気仙沼のいま 大谷海水浴場界隈 20160225 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
今日の気仙沼市本吉町風の丘は、昼過ぎを中心に雲が多かったものの、そしてどこからか雪の欠片がちょっと舞ったこともありましたが、比較的良いお天気でした。
ただ北西の風が強く、冷たかったです。昼食間際の正午に、玄関の温度計を日陰に持ち出したら、

6度でした。
風速は、ほっぺへの当たり具合から5m程と判断し、ネットで天気予報と比べたら、およそ合っていました。 ヨコミーすごい!!!(^-^;
でも、まだ表示温度は下がりそうでしたし、風を考慮した体感温度も、更に下回っていたことでしょう。
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立っているのは、大谷海水浴場西端へ注ぐ小さな川・滝根川へ合流する沢の上流を渡る小道。電子国土(国土地理院)で調べたら、海抜18mとか。
馬の背のようなところを走る細道でしたが、隣接する高速道路工事のおかげで舗装されました。
遠くに海水浴場が見えます。
東日本大震災による大津波は、民家の2階部分を2棟も、この足下の道を乗り越え、押し流して行きました。
民家の2階部分が流される水位って、いったい何m必要なのでしょうか。
ド素人ですが、建物の重さを考えると1m2mでは無理で、3m位は必要かなぁと。
そうすると、ここの津波の高さは21m位。遡上高ならもっと高いだろうなぁと考えてみました。
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大谷海水浴場を見下ろす北側の高台。その北側に、この地域の学校、大谷小学校と大谷中学校とがあります。広い校庭を分け合う形で、西に小学校、東に中学校が建っています。
今はまだ、校庭に仮設住宅があります。自宅を再建でき、出て行った人もいるので空き室もあるようですが、災害公営住宅の早期完成を待っている方が多く住んでいます。

仮設住宅には、集会所のほかにサポートセンターも併設されてます。
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校庭の南側の高台には大谷公民館があり、そのちょっと東側には海水浴場方面へ下る小道があり、大津波前は下ると数多くの民家や民宿、ドライブインが有りました。
ちょっと小高いので海水浴場が一望....出来るかと思えば、震災前は海水浴場の手前には松林が広がり、砂浜は見えません。ここから砂浜が見えるのは、海水浴場西端の、松林が途切れる滝根川の西側。
大津波で、ほとんどの砂や松林が流され、打ち寄せる波から海岸を守るために、黒く大きな袋の「土のう」らしきものが、ずーっと連なって重ねられています。
今は国道手前(北側)に作業員宿舎が建ち並びます。作業員さんたちは遠方から来られ、日々、気仙沼の復旧工事に汗を流しています。
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黒い土のうみたいなものが並ぶところに、ポツンと出ていたのが、これ。(この写真の1つ上の写真、左の半島右端の下)
震災前は、海水浴客に放送したり、電光表示で情報を伝えていたのでしょう。
今では、再建される防潮堤の高さを示す役割に。でも、防潮堤が高過ぎるという声や、JRの復旧、国道のかさ上げ等があって、まだまとまらないようです。
安心して暮らせる、職場が守られる、そんな環境を早く作ってほしいものです。
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大谷海水浴場の西端、滝根川の河口です。
手前に見える、砕石を敷いたコンクリートの橋。震災前は、この上にレールがあり、JR気仙沼線のディーゼルカーが走っていました。
ヨコミーが若い頃、宮城県の地の果て・気仙沼から、県都がある仙台へ行くには、東北本線一ノ関駅を経由し、急行料金を別に支払っても、片道3時間も掛かっていました。快速はありません。
この時間、分かりますか? 以前でも、新幹線ひかり号なら、東京から大阪へ着く時間です。
その後、気仙沼から南経由の線路が伸び、震災前のJR気仙沼線は、普通列車ですが、仙台までを2時間ちょうどでつないでいました。画期的な交通手段でした。
震災で多くの個所を被災したJR気仙沼線。運営しているJR東日本は、地元の願いも空しく、鉄路での復旧を断念しました。昔は国鉄でしたが、生みの親の国からは、鉄路を復旧させるという、ありがたいお言葉は、残念ながらまだありません。
確かに別な交通手段はあります。
一ノ関駅からの新幹線なら、乗り継ぎが上手く設定されれば、2時間ちょうどで着けるでしょう。でも、遠回りの運賃と高い新幹線料金は、我々地方の民の更なる負担になります。
今動いている高速バスは、料金がやや安くていいのですが、3時間もかかります。この余計な時間も、我々地方の民の負担となります。しかも、運転手不足から近々減便になると、今日の地元紙は伝えていました。
高速道路はまだ整備されておらず、東北自動車道の高い料金を支払っても2時間半。料金がやや安い南の三陸道経由でも2時間半。おっと、公共交通機関の話でした(^-^;
まあ、JR気仙沼線が民営化されたのはずーっと以前でしたが、何年か前、「民間に出来ることは民間へ...」と劇場さながらに声高に叫んで、いろんなものをときはなした、国の超お偉いさんが居ましたが、そうであるならば、民間のJRが出来ないことは、お国が責任をもって鉄路で復旧させてくれるはず。はず。はず。はず。
どこで、この地方は間違ったんだろうか。地方では大切な交通インフラを、民営化されたことにまで遡るような気がしてなりません。
ここは「地方」の、更に「地方」。都会で成り立つことが、なりたたない、と・こ・ろ。
今日の気仙沼市本吉町風の丘は、昼過ぎを中心に雲が多かったものの、そしてどこからか雪の欠片がちょっと舞ったこともありましたが、比較的良いお天気でした。
ただ北西の風が強く、冷たかったです。昼食間際の正午に、玄関の温度計を日陰に持ち出したら、

