにバッグに入れる等注意して、撮影を楽しみたいです(^_^)v
最近マスコミに露出が少ないウクライナのニュースですが、ロシアによる侵略戦争は続いています。と思えば、アフリカでは南スーダンが独立して争いが収まったかと思えば、本家のスーダンでまたまた内戦が(>_<)
政府は国会答弁に導入したいとするChatGPTがそんなに優秀なら、戦争終結策を作らせたい(^_^;) 更にはそんなに優秀なら国も地方も議員は要らないので、政策作りをChatGPTに任せたい(^_^)v 究極の行政改革(^_^;)
どんな争い事でも、「まぁ~るく収めまっせ(^_^;)」的な策は無いものでしょうか。隘路(>_<)
世界の平和を願い、本日はお終いm(_ _)m
見事な滝桜 福島桜巡り1 20230403 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。自治会で2つの総会が終わったと思えば別団体の総会や検討会が有り、風邪やバタバタしているので諸事なかなか進みません(>_<) ブログ更新も(^_^;)
今日4月12日午後は前線の通過で、雨は少ないものの時折凄く強い風が吹き、ヨコミー家はミシッと音を立てています(>_<)
さて各地で異常に早く桜前線が北上していますが、諸用を調整して4月3日、福島県三春町に在る滝桜(紅枝垂れ)を見てきました。
毎度のこと、写真は下手です(>_<) 芸術性は有りません。高校の時授業で美術が1年間、多分6ヶ月じゃないと思いますが学んだにもかかわらず、記憶が薄く、撮影はあるがままに(^_^;)
(写真はクリックすると大きくなります)

滝桜です。先ずは割と良い位置から撮った1枚です。

時間はやや遡り、駐車場から関所を通り、小さな門前町の様な出店を見ながら緩く登ります。そこが終わって開けた辺りでパチリ。
朝は気仙沼5時の出発でした。車の出し入れ等が有り30分早く起きたのですが、どうしても押し気味。朝食は車内で食べるのが恒例なので、それでも10分遅れ(>_<)
9時ちょっと過ぎに駐車場へ着いたのですが、既に半分以上埋まっていました。大事なのは駐車場にスムーズに入れることなので、ホッとしてゆっくりと準備しました(^_^;)

更に近付いて手前に有る祠もパチリ。出来るだけ顔が写らないタイミングで撮るので時間が掛かります。以前はもっと菜の花が有ったと思いますが、菜の花より滝桜の方が気温変化に追従している感じです。

滝のように流れ落ちる花々の拡大です。まだ蕾が見えるし、地面には落ちたと分かるような花弁は有りませんでした。
滝桜満開....とは地元観光協会による先週末4月1日土曜日の情報。前日金曜日は八分咲きでしたので、慌てて予定を繰り上げての見学でした。

丁度良い具合に雲が流れてきたので、そのタイミングでパチリ。噴火(^_^;)

経路が右側に回った所でパチリ。
駐車場は向こうの山の下。そこから緩く登り、写真左手に見える家々の間を抜けると左手に滝桜が見えてくるのです。記事で裏とか左手とか書いているのは写真左手から滝桜を見て....という意味で書いていますのでよろしくお願い致します。土地の傾きからも、滝桜すぐ前に有る小さな祠の向きからも、この写真の左側が正面と考えて良いでしょう。

更に少し回った所からパチリ。人出は少ないような写真ですが、写り込まないように撮っていただけです(^_^;)

滝桜の裏手は丘になっていて、広場が有り、周りに白や薄いピンクの桜が植えられています。もう少し進んだら登ってみます。

右後ろ側からパチリ。菜の花との組み合わせが素敵です。向かって右側にも枝が広がっています。
左下には出店の一部が見えます。

滝桜見学路から階段で裏手の広場に上がってみました。白っぽい桜は染井吉野でしょうか。ピンク色は? うーん、自信有りません(^_^;)
滝桜のライトアップに合わせたのか、提灯も有ります。後のコマにボケとして入れました(^_^;)

ちょっと拡大してみました。白っぽいと思った桜も淡いピンク色ですね。やはり染井吉野かと。

もっと拡大です。幸いにも散り始めていませんでした。

ピンク色の拡大です。こちらも蕾が割と多いです。不満ではなく、嬉しいっ(^_^)v
ここの広場の裏手です。広場左側からの道があります。
左端は墓地ですが、その右隣に枝垂れ桜が見えます。右側に広がり過ぎているので、ひょっとしたら2本かも知れません。木の下にはやはり石が見えました。
そしてほぼ中央に一本柱の四阿が見えます。その、やや右と更に右側にも大きな桜が見えます。既に見に行っている方も居ますが、撮影は道からだけにしたいです。畑に入るのはもってのほかで、草地だと思って居ても、そろそろ花が芽を出そうとしているかも知れないからです。道から見るのは良いとして、外れることは慎みたいです。
また四阿辺りで向こう側にダム湖が見えると思います。ダム湖周辺にも桜があちこちに見えます。来年は足を伸ばしたいです。

丘から下って通路に戻ろうとしたら、良い場所を見つけました。大体、滝桜の右上です。
滝桜の左上(向かい側)に屋根が光った黒っぽい建物が在りますが、向こう側がトイレでこちら側は椅子になっています。ぐるっと回って、そこまで行って終わるつもりです。
そういえば昨年、宿に泊まったら無料で夜の滝桜見学ツアーが有り、乗せて頂きました。ライトアップ。
道はとても混んでいたのですが、流石地元の運転手さんで、割と空いている道で辿り着きました。でも多分三春インターから下りてきたと思われるマイカーは、終了の21時になっても多くが届かなかった感じでした(>_<)
また見学通路の一部では高い所から動く模様を投影していて、その動く模様を踏もうと子供たちが足下の暗い中、走り回っていましたので、時には人にぶつかり、危険でした。
今年は節目の年ではない為か、そのような照明設備が無かったようで安心。もっとも夜には来ませんでしたが。

真後ろかと思ったら、時計でいうと凡そ11時方向からでした。

左側からパチリ。菜の花に浮かぶ滝桜(^_^;) こちらは低い位置に枝が広がっているのが確認出来ます。

左手前、時計でいうと短針が7時半辺りの位置からパチリ。ちょっと上が丘の上の桜と重なっていますが、左に張り出した枝が分かります。凄いです。これで1周しました。

今度は向かい側の丘からアップのパチリ。少ないように見えた菜の花ですが、位置を選べば滝桜とのコラボが楽しめます。

青空が素敵だったので大きく入れてパチリ。
滝桜を直接見るのは、いつもの半分にも満たない1時間弱でした。実は前日膝を痛め、歩くのが大変なのです(>_<)

ヨコミー、やはり滝桜といえばこれです(^_^;) 三春の里・田園生活館(産直兼レストラン、宿泊、入浴施設)向かいにレストラン等を構える大畑屋食品が、滝桜手前でも売っている三角油揚げ(^_^)v ピーマン入り辛味噌が塗られ、炙ってあります。いつもはお姉さんが手際よく焼いているのですが、この日は男性(^_^;) まあまあ、お味も焼き具合も変わらないようで安心。美味しいです。
地域が変われば豆腐版も有り、行った先々で嗅覚を駆使し探しています(^_^;)
この春、NHKテレビに出演していた気象予報士が「桜は八分咲きで満開です」と言っていましたが、気象業界では常識なのでしょうね!? 一般的には「満」といえば「空き」が無いことで、ホールの座席や駐車場に8割入った状態で満席とか満車とは言いません。
「曇り」も以前聞いてびっくりしたのですが、「雲量が9割以上を曇り」という定義でした。つまり全天の8割が雲に覆われていても「晴れ」(>_<) 一般人には信じられないことです(>_<)
これらの基準、なんとかして欲しいです。
ロシアによるウクライナ侵略のニュースが最近とても少なくなっていますが、まだまだ激しい戦争が続いているようです。この戦争、単にプーチンの戦争ではなく、ロシア政府が準備してきた侵略戦争だったようです。真実を伝えるべきマスコミは押さえられ、国営放送は単に政府の広報機関と成り下がりました。
翻って、我が日本国には昭和初期に見られた様なことが再び起こらないことを祈りたいですが、自衛隊の文民統制といっても政権が侵略の方向に傾けば....。NHKは最近、コンピューターで作り上げた音声でニュースを流していますが、行く行くは国民を良からぬ方向へ導くようなニュースを流すのではないかと心配しています。
いつかも書きましたが、ニュースは多方面から仕入れたいです。出来れば英語のニュースも確認したいところ。ただフェイクニュースも有るので、やはり英語でも多方面からのチェックが必要です。そしてフランス語、やや広く使われているドイツ語等も候補。ヨコミーはフランス語初歩の本を買いましたが1割り方進んで挫折(T_T) ドイツ語も初歩の講座を受けたまま進んでいません(>_<) 各位の努力に期待(^_^;)
世界に戦争や圧政が無くなり、平和が訪れることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。自治会で2つの総会が終わったと思えば別団体の総会や検討会が有り、風邪やバタバタしているので諸事なかなか進みません(>_<) ブログ更新も(^_^;)
今日4月12日午後は前線の通過で、雨は少ないものの時折凄く強い風が吹き、ヨコミー家はミシッと音を立てています(>_<)
さて各地で異常に早く桜前線が北上していますが、諸用を調整して4月3日、福島県三春町に在る滝桜(紅枝垂れ)を見てきました。
毎度のこと、写真は下手です(>_<) 芸術性は有りません。高校の時授業で美術が1年間、多分6ヶ月じゃないと思いますが学んだにもかかわらず、記憶が薄く、撮影はあるがままに(^_^;)
(写真はクリックすると大きくなります)

滝桜です。先ずは割と良い位置から撮った1枚です。

時間はやや遡り、駐車場から関所を通り、小さな門前町の様な出店を見ながら緩く登ります。そこが終わって開けた辺りでパチリ。
朝は気仙沼5時の出発でした。車の出し入れ等が有り30分早く起きたのですが、どうしても押し気味。朝食は車内で食べるのが恒例なので、それでも10分遅れ(>_<)
9時ちょっと過ぎに駐車場へ着いたのですが、既に半分以上埋まっていました。大事なのは駐車場にスムーズに入れることなので、ホッとしてゆっくりと準備しました(^_^;)

更に近付いて手前に有る祠もパチリ。出来るだけ顔が写らないタイミングで撮るので時間が掛かります。以前はもっと菜の花が有ったと思いますが、菜の花より滝桜の方が気温変化に追従している感じです。

滝のように流れ落ちる花々の拡大です。まだ蕾が見えるし、地面には落ちたと分かるような花弁は有りませんでした。
滝桜満開....とは地元観光協会による先週末4月1日土曜日の情報。前日金曜日は八分咲きでしたので、慌てて予定を繰り上げての見学でした。

