楽しい帽子も有った商店街 博多祇園山笠(後編) 20230706 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日7月11日は、あの東日本大震災の月命日。あれから気仙沼市では、毎月11日を「防災を考える日」と定め、午前中に広報塔で防災を再確認しろ...と呼びかけています。あっ、本当は「しろ」じゃないですよ(^_^;)
九州や山陰で大雨被害ですが、亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災され方々にはお見舞いを申し上げますm(_ _)m
先週始め、我が家の密命で博多に行かねばならなかったのですが、みれば天候が心配(>_<) 新幹線等の交通機関が一時止まりましたね(>_<)
場合によっては少し延期も考えていましたが、6日の予想が良さそうだったので、6日を中日(なかび)とする5日から7日までに、1日の予備日を加えて4日間のつもりで出掛けました。
博多で雨に祟られなかったことについて、某先生には「強運」と言われましたが、私が住む気仙沼より予報は当たりやすいだろうなぁ...という希望的観測と、まあ我が家の仏壇を通じて、亡き父と三母がお天気を遠隔操作してくれたのでしょう(^_^)v
実際は予備日を諦めた3日間でしたが、雨にだけは当たりませんでした。ただ、灼熱地獄でした(>_<)
帽子を忘れたので、安いのでも買いたいなぁ....と、祇園に有る泊まった宿のフロントに聞いた事から始まった、飾られた山笠の観光でした。川端通商店街も素敵な、元気な商店街と見ました(^_^)v
さて、ぜんざいを美味しく頂いたので、そろそろ再開です。
(写真はクリックすると大きくなります)
川端ぜんざい広場を川側に通り抜けたら、素敵な川端が広がっていました。博多川です。
綺麗に整備されています。川向かいが中州、左奥が上流方向です。
右側です。右奥が下流。時間が有れば下りたかったのですが....(>_<)
さあ、商店街に戻りましょう。
中洲川端駅方向に進んだら、楽しい帽子がいっぱい並んでいました。お店はネーム刺繍店とあります。刺繍の技術を活かしたのでしょう。一つ一つ表情が皆違うのでオリジナルなのかも(^_^)v
もう少し進んだら....十四番山笠でした。
「蘇我の夜討ち」です。
見送りは世界水泳福岡。
なんと松岡修造さん(左下)(^_^;) しばらく見ない内にタレントになったのですね。
そろそろ商店街が終わります。通り西端の出入り口です。事前の調べも無いし、向こうに見える建物の下に駅が有るようなので、そちらに渡りますが、帰路に見たら、ここの右後ろ、商店街の中にも地下鉄の出入口が有ったのですね(>_<)
まあ、気付かなかった為に、もう少しの展開が待ち受けていました(^_^;)
取り敢えずアーケードが切れた所で振り返り、パチリ。
渡ろうと信号待ちをしていたら、右側にお座りしていたのが川上音二郎でした。若い方はご存じないかも知れません。明治の中期、世情を風刺したオッペケペー節を歌った御方。自由民権運動。
残念ながら刻まれた歌詞は、黒い塗料が一部剥げています。が、大凡のことはお分かりになるかと。
音二郎...といえば音ちゃん。あっ、石巻市の旧北上川中州に有った、江戸時代から続くという見世物小屋改め岡田劇場に居たスタッフです(^_^;)
岡田劇場はイオンに出来た映画館....という時代の波に揉まれ、東日本大震災では劇場自体も流され....(>_<) 音ちゃんや社長さんも流されたけど何とか助かり、興行はしているようですが、イオンという壁も有り、映画館再建はどうなったのかなぁ...。
信号を2つ3つ待って向かいのビルを見たら、エスカレーターホールの前に背の高いテントが...。怪しい...(^_^;)
向かいのビルは「博多リバレインモール by TAKASHIMAYA」でした。次回は美術館でも見たいです。
二番山笠 大黒流でした。こちらは高さが無いので担ぐ「舁山(かきやま)」でしょうか。
でも、どうやら後ろです(^_^;) 京都祇園祭山鉾は後ろに下げる織物等を「見送り」と言っているようですが、博多では単に後ろを見送りと言っているようです。まあ表側に回ります。
じゃーん、大黒様(^_^)v
エスカレーターホールを背にして左側を見たら、遠くにまたまた怪しいモノがありましたので拡大したら、一番山笠でした。
あっ、大変(>_<) 昼前に現着したかったのに、もう11時45分です(T_T)
名残惜しい川端通商店街にお別れを告げ、地下鉄への階段を下りました。さあ、任務遂行の為に急ぎまょう。昼時間ですが、食べるのは後回し(>_<)
