気仙沼市本吉町小泉地区中心部界隈 20160509 後編 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
気仙沼市本吉町小泉地区は、東日本大震災の大津波で、平地に有った中心部や、浜、周辺に点在する民家も、すっかりと流されてしまいました。 被害をひとことでいえば、ミニ南三陸町、ミニ陸前高田市といった感じです。
小泉地区の中心部には、震災前、150戸ほどが有りました。 中心部の海側を走る、JR気仙沼線の高架を越える大津波で、民家はもとより農協、郵便局、数少ない会社やお店まですっかりと....。
ヨコミーの母は小泉生まれ。所用も有って5月9日に訪れましたが、今回はその後編です。 メインストリートに近い、街中を流れる外尾(そでお)川に掛かる新町(しんまち)橋から見える、今の風景です。
(写真はクリックすると大きくなります)
前編の後半に有った、高い所から見渡した写真は、左端の坂を上り、ちょっとだけ見える建物・小泉公民館の駐車場から撮影しました。
オレンジ色の屋根は、平成15年に改築された小泉小学校。木造の旧校舎は、廊下が日本一長いとかいわれていて、雑巾がけ競争もあったとか。麓には新町の家々が有りました。
小学校が有る丘の更に右側には、小泉中学校が有ります。坂の上です。小学校と前後して移転新築。以前は更に右奥の丘に有りました。
この辺一帯、震災前は、新町の家々が道の左右に立ち並んでしました。
正面の坂は、中学校や丘に有る農地等へ行く坂で、昔は登り口に何戸か民家が有った程度。それが近年、丘の上の道路沿いに家が建ち始め、震災後は自力で再建した方々もいて、新興住宅ストリートになりつつあります。
この辺には、民家や工務店が有りました。
左の坂道は中央の奥まで続きます。その辺り、高速道路が通ります。 坂の右下は、工事現場の事務所みたい。作りからすると、作業員宿舎も有るようです。 右奥にも作業員宿舎が3棟見えます。
大津波で壊れた家々は、瓦礫の山となってこの奥へ。丘の上に見えるのは、中学校跡地に開設されてた介護老人保健施設で、平成18年に出来ました。
防災集団移転と災害公営住宅の大きな団地は、この奥の右に有ります。
この団地にすむ、お爺さんやお婆さんを始めとする交通弱者は、どのようにして通院や買い物等をすればいいいのでしょうか。
国道のバス停まで、何分もかけて、具合の悪い体を引きずり、通院するのでしょうか。
その昔、一関から沿岸部に向かう鉄路を、その辺を地盤とする国会議員が無理に捻じ曲げ、気仙沼や陸前高田等の利用者は、余計な時間を費やしていました。
そんな鉄路を利用していたヨコミーは、小泉の国道を走るバス路線を、奥の団地まで捻じ曲げて欲しいとは言えない。団地始発のバスがいいのだけれど、民間のバス会社は収支を考えればやれないでしょうね。
いつも思うんだけど、この地区と同じ名前の元総理、「民間に出来ることは民間にやらせます!!」と格好良く大きく叫んでいましたが、民間に出来ないことは国で面倒を見るとは言いませんでした。切り捨てです。
で、仕方なく、一般的には、市町村が税金だったお金をバス会社に支払い、委託して地方の更に田舎のバスは走っています。
簡単に言うと、都会ではもっと別なことに使われている税金が、田舎では西部鉄道や頭部鉄道のような仕事に使われています。これでは、いつまでたっても、地方の公共サービスは劣るばかり。
地方の国会議員も減るというし、これで均衡ある国土の発展は出来るのでしょうか。
1票の格差ばかり注目され、憲法違反だと声高に叫ばれていますが、法の下の平等というのなら、均衡ある国土の発展だって、そのひとつだと、ヨコミーは思うのです。
あっ、またまた道草を......(^-^;
ようやく1周です。でも、少し欠けてしまいました。すみません。ちょうど逆光だったもので....(^-^;
橋を渡って左へ行く道は、前の写真の右手から延びている白いガードレールに続きます。 左の崖上や右手の丘の上に立つ家は、多少被害はあったのかもしれませんが、以前からの家。
正面奥の道を左に行くと、そこにも数棟の作業員宿舎が有ります。 作業員の方々はいったい何人いや、何百人いるのでしょう。賄いは付いているのかもしれませんが、近くにはお店が無く、不便なところで復旧に汗を流しています。ありがたいことです。感謝。
ご覧いただいたように、復旧はまだまだで、復興なんていつのことやら....。
まあ、必ず復興するんだという気持ちは、皆さんお持ちなのでしょうけれど、時間との戦いでもあります。「頑張れーっ!!」とは言いたくありませんが、「頑張っぺし!!!」(^-^;
