気仙沼の今 本吉町小泉 浄福寺墓地から 20170815 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
ここは風の丘ですが、今は風の「端境期」なのか、今日も風は微風。
朝から薄日が差し、気温がグングンと上がり、蒸し暑く、残暑でしょう。
そんな中、家庭菜園へ出ました。
目的はゴーヤーの収穫、トウモロコシやダイズの世話。
ゴーヤーは5本収穫。他に食べられないほど熟れ過ぎているやつが1本。
トウモロコシは初物を収穫し、受粉がまだらしい実に、遅れて植えた株から雄花の穂を取ってきて、人工授粉。
そう、今年の種は雄花が先に開いているので、雌花から受粉に使うヒゲが伸びてきた頃には、その株の雄花はとても老化したようになっているのです(>_<)
そして遅れて植えた株の根元に追肥し、土寄せ。この土寄せを、母は「きっかげ」といっていました。
ダイズは割と倒れてしまったので、手持ちの支柱で矯正。
2時間余りの作業でしたが、汗だくになりました(>_<)
実は今日、お昼辺りは雨の予報でした。
なので、大矢先輩からお誘いがあった、国際宇宙ステーションの太陽面通過現象を、市内で撮影する予定でしたが、雨予報でしたので、昨夜に断っていました。
ヨコミーにしては早すぎる決断で、失敗(>_<)
午後からは段々と涼しくなってきましたが、午後は某お遊び団体の事務で多忙と成り、やはり蒸し暑く(>_<)
夜になり涼しくなってきたのは良いのですが、21時を過ぎて、雷雨のような大雨が降り出しました。
大雨は20分30分ほどですが、繰り返し降ります。
午前中やった作業の成果、トウモロコシの根元に寄せた土と追肥は、流されたかもしれません(T_T)
なーんて書いていたら、急激に眠くなりました。
そう、午前6時直前のアラートで、早起きしてしまったのです。
「北」の問題が解決しない限り、私たちにも安眠は無いのかもしれません。
そろそろ本題に(^_^;)
8月15日、母実家の墓参りに行きました。市内本吉町小泉の浄福寺です。
出来ればじっくりと時間経過を追いたいのですが、こんなところで今夜はご容赦をm(_ _)m
凡そ東側、今年の8月15日撮影です。すごい盛土です。震災後に急激に進められた高速道路・三陸道の建設です。
毎年3回、ここを訪れてン十年になります。
なので、春の彼岸以外、緑や黄金色に染まった水田を見ることは、至極当然となっていたので、写真を撮る気など無かったのです。
そこに在ってしかるべきもの....、なんか宿のアメニティみたい(^_^;)
そんなヨコミーの常識が崩れたのは、東日本大震災による大津波被害でした。
ヨコミーの常識となっていた景色が既に無くなってしまったけど、でも、そこからでも記録しなくちゃ....と始めたのがこの一連の撮影です。
5年前の2012年9月に、ほぼ同位置を撮影していました。
右奥に海がちょっとだけ見えています。平らな所。
白い建物は、既に廃墟となって久しいシーサイドパレス。
右の岬の左側に、岩礁も見えます。
クレーンが立っている辺りは、トマト栽培工場の建設でしょうか。
その右側の現在です。
中央右に見える白い横長の屋根は、トマトの栽培工場かもしれません。
その左右に見える紺色の構造物は、被災したのにわざわざ海側に掛け替えられている国道45号の小泉大橋。
それにしても、手前に見える高速道路工事の土量の多いこと!!!
2012年のほぼ同位置です。
見えている橋は、被災直後に自衛隊さんが作ってくれた、国道45号の仮橋。現用です。
橋の右側の丘で、今と比べて建物が1棟少ないのが分かるでしょうか。
被災した公民館が、この丘の空いている所に建てられたのです。
でも、右端の白い建物・小泉中学校は今春で閉校して空いたまま。まだ立派です。
タイムラグは2年か3年。なんで公民館建設前に、中学校校舎の活用を考えなかったんだろう....と思っていたら、過日、地元紙も取り上げていました。
公民館の建設費用は税金? であるならば税金も、近々に空いてしまう校舎も、もったいないと思わなかったのでしょうか、残念です。
たとえ、国から全額貰ったとしても、私たちは市民で有り、国に税金を支払っている国民でも有るのです。
仮に、市町村合併時のお約束に有ったとしても、良識までは流されないで居て欲しかったのです。
我が故郷・市内鹿折の公民館は、被災してからまだまだ小学校に間借りですよ(^_^;)
更に右側、現在です。
高速道路の橋脚が異様です。
海の最前線に巨大堤防が有り、そして第二の堤防として国道の盛土が有ります。
なのに高速道路は、高さが高過ぎる気がするのです。左端の斜めに盛られている土より高くなりそう.....(>_<)
ヨコミー、巨大堤防が無いのなら、この高さでも納得ですが.....。
川土手も嵩上げ工事を進めているのに、手前の水田にも土がしっかりと盛られています。
こんなに盛り上げるのなら、川土手の嵩上げは要らないような....!??
