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松崎尾崎防災公園 気仙沼の今 20211115 [東日本大震災]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。
 吹いてきました、吹いてきましたよ(>_<) 14日の夜は大変な季節風で、家は揺れるし、茶の間に風が吹きました(>_<)(^_^;) 
 ヨコミー家は荒ら家な上に、台所や茶の間、廊下、階段、トイレ、2階ヨコミー奥様・おリュウさんの部屋などは真冬の夜でも戸は開けていて、ヒートショックは無いのです(^_^;)
 が、風が吹いた一件は、強風でバタバタしていた台所換気扇から風が入り、茶の間の床暖吹き出し口から風が抜け、その風はダクトを通って天井裏から2階外壁の排気口か屋根の先に有る空気取り入れ口から出ていったのでは...と考えます。まあ、逆流の類い(^_^;) 
 換気扇の外側って見たことが有りますか? 「ロスナイ」は別として、重厚な蓋は見たことが有りません(^_^;) 薄いブリキかアルミのような金属の板が、ファンの回転で開いたり閉じたりしている物が多いかと。うーん、安い物件しか見たことが無い為かなぁ(^_^;)

 16日未明に南太平洋トンガ沖の海底火山からやってきた津波は、四国などでは小舟が転覆や沈没したようですが、気仙沼は大丈夫だったようです。船を持っている遊び人爺の船も(^_^;) 地元紙に寄れば養殖施設の被害も限定的だったようです。機会があれば後日のネタとします。

 昨年11月の、限りなく皆既に近い月食を撮影しようと、直前に東側が特に開けた場所を探していました。その折、市内面瀬地区の松崎尾崎防災公園を始めて訪れましたので、紹介します。
 元々面瀬地区は松岩地区南部と更に南に在る階上地区の北部とが近年新興住宅地として人口が増えた為、ひとつの地区として独立したものです。凡そ、地域西側の山から東の気仙沼湾へ流れる面瀬川の流域です。
 その面瀬川河口の南側には、字名が松崎尾崎という土地に100戸程の集落が発達していました。一帯は尾崎神社が建っている土地を除き全て低地で、民家等は東日本大震災よる大津波で全滅でした。
 その地域には新規に建物を建てて住むことは出来ず、全住民が移転し、自治会は解散せざるを得ませんでした。
 浸水地となった住めない民地は買い上げられ、大津波から10年過ぎた昨年、防災公園として生まれ変わりました。
 (各写真はクリックすると大きくなります。大きくなるだけ。綺麗には成りません(^_^;)

202111151141 尾崎防災公園 w1920 PB150063.jpg
 青空が綺麗な11月15日の撮影。四阿が建っているのは公園内にある防災築山です。白いのは防潮堤。その向こうに小さな尾崎漁港が在り、関係者や釣り人、公園で遊んでいる人などが津波が来た時に避難してもらおうという施設。右奥の山は気仙沼湾に浮かぶ大島の亀山です。

202111151146 zg7jtob45y  w1280 PB150078.jpg
 防災築山から1枚上の写真を撮影した場所辺りをパチリ。平日のお昼直前、住宅地からは外れた所なので、ヨコミー以外には3人だけか(^_^;) 最寄りの民家からは徒歩で来られなくもないですが、ウォーキングを楽しむのでなければ車利用でしょうか、そんな距離。

松崎尾崎マップ.jpg
 グーグルマップからお借りしました。真ん中辺りが公園です。ところで不思議。セブンイレブンが何軒か表示されていますが、ファミリーマートが気仙沼中央インターと松岩漁港マークとの中間、県道沿いで営業しているのですが、示されません。こんなこともあるのですね。株主とか広告を出しているとか!?? 

202111151147 尾崎地区 w1280 PB150079.jpg
 400年も続いた集落が無くなってしまい、自治会も消えたことを伝える表示板も公園にありました。近年では明治三陸大津波、昭和三陸大津波、そして昭和35年のチリ地震津波をも乗り越えた集落でしたのに....。

