気仙沼の今 内湾風景 20190707 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今のところ、雨が少ない梅雨です。落果が心配なので、ブルーベリーに水を2回掛けました。既にブルーベリーは3回収穫していますが、例年より量は少ない感じです。
今日7月12日は未明から降っています。老母(ろうはは=ヨコミー語)をデーサービスへ送り出す時は、多少風も伴って降っていました。
といって大雨でもなく、植物にはありがたい雨でしょう。
7月7日七夕の日、所用があり、市内気仙沼地区の南町海岸まで行ってきました。
内湾エリアは未だ復旧工事の最中で、通る度にパチパチと撮っていましたが、整理しかねていました。
そんな訳で、地域の変化までは紹介出来ませんが、今の様子をお伝えします。
気仙沼市港町(町字名)の内湾側、震災前は漁業関係の団体が入居する鰹鮪会館が在った辺りの海側でパチリ。凡そ東方向です。
奥の低い山脈は旧・唐桑町との境。奥の白い色の船に邪魔されていますが、山の手前には鹿折地区の造船地帯が見えます。
一帯の造船会社は、残念ながら震災で被災し、その後に統合され、気仙沼地区の南東端、あの流された大きな油タンクが元々在った辺りに、確か「みらい造船」という新しい会社で今年、スタートしました。今は引っ越し中とか。
右手前の小型漁船は、すみませんが何の漁をするのか分かりません(^_^;) イカ漁なら漁り火のランプが見えるのでしょうけれど。
左手のこんもりしたのは神明崎。森の中に五十鈴神社、通称「おしんめいさん」が在ります。森の右下辺りに朱塗りの浮御堂が在ったのですが、津波で流されました。まだ再建されていないようです。
その神明崎の拡大です。
左続きです。おしんめいさん(右手)の下から海際に防潮堤の工事が進められています。完成にはもう少し時間が掛かりそうです。
震災で沈下した地盤がその後少し隆起したので、防潮堤を発注した県が、隆起した分22センチを地元からの要請で低くすることで合意したのですが、以前の高さで発注してしまった県のミスで、地元とごたごたが起こり、工事が遅れていました。
以前、地元の超有力者は、「男はそれほどでもないが、ご婦人方は海が見えなくなるので強く反発している....」と話していましたが、大津波前と比べて沿岸部は大きく変わってしまった所が多い中、ある面、幸せな方々だなぁと思いました。
中央の明るい緑の丘は、陣山。その昔の戦国時代か、石巻方面に勢力を持つ葛西氏が北上した時、気仙沼から2つ北隣の大船渡方面に勢力を持つ浜田氏が、ここに陣を構えた所とか。遺跡です。
陣山で今、市が震災復興祈念公園を作ろうと計画を進めています。ここは、被災した気仙沼地区や鹿折地区を見ることが出来る、大津波が来ても被災しない...という選定理由ですが、鹿折地区はともかく、南気仙沼で多くの住居、会社等が在った内の脇、仲町、幸町等は全くか殆ど見えないのです(>_<)
また陣山への車の乗り入れは道幅が狭く、観光バスを呼んだり、イベントで大型バスを入れることは無理。公園完成に併せて、多くの税金を掛けて民家を立ち退かせ、多くの税金を使って狭い市道を拡幅することでしょう。
被災した市街地の復旧状況を、より広く見せたいのなら、2つ前の写真に写っている鹿折・浪板(なみいた)に在る造船所の上や、やや下手(右=南)の大浦高台に出来た防災集団移転団地の並びに作るのが適切かと。陣山より更に広い範囲が見えることは、調べなくても地元の人なら分かるはず。どうして市議も分からなかったのかなぁ....(>_<)
その辺りなら、大島へ行く県道が整備され、間もなく気仙沼湾を横断する無料の高速道・三陸道の橋とインターも完成し、交通は黙っていても便利かと。なのに....。
でも第一、津波での浸水地を市が買い上げていたのですが、その使途が未だ決まっていない土地が多々有ると報道されていました。
何故そのような土地を利活用しようとしないのでしょうか。他市町では、同様の公園を低地に建設した所も有るというのに。広い駐車場も出来ます。
そういえば浸水地に再建される中央公民館の脇に、これまた被災した南運動広場が再建されると。これは当然良いことなのですが、隣接してラグビー場も作ると聞きました。それが本当なら、驚きです(>_<)
市内のラグビー人口は、そう多くはなく、ラグビー場など有りませんでした。設置しても近くには高校は無いし、部活が有りそうな大学や短大は、最初から有りません。
買い上げた浸水地の無駄遣いのようにも思えます。南運動広場を拡幅して、多目的に使えるようにすべきかと(^_^)v
陣山への公園設置に戻って、何故か疑問でしたが、ヨコミーだけの偏向かなぁと思っていたら、他にもそのように思っている方も居るようで、異端児ヨコミーとしては、ちょっと安心(^_^;)
でも、先に陣山ありき、で始まったのでは....という疑念は消えません。
また見ての通り丘の上は狭く、こちら側は民家に囲まれていて、樹木でその内囲まれてしまうのでは....(>_<)
更には、予算が足らないのか、クラウドファンディングで人型のオブジェを作るようですが、夕暮れ時には怖くて近づけない....と早くも心配する声が上がっています。
お金を出資した方は、それでいいと思っているのでしょうか。
あっ、長くなっちゃいました。すみませんm(_ _)m
陣山の右端に白い建物が見えます。ずーっと以前は望洋館、その後改築してホテル望洋と名を変え、その当時は市内では一番大きなホテルでしたが、昨年かに閉鎖。地元資本でした。
改築した辺りか、別な地元資本の大きなホテル(後に南三陸町資本に買収)が建ったり、南三陸町資本の大きなホテルが別に出来たりして低迷し、震災前から存続が心配されていました。
震災後、工事関係者による需要が有り、一時は持ち直したようですが、復旧工事のピークは過ぎ、惜しまれながらの閉鎖でした。
中のエレベーターは狭くてレトロ。快進撃で買収しながら北上する資本も、ここには手を出せなかったかな....。第一、ホテル前の駐車場は狭く、離れた駐車場は階段の段数も多く、敬遠されたのでしょう。まだまだ車社会。直ぐ近くの駐車場枠は多いほど宜しいかと(^_^)v 歩いて行くのは超地元だけか。あっ、陣山に進めている公園も同様(^_^;)
左手の小山に、薄い緑色をした屋根が見えます。ちょっと教会風でもありますが、ここは結婚式場です。
防潮堤直ぐ上の景色は、震災前は民家や会社、工場等がぎっしりと立ち並び、こんな風にすっかりとは見えませんでした。
ホテル下に見える坂も、そう。おしんめいさんの森の裏側で大きく左へ曲がり、ホテルの前を通って陣山の向こう、鹿折地区に至ります。坂の下には旧・国道45号が走り、これも大きく曲がって鹿折地区へ至ります。
陣山の拡大です。広くない天辺に公園が出来る予定です。駐車可能台数も少ない設計です。なのに...。
結婚式場の拡大です。
更に左隣です。
正面の山が安波山(あんばさん、あんばやま。239m)。その下の建物は魚町一丁目と入沢の市営住宅。正面からは一体化して見えますが、横から見れば三段になっています。
その右は太田(おおた)という、以前は一帯が歓楽街でした。この沢を右上に進むと、陣山の付け根・北西側を通って鹿折へ抜けます。普通車でもすれ違いが大変な坂道なのに、上記公園へ通じる2つの坂の1つとなります。
市営住宅左の奥は入沢。男山という酒蔵が有ります。太田には両国という酒蔵も有ります。ヨコミー、若い時はこの2つの酒蔵に、月イチで通っていました。飲みに行ったのではなく、お仕事(^_^;)
左端は2つ次の写真で。
市営住宅の拡大です。
以前の汽船発着所。大島大橋が開通した今春から、定期船・臨時船の発着は有りません。フェリーの右側に、ほんのちょっと浮き桟橋が見えているだけですが(^_^;)
フェリーの裏側に、その昔は確か二階建ての内湾レストハウスが、その後に三階建てのエースポートという観光施設が在り、汽船の事業者も入っていました。
跡地に、震災後、ようやく昨秋か、「迎(ムカエル)」という商業施設が完成し、営業しています。ムカエルは近々紹介したいと思います。
左の茶色い壁の建物は、大津波まで四階建ての市営駐車場が在った所に建つ、普通の人にはなんと読むのか分からない公共施設。「PIER 7」とは、ここは英語圏の気仙沼市なのでしょうか(>_<) これで行くなら、振り仮名が欲しい(^_^)v どういう意味???
ハイカラを求めたい気持ちがあるのでしょうけれど、市民の多くが正しく読めるのでしょうか????
今流行の外国人観光客に読んで欲しいのかな。でも、市民みんなが読めて理解出来る文字で表すべき。外国人観光客から日本語で聞かれても、答えようが無い。英語で答えられる人は何人居るのだろうか。
じゃなかった(^_^;) ここには勤労青少年ホームとラヂオ気仙沼、遊覧船の発券窓口が入っています。
この辺りも、近々に紹介出来ればと思います。
老母、今朝は小声で文句を言ってデーサービスに行きました。夜中に小が出ると叫んだのに、誰も来なかったからオムツにやってしまったと....(^_^;)
でも、ヨコミーは夜半過ぎまで起きているのですが、聞こえませんでした。明け方に叫んだのでしょうか、小声で(^_^;)
その割には、身体が更に弱ったこの半年余りで「出そうだからトイレに連れてってくれ」とは、五本の指にも余るくらいしか言っていません(>_<)
昨日はトイレに連れて行き、オムツを開けるその度に大が付いていました(>_<) なのに、出る、出たのひと言も有りません。老母は知恵を付けたのかも知れません(^_^;)
正しく状態を話す方に知恵を付けて欲しいのですが....(>_<)
老母を見て、つくづく、「ピンピンころり」って大切なんだなぁと思うのです。
なので、最近、少しですが運動を始めました(^_^;) 「ピンピンころり」で死ぬことを目指して(*^_^*)
皆さんも、ならば「ピンピンころり」を目指しましょう(^_^)v
ちっとやそっとでは、介護施設には入れませんよ(^_^;)
「入れない」で思い出しました(^_^;) 秋に行われる消費税の増税で、幼児教育(3歳以上らしい)を無償化するとか。
でも、3年前のこと、覚えていますか?? 「保育所落ちた。日本死ね」のブログ事件です。
当時安倍総理は、匿名であり事実を確認出来ないと、国会で逃げていました。
でもこの場合、発信者が誰かを特定するのが優先事項ではなく、市町村に実態を聞けば分かること。逃げて正対していない(^_^)v
保育所等に入れない「待機児童」は、一部の市区町村で解消されたようですが、当気仙沼市では昨年より倍に増えたと地元紙の報道が有りました。後日訂正記事やそれに類する記事は無いので事実かと。これは気仙沼だけの問題じゃ有りません。
気仙沼で待機児童が増えたのは、入所児童が少ないからと、小さな保育所が閉鎖され続けたことも原因の一つかと。
安倍政権は、一億総活躍社会を掲げながら、実は子育てのために働きに出られない方も居ます。
政権与党は、消費税の増税を通り易くするため、幼児教育の無償化を掲げていますが、まずそれ以前にやらなければならないことは、日本国内から待機児童を完全に無くすことです。
幼児教育の無償化が実施されたのに、保育所に入れず、法の恩恵を受けられない子供が発生することは、日本国憲法が保障するという法の下の平等に反します。
先ず待機児童を解消し、それからの幼児教育無償化です。自民党、公明党の議員さんは、そんなことも分からないのでしょうか。それとも上からの締め付け? お得意の忖度??(^_^)v
参院選初日のNHKテレビで、公明党の親分が「小さな事にも目を向けます」と力説していました。
この方の目に、日本国に待機児童が居ることは、どう映っているのでしょうか(^_^)v
老母、今宵も黙って、くっつけていました(^_^;)
おしまいm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今のところ、雨が少ない梅雨です。落果が心配なので、ブルーベリーに水を2回掛けました。既にブルーベリーは3回収穫していますが、例年より量は少ない感じです。
今日7月12日は未明から降っています。老母(ろうはは=ヨコミー語)をデーサービスへ送り出す時は、多少風も伴って降っていました。
といって大雨でもなく、植物にはありがたい雨でしょう。
7月7日七夕の日、所用があり、市内気仙沼地区の南町海岸まで行ってきました。
内湾エリアは未だ復旧工事の最中で、通る度にパチパチと撮っていましたが、整理しかねていました。
そんな訳で、地域の変化までは紹介出来ませんが、今の様子をお伝えします。
気仙沼市港町(町字名)の内湾側、震災前は漁業関係の団体が入居する鰹鮪会館が在った辺りの海側でパチリ。凡そ東方向です。
奥の低い山脈は旧・唐桑町との境。奥の白い色の船に邪魔されていますが、山の手前には鹿折地区の造船地帯が見えます。
一帯の造船会社は、残念ながら震災で被災し、その後に統合され、気仙沼地区の南東端、あの流された大きな油タンクが元々在った辺りに、確か「みらい造船」という新しい会社で今年、スタートしました。今は引っ越し中とか。
右手前の小型漁船は、すみませんが何の漁をするのか分かりません(^_^;) イカ漁なら漁り火のランプが見えるのでしょうけれど。
左手のこんもりしたのは神明崎。森の中に五十鈴神社、通称「おしんめいさん」が在ります。森の右下辺りに朱塗りの浮御堂が在ったのですが、津波で流されました。まだ再建されていないようです。
その神明崎の拡大です。
左続きです。おしんめいさん(右手)の下から海際に防潮堤の工事が進められています。完成にはもう少し時間が掛かりそうです。
震災で沈下した地盤がその後少し隆起したので、防潮堤を発注した県が、隆起した分22センチを地元からの要請で低くすることで合意したのですが、以前の高さで発注してしまった県のミスで、地元とごたごたが起こり、工事が遅れていました。
以前、地元の超有力者は、「男はそれほどでもないが、ご婦人方は海が見えなくなるので強く反発している....」と話していましたが、大津波前と比べて沿岸部は大きく変わってしまった所が多い中、ある面、幸せな方々だなぁと思いました。
中央の明るい緑の丘は、陣山。その昔の戦国時代か、石巻方面に勢力を持つ葛西氏が北上した時、気仙沼から2つ北隣の大船渡方面に勢力を持つ浜田氏が、ここに陣を構えた所とか。遺跡です。
陣山で今、市が震災復興祈念公園を作ろうと計画を進めています。ここは、被災した気仙沼地区や鹿折地区を見ることが出来る、大津波が来ても被災しない...という選定理由ですが、鹿折地区はともかく、南気仙沼で多くの住居、会社等が在った内の脇、仲町、幸町等は全くか殆ど見えないのです(>_<)
また陣山への車の乗り入れは道幅が狭く、観光バスを呼んだり、イベントで大型バスを入れることは無理。公園完成に併せて、多くの税金を掛けて民家を立ち退かせ、多くの税金を使って狭い市道を拡幅することでしょう。
被災した市街地の復旧状況を、より広く見せたいのなら、2つ前の写真に写っている鹿折・浪板(なみいた)に在る造船所の上や、やや下手(右=南)の大浦高台に出来た防災集団移転団地の並びに作るのが適切かと。陣山より更に広い範囲が見えることは、調べなくても地元の人なら分かるはず。どうして市議も分からなかったのかなぁ....(>_<)
その辺りなら、大島へ行く県道が整備され、間もなく気仙沼湾を横断する無料の高速道・三陸道の橋とインターも完成し、交通は黙っていても便利かと。なのに....。
でも第一、津波での浸水地を市が買い上げていたのですが、その使途が未だ決まっていない土地が多々有ると報道されていました。
何故そのような土地を利活用しようとしないのでしょうか。他市町では、同様の公園を低地に建設した所も有るというのに。広い駐車場も出来ます。
そういえば浸水地に再建される中央公民館の脇に、これまた被災した南運動広場が再建されると。これは当然良いことなのですが、隣接してラグビー場も作ると聞きました。それが本当なら、驚きです(>_<)
市内のラグビー人口は、そう多くはなく、ラグビー場など有りませんでした。設置しても近くには高校は無いし、部活が有りそうな大学や短大は、最初から有りません。
買い上げた浸水地の無駄遣いのようにも思えます。南運動広場を拡幅して、多目的に使えるようにすべきかと(^_^)v
陣山への公園設置に戻って、何故か疑問でしたが、ヨコミーだけの偏向かなぁと思っていたら、他にもそのように思っている方も居るようで、異端児ヨコミーとしては、ちょっと安心(^_^;)
でも、先に陣山ありき、で始まったのでは....という疑念は消えません。
また見ての通り丘の上は狭く、こちら側は民家に囲まれていて、樹木でその内囲まれてしまうのでは....(>_<)
更には、予算が足らないのか、クラウドファンディングで人型のオブジェを作るようですが、夕暮れ時には怖くて近づけない....と早くも心配する声が上がっています。
お金を出資した方は、それでいいと思っているのでしょうか。
あっ、長くなっちゃいました。すみませんm(_ _)m
陣山の右端に白い建物が見えます。ずーっと以前は望洋館、その後改築してホテル望洋と名を変え、その当時は市内では一番大きなホテルでしたが、昨年かに閉鎖。地元資本でした。
改築した辺りか、別な地元資本の大きなホテル(後に南三陸町資本に買収)が建ったり、南三陸町資本の大きなホテルが別に出来たりして低迷し、震災前から存続が心配されていました。
震災後、工事関係者による需要が有り、一時は持ち直したようですが、復旧工事のピークは過ぎ、惜しまれながらの閉鎖でした。
中のエレベーターは狭くてレトロ。快進撃で買収しながら北上する資本も、ここには手を出せなかったかな....。第一、ホテル前の駐車場は狭く、離れた駐車場は階段の段数も多く、敬遠されたのでしょう。まだまだ車社会。直ぐ近くの駐車場枠は多いほど宜しいかと(^_^)v 歩いて行くのは超地元だけか。あっ、陣山に進めている公園も同様(^_^;)
左手の小山に、薄い緑色をした屋根が見えます。ちょっと教会風でもありますが、ここは結婚式場です。
防潮堤直ぐ上の景色は、震災前は民家や会社、工場等がぎっしりと立ち並び、こんな風にすっかりとは見えませんでした。
ホテル下に見える坂も、そう。おしんめいさんの森の裏側で大きく左へ曲がり、ホテルの前を通って陣山の向こう、鹿折地区に至ります。坂の下には旧・国道45号が走り、これも大きく曲がって鹿折地区へ至ります。
陣山の拡大です。広くない天辺に公園が出来る予定です。駐車可能台数も少ない設計です。なのに...。
結婚式場の拡大です。
更に左隣です。
正面の山が安波山(あんばさん、あんばやま。239m)。その下の建物は魚町一丁目と入沢の市営住宅。正面からは一体化して見えますが、横から見れば三段になっています。
その右は太田(おおた)という、以前は一帯が歓楽街でした。この沢を右上に進むと、陣山の付け根・北西側を通って鹿折へ抜けます。普通車でもすれ違いが大変な坂道なのに、上記公園へ通じる2つの坂の1つとなります。
市営住宅左の奥は入沢。男山という酒蔵が有ります。太田には両国という酒蔵も有ります。ヨコミー、若い時はこの2つの酒蔵に、月イチで通っていました。飲みに行ったのではなく、お仕事(^_^;)
左端は2つ次の写真で。
市営住宅の拡大です。
以前の汽船発着所。大島大橋が開通した今春から、定期船・臨時船の発着は有りません。フェリーの右側に、ほんのちょっと浮き桟橋が見えているだけですが(^_^;)
フェリーの裏側に、その昔は確か二階建ての内湾レストハウスが、その後に三階建てのエースポートという観光施設が在り、汽船の事業者も入っていました。
跡地に、震災後、ようやく昨秋か、「迎(ムカエル)」という商業施設が完成し、営業しています。ムカエルは近々紹介したいと思います。
左の茶色い壁の建物は、大津波まで四階建ての市営駐車場が在った所に建つ、普通の人にはなんと読むのか分からない公共施設。「PIER 7」とは、ここは英語圏の気仙沼市なのでしょうか(>_<) これで行くなら、振り仮名が欲しい(^_^)v どういう意味???