丁度良い具合に雲が流れてきたので、そのタイミングでパチリ。噴火(^_^;)

経路が右側に回った所でパチリ。
駐車場は向こうの山の下。そこから緩く登り、写真左手に見える家々の間を抜けると左手に滝桜が見えてくるのです。記事で裏とか左手とか書いているのは写真左手から滝桜を見て....という意味で書いていますのでよろしくお願い致します。土地の傾きからも、滝桜すぐ前に有る小さな祠の向きからも、この写真の左側が正面と考えて良いでしょう。

更に少し回った所からパチリ。人出は少ないような写真ですが、写り込まないように撮っていただけです(^_^;)

滝桜の裏手は丘になっていて、広場が有り、周りに白や薄いピンクの桜が植えられています。もう少し進んだら登ってみます。

右後ろ側からパチリ。菜の花との組み合わせが素敵です。向かって右側にも枝が広がっています。
左下には出店の一部が見えます。

滝桜見学路から階段で裏手の広場に上がってみました。白っぽい桜は染井吉野でしょうか。ピンク色は? うーん、自信有りません(^_^;)
滝桜のライトアップに合わせたのか、提灯も有ります。後のコマにボケとして入れました(^_^;)

ちょっと拡大してみました。白っぽいと思った桜も淡いピンク色ですね。やはり染井吉野かと。

もっと拡大です。幸いにも散り始めていませんでした。

ピンク色の拡大です。こちらも蕾が割と多いです。不満ではなく、嬉しいっ(^_^)v

ここの広場の裏手です。広場左側からの道があります。
左端は墓地ですが、その右隣に枝垂れ桜が見えます。右側に広がり過ぎているので、ひょっとしたら2本かも知れません。木の下にはやはり石が見えました。
そしてほぼ中央に一本柱の四阿が見えます。その、やや右と更に右側にも大きな桜が見えます。既に見に行っている方も居ますが、撮影は道からだけにしたいです。畑に入るのはもってのほかで、草地だと思って居ても、そろそろ花が芽を出そうとしているかも知れないからです。道から見るのは良いとして、外れることは慎みたいです。
また四阿辺りで向こう側にダム湖が見えると思います。ダム湖周辺にも桜があちこちに見えます。来年は足を伸ばしたいです。

丘から下って通路に戻ろうとしたら、良い場所を見つけました。大体、滝桜の右上です。
滝桜の左上(向かい側)に屋根が光った黒っぽい建物が在りますが、向こう側がトイレでこちら側は椅子になっています。ぐるっと回って、そこまで行って終わるつもりです。
そういえば昨年、宿に泊まったら無料で夜の滝桜見学ツアーが有り、乗せて頂きました。ライトアップ。
道はとても混んでいたのですが、流石地元の運転手さんで、割と空いている道で辿り着きました。でも多分三春インターから下りてきたと思われるマイカーは、終了の21時になっても多くが届かなかった感じでした(>_<)
また見学通路の一部では高い所から動く模様を投影していて、その動く模様を踏もうと子供たちが足下の暗い中、走り回っていましたので、時には人にぶつかり、危険でした。
今年は節目の年ではない為か、そのような照明設備が無かったようで安心。もっとも夜には来ませんでしたが。

真後ろかと思ったら、時計でいうと凡そ11時方向からでした。

左側からパチリ。菜の花に浮かぶ滝桜(^_^;) こちらは低い位置に枝が広がっているのが確認出来ます。

左手前、時計でいうと短針が7時半辺りの位置からパチリ。ちょっと上が丘の上の桜と重なっていますが、左に張り出した枝が分かります。凄いです。これで1周しました。

今度は向かい側の丘からアップのパチリ。少ないように見えた菜の花ですが、位置を選べば滝桜とのコラボが楽しめます。

青空が素敵だったので大きく入れてパチリ。
滝桜を直接見るのは、いつもの半分にも満たない1時間弱でした。実は前日膝を痛め、歩くのが大変なのです(>_<)

ヨコミー、やはり滝桜といえばこれです(^_^;) 三春の里・田園生活館(産直兼レストラン、宿泊、入浴施設)向かいにレストラン等を構える大畑屋食品が、滝桜手前でも売っている三角油揚げ(^_^)v ピーマン入り辛味噌が塗られ、炙ってあります。いつもはお姉さんが手際よく焼いているのですが、この日は男性(^_^;) まあまあ、お味も焼き具合も変わらないようで安心。美味しいです。
地域が変われば豆腐版も有り、行った先々で嗅覚を駆使し探しています(^_^;)
この春、NHKテレビに出演していた気象予報士が「桜は八分咲きで満開です」と言っていましたが、気象業界では常識なのでしょうね!? 一般的には「満」といえば「空き」が無いことで、ホールの座席や駐車場に8割入った状態で満席とか満車とは言いません。
「曇り」も以前聞いてびっくりしたのですが、「雲量が9割以上を曇り」という定義でした。つまり全天の8割が雲に覆われていても「晴れ」(>_<) 一般人には信じられないことです(>_<)
これらの基準、なんとかして欲しいです。
ロシアによるウクライナ侵略のニュースが最近とても少なくなっていますが、まだまだ激しい戦争が続いているようです。この戦争、単にプーチンの戦争ではなく、ロシア政府が準備してきた侵略戦争だったようです。真実を伝えるべきマスコミは押さえられ、国営放送は単に政府の広報機関と成り下がりました。
翻って、我が日本国には昭和初期に見られた様なことが再び起こらないことを祈りたいですが、自衛隊の文民統制といっても政権が侵略の方向に傾けば....。NHKは最近、コンピューターで作り上げた音声でニュースを流していますが、行く行くは国民を良からぬ方向へ導くようなニュースを流すのではないかと心配しています。
いつかも書きましたが、ニュースは多方面から仕入れたいです。出来れば英語のニュースも確認したいところ。ただフェイクニュースも有るので、やはり英語でも多方面からのチェックが必要です。そしてフランス語、やや広く使われているドイツ語等も候補。ヨコミーはフランス語初歩の本を買いましたが1割り方進んで挫折(T_T) ドイツ語も初歩の講座を受けたまま進んでいません(>_<) 各位の努力に期待(^_^;)
世界に戦争や圧政が無くなり、平和が訪れることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
色鮮やかな河津桜 気仙沼市唐桑御崎 20230328 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
先日地元のラジオ放送で、途中から聞いたので詳しくは分からなかったのですが、気仙沼市唐桑町に河津桜が有るとのこと。そこで地元の観光協会に電話で問い合わせたら、唐桑半島南端に在る御崎神社付近と判明し、まだ咲いているとのことで、今日3月28日、河津桜を見てきました。
(写真はクリックすると大きくなります)

植栽地に入って直ぐ辺りの河津桜。色が濃いですね(^_^)v
ヨコミー性格も食べ物もあっさりとしたやつが好きでしたが、最近好みが変わってきたのかも。昔は純白のやつが好きでしたが、近年は色付きモノが...(^_^;) 歳を取って目の感色素子が鈍ってきたのでしょうか(>_<) 染井吉野は開ききったときの白っぽさが好きでしたが、今では蕾から漸く開いた辺りの薄いピンク色が好きです(^_^)v

先ずは位置から。グーグルマップからの借用です。周囲が海で囲われているので、風の丘より暖かいようです。当地も海が近いですが、東側だけ。しかも冬前後の西風がとても強いです(>_<)
三陸道を北上して唐桑半島へ来るときは注意が必要です。下りるインターは国道45号唐桑トンネルの西に在るインターですが、帰るときはこのインターは使えず、国道トンネルの東側に有るインターから国道のトンネル南側に隣接する三陸道のトンネルに入ります....というか、三陸道のトンネルに入ってから本線に合流します。
世の中ハーフインターといって上り方向や下り方向にのみ、乗ったり下りたり出来る半端なインターが在りますが、ここは、なんと、ハーフの更にハーフなのです(>_<) 来るときは国道トンネルの西で下り、帰るときは三陸道トンネルの東側から入り、中で乗ります(>_<) なので、トンネルの西で下りた....等という記憶は事故の元ですから忘れてください(^_^;) 単に、標識通りで(^_^)v

三陸道から県道で唐桑半島を南下すると、南端近くの正面に大きな鳥居が有りますが、ここは左折してビジターセンターへ。

1分も経たない内に駐車場が右手(南側)に広がり、奥にビジターセンターが有ります。左の小さな建物は津波体験館ですが、老朽化と来場者が伸びない為、閉館となりました。実はビジターセンターは改修中で夏休みからの再開です。なのでトイレは180度反対側、駐車場北に有るキャンプ場の施設が使えます。
赤い幟旗は「オルレ」とはいうものの、トレイルみたいなコースを示しています。

回れ右した方向に在るキャンプ場です。施設の裏側にテントサイトが広がります。確か「オート」キャンプ場では無かったはず。クラッシックに、静かにテント泊を楽しみたい人々にお勧め。ヨコミーの青春の一ページもここに有りました(^_^;)
ここは小高い丘というかお山の上。半島の尾根。東日本大震災級の大津波が来ても余裕の高さ。ですがここから下り、先ほど見た鳥居の西下に小さな港があるので、ここで釣った魚を夕食のおかずにするキャンプも楽しいかも(^_^;)

戻って、左はオルレ用のロッカーなど。見れば奥に色濃い桜が....。幟旗の左側から入りますが、ちっと(^_^;)

オルレのスタート地点。歩いた知人はここに荷物や車を置くので再びここへ戻ってくるようだったと(>_<)
ヨコミーは戻るんじゃなくて縦走みたいな感じに出来ないのかなぁ....と思うのです。トレイル風。
例えばバスの1区間2区間...猛者向けには5区間も設定出来ないモノなのかなぁ....と。要はトイレとバス便なのでしょうけれど、トイレはコンビニは無いので小さな物を設置するとか、地域の集会所や学校開放を兼ねて設置するとか、トイレ協力民家を募るとか。路線バスは田舎なので不便ですが、乗り合いバス・オンデマンドタクシーとか検討したいです。
では、進みましょう。

まだ若い木ですが、良い色で咲いています(^_^)v

色濃いですね(^_^)v 左奥は先ほどのオルレロッカーなど。

立て札が有りました。震災後、静岡の方々から頂いた河津桜でしたね(^_^)v 感謝m(_ _)m

ちょっと遊んでみました。青空とのコラボ(^_^;)

進むと左手に探勝歩道入り口と有りました。奥はタブノキ。憧れ(^_^;)

立派なタブノキです。カメラのカラーバランスはオートにしているのですが、色合いがちょっと....(>_<)