202111151145 津波浸水深 w1280 PB150075.jpg
 防災築山にある四阿です。椅子は有り難いですが、何故か北風や西風が当たりやすい向き。晩秋から冬、そして春先までは冷たい風が当たりそう。透明なアクリル板でも欲しいです。または椅子は日当たりが良い向きにして欲しかった。
 ところで左側。太陽光発電の防犯灯でしょうか。それはまあ良しとして、東日本大震災による大津波はここまで高くなったよ....と伝える表示です。
 ただ、文字を拡大して見て頂きたいのです。「津波浸水深」となっています。水位の上端を表すのに「深さ」でしょうか。ヨコミーは自治会が作った表示板にもある、高さを示す「浸水高」が正しいと思うのですが....。
 もう一つ、防潮堤の真ん中辺りから左へ、防潮堤のほんのわずか上に極細い白線が見えることを気付かれましたか? 対岸鹿折地区南海岸の防潮堤です。で、何故こんな高さにカメラを構えたかといえば、前後(視線方向)の水平を出したかったから(^_^;) つまり、こちらとあちらの防潮堤は水平。なのに左で示された津波の高さは、防潮堤より更に「上」です。
 そう、あの東日本大震災後に工事が進められて各地で完成しましたが、巨大だと騒がれもした防潮堤は、なんとあの大津波を防ぎきれないのです。これは、より低い大津波、一般的には近々にやってくると言われる宮城県沖地震による津波を防ぐ程度の防潮堤です。あの2011年に来た大津波規模のものには避難対応だと行政は示して、防潮堤建設と共に避難路の整備も進めていました。
 と、更に(^_^;) 書き忘れるところでしたが、ここの防災築山は防潮堤よりも低いですね。大津波が来たら高くなる仕掛けでもあるのでしょうか? 大波程度が一度や二度ザブーンと越えて来る分には問題無いのでしょうけれど、防潮堤を越える大津波が来たら、築山のてっぺんは水中となる可能性が大きいです。逃げ遅れた方を救うのは、やはり防潮堤より高い尾崎神社と大きな木でしょうか。
 いくら低めの大津波に対応する防潮堤だとしても、内側の低地にはそれに勝る津波避難タワーや築山を設けたいものですね(^_^)v

202111151145 尾崎神社 w1280 PB150073.jpg
 防災築山の南には、小山の上に立つ尾崎神社が在ります。中央やや下から右に来る道は下から四阿まで登る為のもので、築山の途中。地盤は見掛け上赤いそりの奥に見える道。そんな高さ。
 カメラの目線は上のコマと同じで、そうしてみれば尾崎神社の境内が辛うじて大津波の上になっていたようです。1mも無いことが分かります。

202111151145 尾崎神社 w1280 PB150074.jpg
 小さな尾崎神社の社です。少し拡大しました。

202111151142 尾崎神社 w1280 PB150067.jpg
 上のコマで、赤いそりの向こうに見えたのが下側の道です。この道も多少の盛土が有ったのかも知れません。向こう側には古い防潮堤が有り、押し寄せた海水が滞留していたと思われますが、10年経ってこんなに緑です。因みに、風の丘近くに在る杉林の下は浸水地でしたが、下側の杉は間もなく立ち枯れました。

202111151138 図 w1280 PB150060.jpg
 では、周囲を紹介したくて、先ずは説明看板から。これは北向きに立てられているので北が下となります。図の作りが悪く、避難経路図にある漁港が公園の図には無く、河口近くの防潮堤に市道が走っているのですが、それも描いてありません。以下の写真は防災築山の北で、川の堤防または漁港の防潮堤を市道が乗り越える辺りからの撮影です。

202111151128 室根山東から w1280 PB150024.jpg
 最初はこんな所。公園北側を東に流れる面瀬川の河口。川幅が急に広くなっているので、海? でも右奥の片浜(かたはま)漁港(行政のくくりでは尾崎漁港も片浜漁港も松岩漁港となっています)の海岸線をこちらに延ばせばまだ「川」かな? 勉強不足(^_^;) おっ、勉強不足と言えば学んでいる放送大学の期末試験は近々(>_<) ブログを早く終え、勉強しなくっちゃ(>_<)(T_T)
 凡そ北北西向き。中央やや右上、一段高くなった所は煙雲館(えんうんかん)。
 左奥の山は岩手県、今は一関市となった旧・室根村の室根山895m。
 右端、工事中の防潮堤も後で拡大します。

202111151130 室根山 w1280 PB150033.jpg
 その室根山の拡大です。近隣では最高峰で、以前は東麓に小さなスキー場もありました。台形ですが、山頂は右側。左端にテレビ塔の中継所が林立していますが、2つ白く見える点の内、左はレストハウスも兼ねる室根山天文台です。
 中央を左右に走るのは三陸道。左端、丘の上に見える大きな窓を持つ建物は松岩公民館。

202111151130 煙雲館 w1280 PB150032.jpg
 中央が伊達家に使えた鮎貝家で、建物は近年の物ですが、西側のお庭が素敵だと市内では有名で、コロナが収まったらまた行きたいです。また、歌人で国文学者・落合直文の生家でもあります。ウィキペディアによれば、直文は備後広島藩三原城主浅野家の家臣・落合尚志の養子となりました。

