魚市場付近 気仙沼の今 20200703 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
7月初めからネオワイズ彗星が明るくなっているといわれているのに、最近なかなか好天に恵まれません。ヤキモキ(>_<)
そこで彗星を追って各地へ遠征したのですが、多忙の中での行動は3連勝3連敗でした。天気が悪い~(>_<)
その直前の12日には、深夜にお腹が今まで無いくらいに痛くなり....(>_<) 前日食べた大好物のシメサバか、その夜のキムチ鍋か....(>_<) おリュウさんのカオも有るので安易に救急車で行く訳にも行かず、藁にもすがる思いで深夜に正露丸。下痢も無く、吐くことも無く(>_<)
その後多少良くはなったモノの不調の高値安定が続き、といって今更病院へ行くのも馬鹿らしく、自宅療養(>_<) 15日の検診にはなんとか滑り込みました(^_^;)
そして16日は老母(ろうはは=ヨコミー語)に面会した後の遠征開始でした。ガラス越し+スカイプで会話する老母は元気ですが、息子の顔をようやく思い出した感じ(>_<) 耳も遠く、耳かすを取ってやれないのが残念(>_<)
遠征は、どこかで「泊」とは書いたモノの、泊まったのは最初の下北行きだけで、それも車中泊。ゆっくり泊まる時間もお金も無いのです(^_^;)
何度目かに戻った21日未明は少し寝て、放送大学2020年度第1学期の試験(>_<) 例年の夏と冬、仙台まで出掛けての受験ですが、今学期はコロナのために自宅受験で、十分には勉強していないのに試験日が繰り上がりました(>_<)
試験前に教科書を探し出し(^_^;)昼過ぎまで勉強(^_^)v 午後3時過ぎから問題に取り掛かったのですが、試験問題を見てびっくり。10問かと思ったら12問でした(>_<) 制限時間が近づいても10問までしか進めず、後は運を天に任せて、てきとーに回答(^_^;)
なにせ消印有効の最終日でしたので、すぐ郵便局へ駆け込み、受取人払いの郵便物に今日の消印が欲しかったことから、わざわざ速達を付けて...。一応テクニック(^_^;)
6連戦の遠征は25日まででしたが、連休には娘のハルエちゃんやマーゴのUちゃんが来たりで、写真整理も進まず....(>_<)
気付けば今月も残りわずかで、ブログの更新も疎かにしていて....(>_<) このような事情で、前記事に頂いたコメントに対応が遅れました。コメントを寄せていただいた皆様、大変すみませんm(_ _)m
さて、しばらくご無沙汰していた「気仙沼の今」シリーズですが、7月3日に行った市内魚市場前に建つ「海の市」からの景色を紹介します。
気仙沼魚市場です。海の市とは隣り合わせ、そんな所に建っています。
気仙沼の「仙」の字のずーっと下に青い横長のプレートが有りますが、東日本大震災による大津波の高さです。右下のワゴン車と比べれば、高さが実感できるかと(>_<)
海の市の建物に貼ってあった観光パネルです。ちなみに右下の写真にはサメ(模型?)が写っています。建物の中には小さなシャークミュージアムも在ります。
気仙沼観光コンベンション協会です。左上に小さな横断幕が見えますが、気仙沼が2021年前期NHK朝ドラ「おかえりモネ」の舞台の一つになると。
かっこいい自転車は展示用でした。有料で貸し出してくれれば良いのに....(>_<)
所用を終え2階エントランスに出て、パチリ。大凡西方向です。奥の丘は気仙沼市民会館へ続く南が丘。その右下が河原田で、手前の白い建物(青い標識の奥)から右手が港町。標識の下の空き地には気仙沼信用金庫内の脇支店が在ったのですが、まだ再建されていないはず。
この辺には多くの建物が在りましたが、9年過ぎてもこの状態。海に近く、人家が建てられないためでしょうか。市内の経済は大きく盛り上がっている訳じゃ無いので、これで終わり?? 以前を知る者にとっては寂しく、悲しいです。
遠くに見える山は市民の森です。
左続きです。正面は旧・河北ビル。仙台に本社を置く河北新報社の総支局等が入っていたのですが、大きく被災して、ビルは市役所へ譲渡され、今は教委や公民館等が入っています。
あの震災時、知人たちはここに一時避難し、大きな津波が落ち着いてから水が残る道路を渡って南が丘に登り、避難所となった市民会館に辿り着いたと(>_<)
更に左隣です。右手の会社は漁具屋さん。大きな釣り針を以前目にしましたが、素人さん用の釣具店ではありません。でも、近くへ来たときは覗いてみてください(^_^;)
それにしても建物はまばらです。9年も過ぎているのに(>_<) 中央やや左奥の小さな建物は本設された床屋さん。その向かい、漁具屋さんの裏には、多分古参の、お酒のディスカウント店が在ります。
更に左側です。手前は海の市の駐車場。左の白っぽい建物は魚市場の続き。その右側にごちゃごちゃ見えるのが....