右手にオルレの入り口が見えます。でも、これって元々探勝歩道だと思うのですが。

素敵な河津桜を拡大してみました。花弁同士が隣と重なり合い、ヒトデ模様が見えます(^_^;)

バックがモワンとボケてくれて、こちらも綺麗(^_^)v

河津桜の奥に遊具が有りました。トイレにも行きたいし、お昼も近くなってきたので、更に奥を確かめる気にもなれず、ここでUターンです。
まだ植えて10年余りの若木ですが、とても素敵な木々を植えて頂きました。10年後20年後には更に見事に咲いて、観る人々の心を癒やしてくれることと思います。静岡の方々に感謝ですm(_ _)m
そして今日、ヨコミー家で植えて4・5年余りの河津桜が開花しました(^_^)v 後日報告出来れば...と思うのですが、今春は先ず白梅が咲き、そして小梅、早咲きの桜(ひょっとしたら暖地桜桃かも?)、暖地桜桃、南高梅、河津桜の順でした。
そうそう、某ブログ主から実が大きい南高梅の花弁は他品種の花弁より大きいの?と宿題を頂いていました。昨年見比べた限りではほんのちょっと大きい位でしたが、今年は時間をみて並べて撮りたいです。うーん、多分出来そう(^_^;)
あっ、携帯まだ届きません(>_<)
世界の平和を祈って、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
先日地元のラジオ放送で、途中から聞いたので詳しくは分からなかったのですが、気仙沼市唐桑町に河津桜が有るとのこと。そこで地元の観光協会に電話で問い合わせたら、唐桑半島南端に在る御崎神社付近と判明し、まだ咲いているとのことで、今日3月28日、河津桜を見てきました。
(写真はクリックすると大きくなります)

植栽地に入って直ぐ辺りの河津桜。色が濃いですね(^_^)v
ヨコミー性格も食べ物もあっさりとしたやつが好きでしたが、最近好みが変わってきたのかも。昔は純白のやつが好きでしたが、近年は色付きモノが...(^_^;) 歳を取って目の感色素子が鈍ってきたのでしょうか(>_<) 染井吉野は開ききったときの白っぽさが好きでしたが、今では蕾から漸く開いた辺りの薄いピンク色が好きです(^_^)v

先ずは位置から。グーグルマップからの借用です。周囲が海で囲われているので、風の丘より暖かいようです。当地も海が近いですが、東側だけ。しかも冬前後の西風がとても強いです(>_<)
三陸道を北上して唐桑半島へ来るときは注意が必要です。下りるインターは国道45号唐桑トンネルの西に在るインターですが、帰るときはこのインターは使えず、国道トンネルの東側に有るインターから国道のトンネル南側に隣接する三陸道のトンネルに入ります....というか、三陸道のトンネルに入ってから本線に合流します。
世の中ハーフインターといって上り方向や下り方向にのみ、乗ったり下りたり出来る半端なインターが在りますが、ここは、なんと、ハーフの更にハーフなのです(>_<) 来るときは国道トンネルの西で下り、帰るときは三陸道トンネルの東側から入り、中で乗ります(>_<) なので、トンネルの西で下りた....等という記憶は事故の元ですから忘れてください(^_^;) 単に、標識通りで(^_^)v

三陸道から県道で唐桑半島を南下すると、南端近くの正面に大きな鳥居が有りますが、ここは左折してビジターセンターへ。

1分も経たない内に駐車場が右手(南側)に広がり、奥にビジターセンターが有ります。左の小さな建物は津波体験館ですが、老朽化と来場者が伸びない為、閉館となりました。実はビジターセンターは改修中で夏休みからの再開です。なのでトイレは180度反対側、駐車場北に有るキャンプ場の施設が使えます。
赤い幟旗は「オルレ」とはいうものの、トレイルみたいなコースを示しています。

回れ右した方向に在るキャンプ場です。施設の裏側にテントサイトが広がります。確か「オート」キャンプ場では無かったはず。クラッシックに、静かにテント泊を楽しみたい人々にお勧め。ヨコミーの青春の一ページもここに有りました(^_^;)
ここは小高い丘というかお山の上。半島の尾根。東日本大震災級の大津波が来ても余裕の高さ。ですがここから下り、先ほど見た鳥居の西下に小さな港があるので、ここで釣った魚を夕食のおかずにするキャンプも楽しいかも(^_^;)

戻って、左はオルレ用のロッカーなど。見れば奥に色濃い桜が....。幟旗の左側から入りますが、ちっと(^_^;)

オルレのスタート地点。歩いた知人はここに荷物や車を置くので再びここへ戻ってくるようだったと(>_<)
ヨコミーは戻るんじゃなくて縦走みたいな感じに出来ないのかなぁ....と思うのです。トレイル風。
例えばバスの1区間2区間...猛者向けには5区間も設定出来ないモノなのかなぁ....と。要はトイレとバス便なのでしょうけれど、トイレはコンビニは無いので小さな物を設置するとか、地域の集会所や学校開放を兼ねて設置するとか、トイレ協力民家を募るとか。路線バスは田舎なので不便ですが、乗り合いバス・オンデマンドタクシーとか検討したいです。
では、進みましょう。

まだ若い木ですが、良い色で咲いています(^_^)v

色濃いですね(^_^)v 左奥は先ほどのオルレロッカーなど。

立て札が有りました。震災後、静岡の方々から頂いた河津桜でしたね(^_^)v 感謝m(_ _)m

ちょっと遊んでみました。青空とのコラボ(^_^;)

進むと左手に探勝歩道入り口と有りました。奥はタブノキ。憧れ(^_^;)

立派なタブノキです。カメラのカラーバランスはオートにしているのですが、色合いがちょっと....(>_<)

右手にオルレの入り口が見えます。でも、これって元々探勝歩道だと思うのですが。

素敵な河津桜を拡大してみました。花弁同士が隣と重なり合い、ヒトデ模様が見えます(^_^;)

バックがモワンとボケてくれて、こちらも綺麗(^_^)v

河津桜の奥に遊具が有りました。トイレにも行きたいし、お昼も近くなってきたので、更に奥を確かめる気にもなれず、ここでUターンです。
まだ植えて10年余りの若木ですが、とても素敵な木々を植えて頂きました。10年後20年後には更に見事に咲いて、観る人々の心を癒やしてくれることと思います。静岡の方々に感謝ですm(_ _)m
そして今日、ヨコミー家で植えて4・5年余りの河津桜が開花しました(^_^)v 後日報告出来れば...と思うのですが、今春は先ず白梅が咲き、そして小梅、早咲きの桜(ひょっとしたら暖地桜桃かも?)、暖地桜桃、南高梅、河津桜の順でした。
そうそう、某ブログ主から実が大きい南高梅の花弁は他品種の花弁より大きいの?と宿題を頂いていました。昨年見比べた限りではほんのちょっと大きい位でしたが、今年は時間をみて並べて撮りたいです。うーん、多分出来そう(^_^;)
あっ、携帯まだ届きません(>_<)
世界の平和を祈って、本日はお終いm(_ _)m
ヨコミー音信不通 スマホ3ヶ月で故障(>_<) 20230322 [もの]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
マーゴのUちゃんから頂いてしまった風邪はだいぶ良くなりましたが、時折咳と痰が出ます。咳痰は婆様譲りなので付き合いは長いです(^_^;)
さて、昨年12月に楽天モバイルから買ったシャープのスマホAQUOS sense6が3月19日に起動しなくなりました(>_<)

写真は2月3日撮影のシャコバサボテン。多分(^_^;) ずーっと以前から有ったのと、十数年前に買った物とがごちゃに成り、どれか分かりませんがシャコバサボテン。花の数は少ないですが、12月辺りに風除室から玄関に移して育てていました。
19日は義父13回忌の法事が有り、寺でスマホのスイッチを事前に切っておきました。昼過ぎ再度起動しようとしたら、ダメ(>_<) 「SHARP」と「android」の表示が極短時間出てすぐ画面が黒くなります。何度試しても起動しません(>_<) ちなみに1時間以上充電して試してもダメ。
この症状はネットでカカクコムを見たらsense4 liteの楽天モバイルでも確認されている故障です。シリーズの「6」と「4」なので間を飛ばさなければ多分2世代前の機種でも確認されている故障。なんで即対応しないのでしょうか。会社のイメージを悪くすると思わないのでしょうか。株主様、こんな会社は考えモノです(>_<)

雌しべの辺りをちょっと拡大。先端は傘のように開きそう(^_^;)
というわけで、大変すみませんが、ヨコミー携帯のアドレスをご存じの方はご注意願いますm(_ _)m SIMを古いスマホに入れたのですが、G-mailは何故か通じません。楽天リンクという無料通話等のアプリを娘が再度ダウンロードしたのですが「機種が対応していないよ」と早速苦情。でも自宅のWi-Fi経由でデータを拾っているようで、Wi-Fiのスイッチを入れれば通話出来ます。通常に課金される通話も!? なので全面解決までには時間が掛かりそうです(>_<) 音信不通になったらごめんなさい。

向きを変えてパチリ。雌しべですが先端に穴が開いているような....。傘と違って花のように先端から開くことも出来そう(^_^;) うーん、薄い黄色の雄しべも見たいです(^_^;)
買ったのはチェーンの家電店ですが、その店のホームページを見たら、売り場の楽天では修理を受け付けていないのです(>_<) 買った窓口で修理を頼めないなんて最低....(>_<)
修理は機種のメーカーに頼め....と買ったときに楽天から頂いた冊子にシャープの電話番号が書いてありました。楽天から買ったのに!!! 0570だけど、通話料が掛かる電話番号だけ。受付体制悪いなぁ....と(>_<)
ただ当日19日午後は法事でとても疲れ、ダウン。起きたら受付時間外(>_<) 20日はいろいろと試したり墓参で、実際に電話を掛けたのは昨日21日午前中。何度か掛けたのですが混雑しているようで、電話はなかなか通じません。

雄しべと花の奥に割とピントが合っていて、様子が分かります。花の「喉」みたい(^_^;) ただ、こうなると雌しべはピントが外れます。
この花弁の質感がとても大好きです。花は小さくて無理なのですが、もっと大きければ指で触ったり、ほっぺですりすりしたいです(^_^;)
ところが電話のアナウンスでwebでは24時間受け付けている....と話していたので早速ネットで検索したら、シャープの故障受付サイトの他に、ネットで修理を申し込んだ方が手っ取り早い....との書き込みも見つけました。
うーん、なんで販売の楽天では、某女優を表紙目一杯に据えた保存版という冊子に、製品故障受付窓口として各社の電話番号しか、「しか」書いてないのでしょうか???? この、ネット時代なのに。ちなみに冊子には購入前々月の版を示す日付が入っていました。古くないですよね。そして保存版....としているけど、半分以上はカタログ的。持っている1機種以外が書いて有っても無用なのに、保存版。
なんだべねぇ~(>_<)

