気仙沼の今 魚市場前・海の市界隈 20171027 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
夕べ11月12日は遅くなってすっかり曇ったのに、今朝4時半に目が覚めたら下弦を過ぎた細い月とオリオン座が見えていました。
深夜にちょっとした天文現象があったのですが、すっかり曇ったのでこたつで仮眠を取っていたら、寝過ぎてしまいました(>_<)
その後布団に入りましたがなかなか寝付かれず、記憶が無くなったのは5時半頃か。
目覚めてカーテンを開けたら、とても色が良い、青い空が広がっていました。
一般の方には素晴らしい青空なのでしょうけれど、ヨコミーにとっては悔しい青空でした。
まあ、天気予報を見たら、零時は湿雪の予報でした。
そして、旧・市立病院が在る田中の少し奥では、今朝、初霜が有ったと人伝えに聞きました。
うーん、ちょっと違うような気がしますけど、天文現象の時は天気が悪かったのでしょう、きっと(^_^;)
晩秋休みを頂いてしまいました。すみませんm(_ _)m
昨日のイベントは、だいぶ痛い目に遭いましたが、それ以外は無事に済みました(^_^;)
ヨコミー、イレギュラーなものにはどうも弱いです。
心に余裕が無くなると、イレギュラーなのもをイレギュラーだと認識できなくなる....。
残りは少なくなりましたが、これからの人生に活かして行ければと反省(>_<)
そんなイベントに向けて汗をかいていた10月27日、所用で魚市場に隣接する「海の市(うみのいち)」に寄りました。
確か「海の市」は公設民営の施設で、気仙沼の食を楽しみ、気仙沼の土産が買える所。
その昔、市役所の魹ケンさんという方が構想を担当していた頃、ヨコミーも呼ばれ、数階建てのプラネタリウムも備えた観光施設の案が出来たのですが、残念ながらその後は案が萎みに萎み、一部3階建ての建物に....(>_<)
※写真はクリックすると大きくなります(^_^)v
ここは河原田一丁目の最も海に近い....と書こうとしたら、違っていました。市内港町の南端でした(^_^;)
これで出るかな?
https://www.google.co.jp/maps/dir//Unnamed+Road,+%E6%B8%AF%E7%94%BA+%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC%E5%B8%82+%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C+988-0021/@38.9000195,141.5783918,17z/data=!4m8!4m7!1m0!1m5!1m1!1s0x5f88948c63f2eb7f:0x399e2ae6705ec32!2m2!1d141.5783019!2d38.8999093
なかなか難しいです....(>_<)
その昔、路地の左側に千葉電気という小さなお店が在り、船関係の仕事をしていました。
旦那さんはアマチュア無線をやっていて、通称JA7ゴリラチンパンと呼ばれていました。
そのゴリラチンパンさんの所へ、少ない小遣いを持って、アンテナ線等を買いに行ったものです。
しばらくして旦那さんは亡くなり、この路地を通ることは殆ど無くなりました。
言葉は悪いのですが、ゴミゴミとした路地に、あまり立派とは言えない飲み屋さんなどが軒を連ねていました。
それがあの震災による大津波で、以前の姿を残すものは何も無くなってしまいました(>_<)
奥に見える茶色い建物が「海の市」です。
お得意の、振り返っての撮影です。
奥の小高い所は南が丘。
路地の向こうで車が走っているのは、河原田(かわらだ)大通り。
そう「大通り」。酒屋さん、お菓子屋さん、お茶屋さん、寿司屋さん、八百屋さん、紙屋さん、本屋さん、保険屋さん、家具屋さん、鞄屋さん、自転車屋さん、米屋さん、飲み屋さん等々。
でしたが、年々とシャッター通り化していました。
それでも、ヨコミーが出入りしていた市民会館避難所で、班長の一人として活躍していたスーさんの酒屋さんとか、頑張っていた方々も居られたのですが、東日本大震災による大津波は、無情にもそれらの店々をことごとく壊してしまいました。
この世に神様は居たのでしょうか? 何処の神様にでも問いたい!! なぜ?? どうして???
