10回目の夏に 仮設住宅撤去 気仙沼の今 20200825 [東日本大震災]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
なんと今日8月31日は寒いです(>_<) まだ8月ですが、身体が亜熱帯仕様になっていたため(^_^;)
先週土曜日29日は記録的には大変な猛暑で、最高気温は36.5℃。それが日曜日には10℃も下がり(>_<)、今日は更に4℃も下がりました。最高気温22℃(^_^;) 下手な冷房より寒く、窓を開けた室内では半袖Tシャツでは凍えるよう(^_^)v 直ぐ長袖を着ました。
お時間のある社長さんや重役さん方、秘書を連れて避暑にお出で願います(^_^)v 気仙沼のお宿はまだまだ閑散としていて、三密は無い模様。ただし、コロナは同伴しないでくださいm(_ _)m
東日本大震災から10回目の夏が終わろうとしています。短いようで長かった、長いようで短かった、そんな年月が過ぎ去りました。
気仙沼はいろんな建物が建ってきましたが、復興したといえる方々は一部のように感じます。
変わりつつある気仙沼、今回は気仙沼市民会館西側に建っていた気仙沼公園仮設住宅のその後を紹介します。
ここは最後まで残っていた仮設住宅2団地の内の一つです。3月末までに全員が退去しました。
※写真はクリックすると大きくなります。
8月20日の撮影です。気仙沼・大川の下流から気仙沼中学校へ登る細い急坂はザワザワと呼ばれています。坂は校庭に突き当たって、ヨコミーは右折。まもなくこんな様子が目に入りました。「あっ、解体が進んでいた」
ここは気仙沼市民会館西側の仮設住宅があった所。気仙沼公園の市民グラウンド。手前のコーナーにバックネットが在り、市民が野球を楽しむ場でした。
左折して市民会館方向へ。
工事の看板は道路工事用でした。??? 解体工事は終了していたのかも。
採石の山...。ひょっとして既に仮設住宅地内の舗装なども撤去され、道路工事の資材置き場に?
フェンスの中には土の山が見えます。敷地内の採石をブルドーザーで集めた....ようには見えません。道路拡幅工事の原材料かと。
市民会館西側の駐車場です。右手はトイレ。奥の林に遊具があります。
市民会館が避難所だったとき、毎朝この林の中で、支援に入っていた広島の保健師さん方の指導でラジオ体操が行われていました。避難していた方々はいっときでも日常を取り戻していました。感謝<(_ _)>
震災の年、駐車場の真ん中には自衛隊のお風呂が在りました。「玄界の湯」(^_^)v 福岡の部隊でしょう。ヨコミーも何度かお世話になりました。ありがとうございますm(_ _)m
リニューアルされた気仙沼市民会館です。今はコロナで利用が少なく、もったいないです(>_<)
では、ちょっと時間をさかのぼってみます。
昨年の大晦日。住んでいる人は1桁だったかも。静かな年末でした。右下の市道から気仙沼中学校校庭に登る道からパチリ。最初からの6枚はこの市道を右奥から進んできて撮ったもの。
今年の4月14日です。フェンスの中にまだ仮設住宅が見えます。3月末まで入居者がいたので、解体工事はまだ始まっていないようです。
左奥に見える工事の看板は、市民会館から内の脇保育所や天理教の教会を経て、市ガス工場東側へ下る市道の拡幅工事を知らせるもの。仮設住宅工事の看板ではありません。道路工事現場は看板の直ぐ向こう下。緊急時に高台へ登る道の工事で、狭い坂を広く改良します。
坂の拡幅に異論はありませんが、緊急時に停電した交差点の交通誘導も課題かと。前で車がつっかえていて、反対車線を走ってここの坂に入り、ぎりぎり助かった人も。律儀に待っていた車の方の一人でしょう、顔見知りが大津波の何日か後、付近で車と共に見つかりました(>_<)
6月3日、既に解体が始まっていました。
同日。市民会館駐車場側からパチリ。左後ろが公園のトイレ....という場所から。
6月21日撮影です。舗装や解体材は残っているものの、ほぼ震災前の姿に。
これも同じ6月21日です。
正面やや奥、仮設住宅団地内に仮設のセブンイレブンが出来、なにせこの丘にはお店が無く、当時は周辺に住む皆さんにも、とても重宝がられていました。JR南気仙沼駅前の通りに在ったセブンで、勿論お店も被災。
