十三夜 山形城址にて 20181021 [観味良好]
こんにちは、ヨコミーです。
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日10月24日は、前夜から弱く降っていた小雨が、朝にはなんとか止んだものの不安定で、なかなか回復せず、昼過ぎにちょっと薄日が射したものの、天候が安定したのは夕方。
おかげで枕は干せず(>_<)
先程外に出たら、涼しくない北西の風が吹いていました。
月は丸いです。満月は今宵、日付が変わってから。
月といえば、十三夜の月を素敵な場所で見てきました。偶然でした(^_^)v
十三夜の月を射落とさんとするのは、山形城址(山形市霞城公園=かじょうこうえん)の最上義光公。
この夜は十三夜であることは知っていましたが、それほど写欲は湧きませんでした。
でも、お殿様にお出まし頂いた甲斐がありました。感謝m(_ _)m
10月20日と21日、所用でこの付近を訪れ、初日の夕方、霞城公園を散歩しました。
この最上公は伊達政宗の伯父に当たり、山形・白鷹から気仙沼へ来られた伊達家の家臣・鮎貝氏を唆し、伊達家を襲わせたとか。
鮎貝氏は、そのときは未だ白鷹だったのかな。なので、伊達家家臣とはいえ、辺鄙な気仙沼へ左遷されたのかも....と勝手な推測。有りそうな話。
なので、最上公は好きじゃ無いのですが、まあお出ましを頂いたし....(^_^;)
割と小藩のためか最上公の時代には石垣は無かったと。お金が無くて作られなかったのかなぁ(>_<)
まあ、無理矢理と年貢を取り立てた訳じゃなさそう(^_^;)
石垣を作るためにはお金が要るし、それには年貢をいっぱい頂かなくちゃならない。
ならば農業用水路を整備し、米を沢山作らせ、年貢を沢山頂こうという政策だったのでしょうね。
農業政策に力を注いだ結果、庶民からも愛されるようになったのでは....と(*^_^*)
興味が有る方は要調査(^_^)v
最初の写真は、こんな所です。建物は山形県立博物館。
露出時間を多くし、明るくしてみました。
この写真も露出を多くして明るくしました。
霞城公園内北側では、野球場の改修工事が行われていました。南方向を向いています。
奥に見えるのは、山形駅西口にそびえるビル・霞城セントラル。
帰路の散歩を終え、駐車場へ行こうと南門から出ようとしたら、お堀に街路灯が映っていました。
この直後、急に結構強い雨が降り、傘を差して車へ急ぎました。
初日は終わり。
二日目の、少し遅い昼休みにパチリ。
前夜の夕食は、南門から南に少し歩いた小さな食堂。洋食屋さんの看板も。
おばちゃん一人でやっているのかな。
ひなびた様子が気に入り、2日目のお昼も食べようとしたら、なぜか準備中。
日曜日のお昼は休みなのかなぁ....と見渡せば、向かいに大きな食堂が。競合を避けた??
仕方無く大きな食堂で美味しく満腹したのですが、ちょっと横になりたい感じ(^_^;)
車へ行くには時間が掛かるので、南門から入り、右へ。
お堀内側の土手の上に有る長椅子に横になったら、もう秋だというのに、木々の緑が綺麗です。
で、バチリ。
ここは午後の会場に近く、午後の開始に十分間に合いました(^_^)v
予定より午後は早く終わったので、またまた公園内を散歩です。
木によっては割と色付いています(*^_^*)
泊まった宿は朝飯代を稼ぐ気は無かったようで、朝は仕方無く非常食の小さなパンと、前夜に朝食が無いことに気付いて、一口だけ飲んで冷蔵庫に入れていた野菜ジュースだけで済ましたという、ヘルシー食(>_<)
そして2日間にわたる散歩で、ちょっとはお腹が凹んだでしょうか....(^_^;)
カメラの向きは左隣です。内堀は空堀? それとも工事中の為??