ハイカラを求めたい気持ちがあるのでしょうけれど、市民の多くが正しく読めるのでしょうか????
今流行の外国人観光客に読んで欲しいのかな。でも、市民みんなが読めて理解出来る文字で表すべき。外国人観光客から日本語で聞かれても、答えようが無い。英語で答えられる人は何人居るのだろうか。
じゃなかった(^_^;) ここには勤労青少年ホームとラヂオ気仙沼、遊覧船の発券窓口が入っています。
この辺りも、近々に紹介出来ればと思います。
老母、今朝は小声で文句を言ってデーサービスに行きました。夜中に小が出ると叫んだのに、誰も来なかったからオムツにやってしまったと....(^_^;)
でも、ヨコミーは夜半過ぎまで起きているのですが、聞こえませんでした。明け方に叫んだのでしょうか、小声で(^_^;)
その割には、身体が更に弱ったこの半年余りで「出そうだからトイレに連れてってくれ」とは、五本の指にも余るくらいしか言っていません(>_<)
昨日はトイレに連れて行き、オムツを開けるその度に大が付いていました(>_<) なのに、出る、出たのひと言も有りません。老母は知恵を付けたのかも知れません(^_^;)
正しく状態を話す方に知恵を付けて欲しいのですが....(>_<)
老母を見て、つくづく、「ピンピンころり」って大切なんだなぁと思うのです。
なので、最近、少しですが運動を始めました(^_^;) 「ピンピンころり」で死ぬことを目指して(*^_^*)
皆さんも、ならば「ピンピンころり」を目指しましょう(^_^)v
ちっとやそっとでは、介護施設には入れませんよ(^_^;)
「入れない」で思い出しました(^_^;) 秋に行われる消費税の増税で、幼児教育(3歳以上らしい)を無償化するとか。
でも、3年前のこと、覚えていますか?? 「保育所落ちた。日本死ね」のブログ事件です。
当時安倍総理は、匿名であり事実を確認出来ないと、国会で逃げていました。
でもこの場合、発信者が誰かを特定するのが優先事項ではなく、市町村に実態を聞けば分かること。逃げて正対していない(^_^)v
保育所等に入れない「待機児童」は、一部の市区町村で解消されたようですが、当気仙沼市では昨年より倍に増えたと地元紙の報道が有りました。後日訂正記事やそれに類する記事は無いので事実かと。これは気仙沼だけの問題じゃ有りません。
気仙沼で待機児童が増えたのは、入所児童が少ないからと、小さな保育所が閉鎖され続けたことも原因の一つかと。
安倍政権は、一億総活躍社会を掲げながら、実は子育てのために働きに出られない方も居ます。
政権与党は、消費税の増税を通り易くするため、幼児教育の無償化を掲げていますが、まずそれ以前にやらなければならないことは、日本国内から待機児童を完全に無くすことです。
幼児教育の無償化が実施されたのに、保育所に入れず、法の恩恵を受けられない子供が発生することは、日本国憲法が保障するという法の下の平等に反します。
先ず待機児童を解消し、それからの幼児教育無償化です。自民党、公明党の議員さんは、そんなことも分からないのでしょうか。それとも上からの締め付け? お得意の忖度??(^_^)v
参院選初日のNHKテレビで、公明党の親分が「小さな事にも目を向けます」と力説していました。
この方の目に、日本国に待機児童が居ることは、どう映っているのでしょうか(^_^)v
老母、今宵も黙って、くっつけていました(^_^;)
おしまいm(_ _)m
三陸道津谷・大谷IC間が開通 しちゃった編 20190216 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
仙台から三陸沿岸を経て青森県へ至る高速道の三陸道は、暫く前から仙台方面等から工事が進められていました。
2011年の東日本大震災後は復興道路として工事に拍車が掛かり、市内でも既に一部が開通していましたが、いよいよ2月16日、近くの大谷海岸ICから本吉の津谷IC間が開通しました。
その様子を、チッとばかり遅れましたが、お知らせします。
ここは大谷(おおや)海岸ICが見渡せる、民家の直ぐ裏。どうですか? こんなに近いんじゃ、確かにサービスエリアに住んでいる....といっても良いような(T_T) 騒音(>_<)
向こう側が仙台方向で、本線車線の内、左側が上り線。このICから北側(右手)の区間は、既に昨年3月下旬に、周辺の整備が終わらない内に開通してしまいました(>_<) この辺の段取りの悪さは、ヨコミー程度(^_^;)
カメラの時刻は1秒単位で直前に合わせました(^_^)v 撮影は16時29分56秒。ここから向こうは16時30分に開通すると発表されていますが、ランプでパトカーが身体を張っていて、残り4秒で開通しそうにありません(^_^;)
なので右側を見てみます。
右続きです。写真左側、本線の路肩に立っている黒っぽい柱の上は、監視カメラと聞きました。
更に右です。草の種を吹き付けたのでしょうけれど、刈るのもひと仕事に。
草丈の短いグランドカバーみたいなやつを植えれば、節税になるのにねぇ(>_<)
更に右です。下に見える小豆色の太い線が、「減速しろっ!!」とうるさい音を出します(>_<)
更に右です。気仙沼の市街地方向。本線から下りる分流部にはパトカー等が。
もう24秒も過ぎているのに、本線への坂道を登らせる様子はありません。
16時30分に一般の供用が開始されるはずですが....(>_<)
中央下の軽トラは関係車両で、先程から路上に停まっていますが、この車線は仙台方向から来る車が国道へ出るための道なので、今のところ支障なし。
右手の緑色の車は、気仙沼方向へ行く(行かせられた??)軽自動車です。
16時31分36秒の撮影です。気仙沼中央ICから仙台方面へ向かう車も、国道へまだ下ろしています。なんだべねぇ。時間になったらパッと通して良いような....(^_^;)
パトカーのすぐ右上に見える軽自動車は、パトカー左上の電光掲示板を積んだ車が見えていたでしょうに、走行車線を走らず、最後まで追い越し車線を走ってきたのでしょうね。困ったものです(>_<)
左手に見える軽トラは関係車両で、先程から停まっていました。その上に見える黒っぽい車は、ここから乗った車。
こちらもまだまだ乗せてはくれません。16時35分48秒の撮影です。
本線に乗って仙台方向へ向かいたかった車がこのランプに入れず、お巡りさんから指導を受けて少し愚図っていましたが、泣く子とお巡りさんには勝てないと知ったようで、本線下を潜って、反対側の気仙沼市街方向へ行きました。まっ、タイミングが悪かったですね(>_<)
見学している風の丘の住人達も、寒い中、まだかまだかと....(^_^;)
見れば、向こうの跨道橋に人が(^_^;) 開通の見学ですね(*^_^*)
このICの通過を止められていた上り線の分流部で動きがあり、16時36分、気仙沼市街地方面からの車が動き出しました。やっと開通です。
通過の一番乗りは、黒っぽい大型車輛の前を行くトヨタのアクア。因みに、パトカー後のワゴン車ですが、スキーキャリアを載せてはいますが、先程から停まっていた関係車輌です。
反対車線に停まっていた関係車輌の軽トラも、動き出しました。
改めて思うのですが、写真中央上やや右に見える2階が白い壁のお宅などは、本当に高速道路に超・隣接しています。
何でこんな設計になったのでしょうか。騒音が直接飛び込んできます(>_<) こんな下手な設計はヨコミーでもしません(>_<)
国交省では今年10月に騒音調査をして、必要なら対策を立てるとか。このお宅なら調査を待つまでもなく、開通前に解決すべき事項じゃないかと、ヨコミーは思うのです。
風の丘への、国道からの出入口もしかり。国の目線は国民じゃなく、国会議員や業者を向いているのかな??????????????????
それにしても、このお宅に対して、どのような騒音対策をするのでしょうね。2階建ての家が隠れるほどの高いコンクリート塀を立てる?? 都会地の高速道で見受ける、トンネルの一部のようなアクリルの覆いを高速道脇に立てる??
まさか住宅の防音を強化するだけじゃないでしょうね? それって、「外に出るなっ!」と言っているようなもの(>_<)
16時36分52秒の撮影です。本線の通行が開始されたのがタイミングだったのか、本線への進入路で動きがあります。
16時38分過ぎの撮影です。パトカーを先頭に、上り車線へ向かう車列が出来ています。
一般車輌の一番乗りは4台目の黒っぽい車。因みに、路肩に停まっているワゴン車は、先程から停まっている関係車輌。
大谷海岸ICから初めて仙台方向へ向かう車(白いトラックの後ろ)が、本線に乗ろうとしています。
下り線に、北上する車が漸く見えてきました。16時38分52秒の撮影です。
先頭を切って北上してきた白いワゴン車は、ここで下りるようです。代わってこのICを、北へ初めて通過するのが中央の車です。
それにしても左側を見てください。このICから乗る車が続いているのに、走行車線をトラックを始めとする諸車が走っています。
危険なので追い越し車線に逃れたいけど、追い越し車線にも車が居て、動きが取れないようです(>_<)
追い越し車線を走っている車は、合流を察知して早めに追い越し車線を走っている車も居るのでしようけれど、それらのスピードを見てみると、折角2車線になったことだからと、追い越しをかけている車が多いようです。このへんは基本的に1車線です。
それでは危険を回避しようとしても出来ず、事故に繋がる心配があります(>_<)
ヨコミー、近くでは石巻のICでよーく経験するのですが、かなりのスピードを持って本線へ合流しようとする車が、2台3台と連なってくることが多いのです。
察知次第直ぐに追い越し車線へ逃げようとするのですが、合流部でもあることも理解せず、後方から凄いスピードで追い越し車線を走ってくる車が多く、とても苦慮しています(>_<)
これって、危険な運転だと思うのですが、警察が捕まえて指導している様子は見たことが有りません(>_<)
なので最近では早めに、出来れば分流部辺りから、追い越し車線へ退避するようにしています。
お巡りさん、安全確保のためですから、追い越しじゃないけど、ヨコミーは捕まえないでね(^_^)v
下手に目を移したら、国道が込んでいました。まあ、開通祝い景気というか混雑かな(^_^;)
画面左外にICへの出入口となる交差点があります。左が気仙沼の市街地方向。
仙台方面が開通していない先月、この国道を仙台方向へ向かったら、まだ朝の6時台だとというのに、気仙沼市街へ向かう渋滞は、ここのIC入口から2kmも3kmも続いていました(>_<) 通常の通勤の他に、工事関係車輌が内陸部から入っているためです。
今回の高速道開通で国道の利用は減るのでしょうけれど、内陸部から乗る時に利用する津谷ICは、信号機が有る交差点で左折し、間もなく信号機が無い交差点で右折して乗る構造なので、渋滞や事故が心配です。
多分、風の丘付近と同様、信号機が直ぐ近くで続くので、設置出来ないのでしょう。もし設置するのなら、「なんだべぇ~、こっちにも付けでけろ!!」と言ってやるつもり(^_^;)
それにしても、おざなり・なおざりの設計です。この程度なら、ヨコミーでも出来そう(^_^)v
位置や構造を変更してでも、利用しやすいICにして欲しかったですね。そうそう、津谷IC近くの人は、仙台方向にも乗れるフルICを希望していましたよ。残念(>_<)
ところで、手前の港は日門(ひかど)漁港。奥の岬は南三陸町、旧・歌津町の岬です。
左手の白い灯台は、ヨコミーの初日の出写真に登場する灯台です。この防波堤で釣れまっせ(^_^)v
開通の日の2月16日は暗くなり、ICの仙台側は車のライトが溢れ....(>_<)
特に遠目は凄い光で、ヨコミーの天体望遠鏡は大きな迷惑(>_<)
日本の人口が減っているにもかかわらず、逆に、光の害は増えていると思うのです。
風の丘の、綺麗な星空は消えてしまいました(>_<)
ヨコミー、中南米や中近東から北上する「難民」を好ましくは思っていませんでした(>_<)
そう、「祖先の大地を、今暮らしている土地を守れ!! そのために戦えっ!!!」と。
ところが、こんなに押し寄せてくる光の害を見ると、ヨコミーも難民の気持ちが分かりかけてきたように思えます。
うーん、しかし。ヨコミーは幼き頃、戦争の怖さや悲しさも知らず、洋画の戦争映画を見ていました。そう、地下に潜って戦うやつ(^_^;) そして、ヨコミーは「工作員」でもあります(^_^)v
まあ、ヨコミー程度じゃ太刀打ち出来ない相手かも知れないけど、そこは生涯学習と同じ。「やる」ことに意義があるのです(^_^)v
老母(ヨコミー語では「ろうはは」と読みます)の介護は今大変で、直ぐには難民とはなれない状況でもあるので、悩む日々が続きそうです(^_^;)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
仙台から三陸沿岸を経て青森県へ至る高速道の三陸道は、暫く前から仙台方面等から工事が進められていました。
2011年の東日本大震災後は復興道路として工事に拍車が掛かり、市内でも既に一部が開通していましたが、いよいよ2月16日、近くの大谷海岸ICから本吉の津谷IC間が開通しました。
その様子を、チッとばかり遅れましたが、お知らせします。
ここは大谷(おおや)海岸ICが見渡せる、民家の直ぐ裏。どうですか? こんなに近いんじゃ、確かにサービスエリアに住んでいる....といっても良いような(T_T) 騒音(>_<)
向こう側が仙台方向で、本線車線の内、左側が上り線。このICから北側(右手)の区間は、既に昨年3月下旬に、周辺の整備が終わらない内に開通してしまいました(>_<) この辺の段取りの悪さは、ヨコミー程度(^_^;)
カメラの時刻は1秒単位で直前に合わせました(^_^)v 撮影は16時29分56秒。ここから向こうは16時30分に開通すると発表されていますが、ランプでパトカーが身体を張っていて、残り4秒で開通しそうにありません(^_^;)
なので右側を見てみます。
右続きです。写真左側、本線の路肩に立っている黒っぽい柱の上は、監視カメラと聞きました。
更に右です。草の種を吹き付けたのでしょうけれど、刈るのもひと仕事に。
草丈の短いグランドカバーみたいなやつを植えれば、節税になるのにねぇ(>_<)
更に右です。下に見える小豆色の太い線が、「減速しろっ!!」とうるさい音を出します(>_<)
更に右です。気仙沼の市街地方向。本線から下りる分流部にはパトカー等が。
もう24秒も過ぎているのに、本線への坂道を登らせる様子はありません。
16時30分に一般の供用が開始されるはずですが....(>_<)
中央下の軽トラは関係車両で、先程から路上に停まっていますが、この車線は仙台方向から来る車が国道へ出るための道なので、今のところ支障なし。
右手の緑色の車は、気仙沼方向へ行く(行かせられた??)軽自動車です。
16時31分36秒の撮影です。気仙沼中央ICから仙台方面へ向かう車も、国道へまだ下ろしています。なんだべねぇ。時間になったらパッと通して良いような....(^_^;)
パトカーのすぐ右上に見える軽自動車は、パトカー左上の電光掲示板を積んだ車が見えていたでしょうに、走行車線を走らず、最後まで追い越し車線を走ってきたのでしょうね。困ったものです(>_<)
左手に見える軽トラは関係車両で、先程から停まっていました。その上に見える黒っぽい車は、ここから乗った車。
こちらもまだまだ乗せてはくれません。16時35分48秒の撮影です。
本線に乗って仙台方向へ向かいたかった車がこのランプに入れず、お巡りさんから指導を受けて少し愚図っていましたが、泣く子とお巡りさんには勝てないと知ったようで、本線下を潜って、反対側の気仙沼市街方向へ行きました。まっ、タイミングが悪かったですね(>_<)
見学している風の丘の住人達も、寒い中、まだかまだかと....(^_^;)
見れば、向こうの跨道橋に人が(^_^;) 開通の見学ですね(*^_^*)
このICの通過を止められていた上り線の分流部で動きがあり、16時36分、気仙沼市街地方面からの車が動き出しました。やっと開通です。
通過の一番乗りは、黒っぽい大型車輛の前を行くトヨタのアクア。因みに、パトカー後のワゴン車ですが、スキーキャリアを載せてはいますが、先程から停まっていた関係車輌です。
反対車線に停まっていた関係車輌の軽トラも、動き出しました。
改めて思うのですが、写真中央上やや右に見える2階が白い壁のお宅などは、本当に高速道路に超・隣接しています。
何でこんな設計になったのでしょうか。騒音が直接飛び込んできます(>_<) こんな下手な設計はヨコミーでもしません(>_<)
国交省では今年10月に騒音調査をして、必要なら対策を立てるとか。このお宅なら調査を待つまでもなく、開通前に解決すべき事項じゃないかと、ヨコミーは思うのです。
風の丘への、国道からの出入口もしかり。国の目線は国民じゃなく、国会議員や業者を向いているのかな??????????????????