このセブンは、JR鹿折駅前に居た作並屋さんが出した店と聞いています。東日本大震災の大津波で、300tもの船が打ち上げられた辺りです。作並屋さんは、子供の頃、おやつや豆腐を買いに行ったお店(*^_^*)
市内を見れば新しい建物が結構建ち並んでいますが、赤瀬川源平のように街を歩けば、まだまだ被災の跡を見ることが出来ます。
そんな様子をこれからも紹介したいです。
さて政界は内角ナンバー2のムジナー感冒朝刊が後継として有力視されていますね。
マイクロソフトのニュースによれば、東日本大震災後、当時の政権党だった民主党の代表・総理を決める際、党員投票を省いて決めたことに、当時下野していた自民党のムジナーが非難していましたが、その党員投票という手続きを省いて、ご自身が総理総裁になるコースみたい(^_^)v
発言に責任を持たなくてはならない立場のお方ですよね(*^_^*)
任期途中の退陣であり、コロナ禍の下、党員投票をやっていると政治に空白を生むと言うけれど、ヤベー総理がお隠れになっていたときも空白だったの? 政治は少なくても回っていたはず。国会は閉会中審査でしたが(^_^)v
今党員投票をやると、以前からの対抗馬だったイシバー元防衛大臣に票を持って行かれ、総理の椅子も奪われかねないという輩のお考えであるかと(^_^)v
身内の、有名ではあっても人気度が足りないお方を是非とも総理にして、今までの利権を保とうとする「利権組」かと(^_^)v
ムジナーはまだ老いていませんので、ここは潔く身を引き、再起を期すべきかと。病める辞めるヤベー総理の女房役でもあるし(*^_^*) そして更にご立派になられて、東北出身の宰相として活躍して欲しいな(^_^)v
談合で決めるのなら、ヨコミーはとりあえず、桜を見る会で、税金で飲み食いしたかはこの際不問とし、コロナ担当大臣を残任期間総理として推したいです。いつかは先走った発言だったためかムジナーに軌道修正させられましたが、面々の中ではベストかと(^_^;)
以前ムジナーが言っていたように、ヨコミーもそう思うのですが、党員投票はやるべきですね。勿論スピーディに(^_^)v 選挙運動はネット配信でも良いし(^_^;)
ヤベー総理がお隠れになっていたことを思えば、政治空白なんてあり得ません。有事・緊急時にはヤクザな副も居るのでしょうから(^_^)v
明日はなろう、よりよい日本に(^_^)v
おしまいm(_ _)m
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
なんと今日8月31日は寒いです(>_<) まだ8月ですが、身体が亜熱帯仕様になっていたため(^_^;)
先週土曜日29日は記録的には大変な猛暑で、最高気温は36.5℃。それが日曜日には10℃も下がり(>_<)、今日は更に4℃も下がりました。最高気温22℃(^_^;) 下手な冷房より寒く、窓を開けた室内では半袖Tシャツでは凍えるよう(^_^)v 直ぐ長袖を着ました。
お時間のある社長さんや重役さん方、秘書を連れて避暑にお出で願います(^_^)v 気仙沼のお宿はまだまだ閑散としていて、三密は無い模様。ただし、コロナは同伴しないでくださいm(_ _)m
東日本大震災から10回目の夏が終わろうとしています。短いようで長かった、長いようで短かった、そんな年月が過ぎ去りました。
気仙沼はいろんな建物が建ってきましたが、復興したといえる方々は一部のように感じます。
変わりつつある気仙沼、今回は気仙沼市民会館西側に建っていた気仙沼公園仮設住宅のその後を紹介します。
ここは最後まで残っていた仮設住宅2団地の内の一つです。3月末までに全員が退去しました。
※写真はクリックすると大きくなります。
8月20日の撮影です。気仙沼・大川の下流から気仙沼中学校へ登る細い急坂はザワザワと呼ばれています。坂は校庭に突き当たって、ヨコミーは右折。まもなくこんな様子が目に入りました。「あっ、解体が進んでいた」
ここは気仙沼市民会館西側の仮設住宅があった所。気仙沼公園の市民グラウンド。手前のコーナーにバックネットが在り、市民が野球を楽しむ場でした。
左折して市民会館方向へ。
工事の看板は道路工事用でした。??? 解体工事は終了していたのかも。
採石の山...。ひょっとして既に仮設住宅地内の舗装なども撤去され、道路工事の資材置き場に?