202111151136 防潮堤工事 w1280 PB150059.jpg
 工事中の防潮堤を拡大しました。断面が分かります。手前は片浜漁港ですが、30?年程前までは、ここから大島南部と結ぶ航路が有り、朝夕を中心に利便が図られていました。しかし利用が減り、連絡船は無くなりました。

202111151128 片浜漁港 w1280 PB150025.jpg
 広い範囲での右隣です。中央から左は片浜漁港。左端は1コマ上の防潮堤工事拡大箇所。その右上に見える白いトゲは後で拡大します。
 海の奥に見える山々は、あの300tもの船が打ち上げられた鹿折地区の、南南東に連なる山々で、その裏は旧・唐桑町です。右端の山が唐桑町の早馬山です。丁度大島大橋と重なっています。これも拡大予定。中央上、横になっている防波堤の向こう、小高い所に見えるのは鹿折地区に在った浦島小学校付近に出来た、以前もちょっと紹介しました防災集団移転の団地。これも。

202111151130 母体田 w1280 PB150034.jpg
 「白いトゲ」の拡大です。ワイヤーが見えており、三陸道の気仙沼湾横断橋を支える主塔の1つです。手前は、片浜の北東部沿岸に広がる母体田(もたいだ)の集落です。

202111151130 旧・浦島小学校 w1280 PB150036.jpg
 中腹に目立つのは無線中継のパラボラアンテナ。その右下に見えるかまぼこ屋根は震災後の児童数減少で廃校となった旧・浦島小学校の屋体。右に校舎が広がります。大津波前までは校舎の下に3軒程の民家でしたが、大津波で家を失った方々の防災集団移転団地が形成されました。ただ、児童数の確保が出来ず、ヨコミーも何度か行った浦島小学校は廃校となりました。
 従来の県道は中央から左に掛けての沿岸に在りましたが、今では団地付近を大島に行く県道が走っています。

202111151130 鶴梶防集 w1280 PB150038.jpg
 大島大橋北側の付け根が右側。左は梶が浦集落と鹿折地区最南端となる鶴が浦集落の間に在る高台に出来た防災集団移転の団地。今思えば、本当に岸に近い低い所に多くの方が住んでいました。

202111151128 大島方向 w1280 PB150026.jpg
 広い範囲での、更に右隣です。左手前は尾崎漁港。左下は古い、川の堤防というか土留めでしょうか。
 正面は大島。左端近くに旧・唐桑町の早馬山と大島大橋が重なって見えています。島の山は亀山。その右(南)側の裾野が海に接するように見える入り江は浦の浜。これらも後で拡大します。

202111151130 大島大橋・早馬山 w1280 PB150039.jpg
 大島大橋と早馬山219mです。余り詳しくはありませんが、手前の筏は牡蛎や帆立、小さな浮きが並ぶのは若布だと思います。

202111151130 亀山 w1280 PB150040.jpg
 大島の亀山234mです。山頂近くに見える白く横長の建物は亀山レストハウス。
 以前はその下から右下の浦の浜とを結ぶリフトがありましたが、利用は段々と低迷し、大津波の被害もあって廃止となりました。
 亀山からの眺望はとても素晴らしいですが、交通が難。レストハウス付近はとても狭く、中腹に市は駐車場を作ってそこから歩いてもらっていました。が不評で、レストハウスまでシャトルバスが出ていました。でも常時ではなく、市は解決策として駐車場からのゴンドラを計画しています。
 ただ、ゴールデンウィーク等には駐車場までの大渋滞が予想されます。以前も大変でした。ハイシーズンに来られる方はネットで調べるか、観光協会で情報を仕入れた方が良いです。

202111151131 浦の浜 w1280 PB150041.jpg
 連絡船が着いていた浦の浜です。今では遊覧船が発着するだけ。正面から右側にはお店や民家が建ち並んでいましたが、全て大津波にやられ...。正面は盛土され観光施設ウエルカムターミナルがオープンしました。右側はまだ工事中です。
 大島は簡単に言えば北部は亀山とその麓で成り立っていて、ここ浦の浜から南(右)側は緩やかな丘陵地帯です。その両者が接する浦の浜は、向こう側、つまり前の朝ドラ「おかえりモネ」にもたまに出ていた砂浜に鉄の廃船が打ち上げられていた田中浜と共に大島の「くびれ」を形作っていて、東日本大震災による大津波が、外洋(奥)からその「くびれ」を乗り越えてきた...と地元の方から聞きました。
 ところで手前ですが、尾崎漁港の防波堤に繋がれた遊漁船です。マイカーならぬマイ釣り船の駐車場(係留)です。勿論有料。知り合いは釣った魚を活魚店に売ったり、魚市場へ水揚げしたり...と。好きな方は当地にセカンドハウスを入手しては。手の良い空き家がありますよ(^_^)v