既に咲き終え、しぼんだ花ですが、まだまだ魅せてくれます(^_^;) 色合い、質感(^_^)v ところで下端正面、向かってやや左は何かの顔みたく見えるのですが、分かるでしょうか(^_^;)
結果、明日23日に運送屋さんが回収に来ることとなりました。まあ、データを事前に回収したかったのですが電源が入らず、USBコードは相手にしてくれません。データは消されるのでしょうね(>_<)
そんな訳でまだ安心出来ません。修理の際、どうして購入者の利便を図ってくれないのでしょうか、疑問。まあ、格安スマホを扱う会社の限界かな(>_<)
これではまだスマホを持っていない人に同社からの購入を薦めるのは難しいです。お安くて良いのですが、更なる努力に期待したいです(^_^)v
某団体の決算をそろそろ確定させなくては成らないのですが、関係役員は安易に考えているようで....。資料を求めたらdatファイルで送って寄越すし....。そんなもの読めないっ(>_<) 明日明後日が勝負です。
先程のニュースで報道されていましたが、岸田総理がウクライナを極秘訪問する際、日本政府はロシアに事前通告をしていたと....。まあ、日本の総理が戦地を訪問するから間違ってもミサイルなどで攻撃しないでね。万が一の事が有ったら更に敵を作りますよ.....という、仁義・スタンスなのかな。
でもロシアにしてみれば、ウクライナの敵対行為を助長する支援などを岸田総理が約束するのだろうから、すんなりと認めたくないところかと。でもまあ、日本は戦争起こした我がロシアからエネルギーを買い続けているお得意さんだから、仕方ないかぁ...と思ったかどうか。傍から見れば、どんなもんだろう。
ウクライナを始めとする戦争・紛争地域で争いが早く終わり、世界中に平和が来ることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
(明日はまだ体調が本調子じゃないマーゴのUちゃんが、保育所には行けないので我が家で預かり、保育と看護をするような....。大変! 早く寝ましょう(>_<) 決算は気になりますが(^_^;)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
マーゴのUちゃんから頂いてしまった風邪はだいぶ良くなりましたが、時折咳と痰が出ます。咳痰は婆様譲りなので付き合いは長いです(^_^;)
さて、昨年12月に楽天モバイルから買ったシャープのスマホAQUOS sense6が3月19日に起動しなくなりました(>_<)

写真は2月3日撮影のシャコバサボテン。多分(^_^;) ずーっと以前から有ったのと、十数年前に買った物とがごちゃに成り、どれか分かりませんがシャコバサボテン。花の数は少ないですが、12月辺りに風除室から玄関に移して育てていました。
19日は義父13回忌の法事が有り、寺でスマホのスイッチを事前に切っておきました。昼過ぎ再度起動しようとしたら、ダメ(>_<) 「SHARP」と「android」の表示が極短時間出てすぐ画面が黒くなります。何度試しても起動しません(>_<) ちなみに1時間以上充電して試してもダメ。
この症状はネットでカカクコムを見たらsense4 liteの楽天モバイルでも確認されている故障です。シリーズの「6」と「4」なので間を飛ばさなければ多分2世代前の機種でも確認されている故障。なんで即対応しないのでしょうか。会社のイメージを悪くすると思わないのでしょうか。株主様、こんな会社は考えモノです(>_<)

雌しべの辺りをちょっと拡大。先端は傘のように開きそう(^_^;)
というわけで、大変すみませんが、ヨコミー携帯のアドレスをご存じの方はご注意願いますm(_ _)m SIMを古いスマホに入れたのですが、G-mailは何故か通じません。楽天リンクという無料通話等のアプリを娘が再度ダウンロードしたのですが「機種が対応していないよ」と早速苦情。でも自宅のWi-Fi経由でデータを拾っているようで、Wi-Fiのスイッチを入れれば通話出来ます。通常に課金される通話も!? なので全面解決までには時間が掛かりそうです(>_<) 音信不通になったらごめんなさい。

向きを変えてパチリ。雌しべですが先端に穴が開いているような....。傘と違って花のように先端から開くことも出来そう(^_^;) うーん、薄い黄色の雄しべも見たいです(^_^;)
買ったのはチェーンの家電店ですが、その店のホームページを見たら、売り場の楽天では修理を受け付けていないのです(>_<) 買った窓口で修理を頼めないなんて最低....(>_<)
修理は機種のメーカーに頼め....と買ったときに楽天から頂いた冊子にシャープの電話番号が書いてありました。楽天から買ったのに!!! 0570だけど、通話料が掛かる電話番号だけ。受付体制悪いなぁ....と(>_<)
ただ当日19日午後は法事でとても疲れ、ダウン。起きたら受付時間外(>_<) 20日はいろいろと試したり墓参で、実際に電話を掛けたのは昨日21日午前中。何度か掛けたのですが混雑しているようで、電話はなかなか通じません。

雄しべと花の奥に割とピントが合っていて、様子が分かります。花の「喉」みたい(^_^;) ただ、こうなると雌しべはピントが外れます。
この花弁の質感がとても大好きです。花は小さくて無理なのですが、もっと大きければ指で触ったり、ほっぺですりすりしたいです(^_^;)
ところが電話のアナウンスでwebでは24時間受け付けている....と話していたので早速ネットで検索したら、シャープの故障受付サイトの他に、ネットで修理を申し込んだ方が手っ取り早い....との書き込みも見つけました。
うーん、なんで販売の楽天では、某女優を表紙目一杯に据えた保存版という冊子に、製品故障受付窓口として各社の電話番号しか、「しか」書いてないのでしょうか???? この、ネット時代なのに。ちなみに冊子には購入前々月の版を示す日付が入っていました。古くないですよね。そして保存版....としているけど、半分以上はカタログ的。持っている1機種以外が書いて有っても無用なのに、保存版。
なんだべねぇ~(>_<)

既に咲き終え、しぼんだ花ですが、まだまだ魅せてくれます(^_^;) 色合い、質感(^_^)v ところで下端正面、向かってやや左は何かの顔みたく見えるのですが、分かるでしょうか(^_^;)
結果、明日23日に運送屋さんが回収に来ることとなりました。まあ、データを事前に回収したかったのですが電源が入らず、USBコードは相手にしてくれません。データは消されるのでしょうね(>_<)
そんな訳でまだ安心出来ません。修理の際、どうして購入者の利便を図ってくれないのでしょうか、疑問。まあ、格安スマホを扱う会社の限界かな(>_<)
これではまだスマホを持っていない人に同社からの購入を薦めるのは難しいです。お安くて良いのですが、更なる努力に期待したいです(^_^)v
某団体の決算をそろそろ確定させなくては成らないのですが、関係役員は安易に考えているようで....。資料を求めたらdatファイルで送って寄越すし....。そんなもの読めないっ(>_<) 明日明後日が勝負です。
先程のニュースで報道されていましたが、岸田総理がウクライナを極秘訪問する際、日本政府はロシアに事前通告をしていたと....。まあ、日本の総理が戦地を訪問するから間違ってもミサイルなどで攻撃しないでね。万が一の事が有ったら更に敵を作りますよ.....という、仁義・スタンスなのかな。
でもロシアにしてみれば、ウクライナの敵対行為を助長する支援などを岸田総理が約束するのだろうから、すんなりと認めたくないところかと。でもまあ、日本は戦争起こした我がロシアからエネルギーを買い続けているお得意さんだから、仕方ないかぁ...と思ったかどうか。傍から見れば、どんなもんだろう。
ウクライナを始めとする戦争・紛争地域で争いが早く終わり、世界中に平和が来ることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
(明日はまだ体調が本調子じゃないマーゴのUちゃんが、保育所には行けないので我が家で預かり、保育と看護をするような....。大変! 早く寝ましょう(>_<) 決算は気になりますが(^_^;)
献花に行ってきました(前編) 気仙沼の今 20230311 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今年も3.11がやってきました。改めて犠牲になられた多くの方々のご冥福と、被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。
さて新しくなった中央公民館で行われた献花に初めて行きましたが、その途中等で見掛けた「気仙沼」の様子を以下に紹介します。
(写真はクリックすると大きくなります。ノーファインダーが多く、多少トリミングしたものの構図や色調についてはご容赦をm(_ _)m)

三陸道を北上し、気仙沼港インターです。ここで下ります。
ここは南向けのハーフインター(>_<) なので市内唐桑や岩手県沿岸から三陸道で南下した車はここから出ることは出来ません。なので1つ南の気仙沼中央インターでは南下してきた車が下の交差点を使ってUターンしています(>_<)

気仙沼港インターを下りる坂道です。直ぐ左下に広がる水産加工場団地や市街地が見えてきました。
左中程の遠くに白くて横に長い建物が小さく見えますが、震災直後から足掛け10ヶ月も避難所になった気仙沼市民会館です。

上は気仙沼湾を横断する三陸道。坂をもう少し下るとT字路が有ります。ここは右折です。端の下を通るって??? まあまあ(^_^;)

気仙沼市を流れる大川を跨ぐ三陸道の下に、もう1つの橋が出来ました。ここを進んで橋を渡ります。この橋、ちょっと見には無駄な感じです。
当初計画では川と気仙沼湾との間に有る陸地にインターが出来る予定でしたが、分流・合流部を作るには狭かったのでしょうね。市の工事となりましたが国からの補助が多かったとか。まあ三陸道は国の事業なので当然かも。
左端に見える2つの塔は三陸道の気仙沼湾横断橋を支える2つの主塔。

大川の河口です。左手前が川。右から伸びる気仙沼湾は重油タンクと向こう岸の間を左にずーつと行った湾奥まで続きます。河口も防潮堤で囲われています。
右奥の山は気仙沼・大島の亀山。その手前は近年宮城県が架けた大島大橋。両端の字名を取って、結果縁起が良い通称「鶴亀橋」(^_^)v
ご存じの無い方に申し上げますが、三陸道も大島大橋も東日本大震災のおかげで作られた物ではないことをお分かりください。ネットには事情も知らない方が身勝手な解釈で「東日本大震災の賜物」の様に書いているお方も居ますが、三陸道は震災前から事業化されていました。
特に大島大橋は数十年に及ぶ運動が実を結び、震災前から用地買収や本土側の道路改修等が進んでいました。架橋前はちょっとした嵐や霧だと船が出せず、通勤通学も出来ず、特に急患では多くの人が泣きました。たまたま見た橋に車や人の姿が見えなくても、文句は言わないでください。言うなら何処かの離島に住んで離島の不便を体験してから(^_^)v