今回旅行に際し、事前に気仙沼駅へ行って切符を買い求めようとしたら、丁度午後の休憩時間に、タッチの差で入ってしまいました。なので1つだけしか無い窓口は閉鎖。タッチの差なので20分間、ただ待ちます。うーん不便なまち(>_<)
不便なまちといえば、某爺が過日市立病院へ行ったら、「今日は予約でいっぱいだから」と帰された....、是非行きたいなら救急車だなぁと怒っていました。痛いから行くのに、初診なら診て欲しいし、次回から予約だよ....とやるべき。しかも、内科や整形外科等町医者が居る診療科は、まず町医者に行け....とばかりに初診料を超割高な何千円も取られる....とも話していました。
そういえば身近な知り合いは、胸が時々痛むので市立病院へ行き、総合受付で初診票を書いて出したら、(外の業者さんが総合受付をやっているので)苦慮していたのか暫くしてから呼ばれ、「直接外来窓口に行って受診したいと話して下さい」と話され、その外来窓口に行ったら、「当外来は予約制です。午後3時に電話して下さい」と受付さえもしてもらえなかったと(>_<) 市民の為の病院じゃなくなった(T_T)
この春だったか、何かの雑誌で、私が住む気仙沼市は「東北で2番目に住みよい街」だと載っていたそうな。私はそのような雑誌は買わないけど。
勿論雑誌社ではそれなりの項目で評価しているのでしょうけれど、実際は単にそれだけのこと。
何日かは忘れたけど、4月か5月の聖教新聞、最後の面に某先生が統計数字の読み方について書いていました。「数字にはバイアスが掛かっている」と。
気仙沼市では隣市にならい、公民館の市民センター化を進めるという。これは大都市の市民センターではなく、簡単に言えば公民館の管理を単に外注(指定管理)すること。隣市は先進地だと。でも、私が以前見た隣市の「公民館」は、地域の自治会館みたいな小規模のものも有りました。
このような小さなものと、言わば旧町村単位で設置されている気仙沼市の公民館とは、同一に比べられないと思います。でも、公民館という名前の建物は、数字上小さくても大きくても1つは1つです。
しっかりとした検証が足らない数字が表に出、その数字が一人歩きする場合があります。その数字、いや数字のみに限らず、目の前にある物事が本当に正しいのか、行動を起こす前に一度や二度叩いてみることをお勧めします。
ウクライナを始めとする戦争や紛争、強圧政治が終わり、世界中で平和を満喫出来る日が早く来ることを祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日7月11日は、あの東日本大震災の月命日。あれから気仙沼市では、毎月11日を「防災を考える日」と定め、午前中に広報塔で防災を再確認しろ...と呼びかけています。あっ、本当は「しろ」じゃないですよ(^_^;)
九州や山陰で大雨被害ですが、亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災され方々にはお見舞いを申し上げますm(_ _)m
先週始め、我が家の密命で博多に行かねばならなかったのですが、みれば天候が心配(>_<) 新幹線等の交通機関が一時止まりましたね(>_<)
場合によっては少し延期も考えていましたが、6日の予想が良さそうだったので、6日を中日(なかび)とする5日から7日までに、1日の予備日を加えて4日間のつもりで出掛けました。
博多で雨に祟られなかったことについて、某先生には「強運」と言われましたが、私が住む気仙沼より予報は当たりやすいだろうなぁ...という希望的観測と、まあ我が家の仏壇を通じて、亡き父と三母がお天気を遠隔操作してくれたのでしょう(^_^)v
実際は予備日を諦めた3日間でしたが、雨にだけは当たりませんでした。ただ、灼熱地獄でした(>_<)
帽子を忘れたので、安いのでも買いたいなぁ....と、祇園に有る泊まった宿のフロントに聞いた事から始まった、飾られた山笠の観光でした。川端通商店街も素敵な、元気な商店街と見ました(^_^)v
さて、ぜんざいを美味しく頂いたので、そろそろ再開です。
(写真はクリックすると大きくなります)
川端ぜんざい広場を川側に通り抜けたら、素敵な川端が広がっていました。博多川です。
綺麗に整備されています。川向かいが中州、左奥が上流方向です。
右側です。右奥が下流。時間が有れば下りたかったのですが....(>_<)
さあ、商店街に戻りましょう。
中洲川端駅方向に進んだら、楽しい帽子がいっぱい並んでいました。お店はネーム刺繍店とあります。刺繍の技術を活かしたのでしょう。一つ一つ表情が皆違うのでオリジナルなのかも(^_^)v
もう少し進んだら....十四番山笠でした。
「蘇我の夜討ち」です。
見送りは世界水泳福岡。