それにしても、このお宅に対して、どのような騒音対策をするのでしょうね。2階建ての家が隠れるほどの高いコンクリート塀を立てる?? 都会地の高速道で見受ける、トンネルの一部のようなアクリルの覆いを高速道脇に立てる??
まさか住宅の防音を強化するだけじゃないでしょうね? それって、「外に出るなっ!」と言っているようなもの(>_<)
16時36分52秒の撮影です。本線の通行が開始されたのがタイミングだったのか、本線への進入路で動きがあります。
16時38分過ぎの撮影です。パトカーを先頭に、上り車線へ向かう車列が出来ています。
一般車輌の一番乗りは4台目の黒っぽい車。因みに、路肩に停まっているワゴン車は、先程から停まっている関係車輌。
大谷海岸ICから初めて仙台方向へ向かう車(白いトラックの後ろ)が、本線に乗ろうとしています。
下り線に、北上する車が漸く見えてきました。16時38分52秒の撮影です。
先頭を切って北上してきた白いワゴン車は、ここで下りるようです。代わってこのICを、北へ初めて通過するのが中央の車です。
それにしても左側を見てください。このICから乗る車が続いているのに、走行車線をトラックを始めとする諸車が走っています。
危険なので追い越し車線に逃れたいけど、追い越し車線にも車が居て、動きが取れないようです(>_<)
追い越し車線を走っている車は、合流を察知して早めに追い越し車線を走っている車も居るのでしようけれど、それらのスピードを見てみると、折角2車線になったことだからと、追い越しをかけている車が多いようです。このへんは基本的に1車線です。
それでは危険を回避しようとしても出来ず、事故に繋がる心配があります(>_<)
ヨコミー、近くでは石巻のICでよーく経験するのですが、かなりのスピードを持って本線へ合流しようとする車が、2台3台と連なってくることが多いのです。
察知次第直ぐに追い越し車線へ逃げようとするのですが、合流部でもあることも理解せず、後方から凄いスピードで追い越し車線を走ってくる車が多く、とても苦慮しています(>_<)
これって、危険な運転だと思うのですが、警察が捕まえて指導している様子は見たことが有りません(>_<)
なので最近では早めに、出来れば分流部辺りから、追い越し車線へ退避するようにしています。
お巡りさん、安全確保のためですから、追い越しじゃないけど、ヨコミーは捕まえないでね(^_^)v
下手に目を移したら、国道が込んでいました。まあ、開通祝い景気というか混雑かな(^_^;)
画面左外にICへの出入口となる交差点があります。左が気仙沼の市街地方向。
仙台方面が開通していない先月、この国道を仙台方向へ向かったら、まだ朝の6時台だとというのに、気仙沼市街へ向かう渋滞は、ここのIC入口から2kmも3kmも続いていました(>_<) 通常の通勤の他に、工事関係車輌が内陸部から入っているためです。
今回の高速道開通で国道の利用は減るのでしょうけれど、内陸部から乗る時に利用する津谷ICは、信号機が有る交差点で左折し、間もなく信号機が無い交差点で右折して乗る構造なので、渋滞や事故が心配です。
多分、風の丘付近と同様、信号機が直ぐ近くで続くので、設置出来ないのでしょう。もし設置するのなら、「なんだべぇ~、こっちにも付けでけろ!!」と言ってやるつもり(^_^;)
それにしても、おざなり・なおざりの設計です。この程度なら、ヨコミーでも出来そう(^_^)v
位置や構造を変更してでも、利用しやすいICにして欲しかったですね。そうそう、津谷IC近くの人は、仙台方向にも乗れるフルICを希望していましたよ。残念(>_<)
ところで、手前の港は日門(ひかど)漁港。奥の岬は南三陸町、旧・歌津町の岬です。
左手の白い灯台は、ヨコミーの初日の出写真に登場する灯台です。この防波堤で釣れまっせ(^_^)v
開通の日の2月16日は暗くなり、ICの仙台側は車のライトが溢れ....(>_<)
特に遠目は凄い光で、ヨコミーの天体望遠鏡は大きな迷惑(>_<)
日本の人口が減っているにもかかわらず、逆に、光の害は増えていると思うのです。
風の丘の、綺麗な星空は消えてしまいました(>_<)
ヨコミー、中南米や中近東から北上する「難民」を好ましくは思っていませんでした(>_<)
そう、「祖先の大地を、今暮らしている土地を守れ!! そのために戦えっ!!!」と。
ところが、こんなに押し寄せてくる光の害を見ると、ヨコミーも難民の気持ちが分かりかけてきたように思えます。
うーん、しかし。ヨコミーは幼き頃、戦争の怖さや悲しさも知らず、洋画の戦争映画を見ていました。そう、地下に潜って戦うやつ(^_^;) そして、ヨコミーは「工作員」でもあります(^_^)v
まあ、ヨコミー程度じゃ太刀打ち出来ない相手かも知れないけど、そこは生涯学習と同じ。「やる」ことに意義があるのです(^_^)v
老母(ヨコミー語では「ろうはは」と読みます)の介護は今大変で、直ぐには難民とはなれない状況でもあるので、悩む日々が続きそうです(^_^;)
三陸道津谷・大谷間開通間近 いよいよ明日編 20190215 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
仙台から三陸沿岸を経て青森県へ至る三陸道は、東日本大震災後は復旧復興工事に位置づけられて、それからは工事に拍車が掛かり、気仙沼市内でも既に一部が開通していましたが、いよいよ明日2月16日、大谷海岸ICから本吉の津谷IC間が開通することとなりました。
ほんと、「いよいよ」です。風の丘は、ハイウェイを走り抜ける車の騒音が一段と高くなり、星が綺麗な丘でもあったこの地は、車のライトで照らし出され、綺麗な星は見えなくなることでしょう。なんだべねぇ(>_<)
その開通前日2月15日の様子を取り上げてみました。
西南西方向を見ています。写っているのは大谷海岸ICで今回開通する西側部分。起点となる仙台は陸橋の、跨道橋というらしい、左端辺り。でも石巻を経由するためもあるのか、左の山の裏側へ緩く曲がっています。
真ん中に見えるお宅の直ぐ右上に、民家が2軒在りましたが、インターの用地となり、移転。裏山の木々は切られ、山も削られました(>_<) そのため、風の丘の季節風はより一層強く....(>_<)
右手にフェンスが見えていますが、更に右側はインターがもっと見渡せる所なので進んでみます。
おおっとそのまえに、仙台方向の分流部、合流部を拡大。左右に見える照明灯は今夜も点いています。
1月に1週間余り試験点灯し、暫く消えていましたが、2月5日辺りから再度点灯。工事業者は、夜間に作業をするときは大きなぼんぼりを点けているので、作業用ではありません。
またまた試験点灯なのでしょうか。
変わったことといえば、右手に小さく見える黄色の柱からオレンジ(黄?)色のライトが点滅しているようで、真ん中に近い標識板の裏に反射して、灯りが見えていました。
このライトは、一般的にインター直前で、本線と分かれてランプへ下りる所に設置されている、あの点滅灯です。
この試験点灯なら、まあ100歩譲って理解も出来るのですが、開通していない部分の照明灯点灯は税金の無駄遣いといえます。
この照明灯点灯は、今回開通する津谷IC(気仙沼方面へのハーフ)、小泉海岸IC(仙台方面へのハーフ)、歌津ICの今回開通する気仙沼側でも見ました。
見てはいませんが、同時に開通する歌津北IC(仙台方面へのハーフ)でも点いていることでしょう。
1箇所8灯の、5箇所分の電気料金。そんなに試験点灯しなければならない、自信の無い製品が納入されているのでしょうか??
どこのメーカーでしょう(^_^;) 情報公開で調べられるかな(^_^)v それともお国の仕組みなのでしょうか??
おっと、道草が過ぎました(^_^;)
跨道橋が3本見えます。では次へ。
気仙沼の市街地方向です。こちらの照明灯8基は、11か月前、再度の試験点灯がありましたかねぇ...。チェック不足(>_<) 画面は左隣へ。
撮影している場所から向かい側まで細い道があり、その右側に3軒の民家が在りました。これも移転。風の丘では計5軒がここを離れました(>_<) 民家の風除けになっていた木々は切られ、細い道や山、民家の敷地も削られ...(>_<)
細い道の先には最奥の民家が在り、生活道を切り取られ、代替道を作って頂きましたが、風の丘の班ではなくなりました(>_<)
「コミュニティ 壊して進む 三陸道」。ほーんと、御粗末m(_ _)m どっちも(^_^;)
更に左です。手前にインターへ下るランプが見えますが、気になっていることが...。でも、あとで。さあ、なんでしょうか??(^_^;)
更に左です。インターの中心部です。凡そ西南西方向です。左手に見える緑の表示から左へ進んだ所で、国道45号に繋がります。
インター中央部の拡大です。本線車道の舗装は、なんか色が違っています。暫くアスファルト舗装のクサーイ臭いが漂っていました。舗装は施工時期がちょっとだけ違うだけですが。
でも、よーく見ると粉を塗したみたい(^_^;) ひょっとしたら、過日の夜に行われた、夜間の標識設置工事で大粉塵が舞ったのですが、そういうやつの名残なのかも!?? そういえば昼間はガードレール設置の工事でも、多くの粉塵が出ていましたよ。
左に在る緑色の看板裏手から本線に登るランプも、粉を塗したみたい(>_<)
本線の向こう側は、それらの工事が終わって、最後に仕上げのアスファルト舗装をしたのかな。
近づいて確認したいけど....、監視カメラ(中央やや左の柱の上)で見つかりそう(^_^;)
先程気になるとした部分の拡大です。気仙沼市街地方面から大谷海岸ICへ下りるランプです。
右下から左上の「止まれ」まで、くすんだ小豆色の、やや幅広い線が路面に数多く描かれています。
この上を、スピードを緩めないで走ると、「ドドドド....」と車は振動を伴って車内に大きな連続音が。スピードを緩めても五月蠅い(>_<)
そう、「減速しなさい」という親切な仕組みなのでしようけれど、直ぐ近くの家にまで振動と騒音が響きます。特に大型車は大変(>_<)
まあ大谷海岸IC以西(広く見れば以南)が開通することで、ここから降りる車は少なくなりますがねぇ。
今回、同時に開通する小泉海岸ICを下り、小泉海岸へ国道を下ると緩くカーブとなりますが、ここの国道にはずーっと以前から、この五月蠅い仕組みが在りました。
直ぐ近くに民家が複数在り、夜はとても五月蠅かったことでしょう。
高速道開通でこの国道を通る車は減り、深夜の騒音が解消されそうですが、今度は高速道からの騒音が取って代わることでしょう(>_<)
マスコミでは「いよいよ希望の道が開通します」等と伝えていますが、本当に近い沿線に住む人々の声は取り上げられていません。
工事発注の国、受注の工事業者、行政に乗せられて旗を振っていたおばちゃん達は、私たちの迷惑は分からないのでしょうね(>_<)
インター北側は、ヨコミーが属する日門区の第3班、10戸近くの家々が在ります。
昼間は良しとしても、深夜の騒音はご遠慮したいモノ(>_<)
左奥に見えていた跨道橋付近の拡大です。左側の丘に1軒、右側2枚の標識板に接するようにもう1軒。
写っているのは2軒だけですが、左にはこのシリーズの前回にお知らせした複数の家が、右奥に在るお宅の向かいにも家々が在ります。
以前、国交省主催の会議が有り、防音壁を作る等の騒音対策についてお聞きしたら、開通後に測定して対策しますとのこと。
まあそれまで我慢せい!!!!!!!!!!ということらしい。でも、それでは周辺住民の迷惑は続くことに成り、住民無視もいいところ(>_<)
お役所では良ーく、「類似都市」という言葉を使いますが、日本国内に延々とある高速道や数多くあるインターを見れば、騒音量は凡その程度は分かるのが常識かと(*^_^*)
また、パソコンでシミュレーションしても良いでしょう。あとは各家の造りを勘案すれば、やる気があるのなら開通前に、簡単に騒音対策は出来るかと。
まあ、風の丘への、国道からの出入口工事と同様、昨春の部分開通から半年以上も過ぎて完成する流れを見れば、やる気があるのか無いのかは自ずと知れたこと(>_<)
何かの公共工事が進められようとしている地域の皆さん、または既に始まってしまった所の皆さん、十分に注視し、今の環境を守ってください。
行政や促進団体はアテになりませんよ(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
仙台から三陸沿岸を経て青森県へ至る三陸道は、東日本大震災後は復旧復興工事に位置づけられて、それからは工事に拍車が掛かり、気仙沼市内でも既に一部が開通していましたが、いよいよ明日2月16日、大谷海岸ICから本吉の津谷IC間が開通することとなりました。
ほんと、「いよいよ」です。風の丘は、ハイウェイを走り抜ける車の騒音が一段と高くなり、星が綺麗な丘でもあったこの地は、車のライトで照らし出され、綺麗な星は見えなくなることでしょう。なんだべねぇ(>_<)
その開通前日2月15日の様子を取り上げてみました。
西南西方向を見ています。写っているのは大谷海岸ICで今回開通する西側部分。起点となる仙台は陸橋の、跨道橋というらしい、左端辺り。でも石巻を経由するためもあるのか、左の山の裏側へ緩く曲がっています。
真ん中に見えるお宅の直ぐ右上に、民家が2軒在りましたが、インターの用地となり、移転。裏山の木々は切られ、山も削られました(>_<) そのため、風の丘の季節風はより一層強く....(>_<)
右手にフェンスが見えていますが、更に右側はインターがもっと見渡せる所なので進んでみます。
おおっとそのまえに、仙台方向の分流部、合流部を拡大。左右に見える照明灯は今夜も点いています。
1月に1週間余り試験点灯し、暫く消えていましたが、2月5日辺りから再度点灯。工事業者は、夜間に作業をするときは大きなぼんぼりを点けているので、作業用ではありません。
またまた試験点灯なのでしょうか。
変わったことといえば、右手に小さく見える黄色の柱からオレンジ(黄?)色のライトが点滅しているようで、真ん中に近い標識板の裏に反射して、灯りが見えていました。
このライトは、一般的にインター直前で、本線と分かれてランプへ下りる所に設置されている、あの点滅灯です。
この試験点灯なら、まあ100歩譲って理解も出来るのですが、開通していない部分の照明灯点灯は税金の無駄遣いといえます。
この照明灯点灯は、今回開通する津谷IC(気仙沼方面へのハーフ)、小泉海岸IC(仙台方面へのハーフ)、歌津ICの今回開通する気仙沼側でも見ました。
見てはいませんが、同時に開通する歌津北IC(仙台方面へのハーフ)でも点いていることでしょう。
1箇所8灯の、5箇所分の電気料金。そんなに試験点灯しなければならない、自信の無い製品が納入されているのでしょうか??
どこのメーカーでしょう(^_^;) 情報公開で調べられるかな(^_^)v それともお国の仕組みなのでしょうか??