大川に架かる市道の橋をそろそろ渡り終えるところ。左手2つの黒めに見えるのカラスでしょうか。道路右に有る工場の屋根に重なっているのは猛禽類です。ヨコミーは鷲、鷹、鳶の区別が分かりません(>_<)
この先、トラックの手前で左折。

ですが(^_^;)、もうちょっと右側を。みらい造船です。
市内鹿折地区東海岸に小さな数社の造船所が有り、震災後1社を除いて合併、そしてこの地へ移転しました。
何処かに書いた気がしますが、鹿折中学校の同級生には造船会社の社長令嬢が居て、同じ中学校の同級生で、市役所関係で写真が採用されている写友のKMさんは奥さんが別な造船会社のご令嬢(^_^;)
そんな元気な旧・鹿折町でしたが、造船所は1社を除き居なく成り、再建された水産加工場は働く人が少なくなり、気仙沼市から鹿折町の独立を夢としていたヨコミー、夢まで流されました。うーん惜しかった(^_^;)

左折すると間もなく右手に空き地が(>_<) まあ最近では見慣れた風景です。奥に見えるビルは国の合同庁舎です。被災しましたが法務局やハローワークを出し、改修の上再配置で利用しています。このビルの直ぐ向こうが気仙沼湾です。
ちなみに左側には県の合同庁舎が有りましたが、こちらはイオンに近い廃校となった県立高跡地に警察と共に引っ越しました。市民としてはタイミングが若干ズレてはいましたが、より遠くに立てられた市立病院と交換して欲しかったです。県の2施設より市立病院に通う人の方が断然多いにもかかわらず、です。警察も緊急出動するならバイパスや三陸道に近い方が効率的だと思うのですが....(>_<)
この辺りには自宅兼小さな工場とか大きな建物まで結構立っていたのですが、住む建物は立てられない制限が有り、昔のようなごちゃごちゃした姿には戻る事は無いでしょう。
この空き地は広いですが、被災した住宅地は市で買い上げられましたが点在し、まだ多くが未利用地となっています。日本にも居ないかな、トランプさん。買い占めて!(^_^;)

以前は河口に一番近かった曙橋東側付近です。左の橋は、震災後BRTというバスになってしまったJR気仙沼線の、大川に架かる橋。その橋桁の下、僅かに北側へ移設された曙橋が見えます。震災前は掘り下げたガードで曙橋からこの地に繋がっていましたが、北側に移設されたことでJRとは平面で交差することと成りました。以前はガード下に雨水が溜まり、ちょっと大変なときも(>_<) なので今は左手に見えるJRの下は車両通行禁止です。
真っ直ぐ道路の向こう、小高い所に在る白い建物は気仙沼市民会館。
真っ直ぐ道路の左、白い建物の奥に見える台形の山は岩手県一関市の室根山(895m)。近隣では一番高い山です。今年5月の下旬、震災時気仙沼に支援で入った方々が今度は遊びで来られますが、そのとき市内のツツジ山・徳仙丈山に行きたいというので案内するつもりです。ただ、どうやら今年も開花が早くなりそう(>_<) そんなとき、近隣で良ければ室根山のヤマツツジにご案内するつもりです。

枯れ草がボウボウの空き地。進行方向左前に茶色い建物が見えます。再建された旧宮城交通(バス)の営業所ですが、今はミヤコーバスと名乗っています。緑色が見えるバスは高速バスです。左のアーチは洗車用かも(^_^)v
アーチの奥は内ノ脇の災害公営住宅で、目指す中央公民館はその左隣。でも今の道を真っ直ぐ進み、大きくUターンするようにしか行けません。左折中央公民館の標識が無いのでまだ道が出来ていないようです。不便(>_<)

進行方向右側です。民家や小さな工場、倉庫等々ぎっしりでしたが...(>_<)
左側、明るい色の建物は観光ホテルの一景閣。泊まったことは有りませんが忘年会等で美味しい料理を頂きました(^_^;)
これらの建物の向こう陰、若干の距離は有りますが気仙沼湾。湾奥は左手。奥に見える山並みは向こう岸、多くの造船所が有った鹿折地区の東海岸です。この東海岸を南下(右)すると大島大橋を経由して大島へ行けます。

少し進んで左手。小さくて申し訳ないですが、また災害公営住宅と重なって見づらいですが、左手に見えるオレンジ色の直ぐ右に有る、焦げ茶色のカマボコ屋根が今のJR南気仙沼駅。震災前の姿は有りません(>_<)
それにしても空き地だらけ(>_<)

赤信号なので続けて右側(^_^;) 方角は奥の山(安波山?)が凡そ北北西。左に見える薬王堂看板右下、薄茶色の建物は、ちょっと南に場所を移した旅館磯村。ここも忘年会等で行きましたが美味しかったです(^_^;)
で、本論は(^_^;)磯村の右裏から写真右手中程まで幸町の災害公営住宅が広がっています。右端に有る災害公営住宅の右奥に見える茶色っぽい建物は以前市外の資本に買収されたホテル観洋。
災害公営住宅や磯村の前を通る市道は、右に行けば気仙沼魚市場、左に行けば新興商業地域やバイパスに続くので交通量は多くなっています。その為か食べ物屋さんが沢山進出してきました(^_^;) チェーンのうどん屋さんは食べない内に(^_^;)撤退しましたが、かつや、鹿折から移転した王将、すき家、コンビニ2店等々。地元のお菓子屋さんも再建されました。

青信号になったので少し進んで同じ右方向。先程見えた薬王堂と幹線道路間ですが、まだまだ空き地が(>_<) トランプ前大統領は嫌いだけど、この辺を買い占めてくれるなら....(^_^;)

幹線道路の交差点に出ました。右に行けば気仙沼魚市場、左に行けば新興商業地やバイパスです。この交差点を真っ直ぐ進み、ガス工場の手前から右に昇ると気仙沼市民会館や小学校、中学校、図書館に至ります。ミニストップ看板の左上、白い建物が市民会館。
看板が有りました。ここを左折です。

左折しました。今の角にはすき家(^_^;) ちょっと空きは有りますが、その右隣が左に見えているレンタカー屋さん。その先は歯科。新興? 向かいのオレンジは地元で幅広く手がけている工務店。その向こうは震災後市立病院から開業した内科。以前母がお世話になりました。
少し進みます。

進行方向は右から左ですが、ここはBRT専用道路との平面交差。奥へ進むと気仙沼駅へ、背面へ進むと南気仙沼駅を経て大川を渡ります。

24mmという超広角レンズで撮っている為、結構遠く、小さく写ってしまいました(>_<) ここで左折です。
幹線道路は真っ直ぐ。まもなく気仙沼大橋を渡り、新興商業地帯を経てバイパスに直進です。中央に見える茶色い建物は川向こう。被災して改修された結婚式場です。震災後、式場が無く、なんとか結婚式を挙げたくて、岩手県の山手に有る式場で行った当時の部下もいました。これと似た....というか逆パターンですが、石巻で亡くなった義理父の火葬を、義理弟の家内が山形県に火葬場の空きを見つけ、私も参列することが出来ました。直後は火葬場も被災し、多くは一時的に土葬(>_<) 義理弟家内の執念に感謝m(_ _)m

左折しました。左は先程見えていた内ノ脇の災害公営住宅。住宅の裏(右)は直ぐ大川です。住宅の左下、黒猫トラックとの間に見える薄いピンク色が会場の中央公民館。右端奥の高層住宅は、大川向かいに建つ南郷の災害公営住宅です。この住宅は震災の大津波で大きな被害を受けて廃校となった南気仙沼小学校の跡地に立てられています。

間もなく写真枠外右に中央公民館となりますが、左手をパチリ。色がどういうわけか茶色に傾きました。ご容赦をm(_ _)m あえてセピア処理をした訳では有りません。フロントガラス経由なのですが...(>_<)
空き地(>_<) 以前だって多少は空いて居ましたが....。奥の山が大島の亀山。手前下に見えるアーチが、先程も見えた大島大橋。なんか変な方向ですが、大島の北西端に北側から橋を架けた為です。出来れば西に向けて架ければ、病院を含めた市街地はより近いし、橋上で強い横風を受けることは無いのですが、宮城県には3倍近く長い橋を架ける予算は重かったのでしょうね(>_<)
で、10秒程で会場到着です。取り敢えずの前編はここまで。勿論会場の様子をお伝えする気は有りません。しめやかに(*^_^*) 時間を見て、こんな感じで周辺の様子をお伝えしたいです。
一見、ヨコミーはあの震災でなーんの被災もしていないようですが、ちょっとだけ。取り敢えずは多少の物損と家が歪んだこと(>_<)
その日、ヨコミー奥様のおリュウさんは所用で内湾に居たのですが、タッチの差で、しかも渋滞していたので帰路に農道を選んだことから、まあその農道も自宅近くでは瓦礫で通行出来なくなり、知らない山の木々をかき分け帰宅出来たとさ。
母は海に近い施設へデーサービスで行っていて、送迎時ではなかったことから無事。3日4日缶詰になったものの施設から無事に帰還。
長男は当時リストラに遭い、自宅。このリストラのおかげで(^_^;)長男が太陽光発電を自立型に切り替え、我が家は一帯が停電の中、晴れている日は電気を使うことが出来ました。停電は1ヶ月半でした。
次男は内湾のすぐ前の職場に居たのですが上司の判断が良かった為か無事でした。長女は仙台の街中でしたので無事。
母実家宅は市内本吉町の旧・小泉村で、大津波が家々の殆どを流し去りましたが、家族は無事でした。
ただおリュウさんの父は石巻市を流れる北上川沿いの施設に入居していて、なんとか上階に上げられ流されなかったものの、暖房が途切れ、その後肺炎を起こし、3月末に亡くなりました。
こんな状況で有り、アマチュア無線の先輩や娘が教えられた習字の先生は流されたものの、義理父を含め、その都度拝んでいたので、改まって式典に参列して献花することは有りませんでした。
でも、まあ、歳なんでしょうか(^_^;)
ただヨコミー、今更ですが大きなものを失っていました。「もの」といえば「物」なのかもしれませんが、やはり「もの」。物事の「もの」なのかも。その内容は今更誰にも話すことは....万にひとつぐらいは有るかな?無いでしょう(^_^;) ほんと、大きなものを失っていました(>_<)(T_T)
2月21日、前日スキー場で頭を冷やしてしまい、風邪となって預かったマーゴのUちゃんから陰性の風邪を頂いてしまい、おリュウさんとともに我が家は大変でした。咳と痰。まあ婆様譲りかも(^_^;) そんな風邪は長引き、多くの予定はキャンセル。とはいえ某団体の役員でも有り、大変な日々でした(>_<) 先日はそろそろ決算ですが、そのまとめ方では補助金の使途が明示されて居らず....(>_<) 職場と違って引継書は無く、古い帳簿は会計に渡って居らず、年度末まで困難を極めるかも(>_<)
回復基調に有るこの身、頭の慣らしを兼ねてのブログ更新でした。この調子なら明日、別な役員会に行けそうです。夜への復帰も近いかな(^_^;) 木登りもしたいです。剪定(^_^)v
ウクライナを始めとする世界の平和と、取り敢えず某3国のトップを除いた全ての人の健康を祈り、
本日はお終いですm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今年も3.11がやってきました。改めて犠牲になられた多くの方々のご冥福と、被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。
さて新しくなった中央公民館で行われた献花に初めて行きましたが、その途中等で見掛けた「気仙沼」の様子を以下に紹介します。
(写真はクリックすると大きくなります。ノーファインダーが多く、多少トリミングしたものの構図や色調についてはご容赦をm(_ _)m)