202111151128 尾崎神社 w1280 PB150027.jpg
 広い範囲での右隣です。凡そ南向き。真ん中が尾崎神社。右手が先程の防災築山ですが、微妙に防潮堤より低いですね。このままでは公園の単なる見晴台かと。その四阿の向こうに、岩井崎が見えます。
 防潮堤左に見える白いテントや小さな建物は、倉庫や作業場か。どこでも牡蛎は浜の小屋で剥いて出荷していますしね。どこかじゃ若布を煮るのは浜の露天でやっていましたが、いつか接近したいです(^_^;)
 その向こうの陸地は大島の南部。沿岸の一部には岩壁もありますが、総じて緩い丘陵地帯です。
 防潮堤を乗り越える市道端からの撮影です。

202111151133 岩井崎 w1280 PB150050.jpg
 ちょっと位置をずらしての岩井崎方向です。逆光で写りは悪いですが、右側の陸から東に向かって伸びる岬です。手前左は公園の防災築山。

202111151133 岩井崎 w1280 PB150051.jpg
 写りが悪いので、確認の為コントラストを上げて見ました。岩井崎の先端ですが、手前真ん中に有る照明灯のほぼ真上に灯台が見えます。周囲に有る黒松とは違って直線状に立っているやつです。その右側に見える白い建物は、被災してこの地へ移った県の水産試験場です。更に拡大で右へ(^_^;)

202111151133 旧・向洋 w1280 PB150052.jpg
 岩井崎の付け根、階上地区波路上地内に建つ建物群が見えます。左は冷凍倉庫かと。中央右、窓が見える建物は旧・県立向洋高校で今は震災遺構として公開されています。上の窓は4階。ここまで大津波がやってきました。

202111151129 公園 w1280 PB150029.jpg
 広い範囲での右隣です。あの震災前、民家が密集していましたのに、今は....。
 左の防潮堤は岩月、最知等を経て岩井崎へ。グラウンドの向こうに見える丘は岩月。その辺りから右へ緩く昇っているのは今は亡き鉄路・JR気仙沼線が変わり果てたBRTというバス専用線。面瀬川を渡るので右側が高くなっています。手前に市道も併走。
 奥に見える山々の向こうは市内本吉町です。

202111151129 面瀬川上流 w1280 PB150030.jpg
 更に広い範囲での右隣です。面瀬川の上流方向です。右端に室根山がまた見えました。やっと一周。お疲れ様です。でも、もう少し(^_^;) 室根山左下には県道の上を走る三陸道の跨道橋も見えます。
 中央、黄色いイチョウと思われる木が有る丘には古谷舘八幡神社が有ります。これは上のコマで紹介すべきだったかも知れませんが、左端の建物群は主に烏賊の塩辛等を作っている工場。
 
202111151132 面瀬地区 w1280 PB150047.jpg
 では、拡大です。左が塩辛等の工場群。奥の中央から左に走っているのは三陸道。右は面瀬川に掛かる、アーチが有るBRTの橋と、手前のガードレール(柵?)だけの橋は市道のもの。アーチに重なる建物は冷凍倉庫。
 奥の山は左の三角山が愛宕山621m。ほぼ中央の三角山が徳仙丈山710m。初夏は山頂がヤマツツジで真っ赤になります。光の具合で午前中の早い頃が見頃。覚えていてください(^_^;) 右端は市民の森で約600m。

202111151132 古谷舘八幡 w1920 PB150046.jpg
 古谷館八幡神社付近の拡大です。黄色い木はやはりイチョウのようですね。いい色です。震災時、この神社は大丈夫でしたが、向かって左下、ファミマの向かいに有った県道沿いに有った知り合いの家はすっかりと...(>_<)

