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復旧工事進む大谷海岸 東端からの風景 20190807 [東日本大震災]

 こんにちは、ヨコミーです。
 ここは気仙沼市本吉町風の丘。
 今夜は少し冷えています。今夏も、良い天気には恵まれず、終わりました。来年の夏も、好天が期待出来ない夏になるのでしょうか....。

 8月7日、所用で気仙沼の街まで出掛けた帰路、東日本大震災で、海水浴場の砂が流失したり、道の駅や付近の民家等に大きな被害を受けた大谷海岸を、いつもとは違った方向から見たくて、大谷の通称「街」を抜けて左折し、旧・JR気仙沼線の踏切を渡り、いったん中華高橋水産方向へ進み、間もなく右折して少し進んだ辺りでパチリ。

201908071107 ネギ畑が w1280 P1540613.jpg
 以前というか3年前か、地元のネギ生産組合がネギを植えていた辺りからの撮影です。ほぼ正面奥に見える小さな森(舘鼻崎)から右手が大谷海岸です。裏側から(^_^;)
 ここから左へ進み、画面左奥に見える防潮堤にぶつかったら右に進み、小さな森の右下に見える坂道を登って行きます(^_^)v
 それにしても、手前には震災後、多分補助金という税金も頂いて整備された畑ですが、この日も、2か月くらい前に来た時も、ネギの姿は有りませんでした。ネギ生産が始まる直前、人伝えに、組合の方が「これから忙しくなる...」と言っていたとか。なのに現況は???

201908071109 大谷海岸東端 w1024 P1540615.jpg
 向こうに見えていた坂道を上ると、まもなく開け、海が見えてきました。大谷海岸は凡そ南向きで、その東端は小さな漁港になっています。
 左奥に霞む山、山頂が手前の森から出ている枝に隠れていますが(^_^;)、南三陸町境のツツジ山・田束山(たつがねさん)です。
 右手に見える電柱の少し左、左右に伸びる防波堤の向こう岸に、小さくてすみませんが、日門漁港を守る灰色の防波堤が見えます。防波堤は左から右へ伸びていて、右端に白い小さなトゲのような灯台が見えています。まっ、灯台は先端なんですが、直ぐ右に岩だらけの小島が在り、先端じゃない!!!風に見えているのが残念。
 なので、今年1月に、向こう岸から撮った写真がこれ!!

201901131416 日門 小島 w1024 P1380082.jpg
 今年1月13日撮影です。この並びの写真から、1月辺りのブログに載せています。もっと右から撮ったカットにしたかったのですが、この日もそのようなカットは無く、未整理なもので....(>_<)
 手前は日門海岸の防波堤で、右は漁港、左は海水浴をしている砂浜。先端に岩だらけの小島があり、ウミネコが生息しています。
 問題は更に奥。やや右手に岩山の上から白い姿を見せているのが日門漁港の灯台。この灯台は、右奥から伸びる防波堤の先端に在ります。
 が、左奥に見える大谷海岸防潮堤の工事現場から見れば、日門漁港の防波堤先端に白い灯台が見えるものの、途切れたはずの防波堤先端には、この岩山が続いているように見えるワケ。
 今回ブログに使った写真は、その多くを一部完成した防潮堤の右手、土色の坂道のような所から撮影しました。黒っぽい杉か松の木の下側です。
 小さく写っている対象に、時間を掛けすぎました。すみませんm(_ _)m まあそれにしても、このウミネコたちは、とても可愛いですよ。手で触れるくらい近づいて、漸くよちよちと逃げて行きます(^_^)v

201908071109 大谷海岸東端漁港から w1024 P1540614.jpg
 漁港から西側です。大谷海岸の砂浜は、漁港から奥の白い色の建物付近まで続きます。
 白い色の建物から少し右に離れて、白い色の線が見え、更に少し離れた右にもやや太い白い色の線が見えますが、これらは仮設の、新旧の道の駅です。
 因みに、左端から伸びる防波堤の先端、その直ぐ上に見えるのが、プライベートビーチみたいな九多丸の砂浜。以前も紹介しましたが、海水浴場の設定は無く、トイレやシャワーも無く、監視員もいません。なのに今夏も何人か来ていましたが、ここでの海水浴はやめましょう。