三陸道を北上し、気仙沼港インターです。ここで下ります。
ここは南向けのハーフインター(>_<) なので市内唐桑や岩手県沿岸から三陸道で南下した車はここから出ることは出来ません。なので1つ南の気仙沼中央インターでは南下してきた車が下の交差点を使ってUターンしています(>_<)

気仙沼港インターを下りる坂道です。直ぐ左下に広がる水産加工場団地や市街地が見えてきました。
左中程の遠くに白くて横に長い建物が小さく見えますが、震災直後から足掛け10ヶ月も避難所になった気仙沼市民会館です。

上は気仙沼湾を横断する三陸道。坂をもう少し下るとT字路が有ります。ここは右折です。端の下を通るって??? まあまあ(^_^;)

気仙沼市を流れる大川を跨ぐ三陸道の下に、もう1つの橋が出来ました。ここを進んで橋を渡ります。この橋、ちょっと見には無駄な感じです。
当初計画では川と気仙沼湾との間に有る陸地にインターが出来る予定でしたが、分流・合流部を作るには狭かったのでしょうね。市の工事となりましたが国からの補助が多かったとか。まあ三陸道は国の事業なので当然かも。
左端に見える2つの塔は三陸道の気仙沼湾横断橋を支える2つの主塔。

大川の河口です。左手前が川。右から伸びる気仙沼湾は重油タンクと向こう岸の間を左にずーつと行った湾奥まで続きます。河口も防潮堤で囲われています。
右奥の山は気仙沼・大島の亀山。その手前は近年宮城県が架けた大島大橋。両端の字名を取って、結果縁起が良い通称「鶴亀橋」(^_^)v
ご存じの無い方に申し上げますが、三陸道も大島大橋も東日本大震災のおかげで作られた物ではないことをお分かりください。ネットには事情も知らない方が身勝手な解釈で「東日本大震災の賜物」の様に書いているお方も居ますが、三陸道は震災前から事業化されていました。
特に大島大橋は数十年に及ぶ運動が実を結び、震災前から用地買収や本土側の道路改修等が進んでいました。架橋前はちょっとした嵐や霧だと船が出せず、通勤通学も出来ず、特に急患では多くの人が泣きました。たまたま見た橋に車や人の姿が見えなくても、文句は言わないでください。言うなら何処かの離島に住んで離島の不便を体験してから(^_^)v

大川に架かる市道の橋をそろそろ渡り終えるところ。左手2つの黒めに見えるのカラスでしょうか。道路右に有る工場の屋根に重なっているのは猛禽類です。ヨコミーは鷲、鷹、鳶の区別が分かりません(>_<)
この先、トラックの手前で左折。

ですが(^_^;)、もうちょっと右側を。みらい造船です。
市内鹿折地区東海岸に小さな数社の造船所が有り、震災後1社を除いて合併、そしてこの地へ移転しました。
何処かに書いた気がしますが、鹿折中学校の同級生には造船会社の社長令嬢が居て、同じ中学校の同級生で、市役所関係で写真が採用されている写友のKMさんは奥さんが別な造船会社のご令嬢(^_^;)
そんな元気な旧・鹿折町でしたが、造船所は1社を除き居なく成り、再建された水産加工場は働く人が少なくなり、気仙沼市から鹿折町の独立を夢としていたヨコミー、夢まで流されました。うーん惜しかった(^_^;)

左折すると間もなく右手に空き地が(>_<) まあ最近では見慣れた風景です。奥に見えるビルは国の合同庁舎です。被災しましたが法務局やハローワークを出し、改修の上再配置で利用しています。このビルの直ぐ向こうが気仙沼湾です。
ちなみに左側には県の合同庁舎が有りましたが、こちらはイオンに近い廃校となった県立高跡地に警察と共に引っ越しました。市民としてはタイミングが若干ズレてはいましたが、より遠くに立てられた市立病院と交換して欲しかったです。県の2施設より市立病院に通う人の方が断然多いにもかかわらず、です。警察も緊急出動するならバイパスや三陸道に近い方が効率的だと思うのですが....(>_<)
この辺りには自宅兼小さな工場とか大きな建物まで結構立っていたのですが、住む建物は立てられない制限が有り、昔のようなごちゃごちゃした姿には戻る事は無いでしょう。
この空き地は広いですが、被災した住宅地は市で買い上げられましたが点在し、まだ多くが未利用地となっています。日本にも居ないかな、トランプさん。買い占めて!(^_^;)

以前は河口に一番近かった曙橋東側付近です。左の橋は、震災後BRTというバスになってしまったJR気仙沼線の、大川に架かる橋。その橋桁の下、僅かに北側へ移設された曙橋が見えます。震災前は掘り下げたガードで曙橋からこの地に繋がっていましたが、北側に移設されたことでJRとは平面で交差することと成りました。以前はガード下に雨水が溜まり、ちょっと大変なときも(>_<) なので今は左手に見えるJRの下は車両通行禁止です。
真っ直ぐ道路の向こう、小高い所に在る白い建物は気仙沼市民会館。
真っ直ぐ道路の左、白い建物の奥に見える台形の山は岩手県一関市の室根山(895m)。近隣では一番高い山です。今年5月の下旬、震災時気仙沼に支援で入った方々が今度は遊びで来られますが、そのとき市内のツツジ山・徳仙丈山に行きたいというので案内するつもりです。ただ、どうやら今年も開花が早くなりそう(>_<) そんなとき、近隣で良ければ室根山のヤマツツジにご案内するつもりです。

枯れ草がボウボウの空き地。進行方向左前に茶色い建物が見えます。再建された旧宮城交通(バス)の営業所ですが、今はミヤコーバスと名乗っています。緑色が見えるバスは高速バスです。左のアーチは洗車用かも(^_^)v
アーチの奥は内ノ脇の災害公営住宅で、目指す中央公民館はその左隣。でも今の道を真っ直ぐ進み、大きくUターンするようにしか行けません。左折中央公民館の標識が無いのでまだ道が出来ていないようです。不便(>_<)

進行方向右側です。民家や小さな工場、倉庫等々ぎっしりでしたが...(>_<)
左側、明るい色の建物は観光ホテルの一景閣。泊まったことは有りませんが忘年会等で美味しい料理を頂きました(^_^;)
これらの建物の向こう陰、若干の距離は有りますが気仙沼湾。湾奥は左手。奥に見える山並みは向こう岸、多くの造船所が有った鹿折地区の東海岸です。この東海岸を南下(右)すると大島大橋を経由して大島へ行けます。

少し進んで左手。小さくて申し訳ないですが、また災害公営住宅と重なって見づらいですが、左手に見えるオレンジ色の直ぐ右に有る、焦げ茶色のカマボコ屋根が今のJR南気仙沼駅。震災前の姿は有りません(>_<)
それにしても空き地だらけ(>_<)

赤信号なので続けて右側(^_^;) 方角は奥の山(安波山?)が凡そ北北西。左に見える薬王堂看板右下、薄茶色の建物は、ちょっと南に場所を移した旅館磯村。ここも忘年会等で行きましたが美味しかったです(^_^;)
で、本論は(^_^;)磯村の右裏から写真右手中程まで幸町の災害公営住宅が広がっています。右端に有る災害公営住宅の右奥に見える茶色っぽい建物は以前市外の資本に買収されたホテル観洋。
災害公営住宅や磯村の前を通る市道は、右に行けば気仙沼魚市場、左に行けば新興商業地域やバイパスに続くので交通量は多くなっています。その為か食べ物屋さんが沢山進出してきました(^_^;) チェーンのうどん屋さんは食べない内に(^_^;)撤退しましたが、かつや、鹿折から移転した王将、すき家、コンビニ2店等々。地元のお菓子屋さんも再建されました。

青信号になったので少し進んで同じ右方向。先程見えた薬王堂と幹線道路間ですが、まだまだ空き地が(>_<) トランプ前大統領は嫌いだけど、この辺を買い占めてくれるなら....(^_^;)

幹線道路の交差点に出ました。右に行けば気仙沼魚市場、左に行けば新興商業地やバイパスです。この交差点を真っ直ぐ進み、ガス工場の手前から右に昇ると気仙沼市民会館や小学校、中学校、図書館に至ります。ミニストップ看板の左上、白い建物が市民会館。
看板が有りました。ここを左折です。

左折しました。今の角にはすき家(^_^;) ちょっと空きは有りますが、その右隣が左に見えているレンタカー屋さん。その先は歯科。新興? 向かいのオレンジは地元で幅広く手がけている工務店。その向こうは震災後市立病院から開業した内科。以前母がお世話になりました。
少し進みます。

進行方向は右から左ですが、ここはBRT専用道路との平面交差。奥へ進むと気仙沼駅へ、背面へ進むと南気仙沼駅を経て大川を渡ります。

24mmという超広角レンズで撮っている為、結構遠く、小さく写ってしまいました(>_<) ここで左折です。
幹線道路は真っ直ぐ。まもなく気仙沼大橋を渡り、新興商業地帯を経てバイパスに直進です。中央に見える茶色い建物は川向こう。被災して改修された結婚式場です。震災後、式場が無く、なんとか結婚式を挙げたくて、岩手県の山手に有る式場で行った当時の部下もいました。これと似た....というか逆パターンですが、石巻で亡くなった義理父の火葬を、義理弟の家内が山形県に火葬場の空きを見つけ、私も参列することが出来ました。直後は火葬場も被災し、多くは一時的に土葬(>_<) 義理弟家内の執念に感謝m(_ _)m

左折しました。左は先程見えていた内ノ脇の災害公営住宅。住宅の裏(右)は直ぐ大川です。住宅の左下、黒猫トラックとの間に見える薄いピンク色が会場の中央公民館。右端奥の高層住宅は、大川向かいに建つ南郷の災害公営住宅です。この住宅は震災の大津波で大きな被害を受けて廃校となった南気仙沼小学校の跡地に立てられています。