おおっと、この件はいつかのネタにしましょう(^_^)v
右の石垣は、ホテル観洋やプラザホテルに続く丘の南端です。この石垣、下半分が黒ずんでいます。ひょっとして津波の名残??
石垣の左、黒く、やや傾いた屋根の向こうに、白くちょっとだけ見える建物は市民会館です。
交差点の青信号で進みます。奥に見えるのは気仙沼魚市場。
魚市場は画面左の外側から始まり、海の市裏の左奥で折れ曲がって正面へ続きます。昔は東洋一の長い(大きい)魚市場だったそうな(*^_^*)
海の市へ着きました。
ヨコミーは階段の左側奥から来たのです。
平日なので、マイカーのお客さんは少ないようです。
バスは青森から。有り難いですm(_ _)m
1階は海産物等の販売や飲食店。氷の水族館も(^_^)v 2階は寿司やシャークミュージアム、各種事務所等が入っています。
入口の右側に大津波の水位を表示しています。
一見低そうに見えますが、これでも結構多大な被害を受けました。
昔から天然の良港と言われる気仙沼だから、水位はこの程度で済んだのかもしれません。
隣接する南三陸町や陸前高田市などは、この建物を越える水位でした。
市内南部の小泉でも、この建物が隠れるくらいだとみました。
もし大島が無かったら、唐桑半島が短かったなら、市役所は浸水し、鹿折小学校、条南中学校は水没、津波は上田中や新城沖まで行っていたのでは....と思うと、更にぞっとします(>_<)
海の市の右側です。裏は魚市場の北桟橋です。右側の隙間から、市内港町の岩壁に係留されている漁船が見えました(^_^)v
市場の上ではお休みが出来ます。
上の写真の右隣です。
市場の中心っぽいです。が、広い事務室や買受人の事務所はもっと右だったような....。
えっ??? ヨコミー、「気仙沼魚市場」だとばっかり思っていましたが、なんと、名前には「市」が入っていたのですね。うーん、本当?? うーん、不覚.....(>_<)
魚市場の屋上は駐車場にもなっていて、やや右の赤白棒のゲートから登ります。
魚市場にも、浸水高を示す表示が有りました。上の写真中、「仙」の文字の下です。
でも、なんか目立ちません。もっと明るい色で、はっきり、クックリ描いた方が目に付きやすいです。気仙沼の人は控えめだがらねぇ(^_^;)
海の市の階段を上ります。
階段を上ると、そこは雪国ではなく、回転寿司です(^_^)v
ヨコミー、お小遣いが少なくてちょっと足が遠くなっていましたが、残念ながら(!?)、遠野で有名な空想の生き物の名前を付けたお店や、土蔵や食通の名前を冠したお店の類とは違います。
ホンモノが食べられます(*^_^*)
回転寿司の右手は観光コンベンション協会。入ってみると....