フェンスの中には土の山が見えます。敷地内の採石をブルドーザーで集めた....ようには見えません。道路拡幅工事の原材料かと。
市民会館西側の駐車場です。右手はトイレ。奥の林に遊具があります。
市民会館が避難所だったとき、毎朝この林の中で、支援に入っていた広島の保健師さん方の指導でラジオ体操が行われていました。避難していた方々はいっときでも日常を取り戻していました。感謝<(_ _)>
震災の年、駐車場の真ん中には自衛隊のお風呂が在りました。「玄界の湯」(^_^)v 福岡の部隊でしょう。ヨコミーも何度かお世話になりました。ありがとうございますm(_ _)m
リニューアルされた気仙沼市民会館です。今はコロナで利用が少なく、もったいないです(>_<)
では、ちょっと時間をさかのぼってみます。
昨年の大晦日。住んでいる人は1桁だったかも。静かな年末でした。右下の市道から気仙沼中学校校庭に登る道からパチリ。最初からの6枚はこの市道を右奥から進んできて撮ったもの。
今年の4月14日です。フェンスの中にまだ仮設住宅が見えます。3月末まで入居者がいたので、解体工事はまだ始まっていないようです。
左奥に見える工事の看板は、市民会館から内の脇保育所や天理教の教会を経て、市ガス工場東側へ下る市道の拡幅工事を知らせるもの。仮設住宅工事の看板ではありません。道路工事現場は看板の直ぐ向こう下。緊急時に高台へ登る道の工事で、狭い坂を広く改良します。
坂の拡幅に異論はありませんが、緊急時に停電した交差点の交通誘導も課題かと。前で車がつっかえていて、反対車線を走ってここの坂に入り、ぎりぎり助かった人も。律儀に待っていた車の方の一人でしょう、顔見知りが大津波の何日か後、付近で車と共に見つかりました(>_<)
6月3日、既に解体が始まっていました。
同日。市民会館駐車場側からパチリ。左後ろが公園のトイレ....という場所から。
6月21日撮影です。舗装や解体材は残っているものの、ほぼ震災前の姿に。
これも同じ6月21日です。
正面やや奥、仮設住宅団地内に仮設のセブンイレブンが出来、なにせこの丘にはお店が無く、当時は周辺に住む皆さんにも、とても重宝がられていました。JR南気仙沼駅前の通りに在ったセブンで、勿論お店も被災。
このセブンは、JR鹿折駅前に居た作並屋さんが出した店と聞いています。東日本大震災の大津波で、300tもの船が打ち上げられた辺りです。作並屋さんは、子供の頃、おやつや豆腐を買いに行ったお店(*^_^*)
市内を見れば新しい建物が結構建ち並んでいますが、赤瀬川源平のように街を歩けば、まだまだ被災の跡を見ることが出来ます。
そんな様子をこれからも紹介したいです。
さて政界は内角ナンバー2のムジナー感冒朝刊が後継として有力視されていますね。
マイクロソフトのニュースによれば、東日本大震災後、当時の政権党だった民主党の代表・総理を決める際、党員投票を省いて決めたことに、当時下野していた自民党のムジナーが非難していましたが、その党員投票という手続きを省いて、ご自身が総理総裁になるコースみたい(^_^)v
発言に責任を持たなくてはならない立場のお方ですよね(*^_^*)
任期途中の退陣であり、コロナ禍の下、党員投票をやっていると政治に空白を生むと言うけれど、ヤベー総理がお隠れになっていたときも空白だったの? 政治は少なくても回っていたはず。国会は閉会中審査でしたが(^_^)v
今党員投票をやると、以前からの対抗馬だったイシバー元防衛大臣に票を持って行かれ、総理の椅子も奪われかねないという輩のお考えであるかと(^_^)v
身内の、有名ではあっても人気度が足りないお方を是非とも総理にして、今までの利権を保とうとする「利権組」かと(^_^)v
ムジナーはまだ老いていませんので、ここは潔く身を引き、再起を期すべきかと。病める辞めるヤベー総理の女房役でもあるし(*^_^*) そして更にご立派になられて、東北出身の宰相として活躍して欲しいな(^_^)v
談合で決めるのなら、ヨコミーはとりあえず、桜を見る会で、税金で飲み食いしたかはこの際不問とし、コロナ担当大臣を残任期間総理として推したいです。いつかは先走った発言だったためかムジナーに軌道修正させられましたが、面々の中ではベストかと(^_^;)
以前ムジナーが言っていたように、ヨコミーもそう思うのですが、党員投票はやるべきですね。勿論スピーディに(^_^)v 選挙運動はネット配信でも良いし(^_^;)
ヤベー総理がお隠れになっていたことを思えば、政治空白なんてあり得ません。有事・緊急時にはヤクザな副も居るのでしょうから(^_^)v
明日はなろう、よりよい日本に(^_^)v
おしまいm(_ _)m