間もなく写真枠外右に中央公民館となりますが、左手をパチリ。色がどういうわけか茶色に傾きました。ご容赦をm(_ _)m あえてセピア処理をした訳では有りません。フロントガラス経由なのですが...(>_<)
空き地(>_<) 以前だって多少は空いて居ましたが....。奥の山が大島の亀山。手前下に見えるアーチが、先程も見えた大島大橋。なんか変な方向ですが、大島の北西端に北側から橋を架けた為です。出来れば西に向けて架ければ、病院を含めた市街地はより近いし、橋上で強い横風を受けることは無いのですが、宮城県には3倍近く長い橋を架ける予算は重かったのでしょうね(>_<)
で、10秒程で会場到着です。取り敢えずの前編はここまで。勿論会場の様子をお伝えする気は有りません。しめやかに(*^_^*) 時間を見て、こんな感じで周辺の様子をお伝えしたいです。
一見、ヨコミーはあの震災でなーんの被災もしていないようですが、ちょっとだけ。取り敢えずは多少の物損と家が歪んだこと(>_<)
その日、ヨコミー奥様のおリュウさんは所用で内湾に居たのですが、タッチの差で、しかも渋滞していたので帰路に農道を選んだことから、まあその農道も自宅近くでは瓦礫で通行出来なくなり、知らない山の木々をかき分け帰宅出来たとさ。
母は海に近い施設へデーサービスで行っていて、送迎時ではなかったことから無事。3日4日缶詰になったものの施設から無事に帰還。
長男は当時リストラに遭い、自宅。このリストラのおかげで(^_^;)長男が太陽光発電を自立型に切り替え、我が家は一帯が停電の中、晴れている日は電気を使うことが出来ました。停電は1ヶ月半でした。
次男は内湾のすぐ前の職場に居たのですが上司の判断が良かった為か無事でした。長女は仙台の街中でしたので無事。
母実家宅は市内本吉町の旧・小泉村で、大津波が家々の殆どを流し去りましたが、家族は無事でした。
ただおリュウさんの父は石巻市を流れる北上川沿いの施設に入居していて、なんとか上階に上げられ流されなかったものの、暖房が途切れ、その後肺炎を起こし、3月末に亡くなりました。
こんな状況で有り、アマチュア無線の先輩や娘が教えられた習字の先生は流されたものの、義理父を含め、その都度拝んでいたので、改まって式典に参列して献花することは有りませんでした。
でも、まあ、歳なんでしょうか(^_^;)
ただヨコミー、今更ですが大きなものを失っていました。「もの」といえば「物」なのかもしれませんが、やはり「もの」。物事の「もの」なのかも。その内容は今更誰にも話すことは....万にひとつぐらいは有るかな?無いでしょう(^_^;) ほんと、大きなものを失っていました(>_<)(T_T)
2月21日、前日スキー場で頭を冷やしてしまい、風邪となって預かったマーゴのUちゃんから陰性の風邪を頂いてしまい、おリュウさんとともに我が家は大変でした。咳と痰。まあ婆様譲りかも(^_^;) そんな風邪は長引き、多くの予定はキャンセル。とはいえ某団体の役員でも有り、大変な日々でした(>_<) 先日はそろそろ決算ですが、そのまとめ方では補助金の使途が明示されて居らず....(>_<) 職場と違って引継書は無く、古い帳簿は会計に渡って居らず、年度末まで困難を極めるかも(>_<)
回復基調に有るこの身、頭の慣らしを兼ねてのブログ更新でした。この調子なら明日、別な役員会に行けそうです。夜への復帰も近いかな(^_^;) 木登りもしたいです。剪定(^_^)v
ウクライナを始めとする世界の平和と、取り敢えず某3国のトップを除いた全ての人の健康を祈り、
本日はお終いですm(_ _)m
かみのけ座の渦状星雲 ペンタのレンズで試写 20230214 [星]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
長引く風邪(陰性)で頭は回らないのですが、欠かせない所用が有り、今日3月9日も午前は3カ所に出掛け、午後の自宅で迎えた1件も含めて4件を消化しました(>_<)
午後は先日記したEVPSの件です。京都からお偉いさんと技術者の方が来られ、お詫びと説明を頂きました。機器に不具合は無いとも確認。私が不調に思っていた件の多くは、製品の設定が気象変化にやや合わないことでした。「忘れる」「自覚が無い」(^_^;)
ウリ文句にも成っているグリーンモードというのがくせ者でした。まあ、車でお出掛けしたり、一晩寝れば治る(^_^;)ものなので、改善要望はしたものの最終的には細かいものを除いて了解しました。
取扱説明書にキチッと書いてあれば、まあ、そんなものなのかなぁ...ちょっと不便(>_<)と諦めていたことでしょう。
ちなみにヨコミーはマニュアル(説明書)至上主義です(^_^;) どこかのコンビニ、入り口で足を滑らせて転びながら入ってきた客に、店員が「いらっしゃいませ!」と言ったとか言わないとか....(^_^;)
よーく、書いてあることしか出来ない人を「マニュアル人間」とか言って馬鹿にしていますが、ヨコミーに言わせれば、マニュアルの作りが悪いし、第一、社員研修に力を入れていない会社かと(^_^)v
あっ、人じゃなかったですね。取扱説明書(^_^;) 事細かに書き、しかも引き易く、なのでそれで諸事解決させ、当社窓口に電話など入れてくれるな! でも改善要望は承ります....という程の取扱説明書をヨコミーなら作りたいです。教科書、バイブル(^_^)v 自習の友(^_^;)
さて昔から写真をやっている方ならマミヤのブランドはご存じかと思いますが、残念ながら今は無い会社です。星を撮るには基本的には大判が良くて、ブローニーフイルムを使うプレスカメラも短い期間でしたが使いました。勿論中古(^_^;)
その後仕事で主にスタジオなどで使うマミヤRB67を使いましたが、そのときに出会ったのがマミヤセコールのアポレンズ。凄い解像力で憧れでしたが、当時も高価。カメラから買わねばならず、今でも憧れのまま(>_<) で、当時使っていたのは今は野田市に住む従兄弟から頂いた、そう頂いた(^_^;)ブローニーのエントリー機(?)M645。
ところが近年星仲間のかずさんが上記アポレンズ250mmF4.5を使っていて、また欲しくなりました(^_^;) このレンズ、デジタル時代でも使える解像力で、しかも現代ではレンズマウントの変換アダプターを使えばニコンでもキヤノンのボディでも使うことが出来るという良い時代(^_^)v でも安くてカビの無い中古品が、なかなか見つかりません。
そこで仕入れたのがペンタックスの300mmF4という望遠レンズ。一応ED(異常分散、Extra-low dispersionの略)レンズを使っている良い望遠です。これもマウントアダプターを使えば煮込ん(^_^;)でもキヤノンでも使えます。
今回はあくまでも試写なので、上を北に合わせずに撮ってしまったり、ピント合わせ器具を付けたまま(^_^;)でしたから星が十字型に光を引いていますのでご容赦をm(_ _)m
そして1枚撮りです。天体写真では1つの対象に対して複数のコマ、多いときは1000コマ以上重ねることも有ります。ただヨコミーは、このレンズでは1コマ、多くても5コマ程度のスタックとなりそうです。
(写真はクリックすると大きくなります)

かみのけ座の系外星雲NGC4565です。NGCとはニューゼネラルカタログという星雲星団のリスト。4565番に掲載してあるという意味です。
皆さんご存じのウルトラマンはM78星雲から来た設定ですが、M78星雲は私たちが住む銀河系という大きな渦巻き星雲の「中」です。ところがこのNGC4565は銀河系の外に有る....というので系外星雲といわれています。系外星雲は小宇宙ともいいます。
形状区分は大きな渦巻き星雲。これをほぼ真横から見ているので、その形から紡錘状星雲ともいわれます。「紡錘」といっても馴染は無いかも知れませんが、機織機で使う糸を巻いた姿。よく見ると黒く細い筋が見えます。暗黒星雲です。
いつも使っている星座ソフトのステラナビゲーターでデータを見れば、9.6等、長径16.2分とあります。これは満月の半分以上の大きさですが、カタログ作成時には多分多くの露出を与え、淡い所まで計っているかと。この写真からもドット数を数えたり、安易には過日撮影した月を重ねてもいいのですが、まあまあ(^_^;) そのうちコンスタントに撮影出来れば、長辺が3度...とかのスケールを示します。
この星雲は初めて望遠鏡を買ってアンドロメダ星雲の次に見た系外星雲として、ずーっと記憶に有りました。なので試写に良いなぁ....と思って2月14日に撮っていたのですが、手付かず(^_^;)
先日かずさんが撮られていたようなので、今回私も載せた次第。ヨコミーは300mmF4にノーマルのデジカメ、あちらはデータから推測するに1280mmF6.4に赤外線カットフィルター除去のデジカメ。すっかり負けていますが、違いを見てください(^_^;)
http://kazu9465seiu.livedoor.blog/archives/19148223.html
ちなみにNGC4565の右下、長径ほど離れて所にもモヤッと見えますが、これはNGC4562で14.0等、長径は2.5分です。ものにもよるのでしょうけれど、15等程度まで写せそうです。

元となったのはこのコマ。かみのけ座という明るい星が無い、寂しいですが中心部を300mmで切り取りました。逆Yの字に並んだ星々。上記NGC4565は左端近く。ここを切り抜いて上の写真としました。
フラット処理等の画像処理は苦手なので、右側のバックが明るい....等はご容赦をm(_ _)m ヨコミーは「作品」に仕上げることはまあ無いです(^_^;)
よーく見れば左上にも星雲が。切り抜いて以下に(^_^;)

