春の彼岸 お墓参り 20160320 [四季の便り 花,植物,農遊]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。もともと丘の上なので風は強いのですが、震災前から始まった某公共工事によって木々は切り倒され、山は削られ、民家は取り壊され、風当たりが一層強くなっています。
と、この件はまたあとにして、3月20日はお墓参りに行ってきました。
まず行ったのは市内鹿折地区。あの、というと解体を決断された船主さんに申し訳ないですが、共徳丸が打ち上げられた所。 この地区は、昭和20年代後半に町政を布き、間もなく当時の気仙沼町と合併したところ。 当時は、町政を布くのに人口1万人の縛りが有ったか否かは分かりませんが、ヨコミーの記憶では9000人近く住んでいました。 この町に2つのお寺が有ります。 なのにヨコミー父の実家が有る長野県飯山市は、人口3万人足らずのところにお寺が10以上あります。ひょっとして15以上??? わりと隣接しているので、以前お寺巡りをしましたが、時間切れ(^-^; おっと、話がズレました。 私が行ったのは、父たちが眠る鹿折地区の興福寺。鹿折川の中流域にあります。 墓地は写真右手、そして上にも広がっています。 低い所の墓地は、私が知る限りは水浸しになったことはありませんが、写真左のウメの向うには民家が3軒程並んでいて、更には県道が有り、そして川。 墓地から県道までは平らであり、盛り上がった土手も無いので、100年か200年に1度の大雨でも降ったら....と考えると、川にちょっとした堤防が欲しい気も。
次に行ったのは、家内の父母等が眠る市内階上(はしかみ)地区最知の海蔵寺。 お寺の屋根の左右に見える土色は、大津波の浸水地。多くの方が亡くなり、たくさんの事業所や水田もやられました。 でも、お寺は小高い丘にあり、なんとか難を免れました。大津波直後は、避難所として多くの方々が暮らしました。 海の向こうは(気仙沼)大島。太平洋は大島の向うですが、津波は湾口の右方向から押し寄せてきました。
次は市内本吉町小泉地区の浄福寺。母の父母、兄夫婦等が眠っています。 海は右奥で、大津波はこの高台の墓地さえ襲いました。 東日本大震災の年のお盆に来たときは、まだ多くの墓石が倒れていましたが、地元の人に聞いたら、倒れたのは地震でではなく、激流もすごかっただろうけど、海水浴場の防潮林がすべて流され、押し寄せてきた松の木によって、墓石がなぎ倒されたとのこと。 で、この日もまだ倒れている墓石が有りました。 地元の人に聞いたら、「お墓修理は後からでいいので、まず皆さんの住む所の再建を優先してください」と和尚さんが言われたとか。ありがたいですね。日本の宗教は、優しい!! 震災前は、右側の低地には緑の水田が広がっていて、秋には一面に、黄金色に染まっていましたのに。 右やや上に、長く見える灰色のは、トマトの栽培工場。 真ん中やや上の白く横に長いものは、トンネル。 三陸道の工事が進められていて、右から左奥に作られています。 トンネルは、ドーナツの半分を並べたようなもの。最後は土で埋めるのでしょうけれど、これでも「トンネル」というか否かは不勉強で分からず。 完成したら、中央から大きく右に蛇行させられた市道が、通ることでしょう。 この辺の移り変わりは、写真を整理してから後日(^-^;
この日の最後は、昨年亡くなった叔父が眠る、一関市藤沢町の南東端にある墓地。 近くにお寺は見えません。共同墓地なのかも。 大きな切り株が見えます。 そう、以前は杉の大木が林立していて、昼なお暗い、ちょっと怖い墓地でした。 墓地は、色鮮やかで、似た花がいっぱい飾られているので、ちょっと見てみたら、どうやら削り花のようです。 木を削ってカールさせ、色を塗って花を作ります。 なんだ造花か、とは思わないでください。安っぽいものではないです。 昔からなのでしょう。寒い岩手、この時期は露地栽培ではこんなきれいな花はありませんから、削り花で墓地を飾り、お彼岸に帰って来るご先祖様を迎えていたのでしょう。 昔からの風習を、しっかりと守っている地域なんですね! あっ、葉っぱを調べて来なかった(^-^; 次の機会に!! この日はどこも風があり、お線香の火には十分注意してきました。