おっと、道草が過ぎました(^_^;)
跨道橋が3本見えます。では次へ。
気仙沼の市街地方向です。こちらの照明灯8基は、11か月前、再度の試験点灯がありましたかねぇ...。チェック不足(>_<) 画面は左隣へ。
撮影している場所から向かい側まで細い道があり、その右側に3軒の民家が在りました。これも移転。風の丘では計5軒がここを離れました(>_<) 民家の風除けになっていた木々は切られ、細い道や山、民家の敷地も削られ...(>_<)
細い道の先には最奥の民家が在り、生活道を切り取られ、代替道を作って頂きましたが、風の丘の班ではなくなりました(>_<)
「コミュニティ 壊して進む 三陸道」。ほーんと、御粗末m(_ _)m どっちも(^_^;)
更に左です。手前にインターへ下るランプが見えますが、気になっていることが...。でも、あとで。さあ、なんでしょうか??(^_^;)
更に左です。インターの中心部です。凡そ西南西方向です。左手に見える緑の表示から左へ進んだ所で、国道45号に繋がります。
インター中央部の拡大です。本線車道の舗装は、なんか色が違っています。暫くアスファルト舗装のクサーイ臭いが漂っていました。舗装は施工時期がちょっとだけ違うだけですが。
でも、よーく見ると粉を塗したみたい(^_^;) ひょっとしたら、過日の夜に行われた、夜間の標識設置工事で大粉塵が舞ったのですが、そういうやつの名残なのかも!?? そういえば昼間はガードレール設置の工事でも、多くの粉塵が出ていましたよ。
左に在る緑色の看板裏手から本線に登るランプも、粉を塗したみたい(>_<)
本線の向こう側は、それらの工事が終わって、最後に仕上げのアスファルト舗装をしたのかな。
近づいて確認したいけど....、監視カメラ(中央やや左の柱の上)で見つかりそう(^_^;)
先程気になるとした部分の拡大です。気仙沼市街地方面から大谷海岸ICへ下りるランプです。
右下から左上の「止まれ」まで、くすんだ小豆色の、やや幅広い線が路面に数多く描かれています。
この上を、スピードを緩めないで走ると、「ドドドド....」と車は振動を伴って車内に大きな連続音が。スピードを緩めても五月蠅い(>_<)
そう、「減速しなさい」という親切な仕組みなのでしようけれど、直ぐ近くの家にまで振動と騒音が響きます。特に大型車は大変(>_<)
まあ大谷海岸IC以西(広く見れば以南)が開通することで、ここから降りる車は少なくなりますがねぇ。
今回、同時に開通する小泉海岸ICを下り、小泉海岸へ国道を下ると緩くカーブとなりますが、ここの国道にはずーっと以前から、この五月蠅い仕組みが在りました。
直ぐ近くに民家が複数在り、夜はとても五月蠅かったことでしょう。
高速道開通でこの国道を通る車は減り、深夜の騒音が解消されそうですが、今度は高速道からの騒音が取って代わることでしょう(>_<)
マスコミでは「いよいよ希望の道が開通します」等と伝えていますが、本当に近い沿線に住む人々の声は取り上げられていません。
工事発注の国、受注の工事業者、行政に乗せられて旗を振っていたおばちゃん達は、私たちの迷惑は分からないのでしょうね(>_<)
インター北側は、ヨコミーが属する日門区の第3班、10戸近くの家々が在ります。
昼間は良しとしても、深夜の騒音はご遠慮したいモノ(>_<)
左奥に見えていた跨道橋付近の拡大です。左側の丘に1軒、右側2枚の標識板に接するようにもう1軒。
写っているのは2軒だけですが、左にはこのシリーズの前回にお知らせした複数の家が、右奥に在るお宅の向かいにも家々が在ります。
以前、国交省主催の会議が有り、防音壁を作る等の騒音対策についてお聞きしたら、開通後に測定して対策しますとのこと。
まあそれまで我慢せい!!!!!!!!!!ということらしい。でも、それでは周辺住民の迷惑は続くことに成り、住民無視もいいところ(>_<)
お役所では良ーく、「類似都市」という言葉を使いますが、日本国内に延々とある高速道や数多くあるインターを見れば、騒音量は凡その程度は分かるのが常識かと(*^_^*)
また、パソコンでシミュレーションしても良いでしょう。あとは各家の造りを勘案すれば、やる気があるのなら開通前に、簡単に騒音対策は出来るかと。
まあ、風の丘への、国道からの出入口工事と同様、昨春の部分開通から半年以上も過ぎて完成する流れを見れば、やる気があるのか無いのかは自ずと知れたこと(>_<)
何かの公共工事が進められようとしている地域の皆さん、または既に始まってしまった所の皆さん、十分に注視し、今の環境を守ってください。
行政や促進団体はアテになりませんよ(^_^)v
三陸道津谷・大谷間開通間近 地域危険箇所点検編 20190113 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
いつの間にか強い風のシーズンとなったようで、2月4日は大変な風に迷惑しました(>_<)
そうでなくてもここは大凡西寄りの風が多く、風上となる三陸道の工事現場からは、ここ1か月ほど、臭いアスファルトの臭いが流れてきます。
保健所はこんな時に機能しているのでしょうか?? それとも公共事業は対象外???(^_^;)
大谷海岸IC付近の三陸道は、東日本大震災前から工事が進められていて、震災後、震災復旧工事の一環となり工事に拍車が掛かりました。
気仙沼中央ICから大谷海岸IC間は昨春開通済み。その11か月後の今年2月16日、大谷海岸から本吉津谷IC間が開通する予定で、多くは土曜日や日曜日も、時には本線や風の丘西側のランプまで通行止めして、深夜に工事をしています。
それにしてもこの三陸道工事は、周辺に迷惑を掛けるのに、地域とのやりとりが不足していると思います。当初は具体像が描けませんでした。当初の説明会では資料も無く、その後にそんなチラシも来ないし。
いつぞやは、国道に掲げられていた工事説明の看板地図に、地域の自治会長も聞かされていない新道が描かれていました。
通行規制を伴う工事等のチラシは来るものの、それがどれほど大きな騒音で、粉塵をいつ頃に出すとかの説明はありません。現場は生きているのでしょうけれど、いつの真夜中とか予定でも知りたかった。
今後、公共工事が予定されている地域の皆さんは、十分に注意してください。帰宅したら車のフロントガラスに土埃が溜まっていたり、深夜まで凄い騒音や空気振動に悩まされるかも知れません。
工事が終わったら危険箇所が出来るかも!! こちらは出来ていました(>_<)
分からないことは具体的に描けるまで徹底的に聞き、地域が公共工事の被害に遭わないよう、カイゼンを存分にお願いしましょう(^_^)v
遅まきながら風の丘でも取り組んでいて、近々危険や不便な箇所の点検を行うこととしています。
とりあえずヨコミーが、その事前調査に出掛けました。まっ、ぶらりカメラ散歩(^_^;) 1月13日、3連休中日のことです。
風の丘の市道を北に進んで下り、本線下の隧道(トンネル)を潜って側道を西進。インター中心やや西に、既に在った生活道の代替として出来た隧道を潜ります(^_^)v
元々はここに生活道が在ったのです。それを高速道路がやって来て...。日門(ひかど)地区3班の皆様方も苦労しました。工事車両の頻繁な通行、騒音、粉塵。更には迂回路を切り替えられて、変な道になったり...。今でもその影響が在ります。
市民の推進団体として、まっ、ヨコミーに言わせれば行政の傀儡というか官製談合モノの団体ですが、推進の旗を振って頂いたおかげが、この結果です。
私たちは、そんな方々からも見捨てられたのでしょうか。いつかお会いしたら、詰ってやりましょう(^_^;)
関わったどっかのオバチャンや皆さん、半端な仕事はしないようにしましょう(^_^)v
隧道を抜けました。
奥の丘の裏は太平洋。丘の手前に白く横に伸びているのが国道の擁壁で、その下に45号が通っています。中央付近がインターへの出入口となる交差点。
東日本大震災による大津波はその丘の両側から押し寄せ、国道を乗り越え、こちら側までやって来たのです。
なのに国道は殆ど嵩上げせず、もちろん海側には防潮堤も全く作らず、ここで高速道と国道を結んでしまいました。多分、震災前の当初計画の通りかと。
あの、大津波の被害が活かされていない....。ヨコミーは残念です(>_<)
あっ、議事進行(^_^;)
隧道を出て右手を見たら、工事に使った所なのでしょうけれど、立入禁止となっています。
ちょっとだけ先の左手を見たら、なんと新たな道が在りました。
以前、この辺は散歩コースでしたが、工事車両が土煙を上げで頻繁に通うので、暫く敬遠していました。
幸いにここは立入禁止にはなっていないので、登ってみましょう(^_^)v
直ぐ左へ曲がり、正面上に本線の上り車線(路肩)が見えてきました。
その左続きです。形は出来ていますね。
法面の色が変わった所は、草の種でも吹き付けたのでしょうか。
反対側を見てみました。
左の本線は気仙沼中央ICを目指して伸びています。奥に見えている、こちらへ下る道は、本線の上り車線から国道へ下りるランプ。
気仙沼へ向かう本線の下り車線へは、中央付近の交差部から本線下の隧道を通って行きます。隧道を作ったばかりの頃は、暫く広く水が溜まっていて、釣り堀にでもしたいくらいでした(^_^;)
今歩いている道(上り車線へ向かうランプ)を更に登り、振り返ってパチリ。
生活道(市道)の隧道を出て登り始めた所は、中央やや右下。
奥に見えているのは風の丘の家々。
右続きです。左やや上に、高速を下りて国道の信号待ちで止まっている車が見えます。
どうですか? 風の丘は陽当たり良好、風当たりは最上級(>_<) 高速からの騒音もばっちりです(T_T)
そろそろ上り車線と合流しそうですが、まだまだ(>_<) 疲れます(^_^;) 因みに、吹いているのは冷たい海風。
本線上に、お休み中の工事車両が見えてきました。ローラー、伸すやつです。左が仙台方向。
そこから気仙沼側を振り返ってみました。板が斜めに続いているのが本線です。
右奥、遠くにちょっとだけ見える山が、気仙沼の大島に在る亀山です。
上り車線へ乗るランプを歩いていまする。ようやく合流部です。右が本線車道。
ここから右へ横断します(^_^)v
写真右外側から上り車線を越え、下り車線の上から気仙沼中央へ向かう本線をパチリ。
左上は日門地区3班の家々。開通の前は工事の騒音粉塵他で、開通後は車両走行音で悩まされ続けることでしょう。右手の風の丘も同様。
行政や業界の手先となって旗を振った方々、あなた方はこのようなご迷惑を望んでいたのでしょうか。違うのなら、もっとしっかりとやってください(>_<)
それが「既に見捨てたのさ」と言われたら、さあ大変(^_^;) いまからでもムシロを編み、旗揚げしましょう(^_^)v
なぁーんてやっていると、そのうち「国家反逆罪」で掴まってしまう、そんな「美しい国」の世の中になるかも知れませんよ(^_^;)
そちらの方にも、皆さん注意を背けないでおきましょうね(^_^)v
つづく予定(^_^;)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
いつの間にか強い風のシーズンとなったようで、2月4日は大変な風に迷惑しました(>_<)
そうでなくてもここは大凡西寄りの風が多く、風上となる三陸道の工事現場からは、ここ1か月ほど、臭いアスファルトの臭いが流れてきます。
保健所はこんな時に機能しているのでしょうか?? それとも公共事業は対象外???(^_^;)
大谷海岸IC付近の三陸道は、東日本大震災前から工事が進められていて、震災後、震災復旧工事の一環となり工事に拍車が掛かりました。
気仙沼中央ICから大谷海岸IC間は昨春開通済み。その11か月後の今年2月16日、大谷海岸から本吉津谷IC間が開通する予定で、多くは土曜日や日曜日も、時には本線や風の丘西側のランプまで通行止めして、深夜に工事をしています。
それにしてもこの三陸道工事は、周辺に迷惑を掛けるのに、地域とのやりとりが不足していると思います。当初は具体像が描けませんでした。当初の説明会では資料も無く、その後にそんなチラシも来ないし。
いつぞやは、国道に掲げられていた工事説明の看板地図に、地域の自治会長も聞かされていない新道が描かれていました。
通行規制を伴う工事等のチラシは来るものの、それがどれほど大きな騒音で、粉塵をいつ頃に出すとかの説明はありません。現場は生きているのでしょうけれど、いつの真夜中とか予定でも知りたかった。
今後、公共工事が予定されている地域の皆さんは、十分に注意してください。帰宅したら車のフロントガラスに土埃が溜まっていたり、深夜まで凄い騒音や空気振動に悩まされるかも知れません。
工事が終わったら危険箇所が出来るかも!! こちらは出来ていました(>_<)
分からないことは具体的に描けるまで徹底的に聞き、地域が公共工事の被害に遭わないよう、カイゼンを存分にお願いしましょう(^_^)v
遅まきながら風の丘でも取り組んでいて、近々危険や不便な箇所の点検を行うこととしています。
とりあえずヨコミーが、その事前調査に出掛けました。まっ、ぶらりカメラ散歩(^_^;) 1月13日、3連休中日のことです。
風の丘の市道を北に進んで下り、本線下の隧道(トンネル)を潜って側道を西進。インター中心やや西に、既に在った生活道の代替として出来た隧道を潜ります(^_^)v
元々はここに生活道が在ったのです。それを高速道路がやって来て...。日門(ひかど)地区3班の皆様方も苦労しました。工事車両の頻繁な通行、騒音、粉塵。更には迂回路を切り替えられて、変な道になったり...。今でもその影響が在ります。
市民の推進団体として、まっ、ヨコミーに言わせれば行政の傀儡というか官製談合モノの団体ですが、推進の旗を振って頂いたおかげが、この結果です。
私たちは、そんな方々からも見捨てられたのでしょうか。いつかお会いしたら、詰ってやりましょう(^_^;)
関わったどっかのオバチャンや皆さん、半端な仕事はしないようにしましょう(^_^)v
隧道を抜けました。
奥の丘の裏は太平洋。丘の手前に白く横に伸びているのが国道の擁壁で、その下に45号が通っています。中央付近がインターへの出入口となる交差点。
東日本大震災による大津波はその丘の両側から押し寄せ、国道を乗り越え、こちら側までやって来たのです。
なのに国道は殆ど嵩上げせず、もちろん海側には防潮堤も全く作らず、ここで高速道と国道を結んでしまいました。多分、震災前の当初計画の通りかと。
あの、大津波の被害が活かされていない....。ヨコミーは残念です(>_<)
あっ、議事進行(^_^;)
隧道を出て右手を見たら、工事に使った所なのでしょうけれど、立入禁止となっています。
ちょっとだけ先の左手を見たら、なんと新たな道が在りました。
以前、この辺は散歩コースでしたが、工事車両が土煙を上げで頻繁に通うので、暫く敬遠していました。
幸いにここは立入禁止にはなっていないので、登ってみましょう(^_^)v
直ぐ左へ曲がり、正面上に本線の上り車線(路肩)が見えてきました。
その左続きです。形は出来ていますね。
法面の色が変わった所は、草の種でも吹き付けたのでしょうか。
反対側を見てみました。
左の本線は気仙沼中央ICを目指して伸びています。奥に見えている、こちらへ下る道は、本線の上り車線から国道へ下りるランプ。
気仙沼へ向かう本線の下り車線へは、中央付近の交差部から本線下の隧道を通って行きます。隧道を作ったばかりの頃は、暫く広く水が溜まっていて、釣り堀にでもしたいくらいでした(^_^;)
今歩いている道(上り車線へ向かうランプ)を更に登り、振り返ってパチリ。
生活道(市道)の隧道を出て登り始めた所は、中央やや右下。
奥に見えているのは風の丘の家々。
右続きです。左やや上に、高速を下りて国道の信号待ちで止まっている車が見えます。
どうですか? 風の丘は陽当たり良好、風当たりは最上級(>_<) 高速からの騒音もばっちりです(T_T)
そろそろ上り車線と合流しそうですが、まだまだ(>_<) 疲れます(^_^;) 因みに、吹いているのは冷たい海風。
本線上に、お休み中の工事車両が見えてきました。ローラー、伸すやつです。左が仙台方向。
そこから気仙沼側を振り返ってみました。板が斜めに続いているのが本線です。
右奥、遠くにちょっとだけ見える山が、気仙沼の大島に在る亀山です。
上り車線へ乗るランプを歩いていまする。ようやく合流部です。右が本線車道。
ここから右へ横断します(^_^)v
写真右外側から上り車線を越え、下り車線の上から気仙沼中央へ向かう本線をパチリ。
左上は日門地区3班の家々。開通の前は工事の騒音粉塵他で、開通後は車両走行音で悩まされ続けることでしょう。右手の風の丘も同様。
行政や業界の手先となって旗を振った方々、あなた方はこのようなご迷惑を望んでいたのでしょうか。違うのなら、もっとしっかりとやってください(>_<)
それが「既に見捨てたのさ」と言われたら、さあ大変(^_^;) いまからでもムシロを編み、旗揚げしましょう(^_^)v
なぁーんてやっていると、そのうち「国家反逆罪」で掴まってしまう、そんな「美しい国」の世の中になるかも知れませんよ(^_^;)
そちらの方にも、皆さん注意を背けないでおきましょうね(^_^)v
つづく予定(^_^;)
西日本豪雨災害を垣間見て...広島 20180725 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日7月30日も霧や霧雨でした。
最高気温は前日と同じ25℃台。でも湿気が多く、蒸し暑いのです。
車で走ると風が入りそうなものですが、今の車は単に窓を開けても気持ち良い程の風は入ってきません。なんでなのでしょうね????
なので、右の掌を窓からちょっとだけ出し、風の流れを頂くと、これが結構涼しいのです(^_^)v
今日なんか凄い湿気でしたが、走っている内は気持ち良かったです。
その昔、運転席と助手席の窓ガラスは、前方が小さな三角形に分割された車が在りました。
その三角窓を水平に回転させて外に出し、それで流れる風を取り込んでいました。ヨコミー残念ながらその手の車は運転したことがありません。幼かったので(^_^;)
さて、だいぶお休みを頂戴してしまいました。すみませんm(_ _)m
実は京都と広島へ行って来ました。京都は一昨年、祇園祭で左肩を痛め、大変な思いをしたので、そのリベンジとして計画していました。
それが今月上旬、西日本は豪雨に見舞われ、各地で大きな災害に....(>_<)
ヨコミーお知り合いも災害で苦慮しているところでしたので、ちょっとだけ顔出しをしてきました。
山陽自動車道の尾道インターで下り、山の中を通って三原港に着きました。
途中、メーカー品のガソリンが安く買え、ヨコミーはニコニコ(^_^;)
ここから本郷インターへ向かいます。
間もなく川が見えてきました。手前の明るい所は乾いた土か細かい砂。対岸を見ると、増水時は結構高い水位だったと思われます。
水没した家財道具が、歩道に出ていました。こういう品々が他の場所にもあり、行政による回収はまだ終わっていないようです。大量なんで、処理しきれないのでしょう。
山陽新幹線と在来線が交わる所。
右下に「給水ご自由に」と看板が出ています。井戸水なのでしょうか。
そういえば25日現在、この地域はまだ断水が続いていたのでした。少し手前には給水車が停まっていました。
もうじき20日間になるところでしたが、今現在は...???
左下を見ると、変なフェンスが....。その左側は川です。
フェンスには枯れ草がびっしりと....(>_<)
ずーーっと続いています。
フェンスにはツタ類が絡むことはあるのですが、中程の状況からして、上流から大雨と共に流れてきた多くの草が、川が氾濫する際、フェンスが茶こし(フィルター)のような役目をし、多くの草が引っかかったようです。
川の反対側を見れば、道路端や歩道、更には下の農地にまで乾いた土(泥?)が見えます。
中央や左端は、掻き出した土砂を入れた袋でしょうか。
右奥は山陽自動車道。
川の上流方向は通行止め。まあインターは左なので助かりました。
下流方向。川原はこんな感じ。上流から流されてきた、根が付いたままの木々。
本郷で高速に乗り、高屋インターで東広島呉道路に乗り換え、着いたのが呉市の阿賀インター。
途中の路面に、小さな土石流が流れた跡が何カ所か見ることが出来ました。山から流れてきた土砂や水が、高速道路の路面を流れていったようです。場所によっては路肩にも影響したのでしょうけれど、通れるようにして頂き、助かります。
出来れば写真を撮りたかったのですが、走りながら近場を撮影することはとても難しく....(>_<)
早くも帰路となりましたので、途中、呉市の山手と思われる辺りでパチリ。
奥の山で、何カ所か山肌が見えている所があります。いずれも急な斜面。沢??
