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防潮堤は出来たけど... 内湾前編 気仙沼の今 20210611 [東日本大震災]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。
 風の丘も異常気象の為か、気仙沼のアメダスを見たら昨日24日までの8月に日照が6時間以上有った日は8日間だけでした。
 そして降水量が観測されたのは15日間にも(>_<) これには過日みたく霧に覆われた分は入っていないのでしょうね。水が貯まらない程度は(>_<)

 6月11日、所用で市街地の内湾に出掛けた際、早めに終わったので3階のバルコニーに出てパチリ。気仙沼市南町海岸に東日本大震災前は在った市営駐車場の跡地に建てられた施設からです。ここの上には屋根の端が小さく出ていますが、役に立ちそうでもないので「バルコニー」で良いかと。
 以前も取り上げた風景で見飽きた方も居るかもしれませんが、一応(^_^;)最近の様子をご覧願います。

202106111433 内湾旧駐車場裏 w1280 P6110170.jpg
 建物の内湾側、東南東方向です。まっ、いってみれば内湾の右端(^_^;)、うーん正しくは南側かな...、をパチリ。
 中央右上、小高い岩山の上に建つのは気仙沼プラザホテル。画面右側にコンクリートの塀が建てられていますが...(写真は1つ置いて)

内湾マップ20210822.jpg
 位置が分かり易いように、グーグルマップからお借りした地図を置きます。赤丸が撮影地です。

202106111436 内湾南の防潮堤 w1024 P6110187.jpg
 コンクリートの壁付近を拡大しました。防潮堤です。でも中央左側の磯屋水産さんの店などは守られない感じ(>_<) 壁は急に左へ折れる?? 店の前を通る道は、万が一の際、防潮堤に有るゲートで閉じるようです。
 
202106111433 内湾 w1280 P6110171.jpg
 カメラは左へ。気仙沼湾の内湾です。震災前なら手前に海上保安庁の船等も係留されていました。
 内湾の向こうに、こんもりと木々が茂る所は五十鈴神社が在る半島。
 左上の小山は陣山。てっぺんに白いトゲのようなオブジェは市の復興祈念公園。
 左は震災前からの汽船発着所。ずーっと以前、連絡船は大島や唐桑半島を結んでいました。しかし20年か30年前に唐桑航路は利用者減で無くなり、大島航路も平成31年春、長年の念願が叶って大島大橋が開通したことによって、廃止(>_<) 
 ところで、どなたかのブログを見たら大島大橋は復興で整備されたのに利用が少ない...と経過を理解しない残念な書き込みがあり、悲しいです。船でちょっとだけ遊びに来る観光客には素敵な所でしょうけれど、365日離島で暮らす不便。通勤通学買い物は全て連絡船。ちょっとした診療以外は本土へ。嵐は勿論、濃霧でも船は止まり、急患の搬送さえ出来ないことも。なので、長年の陳情による成果であり、完成予定は震災前から宮城県によって示されていました。

202106111435 五十鈴神社の森 w1920 P6110182.jpg
 五十鈴神社の森を拡大してみました。本殿は木々の中で見えません。右下に朱塗りの欄干を持つ浮御堂が再建されました。ここからの景気も素敵です(^_^)v

202106111435 浮御堂浪板 w1024 P6110184.jpg
 拡大です。左から浮御堂、コの字型岸壁、そしてかつて造船地帯だった鹿折の浪板地区。右上の丘は6月30日付けの記事(4月12日撮影)でも載っています。この場所、気仙沼みなとまつりで打ち上げられる花火を見るには最適の場所だと思うのですが、今年の祭はコロナで中止に(>_<) でもそのうち、来年に向けて下調べを....(^_^;)

202106111435 ホテル望洋 w1024 P6110181.jpg
 拡大の続き。木陰から見えるのは、近年廃業したホテル望洋。その昔は望洋館という名前でした。正面には湾奥、右を見れば湾口から太平洋も見える良い所でしたのに、残念(>_<)
 手前の坂道や下の県道沿いには多くの建物が建っていたのですが、ご覧の程度(>_<) 坂道途中から右側の家々が大津波の難を逃れたようです。
 そういえば暫く前まで、この辺りに薩摩揚げの加工屋さんが在りました。この坂を歩いたり自転車で通る度、美味しい香りが漂っていました。食べたい(^_^;)