201901010713 初日の出直後 w1024 P1370303.jpg
 これが九多丸の浜。今年、初日の出直後に撮影。奥の正面から左は大谷海岸、奥の右端が舘鼻崎です。
 地元のカッパが若い頃、日門から大谷海水浴場を目指したのですが、九多丸の浜は離岸流が早く、慌てたと(>_<)
 君子危うしに近寄らず...ですよ(^_^)v

201908071109 防潮堤 w1024 P1540616.jpg
 カメラは更に右続きへ。この防潮堤の一部が、日門漁港から見えていました。防潮堤工事は未だ始まったばかり。
 でも、こんな緩い傾斜の防潮堤で、万が一の時は大丈夫なのでしょうか。先月に開かれた、日門海岸防潮堤の説明会で、顔見知りから仕入れた情報によれば、この先の防潮堤は階段状になり、腰掛けることが出来るとか。
 こんな緩い傾斜じゃ、万が一の際は津波が登ってくると思うのですが、なんで岸壁みたいな、出来ればお城に有る石垣の「忍び返し」みたいな作りにしなかったのか....(>_<) 同じ高さでも、効果的な作りが大切と思うのですが。
 因みに、数百m離れた「大谷の街」の東側に在る防潮堤は絶壁タイプです。そちらは県工事の防潮堤で、こちらは国。皆さんが津波なら、どちらが登り易いですか?と聞くまでもない事だと思うのですが(^_^)v

201908071109 工事現場 w1024 P1540617.jpg
 工事現場の拡大です。
 漁港の背後地は、余り知られていませんが、砂丘でした。大谷海岸はほぼ東西に延びる砂浜で、気仙沼は一般的には北西の風が強いので、普通に考えれば海岸の砂は全て海に戻されるような気がします。
 しかし、ヨコミー家でもですが結構西風が強く、時には南西からも強い風が吹くのです。
 こんなことを考えれば、砂浜の東に砂丘が作られることは不思議ではありません(^_^)v

201908071110 工事現場2 w1024 P1540620.jpg
 海が荒れている時、ホテルからこちらを見ると、立てた鉄板に大波が当たり、凄い高さの飛沫を上げていました。昨年秋頃の当ブログに有ります。 
 中央やや上の、民家の並びの下端辺りに、左右に伸びる白っぽい線が見えます。これは、防潮堤工事に伴って付け替えられた、仮に設けられた国道45号のガードレールです。以前の国道はその下、白い何台かの車輌が見える辺り。
 左端、黄色い重機の左にちょっとだけ見える建物が、従来から在る道の駅のトイレです。そんな高さでした。

201908071110 旧・仮道の駅 w1024 P1540618.jpg
 真ん中を左右に伸びるのが付け替えられた国道です。その下右端が旧・道の駅のトイレ。より白っぽい左隣の建物が、加工と物販、食堂の建物。
 左端、国道の上に見えるのが新しい道の駅ですが、「仮設」と聞きます。本当でしょうか? どうせあの辺りに作るのですから、支障となる建物も無いし、先に盛土等の工事を進め、道の駅の建物は直ぐ本設とすべきじゃなかったのかなぁ...と。「仮設」の真偽の程をもっと掘り下げてみます。
 道の駅の上に小さなトンネルが見えますが、三陸道の下を抜ける通い道です。その左側は、東日本大震災による大津波で、日本家屋の2階部分が2つも運ばれてきたところです。
 今三陸沿岸各地で大きな防潮堤が作られていますが、残念ながら再び東日本大震災級の津波が来たら、十分に対応出来る防潮堤ではないのです。レベル1津波(通常L1=「エルワン」といいます)という、津波高はより低いものの発生頻度が高い津波に合わせた高さとか。因みに東日本大震災級はより大きなL2(エルツー)。
 ヨコミーにすれば低くて残念ですが、発生頻度は低く、税金もより多くなるだろうし、第一、沿岸に平地が少ない三陸では、全部とは物理的にも不可能かと(^_^;) 対応は避難併用だと。仕方無いなぁ(>_<)