いつのものかは分かりませんが、こんな所は注意が必要です。
ヨコミー、出来れば災害ボランティアに行きたいのですが、身体が不適です(>_<)
一昨年3月に痛めた右肩は、市内最大の整形外科へ行き、レントゲン撮影1回、超音波で2回も診て頂いたのですが、「異常有りません」だと(>_<)
なんだべねぇ、異常無いのに2年4か月過ぎてもまだ痛く、真面な力仕事が出来ないのです。
あっ、やりたい力仕事ならぬ力遊びがあるのに、やれないで悶々しているヨコミーなのです。
ここの整形がヤブなのか、整形という診療科自体が技術の進歩からかけ離れているのか....(>_<)
話は変わりますが、相撲の稀勢の里は、怪我の回復が思わしくないようですね。
ヨコミーだって2年過ぎてもこの通り。ヨコミー、痛めているからって、安静にばかりしていられないのです。
痛くてもやらねばならない仕事もありました。
稀勢の里も同様でしょう。
相撲の「場所」は2か月毎かと。たった2か月という短い期間で、安静にして回復を図り、落ちた筋肉を鍛え直して次の場所に出場する....なんてことは、どだい無理な話かと。
相撲協会は、怪我した力士を3場所4場所でも休ませるような仕組み作りをしなければならないと思うのです(^_^)v
あっ、話は濁流に流されて土俵に着いちゃった(^_^;)
お後が宜しいようでm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日7月30日も霧や霧雨でした。
最高気温は前日と同じ25℃台。でも湿気が多く、蒸し暑いのです。
車で走ると風が入りそうなものですが、今の車は単に窓を開けても気持ち良い程の風は入ってきません。なんでなのでしょうね????
なので、右の掌を窓からちょっとだけ出し、風の流れを頂くと、これが結構涼しいのです(^_^)v
今日なんか凄い湿気でしたが、走っている内は気持ち良かったです。
その昔、運転席と助手席の窓ガラスは、前方が小さな三角形に分割された車が在りました。
その三角窓を水平に回転させて外に出し、それで流れる風を取り込んでいました。ヨコミー残念ながらその手の車は運転したことがありません。幼かったので(^_^;)
さて、だいぶお休みを頂戴してしまいました。すみませんm(_ _)m
実は京都と広島へ行って来ました。京都は一昨年、祇園祭で左肩を痛め、大変な思いをしたので、そのリベンジとして計画していました。
それが今月上旬、西日本は豪雨に見舞われ、各地で大きな災害に....(>_<)
ヨコミーお知り合いも災害で苦慮しているところでしたので、ちょっとだけ顔出しをしてきました。
山陽自動車道の尾道インターで下り、山の中を通って三原港に着きました。
途中、メーカー品のガソリンが安く買え、ヨコミーはニコニコ(^_^;)
ここから本郷インターへ向かいます。
間もなく川が見えてきました。手前の明るい所は乾いた土か細かい砂。対岸を見ると、増水時は結構高い水位だったと思われます。
水没した家財道具が、歩道に出ていました。こういう品々が他の場所にもあり、行政による回収はまだ終わっていないようです。大量なんで、処理しきれないのでしょう。
山陽新幹線と在来線が交わる所。
右下に「給水ご自由に」と看板が出ています。井戸水なのでしょうか。
そういえば25日現在、この地域はまだ断水が続いていたのでした。少し手前には給水車が停まっていました。
もうじき20日間になるところでしたが、今現在は...???
左下を見ると、変なフェンスが....。その左側は川です。
フェンスには枯れ草がびっしりと....(>_<)
ずーーっと続いています。
フェンスにはツタ類が絡むことはあるのですが、中程の状況からして、上流から大雨と共に流れてきた多くの草が、川が氾濫する際、フェンスが茶こし(フィルター)のような役目をし、多くの草が引っかかったようです。
川の反対側を見れば、道路端や歩道、更には下の農地にまで乾いた土(泥?)が見えます。
中央や左端は、掻き出した土砂を入れた袋でしょうか。
右奥は山陽自動車道。
川の上流方向は通行止め。まあインターは左なので助かりました。
下流方向。川原はこんな感じ。上流から流されてきた、根が付いたままの木々。
本郷で高速に乗り、高屋インターで東広島呉道路に乗り換え、着いたのが呉市の阿賀インター。
途中の路面に、小さな土石流が流れた跡が何カ所か見ることが出来ました。山から流れてきた土砂や水が、高速道路の路面を流れていったようです。場所によっては路肩にも影響したのでしょうけれど、通れるようにして頂き、助かります。
出来れば写真を撮りたかったのですが、走りながら近場を撮影することはとても難しく....(>_<)
早くも帰路となりましたので、途中、呉市の山手と思われる辺りでパチリ。
奥の山で、何カ所か山肌が見えている所があります。いずれも急な斜面。沢??
いつのものかは分かりませんが、こんな所は注意が必要です。
ヨコミー、出来れば災害ボランティアに行きたいのですが、身体が不適です(>_<)
一昨年3月に痛めた右肩は、市内最大の整形外科へ行き、レントゲン撮影1回、超音波で2回も診て頂いたのですが、「異常有りません」だと(>_<)
なんだべねぇ、異常無いのに2年4か月過ぎてもまだ痛く、真面な力仕事が出来ないのです。
あっ、やりたい力仕事ならぬ力遊びがあるのに、やれないで悶々しているヨコミーなのです。
ここの整形がヤブなのか、整形という診療科自体が技術の進歩からかけ離れているのか....(>_<)
話は変わりますが、相撲の稀勢の里は、怪我の回復が思わしくないようですね。
ヨコミーだって2年過ぎてもこの通り。ヨコミー、痛めているからって、安静にばかりしていられないのです。
痛くてもやらねばならない仕事もありました。
稀勢の里も同様でしょう。
相撲の「場所」は2か月毎かと。たった2か月という短い期間で、安静にして回復を図り、落ちた筋肉を鍛え直して次の場所に出場する....なんてことは、どだい無理な話かと。
相撲協会は、怪我した力士を3場所4場所でも休ませるような仕組み作りをしなければならないと思うのです(^_^)v
あっ、話は濁流に流されて土俵に着いちゃった(^_^;)
お後が宜しいようでm(_ _)m
石巻市立大川小学校 20180430 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日7月2日は、ここ5日間続いた猛暑の内、最高気温は最も高い33.0℃を記録しました。
東京や大阪、京都等と比べれば大したことはありませんが、三陸沿岸部では異常な高温でした。
まあただ、梅雨が明けたときのように、あのムッとした空気では無いのがまだ救い(>_<)
あっ、風邪の丘でした(^_^;)
この記事は完成間近でしたが、風邪もあって、なんと2週間も寝せてしまいました。ちょっと多忙だった為で、非熟成(>_<)
6月18日からの偏頭痛は、葛根湯や市販の総合感冒薬を飲み、ヨコミーとしては夜は早めに寝たのですが、深夜になっても偏頭痛は治らず、たまりかねて古い薬袋をガサゴソ。
いつか使わずに残っていた鎮痛剤のロキソニンを見つけ、お菓子などと共にゴクン。
薬が効いたようで、暫くしたらぐっすりと眠ることが出来ました。
朝目覚めたら頭痛は無いものの身体がだるく、午後半ばまで寝ていました。
余り長引かずに治り、助かりました(^_^)v
7年前、ヨコミーが東日本大震災による避難所を手伝っていた頃、遠くから何度も支援に来られていた五段さんが、4月末から気仙沼へ来られることとなり、被災地などあちこち案内していましたが、その紹介が初回だけで中断していました。すみません(>_<)
「総会屋」(^_^;)のヨコミー、まだ総会が1つ残っていますが、開催通知が一部出せず、相手待ちで作業が止まりましたので、五段さんと回った被災地の現況紹介を再開します。
4月30日、女川(おながわ)町を15時過ぎに発ち、とりあえず旧・雄勝(おがつ)町へ向かいました。
女川を出て間もなく、一瞬どこかの別荘かと思わせる建物が....。
なんと東北大学の研究施設でした。
雄勝までは結構な曲がりとアップダウン連続の道。ヨコミー、初めてです。
雄勝も湾奥に発達した町で、大津波で殆ど流されました。病院まで。
義弟がやっていた店の跡でも見たかったのですが、すっかりと変わり果て、撮影する気にもなれず、石巻市立大川小学校へ向かいました。合併前は河北町立大川小学校。
正しくは「旧」大川小学校は、避難していた地域の方々も含め、100名以上の犠牲者を出した所。
15時50分、大川小学校へ到着。
ぽつんと学校だけしか無かったように見えますが、周囲には民家が沢山有った様子が、展示してあった写真で分かります。
大川小学校の名前だけが大きく取り上げられていますが、いつか読売の県版にも出ていたように、この辺りを含めた釜屋という地区の悲劇でもありました。
どこにでもあることですが、公共施設としての小学校は地域の避難所にもなっていて、近隣の方々も避難していたと。
中央から右の開口部は、ガラスを多用した玄関でしょうか。
それにしても、左の円筒状の部分は何だったのでしょうか。ホール?
天窓が有るようにも見えますが、窓が少ない設計ですね。
玄関と思われる開口部の内側右壁には、校歌と思われるものが....。
右へ進みます。
昇降口でしょうか。その前に写真が展示してありました。
左下の写真では、学校の直ぐ傍まで家々が在ったことが分かります。
すぐ前にはベンチが設けられ、子等が談笑していたのでしょうね。
やや離れていますが、室内の様子もちょっと分かります。
校庭ですが、なんか違和感が.....。
これは昨年4月22日の撮影です。この日も、避難所を手伝ってくれた増山さんを案内してのこと。
上の写真と比べたら、この慰霊碑が無くなっていることが分かります。なんで??
グルッと見渡しても、見つけることは出来ませんでした(>_<)
でも、ほんと、なぜ?? 所詮よそ者のヨコミー、知る由も有りません。
ただ、左に見える天使のような像と、右隣に在る校門の門柱らしきものは、今でも校地に有ったような.....。
また写真が展示してありました。航空写真です。中央から左上が学校。
東西の北側には、こんなに家々が在ったのですね。
現況からは想像がつきません。
大津波は右に見える川を遡上(下から上へ)してきました。しかし、旧町内に住む方に聞けば、右に見える橋の桁に流された松林の木々が集まり、せき止められた大津波は学校の方へ溢れていったと。
屋体が在った所。左、2階の渡り廊下はねじれて倒れ....。
屋体はコンクリートの所だけ残った感じ。
右手のカラフルなやつは、野外集会施設の外壁を飾る子ども達の絵。
その前に2人が居て、何かを見ています。行ってみましょう。
写真が展示してありました。
「アメニモマケズ....」が悲しいです。
野外集会施設。
右下は、元々右手ステージの後に、多分反響板の役目を負った、曲線状のコンクリート壁が倒れたもの。
余所の所で似た作りのものがあったら、要注意です。鉄筋が入っていたのでしょうけれど....(>_<)
正面奥の、獣道みたいな山道は、毎年3月、4年生?が椎茸栽培の授業で入っていたという「裏山」。杉山です。左には小さな墓石みたいな石がいくつも。
この裏山に直ぐ逃げていれば....という話も聞きます。でも、登り口は良いとしても道は狭く険しそう。雨も降っていて、沢状の所に在る山道は水が集まって滑りそう。
右手の杉が生えていない所は、裏山の「脇山」とか。
でも、コンクリートの落石防護柵が見えますが.....。
どこかの写真に、斜面がコンクリートの枠(段?)で保護された様子が写っていましたね。土留め。
脇の山です。ここに逃げ込んでいれば.....という話もありました。以前は写真撮影で登っていたとか。先生かな? 子ども達は授業の写生で登っていたのでしょうか?
でも、これって単なる山ではありませんよね。擁壁。
過去に土砂崩れが有ったり、その危険性が有って斜面をコンクリートで補強し、雨水が染み込まないように集めて排水する側溝(右の斜め)まで作ったようです。
あの大地震で大きく揺れ、ひび割れが出来ていないとか安全も確認せずに、100人以上もの人の重さを乗せるのは、ヨコミーには躊躇いがあります。
脇山を西側から。下には落石防護柵が設けられています。施工はここまで。
少し離れてみました。中央のコンクリートが脇山の落石防護柵。一帯は平です。
写真説明によれば、学校の教職員子どもたち、地域の人たちは学校を離れ、右手に進みました。進むまでに長い協議の時間が有ったと。これは残念です。
ただ、避難所からの『避難』というのは、それまでの考えでは本当に希かと。なので見落とされてしまう....(>_<)
岩手沿岸部で、あのとき、最寄りの避難所ではなく、より高い所を目指したことで、子ども達が全員助かった小学校がありましたね。確かこのとき、最寄りの避難所は被災したはず(>_<)
両者は条件が違うので、安易に比べることは出来ませんが、避難のあり方、学校のあり方、避難所のあり方を、今一度、早急に見直すことが必要と思うのです。
脇山西側に在る山の下を更に右へ進み....
一同は西へ進み、中央のやや小高い、交差点付近を目指していて、この辺で被災したようです。
3mも高いでしょうか。でも、堤防を走る道路や橋(写真右手外)と同じ高さ。
見れば右手の木陰に何か見えます。
いろんな石碑と観音様(かな)。
右手前の石像と左手前の石碑は対のものと思われ、大川地区で亡くなられた418名の精霊を供養する石碑でした。
他に湯殿山や庚申信仰の石碑、地域の生活を支えた魚介類や鳥獣の霊供養塔等々もあり、一帯は地区の聖なる場所みたいでした。
次はこの裏手に回ってみます。
橋の袂です。橋は凡そ北西方向に架かっています。川上は左奥。
カメラを左に振ってみます。
左隣です。交差点の中。
左手を向こうに延びる道は、北上川に沿って上流に伸びています。
更に左です。交差点の端。
更に左隣です。左下(手前)にちょっとだけ見える土地は、ほぼ学校と同じ高さかと。
擁壁に続く山。1枚上の写真で「左下(手前)にちょっとだけ見える土地」とした場所は、写真下の右、明るい緑で、とんがっているように写っている所。
この辺りは超広角レンズなら1枚でカバーできるのですが、古い安物の超広角レンズは、カメラを認識しなくなりました(>_<)
新品に買い換える予算は無く、使う頻度と修理費用を天秤に掛けても良いのですが、修理せずに我慢していました(T_T)
でも、こんな時に使いたいのですよね....(^_^;)
更に左隣です。やや高台から見下ろした大川小学校です。
更に左隣です。
中央奥に在る電柱に重なっている川は、北上川とは別な小さな川。
左に在る赤い車の上に2本の堤防が見えますが、その上に薄く左右に伸びているのが北上川。
拡大してみました。
右に広く見えるのが、手前を流れる小さな川。
赤い車の上、白い4つの構造物下に見えるのが北上川。構造物は対岸の水門らしいです。
因みに山の向こうは、大凡、南三陸町です。
時間も時間なので、そろそろ出発です(^_^)v
小さな川と北上川の間からの撮影です。左が北上川です。右手、柵の向こうに見える駐車場に赤い車が在りました。
河口は、中央やや右、黒っぽく丸い山の裏、ずーっと先。
海が、河口が学校からは見えない大川小学校。でも校歌には海の記述が有りました。
北上川に架かる橋を渡り終えてからパチリ。中央やや左にちょっとだけ頭を出しているのが大川小学校。
上の写真を撮影した所から3分車を飛ばした所でパチリ。
左奥にようやく河口らしきものが見えてきました。未だ遠いのです。
でも、大津波はやって来たのです(>_<)
次は海岸伝いに南三陸町へ向かいます。
つづく。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日7月2日は、ここ5日間続いた猛暑の内、最高気温は最も高い33.0℃を記録しました。
東京や大阪、京都等と比べれば大したことはありませんが、三陸沿岸部では異常な高温でした。
まあただ、梅雨が明けたときのように、あのムッとした空気では無いのがまだ救い(>_<)
あっ、風邪の丘でした(^_^;)
この記事は完成間近でしたが、風邪もあって、なんと2週間も寝せてしまいました。ちょっと多忙だった為で、非熟成(>_<)
6月18日からの偏頭痛は、葛根湯や市販の総合感冒薬を飲み、ヨコミーとしては夜は早めに寝たのですが、深夜になっても偏頭痛は治らず、たまりかねて古い薬袋をガサゴソ。
いつか使わずに残っていた鎮痛剤のロキソニンを見つけ、お菓子などと共にゴクン。
薬が効いたようで、暫くしたらぐっすりと眠ることが出来ました。
朝目覚めたら頭痛は無いものの身体がだるく、午後半ばまで寝ていました。
余り長引かずに治り、助かりました(^_^)v
7年前、ヨコミーが東日本大震災による避難所を手伝っていた頃、遠くから何度も支援に来られていた五段さんが、4月末から気仙沼へ来られることとなり、被災地などあちこち案内していましたが、その紹介が初回だけで中断していました。すみません(>_<)
「総会屋」(^_^;)のヨコミー、まだ総会が1つ残っていますが、開催通知が一部出せず、相手待ちで作業が止まりましたので、五段さんと回った被災地の現況紹介を再開します。
4月30日、女川(おながわ)町を15時過ぎに発ち、とりあえず旧・雄勝(おがつ)町へ向かいました。
女川を出て間もなく、一瞬どこかの別荘かと思わせる建物が....。
なんと東北大学の研究施設でした。
雄勝までは結構な曲がりとアップダウン連続の道。ヨコミー、初めてです。
雄勝も湾奥に発達した町で、大津波で殆ど流されました。病院まで。
義弟がやっていた店の跡でも見たかったのですが、すっかりと変わり果て、撮影する気にもなれず、石巻市立大川小学校へ向かいました。合併前は河北町立大川小学校。
正しくは「旧」大川小学校は、避難していた地域の方々も含め、100名以上の犠牲者を出した所。
15時50分、大川小学校へ到着。
ぽつんと学校だけしか無かったように見えますが、周囲には民家が沢山有った様子が、展示してあった写真で分かります。
大川小学校の名前だけが大きく取り上げられていますが、いつか読売の県版にも出ていたように、この辺りを含めた釜屋という地区の悲劇でもありました。
どこにでもあることですが、公共施設としての小学校は地域の避難所にもなっていて、近隣の方々も避難していたと。
中央から右の開口部は、ガラスを多用した玄関でしょうか。
それにしても、左の円筒状の部分は何だったのでしょうか。ホール?