202106111435 魚町防潮堤陣山 w1024 P6110179.jpg
 陣山と魚町の拡大です。陣山の白い「トゲ」は「祈りの帆(セイル)」を表しているとか。なんで「帆」なのでしょうか。遠目には観音様にも見えます(^_^)v 
 この場所は、被災した地域を幅広く見渡せる....とのことで選定されたと聞きますが、本当にそうなのでしょうか。5年、10年、20年...と経つ内に木々に囲まれた公園になってしまうのでは...と危惧(>_<) 
 幅広く見渡せるなら、同じように被災していない土地を買収するなら、先程の浪板に在る丘などがベストだと思うのですよ(^_^)v または、見通しより、市が浸水した土地を買収したものの利用が決まっていない土地が多く有るとか。そんな土地を利用すべきだった....と思うのです(>_<)
 左上、薄い緑色の屋根は結婚式場。
 魚町の岸壁には、以前は漁船が何艘も係留されていたものですが、漁船漁業を取り巻く環境は厳しくなり....。それでも震災前は多少係留されていましたが、今見ればゼロ! 岸壁の工事がまだ終わらないのでしょうか。それともここには係留出来なくなった!??

202106111433 内湾魚町 w1280 P6110173.jpg
 カメラは更に左へ。北北西方向、内湾の奥です。中央上の丘に建つ建物から右下に続く一連の建物が魚町一丁目・入沢災害公営住宅です。
 左上が安波山(あんばやま、あんばさん。238m)
 汽船発着所の浮き桟橋が2つ有りますが、定期船が無くなって遊覧船のみとなった今、2つとは過剰設備だと思います。震災後先に復旧されても県の計画では間もなく橋が開通すると分かっていましたから、費用を抑える工夫があるべきでした(>_<)

202106111435 魚町・入沢災害公営住宅 w1280 P6110178.jpg
 では拡大(^_^)v 左上の丘から右下まで段々と連なる建物が魚町一丁目・入沢災害公営住宅です。
 丘の上の建物の下やや左に在る3階建ての白い建物は、今では市内唯一となった民間の産婦人科。昔はもっと在りましたが、震災前のずーっと前からぽつりぽつりと廃院(>_<) 少子化そして市内から若い女性が少なくなったのが原因かと。
 産婦人科と手前青緑色の重機に挟まれた建物とその左は、元防衛大臣ご実家の老舗旅館。

202106111434 南町海岸の w1280 P6110174.jpg
 広い角度で更に西をパチリ。私が撮影しているのは3階のバルコニー。写真下から向こうに延びているのは外通路にもなるバルコニー、ん、向こうはテラスか!? テラス下の、まあ仮に1階部分として、その陸側には店舗があります。店舗の奥がどこまで延びているか、やはりテラスの下は土だけなのか、興味があります(^_^;)
 真ん中やや左の2階部分はラヂオ気仙沼のスタジオや事務所が入っています。生放送は屋外にも流れているので、ガラス越しにスタジオを見ている方も居るようです。
 その向こうの白い色の屋根は商業施設。その左奥に見える瓦屋根と反対右奥に見える縦長窓の建物等は以下に拡大します。

202106111434 市役所第2庁舎方向 w1024 P6110175.jpg
 瓦屋根は角星酒造店と看板にあります。「角星」とは「くにがまえ」の中に大きな「丸」 です。漢字ではなく「感字」かな(^_^;) 屋号を示すマークかと。醸造所は魚町一丁目・入沢災害公営住宅東側の沢・太田に在り、「両国」というブランドで色々なお酒を造っています。
 瓦屋根のずーっと奥、山の麓に横長の屋根が見えますが、市役所の第二庁舎です。平成17年に宮城県立気仙沼高等学校(男子校)に統合された宮城県鼎が浦高等学校(女子校。以下「鼎高」)が、終焉を迎えた松岩地区の校舎へ移る前に使っていた校舎です。この鼎高、始まりは気仙沼町立気仙沼実科高等女学校と聞きますが、この建物から始まったのかは不詳(>_<)
 因みに市役所本庁舎は画面左端に3階部分のみが見えています。明るくない色の建物。

202106111434 男山本店 w1024 P6110176.jpg
 真ん中が造り酒屋の男山本店です。醸造所は200m程奥の入沢に在り、「男山」というブランドで色々なお酒を造っています。
 ちょっと見には鉄筋コンクリート3階建てですが、実は木造で表面がモルタル。なので「木筋コンクリート」と言われるのでしょう。先の大津波で1階2階部分が壊れましたが、各方面からの協力で昨年再建されました。