202111151131 松岩旧道 w1280 PB150044.jpg
 室根山と八幡神社の間に有る三陸道の跨道橋です。下にセブンイレブンが見えるので、市民が一般的に言う「旧道」はセブンの左側。旧(^_^;)バイパスはセブンの直ぐ右手なのですが、手前に隠れて見えません。セブンの手前に見える黒っぽい構築物はBRT松岩駅の待合です。
 左上の長い建物は松岩小学校。新築する家の南進化で一時はマンモス小学校でしたが、面瀬地区に小学校が出来た時点でマンモスは解消されました。
 多くの方には関係の無いことですが、こうやって見てみたらアマチュア無線局の大きなアンテナを2つ見つけました。1つは細く長く続いている無線仲間ですが、もう1つは?? 大津波で流され、この付近に引っ越したと聞くアマチュア無線の先輩宅でしょうか。調査方々旧交を温めに行きたいですが、コロナがまたまた増えてきて....(>_<)

202111151142 寄贈 w1024 PB150064.jpg
 さて最後に、具体的にどの部分を戴いたのかは書いてありませんでしたが、敬意を表して掲げます。
 感謝m(_ _)m

 長い旅に(^_^;)お付き合い頂きまして誠にありがとうございます<(_ _)>
 説明のし過ぎで、つい行った気になり、この地を素通り....となっては本末転倒(>_<) 以後は気を付けて、謎めく短い解説にしたいと思います。ん、まだ勉強足んねけんとね(^_^;)
 あっ、あと1日程度の勉強で2つの試験に取り組むようです(>_<) 大変(T_T)
 推敲不足のままでもありますが、先ずは寝っぺ(^_^;)
 本編はお終い<(_ _)> 
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明けまして....20220101 [四季の便り 花,植物,農遊]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。

202112261009 雪南天と山茶花 w1280 PC260032.jpg
 遅れましたが、明けましておめでとうございますm(_ _)m
 年末年始は多忙で、なかなか写真整理とブログの更新が出来ませんでした(>_<) 
 年末は、やはり色々とあり、恒例(本来は恒例ではダメなのですが)の稼ぎは少しでしたが27日に済ませ、29日は最後のお歳暮を届けて仙台光のページェントへ(^_^;) でもこれは、クリスマス前が一番の賑わいですね。神棚や玄関のお飾りを終えたのが大晦日の夕食後、紅白歌合戦も中盤になった頃(^_^;) 
 年明けは天気に恵まれず初詣という程の参拝は無く、元日の午後に地元の氏神様に行った程度(^_^;)
 今年もコロナの恩恵(^_^;)で新年の挨拶回りは半分以下。近場だけでした。なので多少は余裕が出たはずでしたが...(>_<)
 一般的な年末年始の休み期間中には、近くに居るマーゴのUちゃんが保育に欠けるので次男と共にやってきて、その対応(^_^;) ヨコミー奥様のおリュウさんと次男の2人が居てもUちゃんに目の届かない場面もあることからヨコミーは工作員改め「監視員」として活躍(^_^;)

 雪は年末まで、当地としては毎日のように(やみますが)降り、車で圧雪にならないように庭を「掃き」、晴れ間が勿体ないので1階屋根の上に有る太陽光パネルの雪も下ろします。積雪が10センチ近く有っても竹箒で掃いたので、そのときは雪かきスコップでも良かったかな...と(^_^;) そんな降り方でしたが、雪も正月の休みに入ったようです(^_^;) 細かい雪が舞う程度。
 気温は割と低い日々が続いています。12月後半から冷え込み、寒さに震えていました。まあ、北海道や青森、一部岩手の方々には笑われる寒さかも知れませんが(>_<) この冷え方は一昨年も同じで、年が明けた昨年1月は不思議なことに小寒を過ぎたら多少和らぎ、割と楽勝な大寒を迎えました。
 「感じ」だけですみませんが、以前は年始の挨拶回りに行く辺りで、やっと冬タイヤに交換していました。そう、交換しないで南岩手の親戚へ行ったことも有ったのです。なのに一昨年と昨年は12月半ばには冬タイヤを必要としていました。気温も小寒辺りから寒さが厳しくなっていったものでしたが、一昨年から厳しい寒さが早く来ています。あの、夏の厳しい暑さを少し取って置いて欲しいのですが...(^_^;)
 写真に載っている南天の実は、ギーギと騒ぐ鳥によってそろそろ無くなります。おリュウさんは正月の内は鳥もお利口に食べないから...と、正月後に食べられることを気にも留めていません(^_^;)

 正月関連の用事は4日で終わり、昨日5日は溜まった用事を片付け、今日午前中は通院して薬をもらってきました。いつか処方された薬についても書きたいです(^_^;)

 というわけで、今回はご挨拶のみ(^_^)v
 本年もよろしくお願い致しますm(_ _)m
タグ:南天
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