天窓が有るようにも見えますが、窓が少ない設計ですね。
玄関と思われる開口部の内側右壁には、校歌と思われるものが....。
右へ進みます。
昇降口でしょうか。その前に写真が展示してありました。
左下の写真では、学校の直ぐ傍まで家々が在ったことが分かります。
すぐ前にはベンチが設けられ、子等が談笑していたのでしょうね。
やや離れていますが、室内の様子もちょっと分かります。
校庭ですが、なんか違和感が.....。
これは昨年4月22日の撮影です。この日も、避難所を手伝ってくれた増山さんを案内してのこと。
上の写真と比べたら、この慰霊碑が無くなっていることが分かります。なんで??
グルッと見渡しても、見つけることは出来ませんでした(>_<)
でも、ほんと、なぜ?? 所詮よそ者のヨコミー、知る由も有りません。
ただ、左に見える天使のような像と、右隣に在る校門の門柱らしきものは、今でも校地に有ったような.....。
また写真が展示してありました。航空写真です。中央から左上が学校。
東西の北側には、こんなに家々が在ったのですね。
現況からは想像がつきません。
大津波は右に見える川を遡上(下から上へ)してきました。しかし、旧町内に住む方に聞けば、右に見える橋の桁に流された松林の木々が集まり、せき止められた大津波は学校の方へ溢れていったと。
屋体が在った所。左、2階の渡り廊下はねじれて倒れ....。
屋体はコンクリートの所だけ残った感じ。
右手のカラフルなやつは、野外集会施設の外壁を飾る子ども達の絵。
その前に2人が居て、何かを見ています。行ってみましょう。
写真が展示してありました。
「アメニモマケズ....」が悲しいです。
野外集会施設。
右下は、元々右手ステージの後に、多分反響板の役目を負った、曲線状のコンクリート壁が倒れたもの。
余所の所で似た作りのものがあったら、要注意です。鉄筋が入っていたのでしょうけれど....(>_<)
正面奥の、獣道みたいな山道は、毎年3月、4年生?が椎茸栽培の授業で入っていたという「裏山」。杉山です。左には小さな墓石みたいな石がいくつも。
この裏山に直ぐ逃げていれば....という話も聞きます。でも、登り口は良いとしても道は狭く険しそう。雨も降っていて、沢状の所に在る山道は水が集まって滑りそう。
右手の杉が生えていない所は、裏山の「脇山」とか。
でも、コンクリートの落石防護柵が見えますが.....。
どこかの写真に、斜面がコンクリートの枠(段?)で保護された様子が写っていましたね。土留め。
脇の山です。ここに逃げ込んでいれば.....という話もありました。以前は写真撮影で登っていたとか。先生かな? 子ども達は授業の写生で登っていたのでしょうか?
でも、これって単なる山ではありませんよね。擁壁。
過去に土砂崩れが有ったり、その危険性が有って斜面をコンクリートで補強し、雨水が染み込まないように集めて排水する側溝(右の斜め)まで作ったようです。
あの大地震で大きく揺れ、ひび割れが出来ていないとか安全も確認せずに、100人以上もの人の重さを乗せるのは、ヨコミーには躊躇いがあります。
脇山を西側から。下には落石防護柵が設けられています。施工はここまで。
少し離れてみました。中央のコンクリートが脇山の落石防護柵。一帯は平です。
写真説明によれば、学校の教職員子どもたち、地域の人たちは学校を離れ、右手に進みました。進むまでに長い協議の時間が有ったと。これは残念です。
ただ、避難所からの『避難』というのは、それまでの考えでは本当に希かと。なので見落とされてしまう....(>_<)
岩手沿岸部で、あのとき、最寄りの避難所ではなく、より高い所を目指したことで、子ども達が全員助かった小学校がありましたね。確かこのとき、最寄りの避難所は被災したはず(>_<)
両者は条件が違うので、安易に比べることは出来ませんが、避難のあり方、学校のあり方、避難所のあり方を、今一度、早急に見直すことが必要と思うのです。
脇山西側に在る山の下を更に右へ進み....
一同は西へ進み、中央のやや小高い、交差点付近を目指していて、この辺で被災したようです。
3mも高いでしょうか。でも、堤防を走る道路や橋(写真右手外)と同じ高さ。
見れば右手の木陰に何か見えます。
いろんな石碑と観音様(かな)。
右手前の石像と左手前の石碑は対のものと思われ、大川地区で亡くなられた418名の精霊を供養する石碑でした。
他に湯殿山や庚申信仰の石碑、地域の生活を支えた魚介類や鳥獣の霊供養塔等々もあり、一帯は地区の聖なる場所みたいでした。
次はこの裏手に回ってみます。
橋の袂です。橋は凡そ北西方向に架かっています。川上は左奥。
カメラを左に振ってみます。
左隣です。交差点の中。
左手を向こうに延びる道は、北上川に沿って上流に伸びています。
更に左です。交差点の端。
更に左隣です。左下(手前)にちょっとだけ見える土地は、ほぼ学校と同じ高さかと。
擁壁に続く山。1枚上の写真で「左下(手前)にちょっとだけ見える土地」とした場所は、写真下の右、明るい緑で、とんがっているように写っている所。
この辺りは超広角レンズなら1枚でカバーできるのですが、古い安物の超広角レンズは、カメラを認識しなくなりました(>_<)
新品に買い換える予算は無く、使う頻度と修理費用を天秤に掛けても良いのですが、修理せずに我慢していました(T_T)
でも、こんな時に使いたいのですよね....(^_^;)
更に左隣です。やや高台から見下ろした大川小学校です。
更に左隣です。
中央奥に在る電柱に重なっている川は、北上川とは別な小さな川。
左に在る赤い車の上に2本の堤防が見えますが、その上に薄く左右に伸びているのが北上川。
拡大してみました。
右に広く見えるのが、手前を流れる小さな川。
赤い車の上、白い4つの構造物下に見えるのが北上川。構造物は対岸の水門らしいです。
因みに山の向こうは、大凡、南三陸町です。
時間も時間なので、そろそろ出発です(^_^)v
小さな川と北上川の間からの撮影です。左が北上川です。右手、柵の向こうに見える駐車場に赤い車が在りました。
河口は、中央やや右、黒っぽく丸い山の裏、ずーっと先。
海が、河口が学校からは見えない大川小学校。でも校歌には海の記述が有りました。
北上川に架かる橋を渡り終えてからパチリ。中央やや左にちょっとだけ頭を出しているのが大川小学校。
上の写真を撮影した所から3分車を飛ばした所でパチリ。
左奥にようやく河口らしきものが見えてきました。未だ遠いのです。
でも、大津波はやって来たのです(>_<)
次は海岸伝いに南三陸町へ向かいます。
つづく。
気仙沼内湾防潮堤22cm修正に数億円も!?? 20180627 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
なんと無断で「梅雨休み」を頂いてしまいました。そして10日以上更新をお休みしてしまいました。
大変すみませんm(_ _)m
偏頭痛の風邪は余りひどくならず、回復することが出来ました。
声帯のポリープは、昨日金曜日にまた診て貰ったのですが、多少小さくなりましたね、と医者に言われました。まあ、私の見立てでは誤差程度の感じ(^_^;)
「先生っ、ヨコミーは誤嚥が得意で、よーく咳き込みます」と懺悔したら、「それは関係ありません。逆に誤嚥は脳の血管が切れているかも....」だと。ふぅーん。
確かにヨコミーは胸焼けが多いのですが、胃酸が気管に入ったことは無いかも。
逆に自分の唾や飲み物が時々気管に入り込み、よーく咳き込むのです。
まあ様子見です。
昔の上司が亡くなったのですが、諸般の事情でお通夜にも葬儀にも行けませんでした。
そんな訳で、6月27日、小雨の中、市内鹿折地区に在るご自宅へ行って来ました。
その帰路、地元紙や地方紙、全国紙の県内版を賑わせている、気仙沼内湾の「22センチ高く作り過ぎてしまった防潮堤」問題の辺りを通って来ました。
鹿折から旧国道を南下すると左手の五十鈴神社が在る小山をかわすように道は右へ曲がります。
正面の向こう下から左がその辺り。
左にちょっとだけ海が見えてきました。
正面の段々に並ぶ建物は、魚町と入沢の災害公営住宅。
震災直後を除き、右手の交差点で左折し、海に出られたのですが、ダメです。防潮堤と道路の嵩上げ工事の為でしょう。
進む道の左側が魚町二丁目。
この道は、緩くは曲がるものの概ね真っ直ぐでしたが、坂口のバス停を過ぎたら急に左へ曲がっていました。
といって海岸にまでは出ず、白いガードレールに導かれ、海と従来の道が在った右端の重機との間辺りを進みます。
左がその防潮堤らしいです。その上に見えるのは気仙沼プラザホテル。内湾の向こうです。
以前は地元資本でしたが、何年か前に買収され、南三陸町から進出してきたホテル観洋のグループとなりました。
中央から右手の盛土は嵩上げされる道路らしいです。仮置き??
道路?は立派に嵩上げされています。奥の丘には気仙沼小学校や中学校が在ります。
この道はいつの間にか右に緩く曲がり、従来在った信号機の所で元の道へ繋がります。
この右手前に、現職の、防衛大臣のご実家が在ります。
更地の所に、やまと食堂が在りました。よーく旦那さんが配達する姿を見掛けました。
手前は先輩んちのお茶屋さん。
あっ、この信号は一方通行でしたが、左折が可能になったようです。曲がります。
左折しました。直ぐ左は宝洋水産という漁業会社が在りましたが、震災のずーっと以前に無くなりました。
信号機の左には、以前は乾物屋さんが在ったかと。そこもずーっと以前にやめ、どこかの会社が入っていたような。
交差点で先がつっかえていたので止まり、カメラだけ左に向けてパチリ。
盛土造成の看板が見えます。奥の小山に先程脇を通過した五十鈴神社が在ります。
右手のコンクリートは防潮堤のようです。
前の車が動き始めましたので、前を向いて進みます。うーん、カメラだけ左を見ただけ(^_^;)
内湾をグルッと回り、魚町の向かい側へ来ましたので、車を降りてパチリ。
右手が五十鈴神社が在る小山。今回の最初から2コマ目は、中央に見えるクレーン車の辺りから撮影です。
左の小山は陣山で、復興記念公園の建設が予定されています。魚町の直ぐ背後です。
1枚上の写真中、陣山とクレーン車の間にちょっとだけ見えている白い建物は、昨春に閉鎖され、今春に解散(?)されることになった、地元資本の老舗・ホテル望洋。
近年パッとしなくなり、震災後は作業員等向けにビジネス的に営業していたと聞きましたが、踏ん張りが効かなかったようです。残念。
左続きです。防潮堤が長く見えています。
更に左隣。左手前は汽船発着所の桟橋。来春には大島架橋が使えるように成り、定期便は無くなるでしょう。寂しくなります。
更に左隣です。正面の建物は以前は汽船発着所が在った所。来春まで入居するのでしょうか?
この辺りに勤労青少年ホームが建てられると聞いています。どこかな?
同ホームは、旧・水産高校跡地に建てられていて、被災。当時の猪瀬東京都副知事指揮による救出劇があった中央公民館の南隣に在りました。
左は、以前は市営駐車場が在った所。
来春から大島への玄関口が変わるので、大きな駐車場は不要になります。
更に左です。
これがホームかな?? また行ってみます(^_^)v
対岸からの防潮堤をアップしてみました。
宮城県は当初、海抜6.2mの防潮堤を提案していましたが、地元は反対。その後地元協議会と何度も協議し、4.1m+1mかの浮力式ゲートで合意。更に、当初震災で大きく地盤沈下したものの、その後に隆起したといわれる22cmを考慮してその分を差し引くことで最終合意しました。
ところが、施工側のミスで22cmが配慮されないまま工事が進んでいた事が判明。
これに対し地元は猛反発。県は安価には22cmを修正できないことから、知事が頭を下げたのですが、地元は作り直せと納得しません。
地元の県議は県議会で22cmを追求していました。
作り直すには数億円掛かるとか(>_<)
ヨコミー家が昔、鹿折に在ったとき、チリ地震津波では自宅は辛うじて床下浸水を免れましたが、前の水田に海水が入りました。
でも津波が引いても海水は残り、その水田は二度と農地になることはありませんでした。
大潮の時には側溝に海水が逆流する低地であり、今のような農地復旧への補助制度ではなく、制度が貧しかったのかも。
そんな低地に住んでいたヨコミーなら、県が22cm高く作ってくれるのなら、「まあまあ有り難い」と思うでしょう。2mならムシロ旗かな(^_^;)
でも、内湾の地元はそうじゃないようです。
新聞を見たら、地元は「防潮堤は要らない」からスタートしていたようです。
なので安易に合意できないのでしょう(>_<)
この地は現職の防衛大臣、そして歴代の市長を輩出し、経済的にも漁船漁業会社や関連会社が林立し、気仙沼を牛耳ってきた要衝(*^_^*)
そんな大切な地なので、22cmでも高くなれば、より安心とヨコミーは思うのですよ(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
なんと無断で「梅雨休み」を頂いてしまいました。そして10日以上更新をお休みしてしまいました。
大変すみませんm(_ _)m
偏頭痛の風邪は余りひどくならず、回復することが出来ました。
声帯のポリープは、昨日金曜日にまた診て貰ったのですが、多少小さくなりましたね、と医者に言われました。まあ、私の見立てでは誤差程度の感じ(^_^;)
「先生っ、ヨコミーは誤嚥が得意で、よーく咳き込みます」と懺悔したら、「それは関係ありません。逆に誤嚥は脳の血管が切れているかも....」だと。ふぅーん。
確かにヨコミーは胸焼けが多いのですが、胃酸が気管に入ったことは無いかも。
逆に自分の唾や飲み物が時々気管に入り込み、よーく咳き込むのです。
まあ様子見です。
昔の上司が亡くなったのですが、諸般の事情でお通夜にも葬儀にも行けませんでした。
そんな訳で、6月27日、小雨の中、市内鹿折地区に在るご自宅へ行って来ました。
その帰路、地元紙や地方紙、全国紙の県内版を賑わせている、気仙沼内湾の「22センチ高く作り過ぎてしまった防潮堤」問題の辺りを通って来ました。
鹿折から旧国道を南下すると左手の五十鈴神社が在る小山をかわすように道は右へ曲がります。
正面の向こう下から左がその辺り。
左にちょっとだけ海が見えてきました。
正面の段々に並ぶ建物は、魚町と入沢の災害公営住宅。
震災直後を除き、右手の交差点で左折し、海に出られたのですが、ダメです。防潮堤と道路の嵩上げ工事の為でしょう。
進む道の左側が魚町二丁目。
この道は、緩くは曲がるものの概ね真っ直ぐでしたが、坂口のバス停を過ぎたら急に左へ曲がっていました。
といって海岸にまでは出ず、白いガードレールに導かれ、海と従来の道が在った右端の重機との間辺りを進みます。
左がその防潮堤らしいです。その上に見えるのは気仙沼プラザホテル。内湾の向こうです。
以前は地元資本でしたが、何年か前に買収され、南三陸町から進出してきたホテル観洋のグループとなりました。
中央から右手の盛土は嵩上げされる道路らしいです。仮置き??
道路?は立派に嵩上げされています。奥の丘には気仙沼小学校や中学校が在ります。
この道はいつの間にか右に緩く曲がり、従来在った信号機の所で元の道へ繋がります。
この右手前に、現職の、防衛大臣のご実家が在ります。
更地の所に、やまと食堂が在りました。よーく旦那さんが配達する姿を見掛けました。
手前は先輩んちのお茶屋さん。
あっ、この信号は一方通行でしたが、左折が可能になったようです。曲がります。
左折しました。直ぐ左は宝洋水産という漁業会社が在りましたが、震災のずーっと以前に無くなりました。
信号機の左には、以前は乾物屋さんが在ったかと。そこもずーっと以前にやめ、どこかの会社が入っていたような。
交差点で先がつっかえていたので止まり、カメラだけ左に向けてパチリ。
盛土造成の看板が見えます。奥の小山に先程脇を通過した五十鈴神社が在ります。
右手のコンクリートは防潮堤のようです。
前の車が動き始めましたので、前を向いて進みます。うーん、カメラだけ左を見ただけ(^_^;)
内湾をグルッと回り、魚町の向かい側へ来ましたので、車を降りてパチリ。
右手が五十鈴神社が在る小山。今回の最初から2コマ目は、中央に見えるクレーン車の辺りから撮影です。
左の小山は陣山で、復興記念公園の建設が予定されています。魚町の直ぐ背後です。
1枚上の写真中、陣山とクレーン車の間にちょっとだけ見えている白い建物は、昨春に閉鎖され、今春に解散(?)されることになった、地元資本の老舗・ホテル望洋。
近年パッとしなくなり、震災後は作業員等向けにビジネス的に営業していたと聞きましたが、踏ん張りが効かなかったようです。残念。
左続きです。防潮堤が長く見えています。
更に左隣。左手前は汽船発着所の桟橋。来春には大島架橋が使えるように成り、定期便は無くなるでしょう。寂しくなります。
更に左隣です。正面の建物は以前は汽船発着所が在った所。来春まで入居するのでしょうか?