みしおね横丁です。美味しいモノがありそうです。以前はお風呂のイベントも有ったのですが(^_^;)
更に左です。魚市場の建物は長いです。屋上は駐車場になっています。右手奥は気仙沼大島の亀山。
亀山付近の拡大です。山頂右やや下には亀山レストハウスが見えます。
右は三陸道・気仙沼湾横断橋の塔で、写真中央のやや下には左右に伸びる橋桁が見えます。橋は5月23日に左右から延びてきた橋のブロックがようやく仮接続され、その後の調整を経て6月21日には正式に接続が完了し、セレモニーが行われました。開通は年末の予定と。
更に左です。魚市場の作りは真ん中辺りから折れ曲がっていて、左は北桟橋と呼んでいます。その北桟橋の中には、見学通路が設けられていますが、コロナのために休止と聞きました。屋上の円錐屋根は四阿です。屋上から海を眺めることが出来ます(^_^)v
北桟橋を地上からパチリ。水揚げされた魚は開口部を通った先の左右に並べられます。
その開口部から見える風景を拡大です(^_^)v 市内鹿折地区の鹿折川河口付近です。防潮堤や川の堤防で分かり難いですが、河口は真ん中あたり。左は水産加工場、真ん中の山の麓に建つ茶色い建物は私立東陵高校。その左にちょっとだけ見えるのは鹿折中学校。右手の道路は気仙沼大島へ通じる県道です。その辺りにも多くの建物が在りました。
現況を見て「復興しましたね」とよーく言われるのですが、人は去り、建物は少なくなって、これで復興なのでしょうか?
おしまいm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
7月初めからネオワイズ彗星が明るくなっているといわれているのに、最近なかなか好天に恵まれません。ヤキモキ(>_<)
そこで彗星を追って各地へ遠征したのですが、多忙の中での行動は3連勝3連敗でした。天気が悪い~(>_<)
その直前の12日には、深夜にお腹が今まで無いくらいに痛くなり....(>_<) 前日食べた大好物のシメサバか、その夜のキムチ鍋か....(>_<) おリュウさんのカオも有るので安易に救急車で行く訳にも行かず、藁にもすがる思いで深夜に正露丸。下痢も無く、吐くことも無く(>_<)
その後多少良くはなったモノの不調の高値安定が続き、といって今更病院へ行くのも馬鹿らしく、自宅療養(>_<) 15日の検診にはなんとか滑り込みました(^_^;)
そして16日は老母(ろうはは=ヨコミー語)に面会した後の遠征開始でした。ガラス越し+スカイプで会話する老母は元気ですが、息子の顔をようやく思い出した感じ(>_<) 耳も遠く、耳かすを取ってやれないのが残念(>_<)
遠征は、どこかで「泊」とは書いたモノの、泊まったのは最初の下北行きだけで、それも車中泊。ゆっくり泊まる時間もお金も無いのです(^_^;)
何度目かに戻った21日未明は少し寝て、放送大学2020年度第1学期の試験(>_<) 例年の夏と冬、仙台まで出掛けての受験ですが、今学期はコロナのために自宅受験で、十分には勉強していないのに試験日が繰り上がりました(>_<)
試験前に教科書を探し出し(^_^;)昼過ぎまで勉強(^_^)v 午後3時過ぎから問題に取り掛かったのですが、試験問題を見てびっくり。10問かと思ったら12問でした(>_<) 制限時間が近づいても10問までしか進めず、後は運を天に任せて、てきとーに回答(^_^;)
なにせ消印有効の最終日でしたので、すぐ郵便局へ駆け込み、受取人払いの郵便物に今日の消印が欲しかったことから、わざわざ速達を付けて...。一応テクニック(^_^;)
6連戦の遠征は25日まででしたが、連休には娘のハルエちゃんやマーゴのUちゃんが来たりで、写真整理も進まず....(>_<)
気付けば今月も残りわずかで、ブログの更新も疎かにしていて....(>_<) このような事情で、前記事に頂いたコメントに対応が遅れました。コメントを寄せていただいた皆様、大変すみませんm(_ _)m