こんな展示も。いつか紹介した、大島と本土を結ぶ通称・鶴亀大橋の模型や写真が展示してありました。もちろん、観光案内もします。
観光コンベンションの右手です。下からの階段を上っての右手でもあります。いろんな事務所が入居しています。某国防衛大臣の事務所も(^_^;)
左の奥上に見えるのは、北桟橋の西端。左の階段から進むことが出来ます。
市場の屋上で、海風に吹かれてみるのもいいでしょう。ただし、冬を除いて(^_^;)
振り返って、後ろ側を撮影してみました。先ほど右側からやって来た道路。先ほど上ってきた階段。
右端ちょっとだけ見えるのは、今は市の教育委員会や中央公民館が入っている、旧・河北ビル。
震災前は建物がぎっしりと建ち並んでいたのに、まだ、こんな感じ。
よーく「復興してきましたね」と外の方々が言いますが、「こんなんで復興してきたと言うんですかぁ~?」と声を荒げたい、もどかしい気もちょっと有ります。
正解は「復旧が始まりましたね~」じゃないかな(*^_^*)
ところで右手のお店ですが、確か漁具の専門店です。
一般人には縁遠いように思えるのですが、あなたのお部屋を更に素敵にするグッズが有るかもしれませんよ。まがって見でけらい(見ていってください)(^_^)v
更に左側です。大きく空いているのは小野好工業(製作所?)とかいった所だったか...。更に奥も空いています。
奥の薄い茶色の建物は、魚市場前のパークホテルらしいです。
左の、小野寺鉄工所第二工場の上には、大島の亀山が見えます。
更に左側です。
魚市場屋上駐車場へと続く坂道が見えます。
この屋上、8月のみなとまつりの夜には駐車が規制され、花火見物客に開放していました。
花火に近く、ドォーンという響きが、お腹の底まで響き、臨場感満点(*^_^*)
来年のみなとまつりでも解放されるか、要チェックですよ(^_^)v
魚市場に近いこの辺りは、これでも建物の復旧が進んでいますが、旧・JR気仙沼線の南気仙沼駅付近はまだまだまだ....。
残念ながら、時に解決を委ねざるを得ないようです(>_<)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
夕べ11月12日は遅くなってすっかり曇ったのに、今朝4時半に目が覚めたら下弦を過ぎた細い月とオリオン座が見えていました。
深夜にちょっとした天文現象があったのですが、すっかり曇ったのでこたつで仮眠を取っていたら、寝過ぎてしまいました(>_<)
その後布団に入りましたがなかなか寝付かれず、記憶が無くなったのは5時半頃か。
目覚めてカーテンを開けたら、とても色が良い、青い空が広がっていました。
一般の方には素晴らしい青空なのでしょうけれど、ヨコミーにとっては悔しい青空でした。
まあ、天気予報を見たら、零時は湿雪の予報でした。
そして、旧・市立病院が在る田中の少し奥では、今朝、初霜が有ったと人伝えに聞きました。
うーん、ちょっと違うような気がしますけど、天文現象の時は天気が悪かったのでしょう、きっと(^_^;)
晩秋休みを頂いてしまいました。すみませんm(_ _)m
昨日のイベントは、だいぶ痛い目に遭いましたが、それ以外は無事に済みました(^_^;)
ヨコミー、イレギュラーなものにはどうも弱いです。
心に余裕が無くなると、イレギュラーなのもをイレギュラーだと認識できなくなる....。
残りは少なくなりましたが、これからの人生に活かして行ければと反省(>_<)
そんなイベントに向けて汗をかいていた10月27日、所用で魚市場に隣接する「海の市(うみのいち)」に寄りました。
確か「海の市」は公設民営の施設で、気仙沼の食を楽しみ、気仙沼の土産が買える所。
その昔、市役所の魹ケンさんという方が構想を担当していた頃、ヨコミーも呼ばれ、数階建てのプラネタリウムも備えた観光施設の案が出来たのですが、残念ながらその後は案が萎みに萎み、一部3階建ての建物に....(>_<)
※写真はクリックすると大きくなります(^_^)v
ここは河原田一丁目の最も海に近い....と書こうとしたら、違っていました。市内港町の南端でした(^_^;)
これで出るかな?