この辺りに勤労青少年ホームが建てられると聞いています。どこかな?
同ホームは、旧・水産高校跡地に建てられていて、被災。当時の猪瀬東京都副知事指揮による救出劇があった中央公民館の南隣に在りました。
左は、以前は市営駐車場が在った所。
来春から大島への玄関口が変わるので、大きな駐車場は不要になります。
更に左です。
これがホームかな?? また行ってみます(^_^)v
対岸からの防潮堤をアップしてみました。
宮城県は当初、海抜6.2mの防潮堤を提案していましたが、地元は反対。その後地元協議会と何度も協議し、4.1m+1mかの浮力式ゲートで合意。更に、当初震災で大きく地盤沈下したものの、その後に隆起したといわれる22cmを考慮してその分を差し引くことで最終合意しました。
ところが、施工側のミスで22cmが配慮されないまま工事が進んでいた事が判明。
これに対し地元は猛反発。県は安価には22cmを修正できないことから、知事が頭を下げたのですが、地元は作り直せと納得しません。
地元の県議は県議会で22cmを追求していました。
作り直すには数億円掛かるとか(>_<)
ヨコミー家が昔、鹿折に在ったとき、チリ地震津波では自宅は辛うじて床下浸水を免れましたが、前の水田に海水が入りました。
でも津波が引いても海水は残り、その水田は二度と農地になることはありませんでした。
大潮の時には側溝に海水が逆流する低地であり、今のような農地復旧への補助制度ではなく、制度が貧しかったのかも。
そんな低地に住んでいたヨコミーなら、県が22cm高く作ってくれるのなら、「まあまあ有り難い」と思うでしょう。2mならムシロ旗かな(^_^;)
でも、内湾の地元はそうじゃないようです。
新聞を見たら、地元は「防潮堤は要らない」からスタートしていたようです。
なので安易に合意できないのでしょう(>_<)
この地は現職の防衛大臣、そして歴代の市長を輩出し、経済的にも漁船漁業会社や関連会社が林立し、気仙沼を牛耳ってきた要衝(*^_^*)
そんな大切な地なので、22cmでも高くなれば、より安心とヨコミーは思うのですよ(^_^)v
被災地は今 宮城県女川町 20180430 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
先日のゴールデンウィークは、前半は結構お天気に恵まれ、暑い日もありましたが、後半は割と雨が降り、残念。気温はそれなり。
それでもちょっとした晴れ間を得て、4日5日と小さな彗星を撮影する事が出来ました。
いずれにせよ、風は強めのゴールデンウィークでした。
今日5月7日は夕方からお遊び協会の会議があり、街へ。会場へ着いたら雨がぽつりぽつりと....(>_<)
アメダス等を見れば、今日は25℃近くまで気温が上がったようですが、今日は室内でのノルマが有り、外気の暑さを体感する事はありませんでした。
そうそう、ノルマではありませんが、昨日昼過ぎ、食器を洗っていたら持っていたコップが突然割れ、右手人差し指の第2関節付近を、半周近くザックリと切ってしまいました(>_<)
ヨコミー、食器洗いは素手派。指先で汚れの落ち具合をみることもあり...(^_^;)
なので、ザックリ!!!です(T_T)
何せ手指に洗剤が付いているので、止血もですが、先ずは洗剤落としから。血が出る痛い傷口もついでに(>_<)
洗い終えてとりあえず左手の指で巻くように圧迫し、たまたま帰宅していた娘に手の水を拭いてもらいました。
ややあってヨコミー奥様のオリュウさんが戻ったので、手当をお願い。
素人は傷バンで圧迫しようと思いましたが、そんなんじゃダメ!!と紙テープで。
ただ単にグルグル巻きにすると指先の血行が悪くなるので、テープは指を微妙に1周しない程度に切り、傷口を圧迫するように引っ張りながら貼ります。
何枚かテープを貼ったのですが、どうしても血が滲むのです。
なのでその上から傷バンでした(^_^;)
ただ、関節って多少横方向にも動くようで、添え木をしなかったので、何かに当たって傷口が開く方向へ指が動くと、傷口に響き、とても痛いのです(>_<)(T_T)
まあそんな訳で、このブログは主に左手で作っています(>_<)
あっ、前置きが長くなりました。すみませんm(_ _)m
4月30日、遠方から五段さんが来られたので、被災地の宮城県石巻市から岩手県釜石市まで、3日間、案内してきました。
五段さんは7年前の戦友なのです。そう、東日本大震災の時、ヨコミーが手伝っていた避難所へ、遙か遠方からボランティアとして、何度も気仙沼へ足を運んでくれた方。感謝ですm(_ _)m
伺えば、ボランティアで女川にも行ったとか。凄い行動力です。
調子に乗って「阪神・淡路大震災の時も行かれたのですか?」と聞いてしまいました(>_<)
五段さんは「後で行きましたよ」とは言っていましたが、「このボケ!! まだ小学生の時や!!」と言いたかったのかも知れません(^_^;)
ヨコミーの頭に中では、「17年経った」で止まっていました。もう23年も経っていたのですね。すみませんm(_ _)m
仙台駅を出て間もなく高速道に乗り、石巻の日赤を過ぎて一般道へ。女川へ向かいます。
女川へ着く手前、石巻市街地東側や渡波などでは、いろんな建物が建ってきていますが、よーく見れば、国道から被災した建物の基礎が見える事もあります。
女川に着き、あのひっくり返った交番の所等を見てみようと海側へ行ったら、工事で通行止めが多く、仕方なく引き返し、やや賑やかな所で小休止。
※写真はクリックすると大きくなります。
着いたのはシーパルピア女川のハマテラスという観光施設。美味しい臭いがします(^_^)v
http://www.town.onagawa.miyagi.jp/pdf/20171211_lunchmap.pdf
凡そ北東側を見ています。右上、黒っぽい法面の上は、防災集団移転等の団地でしょうか。家が見えます。
カメラを右に振ります。
ハマテラスの看板には満車と。でも、なんとか入れたのです(^_^)v
この道は、北隣の旧・雄勝町へ通じる国道。
右手は海ですが...
左手は女川の魚市場等。ベージュ色の建物は製氷施設でした。
岸壁と国道の間はまだ工事中で、先程は右手からやって来て、こちらへ抜ける道が無かったので、また右手へ戻り....(>_<)
魚市場方向の拡大です。
更に右です。港の向こうに見える山は、牡鹿半島に続きます。
更に右です。まだまだこんな感じ(>_<)
うーん、左端に怪しいモノが....(^_^;)
ですが、もうちょっと右手を見てみましょう。
ハマテラスの海側端。ここを右に曲がった所で、焼き物を売っています。屋内には土産物屋やレストランも。
屋外のテーブルで、焼きホタテでも食べたいものですね。ねっ、五段さん。次回期待していますよ(^_^)v
なんか真ん中に....。
拡大してみました。「きぼうの鐘」です。
今回時間が無く、ここに入る事は出来ませんでした。
またいつかの機会に訪れ、皆様にお伝えしたいと思います。
さあ小休止を終え、次は旧・雄勝町へ向かいます。
つづく(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
先日のゴールデンウィークは、前半は結構お天気に恵まれ、暑い日もありましたが、後半は割と雨が降り、残念。気温はそれなり。
それでもちょっとした晴れ間を得て、4日5日と小さな彗星を撮影する事が出来ました。
いずれにせよ、風は強めのゴールデンウィークでした。
今日5月7日は夕方からお遊び協会の会議があり、街へ。会場へ着いたら雨がぽつりぽつりと....(>_<)
アメダス等を見れば、今日は25℃近くまで気温が上がったようですが、今日は室内でのノルマが有り、外気の暑さを体感する事はありませんでした。
そうそう、ノルマではありませんが、昨日昼過ぎ、食器を洗っていたら持っていたコップが突然割れ、右手人差し指の第2関節付近を、半周近くザックリと切ってしまいました(>_<)
ヨコミー、食器洗いは素手派。指先で汚れの落ち具合をみることもあり...(^_^;)
なので、ザックリ!!!です(T_T)
何せ手指に洗剤が付いているので、止血もですが、先ずは洗剤落としから。血が出る痛い傷口もついでに(>_<)
洗い終えてとりあえず左手の指で巻くように圧迫し、たまたま帰宅していた娘に手の水を拭いてもらいました。
ややあってヨコミー奥様のオリュウさんが戻ったので、手当をお願い。
素人は傷バンで圧迫しようと思いましたが、そんなんじゃダメ!!と紙テープで。
ただ単にグルグル巻きにすると指先の血行が悪くなるので、テープは指を微妙に1周しない程度に切り、傷口を圧迫するように引っ張りながら貼ります。
何枚かテープを貼ったのですが、どうしても血が滲むのです。
なのでその上から傷バンでした(^_^;)
ただ、関節って多少横方向にも動くようで、添え木をしなかったので、何かに当たって傷口が開く方向へ指が動くと、傷口に響き、とても痛いのです(>_<)(T_T)
まあそんな訳で、このブログは主に左手で作っています(>_<)
あっ、前置きが長くなりました。すみませんm(_ _)m
4月30日、遠方から五段さんが来られたので、被災地の宮城県石巻市から岩手県釜石市まで、3日間、案内してきました。
五段さんは7年前の戦友なのです。そう、東日本大震災の時、ヨコミーが手伝っていた避難所へ、遙か遠方からボランティアとして、何度も気仙沼へ足を運んでくれた方。感謝ですm(_ _)m
伺えば、ボランティアで女川にも行ったとか。凄い行動力です。
調子に乗って「阪神・淡路大震災の時も行かれたのですか?」と聞いてしまいました(>_<)
五段さんは「後で行きましたよ」とは言っていましたが、「このボケ!! まだ小学生の時や!!」と言いたかったのかも知れません(^_^;)
ヨコミーの頭に中では、「17年経った」で止まっていました。もう23年も経っていたのですね。すみませんm(_ _)m
仙台駅を出て間もなく高速道に乗り、石巻の日赤を過ぎて一般道へ。女川へ向かいます。
女川へ着く手前、石巻市街地東側や渡波などでは、いろんな建物が建ってきていますが、よーく見れば、国道から被災した建物の基礎が見える事もあります。
女川に着き、あのひっくり返った交番の所等を見てみようと海側へ行ったら、工事で通行止めが多く、仕方なく引き返し、やや賑やかな所で小休止。
※写真はクリックすると大きくなります。
着いたのはシーパルピア女川のハマテラスという観光施設。美味しい臭いがします(^_^)v
http://www.town.onagawa.miyagi.jp/pdf/20171211_lunchmap.pdf
凡そ北東側を見ています。右上、黒っぽい法面の上は、防災集団移転等の団地でしょうか。家が見えます。
カメラを右に振ります。
ハマテラスの看板には満車と。でも、なんとか入れたのです(^_^)v
この道は、北隣の旧・雄勝町へ通じる国道。
右手は海ですが...
左手は女川の魚市場等。ベージュ色の建物は製氷施設でした。
岸壁と国道の間はまだ工事中で、先程は右手からやって来て、こちらへ抜ける道が無かったので、また右手へ戻り....(>_<)
魚市場方向の拡大です。
更に右です。港の向こうに見える山は、牡鹿半島に続きます。
更に右です。まだまだこんな感じ(>_<)
うーん、左端に怪しいモノが....(^_^;)
ですが、もうちょっと右手を見てみましょう。
ハマテラスの海側端。ここを右に曲がった所で、焼き物を売っています。屋内には土産物屋やレストランも。
屋外のテーブルで、焼きホタテでも食べたいものですね。ねっ、五段さん。次回期待していますよ(^_^)v
なんか真ん中に....。
拡大してみました。「きぼうの鐘」です。
今回時間が無く、ここに入る事は出来ませんでした。
またいつかの機会に訪れ、皆様にお伝えしたいと思います。
さあ小休止を終え、次は旧・雄勝町へ向かいます。
つづく(^_^)v
2分間の旅 南気仙沼界隈 20180409 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日4月23日は昨日から引き続いて涼しいです。いや寒い?? 海風です。
老母(ヨコミー語では「ろうはは」と読みます)をデーサービスへ送り出し、ややあって所用で登米市東和町へ出掛けました。
お昼は道の駅・三滝堂。所用の帰路、三滝堂の親水公園にも寄りました。後で紹介出来れば....(^_^;)
自宅手前、国道346号から45号と、バイパスを来ても良かったのですが、折角なのでちょっとだけルート変更(*^_^*)
津谷街裏道を通り、前回紹介した、はまなすホール裏の紅枝垂れ桜群をチェックです(^_^)v
多少緑の葉っぱが出ていますが、花弁はまだいっぱい(*^_^*)
中には葉は見えず花だけ!!!という枝垂れ桜もいくつかありました。凄いっ!!!
もうちょっと楽しめそうです(^_^)v
桜といえば4月9日、満開となった市民会館前のソメイヨシノを、撮影しようと出掛けました。(既に掲載済み)
その途中、曙橋で大川を渡り、今は亡きJR気仙沼線の鉄路跡を、道路が潜るべき陸橋が在った震災前のように沈み込んでクリアし、次の交差点で鋭角に左折してからの、たった2分間の旅をご紹介します(^_^;)
※写真はクリックすると大きくなります。
鋭角に左折して間もなくの右手。震災前はこんな空き地は無く、建て込んでいました。
この建物群の向こうに内湾の海が在り、そして向こうの山へ。山の手前は鹿折地区、山の裏側は旧・唐桑町。その先は太平洋(^_^)v
湾の開口部は右手(南)。大津波は右手からやって来ました(>_<)
おおよその位置は下記の通りです。
https://www.google.co.jp/maps/@38.8939593,141.583435,16z
地図でいうと右下から左上に伸びる市道です。
確か、道の駅ならぬ「さかなの駅」に出店している魚屋さん。卸も!??
ここは冷蔵庫かな。
ちょっと空き地の次は塗料店。
でも、なんか変???????????
塗料店が沈んだ!!!!! のではありません(^_^;)
震災後、まだ土地の整備が殆ど進んでいなかった頃、以前の地盤から少し土を盛った状態で、この辺では一番早く再開した塗料店でした(^_^)v
でも、その後に大規模な盛土が始まり、終わってみればこんな風に(>_<)
窪んでいるので、雨水の排水は大丈夫なのでしょうか....(T_T)
ただ、新しいお店は奥の茶色い建物になったようです。とりあえず安心(^_^;)
こちらは干物の魚屋さん。ホームページを見たら山手に新工場を建てたようなので、ここは冷蔵庫?
道路沿いなのに、まだまだ空き地があります。
過日の新聞によれば、未利用地が沢山在ると(>_<)
であるならば、こういう土地をやりとりしてある程度の土地を確保し、今、陣山で計画が進められている、気仙沼市復興祈念公園をこちらに持ってくるとか、そんな事で活用したいと、ヨコミーは思うのです。
でも気仙沼市復興祈念公園は、なぜ陣山で計画が進められているのでしょうか。
「大きな被害があった気仙沼地区と鹿折地区が一望出来る山だから...」という選定理由もありましたが、魚市場や商港は見えても、南気仙沼駅前通り以西は、手前の柏崎等高台の陰となり、多くの内ノ脇、仲町、そして幸町、南郷等は見えないのです。
陣山への建設に反対する意見が、先日の地元紙に載り、ヨコミーは大いに共感しました。
周辺の復旧状況を一望させるのなら、先程来奥に見えている鹿折地区の東海岸が一番。みなとまつりの花火見にも(^_^)v
小高い所に、まだ土地がいっぱい在ります。
その辺には集団移転の団地が在り、そして近くに県道が付け替えられるし、湾を渡るなら間もなく無料の高速道路も完成します。
「見える」ことを優先するなら、そこがベストと考えられなかったのかなっ(^_^)v
でも、浸水地の未利用地の解消を考えれば、この南気仙沼地区が一番だと思うのです(^_^)v
第一、陣山での計画は、場所が狭いので駐車場枠は100台も予定されていません。これでは関連する催事は、大きなものは開催出来ません(>_<)
シャトルバス運行で....との話も聞きますが、人家を除けて市道を大きく改修しないと、バスは大変です(>_<)
南気仙沼地区なら、他の公共施設と結びつける事で、かなり多くの車を収容出来る事でしょう。
陣山に対して、並々ならぬ思い入れをお持ちの方が居るのでは....と推察するのです。または周囲の忖度か。丁度良い諺がありましたね(*^_^*)
でもやはり、ここは浸水地でもあり、未利用地解消にもなる南気仙沼地区が一番かと(^_^)v
計画の変更は今からでも(*^_^*) うーん、ここでも良い諺が....(^_^;)
あっ、またまた道草をくってしまいました(>_<)
すみません。たった2分間の旅は急ぎますm(_ _)m
海の市でレストランもやっている、小売りもやっていたかなぁ...、魚の卸屋さん。
海の市は最近チェック不足です(>_<) ヨコミー、以前、産業まつりの時に世話になりました(^_^)v
ちょっと過ぎて北側。ヨコミー、震災前のこの辺の記憶が薄くなっています(>_<)
今までは進行方向右側でしたが、今度は左側。
この自動車販売店は、被災後3カ所目でようやく本設。いろいろと流され、並々ならぬ苦労を経て、ようやく...。お爺ちゃん社長、頑張ってください(^_^)v
右端に見える一部3階建てのお宅は、鮮魚販売や水産加工品製造、ホテルまで経営するA商店の会長さん宅。ヨコミー、お仕事で一度だけお邪魔した事があります。
大津波来襲時は3階に避難してやり過ごしたと聞きます。
会長さんは震災遺構として保存したい意向と地元紙で知りましたが、その後どうなったのか....。
当時の猪瀬東京都副知事の決断で大救出作戦が行われた、気仙沼中央公民館の跡地は、今こんな風に....。
確か仕込み屋さん。漁船への水道水は、今でも売っているのでしょうか(^_^;)
右上の一番高い建物はホテルの一景閣。フカヒレ料理が美味しかった...(^_^)v
ここで働いていたお知り合いは、大津波で上階へ避難し、何とか助かったものの、結局その後は気仙沼を離れてしまいました。残念(>_<)
手前のみならず、空き地が見えます。
一昨年辺り、ヨコミーがパノラマ風に時々撮影していた所は、ここかも知れません。
土を盛り、舗装した道は出来たものの、手前は低く、通行止め。そんな感じでした。
お金が無くて幸いにも更新出来ないでいるカーナビで、確認してみます。
今となっては、震災以前を知る貴重な案内役です(^_^)v
そろそろ大きな交差点です。
ここから左へ行けば、気仙沼大橋を経て旧市立病院下に広く広がる商業地へ。
右へ進めば中央公民館や魚市場等へ。真っ直ぐ行けばちょっとは曲がるものの、丘の上の市民会館や小学校・中学校等へ。
ここで2分間の旅は終わりです(^_^)v
気仙沼はまだまだこんな感じです(>_<)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日4月23日は昨日から引き続いて涼しいです。いや寒い?? 海風です。
老母(ヨコミー語では「ろうはは」と読みます)をデーサービスへ送り出し、ややあって所用で登米市東和町へ出掛けました。
お昼は道の駅・三滝堂。所用の帰路、三滝堂の親水公園にも寄りました。後で紹介出来れば....(^_^;)
自宅手前、国道346号から45号と、バイパスを来ても良かったのですが、折角なのでちょっとだけルート変更(*^_^*)
津谷街裏道を通り、前回紹介した、はまなすホール裏の紅枝垂れ桜群をチェックです(^_^)v
多少緑の葉っぱが出ていますが、花弁はまだいっぱい(*^_^*)
中には葉は見えず花だけ!!!という枝垂れ桜もいくつかありました。凄いっ!!!