それにしてもこの高速道路、この辺では右奥の南西方向へ進んでいますが、奥の森林に入ってから大きく左へ直角に曲がる設計。
左から1本目と2本目の橋脚の間の奥に見える、山肌が露出した辺りを、今度は左に進みます。
なんでもっと、スムーズに行けるように作らないのでしょうか、不思議(>_<)
2012年9月の、ほぼ同位置です。
右に見えるのは、被災したJR気仙沼線の鉄橋の一部。小泉川(津谷川)に掛かっていました。
これなどは、大津波の威力を伝えるのにふさわしい遺構の一つだと思っているのですが、高速道路か川土手の嵩上げ工事で、見えなくなりました。
更に現在の右側です。
中央やや左上の森に、山肌が見えます。高速道路はあちらへ。
更に現在の右側です。
この辺りのお墓も、大津波で倒されました。
更に現在の右側です。
林の向こうに、被災したJR気仙沼線の高架橋が見えます。
アップしてみました。
やや高い位置からなので高さは余り感じませんが、すぐ下から見ると、津波の威力が分かります。
まだ壊されていなくて安心。JRか公で、これを保存して欲しいのですが.....m(_ _)m
2012年の様子です。
これからすると、現在は籠状のものと、上の柵の一部が撤去されています。
東日本大震災からもう6年余り。
大津波の爪痕は段々と消えてしまっています。
早く、しっかりと残さないと、痛ましい震災が忘れ去られそうです。
区画整理された土地や、高速道路の工事を見て、よーく、「復興しましたね」という、余所から来た御仁がいらっしゃいます。
ヨコミー、ある程度知っている方になら、「いやいや、それはまだまだですよ....」と説明するのですが、現実をしっかりとは見てくれない方が多く、ヨコミー困っています。
あっ、そんなことより、東海地震や南海地震が心配な地方の皆様には、もし被災したらどのようなまちづくりをするか、更にはコンパクトなまちづくりを基本に、出来れば具体的な配置(エリア)まで事前に検討し、計画を作った方がいいと思った次第。
事後、バタバタやっていたんじゃ、決して良いまちづくりは出来ないなぁと思ったから(^_^)v
雨はまだ時々、大きな雨音を立てて降っています(>_<)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
ここは風の丘ですが、今は風の「端境期」なのか、今日も風は微風。
朝から薄日が差し、気温がグングンと上がり、蒸し暑く、残暑でしょう。
そんな中、家庭菜園へ出ました。
目的はゴーヤーの収穫、トウモロコシやダイズの世話。
ゴーヤーは5本収穫。他に食べられないほど熟れ過ぎているやつが1本。
トウモロコシは初物を収穫し、受粉がまだらしい実に、遅れて植えた株から雄花の穂を取ってきて、人工授粉。
そう、今年の種は雄花が先に開いているので、雌花から受粉に使うヒゲが伸びてきた頃には、その株の雄花はとても老化したようになっているのです(>_<)
そして遅れて植えた株の根元に追肥し、土寄せ。この土寄せを、母は「きっかげ」といっていました。
ダイズは割と倒れてしまったので、手持ちの支柱で矯正。
2時間余りの作業でしたが、汗だくになりました(>_<)
実は今日、お昼辺りは雨の予報でした。
なので、大矢先輩からお誘いがあった、国際宇宙ステーションの太陽面通過現象を、市内で撮影する予定でしたが、雨予報でしたので、昨夜に断っていました。
ヨコミーにしては早すぎる決断で、失敗(>_<)
午後からは段々と涼しくなってきましたが、午後は某お遊び団体の事務で多忙と成り、やはり蒸し暑く(>_<)
夜になり涼しくなってきたのは良いのですが、21時を過ぎて、雷雨のような大雨が降り出しました。
大雨は20分30分ほどですが、繰り返し降ります。
午前中やった作業の成果、トウモロコシの根元に寄せた土と追肥は、流されたかもしれません(T_T)
なーんて書いていたら、急激に眠くなりました。
そう、午前6時直前のアラートで、早起きしてしまったのです。
「北」の問題が解決しない限り、私たちにも安眠は無いのかもしれません。
そろそろ本題に(^_^;)
8月15日、母実家の墓参りに行きました。市内本吉町小泉の浄福寺です。
出来ればじっくりと時間経過を追いたいのですが、こんなところで今夜はご容赦をm(_ _)m
凡そ東側、今年の8月15日撮影です。すごい盛土です。震災後に急激に進められた高速道路・三陸道の建設です。
毎年3回、ここを訪れてン十年になります。
なので、春の彼岸以外、緑や黄金色に染まった水田を見ることは、至極当然となっていたので、写真を撮る気など無かったのです。
そこに在ってしかるべきもの....、なんか宿のアメニティみたい(^_^;)
そんなヨコミーの常識が崩れたのは、東日本大震災による大津波被害でした。
ヨコミーの常識となっていた景色が既に無くなってしまったけど、でも、そこからでも記録しなくちゃ....と始めたのがこの一連の撮影です。
5年前の2012年9月に、ほぼ同位置を撮影していました。
右奥に海がちょっとだけ見えています。平らな所。
白い建物は、既に廃墟となって久しいシーサイドパレス。
右の岬の左側に、岩礁も見えます。
クレーンが立っている辺りは、トマト栽培工場の建設でしょうか。
その右側の現在です。
中央右に見える白い横長の屋根は、トマトの栽培工場かもしれません。
その左右に見える紺色の構造物は、被災したのにわざわざ海側に掛け替えられている国道45号の小泉大橋。
それにしても、手前に見える高速道路工事の土量の多いこと!!!