NGC4559です。これも系外星雲で、分類は渦状星雲です。データを見れば9.9等、長径10.5分と有ります。10.5分とは満月の凡そ1/3です。
今回のレンズは、マミヤのアポレンズと一緒に使ったことはないので簡単に評価できるものでは有りませんが、まあまあ満足出来るレンズでした。ただ重く大きい(^_^;) 仕方有りません(>_<)
そしてちょっとブレたコマも有り、レンズの問題では有りませんが、もっとがっしりと保持する方法を工夫するようです。今回はスリックの大きな自由雲台でした。向ける方向によってはバランスも大きく崩れそう(>_<) 最低限2カ所で固定する方法を考えるようです。難題(>_<)
宇宙の始まりビッグバンから宇宙が晴れ渡ってきたのは何年後だっただろう....。風邪の為、熱は無いのですがヨコミーは頭が回りません(>_<) ヨコミーの頭も少しずつ晴れ渡ってきたのですが、今週始め、ヨコミー奥様のおリュウさんが深夜に変調を来し、急遽看病したので風邪が戻りました(^_^;) 今は元気ですが、基本はマーゴのUちゃんからうつった元気な風邪。熱が無いのだけが救い(^_^;) なので夜の部はまだまだ復帰出来そうに有りません(>_<)
このブログはまあ身体慣らし(^_^;) 明日から溜まっていたExcel仕事に取り掛かりたいです(>_<)
世界の平和と全ての人の健康を願い、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
長引く風邪(陰性)で頭は回らないのですが、欠かせない所用が有り、今日3月9日も午前は3カ所に出掛け、午後の自宅で迎えた1件も含めて4件を消化しました(>_<)
午後は先日記したEVPSの件です。京都からお偉いさんと技術者の方が来られ、お詫びと説明を頂きました。機器に不具合は無いとも確認。私が不調に思っていた件の多くは、製品の設定が気象変化にやや合わないことでした。「忘れる」「自覚が無い」(^_^;)
ウリ文句にも成っているグリーンモードというのがくせ者でした。まあ、車でお出掛けしたり、一晩寝れば治る(^_^;)ものなので、改善要望はしたものの最終的には細かいものを除いて了解しました。
取扱説明書にキチッと書いてあれば、まあ、そんなものなのかなぁ...ちょっと不便(>_<)と諦めていたことでしょう。
ちなみにヨコミーはマニュアル(説明書)至上主義です(^_^;) どこかのコンビニ、入り口で足を滑らせて転びながら入ってきた客に、店員が「いらっしゃいませ!」と言ったとか言わないとか....(^_^;)
よーく、書いてあることしか出来ない人を「マニュアル人間」とか言って馬鹿にしていますが、ヨコミーに言わせれば、マニュアルの作りが悪いし、第一、社員研修に力を入れていない会社かと(^_^)v
あっ、人じゃなかったですね。取扱説明書(^_^;) 事細かに書き、しかも引き易く、なのでそれで諸事解決させ、当社窓口に電話など入れてくれるな! でも改善要望は承ります....という程の取扱説明書をヨコミーなら作りたいです。教科書、バイブル(^_^)v 自習の友(^_^;)
さて昔から写真をやっている方ならマミヤのブランドはご存じかと思いますが、残念ながら今は無い会社です。星を撮るには基本的には大判が良くて、ブローニーフイルムを使うプレスカメラも短い期間でしたが使いました。勿論中古(^_^;)
その後仕事で主にスタジオなどで使うマミヤRB67を使いましたが、そのときに出会ったのがマミヤセコールのアポレンズ。凄い解像力で憧れでしたが、当時も高価。カメラから買わねばならず、今でも憧れのまま(>_<) で、当時使っていたのは今は野田市に住む従兄弟から頂いた、そう頂いた(^_^;)ブローニーのエントリー機(?)M645。
ところが近年星仲間のかずさんが上記アポレンズ250mmF4.5を使っていて、また欲しくなりました(^_^;) このレンズ、デジタル時代でも使える解像力で、しかも現代ではレンズマウントの変換アダプターを使えばニコンでもキヤノンのボディでも使うことが出来るという良い時代(^_^)v でも安くてカビの無い中古品が、なかなか見つかりません。
そこで仕入れたのがペンタックスの300mmF4という望遠レンズ。一応ED(異常分散、Extra-low dispersionの略)レンズを使っている良い望遠です。これもマウントアダプターを使えば煮込ん(^_^;)でもキヤノンでも使えます。
今回はあくまでも試写なので、上を北に合わせずに撮ってしまったり、ピント合わせ器具を付けたまま(^_^;)でしたから星が十字型に光を引いていますのでご容赦をm(_ _)m
そして1枚撮りです。天体写真では1つの対象に対して複数のコマ、多いときは1000コマ以上重ねることも有ります。ただヨコミーは、このレンズでは1コマ、多くても5コマ程度のスタックとなりそうです。
(写真はクリックすると大きくなります)

かみのけ座の系外星雲NGC4565です。NGCとはニューゼネラルカタログという星雲星団のリスト。4565番に掲載してあるという意味です。
皆さんご存じのウルトラマンはM78星雲から来た設定ですが、M78星雲は私たちが住む銀河系という大きな渦巻き星雲の「中」です。ところがこのNGC4565は銀河系の外に有る....というので系外星雲といわれています。系外星雲は小宇宙ともいいます。
形状区分は大きな渦巻き星雲。これをほぼ真横から見ているので、その形から紡錘状星雲ともいわれます。「紡錘」といっても馴染は無いかも知れませんが、機織機で使う糸を巻いた姿。よく見ると黒く細い筋が見えます。暗黒星雲です。
いつも使っている星座ソフトのステラナビゲーターでデータを見れば、9.6等、長径16.2分とあります。これは満月の半分以上の大きさですが、カタログ作成時には多分多くの露出を与え、淡い所まで計っているかと。この写真からもドット数を数えたり、安易には過日撮影した月を重ねてもいいのですが、まあまあ(^_^;) そのうちコンスタントに撮影出来れば、長辺が3度...とかのスケールを示します。
この星雲は初めて望遠鏡を買ってアンドロメダ星雲の次に見た系外星雲として、ずーっと記憶に有りました。なので試写に良いなぁ....と思って2月14日に撮っていたのですが、手付かず(^_^;)
先日かずさんが撮られていたようなので、今回私も載せた次第。ヨコミーは300mmF4にノーマルのデジカメ、あちらはデータから推測するに1280mmF6.4に赤外線カットフィルター除去のデジカメ。すっかり負けていますが、違いを見てください(^_^;)
http://kazu9465seiu.livedoor.blog/archives/19148223.html
ちなみにNGC4565の右下、長径ほど離れて所にもモヤッと見えますが、これはNGC4562で14.0等、長径は2.5分です。ものにもよるのでしょうけれど、15等程度まで写せそうです。

元となったのはこのコマ。かみのけ座という明るい星が無い、寂しいですが中心部を300mmで切り取りました。逆Yの字に並んだ星々。上記NGC4565は左端近く。ここを切り抜いて上の写真としました。
フラット処理等の画像処理は苦手なので、右側のバックが明るい....等はご容赦をm(_ _)m ヨコミーは「作品」に仕上げることはまあ無いです(^_^;)
よーく見れば左上にも星雲が。切り抜いて以下に(^_^;)

NGC4559です。これも系外星雲で、分類は渦状星雲です。データを見れば9.9等、長径10.5分と有ります。10.5分とは満月の凡そ1/3です。
今回のレンズは、マミヤのアポレンズと一緒に使ったことはないので簡単に評価できるものでは有りませんが、まあまあ満足出来るレンズでした。ただ重く大きい(^_^;) 仕方有りません(>_<)
そしてちょっとブレたコマも有り、レンズの問題では有りませんが、もっとがっしりと保持する方法を工夫するようです。今回はスリックの大きな自由雲台でした。向ける方向によってはバランスも大きく崩れそう(>_<) 最低限2カ所で固定する方法を考えるようです。難題(>_<)
宇宙の始まりビッグバンから宇宙が晴れ渡ってきたのは何年後だっただろう....。風邪の為、熱は無いのですがヨコミーは頭が回りません(>_<) ヨコミーの頭も少しずつ晴れ渡ってきたのですが、今週始め、ヨコミー奥様のおリュウさんが深夜に変調を来し、急遽看病したので風邪が戻りました(^_^;) 今は元気ですが、基本はマーゴのUちゃんからうつった元気な風邪。熱が無いのだけが救い(^_^;) なので夜の部はまだまだ復帰出来そうに有りません(>_<)
このブログはまあ身体慣らし(^_^;) 明日から溜まっていたExcel仕事に取り掛かりたいです(>_<)
世界の平和と全ての人の健康を願い、本日はお終いm(_ _)m
日門海岸の日の出 気仙沼市 20230212 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風はとても強いです。ヨコミー家の東側や南側は風が巻き、置いた物に大きな砂粒・小石? が巻き上げられることも(>_<)
風も強いですが風邪も凄い(>_<) ヨコミー絶不調一歩手前(T_T)
2月12日未明、既知の彗星を撮影に行ったのですが、位置を間違えチョンボ(>_<) まあ、ただでは帰れないので、折角のお天気でしたから日の出を狙いました。元日の日の出は残念ながら雲からでしたので、期待です(^_^)v
(写真はクリックすると大きくなります)

6時31分の撮影です。先ずは日の出後の面白い形から。屈折率の違いで水平線にも太陽が残っています。もう少し前ならタコ入道でした(^_^;)

春は曙。時間は遡って6時ちょい過ぎ。写真はややプラス補正です。日門(ひかど)海岸で、右下が砂浜、右奥は漁港です。正面右の灯台付近は釣り人で賑わう所です。

灯台付近をちょっと拡大。

実は手前では防潮堤工事が進んでいます。日の出前の暗さで工事現場が塗りつぶされていました。写真はちょっとプラス補正です。

6時28分、日の出です。

約2分後、半分程顔を出した所でパチリ。素直な半円ですが、もう少し昇るとタコ入道みたくなります(^_^;) 不思議です。
うーん、絶不調一歩手前(^_^;) マーゴのUちゃんの看護でうつりました。安易でした(>_<)
世界の平和とヨコミーも含めてみんなが健康で暮らせることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
風はとても強いです。ヨコミー家の東側や南側は風が巻き、置いた物に大きな砂粒・小石? が巻き上げられることも(>_<)
風も強いですが風邪も凄い(>_<) ヨコミー絶不調一歩手前(T_T)
2月12日未明、既知の彗星を撮影に行ったのですが、位置を間違えチョンボ(>_<) まあ、ただでは帰れないので、折角のお天気でしたから日の出を狙いました。元日の日の出は残念ながら雲からでしたので、期待です(^_^)v
(写真はクリックすると大きくなります)

6時31分の撮影です。先ずは日の出後の面白い形から。屈折率の違いで水平線にも太陽が残っています。もう少し前ならタコ入道でした(^_^;)

春は曙。時間は遡って6時ちょい過ぎ。写真はややプラス補正です。日門(ひかど)海岸で、右下が砂浜、右奥は漁港です。正面右の灯台付近は釣り人で賑わう所です。

灯台付近をちょっと拡大。

実は手前では防潮堤工事が進んでいます。日の出前の暗さで工事現場が塗りつぶされていました。写真はちょっとプラス補正です。

6時28分、日の出です。

約2分後、半分程顔を出した所でパチリ。素直な半円ですが、もう少し昇るとタコ入道みたくなります(^_^;) 不思議です。
うーん、絶不調一歩手前(^_^;) マーゴのUちゃんの看護でうつりました。安易でした(>_<)
世界の平和とヨコミーも含めてみんなが健康で暮らせることを祈り、本日はお終いm(_ _)m
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