なんと松岡修造さん(左下)(^_^;) しばらく見ない内にタレントになったのですね。
そろそろ商店街が終わります。通り西端の出入り口です。事前の調べも無いし、向こうに見える建物の下に駅が有るようなので、そちらに渡りますが、帰路に見たら、ここの右後ろ、商店街の中にも地下鉄の出入口が有ったのですね(>_<)
まあ、気付かなかった為に、もう少しの展開が待ち受けていました(^_^;)
取り敢えずアーケードが切れた所で振り返り、パチリ。
渡ろうと信号待ちをしていたら、右側にお座りしていたのが川上音二郎でした。若い方はご存じないかも知れません。明治の中期、世情を風刺したオッペケペー節を歌った御方。自由民権運動。
残念ながら刻まれた歌詞は、黒い塗料が一部剥げています。が、大凡のことはお分かりになるかと。
音二郎...といえば音ちゃん。あっ、石巻市の旧北上川中州に有った、江戸時代から続くという見世物小屋改め岡田劇場に居たスタッフです(^_^;)
岡田劇場はイオンに出来た映画館....という時代の波に揉まれ、東日本大震災では劇場自体も流され....(>_<) 音ちゃんや社長さんも流されたけど何とか助かり、興行はしているようですが、イオンという壁も有り、映画館再建はどうなったのかなぁ...。
信号を2つ3つ待って向かいのビルを見たら、エスカレーターホールの前に背の高いテントが...。怪しい...(^_^;)
向かいのビルは「博多リバレインモール by TAKASHIMAYA」でした。次回は美術館でも見たいです。
二番山笠 大黒流でした。こちらは高さが無いので担ぐ「舁山(かきやま)」でしょうか。
でも、どうやら後ろです(^_^;) 京都祇園祭山鉾は後ろに下げる織物等を「見送り」と言っているようですが、博多では単に後ろを見送りと言っているようです。まあ表側に回ります。
じゃーん、大黒様(^_^)v
エスカレーターホールを背にして左側を見たら、遠くにまたまた怪しいモノがありましたので拡大したら、一番山笠でした。
あっ、大変(>_<) 昼前に現着したかったのに、もう11時45分です(T_T)
名残惜しい川端通商店街にお別れを告げ、地下鉄への階段を下りました。さあ、任務遂行の為に急ぎまょう。昼時間ですが、食べるのは後回し(>_<)
今回旅行に際し、事前に気仙沼駅へ行って切符を買い求めようとしたら、丁度午後の休憩時間に、タッチの差で入ってしまいました。なので1つだけしか無い窓口は閉鎖。タッチの差なので20分間、ただ待ちます。うーん不便なまち(>_<)
不便なまちといえば、某爺が過日市立病院へ行ったら、「今日は予約でいっぱいだから」と帰された....、是非行きたいなら救急車だなぁと怒っていました。痛いから行くのに、初診なら診て欲しいし、次回から予約だよ....とやるべき。しかも、内科や整形外科等町医者が居る診療科は、まず町医者に行け....とばかりに初診料を超割高な何千円も取られる....とも話していました。
そういえば身近な知り合いは、胸が時々痛むので市立病院へ行き、総合受付で初診票を書いて出したら、(外の業者さんが総合受付をやっているので)苦慮していたのか暫くしてから呼ばれ、「直接外来窓口に行って受診したいと話して下さい」と話され、その外来窓口に行ったら、「当外来は予約制です。午後3時に電話して下さい」と受付さえもしてもらえなかったと(>_<) 市民の為の病院じゃなくなった(T_T)
この春だったか、何かの雑誌で、私が住む気仙沼市は「東北で2番目に住みよい街」だと載っていたそうな。私はそのような雑誌は買わないけど。
勿論雑誌社ではそれなりの項目で評価しているのでしょうけれど、実際は単にそれだけのこと。
何日かは忘れたけど、4月か5月の聖教新聞、最後の面に某先生が統計数字の読み方について書いていました。「数字にはバイアスが掛かっている」と。
気仙沼市では隣市にならい、公民館の市民センター化を進めるという。これは大都市の市民センターではなく、簡単に言えば公民館の管理を単に外注(指定管理)すること。隣市は先進地だと。でも、私が以前見た隣市の「公民館」は、地域の自治会館みたいな小規模のものも有りました。
このような小さなものと、言わば旧町村単位で設置されている気仙沼市の公民館とは、同一に比べられないと思います。でも、公民館という名前の建物は、数字上小さくても大きくても1つは1つです。
しっかりとした検証が足らない数字が表に出、その数字が一人歩きする場合があります。その数字、いや数字のみに限らず、目の前にある物事が本当に正しいのか、行動を起こす前に一度や二度叩いてみることをお勧めします。
ウクライナを始めとする戦争や紛争、強圧政治が終わり、世界中で平和を満喫出来る日が早く来ることを祈り、本日はこれにてお終いm(_ _)m