6度でした。
風速は、ほっぺへの当たり具合から5m程と判断し、ネットで天気予報と比べたら、およそ合っていました。 ヨコミーすごい!!!(^-^;
でも、まだ表示温度は下がりそうでしたし、風を考慮した体感温度も、更に下回っていたことでしょう。
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立っているのは、大谷海水浴場西端へ注ぐ小さな川・滝根川へ合流する沢の上流を渡る小道。電子国土(国土地理院)で調べたら、海抜18mとか。
馬の背のようなところを走る細道でしたが、隣接する高速道路工事のおかげで舗装されました。
遠くに海水浴場が見えます。
東日本大震災による大津波は、民家の2階部分を2棟も、この足下の道を乗り越え、押し流して行きました。
民家の2階部分が流される水位って、いったい何m必要なのでしょうか。
ド素人ですが、建物の重さを考えると1m2mでは無理で、3m位は必要かなぁと。
そうすると、ここの津波の高さは21m位。遡上高ならもっと高いだろうなぁと考えてみました。
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大谷海水浴場を見下ろす北側の高台。その北側に、この地域の学校、大谷小学校と大谷中学校とがあります。広い校庭を分け合う形で、西に小学校、東に中学校が建っています。
今はまだ、校庭に仮設住宅があります。自宅を再建でき、出て行った人もいるので空き室もあるようですが、災害公営住宅の早期完成を待っている方が多く住んでいます。

仮設住宅には、集会所のほかにサポートセンターも併設されてます。
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校庭の南側の高台には大谷公民館があり、そのちょっと東側には海水浴場方面へ下る小道があり、大津波前は下ると数多くの民家や民宿、ドライブインが有りました。
ちょっと小高いので海水浴場が一望....出来るかと思えば、震災前は海水浴場の手前には松林が広がり、砂浜は見えません。ここから砂浜が見えるのは、海水浴場西端の、松林が途切れる滝根川の西側。
大津波で、ほとんどの砂や松林が流され、打ち寄せる波から海岸を守るために、黒く大きな袋の「土のう」らしきものが、ずーっと連なって重ねられています。
今は国道手前(北側)に作業員宿舎が建ち並びます。作業員さんたちは遠方から来られ、日々、気仙沼の復旧工事に汗を流しています。
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黒い土のうみたいなものが並ぶところに、ポツンと出ていたのが、これ。(この写真の1つ上の写真、左の半島右端の下)
震災前は、海水浴客に放送したり、電光表示で情報を伝えていたのでしょう。
今では、再建される防潮堤の高さを示す役割に。でも、防潮堤が高過ぎるという声や、JRの復旧、国道のかさ上げ等があって、まだまとまらないようです。
安心して暮らせる、職場が守られる、そんな環境を早く作ってほしいものです。
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大谷海水浴場の西端、滝根川の河口です。
手前に見える、砕石を敷いたコンクリートの橋。震災前は、この上にレールがあり、JR気仙沼線のディーゼルカーが走っていました。
ヨコミーが若い頃、宮城県の地の果て・気仙沼から、県都がある仙台へ行くには、東北本線一ノ関駅を経由し、急行料金を別に支払っても、片道3時間も掛かっていました。快速はありません。
この時間、分かりますか? 以前でも、新幹線ひかり号なら、東京から大阪へ着く時間です。
その後、気仙沼から南経由の線路が伸び、震災前のJR気仙沼線は、普通列車ですが、仙台までを2時間ちょうどでつないでいました。画期的な交通手段でした。
震災で多くの個所を被災したJR気仙沼線。運営しているJR東日本は、地元の願いも空しく、鉄路での復旧を断念しました。昔は国鉄でしたが、生みの親の国からは、鉄路を復旧させるという、ありがたいお言葉は、残念ながらまだありません。
確かに別な交通手段はあります。
一ノ関駅からの新幹線なら、乗り継ぎが上手く設定されれば、2時間ちょうどで着けるでしょう。でも、遠回りの運賃と高い新幹線料金は、我々地方の民の更なる負担になります。
今動いている高速バスは、料金がやや安くていいのですが、3時間もかかります。この余計な時間も、我々地方の民の負担となります。しかも、運転手不足から近々減便になると、今日の地元紙は伝えていました。
高速道路はまだ整備されておらず、東北自動車道の高い料金を支払っても2時間半。料金がやや安い南の三陸道経由でも2時間半。おっと、公共交通機関の話でした(^-^;
まあ、JR気仙沼線が民営化されたのはずーっと以前でしたが、何年か前、「民間に出来ることは民間へ...」と劇場さながらに声高に叫んで、いろんなものをときはなした、国の超お偉いさんが居ましたが、そうであるならば、民間のJRが出来ないことは、お国が責任をもって鉄路で復旧させてくれるはず。はず。はず。はず。
どこで、この地方は間違ったんだろうか。地方では大切な交通インフラを、民営化されたことにまで遡るような気がしてなりません。
ここは「地方」の、更に「地方」。都会で成り立つことが、なりたたない、と・こ・ろ。
2016-02-25 23:59
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