https://www.google.co.jp/maps/dir//Unnamed+Road,+%E6%B8%AF%E7%94%BA+%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC%E5%B8%82+%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C+988-0021/@38.9000195,141.5783918,17z/data=!4m8!4m7!1m0!1m5!1m1!1s0x5f88948c63f2eb7f:0x399e2ae6705ec32!2m2!1d141.5783019!2d38.8999093
なかなか難しいです....(>_<)
その昔、路地の左側に千葉電気という小さなお店が在り、船関係の仕事をしていました。
旦那さんはアマチュア無線をやっていて、通称JA7ゴリラチンパンと呼ばれていました。
そのゴリラチンパンさんの所へ、少ない小遣いを持って、アンテナ線等を買いに行ったものです。
しばらくして旦那さんは亡くなり、この路地を通ることは殆ど無くなりました。
言葉は悪いのですが、ゴミゴミとした路地に、あまり立派とは言えない飲み屋さんなどが軒を連ねていました。
それがあの震災による大津波で、以前の姿を残すものは何も無くなってしまいました(>_<)
奥に見える茶色い建物が「海の市」です。
お得意の、振り返っての撮影です。
奥の小高い所は南が丘。
路地の向こうで車が走っているのは、河原田(かわらだ)大通り。
そう「大通り」。酒屋さん、お菓子屋さん、お茶屋さん、寿司屋さん、八百屋さん、紙屋さん、本屋さん、保険屋さん、家具屋さん、鞄屋さん、自転車屋さん、米屋さん、飲み屋さん等々。
でしたが、年々とシャッター通り化していました。
それでも、ヨコミーが出入りしていた市民会館避難所で、班長の一人として活躍していたスーさんの酒屋さんとか、頑張っていた方々も居られたのですが、東日本大震災による大津波は、無情にもそれらの店々をことごとく壊してしまいました。
この世に神様は居たのでしょうか? 何処の神様にでも問いたい!! なぜ?? どうして???
おおっと、この件はいつかのネタにしましょう(^_^)v
右の石垣は、ホテル観洋やプラザホテルに続く丘の南端です。この石垣、下半分が黒ずんでいます。ひょっとして津波の名残??
石垣の左、黒く、やや傾いた屋根の向こうに、白くちょっとだけ見える建物は市民会館です。
交差点の青信号で進みます。奥に見えるのは気仙沼魚市場。
魚市場は画面左の外側から始まり、海の市裏の左奥で折れ曲がって正面へ続きます。昔は東洋一の長い(大きい)魚市場だったそうな(*^_^*)
海の市へ着きました。
ヨコミーは階段の左側奥から来たのです。
平日なので、マイカーのお客さんは少ないようです。
バスは青森から。有り難いですm(_ _)m
1階は海産物等の販売や飲食店。氷の水族館も(^_^)v 2階は寿司やシャークミュージアム、各種事務所等が入っています。
入口の右側に大津波の水位を表示しています。
一見低そうに見えますが、これでも結構多大な被害を受けました。
昔から天然の良港と言われる気仙沼だから、水位はこの程度で済んだのかもしれません。
隣接する南三陸町や陸前高田市などは、この建物を越える水位でした。
市内南部の小泉でも、この建物が隠れるくらいだとみました。
もし大島が無かったら、唐桑半島が短かったなら、市役所は浸水し、鹿折小学校、条南中学校は水没、津波は上田中や新城沖まで行っていたのでは....と思うと、更にぞっとします(>_<)
海の市の右側です。裏は魚市場の北桟橋です。右側の隙間から、市内港町の岩壁に係留されている漁船が見えました(^_^)v
市場の上ではお休みが出来ます。
上の写真の右隣です。
市場の中心っぽいです。が、広い事務室や買受人の事務所はもっと右だったような....。
えっ??? ヨコミー、「気仙沼魚市場」だとばっかり思っていましたが、なんと、名前には「市」が入っていたのですね。うーん、本当?? うーん、不覚.....(>_<)
魚市場の屋上は駐車場にもなっていて、やや右の赤白棒のゲートから登ります。
魚市場にも、浸水高を示す表示が有りました。上の写真中、「仙」の文字の下です。
でも、なんか目立ちません。もっと明るい色で、はっきり、クックリ描いた方が目に付きやすいです。気仙沼の人は控えめだがらねぇ(^_^;)
海の市の階段を上ります。
階段を上ると、そこは雪国ではなく、回転寿司です(^_^)v
ヨコミー、お小遣いが少なくてちょっと足が遠くなっていましたが、残念ながら(!?)、遠野で有名な空想の生き物の名前を付けたお店や、土蔵や食通の名前を冠したお店の類とは違います。
ホンモノが食べられます(*^_^*)
回転寿司の右手は観光コンベンション協会。入ってみると....