気仙沼市本吉町小泉地区は、東日本大震災の大津波で、平地に有った中心部や、浜、周辺に点在する民家も、すっかりと流されてしまいました。 被害をひとことでいえば、ミニ南三陸町、ミニ陸前高田市といった感じです。
小泉地区の中心部には、震災前、150戸ほどが有りました。 中心部の海側を走る、JR気仙沼線の高架を越える大津波で、民家はもとより農協、郵便局、数少ない会社やお店まですっかりと....。
ヨコミーの母は小泉生まれ。所用も有って5月9日に訪れましたが、今回はその後編です。 メインストリートに近い、街中を流れる外尾(そでお)川に掛かる新町(しんまち)橋から見える、今の風景です。
(写真はクリックすると大きくなります)
前編の後半に有った、高い所から見渡した写真は、左端の坂を上り、ちょっとだけ見える建物・小泉公民館の駐車場から撮影しました。
オレンジ色の屋根は、平成15年に改築された小泉小学校。木造の旧校舎は、廊下が日本一長いとかいわれていて、雑巾がけ競争もあったとか。麓には新町の家々が有りました。
小学校が有る丘の更に右側には、小泉中学校が有ります。坂の上です。小学校と前後して移転新築。以前は更に右奥の丘に有りました。
この辺一帯、震災前は、新町の家々が道の左右に立ち並んでしました。
正面の坂は、中学校や丘に有る農地等へ行く坂で、昔は登り口に何戸か民家が有った程度。それが近年、丘の上の道路沿いに家が建ち始め、震災後は自力で再建した方々もいて、新興住宅ストリートになりつつあります。
この辺には、民家や工務店が有りました。
左の坂道は中央の奥まで続きます。その辺り、高速道路が通ります。 坂の右下は、工事現場の事務所みたい。作りからすると、作業員宿舎も有るようです。 右奥にも作業員宿舎が3棟見えます。
大津波で壊れた家々は、瓦礫の山となってこの奥へ。丘の上に見えるのは、中学校跡地に開設されてた介護老人保健施設で、平成18年に出来ました。
防災集団移転と災害公営住宅の大きな団地は、この奥の右に有ります。
この団地にすむ、お爺さんやお婆さんを始めとする交通弱者は、どのようにして通院や買い物等をすればいいいのでしょうか。
国道のバス停まで、何分もかけて、具合の悪い体を引きずり、通院するのでしょうか。
その昔、一関から沿岸部に向かう鉄路を、その辺を地盤とする国会議員が無理に捻じ曲げ、気仙沼や陸前高田等の利用者は、余計な時間を費やしていました。
そんな鉄路を利用していたヨコミーは、小泉の国道を走るバス路線を、奥の団地まで捻じ曲げて欲しいとは言えない。団地始発のバスがいいのだけれど、民間のバス会社は収支を考えればやれないでしょうね。
いつも思うんだけど、この地区と同じ名前の元総理、「民間に出来ることは民間にやらせます!!」と格好良く大きく叫んでいましたが、民間に出来ないことは国で面倒を見るとは言いませんでした。切り捨てです。
で、仕方なく、一般的には、市町村が税金だったお金をバス会社に支払い、委託して地方の更に田舎のバスは走っています。
簡単に言うと、都会ではもっと別なことに使われている税金が、田舎では西部鉄道や頭部鉄道のような仕事に使われています。これでは、いつまでたっても、地方の公共サービスは劣るばかり。
地方の国会議員も減るというし、これで均衡ある国土の発展は出来るのでしょうか。
1票の格差ばかり注目され、憲法違反だと声高に叫ばれていますが、法の下の平等というのなら、均衡ある国土の発展だって、そのひとつだと、ヨコミーは思うのです。
あっ、またまた道草を......(^-^;
ようやく1周です。でも、少し欠けてしまいました。すみません。ちょうど逆光だったもので....(^-^;
橋を渡って左へ行く道は、前の写真の右手から延びている白いガードレールに続きます。 左の崖上や右手の丘の上に立つ家は、多少被害はあったのかもしれませんが、以前からの家。
正面奥の道を左に行くと、そこにも数棟の作業員宿舎が有ります。 作業員の方々はいったい何人いや、何百人いるのでしょう。賄いは付いているのかもしれませんが、近くにはお店が無く、不便なところで復旧に汗を流しています。ありがたいことです。感謝。
ご覧いただいたように、復旧はまだまだで、復興なんていつのことやら....。
まあ、必ず復興するんだという気持ちは、皆さんお持ちなのでしょうけれど、時間との戦いでもあります。「頑張れーっ!!」とは言いたくありませんが、「頑張っぺし!!!」(^-^;
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