気仙沼の今 三坂~太田~魚町 20171230 [東日本大震災]
こんにちはヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
一昨日の夕方辺りから、気仙沼も割と寒くなりました。
1月12日、今朝、気仙沼のアメダスは午前7時に-5.3℃を記録しました。
そこは、室根おろしという冷たい風が当たる、気仙沼駅向かいの水道山ですけど(^_^;)
でも、平地を見ると、殆ど雪はありません。
12月30日、鹿折地区へ行った折、帰路、JRのトンネルを越える栄町の三坂(さんさか)を上り、太田(おおた)を下ってきました。
三坂と太田の境となる峠は、以前紹介した復興祈念公園が出来る陣山の天辺へ行く道があります。
三坂も狭い道ですが、今回は峠から狭い道の太田一丁目を下り、魚町へ至ります。
※写真はクリックすると大きくなります。
峠から下り始めた辺り。トンネルの上。
お得意の振り返り撮影(^_^;)
トンネルが見えます。太田から入沢へ抜けるJR大船渡線の。気仙沼駅へ至ります。
震災以前は鉄路でしたが、今ではBRTという代替バス(>_<)
JR大船渡線は、陸前高田駅付近は大きな被害でしたが、2駅手前の陸前矢作駅から気仙沼駅までを見ると、鹿折駅付近の被害だけ。
小さな駅舎を建て、津波で少し傷んだ土手やレールを整備するだけで、鉄路は県境を引き続き結んだはず....。
トンネルの手前には、二丁目へ登る踏切があります。
そこまで下り、左へ。
踏切の角を曲がって、下手をパチリ。
左角は酒屋さんだったか....。その右隣は魚屋さん。
通りの奥に見えるのは、内湾を隔てた気仙沼プラザホテル。
見ての通り、狭い道幅。避難路整備の名で拡幅するのでしょうけれど、津波被害に遭わなかった家々も、その家を追われることに....(>_<)
下ります。
中央から左は「両国」という酒造メーカー。
気仙沼にも両国があります(^_^)v
太田は飲み屋街でした。昔は赤線もあったとか。
漁船漁業が衰退しつつあり、飲み屋は数えるほどしかありません。ヨコミー、その昔、月イチで各店他を回っていました。お仕事(^_^;)
この辺り、普通車は楽にすれ違えますが....。
下手はちょっとだけ曲がっているので、道の先を魚町・入沢の災害公営住宅がふさぐ感じで建っています。
駐車場が目立つのは、大津波後、家が再建されてないため。
工事中(中断?)の建物までが太田一丁目。
更に下ります。
亀の湯は魚町一丁目。ここも東日本大震災による大津波で、大きな被害を受けたのですが、修繕して営業を再開していました。
でも昨春、惜しまれながら廃業に(>_<)
ヨコミー小さい頃、鹿折から三坂を越え、1回か入りに来ました。鹿折は浜の湯でしたが、何の都合だったか....。
亀の湯の海側には、県道に面する薬局が在りました。
ここに勤めていた元気なお姉さんが、当時の職場にも来て、注文を引き出していました(^_^;)
営業はかくあるべき....を実践したお姉さん、今は何処で何をしているのか....。
奥に見えるのは大島の亀山。
手前、黄色い重機の運転席辺りから左に伸びる灰色の構造物は、内湾の防潮堤らしいです。その下、横に伸びる白は、日陰に残っている雪でしょう。
因みに、ホテルの下の白は内湾の海(^_^)
内湾手前にはぎっしりと建物が在りましたのに、まだまだ。
次は右手へ。
県道の信号待ちなので、右角もパチリ。
ここには時計屋さんが在りました。
電柱の右には、南町の災害公営住宅が見えます。
右上の小山には気仙沼小学校が在ります。
大津波以前は家々が建ち並び、ここからは小山が見えなかったのですがねぇ。
復旧さえこんな感じ。復興なんてまだまだ、いつのことなんでしょうか(>_<)
さて、そろそろ信号が変わります。