202106111437 内湾西側防潮堤 w1024 P6110190.jpg
 男山本店手前を拡大。中央は、今ヨコミーが立つ建物の先に有る、津波が来るときに閉めるゲートです。見れば男山本店前にコンクリートの防潮堤が有るのですが、その間の芝生斜面が不思議かも。
 以前の新聞によれば、地元の大物が施工者の宮城県に「斜面に腰掛けたい」と要望し、実現したもの。ですが、津波にしてみれば同じ高さで直立する防潮堤より駆け上がり易いと思います。遡上高って聞いたことが有ると思うのですが、傾きが緩ければ人だって津波だって登り易いです(>_<)
 10年前の大津波は、内湾では静かに水位が上がっていった....と話す知り合いも居ました。あの大津波は気仙沼湾の奥・300tもの船が打ち上げられた鹿折地区へどどどっと進み、少し手前から左に入った内湾にはその分多少は緩やかに押し寄せたのでしょう。
 といっても、当時市役所辺りから撮った動画では建物が壊れる際に立ちのぼったと思われる土煙が見えました。津波が陸に上がってもそんな威力を持っていたということは、岸壁ならばもっと威力は有るかと。水量と速さ。
 震災後は大きな被害に遭った鹿折地区沿岸にも大きな防潮堤が整備されています。以前は大量の津波を受け入れてしまった鹿折地区。次に来るだろう大きな津波は、「お見それしゃーした。まっすぐ帰ります」と言って(行って(^_^;)くれるでしょうか。

202106111436 内湾西側防潮堤 w1024 P6110188.jpg
 芝生を貼った防潮堤の前側を拡大です。男山本店前から右側にコンクリートの防潮堤が続いています。真ん中右には車が入れるゲートも。真ん中の広場は、ちょっとしたイベントを開催したり、修学旅行等団体が待つ場所にも使えそうです。
 あっ、誰かがこっちを狙っている(>_<) 

202106111437 魚町防潮堤拡大 w1024 P6110189.jpg
 魚町の岸防潮堤を拡大しました。一段低い海に近い段は岸壁。少し引いて防潮堤が立ち上がっています。上端に柵が有るのは見慣れた光景ですが、柵の下の穴は?? 多分これは、ここ特有の、変わった仕組みを取り入れた防潮堤のためかと。
 実はここに高い防潮堤を設置することに、魚町の方からはとても不評で理解を得られない状況でした。「海が見えなくなる」という理由で。確かに長年自宅や会社前からすぐ前の海を眺めて暮らしていたのですから、それはそうなんでしょう。その頃、市内経済界トップと思われる御方からお話を聞く機会があり、「奥様方の反対が強くて...」とおっしゃっていました。本当!??(^_^;)
 今回の大津波で多くの海岸に背の高い防潮堤が建ち、多くの家や会社から海は見えなくなりました。なので魚町からは常日頃海側の視界を確保する為、津波が来たときにだけ津波の水圧で防潮堤に仕舞われていたパネルが自動的に1m高くなる仕組みが、施工者の宮城県に提案されました、しかし、県は実績が無いかとても少ないこと、お金が高くなる....と了解せず、話は進みませんでした。
 しかしその後、大地震で沈下した地盤がその後に多少隆起した分22cmを防潮堤の高さから減じなかったという県の設計ミスが判明し、すったもんだの末、地元提案通り1mのパネルが防潮堤から出てくる仕組みで施工されました。
 他の地域で、防潮堤建設を反対する人たちの中には、コンクリートの防潮堤は永久の物ではなく、メンテナンスにも多くのお金が掛かり、子々孫々に負担させたくない...という意見も有りました。それも、ごもっともです。どっしり構えるコンクリート製でさえ維持管理の費用が心配されるのに、1mを確保する為の可動式なら、いくら上積みするようなのでしょうか。これから防潮堤を整備する地域では参考にして欲しいです。

 どうやら今夜、宮城県にも緊急事態宣言発令が決まるようです(>_<) そろそろ近場へ遊びに行こうとしていたら「まんぼう」。更には緊急事態宣言(>_<) 
 気仙沼ではコロナが蔓延した漁船が入港したり、飲み屋で多くの感染者が出ました(>_<) 後者の中には某市での酒席で伯父が感染した人も居ました。身近な所に感染者が出たら、より一層慎重になるべきだと思うのですが、まだまだ意識は低いですね(>_<)(T_T)
 そんな意味でも無いのですけど、今夜は某コロナ対策担当者会議が予定されていてヨコミーも行く予定ですが、出来ることなら行きたくない(>_<) 飲食は無いのですが、どうせ決定事項の伝達でしょうから、郵送やメールでも良いのです(^_^)v ダメかなぁ(^_^;)

 ワクチン接種済み者でも感染しているようです。皆様、マスクをしっかりと付け、1密でも避け、この禍を乗り切りましょう(^_^)v お酒は一人で静かに。両国と男山をお薦め(*^_^*)
 バタバタしていてブログ更新は何日も掛かり(>_<) 参考にしたいと思っている各位のブログ訪問も遅々として....(T_T) しかし、休み休みですが頑張るのみ(^_^)v
 おしまいm(_ _)m
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