こんな展示も。いつか紹介した、大島と本土を結ぶ通称・鶴亀大橋の模型や写真が展示してありました。もちろん、観光案内もします。
観光コンベンションの右手です。下からの階段を上っての右手でもあります。いろんな事務所が入居しています。某国防衛大臣の事務所も(^_^;)
左の奥上に見えるのは、北桟橋の西端。左の階段から進むことが出来ます。
市場の屋上で、海風に吹かれてみるのもいいでしょう。ただし、冬を除いて(^_^;)
振り返って、後ろ側を撮影してみました。先ほど右側からやって来た道路。先ほど上ってきた階段。
右端ちょっとだけ見えるのは、今は市の教育委員会や中央公民館が入っている、旧・河北ビル。
震災前は建物がぎっしりと建ち並んでいたのに、まだ、こんな感じ。
よーく「復興してきましたね」と外の方々が言いますが、「こんなんで復興してきたと言うんですかぁ~?」と声を荒げたい、もどかしい気もちょっと有ります。
正解は「復旧が始まりましたね~」じゃないかな(*^_^*)
ところで右手のお店ですが、確か漁具の専門店です。
一般人には縁遠いように思えるのですが、あなたのお部屋を更に素敵にするグッズが有るかもしれませんよ。まがって見でけらい(見ていってください)(^_^)v
更に左側です。大きく空いているのは小野好工業(製作所?)とかいった所だったか...。更に奥も空いています。
奥の薄い茶色の建物は、魚市場前のパークホテルらしいです。
左の、小野寺鉄工所第二工場の上には、大島の亀山が見えます。
更に左側です。
魚市場屋上駐車場へと続く坂道が見えます。
この屋上、8月のみなとまつりの夜には駐車が規制され、花火見物客に開放していました。
花火に近く、ドォーンという響きが、お腹の底まで響き、臨場感満点(*^_^*)
来年のみなとまつりでも解放されるか、要チェックですよ(^_^)v
魚市場に近いこの辺りは、これでも建物の復旧が進んでいますが、旧・JR気仙沼線の南気仙沼駅付近はまだまだまだ....。
残念ながら、時に解決を委ねざるを得ないようです(>_<)
コメントありがとうございました。
そうですか、通信制の大学ですか。
いろいろな人生経験を積んでからだと
学びも奥が深いのではないでしょうか。
by いっぷく (2017-11-14 21:55)
ご訪問有難うございます!
震災の傷 想像を絶する 大変なものです、
唯々 復興と人々の心が癒える事を願うばかりです。
by タッチおじさん (2017-11-15 14:13)
ヨコミー、学歴は高卒のまま、以後多分必要ないと思いますが、いろいろと学ぶことで、多くの疑問を見つけることがあります。
ブログのネタにも成りそう(^_^)
学びは通信制で12年生(^_^)v
我が家の「子育て学」にも苦慮しています(^_^;)
by yokomi (2017-11-15 17:42)
タッチおじさん、こんにちは。
被災地にとって心配なことは、多くの方々から忘れられること。
観光でいいですから、何処の被災地でもいいですから、訪問して頂ければと思います。
そして、もし同様の災害が自分が住む所に起きたなら...、東京のお台場に出張していたときに起きたら....などと思いを巡らせ、地域の防災対策はどうあるべきか、そのとき自分は、家族はどう行動したら良いか、ちょっと考えて頂ければと思います(^_^)v
良かったら気仙沼にもお出でください(^_^;)
by yokomi (2017-11-15 18:13)