車が動き出すので、本日はここまで(^_^)v
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
一昨日の夕方辺りから、気仙沼も割と寒くなりました。
1月12日、今朝、気仙沼のアメダスは午前7時に-5.3℃を記録しました。
そこは、室根おろしという冷たい風が当たる、気仙沼駅向かいの水道山ですけど(^_^;)
でも、平地を見ると、殆ど雪はありません。
12月30日、鹿折地区へ行った折、帰路、JRのトンネルを越える栄町の三坂(さんさか)を上り、太田(おおた)を下ってきました。
三坂と太田の境となる峠は、以前紹介した復興祈念公園が出来る陣山の天辺へ行く道があります。
三坂も狭い道ですが、今回は峠から狭い道の太田一丁目を下り、魚町へ至ります。
※写真はクリックすると大きくなります。
峠から下り始めた辺り。トンネルの上。
お得意の振り返り撮影(^_^;)
トンネルが見えます。太田から入沢へ抜けるJR大船渡線の。気仙沼駅へ至ります。
震災以前は鉄路でしたが、今ではBRTという代替バス(>_<)
JR大船渡線は、陸前高田駅付近は大きな被害でしたが、2駅手前の陸前矢作駅から気仙沼駅までを見ると、鹿折駅付近の被害だけ。
小さな駅舎を建て、津波で少し傷んだ土手やレールを整備するだけで、鉄路は県境を引き続き結んだはず....。
トンネルの手前には、二丁目へ登る踏切があります。
そこまで下り、左へ。
踏切の角を曲がって、下手をパチリ。
左角は酒屋さんだったか....。その右隣は魚屋さん。
通りの奥に見えるのは、内湾を隔てた気仙沼プラザホテル。
見ての通り、狭い道幅。避難路整備の名で拡幅するのでしょうけれど、津波被害に遭わなかった家々も、その家を追われることに....(>_<)
下ります。
中央から左は「両国」という酒造メーカー。
気仙沼にも両国があります(^_^)v
太田は飲み屋街でした。昔は赤線もあったとか。
漁船漁業が衰退しつつあり、飲み屋は数えるほどしかありません。ヨコミー、その昔、月イチで各店他を回っていました。お仕事(^_^;)
この辺り、普通車は楽にすれ違えますが....。
下手はちょっとだけ曲がっているので、道の先を魚町・入沢の災害公営住宅がふさぐ感じで建っています。
駐車場が目立つのは、大津波後、家が再建されてないため。
工事中(中断?)の建物までが太田一丁目。
更に下ります。
亀の湯は魚町一丁目。ここも東日本大震災による大津波で、大きな被害を受けたのですが、修繕して営業を再開していました。
でも昨春、惜しまれながら廃業に(>_<)
ヨコミー小さい頃、鹿折から三坂を越え、1回か入りに来ました。鹿折は浜の湯でしたが、何の都合だったか....。
亀の湯の海側には、県道に面する薬局が在りました。
ここに勤めていた元気なお姉さんが、当時の職場にも来て、注文を引き出していました(^_^;)
営業はかくあるべき....を実践したお姉さん、今は何処で何をしているのか....。
奥に見えるのは大島の亀山。
手前、黄色い重機の運転席辺りから左に伸びる灰色の構造物は、内湾の防潮堤らしいです。その下、横に伸びる白は、日陰に残っている雪でしょう。
因みに、ホテルの下の白は内湾の海(^_^)
内湾手前にはぎっしりと建物が在りましたのに、まだまだ。
次は右手へ。
県道の信号待ちなので、右角もパチリ。
ここには時計屋さんが在りました。
電柱の右には、南町の災害公営住宅が見えます。
右上の小山には気仙沼小学校が在ります。
大津波以前は家々が建ち並び、ここからは小山が見えなかったのですがねぇ。
復旧さえこんな感じ。復興なんてまだまだ、いつのことなんでしょうか(>_<)
さて、そろそろ信号が変わります。
車が動き出すので、本日はここまで(^_^)v