まず行ったのは市内鹿折地区。あの、というと解体を決断された船主さんに申し訳ないですが、共徳丸が打ち上げられた所。 この地区は、昭和20年代後半に町政を布き、間もなく当時の気仙沼町と合併したところ。 当時は、町政を布くのに人口1万人の縛りが有ったか否かは分かりませんが、ヨコミーの記憶では9000人近く住んでいました。 この町に2つのお寺が有ります。 なのにヨコミー父の実家が有る長野県飯山市は、人口3万人足らずのところにお寺が10以上あります。ひょっとして15以上??? わりと隣接しているので、以前お寺巡りをしましたが、時間切れ(^-^; おっと、話がズレました。 私が行ったのは、父たちが眠る鹿折地区の興福寺。鹿折川の中流域にあります。 墓地は写真右手、そして上にも広がっています。 低い所の墓地は、私が知る限りは水浸しになったことはありませんが、写真左のウメの向うには民家が3軒程並んでいて、更には県道が有り、そして川。 墓地から県道までは平らであり、盛り上がった土手も無いので、100年か200年に1度の大雨でも降ったら....と考えると、川にちょっとした堤防が欲しい気も。
次に行ったのは、家内の父母等が眠る市内階上(はしかみ)地区最知の海蔵寺。 お寺の屋根の左右に見える土色は、大津波の浸水地。多くの方が亡くなり、たくさんの事業所や水田もやられました。 でも、お寺は小高い丘にあり、なんとか難を免れました。大津波直後は、避難所として多くの方々が暮らしました。 海の向こうは(気仙沼)大島。太平洋は大島の向うですが、津波は湾口の右方向から押し寄せてきました。
次は市内本吉町小泉地区の浄福寺。母の父母、兄夫婦等が眠っています。 海は右奥で、大津波はこの高台の墓地さえ襲いました。 東日本大震災の年のお盆に来たときは、まだ多くの墓石が倒れていましたが、地元の人に聞いたら、倒れたのは地震でではなく、激流もすごかっただろうけど、海水浴場の防潮林がすべて流され、押し寄せてきた松の木によって、墓石がなぎ倒されたとのこと。 で、この日もまだ倒れている墓石が有りました。 地元の人に聞いたら、「お墓修理は後からでいいので、まず皆さんの住む所の再建を優先してください」と和尚さんが言われたとか。ありがたいですね。日本の宗教は、優しい!! 震災前は、右側の低地には緑の水田が広がっていて、秋には一面に、黄金色に染まっていましたのに。 右やや上に、長く見える灰色のは、トマトの栽培工場。 真ん中やや上の白く横に長いものは、トンネル。 三陸道の工事が進められていて、右から左奥に作られています。 トンネルは、ドーナツの半分を並べたようなもの。最後は土で埋めるのでしょうけれど、これでも「トンネル」というか否かは不勉強で分からず。 完成したら、中央から大きく右に蛇行させられた市道が、通ることでしょう。 この辺の移り変わりは、写真を整理してから後日(^-^;
この日の最後は、昨年亡くなった叔父が眠る、一関市藤沢町の南東端にある墓地。 近くにお寺は見えません。共同墓地なのかも。 大きな切り株が見えます。 そう、以前は杉の大木が林立していて、昼なお暗い、ちょっと怖い墓地でした。 墓地は、色鮮やかで、似た花がいっぱい飾られているので、ちょっと見てみたら、どうやら削り花のようです。 木を削ってカールさせ、色を塗って花を作ります。 なんだ造花か、とは思わないでください。安っぽいものではないです。 昔からなのでしょう。寒い岩手、この時期は露地栽培ではこんなきれいな花はありませんから、削り花で墓地を飾り、お彼岸に帰って来るご先祖様を迎えていたのでしょう。 昔からの風習を、しっかりと守っている地域なんですね! あっ、葉っぱを調べて来なかった(^-^; 次の機会に!! この日はどこも風があり、お線香の火には十分注意してきました。
2016-03-22 18:43
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こんばんわ、ももで~す。
宮城仙南でも「削り花」(けずりばな)はありますね。
枝葉は常緑樹で冬でも葉っぱがついた「椿」か「つげ」が使われています。
by もも (2016-03-22 19:08)
おっ、ももさん、お早いお出でで!(^^)!
by yokomi (2016-03-23 10:35)