もうちょっと楽しめそうです(^_^)v
桜といえば4月9日、満開となった市民会館前のソメイヨシノを、撮影しようと出掛けました。(既に掲載済み)
その途中、曙橋で大川を渡り、今は亡きJR気仙沼線の鉄路跡を、道路が潜るべき陸橋が在った震災前のように沈み込んでクリアし、次の交差点で鋭角に左折してからの、たった2分間の旅をご紹介します(^_^;)
※写真はクリックすると大きくなります。
鋭角に左折して間もなくの右手。震災前はこんな空き地は無く、建て込んでいました。
この建物群の向こうに内湾の海が在り、そして向こうの山へ。山の手前は鹿折地区、山の裏側は旧・唐桑町。その先は太平洋(^_^)v
湾の開口部は右手(南)。大津波は右手からやって来ました(>_<)
おおよその位置は下記の通りです。
https://www.google.co.jp/maps/@38.8939593,141.583435,16z
地図でいうと右下から左上に伸びる市道です。
確か、道の駅ならぬ「さかなの駅」に出店している魚屋さん。卸も!??
ここは冷蔵庫かな。
ちょっと空き地の次は塗料店。
でも、なんか変???????????
塗料店が沈んだ!!!!! のではありません(^_^;)
震災後、まだ土地の整備が殆ど進んでいなかった頃、以前の地盤から少し土を盛った状態で、この辺では一番早く再開した塗料店でした(^_^)v
でも、その後に大規模な盛土が始まり、終わってみればこんな風に(>_<)
窪んでいるので、雨水の排水は大丈夫なのでしょうか....(T_T)
ただ、新しいお店は奥の茶色い建物になったようです。とりあえず安心(^_^;)
こちらは干物の魚屋さん。ホームページを見たら山手に新工場を建てたようなので、ここは冷蔵庫?
道路沿いなのに、まだまだ空き地があります。
過日の新聞によれば、未利用地が沢山在ると(>_<)
であるならば、こういう土地をやりとりしてある程度の土地を確保し、今、陣山で計画が進められている、気仙沼市復興祈念公園をこちらに持ってくるとか、そんな事で活用したいと、ヨコミーは思うのです。
でも気仙沼市復興祈念公園は、なぜ陣山で計画が進められているのでしょうか。
「大きな被害があった気仙沼地区と鹿折地区が一望出来る山だから...」という選定理由もありましたが、魚市場や商港は見えても、南気仙沼駅前通り以西は、手前の柏崎等高台の陰となり、多くの内ノ脇、仲町、そして幸町、南郷等は見えないのです。
陣山への建設に反対する意見が、先日の地元紙に載り、ヨコミーは大いに共感しました。
周辺の復旧状況を一望させるのなら、先程来奥に見えている鹿折地区の東海岸が一番。みなとまつりの花火見にも(^_^)v
小高い所に、まだ土地がいっぱい在ります。
その辺には集団移転の団地が在り、そして近くに県道が付け替えられるし、湾を渡るなら間もなく無料の高速道路も完成します。
「見える」ことを優先するなら、そこがベストと考えられなかったのかなっ(^_^)v
でも、浸水地の未利用地の解消を考えれば、この南気仙沼地区が一番だと思うのです(^_^)v
第一、陣山での計画は、場所が狭いので駐車場枠は100台も予定されていません。これでは関連する催事は、大きなものは開催出来ません(>_<)
シャトルバス運行で....との話も聞きますが、人家を除けて市道を大きく改修しないと、バスは大変です(>_<)
南気仙沼地区なら、他の公共施設と結びつける事で、かなり多くの車を収容出来る事でしょう。
陣山に対して、並々ならぬ思い入れをお持ちの方が居るのでは....と推察するのです。または周囲の忖度か。丁度良い諺がありましたね(*^_^*)
でもやはり、ここは浸水地でもあり、未利用地解消にもなる南気仙沼地区が一番かと(^_^)v
計画の変更は今からでも(*^_^*) うーん、ここでも良い諺が....(^_^;)
あっ、またまた道草をくってしまいました(>_<)
すみません。たった2分間の旅は急ぎますm(_ _)m
海の市でレストランもやっている、小売りもやっていたかなぁ...、魚の卸屋さん。
海の市は最近チェック不足です(>_<) ヨコミー、以前、産業まつりの時に世話になりました(^_^)v
ちょっと過ぎて北側。ヨコミー、震災前のこの辺の記憶が薄くなっています(>_<)
今までは進行方向右側でしたが、今度は左側。
この自動車販売店は、被災後3カ所目でようやく本設。いろいろと流され、並々ならぬ苦労を経て、ようやく...。お爺ちゃん社長、頑張ってください(^_^)v
右端に見える一部3階建てのお宅は、鮮魚販売や水産加工品製造、ホテルまで経営するA商店の会長さん宅。ヨコミー、お仕事で一度だけお邪魔した事があります。
大津波来襲時は3階に避難してやり過ごしたと聞きます。
会長さんは震災遺構として保存したい意向と地元紙で知りましたが、その後どうなったのか....。
当時の猪瀬東京都副知事の決断で大救出作戦が行われた、気仙沼中央公民館の跡地は、今こんな風に....。
確か仕込み屋さん。漁船への水道水は、今でも売っているのでしょうか(^_^;)
右上の一番高い建物はホテルの一景閣。フカヒレ料理が美味しかった...(^_^)v
ここで働いていたお知り合いは、大津波で上階へ避難し、何とか助かったものの、結局その後は気仙沼を離れてしまいました。残念(>_<)
手前のみならず、空き地が見えます。
一昨年辺り、ヨコミーがパノラマ風に時々撮影していた所は、ここかも知れません。
土を盛り、舗装した道は出来たものの、手前は低く、通行止め。そんな感じでした。
お金が無くて幸いにも更新出来ないでいるカーナビで、確認してみます。
今となっては、震災以前を知る貴重な案内役です(^_^)v
そろそろ大きな交差点です。
ここから左へ行けば、気仙沼大橋を経て旧市立病院下に広く広がる商業地へ。
右へ進めば中央公民館や魚市場等へ。真っ直ぐ行けばちょっとは曲がるものの、丘の上の市民会館や小学校・中学校等へ。
ここで2分間の旅は終わりです(^_^)v
気仙沼はまだまだこんな感じです(>_<)
気仙沼の今 仮設住宅は.... 20180214 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日2月17日の夜10時頃、国道346号の岩手県境に近い所に設置されている温度計が、-6℃を示していました。
雪は舞っていますが少なく、降雪量も2cm程か。
ただ風はややあり、風で道路の雪は路面を這うように流れ、冷え切っていることをうかがわせています。
そこから15分ほどで帰宅したのですが、なんと歓迎するかのように、風と共に降る雪の量が急に増えました。
玄関前のタタキをちょっとだけ箒で掃いたのですが、5分もしないうちに1cmほど積もってしまいました。
風もあり、明朝が心配です。
さて2月の14日と15日は、お遊び協会の所用で市内をチョコッと回りました。
チョコッと回っただけなのに、改めてまだ仮設住宅が在ることを認識しました。まあ、解体工事待ちの建物も在るのでしょうけれど。
過日の地元紙によれば、既に入居者は1割にも満たないのですが、まだ多くの方々が暮らしています。
災害公営住宅や防災集団移転の敷地造成は、既に全部完了しているのですが、集団移転においては大工さんが多忙だったり等の諸事情で、7年も過ぎた3.11を、また仮設住宅で向かえざるを得ない方々が居るのです。
某仮設に住む、ちょっとした知り合いのお婆ちゃんは、盛土工事が終わったら元の場所に家を建てて住むつもりですよ....と言っていたのですが、過日旦那さんが亡くなり、新築の予定はどうなるんだろう??
息子さんが地元で仕事をしているとは聞いていないし、新築した家にたった一人で暮らすのなら、とても悲し過ぎます.....。
市内松岩地区の西側、まあ山手に在る三峰公園仮設です。
三峰公園は小山の上で、以前から桜が綺麗な所でしたが、最近はどうなっているのでしょうか。
県立気仙沼西高のグラウンドに在る西高仮設です。
北西方向がとても開けていて、冬は岩手県境から冷たく強い風が吹き付けます(>_<)
気仙沼市総合体育館の敷地内に建っている体育館仮設です。
でもこれは一部だけ。
本丸は次!
「次!」とは書いたものの、赤いポストの左上にちょっとだけ見えるのみ(>_<)
良かったらこちらを参照願います。
https://www.google.co.jp/maps/@38.8815624,141.5519333,19z
気仙沼地区(旧・気仙沼町)の南西部に在る反松(そりまつ)公園仮設です。
公園とはいえ、右端に緑のネットが見えるように、震災前は朝野球などで賑わっていました。
階上地区の国道45号に近い長磯前林仮設です。
14日の所用はとりあえず終わり、帰宅途中にパチリ。
写真では、民家の壁のように見えて分かりにくいですが、左端から右端近くまで広がっています。
以前紹介した大谷中学校仮設ですが、今ではすっかり撤去され、校庭の整備が行われていました。左が大谷中学校の校舎です。
奥に見える体育館右側の工事についても書いていましたが、市道の拡幅工事でした。
写真は左へ続きます。
昨年半ば位まで、校庭が見えないくらい、仮設住宅が建っていました。
左上は大谷小学校。
今年の大谷地区市民運動会は、再びここでやるのでしょう(^_^)v
この仮設、名称は中学校校庭に出来た仮設となっていますが、このように小学校前の校庭も結構使っていたのでした。
どーして不思議な名称を付けるのでしょうか、ほんと不思議。
それとも、台帳上、小学校の校庭はほんのちょっとなのかなぁ....(^_^;)
ここまで。
工事の看板が在りました。
いつに完成する予定なのかなぁと隣の表示を見たら、欲しい月日が書いてありませんでした。他に表示板は有りません。
普通、何々工事をいつまでにやる、という看板が在るはずなのに、残念(>_<)
気仙沼公園仮設です。
翌15日、所用で2回も市民会館へ行ったとき、駐車場の奥が気になり、パチリ。
気仙沼公園のグラウンドに建てられた仮設です。
震災前のグラウンドは、朝野球の人たちや気仙沼中学校の野球部が使っていました。
以前にも紹介していました、気仙沼公園仮設の上です。ここには気仙沼中学校仮設が在りました。
その面影は今は全く無く、知らない方が見れば単なる校庭でしょう。
震災から間もなく7年になります。
復旧がまだ思うように進まなかったり、数はだいぶ少なくなりましたが、まだ自分の住まいを得られない人も多く居ます。
いっときの内に多くのことを熟さなければならず、行政も民間も大変だったのでしょう。
仕方がないといえばそうなのかもしれませんが、人の心、健康、寿命、お金等々は、それぞれの都合であっちこっちへ(>_<)
復旧はスムーズに、出来れば加速力があってもいいのになぁ....と思った次第。
南の地方では、南海トラフに関連する大きな地震や津波が心配されています。
他の地域でも、断層による直下型地震の心配があるようです。
更には大火等の災害も(>_<)
もし我がまちにあんな災害が発生したら、作っておいたそーいう計画に則り、早急にこーいう復旧を果たすんだ.....そんな計画作りを、何処の地域の方にも官民一体となり、是非直ぐにでも取りかかって欲しいと思うのです。
早さと確実性が大切です。お忘れ無~く(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日2月17日の夜10時頃、国道346号の岩手県境に近い所に設置されている温度計が、-6℃を示していました。
雪は舞っていますが少なく、降雪量も2cm程か。
ただ風はややあり、風で道路の雪は路面を這うように流れ、冷え切っていることをうかがわせています。
そこから15分ほどで帰宅したのですが、なんと歓迎するかのように、風と共に降る雪の量が急に増えました。
玄関前のタタキをちょっとだけ箒で掃いたのですが、5分もしないうちに1cmほど積もってしまいました。
風もあり、明朝が心配です。
さて2月の14日と15日は、お遊び協会の所用で市内をチョコッと回りました。
チョコッと回っただけなのに、改めてまだ仮設住宅が在ることを認識しました。まあ、解体工事待ちの建物も在るのでしょうけれど。
過日の地元紙によれば、既に入居者は1割にも満たないのですが、まだ多くの方々が暮らしています。
災害公営住宅や防災集団移転の敷地造成は、既に全部完了しているのですが、集団移転においては大工さんが多忙だったり等の諸事情で、7年も過ぎた3.11を、また仮設住宅で向かえざるを得ない方々が居るのです。
某仮設に住む、ちょっとした知り合いのお婆ちゃんは、盛土工事が終わったら元の場所に家を建てて住むつもりですよ....と言っていたのですが、過日旦那さんが亡くなり、新築の予定はどうなるんだろう??
息子さんが地元で仕事をしているとは聞いていないし、新築した家にたった一人で暮らすのなら、とても悲し過ぎます.....。
市内松岩地区の西側、まあ山手に在る三峰公園仮設です。
三峰公園は小山の上で、以前から桜が綺麗な所でしたが、最近はどうなっているのでしょうか。
県立気仙沼西高のグラウンドに在る西高仮設です。
北西方向がとても開けていて、冬は岩手県境から冷たく強い風が吹き付けます(>_<)
気仙沼市総合体育館の敷地内に建っている体育館仮設です。
でもこれは一部だけ。
本丸は次!
「次!」とは書いたものの、赤いポストの左上にちょっとだけ見えるのみ(>_<)
良かったらこちらを参照願います。
https://www.google.co.jp/maps/@38.8815624,141.5519333,19z
気仙沼地区(旧・気仙沼町)の南西部に在る反松(そりまつ)公園仮設です。
公園とはいえ、右端に緑のネットが見えるように、震災前は朝野球などで賑わっていました。
階上地区の国道45号に近い長磯前林仮設です。
14日の所用はとりあえず終わり、帰宅途中にパチリ。
写真では、民家の壁のように見えて分かりにくいですが、左端から右端近くまで広がっています。
以前紹介した大谷中学校仮設ですが、今ではすっかり撤去され、校庭の整備が行われていました。左が大谷中学校の校舎です。
奥に見える体育館右側の工事についても書いていましたが、市道の拡幅工事でした。
写真は左へ続きます。
昨年半ば位まで、校庭が見えないくらい、仮設住宅が建っていました。
左上は大谷小学校。
今年の大谷地区市民運動会は、再びここでやるのでしょう(^_^)v
この仮設、名称は中学校校庭に出来た仮設となっていますが、このように小学校前の校庭も結構使っていたのでした。
どーして不思議な名称を付けるのでしょうか、ほんと不思議。
それとも、台帳上、小学校の校庭はほんのちょっとなのかなぁ....(^_^;)
ここまで。
工事の看板が在りました。
いつに完成する予定なのかなぁと隣の表示を見たら、欲しい月日が書いてありませんでした。他に表示板は有りません。
普通、何々工事をいつまでにやる、という看板が在るはずなのに、残念(>_<)
気仙沼公園仮設です。
翌15日、所用で2回も市民会館へ行ったとき、駐車場の奥が気になり、パチリ。
気仙沼公園のグラウンドに建てられた仮設です。
震災前のグラウンドは、朝野球の人たちや気仙沼中学校の野球部が使っていました。
以前にも紹介していました、気仙沼公園仮設の上です。ここには気仙沼中学校仮設が在りました。
その面影は今は全く無く、知らない方が見れば単なる校庭でしょう。
震災から間もなく7年になります。
復旧がまだ思うように進まなかったり、数はだいぶ少なくなりましたが、まだ自分の住まいを得られない人も多く居ます。
いっときの内に多くのことを熟さなければならず、行政も民間も大変だったのでしょう。
仕方がないといえばそうなのかもしれませんが、人の心、健康、寿命、お金等々は、それぞれの都合であっちこっちへ(>_<)
復旧はスムーズに、出来れば加速力があってもいいのになぁ....と思った次第。
南の地方では、南海トラフに関連する大きな地震や津波が心配されています。
他の地域でも、断層による直下型地震の心配があるようです。
更には大火等の災害も(>_<)
もし我がまちにあんな災害が発生したら、作っておいたそーいう計画に則り、早急にこーいう復旧を果たすんだ.....そんな計画作りを、何処の地域の方にも官民一体となり、是非直ぐにでも取りかかって欲しいと思うのです。
早さと確実性が大切です。お忘れ無~く(^_^)v