2012年のほぼ同位置です。
見えている橋は、被災直後に自衛隊さんが作ってくれた、国道45号の仮橋。現用です。
橋の右側の丘で、今と比べて建物が1棟少ないのが分かるでしょうか。
被災した公民館が、この丘の空いている所に建てられたのです。
でも、右端の白い建物・小泉中学校は今春で閉校して空いたまま。まだ立派です。
タイムラグは2年か3年。なんで公民館建設前に、中学校校舎の活用を考えなかったんだろう....と思っていたら、過日、地元紙も取り上げていました。
公民館の建設費用は税金? であるならば税金も、近々に空いてしまう校舎も、もったいないと思わなかったのでしょうか、残念です。
たとえ、国から全額貰ったとしても、私たちは市民で有り、国に税金を支払っている国民でも有るのです。
仮に、市町村合併時のお約束に有ったとしても、良識までは流されないで居て欲しかったのです。
我が故郷・市内鹿折の公民館は、被災してからまだまだ小学校に間借りですよ(^_^;)
更に右側、現在です。
高速道路の橋脚が異様です。
海の最前線に巨大堤防が有り、そして第二の堤防として国道の盛土が有ります。
なのに高速道路は、高さが高過ぎる気がするのです。左端の斜めに盛られている土より高くなりそう.....(>_<)
ヨコミー、巨大堤防が無いのなら、この高さでも納得ですが.....。
川土手も嵩上げ工事を進めているのに、手前の水田にも土がしっかりと盛られています。
こんなに盛り上げるのなら、川土手の嵩上げは要らないような....!??
それにしてもこの高速道路、この辺では右奥の南西方向へ進んでいますが、奥の森林に入ってから大きく左へ直角に曲がる設計。
左から1本目と2本目の橋脚の間の奥に見える、山肌が露出した辺りを、今度は左に進みます。
なんでもっと、スムーズに行けるように作らないのでしょうか、不思議(>_<)
2012年9月の、ほぼ同位置です。
右に見えるのは、被災したJR気仙沼線の鉄橋の一部。小泉川(津谷川)に掛かっていました。
これなどは、大津波の威力を伝えるのにふさわしい遺構の一つだと思っているのですが、高速道路か川土手の嵩上げ工事で、見えなくなりました。
更に現在の右側です。
中央やや左上の森に、山肌が見えます。高速道路はあちらへ。
更に現在の右側です。
この辺りのお墓も、大津波で倒されました。
更に現在の右側です。
林の向こうに、被災したJR気仙沼線の高架橋が見えます。
アップしてみました。
やや高い位置からなので高さは余り感じませんが、すぐ下から見ると、津波の威力が分かります。
まだ壊されていなくて安心。JRか公で、これを保存して欲しいのですが.....m(_ _)m
2012年の様子です。
これからすると、現在は籠状のものと、上の柵の一部が撤去されています。
東日本大震災からもう6年余り。
大津波の爪痕は段々と消えてしまっています。
早く、しっかりと残さないと、痛ましい震災が忘れ去られそうです。
区画整理された土地や、高速道路の工事を見て、よーく、「復興しましたね」という、余所から来た御仁がいらっしゃいます。
ヨコミー、ある程度知っている方になら、「いやいや、それはまだまだですよ....」と説明するのですが、現実をしっかりとは見てくれない方が多く、ヨコミー困っています。
あっ、そんなことより、東海地震や南海地震が心配な地方の皆様には、もし被災したらどのようなまちづくりをするか、更にはコンパクトなまちづくりを基本に、出来れば具体的な配置(エリア)まで事前に検討し、計画を作った方がいいと思った次第。
事後、バタバタやっていたんじゃ、決して良いまちづくりは出来ないなぁと思ったから(^_^)v
雨はまだ時々、大きな雨音を立てて降っています(>_<)
2017-08-29 23:59
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