201908071110 海洋館 w1024 P1540619.jpg
 海辺の小高い丘に建つホテル・海洋館。国道は、計画では大谷海岸防潮堤の上を走り、ほぼ水平でホテル右側の交差点に繋がります。
 直ぐ下はJR気仙沼線の鉄路跡地を経て砂浜に(^_^)v ホテルと砂浜の間に見える黒い階段状の物は、大きな土嚢(どのう)。
 土嚢は、大津波でそれまでの防潮堤や砂浜、松林までも流されたので、海岸保全のため、置かれています。これらも近々、防潮堤に代わります。
 ホテル右上に民家がちょっと見えますが、ここが風の丘。台風の時など、波飛沫が遠くまで飛ばされ、風の丘に建つ民家の外壁や扉に付くことも(>_<) なのでこの辺は、車庫に車を仕舞う家が多いです(^_^;)
 左端やや下に左右に伸びる白い線は、三陸道のガードレールかと。インター付近です。

 ヨコミー、出来ることなら防潮堤は作りたくないのですが、守るべき命、生活、自然環境がある限り、作らなくてはならないと、先月、意とする防潮堤の姿ではありませんでしたが、賛成票を投じ、地元としても推進することとなりました。
 反対の方の中には、「子や孫達にまで借金を残すのか!」「将来まで補修費が掛かるのでダメだ」と言う方も居ました。
 でも、私だって震災後の一時期、所得税に上乗せさせられて、お金を拠出しました。覚えていますか? 多分サラリーマンだけじゃなく、納税している多くの方々も。
 ヨコミーから言わせれば、なんで今の世代だけが負担しなければならないのか!!!ということ。
 受ける恩恵は続くのですから、いや、続けさせなければならないと思うので、今回の大地震は1000年に一度というなら、1000年のローンを組んで各世代に負担してもらいたいのです。もちろんメンテナンス費用も含めて(^_^;)
 でもまあ、費用を負担し、子や孫、子々孫々まで、津波被害から守ってあげたいのですよ(^_^)v
 あの津波の恐ろしさを、私は、わ、す、れ、な、い。

 老母(ろうはは=ヨコミー語)は今日はデーサービスでした。夕方戻ってきたら、送ってきた方が、「今日は2回でした」と。どうりで持たせたズボンじゃ無く、施設のズボンを穿いていました(>_<)
 夕食を終え、ベッドから22時に定時のトイレへ。車椅子へ移す前から臭い、トイレで開けたらなんとごしゃごしゃ(>_<) 
 先週金曜日は、朝、デーに行くために着替えていたら、なんと臭く、開けて見たら大(>_<) 夕方デーから戻ってベッドに移そうとしたら、なんと臭い。開けて見たらまたまた大(>_<) 
 なんとも、施設に迷惑を掛けないよう、息子夫婦に手間を掛けさせてくれました(T_T)
 老母は、こんな暮らしをどう思っているんでしょうか。苦労して子ども達を育て、そしてちょっとはささやかな幸福感を味わったかも知れないけど、間近で見てきたし、いろんな話も聞いたことによれば、その人生の多くは、苦難の連続だったと思うのです。
 こんな今の老母に、幸せを与える神様は居ないようですね。といってヨコミーが神様に代わって役目を果たすことが出来るかといえば、それには修行が足らない(>_<)
 もし今の老母にヨコミーが幸せを届けることが出来るなら、ヨコミーは教祖様になろうかなっ(^_^)v
 老母は今夜も静かに眠っています。でも、明朝はちゃーんと起きてね(^_^;)
 おしまい。
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