右は見学台。
本丸の門。
林の下は紅葉の絨毯みたいです。
でも、これって、係の方が集めたのかなぁ。落葉は気まま。風も気まま。
手前の通りはそんなに多い交通量では無く、紅葉を舞い上げてあちらへ追いやった訳じゃないでしょう。
まして、奥に見える所も見れば、係の方がせっせと集めたものかもね(^_^;)
まあ、それでいいのだ(^_^)v
2日間の予定を無事に終え、帰路を急ぎました(*^_^*)
ここは気仙沼市本吉町風の丘。
今日10月24日は、前夜から弱く降っていた小雨が、朝にはなんとか止んだものの不安定で、なかなか回復せず、昼過ぎにちょっと薄日が射したものの、天候が安定したのは夕方。
おかげで枕は干せず(>_<)
先程外に出たら、涼しくない北西の風が吹いていました。
月は丸いです。満月は今宵、日付が変わってから。
月といえば、十三夜の月を素敵な場所で見てきました。偶然でした(^_^)v
十三夜の月を射落とさんとするのは、山形城址(山形市霞城公園=かじょうこうえん)の最上義光公。
この夜は十三夜であることは知っていましたが、それほど写欲は湧きませんでした。
でも、お殿様にお出まし頂いた甲斐がありました。感謝m(_ _)m
10月20日と21日、所用でこの付近を訪れ、初日の夕方、霞城公園を散歩しました。
この最上公は伊達政宗の伯父に当たり、山形・白鷹から気仙沼へ来られた伊達家の家臣・鮎貝氏を唆し、伊達家を襲わせたとか。
鮎貝氏は、そのときは未だ白鷹だったのかな。なので、伊達家家臣とはいえ、辺鄙な気仙沼へ左遷されたのかも....と勝手な推測。有りそうな話。
なので、最上公は好きじゃ無いのですが、まあお出ましを頂いたし....(^_^;)
割と小藩のためか最上公の時代には石垣は無かったと。お金が無くて作られなかったのかなぁ(>_<)
まあ、無理矢理と年貢を取り立てた訳じゃなさそう(^_^;)
石垣を作るためにはお金が要るし、それには年貢をいっぱい頂かなくちゃならない。
ならば農業用水路を整備し、米を沢山作らせ、年貢を沢山頂こうという政策だったのでしょうね。
農業政策に力を注いだ結果、庶民からも愛されるようになったのでは....と(*^_^*)
興味が有る方は要調査(^_^)v
最初の写真は、こんな所です。建物は山形県立博物館。
露出時間を多くし、明るくしてみました。
この写真も露出を多くして明るくしました。
霞城公園内北側では、野球場の改修工事が行われていました。南方向を向いています。
奥に見えるのは、山形駅西口にそびえるビル・霞城セントラル。
帰路の散歩を終え、駐車場へ行こうと南門から出ようとしたら、お堀に街路灯が映っていました。
この直後、急に結構強い雨が降り、傘を差して車へ急ぎました。
初日は終わり。
二日目の、少し遅い昼休みにパチリ。
前夜の夕食は、南門から南に少し歩いた小さな食堂。洋食屋さんの看板も。
おばちゃん一人でやっているのかな。
ひなびた様子が気に入り、2日目のお昼も食べようとしたら、なぜか準備中。
日曜日のお昼は休みなのかなぁ....と見渡せば、向かいに大きな食堂が。競合を避けた??
仕方無く大きな食堂で美味しく満腹したのですが、ちょっと横になりたい感じ(^_^;)
車へ行くには時間が掛かるので、南門から入り、右へ。
お堀内側の土手の上に有る長椅子に横になったら、もう秋だというのに、木々の緑が綺麗です。
で、バチリ。
ここは午後の会場に近く、午後の開始に十分間に合いました(^_^)v
予定より午後は早く終わったので、またまた公園内を散歩です。
木によっては割と色付いています(*^_^*)
泊まった宿は朝飯代を稼ぐ気は無かったようで、朝は仕方無く非常食の小さなパンと、前夜に朝食が無いことに気付いて、一口だけ飲んで冷蔵庫に入れていた野菜ジュースだけで済ましたという、ヘルシー食(>_<)
そして2日間にわたる散歩で、ちょっとはお腹が凹んだでしょうか....(^_^;)
カメラの向きは左隣です。内堀は空堀? それとも工事中の為??
右は見学台。
本丸の門。
林の下は紅葉の絨毯みたいです。
でも、これって、係の方が集めたのかなぁ。落葉は気まま。風も気まま。
手前の通りはそんなに多い交通量では無く、紅葉を舞い上げてあちらへ追いやった訳じゃないでしょう。
まして、奥に見える所も見れば、係の方がせっせと集めたものかもね(^_^;)
まあ、それでいいのだ(^_^)v
2日間の予定を無事に終え、帰路を急ぎました(*^_^*)