さて、しばらくご無沙汰していた「気仙沼の今」シリーズですが、7月3日に行った市内魚市場前に建つ「海の市」からの景色を紹介します。
気仙沼魚市場です。海の市とは隣り合わせ、そんな所に建っています。
気仙沼の「仙」の字のずーっと下に青い横長のプレートが有りますが、東日本大震災による大津波の高さです。右下のワゴン車と比べれば、高さが実感できるかと(>_<)
海の市の建物に貼ってあった観光パネルです。ちなみに右下の写真にはサメ(模型?)が写っています。建物の中には小さなシャークミュージアムも在ります。
気仙沼観光コンベンション協会です。左上に小さな横断幕が見えますが、気仙沼が2021年前期NHK朝ドラ「おかえりモネ」の舞台の一つになると。
かっこいい自転車は展示用でした。有料で貸し出してくれれば良いのに....(>_<)
所用を終え2階エントランスに出て、パチリ。大凡西方向です。奥の丘は気仙沼市民会館へ続く南が丘。その右下が河原田で、手前の白い建物(青い標識の奥)から右手が港町。標識の下の空き地には気仙沼信用金庫内の脇支店が在ったのですが、まだ再建されていないはず。
この辺には多くの建物が在りましたが、9年過ぎてもこの状態。海に近く、人家が建てられないためでしょうか。市内の経済は大きく盛り上がっている訳じゃ無いので、これで終わり?? 以前を知る者にとっては寂しく、悲しいです。
遠くに見える山は市民の森です。
左続きです。正面は旧・河北ビル。仙台に本社を置く河北新報社の総支局等が入っていたのですが、大きく被災して、ビルは市役所へ譲渡され、今は教委や公民館等が入っています。
あの震災時、知人たちはここに一時避難し、大きな津波が落ち着いてから水が残る道路を渡って南が丘に登り、避難所となった市民会館に辿り着いたと(>_<)
更に左隣です。右手の会社は漁具屋さん。大きな釣り針を以前目にしましたが、素人さん用の釣具店ではありません。でも、近くへ来たときは覗いてみてください(^_^;)
それにしても建物はまばらです。9年も過ぎているのに(>_<) 中央やや左奥の小さな建物は本設された床屋さん。その向かい、漁具屋さんの裏には、多分古参の、お酒のディスカウント店が在ります。
更に左側です。手前は海の市の駐車場。左の白っぽい建物は魚市場の続き。その右側にごちゃごちゃ見えるのが....
みしおね横丁です。美味しいモノがありそうです。以前はお風呂のイベントも有ったのですが(^_^;)
更に左です。魚市場の建物は長いです。屋上は駐車場になっています。右手奥は気仙沼大島の亀山。
亀山付近の拡大です。山頂右やや下には亀山レストハウスが見えます。
右は三陸道・気仙沼湾横断橋の塔で、写真中央のやや下には左右に伸びる橋桁が見えます。橋は5月23日に左右から延びてきた橋のブロックがようやく仮接続され、その後の調整を経て6月21日には正式に接続が完了し、セレモニーが行われました。開通は年末の予定と。
更に左です。魚市場の作りは真ん中辺りから折れ曲がっていて、左は北桟橋と呼んでいます。その北桟橋の中には、見学通路が設けられていますが、コロナのために休止と聞きました。屋上の円錐屋根は四阿です。屋上から海を眺めることが出来ます(^_^)v
北桟橋を地上からパチリ。水揚げされた魚は開口部を通った先の左右に並べられます。
その開口部から見える風景を拡大です(^_^)v 市内鹿折地区の鹿折川河口付近です。防潮堤や川の堤防で分かり難いですが、河口は真ん中あたり。左は水産加工場、真ん中の山の麓に建つ茶色い建物は私立東陵高校。その左にちょっとだけ見えるのは鹿折中学校。右手の道路は気仙沼大島へ通じる県道です。その辺りにも多くの建物が在りました。
現況を見て「復興しましたね」とよーく言われるのですが、人は去り、建物は少なくなって、これで復興なのでしょうか?
おしまいm(_ _)m